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チームながぐつプロジェクト第103陣 福島県いわき市行き 活動報告 [2015年02月05日(Thu)]

「大学生ボランティア隊」派遣【第103陣】
期間:2014年12月19日〜12月22日
場所:福島県いわき市
活動内容:
1日目: 長源寺で座禅と栗山住職より震災時の話を伺う。
夕飯(五楽) → 銭湯 → 夜、振り返り。  
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2日目: 薄磯にてゴミ拾いをした後、薄磯復興協議委員会の皆様より話を伺い意見交換。
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薄磯〜豊間までを説明を受けながら視察→プレオープンした「とよマルシェ」を見学。
大國魂神社にて、イベントで使用する竹の竹伐作業。
銭湯の後、夜から有賀様とご友人を囲んでお食事。夜、簡単な振り返り。
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3日目: オリーブプロジェクトにて作業補助。
     銭湯 → ご本家で夕飯 → 夜、社員寮にて振り返り。
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4日目: 午前中、富岡町の視察をし、久ノ浜・浜風商店街にて、有賀様と共に昼食。
     社員寮に戻り、4日間の振り返りとアンケート記入
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引率者1
12月19日(1日目)
到着後、長源寺に向かい、17:40〜約2時間、栗山住職より震災時の話を伺い、座禅を体験させて頂きました。震災直後、避難場所で過ごした被災者の苦痛を、座禅という形で体感し、また、栗山住職より、震災時の話を伺い、有意義な時間となりました。
その後、夕飯を五楽でとり、銭湯に行き、23時前に社員寮に移動後、初日の振り返りをしました。
夜の振り返りでは、2つのグループに分かれ、「ボランティアとは何か」「ボランティアをする事で、得られるものがあるとしたら何か」を話し合い、その上で「この4日間をどんな姿勢で取り組むべきなのか」を発表し、「自発的に行動し、ボランティアをしてあげるという姿勢ではなく、学ばせて頂くという気持ちで活動に向き合おう」と、明日からの活動に対する気持ちを共有しました。23:30頃終了

12月20日(2日目)
午前中、バスにて薄磯地区へ行き、薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻の誘導の中、約1時間に渡って、県道15号線につながる道路脇のゴミ拾いをしました。缶・ビン・ペットボトルのゴミが多く、集めたゴミは、燃えないゴミ(缶・ビンなど)が11袋、燃えるゴミが13袋にもなりました。
10時から、薄磯復興協議委員会の事務所内で、委員長の鈴木様より、薄磯の現状と問題点を1時間に渡って伺い、委員会のメンバーで、高校の国語教師の瀬谷(せや)さまより、津波で破壊された豊間中学校のピアノが、市内の調律師によって修復された「豊間の奇跡のピアノ」の話」と共に、修復の際に交換されたピアノの部品を希望者に贈呈して下さいました。
室谷さんが、事務所近くに工場がある、丸又蒲鉾のカタログを持って来て下さいました。
薄磯復興協議委員会の事務所を後にして、室谷ご夫妻の案内の下、薄磯〜豊間の震災時の状況説明を受けながら、この日プレオープンした「とよマルシェ」まで(約40分)歩きました。
プレオープンした、4店舗からなる復興商店「とよマルシェ」では、まぐろの解体ショーや、民謡ショーのイベントも開催され賑わっており、学生も一緒にプレオープンの雰囲気を楽しみました。
途中、今年の春から豊間区長になられた、遠藤 守利(えんどう もりとし)様より、震災時の豊間の話を(約30分間)伺う機会を頂き「震災の翌日の風景は、この世のものとは思えない光景だった。避難生活の中で、プライバシーのない空間に大勢でいる事が、一番のストレスだった」という言葉が、学生の胸に響いたようでした。
14:30 大國魂神社に到着後、来年開催される予定の復興イベント「デスティネーションキャンペーン」で使う、絵のぼり(いわきでは端午の節句に、こいのぼりのかわりに、絵のぼりを飾る風習があるそうです)を立てる際に使う竹竿の下準備で、竹林に入り竹伐りをしました。約1時間半かけて、大國魂神社の裏山にある竹林から、20本の竹を選び、長さを約7mに揃えて切り、約20本の竹をいわき駅近くの保管場所まで移動させました。終始、積極的に動く学生の姿がありました。
(この日、切り出した竹は、冬を越す中で、竹の強度が増すそうです)
19:00〜 ラトブの3階にある「すし田村」にて有賀様のご招待で、共に竹伐作業をした、有賀様のご友人で宮大工の、岩崎英明さまと、地酒「又兵衛」の酒造元の四家久央さま、3名を囲んでの夕食会となりました。約2時間に渡って、3名の方々がお話して下さった震災当時の話や、3年たった今だから言えることなど、様々なお話を伺うと共に、学生からも積極的に質問をし有意義な夕食会になりました。21:45〜 社員寮にて今日の活動を通して思った事・考えたことを共有しました。22:40頃終了。

12月21日(3日目)
天気の良い3日目、朝から夕方まで「オリーブプロジェクト」の活動。ビニールハウス内で、舟生さんの指導の下、食材(オリーブ麺)に使用するオリーブの葉を、切断した枝から一枚ずつハサミで摘み取る、葉摘み作業に取り組みました。お喋りをしながらの作業を通して、舟入さんの人柄に魅かれると共に、仲間意識が深まったようでした。
お昼に、オリーブプロジェクトの松崎理事長様がご挨拶にきて下さり、オリーブプロジェクトの歴史や、今後の課題などを約30分かけてお話をして下さいました。スカイストアさんの美味しいお弁当+手作りのお味噌汁+差し入れのジュースも頂きました。
 作業終了後、舟入さんより「今日の活動を通して、ここ、いわきにオリーブプロジェクトというものがある、オリーブが育っていることを覚えていて下さいね」と、言葉と想いを受け取りました。
オリーブ作業終了後、銭湯へ向かい、ご本家で夕飯をとりました。この日は体が温まる鍋を準備して下さっていて、締めの麺は、昼間購入したスカイストアさんの「オリーブ麺」だったこともあり、テンションが上がり、初めて食べるオリーブ麺に盛り上がりました。
21:00〜 社員寮にて、板倉さんの提案で、振り返りを学生たちに委ね、男子学生の宮道さんを中心に「ワールドカフェ方式」で、話し合いたいテーマを、それぞれメモ紙に書き出し、15案ほど出た中から、「Gakuvoだからできる事とは何か」にテーマを絞り、熱い討論を重ねました。23時頃終了

〜ほっとするエピソード〜
今回も尼子湯さんのオーナーが、お風呂上がりに学生にジュースをご馳走して下さり、板倉さんが、この日購入した、オリーブ麺をオーナーに渡すと、とても喜んでいたそうです。活動中に、学生さんから、「毎回尼子湯さんにお世話になっているのだから、尼子湯の休業日になっている月曜日に伺って、お風呂掃除のボランティアとかができたらいいですね」との声もあがりました。

12月22日(4日目)
朝食前に、有賀様のご依頼があった、玄関周辺の落ち葉拾いをして、JRに乗り、竜田駅へ向かい、ジャンボタクシーにて、約1時間半かけて富岡町を視察しました。視察ルートは、@波倉地区(40世帯が被害を受け、8名がなくなった地区) A福島第二原発近くの海岸(降車し約10分見学) B汚染処理工場 仮設焼却施設(降車し約10分間見学) Cパトカーの碑(降車し約10分見学) D打ち上げられた舟 E 富岡駅(降車し約20分見学)  F天神岬(降車し約10分見学) 
想像以上の光景に、学生達は言葉が出ない様子で、2名の警察官が亡くなったパトカーの碑、富岡駅の側にある碑で、手を合わせる学生の姿がありました。
富岡町視察後、そのまま、久ノ浜の「浜風商店街」に向かいました。有賀様も駆けつけて下さり、一緒に昼食をとり(餃子をご馳走して下さいました) 記念撮影の後、お礼の色紙を渡しました。
電気屋さんで震災時のビデオをみせて頂き、お話も伺い、また、資料や写真をみせて頂くと共に、商店街の皆さんと交流をしました。からすや食堂が混んでいて、時間がかかってしまい、帰りのJRを1本後にずらしましたが、その時間を有効に使って、震災時のビデオで見た、久ノ浜の海岸まで歩き、高台にある神社から、現在の街の風景を、それぞれ心に刻みました。
14:30 社員寮に戻り掃除の後、振り返りを行い、それぞれが一番心に残ったことを発表した後、アンケート記入の時間をとりました。17時のバスで東京に戻り、東京駅での開催式の後、再会を誓う学生の姿に、4日間の活動を通して結ばれた強い絆があるのだと感じました。

引率者2
12月19日
日本財団にてオリエンテーション後、高速バスでいわきへ。
いわき到着後有賀さん本家に荷物を置き長源寺へ。副住職から震災当時の言お話を伺い座禅体験をしました。体験後五楽で食事をし、銭湯へ。その後本家に仮置きさせてもらった荷物を持ち、寮へ移動。ミーティングではボランティアとは。ボランティアを行うことで何が学べるか.等を話し合いました。

12月20日
寮から移動し、本家にて朝食。いわき駅よりバスで薄磯へ。室谷さんに合流し地域のゴミを拾いました。その後薄磯復興協議委員会の鈴木さんから薄磯の現状、問題等のお話を伺いました。終了後室谷さんの案内で歩いて薄磯から豊間の復興商店街「とよマルシェ」まで行き、昼食。
昼食後タクシーで大國魂神社へ、地域イベントで使う竹伐りを行いました。一度寮に戻り銭湯へ。夕食は有賀さんからお寿司をごちそうしていただきました。食事では一緒に竹伐りをした有賀さんの友人の方お二人もおられ、震災時の様々なお話、今のいわきの問題等を伺うことができました。食事後寮に戻り振り返りをしました。振り返りでは今日の活動で感じたこと、反省等を一人ずつ発表しました。

12月21日 
寮から移動し、本家にて朝食。タクシーでオリーブプロジェクトの現場に向かいました。
ビニールハウスの中でオリーブ麺に使用するための葉を集める作業をしました。途中舟生さんに畑に連れて行っていただきオリーブについていろいろなお話を伺いました。お昼はスカイストアさんのお弁当をいただきました。午後ももくもくと葉を集めノルマをこなすことができました。終了後は銭湯へ。その後本家に戻り有賀さんが用意してくださった食事をいただき寮へ。この日の振り返りは学生にお任せ。宮内君によるワールドカフェ方式で振り返りを進めてもらいました。一人ひとりみんなに聞きたいこと、話したいことをポストイットに書き込んでいき、ジャンル分けしてテーマを絞り、それについてみんなで話し合いました。

12月22日 
寮から移動し、本家に。朝食前に玄関前の落ち葉ひろい、本家のお掃除をして朝食。いわき駅から電車で滝田駅へ。そこから楢葉タクシーで福島第二原発近く、富岡町等をまわっていただき久ノ浜商店街で昼食。有賀さんから餃子をごちそうしていただきました。商店街の電気屋さんで震災当時の映像を見せていただき貴重なお話を伺うことができました。電車の時間がぎりぎりだったため1本送らせ、商店街のお母さんからもう少しお話を伺い、その後動画が取られたであろう場所までみんなで歩いていきました。久ノ浜からいわきへ。寮に戻り掃除をしてから振り返り。この活動で感じたことを一人ずつ発表してから東京駅へ。解散式を行い帰路につきました。

参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。


■活動初日の気持ち

ボランティア活動で、福島の事をもっと知る事ができれば良いと考えていた。またGakuvoに募集する際、本当に3年半以上経過した福島においてボランティアを必要としているのか、少し疑問もあった。その疑いの真相を確かめることができたら良いと思い、このボランティア活動に取り組もうと考えた。

活動前は、ただ漠然と被災地の方のため、に何か自分ができることをしたいと思っていました。震災から4年が経とうとしている今の福島を自分の目で見たいという思いもありました。また、原発事故の印象が強かったので、福島に住む人々の気持ちを知りたいと思っていました。

大槌町にボランティアで継続して訪れていたので、「被災地」と呼ばれる土地に興味があった。知りたかった。特に福島は「津波」だけでなく「原発」の被害も受けているので現状を知りたかった。
福島に来るのは初めてだったfが、どうしても「原発」のイメーイが強かったです。前回、石巻に活動に行った際、自分が残したメモに「石巻と福島など他の地域の被災者をひとまとめにしてはいけない」と残してあったのだが、その時どうして、そう感じたのかまで書き残していなかったので、その点についても、少し考えながら活動したいと思っていました。また、震災から3年が経った今求められていることも知りたいと思っていました。

最初は海外のボランティア参加したいと思い、ボランティアのサイトを来て、カンボジアに行きたいと思っていました。ですが、まだ体験したことのない国内でできるボランティアをしてみようと思い、このプロジェクトに参加しました。また、内定も決まり、社会人になるにあたって東日本大震災で被害に遭った人や地域に行き自分の目で見て感じたことを多くの人たちに伝えたいと思っていました。

東北に行ったことがなく、ぜひ一度は行って被災地の「今」を見てみようと思いました。震災から3〜4年が経過しているので復興が進んでいるのではないか、もしかしたら私たちができることは少ないのではないかと軽い気持ちでした。とりあえず、3.11と騒がれて深い傷跡を残した現場に行って「生」の声を聞いて見たいと考えました。

どんなボランティアなのか、どんな人たちが来ているのか分からなくて不安でした。震災に関しても考えているようで、考えておらず、ただ与えられた情報を受け取る事しかしていませんでした。
ボランティアがどのような意思で行うものなのかについても、考えた事がありませんでした。

震災地に実際にでむくことで、現在の被災地の状況や震災当時のことに関して、現地の方々の生の声を聴くと同時に、自らの目で見て、体感することで、様々なことを学びたいと考えていた。又ボランティア活動をするにあたって常に公平な姿勢を保ち、活動受け入れ先の人々のことを想いやる気持ちや態度を忘れることなく、自分でできることに尽力をつくしたいと思っていた。

福島という現場が見たい。

以前からボランティア活動に興味、関心がありましたが、参加するのは初めてで、参加すること自体に不安を感じていました。
また、東日本大震災に関する知識も一般常識もしくはそれ以下のものしかなく、そのほとんどがメディアからによる限定的な情報ばかりで、今、被災地で何が起こっていて、何が求められていて、今自分に何ができるのか、といったことが一切分からない状況でした。

■活動後の気持ち

同じ「被災地」でも地域によっておかれた状況立場は大きく異なる。であるからこそ復興する上での優先順位やビジョンも異なる。

「原発」が地域に与える功罪、事故前と後での人々の「原発」に対する態度の変化を目の当たりにした。原発は将来的に無くすべきだという考えは変わらないが、想像以上に複雑な要因を含んでおり、地域の人にとっては簡単に結論を出せるものではない。

「ありがとう」と言ってもらえる期待はしてはいけない。「言ってもらえれば良いな」くらいの気持ちでいないと続かない。(ボランティアとして)

一人では何もできない。信頼できる仲間を増やすことが復興やボランティアにおいては重要。

見たこと感じたこと、自分の中に丁寧におしこんでいきたい。そして自ら発信していくことを恐がらずにしていきたい

実際に津波があった場所に行って、3.11の時の映像が頭の内に浮かんできてとても胸が締めつけられるような気持ちになりました。

前記の気持ちが大きく崩れた実労働させていただきつつ、今回協力活動の提供としてくださった方々との交流を通じて思考、そしてまた現地に行っていない人々への伝聞をきちんとせねばという使命感が芽生えた。
正直、4日間各主要地域を周らせて頂いて消化できていないが、ただ力仕事に重点をおくだけでなく、次世代の若者として、また、大学で学ばせてもらっている身として、思慮していくべきと改めて気付かさせれた同じ日本人として被災地には行くべきです。

参加して良かった思う。活動自体だけでなく、Gakuvo内でのミーティング等を通して色々と考える必要性を再認識することができた。

■今後のボランティアに必要なことは

派遣前のミーティング(参加メンバー間で目的意識を共有するため)
・余裕をもったスケジュール設定

必要な事
臨機応変さ。信頼関係(ボランティア団体と受けいれてくださる方々との間)

どうしていくべき
被災地をひとくくりにせず、目の前にある問題と向き合っていく心配り

被災地に必要なコトモノは現地の人が十分に分かっているのだから、ボランティアの方々は相手のニーズをしっかりと聞き、把握した上で行動することが重要だと思う。

どの範囲までが“震災ボランティア”なのか、地域興しのための“大学生ボランティア”隊なのか、考える機会を設けることが必要だと思う

■感想

宮崎さん、板倉さんには大変お世話になりました。感謝しています。

4日間、大変お世話になり本当に本当にありがとうございました。正直スケジュールは比較的ハードでしたが、短時間で最低限知っておくべき被災地の状況を見て回ることが出来たので非常に有意義なじかんでした。
引率してくださった宮崎さん板倉さん、この運営に携わっている方々のお力添えの上で若者はこのような現場を知る事ができました。また自分なりに落としこめていませんが大学で学問をする身として整理して次につなげます。ありがとうございました。

何のためにその活動をするのか、なぜGakuvoがその活動をするのか、学生はどんなことを意識しながら、活動する必要があるのか、事前に確認したい。Gakuvoのプロジェクトがその活動に関与するに至った経緯も知りたい。

■報告書からの抜粋

私は今回、被災地の現状を自分の目で見たいという思いから、ながぐつプリジェクトに参加した。結論から言うと、十分すぎる程多様な現実を見聞きした。その中で特に印象に残ったことが2つある。
1つは有賀さんとその仲間についてで、もう一つが最終日の視察についてだ。前者は自もの方の理解と協力の必要性、地域におけるキーパーソンの重要性の点で、学ぶべきことがあった。
Gakuvoはこれまで度々、有賀さんにお世話になってきた。
そもそものきっかけは、元職員の佐藤さんとの会話だったそうだ。それ以来、宿泊や食事の面でサポートしていただいている。
これはGakuvoが築いてきた信頼関係、そして有賀さんの人柄に依るところが大きいと感じた。
4日間を通して、何度か有賀さんから「ボランティアの受け入れは道楽だ」「好きでやっているから苦ではない」という言葉があった。
想像していなかった言葉だったので意外だったが、数日有賀さんと共の過ごして、それは本音なのではないかと思うようになった。
そして、2日目の夜、四家さんと岩崎さんと交えてお食事をした時、地元の方同士の会話から、震災直後のことや、復興の難しさ、家族との関係性の変化について、リアルなお気持ちを窺い知ることができた。
通常のボランティアではまず聞く事のできない内容だと思い、貴重な経験となった。
後者は、今回のボランティアの中で最も強烈に印象に残った。変わり果てた街並み、一変した生活、人間不信とコミュニティの崩壊といった、きれいごとでない側面をまざまざと見せられた。廃棄物の焼却施設の建設現場や、放射能廃棄物の袋の数々を見た時、復興の道のりが長く険しいものだと悟った。
正直、元に戻るかという疑問も持った。政策面での改善は必要だが、具体的にそんなアプローチが可能なのか、今は分からないが、これから先見えてくるであろうか。問い続けたいものである。それでも、浜風商店街の方々のお話を聞き、笑顔に触れて一歩ずつではあるが前に進みつつあるんだとも実感した。感じたことを整理し、周囲にシェアする。そしてまた音連れる。これからも私はいわきと関わり続ける。

今日、私は初めての被災地訪問でした。もうすぐで4年ほど経ちますが忘れかけていた気がします。

今回の活動を通して得たことは多くあるのですが、ここでは自分の中で大きく考えが変わったことを2つピックアップして報告をしたいと思います。
一つ目は、自分の中にあった被災地の抱えている問題のイメージがいかに曖昧であったのかということです。
世界的に有名になってしまった「FUKUSHIMA」の中であったとしても、被災した個人それぞれが抱えている問題は異なるもので、解決策は一つではないという難しさを実感しました。
答えが一つしかなくて、みんながそれに向かっていけるのであれば、多くの人が抱えているモヤモヤとした気持ちは幾分か軽くなるのかもしれません。
しかし現実は、例えばひとつ、食事の例をとったとしても、今食べたいものは個人で異なるように、これから暮らしていきたいと思える町づくりを考えるのは苦難の道になるのは間違いありません。
実際に、毎日もがきながら過ごしている人々のお話は、立場も、見えている世界もそれぞれに違うもので、正直、どうすればいいのか、全く分からなくなりました。
ですが一つ、これからやっていかなければならない事があると思いました。それは、互いの話を聞いて、その人たちの立場を想像し、理解しようとする努力です。
これは、被災地内で行われるのももちろん大事だと思いますが、被災地に訪れてくる人々や、行くことができなくても何かしらのアクションを起こしたいと思っている人、そして、もう震災について忘れかけている人、そういった多くの人達の中での対話が行われ続けなければ、納得のいく次のステージはないのではないかと思います。
理解できない、不快な意見を切り捨てず、自分の中で「保留BOX」を作り、時間をかけて消化していこうとすること、その姿勢が大事だと思っています。
強い信念を持つことの大事さと、他人の信念を受け入れて時には柔軟に信念を変化させていく大事さ、この2つをバランスよく自分の中に同居させていかなくてはいけないのかもしれません。二つ目は、ボランティアに対する印象です。
以前、東日本大震災から半年後に父親につれられてボランティアに参加したとき、感じた気持ちは、達成感、充実感といった、やりきったぞという気持ちでした。ボランティアは、時間やお金に余裕のある人が、誰かのために何かをしたという気持ちを味わいたい、新しい出会いがほしい、といった欲求を満たすために行っているもので、「実際に役にも立ってるし、まあいいんじゃない?」といった程度にしか意識していませんでした。
ですが、今回、このながぐつプロジェクトに参加した後、感じたのは”圧倒的なモヤモヤ感”でした。口語にすると、「うわーどうしよう、他人事じゃなくなってしまった…」という感じです。ボランティアと被災地・者の間には「距離」があるから上手くいく部分があるというのは事実ですが、人と人との出会いがあった時、そこから他人ではない関係がスタートしていきます。
お互いに気遣いがあるからこそ、ボランティアする側、される側のバランスがうまくいっているので、深く、深く関わっていくというのは、今回の活動で何度か話題に上がった、ボランティアの引き際に大きく影響してくる問題なのかもしれないなと思いました。
知ることに伴う責任の重さを、ボランティア側が感じて、それが次の活動へ駆り立てるものとなって、いつしか、それだけの思いではなくなっていく。
名前の付けられない関係性になっている人達も、もしかしたらたくさんいるのかもしれません。
これもまた、答えが一つである問題ではないのかもしれないなと思いました。
今後、私も考え続けることが、ボランティアのこれからを少しでも良いものにしていく小さな前進になることを祈っています。
今回の活動報告は、以上をもって終わらせていただきます。
引率してくださった、宮崎さん、板倉さん、一緒に活動した、さきさん、じゅんじゅん、さき、さおり、本当にありがとうございました。出会いに感謝します。

東日本大震災から早3年半、ようやく、福島県いわき市を中心とした被災地に行くことが出来ました。まず、もっと早くに行けばよかったです。
今回、3年経ってから行ったことに意味を見出せたから良かったものの、もっと前に行けば少しでも友人や知人に伝聞して一人でも多くのボランティアを生み出すことが出来たのではと、思います。
友人からの話やGakuvoのブログに感化されて行くことにしましたが、いくら新聞やテレビでの報道で情報収集をしているといっても、実際見聞きして感じ取ったものに勝るものはないので、時間のある人にはぜひ行ってもらいたいです。
さて今回、4日間(主な活動は3日間)という短い期間の中で、薄磯や豊間地区、いわき市の中心、富岡町を始めとする帰宅困難区域にて視察や活動をさせて頂きました。
まずこれらの地区で現地の方々の話を聞き、震災がきっかけで長年問題になっていた地方の問題(地方地区の少子高齢化、施設の老朽化等)が表面化されたことを強く意識することとなりました。
そのような意識の中で特に印象的だったのが原発地域訪問です。他の地域も当然、地震や津波で犠牲者や家財一式津波に流される等大きな被害を被り、瓦礫撤去がまだ終わっていない所など被害痕が垣間見える地域もありました。
それらの地域も大変なのは話を伺い重々承知していますが、行政や国、地域に関係する人々との多大なる紆余曲折はあるものの実際に復興に向けての準備が始動しています。
しかし、帰宅困難区域は他地域同様、地震、津波による被害があったものの、原発問題が生じたことで立ち入りさえままならない状態が続いています。
その結果、震災の道路整備はされている所はあるものの、軽トラックが入ったままの店内、ディスプレイのガラスが割れ地面に散乱したままの自販機等、まるで数年前、地震の数か月後にタイムスリップしたかのような光景が広がっていました。
また、その富岡駅付近の町の目の前には、綺麗な海との間に、長い防波堤と勘違いするかのような、汚染廃棄物の入った黒い袋の山々が長い列を作り、大型トラックが頻繁に出入りをし、多くの従業員の方々が作業をしている、地域の復興どころではないことを印象づけるかのような光景が目に焼きつきました。
海沿いの地域は“地震”“津波”という要因に、“原発問題”という一つの要因が加わることで復興の進行に大差が生じてしまう、想像しただけでもわかりますが、実際に見聞きしたことによって実感する復興への長い道筋。首都圏では震災に関する報道が日常的に報道されることは少なくなりましたが、福島いわきの方では常習的に報道されるのが日常だそうです。
一個人に出来ることはかなり小さいと実感した4日間でしたが、微塵ながらでもタスキリレーの襷をつないで、震災を風化させないようにしていくことが、一個人としてできる一つの使命なのだと痛感しました。
最後に、今回復興ボランティアに参加するのは初めてでしたが、同じ学生から刺激をえることも非常に多かったので、一回も参加したことない人も、案ずるより産むがやすしのごとく、ぜひ参加してほしいなと思います。ありがとうございました。

今回の活動参加は私にとって、6度目の震災ボランティアであったにも関わらず、新たに得たことが多々あった。
感じたこと全てはここでは書き表せないが、特に強烈に印象的だったことを以下3点挙げておきたいと思う。
まず1点目は、復旧と復興の境界線について熟慮する機会になったということである。
震災から4年近く経過した現在、私たちにできることは何なのかを模索したい、という動機を持って今回の活動に参加したが、結果として、答えはわからないままであった。
どこまで地震・津波の被害が元の状態に戻れば、震災ボランティアは不必要になるのか、そもそも、元の状態に戻ることが可能か否か。
また、福島県特有の問題として、原発事故の被害をどう緩和することができるのか。
これらの疑問は未だ個人的にも、政治的にも解決されないままであるが、もう1度考え直す必要があるのだ、ということをひしひしと感じた。
これは私にとっては、これからの被災地との関わり方を考える上での分岐点になったと思う。
2点目は、「被災地」はひとくくりに考えられるものではないということを、身を持って理解できたことであった。
特にいわきに行ったことで、市街地で地震の被害を受けた人々、沿岸部で津波の被害を受けた人々、そして、原発事故で自宅から離れて暮らすことを余儀なくされた人々、異なる立場からのお話を伺う機会を頂けた。
それぞれの暮らし、政治との関わり方、ボランティアに対する思い、すべては当然のことながら大きく異なっていた。
頭では十人十色であるということを理解したつもりでいながらも、やはりどこか「被災地」をひとくくりにして考えていた節があったのだと思う。
しかしそのような考え方に基づいた支援は、現状にそぐわないものになる可能性が大いにあるし、事実、的確性の欠ける復興計画に対する不満の声もあった。公共的な復興計画においてのみならず、個人ひとりひとりの中でも、「被災地」をひとかたまりのものとして見るのではなく、人の数と同じ「被害」がそこにはあるのだということを意識する必要があるのだということを感じる契機になったと思う。
3点目は、東日本大震災はまだ終わっていない、ということを痛感したことである。
震災から4年近く経過した現在、東京では、ニュースの中でも日常生活の中でも、震災のことを思い出す機会は少ない。
実際友人の中には、ボランティアで東北に行く私に対して「まだ震災ボランティアやっているの」という意見を持つ者も少なくない。
しかし、今回の活動で富岡町を視察した際、私は「自分が恥ずかしい」という気持ちでいっぱいになった。
それは視覚的に衝撃を受けるような風景に、涙が止まらなかったことだけが要因ではない。震災直後には、生々しく感じていた恐怖、悲しみ、怒り、やるせなさなどが、自分の中で風化するままに放置していたことに対する恥と、被害を受けた人々にとっては永遠に終わることのない震災を、時間が過ぎれば終わるものとして捉えていたことに対する恥であった。
本当に残念なことに、私たちは自分が体感できるもの以外は、頭で理解していたとしても心では感じられないものなのだと思う。
だからこそ被災地に行って、自分の眼で見て、体で感じる、という機会を持つ必要があるし、震災を風化させないためには、どのような形であれ何かしらの活動に直接的に参与しなければならない。
私にとっては、今回の活動に参加したことで得られた一番の意義は、この「恥ずかしい」という気持ちを再び実感する機会を持てたことだと思う。この感情こそが、現状を変えるために自分が何かをしなければならないというモチベーションになるからである。
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