CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

« 【大学生ボランティア募集!】緊急災害 学生ボランティア隊 | Main | 広島市土砂災害緊急支援ボランティア活動報告»
プロフィール

Gakuvo支援担当さんの画像
Gakuvo支援担当
プロフィール
ブログ
2012_v1.gif
リンク集
<< 2015年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
チームながぐつプロジェクト第111陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年03月25日(Wed)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第111陣】
期間:2015年3月13日〜3月16日
場所:福島県いわき市
活動内容:
1日目: 有賀さんのご本家にて武家茶道体験。
夕飯(五楽) 〜 銭湯(仲ノ湯) 〜 夜、振り返り。
2日目: 薄磯にて、薄磯復興協議委員会の室谷さんと共にゴミ拾い。
     「中之作プロジェクト」にて昼食〜豊田さんより古民家再生のお話〜古民家の清掃作業。
     銭湯(仲ノ湯) 〜 大熊町復興支援員の梅村さんを囲んで夕飯(ご本家) 〜 夜、振り返り。
3日目: オリーブプロジェクトにて作業補助。
     夕飯(鳳翔) 〜 銭湯(仲ノ湯) 〜 夜、振り返り。
4日目: 午前中、富岡町の視察 〜 久ノ浜・浜風商店街にて昼食・視察。
     社員寮に戻り掃除 〜 4日間の振り返りとアンケート記入 〜 東京駅にて解散

111-1-1
高速バスの東京駅のバス前にて

3月13日(1日目)

111-1-2

111-1-3

111-1-4

到着後、ご本家にて、茶道(武家の茶道)を体験。ほとんどの学生が茶道は初体験で、緊張気味でしたが、和やかな雰囲気の中、武藤 真一先生のご指導の中、お茶菓子の頂き方、お抹茶の楽しみ方などの所作を1時間半に渡って体験しました。学生からは「茶道に興味を持ちました」「今後、茶道を学びたいなと思いました」など感想がでました。

111-1-5

その後、五楽にて夕飯をとり、(有賀さんが少しだけ顔を出して、ご挨拶をして下さいました)銭湯の後、寮にて振り返りをしました。

111-1-6

初日の振り返りでは、学生たちに進行をまかせ「この4日間をどんな姿勢で取り組むべきなのか」を話し合い、明日からの活動に対する気持ちを共有しました。23:15頃終了

3月14日(2日目)

111-2-1

111-2-2

111-2-3

6時半から朝食を頂き、バスにて薄磯地区へ。9時半より、薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻と共に、約1時間半に渡って、灯台近くの道路脇のゴミ拾いをしました。先週も、同じ場所でのゴミ拾いをガクボが行っていたので、もうゴミはほとんどないだろうと思っていたのですが、新たにゴミ(ペットボトル・コンビニ袋に入ったゴミなど)が捨てられており、更に、土の中に埋まっていた金属類・オムツ・雑誌等が出てきて、最終的に集めたゴミは、燃えないゴミが37袋、燃えるゴミが70袋、粗大ごみが軽トラック1台分にもなりました。この場所での清掃活動は今回で終了となり、ミッション終了を、皆で喜びました。

111-2-4

111-2-5

その後、薄磯PRルームに移動後、薄磯復興協議委員会の活動の様子などの説明をうけると共に、学生達からは「ゴミ拾いを通して、薄磯に関わりをもてて良かった」「不法投棄を防ぐにはどうしたらいいのか考えたい」などの声も上がりました。

111-2-6

111-2-7

灯台入口から川岸までバスで移動し「中之作プロジェクト」の古民家「清航館」へ。

111-2-8

111-2-9

到着後すぐに昼食。この日のメニューは、かまどで炊いたご飯と、関係者さんが準備して下さったポテトマヨネーズや、コロッケ、そして有賀さんが届けて下さった手作りのお惣菜でした。この日の竈ごはんは、豊田さん曰く、「今までの中で一番、美味しく炊けた」と言うだけあって、とても美味しく、炊いていた16合のごはんを完食してしました。学生のほとんどが、ご飯のお替りをしました(なんと最高は、おかわり4杯)
昼食の後、豊田さんより、「清航館」の紹介と共に、古民家再生の想いや、これまでの作業工程を伺いました。豊田さんの「ガクボの皆さんをはじめ、多くの方がこの清航館に関わることで、この建物はこれからも生きてゆく」という言葉に感銘をうけたようでした。学生達からは「古民家を再生することの意義を感じた」「昔作られたものから、物事を学ぶことができて良かった」などの意見もあがりました。

111-2-10

111-2-11

その後、女子は雑巾片手に、室内の清掃、男子は不要となった木材の解体の手伝いをしました。作業終了後、甘酒やコーヒー、お茶菓子を頂きながら豊田さんと交流をして、清航館を後にしました。

111-2-12

銭湯からご本家に戻り、20時半から、熊町復興支援員の梅村武之さんを囲んで夕飯。有賀さん特製のみそ鍋」を食べながら、梅村さんとボランティアについて1時間半に渡って話し合いました。
寮に戻り、本日の振り返りを短く行い23:30終了。

3月15日(3日目)

111-3-1

111-3-2

111-3-3

111-3-4

111-3-5

111-3-6

朝から一日「オリーブプロジェクト」の活動。前日に、オリーブ畑で剪定されたオリーブの枝から、舟生さんの指導の下、食材(オリーブ麺)に使用するオリーブの葉を、枝から一枚ずつハサミで摘み取る、葉摘み作業に取り組みました。

111-3-7

お昼、スカイストアさんの美味しいお弁当を頂いた後も、和やかな会話をしながら黙々と作業を行い、今回の葉っぱの収穫量は記録を更新して9.5kgとなり、皆で笑顔になりました。
作業終了後、舟入さんより「私一人では、できる作業量に限界があります。そんな中、ガクボさんをはじめ、多くの方々が手伝って下さるお蔭で、ここまできました。ここ、いわきに、皆さんが関わってくれたオリーブが育っていることを覚えていて下さい」と、温かいメッセージを頂くと共に、オリーブハウス内で栽培している野菜(大根・たい菜)を頂きました。(余談ですが、前日の鍋の〆で食べたオリーブ麺が好評で、学生と私含めて、22袋を購入させて頂きました)

111-3-8

鳳翔にて夕飯をとり、銭湯後、20時半〜寮にて振り返りの時間に。(今回、有賀さんとのお食事会がとれず残念だったのですが、その分、振り返りの時間に充てました)

111-3-9

学生たち主導で、約2時間半に渡って、今日思った事や感じたことを話し合いました「薄磯の室谷さん、中ノ作プロジェクトの豊田さん・オリーブプロジェクトの舟生さん、それぞれが使命感を持って活動している姿に胸をうたれた」「自分の仕事に誇りをもってオリーブと共に生きている、舟生さんのオリーブ麺を購入できて良かった」「私達はこれから何をするべきなのか、何ができるのかを考えたい」などの意見がでました。23時頃終了

3月16日(4日目)
御本家にて朝食後、JRで竜田駅へ向かい、ジャンボタクシー2台にて、約1時間かけて富岡町を視察しました。視察ルートは、

111-4-1

111-4-2

@天神岬公園(降車し約10分見学) A波倉地区(40世帯が被害を受け、8名がなくなった地区)

111-4-3

B福島第二原発近くの海岸(降車し約5分見学)

111-4-4

C富岡駅(降車し約15分見学)
Dパトカーの碑跡(車内から黙祷) 、4年経過した今の現状を、しっかり見ておきたいという学生達の真剣な姿が見られました。

111-4-5

111-4-6

富岡町視察後、久ノ浜の「浜風商店街」に向かいました。最初に、からす屋食堂さんで昼食をとり、(有賀さんが、事前にお店に餃子を手配して、ご馳走をして下さいました)電気屋さんで震災時のビデオをみせて頂き、記念撮影をし、いわき市内へ戻りました。

111-4-10

111-4-11

111-4-12

111-4-13

111-4-14

111-4-15

13:30 社員寮に戻り約30分かけて掃除の後、

111-4-7

111-4-8

学生の進行で、「楽しかった事」「記憶の風化をどう防ぐか」「次の災害に、どう備えるか」「エネルギー問題について」「一番印象に残った事は?」など、ワールドカフェ方式でそれぞれの意見を出して、4日間の活動を振り返りました。

111-4-9

その後、アンケート記入をし、ご本家で有賀さんにご挨拶をして、17時のバスで東京に戻り、解散式をしました。

111-4-16

参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。

ボランティアだからこそみえないものもあるのではないだろうか。被災地とは。今回印象に残った事は薄磯の中学校が取り壊されることに関してである。薄磯で唯一津波から残った中学校の校舎は震災に関するモニュメントとして残す意見もあったが、見ているとつらいという意見が多かったため、取り壊されることになった。これは「被災者の多様性」を象徴しているように思われた。お話を伺えた方は、モニュメントとして残したいと思っていたが反対が多かったとのお話を伺った。この方のようにボランティア前に出て下さる方は、震災と向き合い、乗り越え、語り継ごうとしている。しかし、中学校を取り壊そうとする人たちは、震災と向き合うことさえできていないのではないだろうか。そして中学校の取り壊しが決定したという事は、向き合うことが辛い方の方が多数派であるという事だ。この多数派の人々はボランティアの前に出てきてくださることは少ない。つまりボランティアによって、自分の目で見た事も、一面的な情報でしかなく、被災地を最弁することはできなという事である。風化を防ぐためには、ボランティア人口を増やす、それを発信することが挙げられるが、これでは中学校を取り壊したかった多数の人々の声は届くことはない。被災地には声をあげることすらできない人がいる。その声を私たちはいかにして聴けは良いのだろうか。そのこと会えを今回のボランティアで見つけることはできなかった。被災地に触れた私は何を発信すればいいのか、私が感じたものは発信すべきものなのか、ボランティアが見る被災地は本当の被災地なのか、そして何より「被災地とは何か」がまだわからない。まずgは、私ができることは考え続ける事である。

津波の被害や原発の問題は、決して福島だけの問題ではなく、日本全体、世界全体の問題です。今回のボランティアを通して、本当に私たちの問題でもあることを感じました。だからこそ、このことを一人でも多くの人に伝えたいと思いました。私たちは、次の社会を作っていく存在だということを心に留め、何が被災地の方々のため、私たちのため、社会のためになるか考え、行動していきたいです。

未来を担て行くのは、私たちなんだと強く意識させられるボランティアでした。地震大国のこの日本で、このような重大な津波が起きたのは、まぎれもない事実であり、信じられないようなことが起こる世の中です。一人一人が意識すれば何かが変わるのではないかと思わせてくれた、今回お会いした方々を見習っていきたいと強く感じ、自分は何をなすべきかを帰ってからも考えたいと思いました。

私がこのボランティアに参加して、一番印象に残っていることは、行った先々で「来てくれてありがとう」と言ってもらえたことです。実際に自分の足で現地を訪れるだけでも地元の人の助け、力になれるということを知りました。出会った多くの人が、私たち学生に未来を託してくれていることが分かりました。そして、私たちより後の世代の人の事も、すごく真剣に考えてくれていて、将来や未来の日本について私たち自身がもっと真剣に考える必要があるのだと思い知らせました。

オリーブプロジェクトで「親や友人よりも、未来をつくる子どもを助けることが大切である」という彼の言葉は、すごく重く、彼は福島に生き、本当に愛しておられるんだと思い半端な気持ちで支援をしたり、声をかけるのではなくもっと真剣に関わりたいと思った。

沢山の方々と出会って、頑張っている姿を見て、私もこういう人々のようになれるよう努力をしていきたいし、そういった人々がいることは、本当に東北の誇りだと思います。今回の活動をもう一度深く考え、身の周りの人々に伝え発信していきたいです。

今回の活動で学ぶことができた事が2点あります。“つながり”と“東北の方々の温かさ”です。今回の活動では、数多くの人々によって、自分たち学生がボランティアをすることができました。今回の活動に携わった人々に共通するのは、“東北を良くしたい”という思いでした。今後の学生生活において、被災地に関連する情報を収集しつつ、いつかは被災地の役に立てるような社会人になりたいと思います。

私にっとって、このボランティアは、人のためになんらかの役に立ったというより、自分をさらに成長させてくれた4日間だった。「何が最も大切なのか」自分なりに価値観をあらためて再確認できた。また、目先の利益のみにとらわれず、長期的な視野を持ち考えていくことの重要性に気づかされた。

今まで自分の使い道がわからず、自分がとても嫌でした。でも今回参加して、ああこれが自分の使い道なのかなと感じることができました。自分の意見だけでなく、同性代の意見を聞く事ができたのも、貴重な経験となりました。今まで自分の周りに、このような話を聞いてくれる人も、言える人もいなかったため、自分の中で完結していました。しかし、ミテーティングなどを通して、いろいろな意見、価値観を共有することで、自分の中に新たな価値観が生まれたり、価値観が変化しました。また、とても印象に残ったのは、現地の方の“強さ”です。自分たちは決してわかる事の出来ない苦しみ悲しみがあるはずにも関わらず、明るく強く生きている現地の人たちを見て“強さ”を感じました。

視点を変えてボランティアとしてだけでなく、観光という形でも訪れていきたいと思いました。自分自身、震災が起こる事によって、被害を受けたことだけでなく、今回訪れたオリーブ畑や中之作プロジェクトのように、震災が起こった事に負けず栽培や挑戦をしていることも伝えていった方がより良くなっていくと思うし、マイナス面だけでなくプラス面を出していく事で精神的にも楽になると思いました。

福島で出会った方々は皆、将来を担て行くのは学生だから、学生が来てくれるのは、嬉しいとおっしゃっていました。また、被災地の現状や福島で見てきたことを周りの人に伝えて欲しいとおっしゃっていました。大学の授業では、そこから復興への道へアプローチできないのかと考えながら受講したいです。東北に住み復興に直接的に携わっていく仕儀とにつきたいと強く思うようになりました。

111陣の皆さん お疲れ様でした。

福島の皆さん、ありがとうございました。
チームながぐつプロジェクト第110陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年03月25日(Wed)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第110陣】
期間:2015年3月6日〜3月9日
場所:福島県いわき市
活動内容:
3月6日 日本財団にてオリエンテーション。長源寺で坐禅体験。
3月7日 薄磯地区で桜の木の植樹。中之作プロジェクト清航館にて柱磨き。
3月8日 オリーブプロジェクト。キャンドルナイト追悼記帳。
3月9日 視察。掃除。

3月6日
日本財団にてオリエンテーション後出発。
東京駅からバスでいわき駅へ。
16:45有賀さん宅到着。

110-1-1

110-1-2
17:15長源寺にて座禅体験。
はじめに1時間ほど震災当時のお話を聞き座禅をしました。8人中3人警策を受けました。

110-1-3
19:30五楽で有賀さんと食事。
有賀さんとの話が弾み食事終了が21:30過ぎたためこの日は銭湯にいかず寮に移動。
到着後振り返り・翌日の確認をしました。

3月7日

110-2-1
午前中 薄磯地区にて桜の植樹のお手伝い。到着後災害公営住宅の集会所で鈴木さんから1時間ほど震災当時のお話やこれからの事など伺いました。また自治会長の大河内さんから薄磯の震災前、震災後の写真を見せていただきながらお話を伺うことができました。

110-2-2

110-2-3

110-2-4

豊間・薄磯・沼の内3地区合同の桜の記念植樹ということでした。ガクボは薄磯の災害公営住宅周辺の植樹を自治会長さんの指導のもと住民のかたと一緒に行いました。植樹後集会所にて小学生の勉強をみてあげたり遊んだりしました。

110-2-5

110-2-6

110-2-7

110-2-8

午後 中之作プロジェクトの豊田さんを訪ね清航館へ。到着後昼食。ご飯と味噌汁、お漬物を用意して頂きました。朝、有賀さんからもちりめん納豆・梅干し・お漬物を用意して頂き、それをおかずに釜炊きのご飯をみんなでおいしくいただきました。片付け後家を案内していただきながら古民家再生やコミュニティ再生のお話を伺いました。その後清航館の柱を磨く作業。それぞれが決めた柱を雑巾で1時間ほど磨きました。

いわき駅着後有賀さんと食事。ラトブ3Fの安曇野でお蕎麦をごちそうになりました。
食事後お風呂へ。尼子湯へ行きましたがしばらくお休みしますという貼り紙があり別の銭湯へ。駅から近いところに仲の湯という銭湯がありました。

110-2-9

寮に戻り振り返り・翌日の確認。

3月8日

110-3-1
上平窪横山オリーブプロジェクト研究圃場にて。

110-3-2

110-3-3

110-3-4

脚立に乗り掛矢(大型ハンマー)を使い2mの柱を3分の1打ち込む作業をしました。
北風の影響でオリーブの木が倒れてしまわないよう4人一組で打ち込む位置を確認しながら慎重に作業しました。
ハンマーでの打ち込みもはじめは感覚がつかめず苦労していましたが最後には全員コツをつかみうまく打てるようになっていました。
お昼はスカイストアさんのお弁当をいただきました。
雨の中での作業で泥だらけになりましたが安全に活動を終える事ができました。
約40本打ち込みました。

110-3-5

110-3-6

110-3-7

110-3-8

終了後平中央公園で行われていた追悼復興祈念行事のキャンドルナイトへ行き、メッセージカップへの記入と追悼記帳をさせていただきました。
尼子湯さんに電話しましたが繋がらなかったため仲の湯に行きました。
夕飯は有賀さん宅で。
朝の残りと買ってきたお惣菜をおかずにご飯を炊いて頂きました。

110-3-10
寮に戻り振り返り、翌日の確認。

3月9日

視察。
11:10有賀さんと浜風商店街で待ち合わせし一緒に昼食。餃子をご馳走になりました。
昼食後電気屋さんに伺う予定でしたが、来客中でしたのでお土産はからすや食堂さんに渡し、その後津波の被害のあった場所まで歩いて行き、かさ上げ工事中の場所を視察。
寮に戻り振り返り、アンケート記入。

110-4-1

110-4-2

帰りにご本家により有賀さんに挨拶をし、17:00のバスに乗り東京へ。

110-4-3
21:00解散。

参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。

先が見えない状況で、大きな不安を抱え、いろいろな立場や意見の板挟みになりながらも、懸命に人々の「居場所」づくりのために尽力されている方々の姿がとても印象的でした。

たくさんの方々から話を聞き、悲しい経験というのは、人を優しくさせるのだと思いました。いつでも誰にでも、どんな時でも、優しい人間になれればと思います。

これまでのGakuvoながぐつボランティアに参加した多くの学生及び今は社会人になり、活躍している初期の派遣隊の方々が様々な形で社会に対して貢献していることも素晴らしい事だと思います。Gakuvoで共に活動した仲間とも何れ、共に協力し、何処で活動し合える時が来ることを期待しています。

あらゆる地域で状況が変化している中で、復興とは何か、まだ自分には分かりませんが、これからもボランティアに参加する中で学んで行きたいと思います。

今回出会った方々から“人”とのつながりや“絆”を強く感じて、被災された人は、それぞれ、あの日から大変な思いをして今まで来られた中で、とても仲間や周りの人の事を大切に家族のように考えて接しているように感じ、そのような部分は、自分はボランティアで来たけれど、現地の人々に大切なものは何か教えて頂いたように感じました。

出発前のミーティングで、ボランティアをする側とされる側は対等な関係を気づくことが大切だというお話がありました。その意味をあまりよく理解しないまま、今回の活動が始まりました。初日の長源寺の栗山さんからのお話でもあったように、ボランティアは日本語にすると「奉仕」になるので、する側が与えるというニュアンスが含まれると思います。しかし、それは全く逆でした。本当に痛感したのは、2日目に桜の植樹を手伝わせてもらった鈴木さん、室谷さんのお話です。何をやっても、地道にしか進まず、全力でやっているのに、褒められることよりも文句を言われることの方が多い。そんな中でも、震災が与えたプラスの影響に感謝をして、とても強くてかっこいいと思いました。中之作の豊田さん、オリーブプロジェクトの舟生さん、富岡町の光景、このボランティアを通していろいろなものを見て感じました。

ボランティアの定義、意義、自分が何ができるか、どんないい影響が与えられるか。チームワークはどうやってうまく作っていくか。現場の大切さなど。まだまだ整理できていない。一つ一つやっていこうと思います。

今回のボランティアでは、いろいろな方からのお話や視察により、多くの事を気気付かされた。お互いに参加するメンバーと話し合うことで気付くこともあった。ボランティアとは名ばかりで、地元の人々にしていただいたことが大きすぎて何をしに来たのだろうかと情けなく思う。与えて頂いたことを自分の周りの人に伝えるという方法で、3.11の震災が世の中から忘れられないように風化してしまわないように、地元の人に還元していきたい。そして、人間的に成長して、またいわきを訪れたいと思います。

福島の皆さん、ありがとうございました。
学生の皆さん、お疲れ様でした。
チームながぐつプロジェクト第109陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年03月17日(Tue)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第109陣】
期間:2015年2月27日〜3月2日
場所:福島県いわき市

109-1-1
出陣式の様子です。

1日目: 長源寺で座禅と栗山住職より震災時の話を伺う。
     夕飯(鳳翔) 〜 尼子湯 〜 夜、振り返り。
2日目: 薄磯にて、薄磯復興協議委員会の室谷さんと共にゴミ拾い。
     スカイストアにて昼食後、オリーブプロジェクト
     尼子湯 〜 大熊町復興支援員 梅村さんを囲んで夕飯(五楽) 〜 夜、振り返り。
3日目: オリーブプロジェクトにて作業補助。
     尼子湯 〜 ご本家で夕飯後、有賀様からお話を伺う 〜 夜、振り返り。
4日目: 午前中、富岡町の視察をし、久ノ浜・浜風商店街にて、有賀様と共に昼食。
     ご本家で、お雛様の飾りを出すお手伝い 〜 社員寮に戻り掃除 〜 
4日間の振り返りとアンケート記入 〜 東京駅にて解散

2月27日(1日目)
109-1-2

109-1-3

109-1-4

到着後、すぐに長源寺に向かい、17:30〜約1時間にわたり、栗山住職より震災時の話を伺い、震災直後、避難場所で過ごした被災者の苦痛を、座禅という形で体感しました。6名が警策を積極的に希望し、栗山住職が、今までのガクボの陣の中で、一番警策を希望した陣だとおっしゃっていました。初めての座禅体験は有意義な時間となりました。

109-1-6

その後、夕飯を鳳翔でとり、

109-1-5

銭湯(尼子湯のおじさんの写真です)に行き社員寮に移動後、初日の振り返りをしました。

109-1-7

夜の振り返りでは、「この4日間をどんな姿勢で取り組むべきなのか」を話し合い、明日からの活動に対する気持ちを共有しました。23:30頃終了

2月28日(2日目)
109-2-2

109-2-1

109-2-3

109-2-4

109-2-5

午前中、バスにて薄磯地区へ行き、9時より、薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻と共に、約1時間半に渡って、灯台近くの道路脇のゴミ拾いをしました。缶・ビン・ペットボトルだけでなく、食べ物のゴミ・オムツ・雑誌・金属類など、集めたゴミは、燃えないゴミが46袋、燃えるゴミが136袋、粗大ごみが4トラック1台分にもなりました。黙々と、ゴミを拾う学生の姿が輝いてみえました。

109-2-6

109-2-7

109-2-8

その後、薄磯PRルームに移動後、薄磯復興協議委員会の活動の様子などの説明をうけました。
109-2-9

109-2-10

109-2-18

いわき駅に戻り、「スカイストア」で昼食後、タクシーでオリーブプロジェクトへ。

109-2-11

109-2-12

109-2-13

佐藤さん宅前にある畑で、オリーブ畑の水路確保のための素掘り側溝をしました。休憩時間に佐藤さんの奥様が、コーヒーとお餅を差し入れして下さいました。

109-2-14

109-2-15

109-2-16

109-2-17

午前中のゴミ拾いの後だったのですが、疲れを見せずに、テキパキと作業に携わる姿が印象的でした。

109-2-19

尼子湯の後、有賀さんの計らいで、大熊町復興支援員の梅村武之さんを囲んで、五楽で夕食。梅村さんより、現在携わっている活動のお話を聞いた後、ボランティアについて話し合いました。梅村さんからは、「震災から4年がたった今、自分が大切に思うことは何か」「今回ガクボを通していわきに来たけれど、一年後、どんな関わりを持っていたいか」この二つについて、ぜひ今後、考えてみてほしいとの意見も頂きました。

109-2-20

寮に戻った後、学生に司会・進行を任せ振り返りの時間をとりました。今日思った事をそれぞれ発表し、その中で「普段の生活で、街を歩いている時にゴミを拾うことなどなかったのに、今日のゴミ拾いの中で、異臭を放つゴミも沢山あったけれど、自分がしなければ誰がするのだという気持ちで、ひたすら拾う自分がいたことが意外だった」「作業をするまでは、なぜゴミ拾いをするのか疑問に思っていたけれど、一人で、週に3回も清掃活動をしているという室谷さんとゴミを拾っている時に、散歩で通りかかった女性が掛けて下さった、有難うという言葉に、ゴミ拾いをして良かった。いい体験になった」という意見も出ました。23:15終了

3月1日(3日目)
109-3-1

109-3-2

朝から雨が降る中、夕方まで「オリーブプロジェクト」の活動。ビニールハウス内で、舟生さんの指導の下、食材(オリーブ麺)に使用するオリーブの葉を、切断した枝から一枚ずつハサミで摘み取る、葉摘み作業に取り組みました。

109-3-10

お昼に、オリーブプロジェクトの松崎理事長様がご挨拶にきて下さり、オリーブプロジェクトの歴史や、今後の課題などを約30分かけてお話をして下さいました。スカイストアさんの美味しいお弁当+地元の和菓子の差し入れも頂きました。

お喋りをしながらの作業でしたが、葉っぱの収穫量は、8.5kg!! 過去の陣の中で一番の重量に、舟入さんと笑顔になりました。作業終了後、舟入さんより「今日の活動を通して、ここ、いわきにオリーブプロジェクトというものがある、オリーブが育っていることを覚えていて下さい。そしてまた、再会できるのを、ここで待っていますね」と、言葉と想いを受け取りました。

109-3-9

帰りにオリーブハウス内で栽培している野菜(大根・わさび菜等)を頂き、夕飯の鍋の材料にする事に。

109-3-4

109-3-5

オリーブ作業終了後、銭湯へ向かい、ご本家で夕飯。有賀さんが鍋を準備して下さっていて、頂いた野菜を入れて食べました。締めの麺がスカイストアさんの「オリーブ麺」で、昼間、自分たちが作業したものが、最終的にこのオリーブ麺になる事を知り、美味しそうに食べていました。

109-3-6

109-3-7

夕飯の片付けが終わった20時半頃、有賀さんがご本家に足を運んで下さり、1時間ほどお話を伺いました。学生からも積極的に質問をし、短い時間でしたが有賀さんの人柄や想いにふれる事ができました。

109-3-8

22:00〜 社員寮にて、振り返りを学生たちに委ね、今日思った事や感じたことを発表し、気持ちを共有しました。23:15頃終了

3月2日(4日目)
109-4-3

109-4-4

109-4-5

御本家にて朝食後、JRで竜田駅へ向かい、ジャンボタクシー2台にて、約1時間かけて富岡町を視察しました。視察ルートは、@波倉地区(40世帯が被害を受け、8名がなくなった地区) A福島第二原発近くの海岸(降車し約5分見学)  B富岡駅(降車し約10分見学)※駅のホームは解体されていました Cパトカーの碑(降車し約3分見学)※パトカーは移設準備の為ありませんでした D現在閉鎖中の富岡町役場庁舎・保健センター・文化交流センター(複合施設)でした。復興は進んでいるものの、4年前の爪痕が残る富岡町に衝撃を受けたようでした。富岡駅の側にある碑や、2名の警察官が亡くなったパトカーの碑で、手を合わせる学生の姿がありました。
Dの複合施設に関して、東電の補助金によって潤い建てられた豪華な建物が、今は、東電の原発の影響で閉鎖となった場所もみて、学生なりに感じた事があったようです。

109-4-1

109-4-6

富岡町視察後、久ノ浜の「浜風商店街」に向かいました。最初に、電気屋さんで震災時のビデオをみせて頂き、駆けつけて下さった有賀さんと一緒に昼食をとりました(餃子をご馳走して下さいました)


109-4-2

 毎回、温かく迎えてくださる商店街のお母様達からお話を伺い、記念撮影の後、いわき市内へ戻りました。

109-4-7

109-4-8

109-4-9

109-4-10

久ノ浜からいわき市内に戻った足で、ご本家に立ち寄り、有賀さまのお母様が集めていた東北各地のお雛様を茶室に飾るお手伝いを1時間ほどさせて頂きました。
色紙をお渡しさせていただきました。

109-4-11

109-4-12

14:30 社員寮に戻り掃除の後、振り返りを行い、それぞれが一番心に残ったことを発表した後、アンケート記入の時間をとりました。

109-4-13

17時のバスで東京に戻り、東京駅で解散式をしました。

(心温まるエピソード)
名古屋から参加した学生(女の子)が、今夜都内のカプセルホテルに泊まり、明日の夜のバスで戻ると知ったメンバーが彼女の事を想い、解散式の後、一緒にお食事に向かったようです。4日間の活動を通して深まった仲間への想いに嬉しくなりました。

参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。


■報告書からの抜粋
今回のプロジェクトを通じて、自分の目を信じる事、自分で確かめる事は、こんなにも大きな力があるのかと思いました。

オリーブプロジェクト自体に意味があるというより、震災後、風評被害によって産業が成り立たなくなり、新しい産業を開発する必要性があるということをボランティアの継続によって代々継承していくことに意味があると感じた。

最初はなぜ、自分たちがこのオリーブプロジェクトを手伝う必要があるのか疑問に思いました。しかし、実際に活動をしてみて、運営している方のお話を聞いた事で、今、いわきで必要とされていることは、物資などの直接的な支援ではなく、これからのいわきの復興に向けた手伝いなのだと実感しました。

「ゴミ拾い」という行為以上に「ゴミ拾いをしている」という事実が重要なんだという事に自分が心が動かされたように思います。彼は行動で示そうとしているのだと思いました。

このボランティアに参加する前は、ボランティア=自分の身体を動かして、何か被災地の人のためにできることをすることだけだと思っていました。しかし参加してみて、地域の人々のために、またきれいな町にするために週3回一人でゴミ拾いをしている方がいるということを「知る」、また現在被災地がそのようになっているか自分の目で「見る」ということもボランティアの一環であることを強く感じました。

オリーブプロジェクトに参加し、水路を作ったり、苗を植える地面を掘りおこしたり、葉をはさみで切って集めたりしました。作業をしていて、これってボランティアなんだろうかと思いましたが、ガクボの他にも、いろいろな人が、このプロジェクトに関わっていて、それが福島の復興にも繋がっていると知り、これも重要なボランティアなんだと感じました。

薄磯のゴミ拾いでは、自分の想像以上のゴミが捨てられていて、いざ作業が終わってみるとゴミ袋が100個以上もあったので、ボランティアをして良かったという気持ちになりました。何だか、この時ボランティア精神とは何なのか、うまく言葉には表せない何かが活動後、うまれたような気がしました。

福島の皆さん
大変お世話になりありがとうございました。

109陣の皆さんお疲れ様でした。
チームながぐつプロジェクト第108陣(早稲田大学アメフト部) 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年03月06日(Fri)]

2015年2月25日から27日にかけて、福島県いわき市でチームながぐつプロジェクト108陣として
早稲田大学米式蹴球部員91名が参加してくださいました!

〜1日目〜
前回7月の派遣時に行ったフラッグフットボール教室を今回も江名小学校にて行いました。
前回は希望者のみの参加でしたが、今回は全校生徒112名の子どもたちが参加してくれました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA

午前中はなんとか天気がもち、校庭いっぱいに広がりグループ毎に分かれて
ボール慣れなどの練習を行いました。
お昼前にはミニゲームも行い、子どもたちも学生も元気に走り回っていました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA

午後は雨が降りだしたため、体育館にてミニゲームを行いました。
すっかり大学生のお兄さん、お姉さんと仲良しになった子どもたちは
一緒にプレイの作戦を確認したり、甘えたりとても微笑ましい場面にあふれていました。

学生たちが学校を後にするときは、「さようならー!!!」と大きな声で
見送ってくれました。
江名小学校のみなさん、ありがとうございました!

写真はないのですが、夕方には幹部学生らがいわき市市長に表敬訪問を行いました。
また毎回受け入れていただいているいわき湯本温泉「新つた」さんにて、日中の活動の疲れを癒やしました。

夜は地元いわきの方々と懇親会を飯野八幡宮の会館をお借りして行いました。
10407316_775069872576122_3860690109810495463_n

貴重なお話を聴かせていただく、学生たちにとって学び多き時間となったと思います。

〜2日目〜
今回、宿坊として学生たちを受入ていただいた長源寺の栗山副住職様より
震災当時のお話を伺う時間を設けていただきました。
原発がもたらす影響や当時の状況について学生たちは真剣に耳を傾けていました。

朝食後、こちらも毎回受け入れていただいているNPOいわきオリーブプロジェクトのお手伝いに伺いました。
今回で4度目の活動になり、今後も継続した活動が行われるようオリーブ畑に看板を建てました。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA

その後、ビニールハウスに移動し
オリーブの苗木の世話をお手伝いしました。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA

ご指導いただいた、舟生さん、木田さんありがとうございました。
オリーブ畑を後にし、最後に学生たちがいつも楽しみにしている
浜風商店街にお邪魔しました!
おいしいメンチカツと味噌田楽を差し入れていただき、学生たちも大喜びでした。
商店街のみなさんと楽しそうに過ごす姿がとても印象的でした。

IMG_0791-300x225

今回お世話になったみなさん、本当にありがとうございました。
そして早稲田大学米式蹴球部のみなさん、お疲れ様でした**
チームながぐつプロジェクト第106陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年02月18日(Wed)]

期間:2015年2月6日〜2月9日
場所:福島県いわき市
活動内容:
2月6日 日本財団にてオリエンテーション。長源寺で坐禅体験。
2月7日 薄磯地区でゴミ拾い。オリーブプロジェクト
2月8日 いわきサンシャインマラソンボランティア。
2月9日 視察。掃除。


106-1-1

2月6日
日本財団にてオリエンテーション後いわきへ。
有賀さんご本家に荷物を置き長源寺座禅体験を行いました。
座禅後中華料理店で大熊町復興支援員の梅村武之さんと食事をしました。
食事後銭湯に行き寮へ移動。
寮でミーティングをして就寝。
106-1-2

106-1-3

活動1日目:日本財団にてオリエンテーション後、「それぞれが想うボランティア」や今回にかける想いを共有。バスでいわきに向かい、到着後長源寺にて座禅指導を栗山副住職様より約2時間行っていただきました。震災当時の避難生活で人々が味わった「動けない苦痛」を座禅を通し学生たちは体感していました。また副住職様の子を持つ親だからこそのお話も伺い、学生たちの心に残ったようでした。
夕食は四川という中華料理屋さんにて大熊町復興支援員である梅村さんのお話を伺いながら。その後尼子湯に行き、宿舎に戻り一日の振り返りと明日からの活動に対する想いの共有を行い就寝。
106-1-4 

2月7日
寮からご本家にて朝食。
いわき駅よりバスで薄磯へ。
薄磯復興協議委員会鈴木さんと合流し、お話を伺いながら活動場所まで歩いて行きました。
同じく薄磯復興協議委員会室谷さんの指示のもと
塩谷崎灯台下周辺道路脇のゴミ拾いを行いました。
ゴミ袋140袋分、粗大ゴミ4トン分拾いました。
ごみ拾い後は場所を移動し薄磯のお話を伺い、駅前でタクシーに乗り活動場所へ移動。オリーブプロジェクトのお手伝い。オリーブ麺や饅頭に使用するためオリーブの葉を切る作業を行いました。
17:00まで作業。
銭湯に入り有賀さんご本家に移動。
青年会議所グルメ会の行事に参加させていただき、青年会議所のかた、青年会議所OBの片と一緒に食事をしました。
食事中いろいろなかたから震災当時のお話をたくさん伺う事ができました。
寮に戻り振り返り後就寝。
106-2-1

106-2-3

活動2日目:お世話になっている有賀さんのご本家にて朝食。有賀さん手作りのおいしい朝ごはんに学生みんな感激していた様子。その後バスで薄磯地区に向かい、薄磯復興協議委員会の鈴木さんに合流。鈴木さんの震災直後の体験を聴きながら薄磯地区を視察。津波によって様々なものが失われた土地や鈴木さんのお話を聴いて涙する学生もいました。その後薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻と合流し、ゴミ拾いの作業へ。約100ものゴミ袋と洗濯機、電子レンジなどの家電のゴミを回収。その量に学生たちは驚き、どうしてこんなにものゴミが捨てられるのかということを考えていました。ゴミ拾い後は鈴木様より薄磯のまちづくりについてのお話を伺いました。「同意を得ることが一番むずかしい」というお話や薄磯地区の方々の想いをひしひしと感じる時間となりました。バスにていわき駅に戻り、スカイストアさん(スーパー)にてお弁当をいただきました。スカイストアの社長さんであり、オリーブプロジェクトの代表でもある松崎さんよりオリーブプロジェクトに関してのお話をしていただき、実際の作業場へ移動。舟生さんより指導を受けながら、また舟生さんの素敵な人柄に触れながらの作業を学生たちは楽しんでいるようでした。作業としてはスカイストアにて販売しているオリーブ麺の材料となるオリーブの葉の摘み取り作業を行いました。途中、別のボランティアの方々が合流され、お話をしながら一緒に作業を行いました。尼子湯にてお風呂に入った後、有賀さん宅にて青年会議所のOBOGの方々と交流会をさせていただきました。学生たちそれぞれが色々質問をさせていただいたり、お話を聴かせていただく貴重な時間となりました。宿舎に戻り、2つのグループに分かれて振り返りを行い、就寝。

106-2-4

106-2-5

106-2-6

106-2-7

2月8日 
寮からご本家に移動して朝食。
いわき駅からシャトルバスに乗り活動場所であるアクアマリンパークへ移動。
いわきサンシャインマラソンのボランティア。
ランナーの荷物返却を行いました。
人手の少ない所に数人ずつ散らばり雨の中の活動となりました。
15:30終了。
銭湯に入り寮へ移動し食事。
3時間ほど振り返り、ミーティングをして就寝。

106-3-1

106-3-2

活動3日目:朝ごはんを有賀さんのご本家にていただき、いわきサンシャインマラソンのお手伝いのため小名浜港アクアマリンパークに向かいました。作業が開始されるまで一緒に作業を行う他のボランティアメンバーの方々とお話をさせていただいたり各々時間を過ごしました。作業はフルマラソン参加者の方々の荷物返却。大型トラックで運ばれてくる荷物をボランティアみんなでバケツリレーの様に運び、整列させ、ゴールした方に返却作業を行いました。合間合間にランナーの方やボランティアメンバーの方とお話をした様で、雨の中の大変な作業でしたが学生たちはこれまでの二日間とはまた違った活動を行えたようでした。そのまま尼子湯に直行し、お風呂。(学生たちはいつも明るく迎えてくれる尼子湯のご主人の大ファンになった様子)
夕食後、前日に学生からの要望があり振り返り、お互いの想いの共有の時間を多めに取りました。これまでの活動で感じたことや、今後自分たちは学んだことをどう活かしていけば良いのかなどそれぞれが持つ想いや葛藤を共有しあいました。また参加した学生に東北出身であり被災経験をした学生がいたので、自身の経験をみんなに話してくれ、みんなにとってまた学びの時となりました。(話してくれてありがとう)

106-3-3

106-3-4

2月9日 
起床後、ご本家の掃除。
本家で朝食。
いわき駅から滝田駅に電車で移動。
滝田駅から楢葉タクシーで視察。
久ノ浜浜風商店街で昼食後電車でいわき駅へ。
寮に戻り振り返り後アンケート記入。
17:00の東京駅行きバスに乗り20:30着後解散。
以上。

106-4-1

106-4-2

活動4日目:宿舎とお世話になった有賀さんご本家の掃除を行い、朝食をいただいて富岡町視察へ向かいました。人がいない町、あの日のまま時が止まっている町を学生たちはまっすぐと見つめていました。また除染作業が行われている様子や放射線廃棄物が袋に入れられ、積み重ねられている様子に衝撃を受けたようでした。その後浜風商店街のからすや食堂にて昼食。明るい女将さんとおいしいごはんに学生たちも温かな気持ちになったようでした。宿舎に戻り、この4日間の振り返りを行いました。たくさん想いを共有したことが学生一人ひとりにとってより多くの学びをもたらし、つながり合うことで自分たちにできることを考え続けたいとの声が聞こえました。アンケート記入作業後、バスにて東京へ戻りました。

106-4-3

106-4-4

参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。


*「新しいことを始めたい」ではなく「新しいことを始めなくてはいけない」という言葉に、農家の方々の苦しみや焦りを感じた。

*3日目はサンシャインマラソンのお手伝いをしました。ランナーの方に預かった荷物を返すという短時間の触れ合いの中で、震災後のいわきについてお話を頂く様な場面があり、その方々にとって震災が今でも鮮明な記憶であり、決して薄れていないことを感じました。

*今回帰ったら周囲の人に何を一番伝えて欲しいですかといわきの住民の人に聞いたところ、「みんな楽しそうだよ」と伝えて欲しい。遊びに来てほしい。と言っていたことが印象的でした。私は現地の今の状態を伝えることが震災の風化のために良いと思っていましたが、良い意味で風化するのも大事なんだと学びました。

*いわき市の復興に対する思いと使命感に福島の人々は、たくさんのものを背負い、それでも前に進んでいるのだと感じ、何とも言えない気持ちになりました。その後のグルメ会でも、一人一人がたくさんの思いの中で感情や思いを必死に伝える姿にとても感動しました。

*「だれも悪くないんだ。これが俺たちの運命だったんだ」とぼそっと言っている姿を見たときに衝撃を受けました。それまで、いつでも前向きでいる姿を見ていたため、誰も責めることができない、やるせない思いは、運命だったと思って区切りをつけるしか前に進めない、少しのあきらめに見えたからです。私たちが話を聞くときには、その時の相手の姿しか見ることができません。震災から立ち直った明るい人のように見えてしまうけれど、そこに至るまでには、きっと多くの事を乗り越えてきたんだろうし、何度もこらえてきた思いがあると思います。だからそういった他の人に見せない姿にも気付いて、弱い所や強がりなところも受け入れられる人になりたいと思いました。

*地元の人の愛をおおいに感じ、この愛がある限り福島は進み続けられる思いました。さらに他県からも東北を応援しようと思っている人がこんなにもたくさんいることに驚きました。

*被災地以外から復興支援として物資が送られてくることについての中で、印象に残った話がありました。震災後に薬が大量に送られてきたことがあったけど、そこは病院でもなく、ただの市民が中心となって活動している団体であったため、その薬をどうすればいいのか、わからなかったそうです。支援物資が送られた、ニュースで報道されると、助かる人がいるだろうななどプラスにしか考えていませんでした。ただ送るだけではいけないのだ、支援物資がどのように使われて、誰が助かったのか、そこまでが重要なのだと感じました。薄磯でも桜の木が送られてくるが、誰がそれを育てていくのか、という問題があると聞いて継続して行くことの大切さや必要性を多く感じました。

*いわきでは現地の人々と触れ合う時間が多く、その時間の中で、いわきの人たちが、私にしてくれた無償の優しさが何よりも印象的であった。温かく優しく、なんで初対面の私にここまで優しくしてくれるのか疑問で仕方なかったが、その優しさに触れて、私はもっと人に優しく楽しくいたいと思うことができた。本当に驚くくらい温かくて幸せだった。感謝しかないです。

*薄磯で語ってくださった、3時ごろ津波がきて、逃げ惑う人々の声がたくさん聞こえ、聞こえなくなったのは6時頃だったという話が特に印象に残っています。その3時間の間、何もできずにいた人々の気持ちを考えると悲しかったし、今、自分が立っているこの地で実際に起こった事なのだと思うと、今まで何となくつかめなかった震災のイメージがとても鮮明なもの変わり、恐怖を覚えました。

*皆が自分の活かせる能力や職業におけるつながりを活かして地域の復興のために全力を尽くしている姿は、とても胸に響き、自分も周りの人が3・11を忘れないように努めていきたいと思った。

*地域によってかかえている問題は異なり、一概には、3.11をとらえることができないと思った。しかし、共通点のようなものがあると思った。それは対立するものの存在である。それぞれ行政と民間、地元民と避難民、自分の気持ちと他者の気持ち、自分の事と地域社会の事など対立するものがあり、その狭間で活動している人がいる。どっちが正しいという正解がある問題ではなく、正解がない問題に直面している現状を目にした。その難しさを思い知った。

106-4-5

福島の皆さん ありがとうございました。
106陣の皆さん お疲れ様でした(^○^)
チームながぐつプロジェクト第104陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年02月05日(Thu)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第104陣】
期間:2015年1月9日〜1月12日
場所:福島県いわき市

1日目:長源寺で年間特別行事のお手伝い
夕食を食べ、銭湯のあと、振り返り。
104-1-1

104-1-2

2日目:薄磯でゴミ拾い。その後、被災状況を視察し、復興協議委員会の鈴木さんから話しを伺う。
スカイストアで昼食後、オリーブ・プロジェクトへ。
長源寺で坐禅と栗山副住職の震災時の話しを伺う。
有賀様と夕食、銭湯、その後、振り返り。
104-2-2

104

3日目:オリープ・プロジェクトのお手伝い。
銭湯、御本家で夕食、その後、振り返り
104-3-1

104

4日目:富岡町と久ノ浜・浜風商店街を視察。
本家の掃除、振り返りとアンケート記入。午後3時半のバスで帰京。
104-4-2

【活動1日目】
 到着後、有賀御本家に荷物を置き、長源寺へ。5時半から7時まで年に一度の特別行事のお手伝いをした。椅子並べ、掃除、お経、仏具などを並べ、檀家さんを迎える準備を手伝った。かなり重い物もあり、今回は男性が多かったので助かった。その後、五楽ではなく鳳翔で食事をとりながら振り返りを行い、銭湯へ。尼子湯の営業時間が10時までになっており、3分過ぎていたが、マスターは歓迎してくれた。23時20分頃、社員寮に戻り就寝。

【活動2日目】
 朝6時半に起床し、社員寮の掃除。本家で朝食を頂く。
 いわき駅から薄磯へバスで向かい、到着後、薄磯復興協議委員会の室谷さんと鈴木さん指導のもと、近くの県道沿いのゴミ拾いを行った。一見しただけではゴミの多さが分からないが、小一時間程で30袋のゴミが集められ、学生も驚いたようだった。そして、薄磯復興協議委員会の事務所に行き、薄磯の街を鈴木さんから説明を受けながら視察した。昨年から比べると至る所で工事が進み、進入禁止区域なども代わっていた。事務所に戻ってからは、鈴木さんから薄磯の現状と課題について説明頂き、その後、どのように薄磯を発展させるかについて学生と意見交換を行った。
 昼食をスカイストアで頂いたあと、午後は、オリーブ・プロジェクトへ向かった。作業時間は2時間と少なかったが、舟生さん指導のもと、オリーブの葉っぱを一枚ずつ摘む作業を行った。葉っぱを混ぜたオリーブ・パスタが人気の模様で、少しでも多くとりたいとのことだった。
 夕方は、長源寺に向かい、坐禅指導をして頂いた。作業後で疲れていたせいか、眠気に襲われた学生もいて、栗山住職も苦笑していた。坐禅指導を受けながら震災時の話しも伺った。
 夕食は有賀さんの招待で、Kinyaという居酒屋となった。有賀さんが2名のゲストを招待し、全部で8名の夕食となった。ゲストの1人は2011年の震災後から震災支援に関わっている京都出身の梅村武之さん。現在は、大熊町復興支援員をしている。有賀さんと震災支援を通じて知り合い、学生ボランティアの刺激になると考えたようだった。もう1人は、日本酒の又兵衛を生産している酒造の店主である四家さんであった。梅村さんは30歳と若いこともあり、結局、翌日の朝食と夕食も一緒にし、学生たちに自分の経験を話して頂いた。
 その後、銭湯に行き、本家で振り返りを行った。今日の感想と残り2日間で学びたいことなどについて話合った。23時30分に社員寮に戻り就寝。

【活動3日目】
 朝6時30に起床、社員寮を掃除し、本家で朝食。それから「オリープ・プロジェクト」に向かった。昨日の続きで2名がオリーブの葉っぱ摘みを行ったが、もう2人はオリーブ畑で杭打をした。2mくらいのオリーブが強風によって斜めに倒されていたので、杭を打ち込んでまっすぐに支える必要があった。大きなハンマーを使うので、なかなか骨の折れる作業となった。1時間かけて、結局、3本くらいしか打てなかった。昼はスカイストアのお弁当を頂き、午後は、再び葉っぱ摘みを行い、その後、苗木の清掃を行った。虫のついた苗木を綺麗に洗う為にコンプレッサー付きのホースを使い水圧で汚れを落とした。これがなかなか面白く、順番に作業を行った。途中、舟生さんからオリーブ・プロジェクトのこと、震災時のことなど話しを伺いながらの作業となった。3時には、有賀さんから特大シュークリームの差し入れがあった。
 その後、そのまま銭湯へ行き、本家で有賀さん手作りの夕食を頂いた。この時、梅村さんも合流した。
 夜の振り返りでは、これまで一番印象に残ったことや学んだことを共有し、また反省点の共有も行った。そして梅村さんのこれまでの活動を、写真を見ながら振り返り、震災や復興支援について考える時間をもった。24時に社員寮に戻り就寝。

【活動4日目】
 朝6時30に起床、社員寮を掃除し、本家で朝食。いわき駅から竜田駅に向かい、午前中に富岡町と浜風商店街を視察した。富岡町の惨状は、今回も学生に大きなショックを与えたようで、しばし街中で佇んでいた。今回は、竜田駅からタクシーに乗り、天神岬、福島第二原発付近の集積所、仮設焼却施設、富岡駅、富岡町役場を回ってもらった。
 その後、久ノ浜駅近くの浜風商店街にお邪魔し、昼食を食べ、商店街のおばさまたちとお話し。被災時の様子を撮影した写真とビデオを拝見した。
 いわき駅に戻り、御本家でまずは掃除。台所なども綺麗にし、それから振り返りとアンケートの記入。大阪の学生のバスが午後10時発だったこともあり、また3連休の最後で渋滞の心配もあったので、午後5時発のバスではなく、3時半のバスで帰京しました。


104
参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。



■活動初日の気持ち
初めてのボランティアという事でワクワクドキドキしており、東北復興についても、ほとんど無知でした。ちゃんとやっていけるかの不安も少しありました。

募集の時に800字の提出の際、自分の元気やパワーを与えることを心がけてました。
4年経ったのである程度復興が進んでいると思っていました。

1年ぶりの参加で3度目のいわきだったので変化を見たくて参加した。就活前で、これから参加が難しくなるかもしれないので今月を選んだが、ここで社会に出る前の気持ちの整理にも繋がれば良いと思っていた。

震災に対して「怖い」という気持ちがありました。十分な知識もなくイメージで判断していました。しかし何かしたいよいう気持ちが自分の目でしっかりと確かめたいという気持ちがあり、緊張と楽しみがありました。

■活動後の気持ち

思ったよりも少人数で、大人数で行くよりも現地の人たちの話など、頭に入って来やすかったはずだろうと思います。現地の人々もとても温かく歓迎して下さり、こちら側の方が元気をもらったんではないかと思います。もう3回生も終わりなので次回また参加すことが困難だと思います。それが残念なのでもっと早くに参加していたらよかった!と思えるような充実した3泊4日でした。

自分の元気やパワーを与えるだけでなくはなしなどを聞いて、自分に逆にパワーをもらえたりすることができました。
実際には本当はまだまだ時間がかかるものでした。

1年間という時間のもたらす変化は、僕の想像を超えていた。見て回った所は薄磯もオリーブも久ノ浜も変化していて驚いたし、色々考えさせられた。しかし変わっていない所もあったし、冨岡は震災当時のような風景が感じられる所も多かった。変わること、変わらないこと、それに伴う問題点の変化など、違いを実感できてとても良かった。

福島の方々の温かさや明るさを感じ、心から参加して良かった感じています。意識の変化として、違う県のことだから住んでいないから関係ないというものから、日本全体の問題として、これから日本を支えていく私たちが向き合っていかなければいけないという意識が持てました。

■今後のボランティアに必要なことは

やはり薄磯など、政府の手がしっかり回っていない地域の事を自分たちの口で世に広め、ボランティアなどで少しでも手助けをする必要があると思います。この3泊4日で得たことを周りにひろめていくこともまたボランティア活動の一環であると思います。

必要なことはボランティアに参加して、それを周りのひとに伝えていくべきだとお思います。経験して、そこで終わりではなく、その“事”を忘れることがないような活動を自分自身でしていくべきだと思います。

より多くの人に事実を知ってもらうこと。地元の人でも(変化が速すぎて気持ちが追いつかない」と言っていた。それほど速く状況は変わっている。

作業をただ単にこなすのではなく、そこに関わる人の気持ちを汲み取りながら想像して心を込めて行うことだと思います。また正しい情報を広めていくことが必要だと感じました。

■感想

今回は貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。不満な点は特にないのですが、参加者の意見や希望などを事前に聞き入れ反映していただければより良いものになると思います(例えば今回参加者の中に現地の消防隊の話を聞きたいと熱望している者がいました)

普段生活をしていて、このようキッカケをつくっていただいて本当に感謝しています。ボランティアに参加したいと思っていてもなかなか時間が作れませんでしたが、ヤッと参加できるようになった時、大規模でなく小規模なチームで活動するのがとても良かったです。ありがとうございました。

いわきでは本当人たくさんの人に会えました。それがこのボランティアの良い点のひとつだと思うので、もっともっと人とのご縁を大切にしていってほしいと思いました(別に問題があったわけではありません感想です)

たくさんの方々と会い話を聞く機会が持てたので、良い経験となりました。ありがとうございます。意見として少し気になったのですが、どこへ行っても「一人いないね」と言われました。人数が活動に関係しなくても直前の欠席の方の連絡はすべきだと思います。

■報告書からの抜粋

初めてのボランティア活動で、不安と期待が渦巻く中、参加させて頂きました。
参加者の人数は時期によりバラバラだそうですが今回は4人という小人数制の中で参加させて頂き普通のボランティア活動により現地の人々の声や教わったことが入ってきやすかったんじゃないかと思います。
来る前まで東北についてあまり知識がありませんでしたが、今回で事細かに学べてとても満足できました。
その中でも、自分の中で一番心に残っているのが復興というのは建造物が修復すれば以前のように人が戻ってきて自然としていくものだと安易に考えていましたが実際は全く違うとうことでした。真の復興とは建造物の修復やインフラの整備はもちろんのこと、その地域から避難したり転居した人々をどう取り戻すかということであり、その地域の人々の“笑顔”を取り戻すことです。フラッシュバックや新転地でのいえの購入をした人などを元の地域に呼び戻すことは大変難しいです。
ですがそれを必死に頑張っている薄磯の人たちとの出会い、感化され自分にできる事は何か少しでもないか一生懸命考えてみたものの何も思いつきませんでした。
今考えてみると正直自分にはボランティアくらいしか直接復興を手助けできることはないでしょう。
しかし直接ではなくても帰って周りの人々に今回のことを語りつぐことで復興の手助けは出来ると思います。
これから先、長い人生がまだまだ待っていますが東北での経験を忘れずに今ある幸せな生活に感謝して生きていきます。また機会があれば成長した姿でまたボランティアにきます!

僕自身ボランティアの経験は初めてでした。この4日を振り返ると、1日1日の出来事や作業の1つ1つがとても新鮮ですごく貴重な経験になりました。
思ったことは、いわき市の中でも復興のできているところと、なかなか津波の被害も含めて復興出来ていない所(まだまだ時間のかかる所)があって差を感じました。現代の人々の話をきいていると、話の中に、その時の苦しみや悲しみを感じ、やはり現地の人の話はストレートですごく心に響きましたし、イメージすると、もしそうなった場合、自分ならどうするか考えた時、すごく恐ろしいものだったし、実際それを被災地に足を運んだ時、みなさん必ず「きてくれてありがとう」と言ってくださたのがとても嬉しくて、先ほども書いたようにボランティアだけでなく、“精神的な面でのボランティア”が出来たのはとても良かったです。
それと同時に逆に話などを聞いていて元気をもらいましたし、これからの励みにもなり、お会いした皆さん方本当にいい方達ばかりでした。

最後に行った富岡町はとても衝撃を受けました。車がひっくり返っていたり、家が壊れていたり土地が更地になっていたり、なんか別の世界に来たようでした。
富岡町を先に見るか後に見るかだったんですが、僕的には、どちらでも良く,見れたことが本当によかったです。
阪神淡路大震災の時、放射能の問題がなかったので、復興に時間があまりかかりませんでしたが、放射の問題があるため、なかなか完全復興にはいたらず時間がとてもかかりますが、大事なのはやはりこのようなボランティアを通じて、いろんな人に伝えること、そしてより多くの人に震災を知ってもらうことだと思います。
人と人との協力はとてもこのような時、大きく大事です。このボランティアに行って終わりではなく広めること。これが僕たちの“使命”であり、やっていくべきことだと思います。

今回は1年ぶりのいわきの陣だったので、変化を見たいというモチベーションで参加した。
とくに薄磯地域では集合住宅が完成し、100戸300人が戻ってきていた。さらに工事も延びハードの復興はゴールが見えてきている。
しかしそれに伴なって住んでいた人がなかなか戻らず町として形が保てるのか、という問題が地域にでてきていた。今日会った人たちは、コミュニティ作りのため問題解決の手段を探って東北大の学生と共に会議を重ねていると話していた。
去年参加知っときは「なかなか工事がすすまない。もっと頑張ってほしい」ということを話していたので、今回工事が進んんでいるのを見て単純に嬉しく感じていたが、なかなか難しい問題が出てきていて、ただ家が建てばいいというわけではないということが感じられた。
それと同時に家やインフラの工事をまっていた去年から、自分たちの力でコミュニティ作りという形で自分帯にと町を作りなおすとう活動をしている彼らはとてもイキイキしていて元気だったので、問題の重さを感じつつも復興に向けた力強さを感じることができ明るい気持ちになれた。
このことはオリーブプロジェクトでも同じで去年はオリーブの利用先を試行錯誤していた段階だったのが、オリーブ麺が出来上がり、しかも人気になっていると聞いて、一歩ずつでも前に向かっていることがわかってよかった。

最終日に行った富岡町では、当時のまま片付けの進んでいない家が残っているのを見て、人が戻らない町という所が少しだけ想像できたし、戻らない事を選ぶ人の気持ちも感じられた。
人が離れた駅や学校は草が伸び放題になっていて寂しさを感じた。
とくに学校の方が個人的に悲しかった。だれも使わず、くちていく校舎や校庭は見たくないと思った。
ボランティアとは直接関係ないが、今日は有賀さんが大熊町の復興支援をしている梅村さんという方を紹介してくれた。
彼は2011年からずっと岩手→宮城→福島と復興に関り働いている人で、就活を控えた僕にとってとても参考になる話を聞く事が出来た。
東北の現状のみでなく、社会への関わり方を考える良い機会ができてとても助かりました。

今日は今までいじょうに予定がつまっていてけっこうハードに思いながらの活動だったけれど、その分内容はとても充実していて4日間まったくムダにならず、楽しむこと、学ぶことができました。家に帰って、ゆっくり休んでから、あらためて振り返りしたいと思います。

4日間の活動を通して学んだことを三点挙げる。
一点目は復興は目に見えるものだけではないということである。私はこれまで建物が再建し、インフラが復旧すれば復興したもとになると捉えていた。
しかし町おこしをしていらっしゃる方の話を聞き、それらだけでなく災害前のように人々が戻り、安心、安全、明るい暮らしができ、そこに笑顔が無ければ、それはハード面だけの修復にすぎないということを感じた。
これからは何においても目に見えるものだけではなく人の気持ちがどうなっているのか、またどうあるおとが望ましいのかということまで深く考えるようにしていきたい。

二点目は防災意識の大切さである。
4月から小学校教諭になるのあたり、子どもたちが「自分の身は自分で守る」ということを学年関係なく全員が意識するおとが重要であると感じた。
現代はいつどこで何が起こるか分からない。何かが起こった時に全てに最適な対応をすることはできなくても、前もって準備できると考える。今後教員として、防災について積極的に行動をとっていきたい。

三点目は、人任せではなく、自分がまず動く事の影響の大きさがある。薄磯での活動で「ゴミを捨てるな」と言うのではなく、拾っている姿を見せ、捨てない意識を持ってもらうということや、国や行政が何もしてくれないと言うのではなく、勉強しみんなで協力してアイデアを出し合い、どうすればいいか考え、できることをするということをされている方々を目にし大変感動した。
この姿を見習い、態度で示し自分から行動するということを大切に行動していこうと思う。

津波の被害を受けた地域の様子を実際に見た感想としては、自然の威力のすさまじさを感じ大変驚いた。
このことから自然との共存の意識を持つことが必要であり、自然に関する知識が大切であると感じた。忘れがちではあるが自然の中に生活があるということを常に心においておきたい。
この4年間で色々なことを感じ、多くの学びがあった。この貴重な経験を支えてくださった方々への感謝の気持ちを忘れずに、周りの人やこれから関わるこどもたちに広めていき少しでも復興に貢献していきたい。
チームながぐつプロジェクト第103陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年02月05日(Thu)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第103陣】
期間:2014年12月19日〜12月22日
場所:福島県いわき市
活動内容:
1日目: 長源寺で座禅と栗山住職より震災時の話を伺う。
夕飯(五楽) → 銭湯 → 夜、振り返り。  
103-1
        
2日目: 薄磯にてゴミ拾いをした後、薄磯復興協議委員会の皆様より話を伺い意見交換。
103-2-6
103-2-5

薄磯〜豊間までを説明を受けながら視察→プレオープンした「とよマルシェ」を見学。
大國魂神社にて、イベントで使用する竹の竹伐作業。
銭湯の後、夜から有賀様とご友人を囲んでお食事。夜、簡単な振り返り。
103-2-2
103-2-4
103-2-3

3日目: オリーブプロジェクトにて作業補助。
     銭湯 → ご本家で夕飯 → 夜、社員寮にて振り返り。
103-3-1
103-3-2

4日目: 午前中、富岡町の視察をし、久ノ浜・浜風商店街にて、有賀様と共に昼食。
     社員寮に戻り、4日間の振り返りとアンケート記入
103

103

103

引率者1
12月19日(1日目)
到着後、長源寺に向かい、17:40〜約2時間、栗山住職より震災時の話を伺い、座禅を体験させて頂きました。震災直後、避難場所で過ごした被災者の苦痛を、座禅という形で体感し、また、栗山住職より、震災時の話を伺い、有意義な時間となりました。
その後、夕飯を五楽でとり、銭湯に行き、23時前に社員寮に移動後、初日の振り返りをしました。
夜の振り返りでは、2つのグループに分かれ、「ボランティアとは何か」「ボランティアをする事で、得られるものがあるとしたら何か」を話し合い、その上で「この4日間をどんな姿勢で取り組むべきなのか」を発表し、「自発的に行動し、ボランティアをしてあげるという姿勢ではなく、学ばせて頂くという気持ちで活動に向き合おう」と、明日からの活動に対する気持ちを共有しました。23:30頃終了

12月20日(2日目)
午前中、バスにて薄磯地区へ行き、薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻の誘導の中、約1時間に渡って、県道15号線につながる道路脇のゴミ拾いをしました。缶・ビン・ペットボトルのゴミが多く、集めたゴミは、燃えないゴミ(缶・ビンなど)が11袋、燃えるゴミが13袋にもなりました。
10時から、薄磯復興協議委員会の事務所内で、委員長の鈴木様より、薄磯の現状と問題点を1時間に渡って伺い、委員会のメンバーで、高校の国語教師の瀬谷(せや)さまより、津波で破壊された豊間中学校のピアノが、市内の調律師によって修復された「豊間の奇跡のピアノ」の話」と共に、修復の際に交換されたピアノの部品を希望者に贈呈して下さいました。
室谷さんが、事務所近くに工場がある、丸又蒲鉾のカタログを持って来て下さいました。
薄磯復興協議委員会の事務所を後にして、室谷ご夫妻の案内の下、薄磯〜豊間の震災時の状況説明を受けながら、この日プレオープンした「とよマルシェ」まで(約40分)歩きました。
プレオープンした、4店舗からなる復興商店「とよマルシェ」では、まぐろの解体ショーや、民謡ショーのイベントも開催され賑わっており、学生も一緒にプレオープンの雰囲気を楽しみました。
途中、今年の春から豊間区長になられた、遠藤 守利(えんどう もりとし)様より、震災時の豊間の話を(約30分間)伺う機会を頂き「震災の翌日の風景は、この世のものとは思えない光景だった。避難生活の中で、プライバシーのない空間に大勢でいる事が、一番のストレスだった」という言葉が、学生の胸に響いたようでした。
14:30 大國魂神社に到着後、来年開催される予定の復興イベント「デスティネーションキャンペーン」で使う、絵のぼり(いわきでは端午の節句に、こいのぼりのかわりに、絵のぼりを飾る風習があるそうです)を立てる際に使う竹竿の下準備で、竹林に入り竹伐りをしました。約1時間半かけて、大國魂神社の裏山にある竹林から、20本の竹を選び、長さを約7mに揃えて切り、約20本の竹をいわき駅近くの保管場所まで移動させました。終始、積極的に動く学生の姿がありました。
(この日、切り出した竹は、冬を越す中で、竹の強度が増すそうです)
19:00〜 ラトブの3階にある「すし田村」にて有賀様のご招待で、共に竹伐作業をした、有賀様のご友人で宮大工の、岩崎英明さまと、地酒「又兵衛」の酒造元の四家久央さま、3名を囲んでの夕食会となりました。約2時間に渡って、3名の方々がお話して下さった震災当時の話や、3年たった今だから言えることなど、様々なお話を伺うと共に、学生からも積極的に質問をし有意義な夕食会になりました。21:45〜 社員寮にて今日の活動を通して思った事・考えたことを共有しました。22:40頃終了。

12月21日(3日目)
天気の良い3日目、朝から夕方まで「オリーブプロジェクト」の活動。ビニールハウス内で、舟生さんの指導の下、食材(オリーブ麺)に使用するオリーブの葉を、切断した枝から一枚ずつハサミで摘み取る、葉摘み作業に取り組みました。お喋りをしながらの作業を通して、舟入さんの人柄に魅かれると共に、仲間意識が深まったようでした。
お昼に、オリーブプロジェクトの松崎理事長様がご挨拶にきて下さり、オリーブプロジェクトの歴史や、今後の課題などを約30分かけてお話をして下さいました。スカイストアさんの美味しいお弁当+手作りのお味噌汁+差し入れのジュースも頂きました。
 作業終了後、舟入さんより「今日の活動を通して、ここ、いわきにオリーブプロジェクトというものがある、オリーブが育っていることを覚えていて下さいね」と、言葉と想いを受け取りました。
オリーブ作業終了後、銭湯へ向かい、ご本家で夕飯をとりました。この日は体が温まる鍋を準備して下さっていて、締めの麺は、昼間購入したスカイストアさんの「オリーブ麺」だったこともあり、テンションが上がり、初めて食べるオリーブ麺に盛り上がりました。
21:00〜 社員寮にて、板倉さんの提案で、振り返りを学生たちに委ね、男子学生の宮道さんを中心に「ワールドカフェ方式」で、話し合いたいテーマを、それぞれメモ紙に書き出し、15案ほど出た中から、「Gakuvoだからできる事とは何か」にテーマを絞り、熱い討論を重ねました。23時頃終了

〜ほっとするエピソード〜
今回も尼子湯さんのオーナーが、お風呂上がりに学生にジュースをご馳走して下さり、板倉さんが、この日購入した、オリーブ麺をオーナーに渡すと、とても喜んでいたそうです。活動中に、学生さんから、「毎回尼子湯さんにお世話になっているのだから、尼子湯の休業日になっている月曜日に伺って、お風呂掃除のボランティアとかができたらいいですね」との声もあがりました。

12月22日(4日目)
朝食前に、有賀様のご依頼があった、玄関周辺の落ち葉拾いをして、JRに乗り、竜田駅へ向かい、ジャンボタクシーにて、約1時間半かけて富岡町を視察しました。視察ルートは、@波倉地区(40世帯が被害を受け、8名がなくなった地区) A福島第二原発近くの海岸(降車し約10分見学) B汚染処理工場 仮設焼却施設(降車し約10分間見学) Cパトカーの碑(降車し約10分見学) D打ち上げられた舟 E 富岡駅(降車し約20分見学)  F天神岬(降車し約10分見学) 
想像以上の光景に、学生達は言葉が出ない様子で、2名の警察官が亡くなったパトカーの碑、富岡駅の側にある碑で、手を合わせる学生の姿がありました。
富岡町視察後、そのまま、久ノ浜の「浜風商店街」に向かいました。有賀様も駆けつけて下さり、一緒に昼食をとり(餃子をご馳走して下さいました) 記念撮影の後、お礼の色紙を渡しました。
電気屋さんで震災時のビデオをみせて頂き、お話も伺い、また、資料や写真をみせて頂くと共に、商店街の皆さんと交流をしました。からすや食堂が混んでいて、時間がかかってしまい、帰りのJRを1本後にずらしましたが、その時間を有効に使って、震災時のビデオで見た、久ノ浜の海岸まで歩き、高台にある神社から、現在の街の風景を、それぞれ心に刻みました。
14:30 社員寮に戻り掃除の後、振り返りを行い、それぞれが一番心に残ったことを発表した後、アンケート記入の時間をとりました。17時のバスで東京に戻り、東京駅での開催式の後、再会を誓う学生の姿に、4日間の活動を通して結ばれた強い絆があるのだと感じました。

引率者2
12月19日
日本財団にてオリエンテーション後、高速バスでいわきへ。
いわき到着後有賀さん本家に荷物を置き長源寺へ。副住職から震災当時の言お話を伺い座禅体験をしました。体験後五楽で食事をし、銭湯へ。その後本家に仮置きさせてもらった荷物を持ち、寮へ移動。ミーティングではボランティアとは。ボランティアを行うことで何が学べるか.等を話し合いました。

12月20日
寮から移動し、本家にて朝食。いわき駅よりバスで薄磯へ。室谷さんに合流し地域のゴミを拾いました。その後薄磯復興協議委員会の鈴木さんから薄磯の現状、問題等のお話を伺いました。終了後室谷さんの案内で歩いて薄磯から豊間の復興商店街「とよマルシェ」まで行き、昼食。
昼食後タクシーで大國魂神社へ、地域イベントで使う竹伐りを行いました。一度寮に戻り銭湯へ。夕食は有賀さんからお寿司をごちそうしていただきました。食事では一緒に竹伐りをした有賀さんの友人の方お二人もおられ、震災時の様々なお話、今のいわきの問題等を伺うことができました。食事後寮に戻り振り返りをしました。振り返りでは今日の活動で感じたこと、反省等を一人ずつ発表しました。

12月21日 
寮から移動し、本家にて朝食。タクシーでオリーブプロジェクトの現場に向かいました。
ビニールハウスの中でオリーブ麺に使用するための葉を集める作業をしました。途中舟生さんに畑に連れて行っていただきオリーブについていろいろなお話を伺いました。お昼はスカイストアさんのお弁当をいただきました。午後ももくもくと葉を集めノルマをこなすことができました。終了後は銭湯へ。その後本家に戻り有賀さんが用意してくださった食事をいただき寮へ。この日の振り返りは学生にお任せ。宮内君によるワールドカフェ方式で振り返りを進めてもらいました。一人ひとりみんなに聞きたいこと、話したいことをポストイットに書き込んでいき、ジャンル分けしてテーマを絞り、それについてみんなで話し合いました。

12月22日 
寮から移動し、本家に。朝食前に玄関前の落ち葉ひろい、本家のお掃除をして朝食。いわき駅から電車で滝田駅へ。そこから楢葉タクシーで福島第二原発近く、富岡町等をまわっていただき久ノ浜商店街で昼食。有賀さんから餃子をごちそうしていただきました。商店街の電気屋さんで震災当時の映像を見せていただき貴重なお話を伺うことができました。電車の時間がぎりぎりだったため1本送らせ、商店街のお母さんからもう少しお話を伺い、その後動画が取られたであろう場所までみんなで歩いていきました。久ノ浜からいわきへ。寮に戻り掃除をしてから振り返り。この活動で感じたことを一人ずつ発表してから東京駅へ。解散式を行い帰路につきました。

参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。


■活動初日の気持ち

ボランティア活動で、福島の事をもっと知る事ができれば良いと考えていた。またGakuvoに募集する際、本当に3年半以上経過した福島においてボランティアを必要としているのか、少し疑問もあった。その疑いの真相を確かめることができたら良いと思い、このボランティア活動に取り組もうと考えた。

活動前は、ただ漠然と被災地の方のため、に何か自分ができることをしたいと思っていました。震災から4年が経とうとしている今の福島を自分の目で見たいという思いもありました。また、原発事故の印象が強かったので、福島に住む人々の気持ちを知りたいと思っていました。

大槌町にボランティアで継続して訪れていたので、「被災地」と呼ばれる土地に興味があった。知りたかった。特に福島は「津波」だけでなく「原発」の被害も受けているので現状を知りたかった。
福島に来るのは初めてだったfが、どうしても「原発」のイメーイが強かったです。前回、石巻に活動に行った際、自分が残したメモに「石巻と福島など他の地域の被災者をひとまとめにしてはいけない」と残してあったのだが、その時どうして、そう感じたのかまで書き残していなかったので、その点についても、少し考えながら活動したいと思っていました。また、震災から3年が経った今求められていることも知りたいと思っていました。

最初は海外のボランティア参加したいと思い、ボランティアのサイトを来て、カンボジアに行きたいと思っていました。ですが、まだ体験したことのない国内でできるボランティアをしてみようと思い、このプロジェクトに参加しました。また、内定も決まり、社会人になるにあたって東日本大震災で被害に遭った人や地域に行き自分の目で見て感じたことを多くの人たちに伝えたいと思っていました。

東北に行ったことがなく、ぜひ一度は行って被災地の「今」を見てみようと思いました。震災から3〜4年が経過しているので復興が進んでいるのではないか、もしかしたら私たちができることは少ないのではないかと軽い気持ちでした。とりあえず、3.11と騒がれて深い傷跡を残した現場に行って「生」の声を聞いて見たいと考えました。

どんなボランティアなのか、どんな人たちが来ているのか分からなくて不安でした。震災に関しても考えているようで、考えておらず、ただ与えられた情報を受け取る事しかしていませんでした。
ボランティアがどのような意思で行うものなのかについても、考えた事がありませんでした。

震災地に実際にでむくことで、現在の被災地の状況や震災当時のことに関して、現地の方々の生の声を聴くと同時に、自らの目で見て、体感することで、様々なことを学びたいと考えていた。又ボランティア活動をするにあたって常に公平な姿勢を保ち、活動受け入れ先の人々のことを想いやる気持ちや態度を忘れることなく、自分でできることに尽力をつくしたいと思っていた。

福島という現場が見たい。

以前からボランティア活動に興味、関心がありましたが、参加するのは初めてで、参加すること自体に不安を感じていました。
また、東日本大震災に関する知識も一般常識もしくはそれ以下のものしかなく、そのほとんどがメディアからによる限定的な情報ばかりで、今、被災地で何が起こっていて、何が求められていて、今自分に何ができるのか、といったことが一切分からない状況でした。

■活動後の気持ち

同じ「被災地」でも地域によっておかれた状況立場は大きく異なる。であるからこそ復興する上での優先順位やビジョンも異なる。

「原発」が地域に与える功罪、事故前と後での人々の「原発」に対する態度の変化を目の当たりにした。原発は将来的に無くすべきだという考えは変わらないが、想像以上に複雑な要因を含んでおり、地域の人にとっては簡単に結論を出せるものではない。

「ありがとう」と言ってもらえる期待はしてはいけない。「言ってもらえれば良いな」くらいの気持ちでいないと続かない。(ボランティアとして)

一人では何もできない。信頼できる仲間を増やすことが復興やボランティアにおいては重要。

見たこと感じたこと、自分の中に丁寧におしこんでいきたい。そして自ら発信していくことを恐がらずにしていきたい

実際に津波があった場所に行って、3.11の時の映像が頭の内に浮かんできてとても胸が締めつけられるような気持ちになりました。

前記の気持ちが大きく崩れた実労働させていただきつつ、今回協力活動の提供としてくださった方々との交流を通じて思考、そしてまた現地に行っていない人々への伝聞をきちんとせねばという使命感が芽生えた。
正直、4日間各主要地域を周らせて頂いて消化できていないが、ただ力仕事に重点をおくだけでなく、次世代の若者として、また、大学で学ばせてもらっている身として、思慮していくべきと改めて気付かさせれた同じ日本人として被災地には行くべきです。

参加して良かった思う。活動自体だけでなく、Gakuvo内でのミーティング等を通して色々と考える必要性を再認識することができた。

■今後のボランティアに必要なことは

派遣前のミーティング(参加メンバー間で目的意識を共有するため)
・余裕をもったスケジュール設定

必要な事
臨機応変さ。信頼関係(ボランティア団体と受けいれてくださる方々との間)

どうしていくべき
被災地をひとくくりにせず、目の前にある問題と向き合っていく心配り

被災地に必要なコトモノは現地の人が十分に分かっているのだから、ボランティアの方々は相手のニーズをしっかりと聞き、把握した上で行動することが重要だと思う。

どの範囲までが“震災ボランティア”なのか、地域興しのための“大学生ボランティア”隊なのか、考える機会を設けることが必要だと思う

■感想

宮崎さん、板倉さんには大変お世話になりました。感謝しています。

4日間、大変お世話になり本当に本当にありがとうございました。正直スケジュールは比較的ハードでしたが、短時間で最低限知っておくべき被災地の状況を見て回ることが出来たので非常に有意義なじかんでした。
引率してくださった宮崎さん板倉さん、この運営に携わっている方々のお力添えの上で若者はこのような現場を知る事ができました。また自分なりに落としこめていませんが大学で学問をする身として整理して次につなげます。ありがとうございました。

何のためにその活動をするのか、なぜGakuvoがその活動をするのか、学生はどんなことを意識しながら、活動する必要があるのか、事前に確認したい。Gakuvoのプロジェクトがその活動に関与するに至った経緯も知りたい。

■報告書からの抜粋

私は今回、被災地の現状を自分の目で見たいという思いから、ながぐつプリジェクトに参加した。結論から言うと、十分すぎる程多様な現実を見聞きした。その中で特に印象に残ったことが2つある。
1つは有賀さんとその仲間についてで、もう一つが最終日の視察についてだ。前者は自もの方の理解と協力の必要性、地域におけるキーパーソンの重要性の点で、学ぶべきことがあった。
Gakuvoはこれまで度々、有賀さんにお世話になってきた。
そもそものきっかけは、元職員の佐藤さんとの会話だったそうだ。それ以来、宿泊や食事の面でサポートしていただいている。
これはGakuvoが築いてきた信頼関係、そして有賀さんの人柄に依るところが大きいと感じた。
4日間を通して、何度か有賀さんから「ボランティアの受け入れは道楽だ」「好きでやっているから苦ではない」という言葉があった。
想像していなかった言葉だったので意外だったが、数日有賀さんと共の過ごして、それは本音なのではないかと思うようになった。
そして、2日目の夜、四家さんと岩崎さんと交えてお食事をした時、地元の方同士の会話から、震災直後のことや、復興の難しさ、家族との関係性の変化について、リアルなお気持ちを窺い知ることができた。
通常のボランティアではまず聞く事のできない内容だと思い、貴重な経験となった。
後者は、今回のボランティアの中で最も強烈に印象に残った。変わり果てた街並み、一変した生活、人間不信とコミュニティの崩壊といった、きれいごとでない側面をまざまざと見せられた。廃棄物の焼却施設の建設現場や、放射能廃棄物の袋の数々を見た時、復興の道のりが長く険しいものだと悟った。
正直、元に戻るかという疑問も持った。政策面での改善は必要だが、具体的にそんなアプローチが可能なのか、今は分からないが、これから先見えてくるであろうか。問い続けたいものである。それでも、浜風商店街の方々のお話を聞き、笑顔に触れて一歩ずつではあるが前に進みつつあるんだとも実感した。感じたことを整理し、周囲にシェアする。そしてまた音連れる。これからも私はいわきと関わり続ける。

今日、私は初めての被災地訪問でした。もうすぐで4年ほど経ちますが忘れかけていた気がします。

今回の活動を通して得たことは多くあるのですが、ここでは自分の中で大きく考えが変わったことを2つピックアップして報告をしたいと思います。
一つ目は、自分の中にあった被災地の抱えている問題のイメージがいかに曖昧であったのかということです。
世界的に有名になってしまった「FUKUSHIMA」の中であったとしても、被災した個人それぞれが抱えている問題は異なるもので、解決策は一つではないという難しさを実感しました。
答えが一つしかなくて、みんながそれに向かっていけるのであれば、多くの人が抱えているモヤモヤとした気持ちは幾分か軽くなるのかもしれません。
しかし現実は、例えばひとつ、食事の例をとったとしても、今食べたいものは個人で異なるように、これから暮らしていきたいと思える町づくりを考えるのは苦難の道になるのは間違いありません。
実際に、毎日もがきながら過ごしている人々のお話は、立場も、見えている世界もそれぞれに違うもので、正直、どうすればいいのか、全く分からなくなりました。
ですが一つ、これからやっていかなければならない事があると思いました。それは、互いの話を聞いて、その人たちの立場を想像し、理解しようとする努力です。
これは、被災地内で行われるのももちろん大事だと思いますが、被災地に訪れてくる人々や、行くことができなくても何かしらのアクションを起こしたいと思っている人、そして、もう震災について忘れかけている人、そういった多くの人達の中での対話が行われ続けなければ、納得のいく次のステージはないのではないかと思います。
理解できない、不快な意見を切り捨てず、自分の中で「保留BOX」を作り、時間をかけて消化していこうとすること、その姿勢が大事だと思っています。
強い信念を持つことの大事さと、他人の信念を受け入れて時には柔軟に信念を変化させていく大事さ、この2つをバランスよく自分の中に同居させていかなくてはいけないのかもしれません。二つ目は、ボランティアに対する印象です。
以前、東日本大震災から半年後に父親につれられてボランティアに参加したとき、感じた気持ちは、達成感、充実感といった、やりきったぞという気持ちでした。ボランティアは、時間やお金に余裕のある人が、誰かのために何かをしたという気持ちを味わいたい、新しい出会いがほしい、といった欲求を満たすために行っているもので、「実際に役にも立ってるし、まあいいんじゃない?」といった程度にしか意識していませんでした。
ですが、今回、このながぐつプロジェクトに参加した後、感じたのは”圧倒的なモヤモヤ感”でした。口語にすると、「うわーどうしよう、他人事じゃなくなってしまった…」という感じです。ボランティアと被災地・者の間には「距離」があるから上手くいく部分があるというのは事実ですが、人と人との出会いがあった時、そこから他人ではない関係がスタートしていきます。
お互いに気遣いがあるからこそ、ボランティアする側、される側のバランスがうまくいっているので、深く、深く関わっていくというのは、今回の活動で何度か話題に上がった、ボランティアの引き際に大きく影響してくる問題なのかもしれないなと思いました。
知ることに伴う責任の重さを、ボランティア側が感じて、それが次の活動へ駆り立てるものとなって、いつしか、それだけの思いではなくなっていく。
名前の付けられない関係性になっている人達も、もしかしたらたくさんいるのかもしれません。
これもまた、答えが一つである問題ではないのかもしれないなと思いました。
今後、私も考え続けることが、ボランティアのこれからを少しでも良いものにしていく小さな前進になることを祈っています。
今回の活動報告は、以上をもって終わらせていただきます。
引率してくださった、宮崎さん、板倉さん、一緒に活動した、さきさん、じゅんじゅん、さき、さおり、本当にありがとうございました。出会いに感謝します。

東日本大震災から早3年半、ようやく、福島県いわき市を中心とした被災地に行くことが出来ました。まず、もっと早くに行けばよかったです。
今回、3年経ってから行ったことに意味を見出せたから良かったものの、もっと前に行けば少しでも友人や知人に伝聞して一人でも多くのボランティアを生み出すことが出来たのではと、思います。
友人からの話やGakuvoのブログに感化されて行くことにしましたが、いくら新聞やテレビでの報道で情報収集をしているといっても、実際見聞きして感じ取ったものに勝るものはないので、時間のある人にはぜひ行ってもらいたいです。
さて今回、4日間(主な活動は3日間)という短い期間の中で、薄磯や豊間地区、いわき市の中心、富岡町を始めとする帰宅困難区域にて視察や活動をさせて頂きました。
まずこれらの地区で現地の方々の話を聞き、震災がきっかけで長年問題になっていた地方の問題(地方地区の少子高齢化、施設の老朽化等)が表面化されたことを強く意識することとなりました。
そのような意識の中で特に印象的だったのが原発地域訪問です。他の地域も当然、地震や津波で犠牲者や家財一式津波に流される等大きな被害を被り、瓦礫撤去がまだ終わっていない所など被害痕が垣間見える地域もありました。
それらの地域も大変なのは話を伺い重々承知していますが、行政や国、地域に関係する人々との多大なる紆余曲折はあるものの実際に復興に向けての準備が始動しています。
しかし、帰宅困難区域は他地域同様、地震、津波による被害があったものの、原発問題が生じたことで立ち入りさえままならない状態が続いています。
その結果、震災の道路整備はされている所はあるものの、軽トラックが入ったままの店内、ディスプレイのガラスが割れ地面に散乱したままの自販機等、まるで数年前、地震の数か月後にタイムスリップしたかのような光景が広がっていました。
また、その富岡駅付近の町の目の前には、綺麗な海との間に、長い防波堤と勘違いするかのような、汚染廃棄物の入った黒い袋の山々が長い列を作り、大型トラックが頻繁に出入りをし、多くの従業員の方々が作業をしている、地域の復興どころではないことを印象づけるかのような光景が目に焼きつきました。
海沿いの地域は“地震”“津波”という要因に、“原発問題”という一つの要因が加わることで復興の進行に大差が生じてしまう、想像しただけでもわかりますが、実際に見聞きしたことによって実感する復興への長い道筋。首都圏では震災に関する報道が日常的に報道されることは少なくなりましたが、福島いわきの方では常習的に報道されるのが日常だそうです。
一個人に出来ることはかなり小さいと実感した4日間でしたが、微塵ながらでもタスキリレーの襷をつないで、震災を風化させないようにしていくことが、一個人としてできる一つの使命なのだと痛感しました。
最後に、今回復興ボランティアに参加するのは初めてでしたが、同じ学生から刺激をえることも非常に多かったので、一回も参加したことない人も、案ずるより産むがやすしのごとく、ぜひ参加してほしいなと思います。ありがとうございました。

今回の活動参加は私にとって、6度目の震災ボランティアであったにも関わらず、新たに得たことが多々あった。
感じたこと全てはここでは書き表せないが、特に強烈に印象的だったことを以下3点挙げておきたいと思う。
まず1点目は、復旧と復興の境界線について熟慮する機会になったということである。
震災から4年近く経過した現在、私たちにできることは何なのかを模索したい、という動機を持って今回の活動に参加したが、結果として、答えはわからないままであった。
どこまで地震・津波の被害が元の状態に戻れば、震災ボランティアは不必要になるのか、そもそも、元の状態に戻ることが可能か否か。
また、福島県特有の問題として、原発事故の被害をどう緩和することができるのか。
これらの疑問は未だ個人的にも、政治的にも解決されないままであるが、もう1度考え直す必要があるのだ、ということをひしひしと感じた。
これは私にとっては、これからの被災地との関わり方を考える上での分岐点になったと思う。
2点目は、「被災地」はひとくくりに考えられるものではないということを、身を持って理解できたことであった。
特にいわきに行ったことで、市街地で地震の被害を受けた人々、沿岸部で津波の被害を受けた人々、そして、原発事故で自宅から離れて暮らすことを余儀なくされた人々、異なる立場からのお話を伺う機会を頂けた。
それぞれの暮らし、政治との関わり方、ボランティアに対する思い、すべては当然のことながら大きく異なっていた。
頭では十人十色であるということを理解したつもりでいながらも、やはりどこか「被災地」をひとくくりにして考えていた節があったのだと思う。
しかしそのような考え方に基づいた支援は、現状にそぐわないものになる可能性が大いにあるし、事実、的確性の欠ける復興計画に対する不満の声もあった。公共的な復興計画においてのみならず、個人ひとりひとりの中でも、「被災地」をひとかたまりのものとして見るのではなく、人の数と同じ「被害」がそこにはあるのだということを意識する必要があるのだということを感じる契機になったと思う。
3点目は、東日本大震災はまだ終わっていない、ということを痛感したことである。
震災から4年近く経過した現在、東京では、ニュースの中でも日常生活の中でも、震災のことを思い出す機会は少ない。
実際友人の中には、ボランティアで東北に行く私に対して「まだ震災ボランティアやっているの」という意見を持つ者も少なくない。
しかし、今回の活動で富岡町を視察した際、私は「自分が恥ずかしい」という気持ちでいっぱいになった。
それは視覚的に衝撃を受けるような風景に、涙が止まらなかったことだけが要因ではない。震災直後には、生々しく感じていた恐怖、悲しみ、怒り、やるせなさなどが、自分の中で風化するままに放置していたことに対する恥と、被害を受けた人々にとっては永遠に終わることのない震災を、時間が過ぎれば終わるものとして捉えていたことに対する恥であった。
本当に残念なことに、私たちは自分が体感できるもの以外は、頭で理解していたとしても心では感じられないものなのだと思う。
だからこそ被災地に行って、自分の眼で見て、体で感じる、という機会を持つ必要があるし、震災を風化させないためには、どのような形であれ何かしらの活動に直接的に参与しなければならない。
私にとっては、今回の活動に参加したことで得られた一番の意義は、この「恥ずかしい」という気持ちを再び実感する機会を持てたことだと思う。この感情こそが、現状を変えるために自分が何かをしなければならないというモチベーションになるからである。
チームながぐつプロジェクト第102陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年02月04日(Wed)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第102陣】
期間:2014年11月21日〜11月24日
場所:福島県いわき市
活動内容:
1日目: 銭湯、夕飯の後、振り返り。
2日目: 薄磯を視察後、薄磯復興委員会と意見交換。
     久ノ浜・浜風商店街、富岡町を視察。
長源寺で座禅と栗山住職より震災時の話を伺う。夜、簡単な振り返り。
3日目: オリーブプロジェクトにて作業補助。
     夕方、昨日の振り返りを行い、鳳翔にて有賀様とお食事。夜、振り返り。
4日目: 「プロジェクト傳」の方の案内で、薄磯と豊間の視察
     「かねまん本舗」の駐車場にて「えびす講」のお手伝い。
     前豊間区長 鈴木様・かねまん本舗社長 遠藤様・「プロジェクト傳」斉藤さま・
「プロジェクト傳」会長 鈴木様・「プロジェクト傳」顧問 山名宮司様より
     お話を伺う。有賀さま本家にて、4日間の振り返り。

11月21日(1日目)
到着後、銭湯に向かい、夕飯の後、3つのグループに分かれ、「ボランティアとは何か」「ボランティアをする事で、得られるものがあるとしたら何か」を話し合い、その上で「この4日間をどんな姿勢で取り組むべきなのか」を発表し、「今回、私たちはボランティア、手助けではなく、学ばせて頂く、聞かせて頂く姿勢で取り組み、メモをとりながら活動に向き合おう」と、明日からの活動に対する気持ちを共有しました。22:45頃終了

11月22日(2日目)
午前中、バスにて薄磯地区へ行き、薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻に案内をして頂き、薄磯地区の復興に協力している、福島高専の4年生 菅野さん(ビジネスコミュニケーション学専攻で、実家が竜田とのこと)にファシリテ−トして頂き、被災地についてどのように考えていたか→見る前・見た後、意識が変わったか・変わらないか〜「どんな薄磯になったら、住みたいか」というテーマで、ディスカッションしました。最後に、竜田出身の菅野さんと室谷ご夫妻の現在の気持ちも伺い、内容の濃い2時間でした。
午後から、久ノ浜の「浜風商店街」で昼食後、震災時のビデオや写真をみせて頂き、商店街の皆さんと交流をしました。その後、竜田駅から富岡町へ、タクシーの運転手さんの案内説明で視察し、富岡駅周辺では、壊滅した街の姿を目の当たりにし、ショックをうけていたようでした。
いわきに戻り18時から、長源寺で座禅を受けました。次のスケジュールの関係上1時間の滞在となりまたが、20分間の座禅、栗山副住職より、震災時の状況や、現在のいわきでの生活の現状などを伺いました。質問したいことがあった学生が数名いたのですが、時間がきてしまい、話の途中で移動となりました。夕飯時(五楽)で食事をとりながら、テーブル毎に、今日一日の事を振り返ってもらい、銭湯に行った後に、(22時半をすぎていた事と、頭の中を整理したいという学生からの希望もあり)明日、振り返りをする事にして、各自で今日の活動について、内容を整理する時間にしました。

11月23日(3日目)
快晴の空の下、朝から「オリーブプロジェクト」の活動でした。舟生さんのご指導を頂き、男子学生は、畑に植えてあるオリーブに堆肥をまく作業、女子学生達は、食材に使用するオリーブの葉を、切断した枝から一枚ずつハサミで摘み取る、葉摘み作業に取り組みました。おしゃべりをしながらの作業を通して、仲間意識が深まったようでした。お昼、オリーブプロジェクトの松崎理事長様が、ご挨拶にきて下さり、短い時間でしたが学生達との交流のひと時となりました。スカイストアさんの美味しいお弁当を食べて元気がでた後も作業に精を出し、舟生さんのビニールハウスに移動してからの1時間半は、鉢植えされているオリーブの「堆肥まき」「葉摘み作業」「葉っぱの汚れをとる作業」の3つのグループに分かれて、16:30まで作業に従事しました。
有賀さま宅に到着してから、昨日の活動の振り返りを行い、「今後、自分たちに何ができるのか」「有賀さんに伺いたいこと」を話し合い、19:30〜中華料理店鳳翔にて、有賀様とお食事をしました。
2時間という時間の中で、お食事をしながらも、学生たちはメモを片手に有賀さんの言葉を書きとめ、積極的に質問をしていました。「何でも聞いてもらって構わない」と言って下さった有賀さんから、震災当時の事、ご本家の家の修復の事、東電からの保障の事・子供を持つ親としての思いと会社経営者としての思い・私達に望んでいること等、様々なことを伺いました。「人を受け入れるのは容易ではないはずなのに、どうして私達を受け入れてくれるのですか?」という問いに「ガクボさんとご縁があって繋がったから、お応えしようと思った。田舎の本家は、親戚や色々な方をお迎えするのが習慣になっていて、皆さんのお世話をすることは苦ではない。皆さんが被災地の方々と交流し、見たまま、感じたままの今の現状を、周りの方に伝えてもらえたらと思っています。今回皆さんと出会えたご縁を、大事にしたいと思っていますから、何かあったら声を掛けて下さい」という言葉に、感銘をうけていたようでした。
お食事の後、尼子湯に行き、帰宅後23時半頃からアンケート記入の時間をとり、0時すぎに終了。

〜ほっとするエピソード〜
有賀さんとの話が弾み、お店を出たのは21:40頃になってしまい、尼子湯さんにお電話し、急いで伺うと営業時間が22時までだったにも関わらず対応をしてくれました。帰り際、リーダーの学生が、「営業時間を過ぎてしまったのに、対応して下さって有難うございました。毎回安く利用させて頂き、有難うございます。今後ともガクボを宜しくお願いします」と言って、隣のコンビニで購入した飲み物とお菓子を渡したと、他の学生から、こっそりと報告を受け、胸が熱くなりました。

11月24日(4日目)
 朝からマイクロバス1台で、「えびす講」のお祭り会場、平下高久字下原にあるかねまん本舗へ。
到着後、「プロジェクト傳」のメンバー、遠藤様・斉藤様に乗り込んで頂き案内の中、約1時間、薄磯・豊間を視察しました。震災で被害を受けた「諏訪神社」では、崩壊した鳥居のモニュメントをはじめ、津波がきた際に、豊間保育園の園児ほか、多くの人が駆け上がり命を救われた、豊間にある八幡神社にも足を運び、案内役の遠藤様から、当時の様子を伺いました。また、プジェクト傳が発行した、震災前の街並みを絵で記した地図「あんばさまの町図絵」も見せて頂きました。
 10時から、かねまん本舗の駐車場で行われた「えびすこう」と呼ばれるお祭り(約50年前まで、年に2回どこの家でも行っていた、神である恵比寿様・大黒様に感謝する行事)に参加し、会場内で振る舞われていた、ぽーぽー焼き(さんまのハンバーグ)を焼いて配ったり、練り飴の呼び込みをしたり、元気よく笑顔で活動しました。
お手伝いの途中で、かねまん本舗の遠藤社長様のご提案で、たまたま会場にきていた、前 豊間区長 鈴木 徳夫さま(震災前〜H26.年3月まで)よりお話を伺う機会を設けて頂き、約30分にわたって、震災当時の様子を振り返って頂き、震災当時の区長として苦労なさったことや、ボランティアに求めていることなどを伺いました。学生からも積極的に質問をしていました。
 12:30〜かねまん本舗遠藤社長様から、震災から再建までの事を伺い、最後に学生へ「とにかく人を大切にしなさい」と熱い言葉をかけて下さいました。その後、再度、プロジェクト傳の斉藤さんから、プジェクト傳が発行した、震災前の街並みを手書きの地図「あんばさまの町図絵」の説明、また、プロジェクト傳の鈴木利明会長様と、プロジェクト傳の顧問であり、大国魂神社の山名宮司様にもご挨拶頂きました。帰りに、プロジェクト傳発行の「あんばさまの町図絵」を、(学生+私に)一人一冊ずつ、プレゼントしてくださいました。(持参したお菓子は、学生から、かねまん本舗の遠藤社長様、プロジェクト傳の山名様に渡しました)
15時ごろ、ご本家に戻り、4日間を振り返り、一番印象的だったことや、胸に響いた言葉など、今の思いなど、それぞれ自由に発表してもらい、今回の活動の想いを共有しました。夕方、有賀様があいさつと共に、巨大なシュークリームを届けてくださいました。

4日間、こまめにメモをとり、お話をして下さる方に積極的に質問をし、被災地の事を一つでも多く知りたい、被災地の方々の声を拾いたいと、率先して動く学生さんたちの姿が見られました。(この4日間で、聞いたこと・見たこと・ふり返りの内容をノート1冊、びっしり書き留めていた学生もいたほどです)
最終日、21時半ごろ東京駅に着き、参加証明書を渡して解散しようとした時に、学生から引率の私へと、お礼の色紙を頂きました。3日目の夜、深夜までかかって書いてくれたと聞き、涙が出そうになりました。

102

102

102

102

参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。

■活動初日の気持ち
ボランティア活動で、福島の事をもっと知る事ができれば良いと考えていた。、またGakuvoに募集する際、本当に3年半以上経過した福島においてボランティアを必要としているのか、少し疑問もあった。その疑いの真相を確かめることができたら良いと思い、このボランティア活動に取り組もうと考えた。

活動前は、ただ漠然と被災地の方のため、に何か自分ができることをしたいと思っていました。震災から4年が経とうとしている今の福島を自分の目で見たいという思いもありました。また、原発事故の印象が強かったので、福島に住む人々の気持ちを知りたいと思っていました。

大槌町にボランティアで継続して訪れていたので、「被災地」と呼ばれる土地に興味があった。知りたかった。特に福島は「津波」だけでなく「原発」の被害も受けているので現状を知りたかった。

福島に来るのは初めてだったfが、どうしても「原発」のイメーイが強かったです。前回、石巻に活動に行った際、自分が残したメモに「石巻と福島など他の地域の被災者をひとまとめにしてはいけない」と残してあったのだが、その時どうして、そう感じたのかまで書き残していなかったので、その点についても、少し考えながら活動したいと思っていました。また、震災から3年が経った今求められていることも知りたいと思っていました。

最初は海外のボランティア参加したいと思い、ボランティアのサイトを来て、カンボジアに行きたいと思っていました。ですが、まだ体験したことのない国内でできるボランティアをしてみようと思い、このプロジェクトに参加しました。また、内定も決まり、社会人になるにあたって東日本大震災で被害に遭った人や地域に行き自分の目で見て感じたことを多くの人たちに伝えたいと思っていました。

東北に行ったことがなく、ぜひ一度は行って被災地の「今」を見てみようと思いました。震災から3〜4年が経過しているので復興が進んでいるのではないか、もしかしたら私たちができることは少ないのではないかと軽い気持ちでした。とりあえず、3.11と騒がれて深い傷跡を残した現場に行って「生」の声を聞いて見たいと考えました。

どんなボランティアなのか、どんな人たちが来ているのか分からなくて不安でした。震災に関しても考えているようで、考えておらず、ただ与えられた情報を受け取る事しかしていませんでした。
ボランティアがどのような意思で行うものなのかについても、考えた事がありませんでした。

震災地に実際にでむくことで、現在の被災地の状況や震災当時のことに関して、現地の方々の生の声を聴くと同時に、自らの目で見て、体感することで、様々なことを学びたいと考えていた。又ボランティア活動をするにあたって常に公平な姿勢を保ち、活動受け入れ先の人々のことを想いやる気持ちや態度を忘れることなく、自分でできることに尽力をつくしたいと思っていた。

福島という現場が見たい。

以前からボランティア活動に興味、関心がありましたが、参加するのは初めてで、参加すること自体に不安を感じていました。
また、東日本大震災に関する知識も一般常識もしくはそれ以下のものしかなく、そのほとんどがメディアからによる限定的な情報ばかりで、今、被災地で何が起こっていて、何が求められていて、今自分に何ができるのか、といったことが一切分からない状況でした。

■活動後の気持ち

ボランティア活動を行う事で、福島sの本当の姿を見ることができた。
しかし、あまりにも多方面から震災を見たために、自分の中で、今回のボランティア活動に対し、また福島県の被災地に対する考えが整理できていない。さらにボランティア活動の必要性についても、この4日間を通してだけでは、本当に必要かどうかもわからず、活動前よりも混乱した気持ちである。

実際に福島の人々と話をすることができて、本当に良かったです。メディアを通してしか見ていなかった福島を自分の目で見ることが、どれほど大切なことなのか実感しました。原発事故だけでなく、津波の被害も大きく、津波で倒壊した家屋を見るだけで、心が痛みました。そして多くの人に被災地の今を見てほしいと思いました。

「福島」のイメージが変わりました。原発に対する考えも放射能に対する考えも変わった。濃厚な時間で様々な人と話すことができて良かったです。

まず、自分が考えていた問いについて出した答えは2つ
石巻は津波で失ったものがあまりにも多すぎること。対して福島は津波の被害を受けた地域より、格段に復興に時間がかかること。
それぞれの被害状況を知った上で、ことらも繋がりを持つ必要があると思いました。

この4日間を通して事前に思っていた“多くの人たちに今の現状を伝えたい”という思いが、より強くなりました。1番衝撃をうけたのは冨岡町の風景でした。震災をうけたままの状態の町で、ものがいたる所におちていた風景を目の当たりにしました。この今の状態を伝えるためには、SNSなどを使って写真を投稿してじぶんがみたこと、かんじたことを載せて広めていく必要があるとあらためて感じました。

実際に被災地に行って、被災地の現状をこの目で見てまず感じたのは、思ったより復興が進んでないということです。そして現地の人との出会い、その体験談を聞いて、様々な想いがあるのだと知りました。3.4年が経った今、風化しつつある東日本大震災の記憶を学びなおし、議論することは、とても刺激になり、考えさせられることが多かったです。

今の活動を通して、本当に多くのことを考える機会を与えていただいたと思います。自分の意見を出し、人と相談して議論するということは、私の生活ではあまりないことなので、とても貴重な経験でした。自分が何かを考えることで、一歩前に進めそうな気持ちになれたので、これからは自ら情報を受け取りにいって、自ら考える事を大切にしていきたいです。
生の姿を見るのが大切というのを痛感しました。
直接見た、聞いた、今回訪れた場所の事は、これからも忘れないです。
本当に貴重な体験をさせていただいたことに感謝しています。

自分が想像していた以上の事を会得することができたと思う。現地の方々のお話をきいたり、ボランティア活動をすることを通して今まで気づかなかったことや無知だったことを知り、深く考えることができた。又、活動者同士でのディスカッションを通して、活動中に得た考えや思いをお互いに共有することがで、さらに自分の考えを整理し、再思考することで、内在化することができ、本当の意見での“学び”が実現できたと考えている。

軽い気持ちではあったけれど、学ぶことが多かったので、より日本という未来を深く考えていきたいと真剣に考える気持ちになった。

実際に現地に行って、自分の目で見て、色々な方からお話を伺うことで、多くのことを実感し、自分の中の価値が考えが変わりました。メディアで報道されていることは、本当に表面的なことで限定されたものであり、「現地に行く」という大切さを感じました。東日本大震災の深刻な被害、悲惨さを知ると共に、そういった震災から立ち直って、前向きに生きる現地の人々の姿を見ることができました。

■今後のボランティアに必要なことは

今回のボランティア活動に参加して、今必要なボランティアとは、継続的、長期的なものであると考えた。なぜなら、この4日間だけでは、自分自身の疑問を全て解決することができなかったし、被災地の方々のことも、ほんの少しの部分しか知る事が出来なかったからだ。

被災地の復興は進んでおり、ボランtェイアとして私たちができることは、活動を通して得た事を行ったことがない人に伝える事だと思います。伝える事は簡単ではないですが、伝える場を作ることもボランティアになると思いました。

立場状況が偏らないように「多くの人の声」を聞く事。それを発信する事。4年目をむかえる今だからこそ「実際に見た事実」を語ることの重要性がが高まってる。被災した県、地域に住むとっても、外部からの継続的なボランティアとの関わりは重要。

災害ボランティアとしてやれることは、少しずつ減っていると感じました。受け入れて下さる側の考え方にもよりますが、人が減った地域で、それでも頑張っている人と一緒に活動するというボランティアは良いのではないかと思いました。ex)オリーブプロジェクト

2日間のワークショップでも行ったことで“どんな町なら住みたいか”が今後のボランティア活動において重要になってくると思います。
例えば若いボランティアスタッフの力で、町の特産物もpRする活動(お祭り・マスコット作り等)を考えていきたい。
この4日間を通して目標であった“被災者の立場になって考える”ということが、実際の現場を見て感じたおかげで、風化を防ぎ、より多くの人にしてもらいたいと思いました。
これから社会人になっても、この4日間で学んだ経験を忘れずに積極的にボランティア活動に参加していきたいです。

実際に被災した方々の交流はとても大事だと思うので今後とも増やしていってほしいです。

こんな貴重な経験をできるボランティアがあることを、より多くの人が知っていくべきだと思います。そのために、この経験を周りの人に伝えていくことが大切だと思います。

ボランティアで得たことをそのまま自己完結という形で終わらせるのではなく、自発的に発信していくということが必要だと思う。事実の風化を防ぐためにも、これは最善の方法であって、私たち参加者に与えられる、次の手段での使命だと思う。

伝えること。

ボランティア活動は積極的かつ継続的に行っていくのが大切だと思う。しかし、現地の作業に素人レベルでできる事は限られており、これからは相談相手になるといった心のケアや震災によってバラバラになり活気を失った町を復興すべく、大学生の企画力を活かして地域コミュニティーが一つになれるようなイベントを考案実行するのも一つの手ではないかと思う。
また、東電や除染作業をしていらっしゃる方、仮設住宅に住まわれている方にも、お話を伺う機会があったらいいなと思いました。

■感想

この4日間、非常に貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。この4日間の経験は私の人生の中で大きな財産となりました。ボランティアを通して学んだ事を周りの人に伝えていきたいと思います。

とても充実した学びのあるスタディーツアーでした。企画してくださるGakuvoのみなさんの想いが伝わりました。欲を言えば、基本的な情報(訪れる場所・人)があれば、なお良かったと思いました。

今回行程があわただしく、全てのプログラムに全力で取り組めたかというと自信がないのが残念です。

初めてGakuvoさんを利用させていただきました。この復興支援も初の参加だったため、不安(学生同士上手くやっていけるのか)がありましたが、1日1日のプログラムを通して、より絆が深められました。違うだいがくの友達ができて、本当にこのプロジェクトに参加できて良かったです。102陣最高

信じられないような値段で、3泊4日の東北のボランティアに行かせてもらって、たくさんの人々と交流させてもらえた事は、とても良い経験になりました。また、たくさんディスカッションの場があり、他の人の意見交換をするのは刺激でした。

タイトなスケジュールを総括してくださった宮崎さん、スケジュールを考えてくださった方々、ボランティアを受けてくださった方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。

このような貴重な体験をさせていただける重要な機会を与えて下さいまして、本当にありがとうございました。この活動に参加することができて大変光栄でした。
再度機会がありましたら是非参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。

共有する時間が本当に大切だと思います。

今回はこのような素晴らしいボランティア活動を企画していただきありがとうございました。
過密スケジュールの中でも、学生の意思を尊重して、現場の調整をしてくださった宮崎さんには、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。ただ話、作業、食事など、中途半端になってします場面があり、それぞれ対応してくださった相手側にも失礼があったのではないかと思い、今後は対処していくことが必要であると思います。

■報告書からの抜粋

今回のボランティアに参加して多くの気づきがありました。
1点目は福島の被災の復興についてです。私はテレビなどの放映機関が流す情報をそのまま真実であると受け止めていました。
しかしながら、現地へ実際に行き、自分の目で見た被災地はテレビで放送されたものと全く違いました。
確かに復興が進んでいますが、まだまだ被災の酷かった地域に於ける復興は進んでおらず、特に放射能で汚染された地域がまず除染が優先して実施されるため、建物や町の整備が二の次にされていました。
そのような事実を知る事ができて、自分が情報に降り回されていた未熟や福島に対する無関心に改めて気づくことができました。
今後はより長期的、継続的な活動を行っていかなければボランティアとしての役割ははたせないと気づくことができました。
今後もこの仲間と交流を継続し、また新たな仲間に出会う機会に飛び込んでいきたいと考えます。

実際に福島の人々と話すことができて、本当に良かったです。
メディアを通してしか見ていなかった福島を自分の目で見ることが、どれほど大切なことなのかを実感しました。原発事故だけでなく、津波被害も大きく、津波で倒壊した家屋を見るだけで心が痛みました。そして多くの人に被災地の今をみてほしいと思いました。

薄磯地区を視察した際は、津波で流されなかった家がポツンと建っているのを見て津波の恐ろしさを肌で感じました。
浜風商店街では、福島の人々の絆を感じました。冨岡町では被爆、津波の被害が未だに生々しく残っており、どれも全て衝撃的で、時間が震災の時から止まっているようでした。
メディアでは報道されなくなったこのような現実を伝えていかなくてはいけないのだと改めて感じました。
除染、復興全てが終わるのは50年も先になるだろうという話しを聞いて、このまま風化させてはいけないのだと強く思いました。
たとえ小さなことでも行動することで相手に喜んでもらえるという経験をすることができ本当に嬉しかったです。

「福島」のイメージが変わりました。
原発に対する考え方も放射能に対する考え方も変わりました。
濃厚な時間で、様々な人と話すことが出来て良かったです。
 今回「福島=原発」というイメージから「福島=地震、津波、原発」という理解に変化したことが一番の学びであったと思います。
それは、多くの地域を訪れ、そこに住む様々な立場の人々の生の声を聞けたからだと思います。
「原発事故の影響で人々が分断されてしまったこと」、故郷に残ると決めた人と別の地域で暮らす人では放射能に関する考え方も原発に関する考え方も異なります。
フクシマとひとくくりできません。被害状況も町の復興状況も補償の額も全然違います。

「風評被害」というワードをいわき市内ではよく聞きました。
被災前の豊かな町をもっと知るべきです。穏やかで漁業の盛んな町でした。
プロジェクトの冊子も印象的でした。
昔の暮らし、町を記録し伝える。知る。重要です。また、今回出会えた人と再会したいです。

石巻は津波で失ったものがあまりにも多すぎること。
対して福島は津波の被害を受けた地域により格段に復興に時間がかかること。
それぞれの被害状況を知った上で、こちらも繋がりを持つ必要があると思いました。
 
福島県というと「原発」というワードばかりが出てきて、どうしても具体的な状況が分からないまま、活動に参加していました。
到着して感じたのは、石巻と同様「駅前は普通じゃん」ということです。
しかし未だ家や車といったがれきが残っている冨岡町を見た時はやはり驚きましたし、これは原発のせいで遅れてしまったんだろうなと思うと福島の受けた被害を改めて認識できました。
また、薄磯や久ノ浜といった地域では、次のスッテプ“まちづくり”の段階に移りつつあるのではないかと感じました。
大学でまちづくりを勉強している私にはワークショップは大切、有意義なものとなりました。
また、今回の活動で得た大きな収穫の一つに仲間との出会いがあります。
こんなに多くの同じ問題意識を持つ仲間に出会えたことは大切な大きな喜びです。
一人では気付けなかったような指摘、自分にはない積極性、私の知らない活動を頑張っている話を聞けたこと等々挙げたらキリがないのですが、この仲間達と意見を共有しあい真剣に取り組めたことがとても良かったと感じています。
  
今回、本当に多くの方にお会いして自分自身、消化しきれていないことがたくさんあります。
ただ言えるのは「どれが正解」というのは無いこと。時に気持ちに寄りそうことは必要でしょうが、外から来るボランティアだからこそ冷静ななものの見方をしなくてはと感じました。
仲間内で出た課題として「発信」があります。
今回考えたこと、みたこと、感じたことをどう発信するか考え続けたいと思います。

多くの人たちに今の現状を伝えたい”という思いが、より強くなりました。1番衝撃を受けたのは冨岡町の風景でした。
震災を受けたままの状態の町で、物がいたる所で落ちていた風景を目の当たりにしました。
この今の状態を伝えるためにはSNSなどを使って写真を投稿して自分が見たこと感じたことを載せて広めていく必要があると改めて感じました。
 
このボランティアに参加するにあたって、まず最初から思っていたことは「被災された人の立場になって考える」ということでした。
 
4日間の活動の中で一番印象に残っていることは3つあります。
1つ目は毎朝の朝食の有り難さです。
ご飯と宿をお貸ししてくださった有賀さんのお話を聞く事ができました。
「何故このプロジェクトに協力しているか」という質問に「縁があったから」と答えてくださりました。
確かに、この4日間でプロジェクト以外に関わったいわきの人々は温かく人情があふれる町であると思いました。
日々の当たり前の事でも感謝をし、人と人とのコミュニケーションを大切にしていきたいと感じました。
 
2つ目は冨岡町の現状です。
ここで見たことをSNSなどを使って多くの人に知ってもらい、1日でも早く住民の人たちが戻って暮らしていけるような環境をつくりたいです。
 
3つ目はオリーブ畑のボランティアです。11名のスタッフがいても大変だった作業を1人でこなしている舟生さんの姿を見て、私にできる事なら少しでもいいからお手伝いしたいという気持ちが大きくなりました。
実際の現場を見て感じたおかげで、風化を防ぎ、より多くの人に知ってもらいたいと思いました。
 
実際に被災地に行って被災地の現状をこの目で見てまず感じたのは、思ったより復興が進んでいないということです。
そして現地の人と出会い、その体験談を聞いて、様々な想いがあるのだと知りました。
3年半が経った今、風化しつつある東日本大震災の記憶を学び直し、議論することは、とても刺激になり考えさせられることが多かったです。
 
東日本大震災の起こった日、私は高校2年生で、学校で授業を受けていました。
あの日、私はただ長い地震に戸惑い、先生の指示通りに机の下に潜って避難しました。
思えばあの時、東北のある地域では津波が発生し、信じられないような景色の中、たくさんの人々の命が失われたのです。
それから3年の年月を超えて私はやっと被災地に赴くことができました。一番衝撃だったことは、冨岡町で、ほとんど津波に襲われたままの状態の町を見た事です。
津波に襲われて全壊している家屋を呆然と見ていると現地の人が瓦礫化した家を指さし「こんなになっても人間は生きているのだから、あなたたちもこれから色んなことがあるだろうけど負けちゃだめよ」と力強く言ってくれました。
私はそれを聞いて、人間とは簡単に死んでしまうものだけれども、逆境でも、それを乗り越える強さを持っているのだと強く感じました。
復興には、まだまだ時間がかかること。50年は続くという原発の問題。支援金についての区分、被災者同士の軋轢などなど。津波以外にも様々な問題があることを身を持って知る事ができました。
期待以上のことを学ぶことができたと感じています。 
この4日間、いろいろな大学、いろいろな境遇で育った10人でたくさん議論し考えた時間はとても有意義で刺激的なものでした。
今回の活動を通して、本当に多くのことを考える機会を与えていただいたと思います。
自分の意見をだし、人と相談して議論するというのは、私の生活ではあまりないことなので、とても貴重な経験でした。
自分が何かを考えることで、一歩前に進めそうな気持になれたので、これからは自ら情報を受け取りに行って、自ら考えることを大切にしていきたいです。生の姿を見るのが大切ということを痛感しました。
直接見た、聞いた今回訪れた場所のことは、これからも忘れないです。本当に貴重な体験をさせていただいたことに感謝しています。
  
あっという間の4日間が終わりました。
とても有意義な時間でした。参加する前はどんなことが起きる4日間なのか本当に緊張していました。
依然気仙沼を訪ねたときは、半日しかいれず、被災者の方のお話も少ししか聞けませんでした。
ただ目の前に広がる景色に唖然としました。
今回のボランティアでは、たくさんの考える機会を与えてくださいました。
震災のその後、それぞれの思い、これからのこと等本当に様々なことを考えることができました。またその意見を周りと交換し、ディスカッションすることによって、本当に多くのことを知ることができました。
  
まず訪ねた先の方たちは震災に対して、思っていたよりもずっと前向きでした。
時間がそうさせた、それまでに計り知れない苦悩があったとは思いますが、当時のこと、それぞれの思いをここまで聞くことが出来るとは思っていなかったです。
そして、ボランティアに対して求めること、それは風化させたくないから、人に伝えてほしいから、何か一つでも考えてほしいということでした。
  
実際に被災地を見て、現実の世界には思えない部分が多くありました。
今歩いている場所で、見ている場所で、いったい何が起き、誰が何をしていたんだろう。そんなことを考えていると、恐ろしい気持ちにもなりました。
特に富岡町に関しては、人間味がなく、工事をしている人しかいないことに驚きました。
ここに昔は町の人の笑顔があったんだろうなと思うと、人気のない姿にやるせない気持ちになりました。人がいるというのは、本当に暖かいことだと思いました。
  
福島は地震による津波だけでなく、原発の問題があります。
これは復興と一言で言っても他の県に比べると、本当に大きな課題となってきました。
町の人たちのお話からは、義捐金と行政とのジレンマに関するお話がとても多く聞くことが出来た気がします。正直、そういうことが問題になっているとはあまり思っていない部分がありました。この4日間で学べたことは計り知れないほど多かったです。今できること、それを考え行動していくことが大切だと痛感しました。

自分が想像した以上の事を会得することができたと思う。
現地の方々のお話をきいたり、ボランティア活動をすることを通して、今まで気がつかなかったや無知だったことを知り、深く考えることができた。
また、活動者同士でのディスカッションを通して、活動中に得た考えや思いをお互いに共有することで、さらに自分の考えを整理し、再思考することで、内存化することができ、本当の意味での“学び”が実現できたと考えている。
 
今回の活動を通して、現場の状況やそこに付随する問題を理解するためには、自らその地に赴き、実際に見て聞いて体感するという一連のプロセスが重要であるということを改めて感じ。その過程の中で今まで知り得なかったことや、気づかなかったこと、または自分が思い込んでいたことと現実の間にある差異など、様々な新しいことを吸収できたと思う学び得たことはたくさんある、ここに全てのことを綴ることは不可能なのでその中でも最も印象に残った以下について、中心的に述べたいのは、@震災によってもたらされたプラスの作用A防災に対する意識B活動者と活動受け入れ先C私達にこれからできることの4点だ
まず一つ目の震災によってもたらされたプラスの作用とは、実際に被災地を訪れ、たくさんの方々の生の声をお聞きすることを通して、私が最初に得ることができた震災に対しての新しい考えだ。震災とは一般的に負の出来事としてそのマイナス面ばかりが強調される。
しかし、今回の震災によって生活が強制的に瓦解された人々が寄り集まり、協力し、支え合いながら復興という一つの共通ゴールに向かって前進して行っているその力強い姿や街全体の様子をみて、震災という非日常的な出来事が起きたことで逆に地域全体や外部(ボランティアや支援者など)とのネットワークや、人々のつながりが強化されると同時に、新たな絆が生まれるというプラスの作用ももたらしたのではないかと思える点が多々あった。復興が実現した際には「あの震災があったから私たちはここまでこれた、又は、今の自分たちがいる」と多くの方々が思える(自分達を誇りに思う、自信をもつ)ような成果が生まれるといいと心から思う。 
二つ目はに日本人の防災に対する意識の低さだ。日本人の”災害慣れ”や""天災の非日常化""に伴う防災意識の低下といった問題が明確に見えて来ました。この新しい発見は、被災者の方々に直接意見を聞かなければ得られなかったことなので、この点でも現地に赴くことの大切さを改めて感じました。 
その他に活動中感じたことは、ボランティア活動者とボランティア受け入れ先の相関関係の重要性です。意義のあるボランティアを成立するために必要なことは、活動者がボランティアを""してあげる""という上から目線の態度をもって行動するのではなく、活動受け入れてくださる人々と同じ目線に立ち活動する、つまり、公平性を常に維持することが一つの重要な点として挙げられる。
しかし、私達のボランティア活動=学びの場や機会を構築するためには、活動の場が必要不可欠です。その点を補ってくださっているのが今回訪れたいわき市のみなさんだ。有賀さんをはじめ、その他多数の方々にお世話になりました。
みなさんは私達に被災地に赴き、実際の体験を通して様々なことを学ぶ機会と場所の提供をしてくださった。
その意味では皆さんもボランティアをする側なのだと感じた。そして、Gakuvoの活動は、活動者(私達)と受け入れ側(いわきの皆さん)の間の相互協力のもと形成されるWin-Winな関係があってからこそ成り立っているものなんだということを改めて強く感じることができた。
 
最後にこの4日間の学びや体験を経て、今後私達にできることは一体何なのか。自問自答の結果、今回得たものをできるだけ多くの人々に発信するとで、事実の風化を防ぐということであると思った。
そして、重要なのは、伝える側にインパクトを与えることだ。
言葉数は少なくても、聞き手の心に響き、残るような印象的な表現の仕方により、その人の中にどれだけのものが残るかは決まってくるからだ。できる限り自分の言葉で直接的に相手に語りかける、そういった対話を通して情報を発信して行きたいと思う。
また、その際には、相手の中にその情報がとどまり続けるようインパクトのある表現の仕方を駆使することを心がけたいと思う。これが、貴重な体験をさせていただいた私達が被災地の皆さんのために出来ることのひとつであり、重要な使命であると思う。

フクシマに対するイメージが大きく変化しました。
福島といえば、「原発で危ない」という固定観念があった私にとって、このような状況下でも前向きに暮らし、復興を願う人々がいることに驚きさえ覚えました。
原発から直線距離で15キロ地点にある久ノ浜駅周辺では、子どもたちが普通にDSで遊んでいて、小学校も立派なもので衝撃でした。
一方で再興を願って作られた「浜風商店街」の人々に遭うと、様々なことが絡み合う地域の複雑さも感じ取ることが出来ました。
さらに一番近い場所では、原発(F1)から直線で12.13キロの富岡町にも向かい、震災後も被災されたままの残骸を見て3年半がたっても手つかず何も対処できないままの現状に考えさせられるものがありました。
日本の技術の限界を感じ、どこが「コントロール」できるのか、安倍さんに説明していただきたいと思うほどです。
現地の人は、アベノミクスを嘲笑し、「まずは原発だろ」という人もいれば、「俺はある意味、原発の恩恵を受けている。複雑だ」という人もいて、その考えも分かれています。

何が一番変わったかと思えば、「食べて応援」が偽善ではないと感じるようになったことです。
しかしながら、放射能は目に見えない以上、個々人の判断が大切だと思いました。
それは多くの人に聞くに当たり、意見や考え方は様々で「政府を信じている」という人もいれば、「政府なんて信用できない」という人もいて、判断基準は最終的に自分自身の価値観によるものであるからです。
しかし、ただ一つ言えるフクシマの人々の共通点は、「フクシマに住んでいる」という事実です。そこにいる以上、辛くても怖くても、残る以上は覚悟があったはずです。それを正当化するために(たぶん不安ばかりあればストレスにつながる)、「安全」と言っている面もあると思います。それは、フクシマから逃げた人の話を聞く中で、みんな「フクシマは危ない」と正当化したのと同じです。結局、何が危険なのか安全なのかは、自分の目で確かめて考え、メディアを通さず、熟考し、それをみんなで共有することが最大のボランティア(忘れないこと)だと考えました。

実際に現地に行って、自分の目で見て、色んな方からお話を伺うことで、多くのことを実感し、自分の中の価値観、考え方が変わりました。
メディアで報道されていることは、本当に表面的で限定されたものであり「現地に行く」という大切さを感じました。
東日本大震災の深刻な被害悲惨さを知ると共に、そういった震災から立ち直って前向きに生きる現地の人々の姿を見ることができました。
 
復興には地域差があり、復興が進んでいる町がある一方、3年半経った今も現状が変わらない町もたくさんありました。
しかし、被災者の方が思っていたよりも明るく、前向きだったことは印象的でした。
その背景には、メディアによる情報の減少によって、東日本大震災の記憶、教訓が風化されたくないという思いがあるとわかりました。
また補助金の差で住民内に軋轢があること、「福島出身」というレッテルで内定取り消しや結婚破棄といった人権侵害まがいのことが日本でも起こっていること、行政や国、市民側の意見、主張がかみ合わないこと、メディアの偏った見方、制限された情報内で現実問題としてさまざまな問題が起こっていることを初めて知りました。
  
また「ボランティアとは何か」「どんな町なら住みたいか」「私たちに今後何が出来るか」などワークショップや反省会など、多くの場所で考えさせられる機会があったことは、より深い理解に繋がりました。
またこういった機会を通して同じ思いでボランティアに参加した学生の意見や考え方を聞く事ができたことも貴重であり、とても刺激になりました。
ボランティア活動で大切なことは「伝える」ことであり、現地の方々もそれを期待しているとおっしゃっていました。
つまり、私たちはこれからが本番なのだと思われます。自分が見聞きしてきたことを伝える事で、災害列島に住む日本人として認識しなくてはならない現状や課題に気づいていけたらいいなと思います。
チームながぐつプロジェクト第100陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年01月29日(Thu)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第100陣】
期間:2014年10月24日〜10月27日
場所:福島県いわき市

1日目:長源寺で坐禅と栗山副住職の震災時の話しを伺う。
五楽で有賀様と食事。
夜・振り返り。
2日目:薄磯の被災状況を視察し、復興協議委員会と意見交換。
中之作で古民家修復プロジェクトの作業補助と講義。
夜・振り返り。
3日目:オリーププロジェクトにて作業補助。
夜・振り返り
4日目:富岡町と久ノ浜・浜風商店街を視察。

【活動1日目】
 到着して直ぐに長善寺に向かい5時半から7時まで坐禅および栗山副住職の震災や復興に関する話しを伺いました。被災者の現状、避難者と地元生活者の確執などの話しを聞き、「自分ができることは何か考え、また福島に来て欲しい」などのアドバイスを受けました。 今回は参加者が2人と少なかったのですが、初めての坐禅体験は良い体験になったようでした。
 夕食は有賀様に五楽に招待頂き4人で頂きました。

【活動2日目】
 午前中は、バスで薄磯地区へ行き、薄磯復興協議委員会の鈴木さんに薄磯を案内頂きました。すでに高台移転のための工事が進み、山の木々が切り倒され、頂上付近の整備が進んでいました。その後、薄磯地区の復興に協力している東北大学の山田さんにファシリテート頂き「どんな場所なら薄磯に住みたくなりますか?」という議題でディスカッションをしました。防潮堤を作りが進み、高台移転の準備が進む中、薄磯地区をどのように復興し住み良い街にしていくのか、学生たちに考えてもらいました。
 午後は、今回で2回目となった「中之作の古民家プロジェクト」を訪問しました。代表の豊田氏は一級建築士で「街の医者になりたい」という魅力的な夢を持った人でした。古民家プロジェクトは中之作にある大切な古民家を修復し、活用し、みんなで生活を楽しくするプロジェクトです。今回は、新しく作った釜を使用するための薪作りに取組みました。古材の釘抜きをしたり、ノコギリで切断したり、大工作業に取組みました。その後、釜で炊いたご飯でおにぎりを作っていただき、みんなで食べました。そして豊田さんから現在の取組みについて説明頂き、学生から感想を言ってもらいました。
 夜の振り返りでは、これまでの学びを共有しました。

【活動3日目】
 朝から農作業のお手伝いをすべく「オリーププロジェクト」へ向かいました。舟生さんより指導頂き、オリーブの葉っぱを使った食材作りのため葉っぱ取りをしました。切断された枝から葉っぱを一枚ずつ摘み取る作業は、なかなか根気のいる作業でした。でも4人でやると楽しくなって、おしゃべりしながら、沢山の葉っぱを摘み取ることに挑戦しました。お昼はスカイストアのお弁当を頂き、その後も葉っぱ取りを行いました。一日中葉っぱを取っても麻袋半分くらいしか取れず、なかなか大変な作業となりました。
 夜の振り返りでは、今後自分たちでできることについて考えてもらいました。

【活動4日目】
 午前中に富岡町と浜風商店街を視察しました。富岡町の惨状は、今回も学生に大きなショックを与えたようですが、最終日だったため、振り返りで彼女たちの気持ちを聞くことはできませんでした。富岡駅と町役場を視察しました。
 その後、久ノ浜駅近くの浜風商店街にお邪魔し、昼食を食べ、商店街のおばさまたちとお話しました。被災時の様子を撮影した写真とビデオを拝見することができました。

【所感】
 今回は2人しか参加者がいなかったので、比較的時間の余裕ができ、活動もすべて夜の11時前に終了することができました。前回の12名と比べると、かなり余裕がありました。ただ人数は少なくても、学生は真剣に作業に取組み、また受け入れ先も快く迎えてくれました。少し夜は寒くなりましたが、今回は例年より気温が高く、作業中は汗もかいていました。ただこれからは寒さ対策が必要になると思います。

100

100陣

100陣

参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。

■活動初日の気持ち

・原発事故があった県、福島県。特別な県だという認識があった。福島県には、人が少なく、人は苦しい思いをしている人がほとんどだと思っていた。

・被災地である岩手県出身であるにも関わらず、今まで何もしてこれなかったことに対する負い目を感じていた。しかし、いつか、いつかと思っているうちに3年半もの時間が経ってしまった。

■活動後の気持ち

・普通という表現が適切ではないかもしれませんが、私の住んでいる県と似たような、学生がいて、農業で働いている人がいて・・・というように普通の県だった(良い意味です)

・誰かのために目に見える復興のお手伝いはできなかったものの、今3年半の時が経った今だからできること、やるべきことは、やはり学ぶことであり、伝えることでもあると感じた。しかし震災後すぐにでなければできないことも、ものすごくたくさんあったのだと思う。次もしそういうじょうきょうになったときは、いつかと思わず、その時にやるべきことを、良く考えて行動に移そうと思った。

■今後のボランティアに必要なことは

・学生は特別なスキル等を持っていないので、現場で何かをするというのは難しいと思った。だから話をしたり、聞いたり、被災地で見たことを、もっと他の人に伝えるという動作が必要だと思った。

・「今行って何のボランティアをやるの?」と頻繁に聞かれたし、人が想像するようなボランティアはしていないと自分でも思う。しかしこういう学びの場は必ず必要なものだと思うし、物理的なボランティアよりも解決に時間がかかるし難しいのだからボランティアという枠組みではなく、新しカテゴリの活動としてつくられた方がいいのかもしれない。

■感想

・充実した4日間でした。Gakuvoさんのプロジェクトに参加すると、いつも発見があり、考える事を学ばせていただくので感謝しています。

・Twitter、ネット検索では復興ツーリズムのようなものしか見つけることができなかったので、人に教えてもらわなければ存在自体知らなかったかもしれない。もっと色んな人にGakuvoさんを知ってほしいです。

■報告書からの抜粋

・私は東日本大震災当時の様子が分かる場所と、今の被災地の復興している状態を自分の目で確かめたいと思い今回のプロジェクトに参加しました。
初日、お寺で副和尚さんの栗山さん、夕食を共にした有賀さんのお話から震災当時の混乱や避難生活も状態を教えていただきました。

2日目は薄磯で鈴木さん、山田さんと「薄磯に人を住まわせるためには」のワークショップに参加させていただくなど、今考えている薄磯の復興の姿を教えていただいたり、将来の薄磯の姿を一緒に考えさせていただきました。また、中之作では、豊田さんが震災でダメージをくらい宿主がいなくなったお宅を新しい宿主へと渡すための仕組みを考え、この仕組みを復旧させるために様々な活動をやってきたというお話を伺いました。

3日目は、休耕地を利用して、いわきの復興のシンボルとしてオリーブを植えている舟生さんのお話を伺いました。そして明日が最近まで原発の放射能の影響で入ることが出来なかった地区に入り、当時のまま残っている風景を視察する。という日程で、私が、このプロジェクトに参加する前に知りたかった見たかった事、4日間では、もちろん震災の状態など知る事は出来なかったと思いますが、非常に充実した内容を私は経験させていただき学ばせていただきました。当初、私は“知る・見る”という観点で被災地を訪れたいと思っていたのですが、このプロジェクトに参加することによって、震災を一つのきっかけとして、行動、考え方が変化したいわき市の皆さんとお話をさせていただき、震災を通して人をも“感じる”ことが出来ました。

・今回、私は初めてボランティアというものに参加したが、ボランティアとうには申し訳ない程、人から与えられるものの多い4日間となった。
大きく分けて「気づき」と「期待」を与えてもらったのではないかと私は考える。まず、「気づき」についてだが、事実や細かい知識について学ばせてもらったのはもちろん、これからの意識を変えるい大きな気づきが二点あった。

一点目は「自分も被災者の一人」という視点である。私は震災の際、実家にいた。震度6弱の地震を体験した。電気なども止まり、恐怖を感じながら何晩かを過ごした。しかし、津波の被害で身近な人や家を失ったりしたわけではないため、自分を被災者と名乗ったり、意識したことは一度もなかった。しかし、今回住職の栗山さんやお世話になった有賀さんの震災が起こった時のお話の中に、自分の記憶と合致する経験や行動があったことに驚いた。自分がもし全く別の地域に住んでいたら、そのようにな感じなかっただろう。今まで「もっとひどい人がいる」という理由で「自分は非被災者」としてきたが、それが逆に当事者意識を欠けさせていたのかもしれない。あの揺れを経験したからこそ、経験したことに責任を持つべきであり、行動してくるべきであったと気づいた。

二点目は「日本はどんな国かというのを実は知らない」ということである。毎晩の反省会の中で「日本とはどんな国なのか」ということが何度も議論にのぼった。復興について考えるには日本の未来や日本人について考える事に繋がっていった。日本でしか生きていない自分が憶測で物を言っても何の説得力もない。海外に行ったり、様々な文化に触れることは少なからず自分の国や自分を見つめなおすことにつながる。外に目を向けることも必要なのだと気づいた。

そして「期待」であるが、これは非常にたくさんの人々から与えられていた。Gakuvoさんをはじめ、宿泊場所と食事を用意してくれた有賀さん、貴重な時間を裂いてお話をしてくれた豊田さん、学生を高く評価してくれた舟生さん、その他たくさんの人が若い世代に期待をかけてくれているからこそ、このような手厚い待遇をしてくれるのだということに身が引きしまる気持ちだった。この期待を裏切らないような未来をつくる大人になるべく、さらに学んでいかなければならないと感じた。
チームながぐつプロジェクト第96陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2014年09月17日(Wed)]

期間:2014年8月27日〜8月30日
場所:福島県いわき市

活動内容
・長源寺で座禅と栗山副住職の震災時の話
・富岡町と久ノ浜・浜風商店街を視察
・オリーププロジェクトにて作業補助
・薄磯の被災状況の視察と復興協議委員会と意見交換

【活動1日目(8月27日)】

日本財団にてオリエンテーションを済ませ、福島県いわき市へ。
いわき市に到着後すぐに、長源寺に向かいました。
長源寺では5時半から8時まで座禅および、栗山副住職からお話を伺いました。
「被災者から話を聞いて、被災状況を想像する・考えることが重要」
「自分ができる事は小さいと気付いても、それを我慢強くやってほしい」
などとアドバイスを受け、支援について考えさせられました。

96-01

座禅はボランティア活動の中で、最も辛い体験だったという学生もいましたが、
皆さん真面目に坐禅に取り組んでいました。

96-02


【活動2日目(8月28日)】

午前中は富岡町と浜風商店街を視察しました。
富岡町の惨状は、学生に大きなショックを与えたようでした。
「3年経っても復興していないことに驚いた。ショックだった。」
という感想が、夜の振り返りでも多く寄せられました。

96-03.jpg

今回は、進入禁止ギリギリの地点まで車で視察することが出来ました。
日本に立ち入り禁止の場所があることにも、衝撃を受けていました。

96-04.jpg

視察後は、浜風商店街にお邪魔し、昼食をいただきました。
商店街の元気なおばさまたちとお話をさせて頂きました。
「来てくれるだけで嬉しい」
その一言に救われる思いでした。
また、被災時の様子を撮影した写真も拝見することが出来ました。

96-05.jpg

午後はオリーププロジェクトのお手伝いをしました。
舟生さんから指導を受けながら、鉢植えの交換を行いました。
最初はなかなかうまくできなかった学生も、徐々に作業に慣れ上手に交換できるようになっていました。

96-06.jpg

96-07.jpg


【活動3日目(8月29日)】

朝から農作業のお手伝い「オリーププロジェクト」へ向かいました。
植木鉢の交換と設置、支え木の取り付け、植木の世相などを行いました。
天気が良く、ビニールハウスの中は熱くなりましたが、全員元気に取り組んでいました。
昨日と合わせて450本以上の苗木を移し替えました。

96-08.jpg

96-09.jpg

96-10.jpg

作業中、有賀さんから巨大シュークリームを差し入れして頂き、学生も元気をもらったようでした。

96-11.jpg

96-12.jpg

最後の夜は、3日間のボランティアを振り返ってディスカッションを行いました。
「自分がこれからやりたいと思ったこと、実際にできること」
について、3つのグループに分かれて話し合いました。

96-13.jpg

・情報を発信したい
・信頼できるウェブサイトを作りたい
・ボランティア企画を自分たちで作りたい
などの提案がありました。

96-14.jpg


【活動4日目(8月30日)】

いわき市の薄磯地区を訪れました。
薄磯復興協議委員会の鈴木さんに、薄磯を案内して頂きました。

96-15.jpg

半壊している学校の倉庫やアパートを視察し、その後、避難訓練も実施しました。

東北大学の杉安助教授にご指導の下、各自GPSをつけて、避難場所や移動距離などを計測してもらいました。
計測後は、避難方法や移動場所などについて、ご指導いただきました。

96-16.jpg

薄磯地区の復興に橋梁している東北大学の山田さんより
「どんな場所なら薄磯に住みたくなりますか?」
という議題でディスカッションしました。
今後、防波堤を作り、高台移住が検討されている薄磯地区を、どのように復興して住みよい街にしていくのか、学生たちに考えてもらいました。

96-17.jpg

・病院や学校などのインフラを整える
・スポーツイベントを開く
・災害を忘れないようなモニュメントや展示施設を作る
といったアイデアが出されました。

96-18.jpg

96-19.jpg

96-20.jpg

今回は13人と多くの学生が参加してくれました。
大人数でしたが、まとまったボランティア活動となりました。

96-21.jpg


最後に、参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。


■活動前の気持ち

被害を受けてない自分たちが、被災者の方々とどのように接すればいいかと言う不安があった。


メディアでしか被害を見ていなかったため、被災地のイメージが沸かなかった。

自分に何ができるのか分からず、何も役に立てなかったら怖いなと思った。


■活動後の気持ち

福島の方々は皆明るく元気で安心した。
話を聞くこともボランティアだと言われた。
自分も「聞く」というボランティアが出来たと自信を持ちたい。
そして、もっと人や社会を知りたいと思った。


メディアでは伝わってこないことが見え、少しは状況が分かった気がする。
実際で見るのと、メディアで見るのとでは、全く違うと感じた。
現地の方から「ありがとう」と声をかけられ、少しでも力になれたと感じ、参加して良かったと思った。


富岡町はインパクトが強かった。
ニュースでは流れない情報と言うのが、確かにそこにあった。
自分の情報の知らなさが情けなかったのと、一時期の過熱的な報道でしか被災地を映していなかったのかと考えさせられた。



■今後のボランティアに必要なことは

体験者として情報を発信し、とにかく伝える事で参加を勧める。

若い人の力を有効に活用し、SNSなどでより多くの情報を発信していく事が必要だと思う。

もっと多くの人に足を運んでもらうために、行った人が他の人に伝えていくのが大切だと思った。


■感想

学生への心優しい配慮、誠にありがとうございます。
是非また参加したい。という気持しかないです。


一つ一つにやりがいがあり、新たな自分を知る事が出来てよかった。ありがとうございました。

知らない他の大学生と初めてボランティアへ行ったので、とても緊張していましたが、
仲間や現地の方、多くの方と関わりを持ち、様々な意見が聞けて良かったです。
食事やお金の面で負担して頂いた分、精一杯頑張りました。
本当に感謝しています。


沢山の方のフォローあってのながぐつ第96陣でした。
とっても素敵な体験ができた事に感謝します。
ありがとうございました。



■報告書からの抜粋

ボランティアに関する認識が大きく変わった。
メディアで報道されていた、瓦礫の撤去などのイメージが強く、自分にできる事は無いのではないかと思っていた。
しかし、現地の人と関わったり、メンバーと話し合いをする中で、今回学んだことを周りに「伝える」ことも、ボランティアの大きな役割なのだと実感した。


冨岡町を視察した時、地震が起きて、津波に襲われて、そのままの町に衝撃を受けました。
ひっくり返った車、田んぼに乗り上げた船、2階のみが道路にある家、14:46で止まった時計…。
自然の力の大きさと悲惨さを知りました。
奥へと進むと、一般人の立ち入りが禁じられている地区がありました。
同じ日本国内に、このような場所があることが信じられませんでした。
原発というものがどれ程恐ろしいものだったのかに、気づかされました。


当時高校生だった私は、ただ家のテレビでニュースを見ているだけでした。
いつかは赴いてみたいという気持ちはありましたが、中々踏み出せない自分が居ました。
思い切って今回参加し、普通の大学生活では味わえないような体験をすることが出来ました。


私は正直、今回のボランティアに気軽に参加した立場であり、被災地に対しての関心はあまり高くなかった。
しかし、今回の体験で、自分の中での考えが大きく変わった。
特に、富岡町の視察はとても衝撃的であった。
やはり、テレビで見る光景と、実際に見る光景とでは、全く違うのだという印象をうけた。
これからも自分が発信源となり、今回の体験を語るという氏名を果たしたい。



皆さん、お疲れ様でした。

96-22.jpg
| 次へ