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チームながぐつプロジェクト第106陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年02月18日(Wed)]

期間:2015年2月6日〜2月9日
場所:福島県いわき市
活動内容:
2月6日 日本財団にてオリエンテーション。長源寺で坐禅体験。
2月7日 薄磯地区でゴミ拾い。オリーブプロジェクト
2月8日 いわきサンシャインマラソンボランティア。
2月9日 視察。掃除。


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2月6日
日本財団にてオリエンテーション後いわきへ。
有賀さんご本家に荷物を置き長源寺座禅体験を行いました。
座禅後中華料理店で大熊町復興支援員の梅村武之さんと食事をしました。
食事後銭湯に行き寮へ移動。
寮でミーティングをして就寝。
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活動1日目:日本財団にてオリエンテーション後、「それぞれが想うボランティア」や今回にかける想いを共有。バスでいわきに向かい、到着後長源寺にて座禅指導を栗山副住職様より約2時間行っていただきました。震災当時の避難生活で人々が味わった「動けない苦痛」を座禅を通し学生たちは体感していました。また副住職様の子を持つ親だからこそのお話も伺い、学生たちの心に残ったようでした。
夕食は四川という中華料理屋さんにて大熊町復興支援員である梅村さんのお話を伺いながら。その後尼子湯に行き、宿舎に戻り一日の振り返りと明日からの活動に対する想いの共有を行い就寝。
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2月7日
寮からご本家にて朝食。
いわき駅よりバスで薄磯へ。
薄磯復興協議委員会鈴木さんと合流し、お話を伺いながら活動場所まで歩いて行きました。
同じく薄磯復興協議委員会室谷さんの指示のもと
塩谷崎灯台下周辺道路脇のゴミ拾いを行いました。
ゴミ袋140袋分、粗大ゴミ4トン分拾いました。
ごみ拾い後は場所を移動し薄磯のお話を伺い、駅前でタクシーに乗り活動場所へ移動。オリーブプロジェクトのお手伝い。オリーブ麺や饅頭に使用するためオリーブの葉を切る作業を行いました。
17:00まで作業。
銭湯に入り有賀さんご本家に移動。
青年会議所グルメ会の行事に参加させていただき、青年会議所のかた、青年会議所OBの片と一緒に食事をしました。
食事中いろいろなかたから震災当時のお話をたくさん伺う事ができました。
寮に戻り振り返り後就寝。
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活動2日目:お世話になっている有賀さんのご本家にて朝食。有賀さん手作りのおいしい朝ごはんに学生みんな感激していた様子。その後バスで薄磯地区に向かい、薄磯復興協議委員会の鈴木さんに合流。鈴木さんの震災直後の体験を聴きながら薄磯地区を視察。津波によって様々なものが失われた土地や鈴木さんのお話を聴いて涙する学生もいました。その後薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻と合流し、ゴミ拾いの作業へ。約100ものゴミ袋と洗濯機、電子レンジなどの家電のゴミを回収。その量に学生たちは驚き、どうしてこんなにものゴミが捨てられるのかということを考えていました。ゴミ拾い後は鈴木様より薄磯のまちづくりについてのお話を伺いました。「同意を得ることが一番むずかしい」というお話や薄磯地区の方々の想いをひしひしと感じる時間となりました。バスにていわき駅に戻り、スカイストアさん(スーパー)にてお弁当をいただきました。スカイストアの社長さんであり、オリーブプロジェクトの代表でもある松崎さんよりオリーブプロジェクトに関してのお話をしていただき、実際の作業場へ移動。舟生さんより指導を受けながら、また舟生さんの素敵な人柄に触れながらの作業を学生たちは楽しんでいるようでした。作業としてはスカイストアにて販売しているオリーブ麺の材料となるオリーブの葉の摘み取り作業を行いました。途中、別のボランティアの方々が合流され、お話をしながら一緒に作業を行いました。尼子湯にてお風呂に入った後、有賀さん宅にて青年会議所のOBOGの方々と交流会をさせていただきました。学生たちそれぞれが色々質問をさせていただいたり、お話を聴かせていただく貴重な時間となりました。宿舎に戻り、2つのグループに分かれて振り返りを行い、就寝。

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2月8日 
寮からご本家に移動して朝食。
いわき駅からシャトルバスに乗り活動場所であるアクアマリンパークへ移動。
いわきサンシャインマラソンのボランティア。
ランナーの荷物返却を行いました。
人手の少ない所に数人ずつ散らばり雨の中の活動となりました。
15:30終了。
銭湯に入り寮へ移動し食事。
3時間ほど振り返り、ミーティングをして就寝。

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活動3日目:朝ごはんを有賀さんのご本家にていただき、いわきサンシャインマラソンのお手伝いのため小名浜港アクアマリンパークに向かいました。作業が開始されるまで一緒に作業を行う他のボランティアメンバーの方々とお話をさせていただいたり各々時間を過ごしました。作業はフルマラソン参加者の方々の荷物返却。大型トラックで運ばれてくる荷物をボランティアみんなでバケツリレーの様に運び、整列させ、ゴールした方に返却作業を行いました。合間合間にランナーの方やボランティアメンバーの方とお話をした様で、雨の中の大変な作業でしたが学生たちはこれまでの二日間とはまた違った活動を行えたようでした。そのまま尼子湯に直行し、お風呂。(学生たちはいつも明るく迎えてくれる尼子湯のご主人の大ファンになった様子)
夕食後、前日に学生からの要望があり振り返り、お互いの想いの共有の時間を多めに取りました。これまでの活動で感じたことや、今後自分たちは学んだことをどう活かしていけば良いのかなどそれぞれが持つ想いや葛藤を共有しあいました。また参加した学生に東北出身であり被災経験をした学生がいたので、自身の経験をみんなに話してくれ、みんなにとってまた学びの時となりました。(話してくれてありがとう)

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2月9日 
起床後、ご本家の掃除。
本家で朝食。
いわき駅から滝田駅に電車で移動。
滝田駅から楢葉タクシーで視察。
久ノ浜浜風商店街で昼食後電車でいわき駅へ。
寮に戻り振り返り後アンケート記入。
17:00の東京駅行きバスに乗り20:30着後解散。
以上。

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活動4日目:宿舎とお世話になった有賀さんご本家の掃除を行い、朝食をいただいて富岡町視察へ向かいました。人がいない町、あの日のまま時が止まっている町を学生たちはまっすぐと見つめていました。また除染作業が行われている様子や放射線廃棄物が袋に入れられ、積み重ねられている様子に衝撃を受けたようでした。その後浜風商店街のからすや食堂にて昼食。明るい女将さんとおいしいごはんに学生たちも温かな気持ちになったようでした。宿舎に戻り、この4日間の振り返りを行いました。たくさん想いを共有したことが学生一人ひとりにとってより多くの学びをもたらし、つながり合うことで自分たちにできることを考え続けたいとの声が聞こえました。アンケート記入作業後、バスにて東京へ戻りました。

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参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。


*「新しいことを始めたい」ではなく「新しいことを始めなくてはいけない」という言葉に、農家の方々の苦しみや焦りを感じた。

*3日目はサンシャインマラソンのお手伝いをしました。ランナーの方に預かった荷物を返すという短時間の触れ合いの中で、震災後のいわきについてお話を頂く様な場面があり、その方々にとって震災が今でも鮮明な記憶であり、決して薄れていないことを感じました。

*今回帰ったら周囲の人に何を一番伝えて欲しいですかといわきの住民の人に聞いたところ、「みんな楽しそうだよ」と伝えて欲しい。遊びに来てほしい。と言っていたことが印象的でした。私は現地の今の状態を伝えることが震災の風化のために良いと思っていましたが、良い意味で風化するのも大事なんだと学びました。

*いわき市の復興に対する思いと使命感に福島の人々は、たくさんのものを背負い、それでも前に進んでいるのだと感じ、何とも言えない気持ちになりました。その後のグルメ会でも、一人一人がたくさんの思いの中で感情や思いを必死に伝える姿にとても感動しました。

*「だれも悪くないんだ。これが俺たちの運命だったんだ」とぼそっと言っている姿を見たときに衝撃を受けました。それまで、いつでも前向きでいる姿を見ていたため、誰も責めることができない、やるせない思いは、運命だったと思って区切りをつけるしか前に進めない、少しのあきらめに見えたからです。私たちが話を聞くときには、その時の相手の姿しか見ることができません。震災から立ち直った明るい人のように見えてしまうけれど、そこに至るまでには、きっと多くの事を乗り越えてきたんだろうし、何度もこらえてきた思いがあると思います。だからそういった他の人に見せない姿にも気付いて、弱い所や強がりなところも受け入れられる人になりたいと思いました。

*地元の人の愛をおおいに感じ、この愛がある限り福島は進み続けられる思いました。さらに他県からも東北を応援しようと思っている人がこんなにもたくさんいることに驚きました。

*被災地以外から復興支援として物資が送られてくることについての中で、印象に残った話がありました。震災後に薬が大量に送られてきたことがあったけど、そこは病院でもなく、ただの市民が中心となって活動している団体であったため、その薬をどうすればいいのか、わからなかったそうです。支援物資が送られた、ニュースで報道されると、助かる人がいるだろうななどプラスにしか考えていませんでした。ただ送るだけではいけないのだ、支援物資がどのように使われて、誰が助かったのか、そこまでが重要なのだと感じました。薄磯でも桜の木が送られてくるが、誰がそれを育てていくのか、という問題があると聞いて継続して行くことの大切さや必要性を多く感じました。

*いわきでは現地の人々と触れ合う時間が多く、その時間の中で、いわきの人たちが、私にしてくれた無償の優しさが何よりも印象的であった。温かく優しく、なんで初対面の私にここまで優しくしてくれるのか疑問で仕方なかったが、その優しさに触れて、私はもっと人に優しく楽しくいたいと思うことができた。本当に驚くくらい温かくて幸せだった。感謝しかないです。

*薄磯で語ってくださった、3時ごろ津波がきて、逃げ惑う人々の声がたくさん聞こえ、聞こえなくなったのは6時頃だったという話が特に印象に残っています。その3時間の間、何もできずにいた人々の気持ちを考えると悲しかったし、今、自分が立っているこの地で実際に起こった事なのだと思うと、今まで何となくつかめなかった震災のイメージがとても鮮明なもの変わり、恐怖を覚えました。

*皆が自分の活かせる能力や職業におけるつながりを活かして地域の復興のために全力を尽くしている姿は、とても胸に響き、自分も周りの人が3・11を忘れないように努めていきたいと思った。

*地域によってかかえている問題は異なり、一概には、3.11をとらえることができないと思った。しかし、共通点のようなものがあると思った。それは対立するものの存在である。それぞれ行政と民間、地元民と避難民、自分の気持ちと他者の気持ち、自分の事と地域社会の事など対立するものがあり、その狭間で活動している人がいる。どっちが正しいという正解がある問題ではなく、正解がない問題に直面している現状を目にした。その難しさを思い知った。

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福島の皆さん ありがとうございました。
106陣の皆さん お疲れ様でした(^○^)
【参加者募集!】Gakuvo インドネシアプロジェクト [2015年02月10日(Tue)]

※定員になりましたので、募集を終了いたします。

日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)は、
「20年後の日本社会を支える人を、ボランティア活動を通じて育てる」ことを理念として設立されたNPOです。主な活動は、学生のボランティア活動に関する情報や機会を提供しています。
今回は、インドネシア ジャワ島の中部に位置するジョグジャカルタで、
小学生に向けた異文化理解のワークショップを開催します。外国人、特に日本人や日本の文化に直接触れた経験がほとんどない子どもたちです。彼らと一緒に過ごし、子どもたちの視野を広げる機会を作ってほしいという現地の要望から、今回のプロジェクトを実施します。現地の大学生と共にプロジェクトを作り上げます。
彼らと一緒に過ごし、外国の文化に興味をもてる機会を提供してほしいという現地の要望から、今回のプロジェクトを実施します。
現地の大学生と共に、プログラムを作り上げます。
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■説明会:応募前の説明会を実施いたします。
2015年2月14日(土)17:00〜18:00
2015年2月17日(火)14:00〜15:00
2015年2月19日(木)14:00〜15:00応募多数により、〆切とします
場所:日本財団学生ボランティアセンターの事務局(東京都港区虎ノ門1-11-2日本財団第2ビル)
申込:toyonaga.gakuvo@gmail.com に、希望日時・お名前・所属大学・連絡先のお電話番号をお送りください。

■募集要綱(詳細)
1. 日時
2015年3月11日(水)〜23日(月)
[集合時間]3月11日(水)8:00(時間厳守)
[解散時間]3月23日(月)10:00 ※飛行機のスケジュールによって、多少前後する場合があります
[集合・解散場所]羽田空港
※集合・解散日時は、飛行機の便によって変わってきます。
※詳細は、参加決定者の方にお知らせいたします

2. 募集人数
10名(他に、インドネシアの参加者が5名参加します)
日本財団学生ボランティアセンターの豊永が引率、現地では受入団体Alternative Projectの徳住がアテンドをします。

3. 活動場所
インドネシア ジョグジャカルタ
ジャワ島中部に位置し、王宮文化が色濃く残る古都ジョグジャカルタ。
伝統文化と現代アートが融合し、独特の芸術文化を生み出している文化的な町です。
世界遺産であるボロブドゥール遺跡へのアクセスポイントにもなっており、町の中心には王宮が、周辺には世界遺産プランバナン遺跡があります。

4. 宿泊場所
ジョグジャカルタ市内のゲストハウス

内容
●ジョグジャカルタの低所得層の家庭の子どもが放課後に集まる寺子屋で、日本の文化を体験するワークショップを企画&実施。子どもたちは日本人と接した経験がほとんどありません。ワークショップの内容は日本人&インドネシア人参加者で一から作り上げます。
●インドネシアの中でも芸術の街として有名なジョグジャカルタのアートを感じます。名門国立ガジャマダ大学の伝統舞踊と音楽のクラブ活動に混ざり、踊りや伝統楽器を習います。
●インドネシア人の生活に根付く宗教(イスラム教、キリスト教、仏教、ジャワ土着の信仰)を理解するワークショップをインドネシア人参加者が企画、日本人が参加します。
●世界最大の仏教寺院で世界遺産のボロブドゥール寺院の観光と周辺の村で伝統的な暮らしを体験し、民家にホームステイし、インドネシアの田舎生活を体験します。
●毎日日本人とインドネシア人参加者が一つ屋根の下で共同生活します。共通語は英語。
●フリーデー(参加者で計画を立て、自由に過ごします)

目的
上記の活動を通して、
●日本人、インドネシア人学生が共同生活しながらプロジェクトを進める過程で、互いの違いや共通点を発見し、新しい価値観、多様な生き方を知ること
●英語でアイデアを出し合い、一から企画を作り上げるなかで、英語はもちろん、主体性、積極性を磨くこと
●日本ではなかなか感じられない多民族、多宗教の世界を体験し、それを尊重すること
●環境問題や貧困問題といった世界規模の社会問題を目の当たりにすることによって、身近な問題として関心を高めること
●近い将来に備えて、海外で働くこと、文化・価値観の違う人と一緒に働くことのイメージをつかむこと
●世界に一生の友人をつくること
を目的としています。

6. 参加費
25,000円(Gakuvo会員15,000万円)
※参加に必要な経費は1人約20万円ですが、差額は日本財団の助成によりGakuvoが負担します。

参加費に含まれるもの:羽田空港からジョグジャカルタまでの飛行機代、ジョグジャカルタ滞在のための宿泊費、活動のためにかかる現地の交通費、活動中の食費(フリーデーの昼、夜除く)、初日と最終日のジョグジャカルタの空港送迎、世界遺産ボロブドール入園料、ビザの費用、出国税
参加費に含まれないもの:フリーデーの際の食事(ローカル食堂200〜300円くらい、ショッピングモールでは400〜1,000円くらい)、その他フリーデーの自由行動のための費用、海外旅行保険代金

【Gakuvo会員登録について】
Gakuvo会員の方は参加費25,000円が15,000円となります。
非会員の方で入会希望の方は、集合時にGakuvo会員の登録手続き(年会費2,000円納入)を行っていただくことができます。なお納入済みの参加費の差額については、出発日の受付時にGakuvo会員登録手続き終了後、差額分(8,000円)を返金いたします。

7. 海外旅行保険
出発前に、必ず海外旅行保険に加入をしてください。クレジットカードに保険が付帯されている場合でも、別途「海外旅行保険」への加入が必要です。
出発日に、証書とコピーを必ずご持参ください。

8. 応募資格・条件
●心身ともに健康な18歳以上の大学生または大学院生(申込時に満20歳未満の未成年者は、親権者による承諾書の提出が必須となります)
●引率の指示に従い、活動に積極的に参加をし、共同生活が営める人
●文化・習慣の違いなどをみとめ、現地の文化・習慣を尊重できる人
●共通言語である英語で積極的にコミュニケーションをとる意欲がある人
●シンプルな環境を楽しむことができる人
●体調管理を自分の責任で行うことができる人
●ワークショップの準備などを、日本からしっかり行うことができる人
事前のオリエンテーション(3月4日(水)15:00〜18:00(予定) 場所:Gakuvo事務局(東京都港区))に参加できる人
 (首都圏以外からの参加の方は、ご相談ください。Skypeなどで参加をしていただきます)
参加後のふりかえり会に参加できる人

終了後、800字程度の報告書を提出していただきます

9. 持ち物
□パスポート(残存有効期限が6か月以上のもの)
※日本国以外の国籍をお持ちの方は、自国の国籍に基づき、インドネシアに渡航できる条件を満たしてください
□各自で加入した海外旅行保険の証書とコピー
※コピーは出発日に受付にて回収いたします
※出発当日に海外旅行保険に加入していない人は、空港で加入していただいての参加となります
□現金
※持参する額は各自で判断してください(現地の食費は、ローカル食堂200〜300円くらい、ショッピングモールでは400〜1,000円くらい)
□(未成年での参加者のみ)親権者による承諾書(集合時に忘れた場合、参加不可)
□虫除けスプレー
□かゆみ止め
□日焼け止め、帽子、サングラスなど、強い日差しに耐えられるもの
□洗面用具(歯ブラシ・シャンプー・石鹸・タオルなど)
□着替え(動きやすく、涼しいもの)
□羽織るもの(日差しが強い時や、雨などで気温が下がった時に使えるもの)
□活動用に使う小さなナップサックやウェストポーチなど
□常備薬(各自で必要と思うものをご持参ください)
□筆記用具
ワークショップで使う、日本文化紹介のためのもの
□貴重品は、各自で管理をしてください。Gakuvoは盗難・紛失の責任は負いかねます
その他、必要だと思うものをご持参ください。

10. 予防接種について
厚生労働省検疫所の情報で確認してください。
厚生労働省検疫所では、A型肝炎、B型肝炎、破傷風等の予防接種を推奨しています。予防接種については、各自で判断をしたうえで行ってください。

11. 申込方法
≪お申込みはこちらをクリック≫※定員になりましたので、募集を終了いたします。

申し込み後のキャンセルはないようにしてください。締切は2月21日(土)です。
締切日までに、以下の口座に参加費の25,000円(Gakuvo会員は15,000円)をお振込みください。締切日までにお振込みがない場合、申し込みが取り消される可能性があります。
万一、最少催行人数に満たなかった場合は、中止となる可能性もあります。

【お申込み口座】
金融機関:みずほ銀行 虎ノ門支店
口座番号:普通口座 4134905
口座名義:特定非営利活動法人日本学生ボランティアセンター
トクヒ)ニッポンガクセイボランティアセンター

<キャンセルポリシー>
航空券は、お申込みをいただき、受入業務が完了次第に発券手続きをいたします。それ以降のキャンセルについては、お振込みいただいた参加費は返金されませんのでご注意ください。また、お振込みがされていなくても、キャンセル料としての支払い義務が発生します。
<注意事項>
お申込み後、Gakuvoより確認のメールをお送りしますが、お申込み後3営業日以内にGakuvoからメールが届かない場合は、下記連絡先までご連絡ください。
お申込時の志望動機をもって選考をし、定員(10名)になり次第、〆切とさせていただきます。

ご不明点やご質問は、以下の担当者までお問い合わせください。
日本財団学生ボランティアセンター 担当:豊永、佐藤
電話:03-6206-1529
メール:toyonaga.gakuvo@gmail.com
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チームながぐつプロジェクト第105陣 宮城県石巻市行き 活動報告 [2015年02月06日(Fri)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第105陣】
期間:2015年1月16日〜1月19日
場所:宮城県石巻市
活動内容:
1月16日 オリエンテーション 移動 炊き出し体験
1月17日 林道整備 パネル運び ビニールハウス部品運び 薪割り
1月18日 梁製作補助 炊き出し体験
1月19日 どんと祭りお焚きあげの後片付け 視察

1月16日 
到着後 ボランティアに参加した理由と自己紹介を行いました。夜は炊き出し体験ということでうどんを作り食べました。
次の碑は阪神淡路大震災から20年ということで、阪神淡路大震災から東日本大震災、そして今日までのいろいろなお話を伺いました。
食事後石巻の現状や明日以降の活動の説明を受けました。

1月17日 
個人で高台移転支援。
翌日木材を運び出すために通る林道に砕石を敷き整備しました。
ビニールハウス設営のスペースを確保するためパネルを移動。
ビニールハウスの部品運び 薪割りをしました。
土地の持ち主の方から震災当時のお話、現在のお話を伺いました。
夜は振り返り・ミーティング。

1月18日 
前日にひき続き個人で高台移転をされる方のお手伝い。
荒れた森を整備するための簡易製材所作り。
梁を作るため材料を人力で運びそれをつなぎ合わせ、重機を使い3mの柱の上に乗せました。
女子は昼食の炊き出し準備、柱を固定するためのボルト締め等を行いました。
夜は前日同様、振り返り・ミーティング、アンケート記入。

1月19日 
拠点清掃後、継続して支援をさせていただいている神社の
どんと祭りお焚きあげの後片付けをしました。
その後視察。日和山公園へ連れて行っていただきました。
12時石巻発。東京17:00解散。

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参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。


■活動初日の気持ち

東北の地域に対して、正直他人事の様にテレビを見ていた。

現地の人と話したり、現地の様子を見ないと本当はどうなのか分からないので、東北ボランティアに行きたいと思いました。東北の地震は世界的にみても大きな災害の一つと思っていて、そこで活動することが他の災害にも繋がると思っていました。

ボランティアに参加する前は、「自分」が現地の現状を見たい!「自分」が達成感(?)充実感というものを得たい!「自分」が他の考えや意見を聞きたい!とにかく自分の欲求を満たすためだったように感じます。

いわき市に10月にボランティアで訪れたのだが、学ぶことばかりで何の役にも立てなかった。震災について自分の意見をもてるような立場ではない。自信がなかった。

■活動後の気持ち

今回参加した事で「東北の地域でどうしていかなければならないのか?」という事を今まで以上に考えさせられ、今までみたいに他人事ではない気分になった。

実際に参加してみて、生の大川小学校やさら地のを見て、また写真で、そのさら地の震災前の写真と比べて、改めて震災の恐ろしさ津波の恐ろしさを知りました。高橋さんと話してみると震災の影響を受けたにもかかわらず、まえを向いて、これからも続けてほしいと思いました。

高橋さんという1人の被災者の方と話して、その人が抱える不満や悩み、欲求について深く聞いていくうちに、自分では考えもしないような、今後の課題や現状の問題点が挙がってきて本当の意味で人の立場に立つことの重大さに気づきました。

作業はしたけれども、何の役にも立てなかったという思いはある。余計自信がなくなった。

■今後のボランティアに必要なことは

プラスαの活動の様に感じた。今必要とされている問題は、行政の方針に大きく関わる事が多い。行政と市民を繋ぎ合わせる事の出来るイベントをすることは重要だと思う。

Gakuvoの震災支援のやり方は、すごく良いと思っています。ブログも見やすくて、お金の部分でも気にしなくて良くて学生が参加しやすいです。人も良かったです。また参加したくなるような団体です。

ボランティアに参加する学生に、今やっている作業の目的、何のためにやって、その先に何があるのかを伝えていくことを徹底すると参加者にもっと当事者意識が生まれると思いました。

一人の人がずーと頑張るのではなく、色んな人がずーと見守り続けて、いざとなったら誰かが(誰でも)手を差しのべられる状況になることがいいんだろうなと思いました。う〜〜ん。

■感想
ただ学生をボランティアの派遣として「労働力」としてだけ見るのではなく、「学生に学んで欲しい」という姿勢に多いに感銘を受けた。ボランティアに来ているのに、送迎や食事提供など、親切にして頂きありがとうございました。

これからも引き続き、宮城、福島も含めたさまざまな地域の活動をしてほしいです。

貴重な体験でした。本当にありがとうございました。体験させて頂いたことは、周囲に伝えていきたいし、つたえなければならないと心底思いました。

自分で知りに行くという姿勢がなければいけないのはわかるけれども、あまり説明がなく、求められているものがわからなかった。

■報告書からの抜粋

今回感じた事
私は大学で環境学を専門にしており、エネルギー関連など被災地での行政の取り組みについての自分の意見を持ちたいと考えていた。
その事について考えていく上で、現場及び現場の声をこの目で見て聞いて把握することを今回のボランティアかつどうでの目的としていた。
今回被災地の現場を見て、現場の人の声を聞く事で感じることが2つあった。

一つ目は、【被災地の想像以上の被害の大きさである】テレビでは地域ごとの断片的な映像が流れるが、実際に車に乗って連続的に町を眺める事で、その被害の大きさ広さを感じた。
またマスコミでは得られなかった仮設住宅などの様々な問題についてお話を聞く事もできた。現場の根深い問題、実態を知る事ができ、マスコミの表面的な情報に流されずに実際に現地に足を運ぶことの重要さを学ぶことができた。

2つ目は【住民と行政の折衝の難しさである】実際に被災で生活をしている方の声と行政の方針を聞き、どちらも満足のいく解決方法を見つけ出す事は難しいと感じた。どちらかの主張を完全に押し付けると片方は満足しなくなってしまう。
住民は自分の生活に及ぼす問題をもとに声を上げるが、行政は個人の意見より、街全体が良くなることを考える。どちらの主張も正しい。その上で私は頑固に話を聞かないのではなく、お互い聞く耳を持つ事で歩み寄っていく事が大事だと思った。
具体的には行政は現場に足を運ぶことで、住民の人の主張、現場の状況を積極的に知るべきであると思う。そうすることで、おたがいの主張を少しずつ受け入れることができ、いずれ一つの折衝点を見つけることができるようになると考える。
しかし、これは第3者からの机上の空論であるとも思う。
今回のボランティアに参加して、今まで以上に現場の声には、もう少し現場の事情及び行政の事情を知り、勉強する必要があると思った。
今夏のボランティアで様々な発見、気付きをすることができた。
ここに、日本財団のスタッフの方々、石巻市に常駐している黒澤さん、レノンさん、高橋さんに感謝を意を示す。

今回、東北地方石巻市のボランティア活動に参加させてもらい、様々な経験ができました。

1つはしんさいの現場に行くことによって、震災を経験した人たち、震災に関わった様々な人たちから話を聞く事ができたことです。
雄勝地方で活動している高橋さんから様々な話を聞く事ができました。高橋さんが行政と関わるなかで、お互いの思いが違い難しい問題が多くあることが知る事ができました。高橋さんは雄勝地方で住むことに誇りに思っていて、仮設住宅に住むことは好んでいませんでした。
もちろん、私も自分の地元では生活がしやすく、家族や友人が好きです。
もし、震災があって町が流されたら、仮設住宅でも良いと思ってしまいます。
しかし、高橋さんはそれでも雄勝地方が好きなんだと思いました。
その他にも黒澤さんや板倉さん、レノンさんの話を聞いた中には、例えば震災当初は死体が転がっていたり、バスが建物の上にのっていたいたという話しを聞いて震災の怖さ、津波の怖さを改めて感じました

ボランティア活動をしているとそのような話が終わりなく出てきました。
例えば、死体の薬指についている指輪を盗むために水分を含んだ死体の指を切断した話や、災害現場に慣れ過ぎて道を歩いていても死体を物のように感じるという事でした。

もう一つは震災現場を見ることが出来ました。
例えば、大川小学校では、津波の力が強くて柱が折れていたり、逃げれば良かったと言われている山が思っているより近かったです。
小学校の中のハートのライトは。この出来事に対する様々な人の思いがつまっているのかなと思いました。

今回で3回目の参加となる東北ボランティア活動ですが、毎回違うことを感じさせられているような気がします。
もちろん活動内容が変わるから当たり前なのかもしれませんが、被災された方たちの気持ちだったり、行政の動向、学生のメンバーが変わることによって、価値観の違いから影響されて自分自身の考え方が変わるということもあるにおかなと思いました。

105陣はメンバーが少ないという事もあり、すぐに打ち解け、個々に震災について、おのように受け止めているのか聞いてみたりして共感できる部分や、ちょっとちがうなと思う部分など様々でしたが、それをしたことで、視野が広くもてたり別の視点から考えるきっかけになりました。

実際にボランティアに参加しないと何の声は聴けないし、メディアで報じられているものだけでは、被災された方の雰囲気や表情、心の深い繊細な所までは感じ取れないと思います。

また黒澤さん、レノンさん、初めてお会いした板倉さんは、私よりも経験はもちろん多いに、それだけ広い視野をもってらっしゃると実感しました。
ある1部分だけをみても被災地の問題点は解決できるわけでもないし、本当に多すぎなくらいの課題を知ることはできないと思いました。
なのでコーディネーターの御三方との交渉は私にとって非常に刺激となりました。
学生だからできることって何なのかなと考えたりもしました。
若いエネルギーだったり、お話を聞く事で、高橋さんを少しの間でも明るい気持ちへ向かせられたり、微力であっても、何かしらできることはあるし、参加するとしないでは、震災への意識が違ってくると思います

経験させて頂いた事を無駄にしないように私自身考えていかなければならないと感じました。

第100陣のいわき市のボランティアに参加した際に、もっとも強く感じた事は、自分の知識の浅さに対するうしろめたさでした。
今回は前回のことを踏まえ、予備知識を蓄えて臨んだものでした。
その中で感じたことが3つあります。
1つめは、高橋さんの信念の強さに驚かされたということです。
私はその場の雰囲気や、うまい話に流されてしましがちなので、そういう生き方を貫くことができる人もいるのかと感銘を受けました。
そしてそれが、地元への愛情からくる反骨心のようなものからきているというか、自分の慣れ親しんだ母なる大地への思いと、それを失くしたり、ないがしろにされたりする気持ちはどれだけ辛いのだろうかと想像させられました。

2つめは前回とのメンバーの違いによってカラーがこんなにも違うものかという事です。

いわき市の時は2人だけだったこともあるとは思いますが、引率の方も合せて本当に話し合いというか、お互いの腹の内を包み隠さず語り合ったような感じだったのですが、今回はあまり深い話に発展することがなく、皆が何を考えているのかわからなかったです。
このままだと本当にこのままだというか、課題とか、これから自分たちが将来求められてくることとか、本当にわかってるのかな?私はわからないあ!皆、105陣つづいているボランティアの1つで、しかも4年間のうち実質2日で目に見えて役だったかもわからないのに、話聞くだけ聞いて、それで満足なのかな?と思ってしまいました。
自分も含めて、なのですが。どうすればよかったのかと思っています。

3つめは「ボランティア」というもの自体について考えさせられました。
西尾さんが書かれた冊子のようなものを読んだのですが、ボランティアという概念は本当にむずかしくって、未だによくわかりません。
移住してまで、ずっと関わり続けている人もいれば、興味もない人もいて、何かわかるかと思ってボタンティアに参加しても、私のようにもっとわからなくなることもあって。
困っている人がいるから助けるっていうだけなはずなのに。むずかしいです。
チームながぐつプロジェクト第104陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年02月05日(Thu)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第104陣】
期間:2015年1月9日〜1月12日
場所:福島県いわき市

1日目:長源寺で年間特別行事のお手伝い
夕食を食べ、銭湯のあと、振り返り。
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2日目:薄磯でゴミ拾い。その後、被災状況を視察し、復興協議委員会の鈴木さんから話しを伺う。
スカイストアで昼食後、オリーブ・プロジェクトへ。
長源寺で坐禅と栗山副住職の震災時の話しを伺う。
有賀様と夕食、銭湯、その後、振り返り。
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3日目:オリープ・プロジェクトのお手伝い。
銭湯、御本家で夕食、その後、振り返り
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4日目:富岡町と久ノ浜・浜風商店街を視察。
本家の掃除、振り返りとアンケート記入。午後3時半のバスで帰京。
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【活動1日目】
 到着後、有賀御本家に荷物を置き、長源寺へ。5時半から7時まで年に一度の特別行事のお手伝いをした。椅子並べ、掃除、お経、仏具などを並べ、檀家さんを迎える準備を手伝った。かなり重い物もあり、今回は男性が多かったので助かった。その後、五楽ではなく鳳翔で食事をとりながら振り返りを行い、銭湯へ。尼子湯の営業時間が10時までになっており、3分過ぎていたが、マスターは歓迎してくれた。23時20分頃、社員寮に戻り就寝。

【活動2日目】
 朝6時半に起床し、社員寮の掃除。本家で朝食を頂く。
 いわき駅から薄磯へバスで向かい、到着後、薄磯復興協議委員会の室谷さんと鈴木さん指導のもと、近くの県道沿いのゴミ拾いを行った。一見しただけではゴミの多さが分からないが、小一時間程で30袋のゴミが集められ、学生も驚いたようだった。そして、薄磯復興協議委員会の事務所に行き、薄磯の街を鈴木さんから説明を受けながら視察した。昨年から比べると至る所で工事が進み、進入禁止区域なども代わっていた。事務所に戻ってからは、鈴木さんから薄磯の現状と課題について説明頂き、その後、どのように薄磯を発展させるかについて学生と意見交換を行った。
 昼食をスカイストアで頂いたあと、午後は、オリーブ・プロジェクトへ向かった。作業時間は2時間と少なかったが、舟生さん指導のもと、オリーブの葉っぱを一枚ずつ摘む作業を行った。葉っぱを混ぜたオリーブ・パスタが人気の模様で、少しでも多くとりたいとのことだった。
 夕方は、長源寺に向かい、坐禅指導をして頂いた。作業後で疲れていたせいか、眠気に襲われた学生もいて、栗山住職も苦笑していた。坐禅指導を受けながら震災時の話しも伺った。
 夕食は有賀さんの招待で、Kinyaという居酒屋となった。有賀さんが2名のゲストを招待し、全部で8名の夕食となった。ゲストの1人は2011年の震災後から震災支援に関わっている京都出身の梅村武之さん。現在は、大熊町復興支援員をしている。有賀さんと震災支援を通じて知り合い、学生ボランティアの刺激になると考えたようだった。もう1人は、日本酒の又兵衛を生産している酒造の店主である四家さんであった。梅村さんは30歳と若いこともあり、結局、翌日の朝食と夕食も一緒にし、学生たちに自分の経験を話して頂いた。
 その後、銭湯に行き、本家で振り返りを行った。今日の感想と残り2日間で学びたいことなどについて話合った。23時30分に社員寮に戻り就寝。

【活動3日目】
 朝6時30に起床、社員寮を掃除し、本家で朝食。それから「オリープ・プロジェクト」に向かった。昨日の続きで2名がオリーブの葉っぱ摘みを行ったが、もう2人はオリーブ畑で杭打をした。2mくらいのオリーブが強風によって斜めに倒されていたので、杭を打ち込んでまっすぐに支える必要があった。大きなハンマーを使うので、なかなか骨の折れる作業となった。1時間かけて、結局、3本くらいしか打てなかった。昼はスカイストアのお弁当を頂き、午後は、再び葉っぱ摘みを行い、その後、苗木の清掃を行った。虫のついた苗木を綺麗に洗う為にコンプレッサー付きのホースを使い水圧で汚れを落とした。これがなかなか面白く、順番に作業を行った。途中、舟生さんからオリーブ・プロジェクトのこと、震災時のことなど話しを伺いながらの作業となった。3時には、有賀さんから特大シュークリームの差し入れがあった。
 その後、そのまま銭湯へ行き、本家で有賀さん手作りの夕食を頂いた。この時、梅村さんも合流した。
 夜の振り返りでは、これまで一番印象に残ったことや学んだことを共有し、また反省点の共有も行った。そして梅村さんのこれまでの活動を、写真を見ながら振り返り、震災や復興支援について考える時間をもった。24時に社員寮に戻り就寝。

【活動4日目】
 朝6時30に起床、社員寮を掃除し、本家で朝食。いわき駅から竜田駅に向かい、午前中に富岡町と浜風商店街を視察した。富岡町の惨状は、今回も学生に大きなショックを与えたようで、しばし街中で佇んでいた。今回は、竜田駅からタクシーに乗り、天神岬、福島第二原発付近の集積所、仮設焼却施設、富岡駅、富岡町役場を回ってもらった。
 その後、久ノ浜駅近くの浜風商店街にお邪魔し、昼食を食べ、商店街のおばさまたちとお話し。被災時の様子を撮影した写真とビデオを拝見した。
 いわき駅に戻り、御本家でまずは掃除。台所なども綺麗にし、それから振り返りとアンケートの記入。大阪の学生のバスが午後10時発だったこともあり、また3連休の最後で渋滞の心配もあったので、午後5時発のバスではなく、3時半のバスで帰京しました。


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参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。



■活動初日の気持ち
初めてのボランティアという事でワクワクドキドキしており、東北復興についても、ほとんど無知でした。ちゃんとやっていけるかの不安も少しありました。

募集の時に800字の提出の際、自分の元気やパワーを与えることを心がけてました。
4年経ったのである程度復興が進んでいると思っていました。

1年ぶりの参加で3度目のいわきだったので変化を見たくて参加した。就活前で、これから参加が難しくなるかもしれないので今月を選んだが、ここで社会に出る前の気持ちの整理にも繋がれば良いと思っていた。

震災に対して「怖い」という気持ちがありました。十分な知識もなくイメージで判断していました。しかし何かしたいよいう気持ちが自分の目でしっかりと確かめたいという気持ちがあり、緊張と楽しみがありました。

■活動後の気持ち

思ったよりも少人数で、大人数で行くよりも現地の人たちの話など、頭に入って来やすかったはずだろうと思います。現地の人々もとても温かく歓迎して下さり、こちら側の方が元気をもらったんではないかと思います。もう3回生も終わりなので次回また参加すことが困難だと思います。それが残念なのでもっと早くに参加していたらよかった!と思えるような充実した3泊4日でした。

自分の元気やパワーを与えるだけでなくはなしなどを聞いて、自分に逆にパワーをもらえたりすることができました。
実際には本当はまだまだ時間がかかるものでした。

1年間という時間のもたらす変化は、僕の想像を超えていた。見て回った所は薄磯もオリーブも久ノ浜も変化していて驚いたし、色々考えさせられた。しかし変わっていない所もあったし、冨岡は震災当時のような風景が感じられる所も多かった。変わること、変わらないこと、それに伴う問題点の変化など、違いを実感できてとても良かった。

福島の方々の温かさや明るさを感じ、心から参加して良かった感じています。意識の変化として、違う県のことだから住んでいないから関係ないというものから、日本全体の問題として、これから日本を支えていく私たちが向き合っていかなければいけないという意識が持てました。

■今後のボランティアに必要なことは

やはり薄磯など、政府の手がしっかり回っていない地域の事を自分たちの口で世に広め、ボランティアなどで少しでも手助けをする必要があると思います。この3泊4日で得たことを周りにひろめていくこともまたボランティア活動の一環であると思います。

必要なことはボランティアに参加して、それを周りのひとに伝えていくべきだとお思います。経験して、そこで終わりではなく、その“事”を忘れることがないような活動を自分自身でしていくべきだと思います。

より多くの人に事実を知ってもらうこと。地元の人でも(変化が速すぎて気持ちが追いつかない」と言っていた。それほど速く状況は変わっている。

作業をただ単にこなすのではなく、そこに関わる人の気持ちを汲み取りながら想像して心を込めて行うことだと思います。また正しい情報を広めていくことが必要だと感じました。

■感想

今回は貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。不満な点は特にないのですが、参加者の意見や希望などを事前に聞き入れ反映していただければより良いものになると思います(例えば今回参加者の中に現地の消防隊の話を聞きたいと熱望している者がいました)

普段生活をしていて、このようキッカケをつくっていただいて本当に感謝しています。ボランティアに参加したいと思っていてもなかなか時間が作れませんでしたが、ヤッと参加できるようになった時、大規模でなく小規模なチームで活動するのがとても良かったです。ありがとうございました。

いわきでは本当人たくさんの人に会えました。それがこのボランティアの良い点のひとつだと思うので、もっともっと人とのご縁を大切にしていってほしいと思いました(別に問題があったわけではありません感想です)

たくさんの方々と会い話を聞く機会が持てたので、良い経験となりました。ありがとうございます。意見として少し気になったのですが、どこへ行っても「一人いないね」と言われました。人数が活動に関係しなくても直前の欠席の方の連絡はすべきだと思います。

■報告書からの抜粋

初めてのボランティア活動で、不安と期待が渦巻く中、参加させて頂きました。
参加者の人数は時期によりバラバラだそうですが今回は4人という小人数制の中で参加させて頂き普通のボランティア活動により現地の人々の声や教わったことが入ってきやすかったんじゃないかと思います。
来る前まで東北についてあまり知識がありませんでしたが、今回で事細かに学べてとても満足できました。
その中でも、自分の中で一番心に残っているのが復興というのは建造物が修復すれば以前のように人が戻ってきて自然としていくものだと安易に考えていましたが実際は全く違うとうことでした。真の復興とは建造物の修復やインフラの整備はもちろんのこと、その地域から避難したり転居した人々をどう取り戻すかということであり、その地域の人々の“笑顔”を取り戻すことです。フラッシュバックや新転地でのいえの購入をした人などを元の地域に呼び戻すことは大変難しいです。
ですがそれを必死に頑張っている薄磯の人たちとの出会い、感化され自分にできる事は何か少しでもないか一生懸命考えてみたものの何も思いつきませんでした。
今考えてみると正直自分にはボランティアくらいしか直接復興を手助けできることはないでしょう。
しかし直接ではなくても帰って周りの人々に今回のことを語りつぐことで復興の手助けは出来ると思います。
これから先、長い人生がまだまだ待っていますが東北での経験を忘れずに今ある幸せな生活に感謝して生きていきます。また機会があれば成長した姿でまたボランティアにきます!

僕自身ボランティアの経験は初めてでした。この4日を振り返ると、1日1日の出来事や作業の1つ1つがとても新鮮ですごく貴重な経験になりました。
思ったことは、いわき市の中でも復興のできているところと、なかなか津波の被害も含めて復興出来ていない所(まだまだ時間のかかる所)があって差を感じました。現代の人々の話をきいていると、話の中に、その時の苦しみや悲しみを感じ、やはり現地の人の話はストレートですごく心に響きましたし、イメージすると、もしそうなった場合、自分ならどうするか考えた時、すごく恐ろしいものだったし、実際それを被災地に足を運んだ時、みなさん必ず「きてくれてありがとう」と言ってくださたのがとても嬉しくて、先ほども書いたようにボランティアだけでなく、“精神的な面でのボランティア”が出来たのはとても良かったです。
それと同時に逆に話などを聞いていて元気をもらいましたし、これからの励みにもなり、お会いした皆さん方本当にいい方達ばかりでした。

最後に行った富岡町はとても衝撃を受けました。車がひっくり返っていたり、家が壊れていたり土地が更地になっていたり、なんか別の世界に来たようでした。
富岡町を先に見るか後に見るかだったんですが、僕的には、どちらでも良く,見れたことが本当によかったです。
阪神淡路大震災の時、放射能の問題がなかったので、復興に時間があまりかかりませんでしたが、放射の問題があるため、なかなか完全復興にはいたらず時間がとてもかかりますが、大事なのはやはりこのようなボランティアを通じて、いろんな人に伝えること、そしてより多くの人に震災を知ってもらうことだと思います。
人と人との協力はとてもこのような時、大きく大事です。このボランティアに行って終わりではなく広めること。これが僕たちの“使命”であり、やっていくべきことだと思います。

今回は1年ぶりのいわきの陣だったので、変化を見たいというモチベーションで参加した。
とくに薄磯地域では集合住宅が完成し、100戸300人が戻ってきていた。さらに工事も延びハードの復興はゴールが見えてきている。
しかしそれに伴なって住んでいた人がなかなか戻らず町として形が保てるのか、という問題が地域にでてきていた。今日会った人たちは、コミュニティ作りのため問題解決の手段を探って東北大の学生と共に会議を重ねていると話していた。
去年参加知っときは「なかなか工事がすすまない。もっと頑張ってほしい」ということを話していたので、今回工事が進んんでいるのを見て単純に嬉しく感じていたが、なかなか難しい問題が出てきていて、ただ家が建てばいいというわけではないということが感じられた。
それと同時に家やインフラの工事をまっていた去年から、自分たちの力でコミュニティ作りという形で自分帯にと町を作りなおすとう活動をしている彼らはとてもイキイキしていて元気だったので、問題の重さを感じつつも復興に向けた力強さを感じることができ明るい気持ちになれた。
このことはオリーブプロジェクトでも同じで去年はオリーブの利用先を試行錯誤していた段階だったのが、オリーブ麺が出来上がり、しかも人気になっていると聞いて、一歩ずつでも前に向かっていることがわかってよかった。

最終日に行った富岡町では、当時のまま片付けの進んでいない家が残っているのを見て、人が戻らない町という所が少しだけ想像できたし、戻らない事を選ぶ人の気持ちも感じられた。
人が離れた駅や学校は草が伸び放題になっていて寂しさを感じた。
とくに学校の方が個人的に悲しかった。だれも使わず、くちていく校舎や校庭は見たくないと思った。
ボランティアとは直接関係ないが、今日は有賀さんが大熊町の復興支援をしている梅村さんという方を紹介してくれた。
彼は2011年からずっと岩手→宮城→福島と復興に関り働いている人で、就活を控えた僕にとってとても参考になる話を聞く事が出来た。
東北の現状のみでなく、社会への関わり方を考える良い機会ができてとても助かりました。

今日は今までいじょうに予定がつまっていてけっこうハードに思いながらの活動だったけれど、その分内容はとても充実していて4日間まったくムダにならず、楽しむこと、学ぶことができました。家に帰って、ゆっくり休んでから、あらためて振り返りしたいと思います。

4日間の活動を通して学んだことを三点挙げる。
一点目は復興は目に見えるものだけではないということである。私はこれまで建物が再建し、インフラが復旧すれば復興したもとになると捉えていた。
しかし町おこしをしていらっしゃる方の話を聞き、それらだけでなく災害前のように人々が戻り、安心、安全、明るい暮らしができ、そこに笑顔が無ければ、それはハード面だけの修復にすぎないということを感じた。
これからは何においても目に見えるものだけではなく人の気持ちがどうなっているのか、またどうあるおとが望ましいのかということまで深く考えるようにしていきたい。

二点目は防災意識の大切さである。
4月から小学校教諭になるのあたり、子どもたちが「自分の身は自分で守る」ということを学年関係なく全員が意識するおとが重要であると感じた。
現代はいつどこで何が起こるか分からない。何かが起こった時に全てに最適な対応をすることはできなくても、前もって準備できると考える。今後教員として、防災について積極的に行動をとっていきたい。

三点目は、人任せではなく、自分がまず動く事の影響の大きさがある。薄磯での活動で「ゴミを捨てるな」と言うのではなく、拾っている姿を見せ、捨てない意識を持ってもらうということや、国や行政が何もしてくれないと言うのではなく、勉強しみんなで協力してアイデアを出し合い、どうすればいいか考え、できることをするということをされている方々を目にし大変感動した。
この姿を見習い、態度で示し自分から行動するということを大切に行動していこうと思う。

津波の被害を受けた地域の様子を実際に見た感想としては、自然の威力のすさまじさを感じ大変驚いた。
このことから自然との共存の意識を持つことが必要であり、自然に関する知識が大切であると感じた。忘れがちではあるが自然の中に生活があるということを常に心においておきたい。
この4年間で色々なことを感じ、多くの学びがあった。この貴重な経験を支えてくださった方々への感謝の気持ちを忘れずに、周りの人やこれから関わるこどもたちに広めていき少しでも復興に貢献していきたい。
チームながぐつプロジェクト第103陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年02月05日(Thu)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第103陣】
期間:2014年12月19日〜12月22日
場所:福島県いわき市
活動内容:
1日目: 長源寺で座禅と栗山住職より震災時の話を伺う。
夕飯(五楽) → 銭湯 → 夜、振り返り。  
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2日目: 薄磯にてゴミ拾いをした後、薄磯復興協議委員会の皆様より話を伺い意見交換。
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薄磯〜豊間までを説明を受けながら視察→プレオープンした「とよマルシェ」を見学。
大國魂神社にて、イベントで使用する竹の竹伐作業。
銭湯の後、夜から有賀様とご友人を囲んでお食事。夜、簡単な振り返り。
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3日目: オリーブプロジェクトにて作業補助。
     銭湯 → ご本家で夕飯 → 夜、社員寮にて振り返り。
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4日目: 午前中、富岡町の視察をし、久ノ浜・浜風商店街にて、有賀様と共に昼食。
     社員寮に戻り、4日間の振り返りとアンケート記入
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12月19日(1日目)
到着後、長源寺に向かい、17:40〜約2時間、栗山住職より震災時の話を伺い、座禅を体験させて頂きました。震災直後、避難場所で過ごした被災者の苦痛を、座禅という形で体感し、また、栗山住職より、震災時の話を伺い、有意義な時間となりました。
その後、夕飯を五楽でとり、銭湯に行き、23時前に社員寮に移動後、初日の振り返りをしました。
夜の振り返りでは、2つのグループに分かれ、「ボランティアとは何か」「ボランティアをする事で、得られるものがあるとしたら何か」を話し合い、その上で「この4日間をどんな姿勢で取り組むべきなのか」を発表し、「自発的に行動し、ボランティアをしてあげるという姿勢ではなく、学ばせて頂くという気持ちで活動に向き合おう」と、明日からの活動に対する気持ちを共有しました。23:30頃終了

12月20日(2日目)
午前中、バスにて薄磯地区へ行き、薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻の誘導の中、約1時間に渡って、県道15号線につながる道路脇のゴミ拾いをしました。缶・ビン・ペットボトルのゴミが多く、集めたゴミは、燃えないゴミ(缶・ビンなど)が11袋、燃えるゴミが13袋にもなりました。
10時から、薄磯復興協議委員会の事務所内で、委員長の鈴木様より、薄磯の現状と問題点を1時間に渡って伺い、委員会のメンバーで、高校の国語教師の瀬谷(せや)さまより、津波で破壊された豊間中学校のピアノが、市内の調律師によって修復された「豊間の奇跡のピアノ」の話」と共に、修復の際に交換されたピアノの部品を希望者に贈呈して下さいました。
室谷さんが、事務所近くに工場がある、丸又蒲鉾のカタログを持って来て下さいました。
薄磯復興協議委員会の事務所を後にして、室谷ご夫妻の案内の下、薄磯〜豊間の震災時の状況説明を受けながら、この日プレオープンした「とよマルシェ」まで(約40分)歩きました。
プレオープンした、4店舗からなる復興商店「とよマルシェ」では、まぐろの解体ショーや、民謡ショーのイベントも開催され賑わっており、学生も一緒にプレオープンの雰囲気を楽しみました。
途中、今年の春から豊間区長になられた、遠藤 守利(えんどう もりとし)様より、震災時の豊間の話を(約30分間)伺う機会を頂き「震災の翌日の風景は、この世のものとは思えない光景だった。避難生活の中で、プライバシーのない空間に大勢でいる事が、一番のストレスだった」という言葉が、学生の胸に響いたようでした。
14:30 大國魂神社に到着後、来年開催される予定の復興イベント「デスティネーションキャンペーン」で使う、絵のぼり(いわきでは端午の節句に、こいのぼりのかわりに、絵のぼりを飾る風習があるそうです)を立てる際に使う竹竿の下準備で、竹林に入り竹伐りをしました。約1時間半かけて、大國魂神社の裏山にある竹林から、20本の竹を選び、長さを約7mに揃えて切り、約20本の竹をいわき駅近くの保管場所まで移動させました。終始、積極的に動く学生の姿がありました。
(この日、切り出した竹は、冬を越す中で、竹の強度が増すそうです)
19:00〜 ラトブの3階にある「すし田村」にて有賀様のご招待で、共に竹伐作業をした、有賀様のご友人で宮大工の、岩崎英明さまと、地酒「又兵衛」の酒造元の四家久央さま、3名を囲んでの夕食会となりました。約2時間に渡って、3名の方々がお話して下さった震災当時の話や、3年たった今だから言えることなど、様々なお話を伺うと共に、学生からも積極的に質問をし有意義な夕食会になりました。21:45〜 社員寮にて今日の活動を通して思った事・考えたことを共有しました。22:40頃終了。

12月21日(3日目)
天気の良い3日目、朝から夕方まで「オリーブプロジェクト」の活動。ビニールハウス内で、舟生さんの指導の下、食材(オリーブ麺)に使用するオリーブの葉を、切断した枝から一枚ずつハサミで摘み取る、葉摘み作業に取り組みました。お喋りをしながらの作業を通して、舟入さんの人柄に魅かれると共に、仲間意識が深まったようでした。
お昼に、オリーブプロジェクトの松崎理事長様がご挨拶にきて下さり、オリーブプロジェクトの歴史や、今後の課題などを約30分かけてお話をして下さいました。スカイストアさんの美味しいお弁当+手作りのお味噌汁+差し入れのジュースも頂きました。
 作業終了後、舟入さんより「今日の活動を通して、ここ、いわきにオリーブプロジェクトというものがある、オリーブが育っていることを覚えていて下さいね」と、言葉と想いを受け取りました。
オリーブ作業終了後、銭湯へ向かい、ご本家で夕飯をとりました。この日は体が温まる鍋を準備して下さっていて、締めの麺は、昼間購入したスカイストアさんの「オリーブ麺」だったこともあり、テンションが上がり、初めて食べるオリーブ麺に盛り上がりました。
21:00〜 社員寮にて、板倉さんの提案で、振り返りを学生たちに委ね、男子学生の宮道さんを中心に「ワールドカフェ方式」で、話し合いたいテーマを、それぞれメモ紙に書き出し、15案ほど出た中から、「Gakuvoだからできる事とは何か」にテーマを絞り、熱い討論を重ねました。23時頃終了

〜ほっとするエピソード〜
今回も尼子湯さんのオーナーが、お風呂上がりに学生にジュースをご馳走して下さり、板倉さんが、この日購入した、オリーブ麺をオーナーに渡すと、とても喜んでいたそうです。活動中に、学生さんから、「毎回尼子湯さんにお世話になっているのだから、尼子湯の休業日になっている月曜日に伺って、お風呂掃除のボランティアとかができたらいいですね」との声もあがりました。

12月22日(4日目)
朝食前に、有賀様のご依頼があった、玄関周辺の落ち葉拾いをして、JRに乗り、竜田駅へ向かい、ジャンボタクシーにて、約1時間半かけて富岡町を視察しました。視察ルートは、@波倉地区(40世帯が被害を受け、8名がなくなった地区) A福島第二原発近くの海岸(降車し約10分見学) B汚染処理工場 仮設焼却施設(降車し約10分間見学) Cパトカーの碑(降車し約10分見学) D打ち上げられた舟 E 富岡駅(降車し約20分見学)  F天神岬(降車し約10分見学) 
想像以上の光景に、学生達は言葉が出ない様子で、2名の警察官が亡くなったパトカーの碑、富岡駅の側にある碑で、手を合わせる学生の姿がありました。
富岡町視察後、そのまま、久ノ浜の「浜風商店街」に向かいました。有賀様も駆けつけて下さり、一緒に昼食をとり(餃子をご馳走して下さいました) 記念撮影の後、お礼の色紙を渡しました。
電気屋さんで震災時のビデオをみせて頂き、お話も伺い、また、資料や写真をみせて頂くと共に、商店街の皆さんと交流をしました。からすや食堂が混んでいて、時間がかかってしまい、帰りのJRを1本後にずらしましたが、その時間を有効に使って、震災時のビデオで見た、久ノ浜の海岸まで歩き、高台にある神社から、現在の街の風景を、それぞれ心に刻みました。
14:30 社員寮に戻り掃除の後、振り返りを行い、それぞれが一番心に残ったことを発表した後、アンケート記入の時間をとりました。17時のバスで東京に戻り、東京駅での開催式の後、再会を誓う学生の姿に、4日間の活動を通して結ばれた強い絆があるのだと感じました。

引率者2
12月19日
日本財団にてオリエンテーション後、高速バスでいわきへ。
いわき到着後有賀さん本家に荷物を置き長源寺へ。副住職から震災当時の言お話を伺い座禅体験をしました。体験後五楽で食事をし、銭湯へ。その後本家に仮置きさせてもらった荷物を持ち、寮へ移動。ミーティングではボランティアとは。ボランティアを行うことで何が学べるか.等を話し合いました。

12月20日
寮から移動し、本家にて朝食。いわき駅よりバスで薄磯へ。室谷さんに合流し地域のゴミを拾いました。その後薄磯復興協議委員会の鈴木さんから薄磯の現状、問題等のお話を伺いました。終了後室谷さんの案内で歩いて薄磯から豊間の復興商店街「とよマルシェ」まで行き、昼食。
昼食後タクシーで大國魂神社へ、地域イベントで使う竹伐りを行いました。一度寮に戻り銭湯へ。夕食は有賀さんからお寿司をごちそうしていただきました。食事では一緒に竹伐りをした有賀さんの友人の方お二人もおられ、震災時の様々なお話、今のいわきの問題等を伺うことができました。食事後寮に戻り振り返りをしました。振り返りでは今日の活動で感じたこと、反省等を一人ずつ発表しました。

12月21日 
寮から移動し、本家にて朝食。タクシーでオリーブプロジェクトの現場に向かいました。
ビニールハウスの中でオリーブ麺に使用するための葉を集める作業をしました。途中舟生さんに畑に連れて行っていただきオリーブについていろいろなお話を伺いました。お昼はスカイストアさんのお弁当をいただきました。午後ももくもくと葉を集めノルマをこなすことができました。終了後は銭湯へ。その後本家に戻り有賀さんが用意してくださった食事をいただき寮へ。この日の振り返りは学生にお任せ。宮内君によるワールドカフェ方式で振り返りを進めてもらいました。一人ひとりみんなに聞きたいこと、話したいことをポストイットに書き込んでいき、ジャンル分けしてテーマを絞り、それについてみんなで話し合いました。

12月22日 
寮から移動し、本家に。朝食前に玄関前の落ち葉ひろい、本家のお掃除をして朝食。いわき駅から電車で滝田駅へ。そこから楢葉タクシーで福島第二原発近く、富岡町等をまわっていただき久ノ浜商店街で昼食。有賀さんから餃子をごちそうしていただきました。商店街の電気屋さんで震災当時の映像を見せていただき貴重なお話を伺うことができました。電車の時間がぎりぎりだったため1本送らせ、商店街のお母さんからもう少しお話を伺い、その後動画が取られたであろう場所までみんなで歩いていきました。久ノ浜からいわきへ。寮に戻り掃除をしてから振り返り。この活動で感じたことを一人ずつ発表してから東京駅へ。解散式を行い帰路につきました。

参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。


■活動初日の気持ち

ボランティア活動で、福島の事をもっと知る事ができれば良いと考えていた。またGakuvoに募集する際、本当に3年半以上経過した福島においてボランティアを必要としているのか、少し疑問もあった。その疑いの真相を確かめることができたら良いと思い、このボランティア活動に取り組もうと考えた。

活動前は、ただ漠然と被災地の方のため、に何か自分ができることをしたいと思っていました。震災から4年が経とうとしている今の福島を自分の目で見たいという思いもありました。また、原発事故の印象が強かったので、福島に住む人々の気持ちを知りたいと思っていました。

大槌町にボランティアで継続して訪れていたので、「被災地」と呼ばれる土地に興味があった。知りたかった。特に福島は「津波」だけでなく「原発」の被害も受けているので現状を知りたかった。
福島に来るのは初めてだったfが、どうしても「原発」のイメーイが強かったです。前回、石巻に活動に行った際、自分が残したメモに「石巻と福島など他の地域の被災者をひとまとめにしてはいけない」と残してあったのだが、その時どうして、そう感じたのかまで書き残していなかったので、その点についても、少し考えながら活動したいと思っていました。また、震災から3年が経った今求められていることも知りたいと思っていました。

最初は海外のボランティア参加したいと思い、ボランティアのサイトを来て、カンボジアに行きたいと思っていました。ですが、まだ体験したことのない国内でできるボランティアをしてみようと思い、このプロジェクトに参加しました。また、内定も決まり、社会人になるにあたって東日本大震災で被害に遭った人や地域に行き自分の目で見て感じたことを多くの人たちに伝えたいと思っていました。

東北に行ったことがなく、ぜひ一度は行って被災地の「今」を見てみようと思いました。震災から3〜4年が経過しているので復興が進んでいるのではないか、もしかしたら私たちができることは少ないのではないかと軽い気持ちでした。とりあえず、3.11と騒がれて深い傷跡を残した現場に行って「生」の声を聞いて見たいと考えました。

どんなボランティアなのか、どんな人たちが来ているのか分からなくて不安でした。震災に関しても考えているようで、考えておらず、ただ与えられた情報を受け取る事しかしていませんでした。
ボランティアがどのような意思で行うものなのかについても、考えた事がありませんでした。

震災地に実際にでむくことで、現在の被災地の状況や震災当時のことに関して、現地の方々の生の声を聴くと同時に、自らの目で見て、体感することで、様々なことを学びたいと考えていた。又ボランティア活動をするにあたって常に公平な姿勢を保ち、活動受け入れ先の人々のことを想いやる気持ちや態度を忘れることなく、自分でできることに尽力をつくしたいと思っていた。

福島という現場が見たい。

以前からボランティア活動に興味、関心がありましたが、参加するのは初めてで、参加すること自体に不安を感じていました。
また、東日本大震災に関する知識も一般常識もしくはそれ以下のものしかなく、そのほとんどがメディアからによる限定的な情報ばかりで、今、被災地で何が起こっていて、何が求められていて、今自分に何ができるのか、といったことが一切分からない状況でした。

■活動後の気持ち

同じ「被災地」でも地域によっておかれた状況立場は大きく異なる。であるからこそ復興する上での優先順位やビジョンも異なる。

「原発」が地域に与える功罪、事故前と後での人々の「原発」に対する態度の変化を目の当たりにした。原発は将来的に無くすべきだという考えは変わらないが、想像以上に複雑な要因を含んでおり、地域の人にとっては簡単に結論を出せるものではない。

「ありがとう」と言ってもらえる期待はしてはいけない。「言ってもらえれば良いな」くらいの気持ちでいないと続かない。(ボランティアとして)

一人では何もできない。信頼できる仲間を増やすことが復興やボランティアにおいては重要。

見たこと感じたこと、自分の中に丁寧におしこんでいきたい。そして自ら発信していくことを恐がらずにしていきたい

実際に津波があった場所に行って、3.11の時の映像が頭の内に浮かんできてとても胸が締めつけられるような気持ちになりました。

前記の気持ちが大きく崩れた実労働させていただきつつ、今回協力活動の提供としてくださった方々との交流を通じて思考、そしてまた現地に行っていない人々への伝聞をきちんとせねばという使命感が芽生えた。
正直、4日間各主要地域を周らせて頂いて消化できていないが、ただ力仕事に重点をおくだけでなく、次世代の若者として、また、大学で学ばせてもらっている身として、思慮していくべきと改めて気付かさせれた同じ日本人として被災地には行くべきです。

参加して良かった思う。活動自体だけでなく、Gakuvo内でのミーティング等を通して色々と考える必要性を再認識することができた。

■今後のボランティアに必要なことは

派遣前のミーティング(参加メンバー間で目的意識を共有するため)
・余裕をもったスケジュール設定

必要な事
臨機応変さ。信頼関係(ボランティア団体と受けいれてくださる方々との間)

どうしていくべき
被災地をひとくくりにせず、目の前にある問題と向き合っていく心配り

被災地に必要なコトモノは現地の人が十分に分かっているのだから、ボランティアの方々は相手のニーズをしっかりと聞き、把握した上で行動することが重要だと思う。

どの範囲までが“震災ボランティア”なのか、地域興しのための“大学生ボランティア”隊なのか、考える機会を設けることが必要だと思う

■感想

宮崎さん、板倉さんには大変お世話になりました。感謝しています。

4日間、大変お世話になり本当に本当にありがとうございました。正直スケジュールは比較的ハードでしたが、短時間で最低限知っておくべき被災地の状況を見て回ることが出来たので非常に有意義なじかんでした。
引率してくださった宮崎さん板倉さん、この運営に携わっている方々のお力添えの上で若者はこのような現場を知る事ができました。また自分なりに落としこめていませんが大学で学問をする身として整理して次につなげます。ありがとうございました。

何のためにその活動をするのか、なぜGakuvoがその活動をするのか、学生はどんなことを意識しながら、活動する必要があるのか、事前に確認したい。Gakuvoのプロジェクトがその活動に関与するに至った経緯も知りたい。

■報告書からの抜粋

私は今回、被災地の現状を自分の目で見たいという思いから、ながぐつプリジェクトに参加した。結論から言うと、十分すぎる程多様な現実を見聞きした。その中で特に印象に残ったことが2つある。
1つは有賀さんとその仲間についてで、もう一つが最終日の視察についてだ。前者は自もの方の理解と協力の必要性、地域におけるキーパーソンの重要性の点で、学ぶべきことがあった。
Gakuvoはこれまで度々、有賀さんにお世話になってきた。
そもそものきっかけは、元職員の佐藤さんとの会話だったそうだ。それ以来、宿泊や食事の面でサポートしていただいている。
これはGakuvoが築いてきた信頼関係、そして有賀さんの人柄に依るところが大きいと感じた。
4日間を通して、何度か有賀さんから「ボランティアの受け入れは道楽だ」「好きでやっているから苦ではない」という言葉があった。
想像していなかった言葉だったので意外だったが、数日有賀さんと共の過ごして、それは本音なのではないかと思うようになった。
そして、2日目の夜、四家さんと岩崎さんと交えてお食事をした時、地元の方同士の会話から、震災直後のことや、復興の難しさ、家族との関係性の変化について、リアルなお気持ちを窺い知ることができた。
通常のボランティアではまず聞く事のできない内容だと思い、貴重な経験となった。
後者は、今回のボランティアの中で最も強烈に印象に残った。変わり果てた街並み、一変した生活、人間不信とコミュニティの崩壊といった、きれいごとでない側面をまざまざと見せられた。廃棄物の焼却施設の建設現場や、放射能廃棄物の袋の数々を見た時、復興の道のりが長く険しいものだと悟った。
正直、元に戻るかという疑問も持った。政策面での改善は必要だが、具体的にそんなアプローチが可能なのか、今は分からないが、これから先見えてくるであろうか。問い続けたいものである。それでも、浜風商店街の方々のお話を聞き、笑顔に触れて一歩ずつではあるが前に進みつつあるんだとも実感した。感じたことを整理し、周囲にシェアする。そしてまた音連れる。これからも私はいわきと関わり続ける。

今日、私は初めての被災地訪問でした。もうすぐで4年ほど経ちますが忘れかけていた気がします。

今回の活動を通して得たことは多くあるのですが、ここでは自分の中で大きく考えが変わったことを2つピックアップして報告をしたいと思います。
一つ目は、自分の中にあった被災地の抱えている問題のイメージがいかに曖昧であったのかということです。
世界的に有名になってしまった「FUKUSHIMA」の中であったとしても、被災した個人それぞれが抱えている問題は異なるもので、解決策は一つではないという難しさを実感しました。
答えが一つしかなくて、みんながそれに向かっていけるのであれば、多くの人が抱えているモヤモヤとした気持ちは幾分か軽くなるのかもしれません。
しかし現実は、例えばひとつ、食事の例をとったとしても、今食べたいものは個人で異なるように、これから暮らしていきたいと思える町づくりを考えるのは苦難の道になるのは間違いありません。
実際に、毎日もがきながら過ごしている人々のお話は、立場も、見えている世界もそれぞれに違うもので、正直、どうすればいいのか、全く分からなくなりました。
ですが一つ、これからやっていかなければならない事があると思いました。それは、互いの話を聞いて、その人たちの立場を想像し、理解しようとする努力です。
これは、被災地内で行われるのももちろん大事だと思いますが、被災地に訪れてくる人々や、行くことができなくても何かしらのアクションを起こしたいと思っている人、そして、もう震災について忘れかけている人、そういった多くの人達の中での対話が行われ続けなければ、納得のいく次のステージはないのではないかと思います。
理解できない、不快な意見を切り捨てず、自分の中で「保留BOX」を作り、時間をかけて消化していこうとすること、その姿勢が大事だと思っています。
強い信念を持つことの大事さと、他人の信念を受け入れて時には柔軟に信念を変化させていく大事さ、この2つをバランスよく自分の中に同居させていかなくてはいけないのかもしれません。二つ目は、ボランティアに対する印象です。
以前、東日本大震災から半年後に父親につれられてボランティアに参加したとき、感じた気持ちは、達成感、充実感といった、やりきったぞという気持ちでした。ボランティアは、時間やお金に余裕のある人が、誰かのために何かをしたという気持ちを味わいたい、新しい出会いがほしい、といった欲求を満たすために行っているもので、「実際に役にも立ってるし、まあいいんじゃない?」といった程度にしか意識していませんでした。
ですが、今回、このながぐつプロジェクトに参加した後、感じたのは”圧倒的なモヤモヤ感”でした。口語にすると、「うわーどうしよう、他人事じゃなくなってしまった…」という感じです。ボランティアと被災地・者の間には「距離」があるから上手くいく部分があるというのは事実ですが、人と人との出会いがあった時、そこから他人ではない関係がスタートしていきます。
お互いに気遣いがあるからこそ、ボランティアする側、される側のバランスがうまくいっているので、深く、深く関わっていくというのは、今回の活動で何度か話題に上がった、ボランティアの引き際に大きく影響してくる問題なのかもしれないなと思いました。
知ることに伴う責任の重さを、ボランティア側が感じて、それが次の活動へ駆り立てるものとなって、いつしか、それだけの思いではなくなっていく。
名前の付けられない関係性になっている人達も、もしかしたらたくさんいるのかもしれません。
これもまた、答えが一つである問題ではないのかもしれないなと思いました。
今後、私も考え続けることが、ボランティアのこれからを少しでも良いものにしていく小さな前進になることを祈っています。
今回の活動報告は、以上をもって終わらせていただきます。
引率してくださった、宮崎さん、板倉さん、一緒に活動した、さきさん、じゅんじゅん、さき、さおり、本当にありがとうございました。出会いに感謝します。

東日本大震災から早3年半、ようやく、福島県いわき市を中心とした被災地に行くことが出来ました。まず、もっと早くに行けばよかったです。
今回、3年経ってから行ったことに意味を見出せたから良かったものの、もっと前に行けば少しでも友人や知人に伝聞して一人でも多くのボランティアを生み出すことが出来たのではと、思います。
友人からの話やGakuvoのブログに感化されて行くことにしましたが、いくら新聞やテレビでの報道で情報収集をしているといっても、実際見聞きして感じ取ったものに勝るものはないので、時間のある人にはぜひ行ってもらいたいです。
さて今回、4日間(主な活動は3日間)という短い期間の中で、薄磯や豊間地区、いわき市の中心、富岡町を始めとする帰宅困難区域にて視察や活動をさせて頂きました。
まずこれらの地区で現地の方々の話を聞き、震災がきっかけで長年問題になっていた地方の問題(地方地区の少子高齢化、施設の老朽化等)が表面化されたことを強く意識することとなりました。
そのような意識の中で特に印象的だったのが原発地域訪問です。他の地域も当然、地震や津波で犠牲者や家財一式津波に流される等大きな被害を被り、瓦礫撤去がまだ終わっていない所など被害痕が垣間見える地域もありました。
それらの地域も大変なのは話を伺い重々承知していますが、行政や国、地域に関係する人々との多大なる紆余曲折はあるものの実際に復興に向けての準備が始動しています。
しかし、帰宅困難区域は他地域同様、地震、津波による被害があったものの、原発問題が生じたことで立ち入りさえままならない状態が続いています。
その結果、震災の道路整備はされている所はあるものの、軽トラックが入ったままの店内、ディスプレイのガラスが割れ地面に散乱したままの自販機等、まるで数年前、地震の数か月後にタイムスリップしたかのような光景が広がっていました。
また、その富岡駅付近の町の目の前には、綺麗な海との間に、長い防波堤と勘違いするかのような、汚染廃棄物の入った黒い袋の山々が長い列を作り、大型トラックが頻繁に出入りをし、多くの従業員の方々が作業をしている、地域の復興どころではないことを印象づけるかのような光景が目に焼きつきました。
海沿いの地域は“地震”“津波”という要因に、“原発問題”という一つの要因が加わることで復興の進行に大差が生じてしまう、想像しただけでもわかりますが、実際に見聞きしたことによって実感する復興への長い道筋。首都圏では震災に関する報道が日常的に報道されることは少なくなりましたが、福島いわきの方では常習的に報道されるのが日常だそうです。
一個人に出来ることはかなり小さいと実感した4日間でしたが、微塵ながらでもタスキリレーの襷をつないで、震災を風化させないようにしていくことが、一個人としてできる一つの使命なのだと痛感しました。
最後に、今回復興ボランティアに参加するのは初めてでしたが、同じ学生から刺激をえることも非常に多かったので、一回も参加したことない人も、案ずるより産むがやすしのごとく、ぜひ参加してほしいなと思います。ありがとうございました。

今回の活動参加は私にとって、6度目の震災ボランティアであったにも関わらず、新たに得たことが多々あった。
感じたこと全てはここでは書き表せないが、特に強烈に印象的だったことを以下3点挙げておきたいと思う。
まず1点目は、復旧と復興の境界線について熟慮する機会になったということである。
震災から4年近く経過した現在、私たちにできることは何なのかを模索したい、という動機を持って今回の活動に参加したが、結果として、答えはわからないままであった。
どこまで地震・津波の被害が元の状態に戻れば、震災ボランティアは不必要になるのか、そもそも、元の状態に戻ることが可能か否か。
また、福島県特有の問題として、原発事故の被害をどう緩和することができるのか。
これらの疑問は未だ個人的にも、政治的にも解決されないままであるが、もう1度考え直す必要があるのだ、ということをひしひしと感じた。
これは私にとっては、これからの被災地との関わり方を考える上での分岐点になったと思う。
2点目は、「被災地」はひとくくりに考えられるものではないということを、身を持って理解できたことであった。
特にいわきに行ったことで、市街地で地震の被害を受けた人々、沿岸部で津波の被害を受けた人々、そして、原発事故で自宅から離れて暮らすことを余儀なくされた人々、異なる立場からのお話を伺う機会を頂けた。
それぞれの暮らし、政治との関わり方、ボランティアに対する思い、すべては当然のことながら大きく異なっていた。
頭では十人十色であるということを理解したつもりでいながらも、やはりどこか「被災地」をひとくくりにして考えていた節があったのだと思う。
しかしそのような考え方に基づいた支援は、現状にそぐわないものになる可能性が大いにあるし、事実、的確性の欠ける復興計画に対する不満の声もあった。公共的な復興計画においてのみならず、個人ひとりひとりの中でも、「被災地」をひとかたまりのものとして見るのではなく、人の数と同じ「被害」がそこにはあるのだということを意識する必要があるのだということを感じる契機になったと思う。
3点目は、東日本大震災はまだ終わっていない、ということを痛感したことである。
震災から4年近く経過した現在、東京では、ニュースの中でも日常生活の中でも、震災のことを思い出す機会は少ない。
実際友人の中には、ボランティアで東北に行く私に対して「まだ震災ボランティアやっているの」という意見を持つ者も少なくない。
しかし、今回の活動で富岡町を視察した際、私は「自分が恥ずかしい」という気持ちでいっぱいになった。
それは視覚的に衝撃を受けるような風景に、涙が止まらなかったことだけが要因ではない。震災直後には、生々しく感じていた恐怖、悲しみ、怒り、やるせなさなどが、自分の中で風化するままに放置していたことに対する恥と、被害を受けた人々にとっては永遠に終わることのない震災を、時間が過ぎれば終わるものとして捉えていたことに対する恥であった。
本当に残念なことに、私たちは自分が体感できるもの以外は、頭で理解していたとしても心では感じられないものなのだと思う。
だからこそ被災地に行って、自分の眼で見て、体で感じる、という機会を持つ必要があるし、震災を風化させないためには、どのような形であれ何かしらの活動に直接的に参与しなければならない。
私にとっては、今回の活動に参加したことで得られた一番の意義は、この「恥ずかしい」という気持ちを再び実感する機会を持てたことだと思う。この感情こそが、現状を変えるために自分が何かをしなければならないというモチベーションになるからである。
チームながぐつプロジェクト第102陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年02月04日(Wed)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第102陣】
期間:2014年11月21日〜11月24日
場所:福島県いわき市
活動内容:
1日目: 銭湯、夕飯の後、振り返り。
2日目: 薄磯を視察後、薄磯復興委員会と意見交換。
     久ノ浜・浜風商店街、富岡町を視察。
長源寺で座禅と栗山住職より震災時の話を伺う。夜、簡単な振り返り。
3日目: オリーブプロジェクトにて作業補助。
     夕方、昨日の振り返りを行い、鳳翔にて有賀様とお食事。夜、振り返り。
4日目: 「プロジェクト傳」の方の案内で、薄磯と豊間の視察
     「かねまん本舗」の駐車場にて「えびす講」のお手伝い。
     前豊間区長 鈴木様・かねまん本舗社長 遠藤様・「プロジェクト傳」斉藤さま・
「プロジェクト傳」会長 鈴木様・「プロジェクト傳」顧問 山名宮司様より
     お話を伺う。有賀さま本家にて、4日間の振り返り。

11月21日(1日目)
到着後、銭湯に向かい、夕飯の後、3つのグループに分かれ、「ボランティアとは何か」「ボランティアをする事で、得られるものがあるとしたら何か」を話し合い、その上で「この4日間をどんな姿勢で取り組むべきなのか」を発表し、「今回、私たちはボランティア、手助けではなく、学ばせて頂く、聞かせて頂く姿勢で取り組み、メモをとりながら活動に向き合おう」と、明日からの活動に対する気持ちを共有しました。22:45頃終了

11月22日(2日目)
午前中、バスにて薄磯地区へ行き、薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻に案内をして頂き、薄磯地区の復興に協力している、福島高専の4年生 菅野さん(ビジネスコミュニケーション学専攻で、実家が竜田とのこと)にファシリテ−トして頂き、被災地についてどのように考えていたか→見る前・見た後、意識が変わったか・変わらないか〜「どんな薄磯になったら、住みたいか」というテーマで、ディスカッションしました。最後に、竜田出身の菅野さんと室谷ご夫妻の現在の気持ちも伺い、内容の濃い2時間でした。
午後から、久ノ浜の「浜風商店街」で昼食後、震災時のビデオや写真をみせて頂き、商店街の皆さんと交流をしました。その後、竜田駅から富岡町へ、タクシーの運転手さんの案内説明で視察し、富岡駅周辺では、壊滅した街の姿を目の当たりにし、ショックをうけていたようでした。
いわきに戻り18時から、長源寺で座禅を受けました。次のスケジュールの関係上1時間の滞在となりまたが、20分間の座禅、栗山副住職より、震災時の状況や、現在のいわきでの生活の現状などを伺いました。質問したいことがあった学生が数名いたのですが、時間がきてしまい、話の途中で移動となりました。夕飯時(五楽)で食事をとりながら、テーブル毎に、今日一日の事を振り返ってもらい、銭湯に行った後に、(22時半をすぎていた事と、頭の中を整理したいという学生からの希望もあり)明日、振り返りをする事にして、各自で今日の活動について、内容を整理する時間にしました。

11月23日(3日目)
快晴の空の下、朝から「オリーブプロジェクト」の活動でした。舟生さんのご指導を頂き、男子学生は、畑に植えてあるオリーブに堆肥をまく作業、女子学生達は、食材に使用するオリーブの葉を、切断した枝から一枚ずつハサミで摘み取る、葉摘み作業に取り組みました。おしゃべりをしながらの作業を通して、仲間意識が深まったようでした。お昼、オリーブプロジェクトの松崎理事長様が、ご挨拶にきて下さり、短い時間でしたが学生達との交流のひと時となりました。スカイストアさんの美味しいお弁当を食べて元気がでた後も作業に精を出し、舟生さんのビニールハウスに移動してからの1時間半は、鉢植えされているオリーブの「堆肥まき」「葉摘み作業」「葉っぱの汚れをとる作業」の3つのグループに分かれて、16:30まで作業に従事しました。
有賀さま宅に到着してから、昨日の活動の振り返りを行い、「今後、自分たちに何ができるのか」「有賀さんに伺いたいこと」を話し合い、19:30〜中華料理店鳳翔にて、有賀様とお食事をしました。
2時間という時間の中で、お食事をしながらも、学生たちはメモを片手に有賀さんの言葉を書きとめ、積極的に質問をしていました。「何でも聞いてもらって構わない」と言って下さった有賀さんから、震災当時の事、ご本家の家の修復の事、東電からの保障の事・子供を持つ親としての思いと会社経営者としての思い・私達に望んでいること等、様々なことを伺いました。「人を受け入れるのは容易ではないはずなのに、どうして私達を受け入れてくれるのですか?」という問いに「ガクボさんとご縁があって繋がったから、お応えしようと思った。田舎の本家は、親戚や色々な方をお迎えするのが習慣になっていて、皆さんのお世話をすることは苦ではない。皆さんが被災地の方々と交流し、見たまま、感じたままの今の現状を、周りの方に伝えてもらえたらと思っています。今回皆さんと出会えたご縁を、大事にしたいと思っていますから、何かあったら声を掛けて下さい」という言葉に、感銘をうけていたようでした。
お食事の後、尼子湯に行き、帰宅後23時半頃からアンケート記入の時間をとり、0時すぎに終了。

〜ほっとするエピソード〜
有賀さんとの話が弾み、お店を出たのは21:40頃になってしまい、尼子湯さんにお電話し、急いで伺うと営業時間が22時までだったにも関わらず対応をしてくれました。帰り際、リーダーの学生が、「営業時間を過ぎてしまったのに、対応して下さって有難うございました。毎回安く利用させて頂き、有難うございます。今後ともガクボを宜しくお願いします」と言って、隣のコンビニで購入した飲み物とお菓子を渡したと、他の学生から、こっそりと報告を受け、胸が熱くなりました。

11月24日(4日目)
 朝からマイクロバス1台で、「えびす講」のお祭り会場、平下高久字下原にあるかねまん本舗へ。
到着後、「プロジェクト傳」のメンバー、遠藤様・斉藤様に乗り込んで頂き案内の中、約1時間、薄磯・豊間を視察しました。震災で被害を受けた「諏訪神社」では、崩壊した鳥居のモニュメントをはじめ、津波がきた際に、豊間保育園の園児ほか、多くの人が駆け上がり命を救われた、豊間にある八幡神社にも足を運び、案内役の遠藤様から、当時の様子を伺いました。また、プジェクト傳が発行した、震災前の街並みを絵で記した地図「あんばさまの町図絵」も見せて頂きました。
 10時から、かねまん本舗の駐車場で行われた「えびすこう」と呼ばれるお祭り(約50年前まで、年に2回どこの家でも行っていた、神である恵比寿様・大黒様に感謝する行事)に参加し、会場内で振る舞われていた、ぽーぽー焼き(さんまのハンバーグ)を焼いて配ったり、練り飴の呼び込みをしたり、元気よく笑顔で活動しました。
お手伝いの途中で、かねまん本舗の遠藤社長様のご提案で、たまたま会場にきていた、前 豊間区長 鈴木 徳夫さま(震災前〜H26.年3月まで)よりお話を伺う機会を設けて頂き、約30分にわたって、震災当時の様子を振り返って頂き、震災当時の区長として苦労なさったことや、ボランティアに求めていることなどを伺いました。学生からも積極的に質問をしていました。
 12:30〜かねまん本舗遠藤社長様から、震災から再建までの事を伺い、最後に学生へ「とにかく人を大切にしなさい」と熱い言葉をかけて下さいました。その後、再度、プロジェクト傳の斉藤さんから、プジェクト傳が発行した、震災前の街並みを手書きの地図「あんばさまの町図絵」の説明、また、プロジェクト傳の鈴木利明会長様と、プロジェクト傳の顧問であり、大国魂神社の山名宮司様にもご挨拶頂きました。帰りに、プロジェクト傳発行の「あんばさまの町図絵」を、(学生+私に)一人一冊ずつ、プレゼントしてくださいました。(持参したお菓子は、学生から、かねまん本舗の遠藤社長様、プロジェクト傳の山名様に渡しました)
15時ごろ、ご本家に戻り、4日間を振り返り、一番印象的だったことや、胸に響いた言葉など、今の思いなど、それぞれ自由に発表してもらい、今回の活動の想いを共有しました。夕方、有賀様があいさつと共に、巨大なシュークリームを届けてくださいました。

4日間、こまめにメモをとり、お話をして下さる方に積極的に質問をし、被災地の事を一つでも多く知りたい、被災地の方々の声を拾いたいと、率先して動く学生さんたちの姿が見られました。(この4日間で、聞いたこと・見たこと・ふり返りの内容をノート1冊、びっしり書き留めていた学生もいたほどです)
最終日、21時半ごろ東京駅に着き、参加証明書を渡して解散しようとした時に、学生から引率の私へと、お礼の色紙を頂きました。3日目の夜、深夜までかかって書いてくれたと聞き、涙が出そうになりました。

102

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参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。

■活動初日の気持ち
ボランティア活動で、福島の事をもっと知る事ができれば良いと考えていた。、またGakuvoに募集する際、本当に3年半以上経過した福島においてボランティアを必要としているのか、少し疑問もあった。その疑いの真相を確かめることができたら良いと思い、このボランティア活動に取り組もうと考えた。

活動前は、ただ漠然と被災地の方のため、に何か自分ができることをしたいと思っていました。震災から4年が経とうとしている今の福島を自分の目で見たいという思いもありました。また、原発事故の印象が強かったので、福島に住む人々の気持ちを知りたいと思っていました。

大槌町にボランティアで継続して訪れていたので、「被災地」と呼ばれる土地に興味があった。知りたかった。特に福島は「津波」だけでなく「原発」の被害も受けているので現状を知りたかった。

福島に来るのは初めてだったfが、どうしても「原発」のイメーイが強かったです。前回、石巻に活動に行った際、自分が残したメモに「石巻と福島など他の地域の被災者をひとまとめにしてはいけない」と残してあったのだが、その時どうして、そう感じたのかまで書き残していなかったので、その点についても、少し考えながら活動したいと思っていました。また、震災から3年が経った今求められていることも知りたいと思っていました。

最初は海外のボランティア参加したいと思い、ボランティアのサイトを来て、カンボジアに行きたいと思っていました。ですが、まだ体験したことのない国内でできるボランティアをしてみようと思い、このプロジェクトに参加しました。また、内定も決まり、社会人になるにあたって東日本大震災で被害に遭った人や地域に行き自分の目で見て感じたことを多くの人たちに伝えたいと思っていました。

東北に行ったことがなく、ぜひ一度は行って被災地の「今」を見てみようと思いました。震災から3〜4年が経過しているので復興が進んでいるのではないか、もしかしたら私たちができることは少ないのではないかと軽い気持ちでした。とりあえず、3.11と騒がれて深い傷跡を残した現場に行って「生」の声を聞いて見たいと考えました。

どんなボランティアなのか、どんな人たちが来ているのか分からなくて不安でした。震災に関しても考えているようで、考えておらず、ただ与えられた情報を受け取る事しかしていませんでした。
ボランティアがどのような意思で行うものなのかについても、考えた事がありませんでした。

震災地に実際にでむくことで、現在の被災地の状況や震災当時のことに関して、現地の方々の生の声を聴くと同時に、自らの目で見て、体感することで、様々なことを学びたいと考えていた。又ボランティア活動をするにあたって常に公平な姿勢を保ち、活動受け入れ先の人々のことを想いやる気持ちや態度を忘れることなく、自分でできることに尽力をつくしたいと思っていた。

福島という現場が見たい。

以前からボランティア活動に興味、関心がありましたが、参加するのは初めてで、参加すること自体に不安を感じていました。
また、東日本大震災に関する知識も一般常識もしくはそれ以下のものしかなく、そのほとんどがメディアからによる限定的な情報ばかりで、今、被災地で何が起こっていて、何が求められていて、今自分に何ができるのか、といったことが一切分からない状況でした。

■活動後の気持ち

ボランティア活動を行う事で、福島sの本当の姿を見ることができた。
しかし、あまりにも多方面から震災を見たために、自分の中で、今回のボランティア活動に対し、また福島県の被災地に対する考えが整理できていない。さらにボランティア活動の必要性についても、この4日間を通してだけでは、本当に必要かどうかもわからず、活動前よりも混乱した気持ちである。

実際に福島の人々と話をすることができて、本当に良かったです。メディアを通してしか見ていなかった福島を自分の目で見ることが、どれほど大切なことなのか実感しました。原発事故だけでなく、津波の被害も大きく、津波で倒壊した家屋を見るだけで、心が痛みました。そして多くの人に被災地の今を見てほしいと思いました。

「福島」のイメージが変わりました。原発に対する考えも放射能に対する考えも変わった。濃厚な時間で様々な人と話すことができて良かったです。

まず、自分が考えていた問いについて出した答えは2つ
石巻は津波で失ったものがあまりにも多すぎること。対して福島は津波の被害を受けた地域より、格段に復興に時間がかかること。
それぞれの被害状況を知った上で、ことらも繋がりを持つ必要があると思いました。

この4日間を通して事前に思っていた“多くの人たちに今の現状を伝えたい”という思いが、より強くなりました。1番衝撃をうけたのは冨岡町の風景でした。震災をうけたままの状態の町で、ものがいたる所におちていた風景を目の当たりにしました。この今の状態を伝えるためには、SNSなどを使って写真を投稿してじぶんがみたこと、かんじたことを載せて広めていく必要があるとあらためて感じました。

実際に被災地に行って、被災地の現状をこの目で見てまず感じたのは、思ったより復興が進んでないということです。そして現地の人との出会い、その体験談を聞いて、様々な想いがあるのだと知りました。3.4年が経った今、風化しつつある東日本大震災の記憶を学びなおし、議論することは、とても刺激になり、考えさせられることが多かったです。

今の活動を通して、本当に多くのことを考える機会を与えていただいたと思います。自分の意見を出し、人と相談して議論するということは、私の生活ではあまりないことなので、とても貴重な経験でした。自分が何かを考えることで、一歩前に進めそうな気持ちになれたので、これからは自ら情報を受け取りにいって、自ら考える事を大切にしていきたいです。
生の姿を見るのが大切というのを痛感しました。
直接見た、聞いた、今回訪れた場所の事は、これからも忘れないです。
本当に貴重な体験をさせていただいたことに感謝しています。

自分が想像していた以上の事を会得することができたと思う。現地の方々のお話をきいたり、ボランティア活動をすることを通して今まで気づかなかったことや無知だったことを知り、深く考えることができた。又、活動者同士でのディスカッションを通して、活動中に得た考えや思いをお互いに共有することがで、さらに自分の考えを整理し、再思考することで、内在化することができ、本当の意見での“学び”が実現できたと考えている。

軽い気持ちではあったけれど、学ぶことが多かったので、より日本という未来を深く考えていきたいと真剣に考える気持ちになった。

実際に現地に行って、自分の目で見て、色々な方からお話を伺うことで、多くのことを実感し、自分の中の価値が考えが変わりました。メディアで報道されていることは、本当に表面的なことで限定されたものであり、「現地に行く」という大切さを感じました。東日本大震災の深刻な被害、悲惨さを知ると共に、そういった震災から立ち直って、前向きに生きる現地の人々の姿を見ることができました。

■今後のボランティアに必要なことは

今回のボランティア活動に参加して、今必要なボランティアとは、継続的、長期的なものであると考えた。なぜなら、この4日間だけでは、自分自身の疑問を全て解決することができなかったし、被災地の方々のことも、ほんの少しの部分しか知る事が出来なかったからだ。

被災地の復興は進んでおり、ボランtェイアとして私たちができることは、活動を通して得た事を行ったことがない人に伝える事だと思います。伝える事は簡単ではないですが、伝える場を作ることもボランティアになると思いました。

立場状況が偏らないように「多くの人の声」を聞く事。それを発信する事。4年目をむかえる今だからこそ「実際に見た事実」を語ることの重要性がが高まってる。被災した県、地域に住むとっても、外部からの継続的なボランティアとの関わりは重要。

災害ボランティアとしてやれることは、少しずつ減っていると感じました。受け入れて下さる側の考え方にもよりますが、人が減った地域で、それでも頑張っている人と一緒に活動するというボランティアは良いのではないかと思いました。ex)オリーブプロジェクト

2日間のワークショップでも行ったことで“どんな町なら住みたいか”が今後のボランティア活動において重要になってくると思います。
例えば若いボランティアスタッフの力で、町の特産物もpRする活動(お祭り・マスコット作り等)を考えていきたい。
この4日間を通して目標であった“被災者の立場になって考える”ということが、実際の現場を見て感じたおかげで、風化を防ぎ、より多くの人にしてもらいたいと思いました。
これから社会人になっても、この4日間で学んだ経験を忘れずに積極的にボランティア活動に参加していきたいです。

実際に被災した方々の交流はとても大事だと思うので今後とも増やしていってほしいです。

こんな貴重な経験をできるボランティアがあることを、より多くの人が知っていくべきだと思います。そのために、この経験を周りの人に伝えていくことが大切だと思います。

ボランティアで得たことをそのまま自己完結という形で終わらせるのではなく、自発的に発信していくということが必要だと思う。事実の風化を防ぐためにも、これは最善の方法であって、私たち参加者に与えられる、次の手段での使命だと思う。

伝えること。

ボランティア活動は積極的かつ継続的に行っていくのが大切だと思う。しかし、現地の作業に素人レベルでできる事は限られており、これからは相談相手になるといった心のケアや震災によってバラバラになり活気を失った町を復興すべく、大学生の企画力を活かして地域コミュニティーが一つになれるようなイベントを考案実行するのも一つの手ではないかと思う。
また、東電や除染作業をしていらっしゃる方、仮設住宅に住まわれている方にも、お話を伺う機会があったらいいなと思いました。

■感想

この4日間、非常に貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。この4日間の経験は私の人生の中で大きな財産となりました。ボランティアを通して学んだ事を周りの人に伝えていきたいと思います。

とても充実した学びのあるスタディーツアーでした。企画してくださるGakuvoのみなさんの想いが伝わりました。欲を言えば、基本的な情報(訪れる場所・人)があれば、なお良かったと思いました。

今回行程があわただしく、全てのプログラムに全力で取り組めたかというと自信がないのが残念です。

初めてGakuvoさんを利用させていただきました。この復興支援も初の参加だったため、不安(学生同士上手くやっていけるのか)がありましたが、1日1日のプログラムを通して、より絆が深められました。違うだいがくの友達ができて、本当にこのプロジェクトに参加できて良かったです。102陣最高

信じられないような値段で、3泊4日の東北のボランティアに行かせてもらって、たくさんの人々と交流させてもらえた事は、とても良い経験になりました。また、たくさんディスカッションの場があり、他の人の意見交換をするのは刺激でした。

タイトなスケジュールを総括してくださった宮崎さん、スケジュールを考えてくださった方々、ボランティアを受けてくださった方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。

このような貴重な体験をさせていただける重要な機会を与えて下さいまして、本当にありがとうございました。この活動に参加することができて大変光栄でした。
再度機会がありましたら是非参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。

共有する時間が本当に大切だと思います。

今回はこのような素晴らしいボランティア活動を企画していただきありがとうございました。
過密スケジュールの中でも、学生の意思を尊重して、現場の調整をしてくださった宮崎さんには、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。ただ話、作業、食事など、中途半端になってします場面があり、それぞれ対応してくださった相手側にも失礼があったのではないかと思い、今後は対処していくことが必要であると思います。

■報告書からの抜粋

今回のボランティアに参加して多くの気づきがありました。
1点目は福島の被災の復興についてです。私はテレビなどの放映機関が流す情報をそのまま真実であると受け止めていました。
しかしながら、現地へ実際に行き、自分の目で見た被災地はテレビで放送されたものと全く違いました。
確かに復興が進んでいますが、まだまだ被災の酷かった地域に於ける復興は進んでおらず、特に放射能で汚染された地域がまず除染が優先して実施されるため、建物や町の整備が二の次にされていました。
そのような事実を知る事ができて、自分が情報に降り回されていた未熟や福島に対する無関心に改めて気づくことができました。
今後はより長期的、継続的な活動を行っていかなければボランティアとしての役割ははたせないと気づくことができました。
今後もこの仲間と交流を継続し、また新たな仲間に出会う機会に飛び込んでいきたいと考えます。

実際に福島の人々と話すことができて、本当に良かったです。
メディアを通してしか見ていなかった福島を自分の目で見ることが、どれほど大切なことなのかを実感しました。原発事故だけでなく、津波被害も大きく、津波で倒壊した家屋を見るだけで心が痛みました。そして多くの人に被災地の今をみてほしいと思いました。

薄磯地区を視察した際は、津波で流されなかった家がポツンと建っているのを見て津波の恐ろしさを肌で感じました。
浜風商店街では、福島の人々の絆を感じました。冨岡町では被爆、津波の被害が未だに生々しく残っており、どれも全て衝撃的で、時間が震災の時から止まっているようでした。
メディアでは報道されなくなったこのような現実を伝えていかなくてはいけないのだと改めて感じました。
除染、復興全てが終わるのは50年も先になるだろうという話しを聞いて、このまま風化させてはいけないのだと強く思いました。
たとえ小さなことでも行動することで相手に喜んでもらえるという経験をすることができ本当に嬉しかったです。

「福島」のイメージが変わりました。
原発に対する考え方も放射能に対する考え方も変わりました。
濃厚な時間で、様々な人と話すことが出来て良かったです。
 今回「福島=原発」というイメージから「福島=地震、津波、原発」という理解に変化したことが一番の学びであったと思います。
それは、多くの地域を訪れ、そこに住む様々な立場の人々の生の声を聞けたからだと思います。
「原発事故の影響で人々が分断されてしまったこと」、故郷に残ると決めた人と別の地域で暮らす人では放射能に関する考え方も原発に関する考え方も異なります。
フクシマとひとくくりできません。被害状況も町の復興状況も補償の額も全然違います。

「風評被害」というワードをいわき市内ではよく聞きました。
被災前の豊かな町をもっと知るべきです。穏やかで漁業の盛んな町でした。
プロジェクトの冊子も印象的でした。
昔の暮らし、町を記録し伝える。知る。重要です。また、今回出会えた人と再会したいです。

石巻は津波で失ったものがあまりにも多すぎること。
対して福島は津波の被害を受けた地域により格段に復興に時間がかかること。
それぞれの被害状況を知った上で、こちらも繋がりを持つ必要があると思いました。
 
福島県というと「原発」というワードばかりが出てきて、どうしても具体的な状況が分からないまま、活動に参加していました。
到着して感じたのは、石巻と同様「駅前は普通じゃん」ということです。
しかし未だ家や車といったがれきが残っている冨岡町を見た時はやはり驚きましたし、これは原発のせいで遅れてしまったんだろうなと思うと福島の受けた被害を改めて認識できました。
また、薄磯や久ノ浜といった地域では、次のスッテプ“まちづくり”の段階に移りつつあるのではないかと感じました。
大学でまちづくりを勉強している私にはワークショップは大切、有意義なものとなりました。
また、今回の活動で得た大きな収穫の一つに仲間との出会いがあります。
こんなに多くの同じ問題意識を持つ仲間に出会えたことは大切な大きな喜びです。
一人では気付けなかったような指摘、自分にはない積極性、私の知らない活動を頑張っている話を聞けたこと等々挙げたらキリがないのですが、この仲間達と意見を共有しあい真剣に取り組めたことがとても良かったと感じています。
  
今回、本当に多くの方にお会いして自分自身、消化しきれていないことがたくさんあります。
ただ言えるのは「どれが正解」というのは無いこと。時に気持ちに寄りそうことは必要でしょうが、外から来るボランティアだからこそ冷静ななものの見方をしなくてはと感じました。
仲間内で出た課題として「発信」があります。
今回考えたこと、みたこと、感じたことをどう発信するか考え続けたいと思います。

多くの人たちに今の現状を伝えたい”という思いが、より強くなりました。1番衝撃を受けたのは冨岡町の風景でした。
震災を受けたままの状態の町で、物がいたる所で落ちていた風景を目の当たりにしました。
この今の状態を伝えるためにはSNSなどを使って写真を投稿して自分が見たこと感じたことを載せて広めていく必要があると改めて感じました。
 
このボランティアに参加するにあたって、まず最初から思っていたことは「被災された人の立場になって考える」ということでした。
 
4日間の活動の中で一番印象に残っていることは3つあります。
1つ目は毎朝の朝食の有り難さです。
ご飯と宿をお貸ししてくださった有賀さんのお話を聞く事ができました。
「何故このプロジェクトに協力しているか」という質問に「縁があったから」と答えてくださりました。
確かに、この4日間でプロジェクト以外に関わったいわきの人々は温かく人情があふれる町であると思いました。
日々の当たり前の事でも感謝をし、人と人とのコミュニケーションを大切にしていきたいと感じました。
 
2つ目は冨岡町の現状です。
ここで見たことをSNSなどを使って多くの人に知ってもらい、1日でも早く住民の人たちが戻って暮らしていけるような環境をつくりたいです。
 
3つ目はオリーブ畑のボランティアです。11名のスタッフがいても大変だった作業を1人でこなしている舟生さんの姿を見て、私にできる事なら少しでもいいからお手伝いしたいという気持ちが大きくなりました。
実際の現場を見て感じたおかげで、風化を防ぎ、より多くの人に知ってもらいたいと思いました。
 
実際に被災地に行って被災地の現状をこの目で見てまず感じたのは、思ったより復興が進んでいないということです。
そして現地の人と出会い、その体験談を聞いて、様々な想いがあるのだと知りました。
3年半が経った今、風化しつつある東日本大震災の記憶を学び直し、議論することは、とても刺激になり考えさせられることが多かったです。
 
東日本大震災の起こった日、私は高校2年生で、学校で授業を受けていました。
あの日、私はただ長い地震に戸惑い、先生の指示通りに机の下に潜って避難しました。
思えばあの時、東北のある地域では津波が発生し、信じられないような景色の中、たくさんの人々の命が失われたのです。
それから3年の年月を超えて私はやっと被災地に赴くことができました。一番衝撃だったことは、冨岡町で、ほとんど津波に襲われたままの状態の町を見た事です。
津波に襲われて全壊している家屋を呆然と見ていると現地の人が瓦礫化した家を指さし「こんなになっても人間は生きているのだから、あなたたちもこれから色んなことがあるだろうけど負けちゃだめよ」と力強く言ってくれました。
私はそれを聞いて、人間とは簡単に死んでしまうものだけれども、逆境でも、それを乗り越える強さを持っているのだと強く感じました。
復興には、まだまだ時間がかかること。50年は続くという原発の問題。支援金についての区分、被災者同士の軋轢などなど。津波以外にも様々な問題があることを身を持って知る事ができました。
期待以上のことを学ぶことができたと感じています。 
この4日間、いろいろな大学、いろいろな境遇で育った10人でたくさん議論し考えた時間はとても有意義で刺激的なものでした。
今回の活動を通して、本当に多くのことを考える機会を与えていただいたと思います。
自分の意見をだし、人と相談して議論するというのは、私の生活ではあまりないことなので、とても貴重な経験でした。
自分が何かを考えることで、一歩前に進めそうな気持になれたので、これからは自ら情報を受け取りに行って、自ら考えることを大切にしていきたいです。生の姿を見るのが大切ということを痛感しました。
直接見た、聞いた今回訪れた場所のことは、これからも忘れないです。本当に貴重な体験をさせていただいたことに感謝しています。
  
あっという間の4日間が終わりました。
とても有意義な時間でした。参加する前はどんなことが起きる4日間なのか本当に緊張していました。
依然気仙沼を訪ねたときは、半日しかいれず、被災者の方のお話も少ししか聞けませんでした。
ただ目の前に広がる景色に唖然としました。
今回のボランティアでは、たくさんの考える機会を与えてくださいました。
震災のその後、それぞれの思い、これからのこと等本当に様々なことを考えることができました。またその意見を周りと交換し、ディスカッションすることによって、本当に多くのことを知ることができました。
  
まず訪ねた先の方たちは震災に対して、思っていたよりもずっと前向きでした。
時間がそうさせた、それまでに計り知れない苦悩があったとは思いますが、当時のこと、それぞれの思いをここまで聞くことが出来るとは思っていなかったです。
そして、ボランティアに対して求めること、それは風化させたくないから、人に伝えてほしいから、何か一つでも考えてほしいということでした。
  
実際に被災地を見て、現実の世界には思えない部分が多くありました。
今歩いている場所で、見ている場所で、いったい何が起き、誰が何をしていたんだろう。そんなことを考えていると、恐ろしい気持ちにもなりました。
特に富岡町に関しては、人間味がなく、工事をしている人しかいないことに驚きました。
ここに昔は町の人の笑顔があったんだろうなと思うと、人気のない姿にやるせない気持ちになりました。人がいるというのは、本当に暖かいことだと思いました。
  
福島は地震による津波だけでなく、原発の問題があります。
これは復興と一言で言っても他の県に比べると、本当に大きな課題となってきました。
町の人たちのお話からは、義捐金と行政とのジレンマに関するお話がとても多く聞くことが出来た気がします。正直、そういうことが問題になっているとはあまり思っていない部分がありました。この4日間で学べたことは計り知れないほど多かったです。今できること、それを考え行動していくことが大切だと痛感しました。

自分が想像した以上の事を会得することができたと思う。
現地の方々のお話をきいたり、ボランティア活動をすることを通して、今まで気がつかなかったや無知だったことを知り、深く考えることができた。
また、活動者同士でのディスカッションを通して、活動中に得た考えや思いをお互いに共有することで、さらに自分の考えを整理し、再思考することで、内存化することができ、本当の意味での“学び”が実現できたと考えている。
 
今回の活動を通して、現場の状況やそこに付随する問題を理解するためには、自らその地に赴き、実際に見て聞いて体感するという一連のプロセスが重要であるということを改めて感じ。その過程の中で今まで知り得なかったことや、気づかなかったこと、または自分が思い込んでいたことと現実の間にある差異など、様々な新しいことを吸収できたと思う学び得たことはたくさんある、ここに全てのことを綴ることは不可能なのでその中でも最も印象に残った以下について、中心的に述べたいのは、@震災によってもたらされたプラスの作用A防災に対する意識B活動者と活動受け入れ先C私達にこれからできることの4点だ
まず一つ目の震災によってもたらされたプラスの作用とは、実際に被災地を訪れ、たくさんの方々の生の声をお聞きすることを通して、私が最初に得ることができた震災に対しての新しい考えだ。震災とは一般的に負の出来事としてそのマイナス面ばかりが強調される。
しかし、今回の震災によって生活が強制的に瓦解された人々が寄り集まり、協力し、支え合いながら復興という一つの共通ゴールに向かって前進して行っているその力強い姿や街全体の様子をみて、震災という非日常的な出来事が起きたことで逆に地域全体や外部(ボランティアや支援者など)とのネットワークや、人々のつながりが強化されると同時に、新たな絆が生まれるというプラスの作用ももたらしたのではないかと思える点が多々あった。復興が実現した際には「あの震災があったから私たちはここまでこれた、又は、今の自分たちがいる」と多くの方々が思える(自分達を誇りに思う、自信をもつ)ような成果が生まれるといいと心から思う。 
二つ目はに日本人の防災に対する意識の低さだ。日本人の”災害慣れ”や""天災の非日常化""に伴う防災意識の低下といった問題が明確に見えて来ました。この新しい発見は、被災者の方々に直接意見を聞かなければ得られなかったことなので、この点でも現地に赴くことの大切さを改めて感じました。 
その他に活動中感じたことは、ボランティア活動者とボランティア受け入れ先の相関関係の重要性です。意義のあるボランティアを成立するために必要なことは、活動者がボランティアを""してあげる""という上から目線の態度をもって行動するのではなく、活動受け入れてくださる人々と同じ目線に立ち活動する、つまり、公平性を常に維持することが一つの重要な点として挙げられる。
しかし、私達のボランティア活動=学びの場や機会を構築するためには、活動の場が必要不可欠です。その点を補ってくださっているのが今回訪れたいわき市のみなさんだ。有賀さんをはじめ、その他多数の方々にお世話になりました。
みなさんは私達に被災地に赴き、実際の体験を通して様々なことを学ぶ機会と場所の提供をしてくださった。
その意味では皆さんもボランティアをする側なのだと感じた。そして、Gakuvoの活動は、活動者(私達)と受け入れ側(いわきの皆さん)の間の相互協力のもと形成されるWin-Winな関係があってからこそ成り立っているものなんだということを改めて強く感じることができた。
 
最後にこの4日間の学びや体験を経て、今後私達にできることは一体何なのか。自問自答の結果、今回得たものをできるだけ多くの人々に発信するとで、事実の風化を防ぐということであると思った。
そして、重要なのは、伝える側にインパクトを与えることだ。
言葉数は少なくても、聞き手の心に響き、残るような印象的な表現の仕方により、その人の中にどれだけのものが残るかは決まってくるからだ。できる限り自分の言葉で直接的に相手に語りかける、そういった対話を通して情報を発信して行きたいと思う。
また、その際には、相手の中にその情報がとどまり続けるようインパクトのある表現の仕方を駆使することを心がけたいと思う。これが、貴重な体験をさせていただいた私達が被災地の皆さんのために出来ることのひとつであり、重要な使命であると思う。

フクシマに対するイメージが大きく変化しました。
福島といえば、「原発で危ない」という固定観念があった私にとって、このような状況下でも前向きに暮らし、復興を願う人々がいることに驚きさえ覚えました。
原発から直線距離で15キロ地点にある久ノ浜駅周辺では、子どもたちが普通にDSで遊んでいて、小学校も立派なもので衝撃でした。
一方で再興を願って作られた「浜風商店街」の人々に遭うと、様々なことが絡み合う地域の複雑さも感じ取ることが出来ました。
さらに一番近い場所では、原発(F1)から直線で12.13キロの富岡町にも向かい、震災後も被災されたままの残骸を見て3年半がたっても手つかず何も対処できないままの現状に考えさせられるものがありました。
日本の技術の限界を感じ、どこが「コントロール」できるのか、安倍さんに説明していただきたいと思うほどです。
現地の人は、アベノミクスを嘲笑し、「まずは原発だろ」という人もいれば、「俺はある意味、原発の恩恵を受けている。複雑だ」という人もいて、その考えも分かれています。

何が一番変わったかと思えば、「食べて応援」が偽善ではないと感じるようになったことです。
しかしながら、放射能は目に見えない以上、個々人の判断が大切だと思いました。
それは多くの人に聞くに当たり、意見や考え方は様々で「政府を信じている」という人もいれば、「政府なんて信用できない」という人もいて、判断基準は最終的に自分自身の価値観によるものであるからです。
しかし、ただ一つ言えるフクシマの人々の共通点は、「フクシマに住んでいる」という事実です。そこにいる以上、辛くても怖くても、残る以上は覚悟があったはずです。それを正当化するために(たぶん不安ばかりあればストレスにつながる)、「安全」と言っている面もあると思います。それは、フクシマから逃げた人の話を聞く中で、みんな「フクシマは危ない」と正当化したのと同じです。結局、何が危険なのか安全なのかは、自分の目で確かめて考え、メディアを通さず、熟考し、それをみんなで共有することが最大のボランティア(忘れないこと)だと考えました。

実際に現地に行って、自分の目で見て、色んな方からお話を伺うことで、多くのことを実感し、自分の中の価値観、考え方が変わりました。
メディアで報道されていることは、本当に表面的で限定されたものであり「現地に行く」という大切さを感じました。
東日本大震災の深刻な被害悲惨さを知ると共に、そういった震災から立ち直って前向きに生きる現地の人々の姿を見ることができました。
 
復興には地域差があり、復興が進んでいる町がある一方、3年半経った今も現状が変わらない町もたくさんありました。
しかし、被災者の方が思っていたよりも明るく、前向きだったことは印象的でした。
その背景には、メディアによる情報の減少によって、東日本大震災の記憶、教訓が風化されたくないという思いがあるとわかりました。
また補助金の差で住民内に軋轢があること、「福島出身」というレッテルで内定取り消しや結婚破棄といった人権侵害まがいのことが日本でも起こっていること、行政や国、市民側の意見、主張がかみ合わないこと、メディアの偏った見方、制限された情報内で現実問題としてさまざまな問題が起こっていることを初めて知りました。
  
また「ボランティアとは何か」「どんな町なら住みたいか」「私たちに今後何が出来るか」などワークショップや反省会など、多くの場所で考えさせられる機会があったことは、より深い理解に繋がりました。
またこういった機会を通して同じ思いでボランティアに参加した学生の意見や考え方を聞く事ができたことも貴重であり、とても刺激になりました。
ボランティア活動で大切なことは「伝える」ことであり、現地の方々もそれを期待しているとおっしゃっていました。
つまり、私たちはこれからが本番なのだと思われます。自分が見聞きしてきたことを伝える事で、災害列島に住む日本人として認識しなくてはならない現状や課題に気づいていけたらいいなと思います。