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【お知らせ】
テレビ東京世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」に 代表名知の現地の活動紹介されました
放送局:テレビ東京
番組名:「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」
日時: 2015年6月15日(月)
詳しくは こちらです
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リレー投稿「ミャンマーから教わったこと」編★vol.3 [2021年12月09日(Thu)]

「仕事やお金がすべてじゃない」
こんにちは。MFCGブログチームの桂川です。
ミャンマーの人材紹介会社で働いていた時のお話です。
事業拡大のため、新たに採用したスタッフのPhyuさん。彼女にとっては初めての就職だったのですが、入社直後から要領よくてきぱきと仕事をこなし、笑顔で明るく、将来の幹部候補になるかも、と期待しながら一緒に働きはじめました。
入社から半年ほど経過したある日の事。
「相談があります」とのことで話を聞いたところ「父親が急死した。2人姉妹で姉は働いている。母1人では寂しいだろうし心配だから仕事を辞めて母のそばにいようと考えている。」そんな内容でした。
彼女は実家から会社に通っており、母親の介護が必要なわけでもない様子。ミャンマーの人が家族を大切にしている事を頭では理解しつつも、日本で長く働いていた私の感覚では ”仕事を辞める理由”としては理解しづらいものでした。文化の違い(?)のようなものに思考は追いつかず、モヤモヤしつつも黙って彼女の言葉に耳を傾け続けました。不幸の直後でもあり、辞めることを決めたわけでもなかったので、その場ではただただ彼女の気持ちを受け止めるにとどめました。
その週末、ヤンゴン市内にある彼女の家までお葬式に行きました。決して大きな家ではないものの、掃除が行き届いた玄関を入ってすぐの6畳間ほどの部屋へ。そこには、近所の人3−4人と、Phyuさん、そして彼女の母と姉がいました。
とても辛いだろう中、一目で外国人とわかる私に気を遣って話しかけてくれる彼女の母。その脇に、ピタッと張り付くように寄り添う彼女の姿。
その姿を見て、急に「仕事が最優先ってのは思い込みだったのかも」との想いが腹落ちしました。その時の光景は、今も脳裏に焼き付いています。
もちろん生活のためにお金は必要で、お金を稼ぐためには働く必要があります。しかし、仕事を最優先にして本当に大切にしたい何かを犠牲にしてしまうのはどうも違うのではないか?今は家族のそばにいたい、その本人の想いの方が彼女の人生にとって大切なのではないか?と、そんな事を感じたのです。
もし彼女が仕事を辞める道を選んだら、その想いを尊重し、少し落ち着いて彼女が「また働きたい」と言ってくれたら、その時に喜んで受け入れてあげよう、とそんな事を考えていました。
結果として、彼女は仕事を辞めることなく働き続け(結果的に、私の方が先に辞めてしまいました…)、その後 社内でもリーダークラスに成長、日本出張の機会を与えられるなど、社内評価も高く活躍しているようです。
資本主義社会の中で生きる上で、現実的に頭で考えれば、仕事やお金のことを優先するのは当たり前かもしれません。しかし、それよりも自分自身の心の中にある、本当に大切にしたいことをきちんと大切にする。その方が人間らしくて豊かな人生である。そんな事をミャンマーに教えてもらいましたし、その教えを忘れないよう心がけています。

写真)道の途中で止まったバスを、乗客が降りて押している、ミャンマーらしくて好きな光景。
T3.jpg


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Posted by 鈴木 at 14:11
リレー投稿「ミャンマーから教わったこと」編★vol.2(寄稿) [2021年12月09日(Thu)]

「医者としての原点」
ミャンマー赴任、強烈な印象、暖かい人々、忘れられない星空
名知先生からご紹介を受け、投稿させていただきます。
岩手県で保健所長をしております仲本です。前職は外務省医務官で、1992年10月から1996年3月まで在ミャンマー日本国大使館で勤務していました。既に30年近く前のことになりますので、現在の状況と異なることをまずはお断りします。しかし、今と同じことがあります。それは軍事政権であり、アウンサン・スーチーさんが軟禁されていた点です。
欧米から厳しい経済制裁を受けていましたので、非常に貧しく、また医療機関の設備も最悪でした。医務官としての最初の任地がミャンマーでした。ほとんど事前に何も情報をいただいていない中、海外生活の経験の無い家内と6歳の男の子を引き連れての赴任でした。住宅が決まるまで泊まっていたヤンゴンのホテルが今は無きタマダホテルでしたが、案内されて入室した時、小汚い部屋に置かれたベッドシーツがじっとりと濡れていたことをよく覚えています。家内は引き返そうかと思ったようです(^_^;)。また、長男が覚えた最初のミャンマー語がホテルの従業員に処分してもらうためにのပိုးဟပ်(プーハ:ゴキブリ)でした(^o^)。家族共々さんざんな船出でしたが、ホテルの朝食は意外に美味しく、ホテルマン達も皆親切で、随分助けてくれました。
当時は在留邦人も100人程度しかいなかったため、皆すぐ顔なじみになりました。現在と違って日本人医師はミャンマー国内に当方一人だけでしたので、邦人の皆様は病気や怪我をすると当然のように大使館の医務室に来ていました。日本人会と取り決めを行い、処方もしていました。当方自身まだ卒後10年程度の若輩であり、対応に苦慮する症例も少なからずありました。一番大変だったのは、ネットの無い時代であり、専門外の対応について日本にいる先輩や同僚達にアドバイスしてもらうために国際電話をかけても、回線数が制限されていたため、繋がるまで5−6時間かかったことです。結局、目の前にいる救急患者さんについては手元の教科書を見ながら一人で何とか対応せざるを得ない状況でした。
今思えば、間違った処置もあったのかもしれませんが、邦人の皆様はそんな若い医者を暖かく見守っていただき、また育ててくれたと、今では大変感謝しています。また、大使館医務室には、ヤンゴン大学医学部を卒業したての若い女医さんが助手として勤務していました。今でも大使館で勤務しているDr. Nwe Nwe Aung です。全く馴染みのない熱帯感染症については彼女に聞き、彼女の紹介でヤンゴン大学医学部で週一回感染症の勉強もさせていただくなど、たいへん助けてもらいました。 
助けてもらったと言えば、使用人さん達もです。当時は今のようなアパート形式の住宅は全くなく、また大使館員ということもあり、セキュリティの比較的良い地域に一軒家を借りる必要がありました。広い敷地の大きな一軒家でしたので、ドライバーや庭師さんや門番さん、メイドさん等、多くの使用人さんを雇う必要がありました。経済不況の中、大勢の使用人さん雇う事も、我々外交官の役割でした。多い時は7人雇用しており、敷地の中に使用人さんの3家族が子ども達と一緒に住んでいました。英語で会話が可能であり、特にドライバーさんなどは、就職難ということもありヤンゴン大学を出た優秀な方であり、はっきり言って当方よりはるかに英語は上手でした。また、皆働き者で、かつ、いつもニコニコしており、家内や子どもにも随分と優しかったように思います。
敬虔な仏教徒。間違いないですね。毎朝お坊さんが列をなして市内を回ってきますが、皆、喜んで喜捨しています。人生に一度は必ず出家修行をする必要がある。これ、日本の教育で取り入れてはいかがでしょうか? 当方の両親が一度遊びに来ましたが、明治時代の日本はこんな感じののんびりした、しかも平和な状況だったのではないかと言っていました。男女ともにロンジーをはいていて着物のように見えたことも影響していたかも知れませんが、昔の日本を懐かしむ感じでした。
一度、インパール作戦に軍医として参加された老医師が来訪されたことがありました。カレーミョウまで同行し、あの山の向こうが白骨街道だと教えていただきました。現地ではエイズ関連病院も見学したのですが、古くから住んでいる住民の方が「日本人が来たのは戦争時以来だ」と述べていました。インパール作戦は悲惨な闘いでしたが、当時、住民に随分助けられて命乞いをした、との同行した老医師の言葉も印象的でした。
長くなりましたので、一端ここで筆を置きますが、医者としての原点をいろいろ学ばせていただいたのがミャンマーだったと思っています。機会があれば、また続きをお話します。
なお、当時の写真は実家においていて、あまり手元にありませんでした。次回にご紹介させていただきます。

写真1:ミャンマー製のタペストリー 居間に飾っています。
T2-1.jpg

写真2:息子がマリンバを叩いています。
T2-2.jpg


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Posted by 鈴木 at 14:08
リレー投稿「ミャンマーから教わったこと」編★vol.1 [2021年12月09日(Thu)]

こんにちは。MFCGブログチームの一宮です。
私がミャンマーから教わったこと、それは「ルーツや信仰への誇り」です。
 
日本の、びっくりするくらいの田舎で育った私。他県民と会うことすら稀な土地でしたので、「自分のルーツ」について意識する機会は皆無でした。
それがミャンマーに来てみると、20そこそこの若者でも「自分はなに民族でなになに教徒だ」とよく話題に出るので、驚きました(私が外国人だから話してくれたのでしょうか)。
 
ミャンマーの人々から感じるのは、どの宗教にも関わらず信心深いということです。
ヤンゴンの街歩きをしていると、至る所にパゴダや教会、モスクなどに出くわすので、いかに信仰に厚いかは、自ずと伝わってきます。朝、市場で花を買い、仏様や神様に供える習慣は非常に美しく、そういえば私の祖母の世代は、同じように毎日仏壇を清めていたなあと、幼少期に想いを馳せていました。
こうした日々から私は、ミャンマーの人々が、いかに自分のルーツや信仰に誇りを持ち、大事にしているかを知りました。そんな彼らの精神は、先進国の日本から来た私よりもずっと、豊かでした。
 
今年ももうすぐ訪れる、ミャンマーの祝日「ダディンジュ」では、親族や目上の人に対し、感謝の意を伝える風習があります。この日が来るたびに、私は両親や祖父母に感謝し、自分のルーツを大事に出来ているだろうか、と自分に問いかけています。
 

写真1)ダディンジュの日、シュエダゴンパゴダで祈る人々。
T1-1.jpg

写真2)ダウンタウンの路地に祀られた、ヒンズー今日の神。新鮮な菊が供えられてますね
T1-2.jpg

写真3)中華街のプラスチック家具店にて。中国は山東省にルーツを持つ中華系ミャンマー人の店でした。商品陳列と同じスペースに巨大な祭壇があって、度肝を抜かれました。
T1-3.jpg


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Posted by 鈴木 at 14:00
リレー投稿「ミャンマーの美しい風景」編★果物売り場 [2021年12月09日(Thu)]

みなさん、こんにちは!
MFCGボランティアメンバーの山口生人と申します。
ミャンマーの美しい風景をリレー形式で紹介していきます。
私が紹介したいのは、町中の果物売り場です。
私は、駐在期間も短くあまり遠くへ旅行していなかったので地方の美しい景色の持ち合わせもなく。でも、ヤンゴンの近場でも十分美しい日常が見られると思います。
その一つが、町中至る所に見られる「色とりどりの果物売り場」です。
ミャンマーは世界でも有数のフルーツ大国です!マンゴーはもちろんですが、バナナやパイナップル、ドラゴンフルーツ、スイカなど日本人が好きな果物が町中の露店やスーパーなど色とりどりに並べられています。しかも、陳列されている量が圧巻でこれでもか!というほどテーブルや棚にてんこ盛り。そして安い!ミャンマーの人も果物大好き。たくさん買ってみんなで食べるのでしょう。

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私も、街歩きで喉が渇くと、近くの果物屋でマンゴーやスイカをジュースにしてもらってよく飲んでいました。(結局ドリアンは挑戦せずでしたが。)そんな彩り豊かでおいしい果物とそれを売る優しい人たちの笑顔でも結構癒されます。
以上、ミャンマーの美しい風景でした〜。
次回も、楽しいリレー投稿が始まりますので、お楽しみに〜!

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Posted by 鈴木 at 13:53