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【お知らせ】
テレビ東京世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」に 代表名知の現地の活動紹介されました
放送局:テレビ東京
番組名:「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」
日時: 2015年6月15日(月)
詳しくは こちらです
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MFCGヤンゴン事務所へ行ってきた [2014年10月29日(Wed)]

ミンガラバー。MFCGボランティア会員の鈴木一登と申します。

私は、栃木県の病院で作業療法士というリハビリの仕事をしています。趣味はバックパッカー旅行(貧乏旅行)です。

昨年の年末に、わけあって3年ぶりにミャンマーのヤンゴンを訪れ、その時にちょうど名知さんもヤンゴンにいて、MFCGヤンゴン事務所を訪れることができたので、この場を借りて報告します。


ヤンゴンに着いた次の日、泊まっていたダウンタウンのゲストハウスで電話を借りて、名知さんの携帯に電話をかけると、

「じゃあ、事務所からセドナホテルが近いので、17時にセドナで待ち合わせましょう。むかえにいきますね!」

とのこと。セドナホテルというのは、ヤンゴンの高級ホテルなのですが、ロンジー(ミャンマーの男性がはく腰巻き)にサンダルで入れてもらえるだろうか? ストランドホテルはロンジー禁止と聞いたことがあったので、セドナホテルもロンジー禁止で門前払いを喰ったりしないだろうかと心配しながら、待ち合わせの30分くらい前にダウンタウンのバス停に向かいました。


ヤンゴンのバス。運賃先払い。ではなく車掌が車内で運賃を回収しにくる


始発となるスーレーパゴダ前からバスに乗ったので車内は空いていましたが、次から次へと通勤帰りの人達が乗り込んできて、ヤンゴン中央駅あたりではやくも超満員になり、車内で立ったまま身動きが取れなくなりました。

バスはセドナホテルに近づきつつありましたが、通勤帰りに高級ホテルに用事がある人などいるはずもなく、さらに「ここで降りまーす!」とか「降ろしてー!」というミャンマー語がわからなかったので何も言うことができず、無言のまま過ぎゆく高級ホテルを見送りました。

結局2キロくらい先で乗り降りする人達がいたので、その人達の流れに便乗して降りることができ、歩いてセドナホテルまで戻りました。

セドナ・ホテルでは、どこかのえらい人のパーティーがあるようで、ミャンマーでは見たことがないヨーロッパ製のピカピカの高級車からセレブっぽい感じの人達が出てきており、そんななかで肩身の狭い思いをしながら名知さんを待っていると、

「ごめんなさいねー。待ちましたかー!?」と高らかな日本語とともに現れたのは、Tシャツ! サンダル! さらに乗ってきたのはママチャリ! という超庶民的ないでたちの名知さんであり、高級車のセレブと好対照でした。


それまでも何度も感じていましたが、あらためてこの飾らないところが、名知さんの魅力なんだなあ、と思いました。


ママチャリの名知さん。MFCGヤンゴン事務所の前で


思えば、名知さんに出会った当時、「名知先生」と呼んだら「先生って呼ばないでね。ぜんぜん先生じゃないから」と言われたのを覚えています。

そんな名知さんがやっているMFCGだから、一見堅苦しい「国際医療」という四文字熟語の活動でありながらも、気軽に気負いなくボランティアとして参加できているんだなあと思います。


ヤンゴン事務所にて

MFCGでは、東京高田馬場の早稲田奉仕園という教会で、在日ミャンマー人のための無料健康診断を行っています。私も今まで2回ボランティアとして参加しました。
準備や段取りはそれなりにたいへんですが、始終なごやかに参加しています。終わったあとはだいたい高田馬場のミャンマー料理屋でミャンマー料理を食べて解散! 楽しくて刺激的な一日です。


2014年の健康診断


Posted by 鈴木 at 21:20
名知代表の講演会で知ったミャンマーの夕陽 [2014年10月22日(Wed)]

はじめまして。MFCGブログチームメンバーの篠原と申します。
10/18(土),19(日)の両日、東京・芝の増上寺にてミャンマー祭り実行委員会主催による「ミャンマー祭り2014」が行われました。このブログを読まれている方の中にも参加された方はいるのではないでしょうか。なんと2日間で5万9千人(主催者速報値)、熱気ムンムン、大盛況でした。
今回、MFCGでは、ミャンマー祭りのステージに立ち、MFCGが目指している活動を寸劇にまとめ、発表しました。
私は寸劇の子役(ミャンマーの農村に暮らす家族から大切にされている子(名前はカウン))を演じながら、私自身は行ったことのないミャンマー、農村、そこに暮らす家族、そして現実に起こっている出来事(日本での当たり前が当たり前じゃないこと)を想像し、また、多くの人々が健康な身体を維持して暮らせることを願っていました。MFCGの活動、ミャンマーに興味・関心を持たれた方がいらっしゃいましたら幸いです。



《ミャンマー祭り2014公式Facebookページより転載》

さて、こんな私は今年の7月からMFCGの活動に参加しております。名知さん、ミャンマーを知るきっかけは、東日本大震災があった年の2011年秋にCDA仲間の会合で開かれた名知さんの講演会でした。おそらく私と同じように、名知さんの講演会をきっかけに、名知さん、ミャンマーを知り、名知さん、MFCGの活動、ミャンマーに興味・関心を持たれた方も多いのではないかと思います。講演会では、名知さんの吸い寄せられるエネルギー、力強い言葉の心地よさ、何か元気を頂きました。そしてこの記事タイトルにあるミャンマーの夕陽。これは名知さんが移動クリニックのボートの上でぼんやりと沈む夕陽を見ていたら、ここの人々のために働くこと、医師は私の天職だと思えた瞬間を体験したそうです。

私自身、そんな瞬間の体験は生まれてから一度もなく、想像すら出来ませんが、講演会後もこのミャンマーの夕陽が気になって仕方がなかったことを覚えております。その後、名知さんの活動に賛同し、MFCG の賛助会員となり、最近、こうやって少しのお手伝いをさせて頂くようになりました。国際協力でもありますがそれを超えて、見方を変えて、人生の基本=人と生きることをしようと個人的に思っております。

MFCGの活動がミャンマー祭りで発表した寸劇のサブタイトルである「ビフォー・アフター」のアフターの状況になっていたら、また私自身いつの日かミャンマーの夕陽を見れたなら、私の人生、きっと最幸だ。


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《医療現場から見えること〜寸劇/ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会》の一コマ

Posted by 鳥澤 at 00:00
ミャンマーそして名知代表との出会い [2014年10月15日(Wed)]

初めまして、MFCGブログチームメンバーの亀山と申します。

 私はエンジニアとして働く傍ら写真作家として活動をしています。ミャンマーと出会うきっかけは2005年夏頃、以前写真ワークショップでお世話になった写真家渡部さとる氏が募集していたミャンマー撮影ツアーでした。

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 その年、私は丁度会社からリフレッシュ休暇がもらえる時で、使い道を考えていたので軽い気持ちで申し込みました。正直、特にミャンマーへ行きたい理由があったというより楽しそうな写真撮影ツアーイベントに参加するという気持ちが強かったのです。当時、ミャンマーは軍事政権下の半鎖国状態で旅行ツアーのパンフレットやガイドブックもあまり見かけることのない遠い存在でした。普通の日本人がミャンマーについて聞かれれば、映画「ビルマの竪琴」と「アウンサン・スー・チーさんが軟禁」されている程度の知識で私もその一人でした。
 撮影ツアーには写真を撮る以外にもう一つの目的がありました、それは参加ツアー代金の一部がミャンマーで学校や孤児院などを作る活動の費用として寄付するということでした。ツアーはミャンマーのシャン州にあるインレー湖でホテルやレストランを経営するAnn女史とタイのバンコク在住の日本人Dr.田中氏が企画し参加者を募り風光明媚なミャンマー国内を撮影して廻る内容でした。バンコクからヤンゴンに入り、バガン、ポッパ山、ピンダヤとまわりインレー湖畔の温泉に立ち寄り、Ann女史の湖上ホテルに宿泊し寄付をする小学校を訪れ歓迎を受けたり、様々な少数民族が集まる市場を歩いたりしました。

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 2005年12月の撮影ツアーに参加した後、私は2014年8月までに6回ほどミャンマーを訪れ彼女のホテルに泊まりインレー湖に暮らす人々や彼らを取り巻く美しい風景を撮影してきました。ミャンマーを何度も訪れる人達の多くはミャンマーの人々の信心深さや優しさなどに惹かれると聞きますし私もその一人ですが、ファインダーを通して私が感じるのは彼らの眼というか素の人間としての強さです。見ず知らずのカメラぶら下げた外国人が写真を撮らせてくれと来てカメラの前に自然に立ちじっとカメラを見返すとき、私はピントを合わせる手が止まりそうになる時があります。

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 何度かミャンマーを訪れ撮影を繰り返していた2008年5月、ミャンマーをサイクロン「ナルギス」が襲います。世界中から多くのボランティアや医療関係者が被災地に向かいました。私がよく知るインレー湖は幸い被害はありませんでしたがAnn女史やDr.田中氏もインレー湖から大量の支援物資、大工など職人をつれてミャンマー南部のデルタ地帯に向かいました。日本に居た私は何が出来るわけでも無く現地からのメールを見ていました。そんななか日本人医師が現地で救援活動に参加し、その帰国報告会があると知り私は聞きに行きました。

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 そこで私は名知さんと知りました。何枚かのスライドにまとめられた資料を簡潔明瞭に説明する名知さんの印象はミャンマーに対する強い思い、優しくそして強い意志を感じさせる女性でした。名知さんがミャンマーにクリニックと菜園を作る活動を始めるためにNPO法人を立ち上げると聞き、私も何か手伝えることができればと思い参加しています。

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 私自身、ミャンマーと出会い彼らの撮影を続けることで写真作家としてのキャリアを確立することが出来ました。2009年に初めて写真展を開催することが出来、2013年には写真集の出版と合わせて写真展を開催することができました。写真集は日本図書館協会の選定図書に選ばれ全国のいくつかの図書館にも置かれてます。
 2009年の写真展で展示した作品は現在、MFCG事務所に飾って頂き、何かイベントがあると展示してもらったりして自分の作品が役に立っていることは感慨深いことですし、活動を通してミャンマーへの恩返しができるとともに自分自身と向き合えると考えています。

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 現在、MGCFの活動はより具体的になりつつあり、実現に向けて力強く進む過程にあります。2014年12月下旬に私もミャンマーのクリニック拠点になる南部の町、ミャウンミャに初めて訪れる予定で今からとても楽しみにしています。

 また、今週末10月19日(日)には東京の芝増上寺で開催されるミャンマー祭り2014のステージにMFCGが参加しますので、お時間のある方は是非お越し願えれば幸いです。時間ははっきりしておりませんが昼12時過ぎごろだと思います。昨夜も毎月の定例会があり、その後はメンバーで楽しい時間を過ごしておりました。


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Posted by 亀山 at 12:00
ミャンマーとの長〜い縁のはじまり [2014年10月08日(Wed)]

ヤンマー? ミャンマー? どこそれ?

はじめまして。
ブログMFCGミタァース便りをご覧くださりありがとうございます! ブログ開設2回目の今日はMFCGブログチームリーダーの今日子、ミャンマー名Tettetaung(テッテッアウン)が担当いたします。

スタッフ初出のお題はミャンマーとの出会いです。

私とミャンマーのつきあいはかれこれ20年近くになり、日本とミャンマーの血を引く子供が2人おります。ミャンマー人の男性(コゾ)との出会いが、ミャンマーとの出会いでもありました。

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→タウングー郊外ゼヤジー村のパゴダで(2007年)
おとな右側がコゾと私

国際結婚、しかも相手はミャンマーの人だと言うと、たいていの人から「えっ、ヤンマー? ミャンマー? どこそれ?」と聞かれ、「ビルマの竪琴の?」「軍事政権なんでしょ?」、「で、どうやって知り合ったの?」という流れで、最後に必ず出会ったきっかけを聞かれます。
そして答えるのがこんな話です。
 ↓
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Posted by 伊藤 at 11:30
【祝!第1回目のブログ】 [2014年10月01日(Wed)]

初めまして、ミャンマーファミリークリニックと菜園の会(以下MFCG)代表の名知と申します。

今回、初めてのMFCGのブログを開始することになりました。ご協力してくださいましたメンバーの皆さん、支援してくださいました皆さんへお礼を述べたいと思います。

 さて1回目として:〜MFCGの今までとこれから〜を少し述べたいと思います。
現在、私はミャンマーにいます。12年前にタイのミャンマーカレン族の難民キャンプでボランティア医師として働き始めました。それが国際医療の第1歩でした。ちょうど12年なので干支を一回りしたことになります。
26年前に私は日本で医師として大学病院で働き始めました。その私が2年前にミャンマーに特化したNPOを立ち上げ、今ではそのミャンマーで第2の人生を歩み始めています。人生は本当に不思議です。ミャンマーは医師という天職を与えられた私に‘医師とは何ぞや!’という本質を教えてくれた国です。 “人のいのちの輝き、たくましさ、そして、明るさを医師としてどうやって診ていくのか!”を教えてくれました。
その国で自分の医師としての人生を歩み始めることができるのは人間として幸福だと思います。6年前、2008年に任意団体のミャンマークリニックと菜園開設基金を立ち上げてから、これまで支えてくださいました皆様に感謝しつつ、これからを見つめながらミャンマーの村人と皆様と共に活動していきたいと思います。
MFCGがミャンマーと日本を繋げることへ自分の人生をかけていきたいと思います。
またミャンマーと日本が繋がっていることを皆様が感じられるような団体にしてきたいと思っております。どうぞ宜しくお願い致します。


Posted by 亀山 at 22:12