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1500円のご支援でマラリアにかかった子ども10人分を治療する薬が買えます。

【お知らせ】
テレビ東京世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」に 代表名知の現地の活動紹介されました
放送局:テレビ東京
番組名:「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」
日時: 2015年6月15日(月)
詳しくは こちらです
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ミャンマー語教室の学習成果発表会 [2018年12月19日(Wed)]

ネーカウンラー(お元気ですか?)。MFCGボランティア会員の鈴木一登と申します。普段は東京で訪問リハビリテーションの仕事をしている作業療法士です。趣味は貧乏旅行です。

今回は、かつて名知が通っていて、現在は私が通っているJMCC(日本ミャンマー・カルチャーセンター)の学習成果発表会について、報告しようと思います。

東京のJR高田馬場駅早稲田口から歩いて3分くらいのマンションの一室にJMCCはあります。高田馬場という街は知る人ぞ知るミャンマー人街であり、リトル・ヤンゴンとも呼ばれており、たくさんのミャンマー料理屋やミャンマー雑貨屋があります。

JMCCには、ミャンマー語を母国語としない人たちがミャンマー語を学ぶ「ミャンマー語教室」がある一方で、在日ミャンマー人のためには「日本語教室」があり、在日ミャンマー人の子ども達のための「子ども会」があります。その3種類の性質の異なる教室の生徒たちが一同に会し交流するイベントが、毎年12月に開催される「学習成果発表会」です。

発表会は、お坊さんをJMCCに招き、生徒たちが用意したたくさんのお食事を食べていただき、法話と読経をしていただくことからスタートします。
日本の発表会では聞いたことがないような流れだと思いますが、ミャンマーではポエ(おまつりごと)でお坊さんを招いてお食事を食べていただくのは日常茶飯事のようです。

生徒たちは、お坊さんに食べてもらうために、腕によりをかけてごちそうをたくさん作ってきます。そしてきれいに盛り付けをします。そして、お坊さんがお食事を食べるのを、みんなで見ています。

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フルーツをきれいに盛り付けします。

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生徒たちが作ってきた料理の数々。

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お坊さんに食べていただく。

それからお坊さんに法話と読経になり、みんなでお経を唱和します。お坊さんがお帰りになると、お坊さんに食べていただいた残りのおかずをみんなでひとしきり食べます。その後、発表会の会場へ移動します。会場はよく変わるのですが、今年は高田馬場駅の近くのダンススタジオで行われました。

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法話を聴く。

私は土曜日の初級クラスに所属しています。初級クラスはごく簡単な日常会話が出来る程度のレベルなのですが、発表会では、今まで学んだ数少ないミャンマー語を駆使して、ミャンマー語劇を演じました。去年に引き続きミャンマー語で解説をしながらマジックを披露した方もいました。中級クラスはミャンマー語のラップやミャンマー俳優のコスプレを取り入れたコメディ劇、火曜日クラスは二人の女性が老女に扮して掛け合い漫才をして、会場のミャンマー人たちを爆笑させていました。

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私たちのクラスには、ラウェイ選手の金子大輝さんがいるので、ラウェイ大会を題材にした劇をしました。

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中級クラスの劇。その名もミャンマーアイドル。

日本語教室のミャンマー人達は、クラスごとに別れて発表を行いました。日本とミャンマーの祭りの比較をパワーポイントを使って説明したり、ミャンマーのナッ(土俗的な神々)について日本語で説明をしたり、落語の朗読をしたり、日本語の歌を歌ったり、日本語でしりとりをしたりなど、さまざまな方法で日ごろの学習の成果を発表していました。

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落語 まんじゅうこわい を読む。

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日本語しりとり。

発表会の最後には毎年、日本語教室の生徒たちが、ボランティアの先生達に日ごろの感謝をあらわす儀式のようなものがあります。生徒たちはイスに座った自分の先生たちの前に跪いて、先生にプレゼントを送ります。

私は日本人なので、先生の前に跪くという習わしに最初は違和感を感じていました。しかしミャンマーでは先生というのはとても偉い存在のようです。聞いた話によると、ミャンマーでは、お坊さんと先生と親を尊敬し、絶対にないがしろにしてはいけないと、子どもの頃から教えられて育ってきているそうです。日本人から見ると不思議な異国の風習や慣習を、日本にいながらにして垣間見ることが出来るのもJMCCのすごさだと思います。

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最後にみんなで「ミャーナンダ」という曲を歌って踊りました。

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ミャンマーの衣装は華やかです。

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生徒全員と先生たちで記念撮影。

このブログを読んでいる方で、ミャンマー語を勉強してみようかな、とか、ミャンマーの文化や食べ物などについて知りたいな、と思っている人がいたら、ぜひJMCCで一緒に勉強しましょう!

JMCC 日本ミャンマー・カルチャーセンター
https://jmcc.jp/


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Posted by 鈴木 at 23:34
高田馬場にあるミャンマー語教室JMCC [2018年06月16日(Sat)]

ミンガラバー(こんにちは) MFCGボランティア会員の鈴木一登と申します。
普段は東京大田区の訪問看護ステーションで作業療法士として働いています。趣味は貧乏旅行です。

今日は、最近私が通っているミャンマー語教室の紹介をしようと思います。

おそらく、当ブログを読んでくださっている方のなかには、東京高田馬場に通称リトル・ヤンゴンと呼ばれるミャンマー人街があることをご存知の方もいるかと思います。

まだご存知ない方に向けて説明いたしますと、1990年代後半くらいから高田馬場にミャンマー人が集まって住むようになりました。そしてミャンマー人のためのミャンマー雑貨屋・ミャンマー料理屋・床屋さん・旅行会社などが次々に誕生しました。ミャンマー民主化以降は来日ミャンマー人の数が増えたこともあり、お店の数も急増、最近はお店の数も増え、大変な賑わいを見せています。

その高田馬場に、JMCC(Japan Myanmar Culture Center)があります。
ここは日本にいながら、ミャンマー語とミャンマーの文化を学ぶことができる場所です。

JMCCは活動が多岐にわたるので、内容を一口に説明することが難しいのですが、メインの活動はミャンマー語教室です。
ミャンマー語クラスは入門・中級クラスが中心で、プライベートレッスンもあります。

ミャンマー文化を学べる場として、ビルマの竪琴(サウン)教室! ミャンマーの踊り、人形劇などを紹介しています。不定期でマニアックなミャンマー料理教室も開催されています。

また、毎週日曜日には在日ミャンマー人のための日本語教室とミャンマー人のお子さん達のための子ども会もあります。

さてさて、そんなJMCCの土曜日の入門クラスに、私は4月から通っています。
クラスメイトは全員で8名。生徒の年齢層は20代から50代までと幅広く、その目的も、留学、ビジネス、趣味とさまざまです。

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JMCCのミャンマー語教室は、語学の基礎である文字と文法をしっかりと教えてくれるのが特徴だと思います。それと教室にたくさんのミャンマー人が訪れるので、彼らから生きたミャンマー語を教わることができるのも利点だと思います。

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先ほどクラスメイトの話を少ししましたが、8名の生徒たちのひとりに、ミャンマー・ラウェイのチャンピオンである金子大輝選手がいます。

ミャンマー・ラウェイというのは、(私もまだ見たことがないのでよく知りませんが)グローブをはめずにバンデージのみで行うムエタイのような格闘技で、他の格闘技では禁止されている頭突きもありだそうで、試合中の流血が頻繁にあるそうです。

そんな血みどろのバトルを日々繰り広げている筋肉ムキムキの青年と、机を並べて勉強することになるとは、思いもよりませんでしたが、当の金子選手は、確かに体格はがっしりして格闘家そのものですが、表情や話しぶりはとても優しく紳士的です。

6月29日には、金子選手も出場するラウェイの試合が、ボクシングの聖地・後楽園ホールで開催されます。私はJMCCの生徒仲間と応援に駆けつけるつもりです。

今年日比谷公園で開催されたダジャンでの名知と金子選手!
P4010022.JPG


『LETHWEI IN JAPAN 8〜SAMURAI〜』
会場:東京・後楽園ホール
2018年6月29日(金)試合開始18:30
http://ilfj.or.jp

ミャンマーの格闘技を日本の後楽園ホールで見られるなんて、なんだかすごい時代になったなあと思いますが、とにかく楽しみです。

ミャンマー語教室 JMCC(Japan Myanmar Culture Center)
東京都豊島区高田3-13-6 GRACE高田馬場403
http://ミャンマー語.com(日本語ドメイン)
https://www.facebook.com/jmccbaba/
(facebookのページ)

それと、ミャンマー関係のイベントがもうひとつあるので、紹介します。

芝の増上寺で2013年から行われているミャンマー祭りです。
今年2018年は、6月30日(土)と7月1日(日)の二日間行われます。
ミャンマーとゆかりが深い企業や団体の出店の他に、
ローカルなミャンマー料理の屋台もたくさん出るみたいです。
お寺でやるイベントというところが、なんともミャンマーらしいですよね。
http://www.myanmarfestival.org

以前の記事→大盛況のミャンマー祭り2016(その1)
大盛況のミャンマー祭り2016(その2)& MFCGスタディーツアー 



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Posted by 鈴木 at 20:50
ビルマ方面 戦没者並びに物故者慰霊大法要(2日目) [2017年04月26日(Wed)]


ブログメンバー/理事の亀山です。いつもMFCGをご支援ありがとうございます。

私が前回書いた2008年ビルマ戦没者慰霊法要の続き、2日目をことを書きます。

6:30 
護摩焚きが摩尼宝塔であると聞いたので5:30に起きて準備をしていたら6時過ぎに早くも修行中の若い僧侶たちが布団を畳みに来ました。とてもテキパキした素早さにあっけにとられていると1分もかからず6人分の布団を片付けてしまった。さすが宿坊です。
 
8:30
 戦没者が祀られているビルマ式パゴタのような大きな仏塔にバスで5分くらい走ると駐車場に着きました。大きな杉並木の山道は朝の澄んだ空気で緊張感に包まれ、10分くらい歩くと到着しました。
 
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住職やミャンマー人僧侶がお経をあげる中、参列者が思い思いに線香や蝋燭をともします。私も誰にでも無く多くの犠牲になった方々に手を合わせましす。

10:30
バスで戻りメインのイベントが摩尼宝塔で大法要が始まりました。

強い日差しの中、昨夜の前夜祭のようなお祭り雰囲気は微塵も感じられません。しっかりと本堂をまっすぐ見つめる参列者たち。ビルマ戦線を戦った人、遺族、友人などが見守るなか厳かに進行していきます。
 
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第43回ビルマ方面戦没者並びに物故者慰霊大法要
 
 開会の辞
 奉賛会々長の辞
 献花献茶
 御詠歌隊入堂
 耺衆・法主・庭讃入堂
 参列者合掌 黙祷
 御詠歌隊奉唱
 前讃
 法主 回向文
 祭典委員長祭文
 慰霊文・遺族代表
 読経
 ミャンマー僧読経
 献花在日ミャンマー大使
 
 焼香
 
 般若心経唱和
 後讃
 御詠歌隊唱和
 耺衆・御詠歌隊退堂
 法主 挨拶
 閉会の辞
 
 
このなかで私が一番印象に残ったのが"祭典委員長祭文"でした。93歳の高齢にもかかわらず長い巻物を力強く読み上げます。

『・・我々は欧米列強からアジアを開放することを信念に戦い、敗れ多くの仲間を失い失意の中日本にたどり着いたがそこで待っていた東京裁判で犯罪人扱いにされたことは本当に悔しい・・・』
 
私のような戦後世代は第二次世界大戦を歴史としてしか知りません。戦地で絶望しそうな状況で戦い生き延びた人の生の声、最前線で戦った、思いを初めて聞き、カメラを持つ手も止まりただただ聞き入りました。
 
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祭典委員長が読み終えた祭文は次々に流して足元に落としていきます。私の傍に居た恐らく共に戦い帰ってきた戦友さんらしき人がそれを拾い上げて巻き取ろうとしていました。左手が不自由なようで苦労しながら巻き上げているのをみて私は半分無意義に手が伸びて、手伝いました。今思うと肉筆に触れてこの目に焼き付けたかったのだと思います
 
綺麗な字でなく、修正とつぎはぎだらけで曲がったりしていた文章でしたが力強い文字が刻まれていました。
 
少し経ってからミャンマー僧の読経があり、独特のやさしいイントネーションを聞いているとインレー湖に泊まり早朝から流れているシーンを思い出します。
 
品川のミャンマー大使館から当時の大使夫妻が来られ、献花と挨拶をされていました。その後何度かお目にかかった大使でしたがこの時が初対面でした。人当たりの良く頭の良さそうな雰囲気で、流暢に英語で話をしていたのは印象的でした。
 
12:00
大広間で最期の昼食をとりました。
大きなイベントが終わりくつろいだ雰囲気でしたが、年々減る参列者を残念がる人達の話が方々から聞こえてきました。

昼食後、高野山を降りて街に戻るり、大阪の梅田でお好み焼きを食べ新幹線に乗りウトウトしていたら、夢を見ていたような錯覚を覚えたので、カメラの画像を観て現実を確認しました。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

話は変わりますが、MFCGでは、6月11日の日曜午後に東京日本橋で設立5周年イベントを開催します。
皆座のお越しを名知代表始めメンバーでみなさんのお越しを楽しみにしております。
申し込みはこちらです!


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Posted by 亀山 at 10:00
ビルマ方面 戦没者並びに物故者慰霊大法要(1日目) [2017年04月06日(Thu)]

ブログメンバー/理事の亀山です。いつもMFCGをご支援ありがとうございます。

私は前回(3/2)、鹿児島のシェダゴンパゴダを訪れたことを書きました。そこにあった「ビルマ戦線敵味方全戦没者将兵の慰霊碑」の前に立ったときに2008年7月、高野山で参列したビルマ戦没者慰霊法要のことを思い出したのでその時のことを少し書きます。

正式名称は『第四十三回 ビルマ方面 戦没者並びに物故者慰霊大法要』、場所は高野山にある成福院でした。
参列したきっかけはバンコク在住のDr.T氏(ミャンマーへの縁を作ってくれた方)と群馬在住のO氏(Dr.T氏の学生時代からの友人で、最初にミャンマーへ行ったツアーでご一緒した方)からの誘いでした。

O氏は叔父が第二次世界大戦中マンダレー付近で戦死されたとのことでした。そして彼が昨年マンダレーを訪れた際、ある僧院で旧日本兵の遺留品があるから返還したいと申し出があったそうです。

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それは、出征時にもらった日章旗の寄せ書き、別の戦地(モンゴル)からビルマへ送られた絵はがき(1枚目写真)、当時の女優と思われるブロマイド、馬に乗った戦友の写真、そして疑似機関銃だった(2枚目写真)。疑似機関銃とは、インパール作戦に破れ敗走する日本軍は補給路を断たれ、食べるものも戦う武器すらない状況でも敵と戦うために機銃掃射音に似せたものを使っていたそうです。持ち手を回すと乾いた音がして機関銃のように聞こえなくもないですが、これを持たざる得なかった先人達を思うと複雑です。

O氏はこれらの遺留品を日本に持ち帰り、戦没者が眠る靖国神社に納めようと持参したのですが受け付けて貰えず、厚生労働省に日章旗や手紙にあった名前を調べてに行っても手がかり無しで困っていたところ、ここ高野山の成福院では毎年、ビルマ戦線戦没者慰霊法要があり、このような遺留品も納めてくれることがわかり参加に至ったそうです。
 
式典を翌日に控えた夜、宿泊先の宿坊で開かれた前夜祭の席でO氏は淡々と語り始めた。

「これで僕の"戦後"はようやく終わったよ」・・・とても重く響きました。
 続けて、ここに至までを説明し、その中で「この遺留品を60年以上も大切に保管してくれていたビルマの人たちに我々は感謝の気持ちを強く持たなければならない」と訴えていました。
 
前夜祭には、翌日の式典を控えビルマ戦線から命からがら生き延びて帰国を果たした方々も居られ、当時の話を聞かせていただきました。
自分の両親も終戦のころはまだ子供で戦後の大変な時代を生きてきた話は聞いていましたが、戦地の話はドラマや映画、本で知っている限りでした。しかし、今回、直接戦地で戦い、目の前で多くの戦友を失ってきた人たちの話、自分の判断ミスで多くの部下を死なせてしまったことは言葉にすることすら出来ないと感じた。

長くなりましたので翌日の式典の様子は次回に書こうと思います。


 3枚目の写真は大広間の夕食です。100人分の精進料理を手際よく給仕していました。精進料理のようなメニューでしたがとても美味しかったです。

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Posted by 亀山 at 20:00
シュエダゴンパゴタ [2017年03月02日(Thu)]
 

ブログメンバー/理事の亀山です。

先日、寒い関東を離れ暖かい南九州で美味しいものでも食べてのんびりしてこようと思い2泊3日で鹿児島へ旅行してきました。丁度羽田空港で飛行機を待っているときSNSで知り合った方から「鹿児島にビルマ仏教式で建てられたパゴダがありますよ」との書き込みがありました。

以前、こちらで書きましたが門司にミャンマーの僧侶が居る「世界平和パゴダ」は知っていましたが、鹿児島は知りませんでした。

場所は「南泉院」という天台宗のお寺で、レンタカー移動の旅行だったので行ってみることにしました。

宿泊していた鹿児島の中心街から車で40分くらいの山あいにひっそりと有りました。途中から狭い一本道になりましたが対向車とすれ違うことも無く駐車場についても他に車は無く、人の気配も感じられない静寂でした。入り口には立派な阿吽像がありました。

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そしてパゴダは階段を登った先にあり、名前は「シュエダゴンパゴタ」と書いてあります。

シュエダゴンパゴタと言えばヤンゴンにあるミャンマーで一番有名な聖地です。

その名を冠したここは、2008年4月に、門司の世界平和パゴダ大僧正ウ ケミンダ師を導師として落慶式が挙行されたそうです。世界の平和と、ビルマ戦線敵味方全戦没者将兵の慰霊、及び日本、ミャンマー善隣友好のため建立されと説明書きがありました。

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石の看板にはミャンマー語でシュエダゴンパゴタ(これは私にも読めます)、仏牙寺そして英語で“BUDDA TOOTH TEMPLE”と書いてあります。仏塔にはスリランカの仏歯寺から“仏歯”、ミャンマーのバガンから“仏舎利”が招来され安置されているそうです。

隣に戦没者慰霊の石碑があります。

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数年前、ミャンマー関係の友人に誘われて高野山城福院で毎年開催されているビルマ戦線戦没者慰霊法要に参加したことを思い出しました。戦後70年近く経過し生還された旧日本軍の方々も90歳を超え、参列者は年々減る一方で記憶を風化させてはならないと訴えて居ました。

少し調べてみると第二次世界大戦で日本からビルマに送り込まれた日本兵は約33万人、そして終戦後帰国したのが約12万人、6割強の方々がビルマの地で命を落としたそうです。インパール作戦などで、物資の補給は無く、食べる物も自力で手に入れなくてはならず、敵の追撃のみならず飢餓、マラリア、雨季の雨にさらされ、多くの屍が転々とする白骨街道。映画ビルマの竪琴も戦後世代の私たちも知って居ます。

今でもミャンマーの各地に日本人墓地があったり、私が訪れるインレー湖でも戦争中に日本兵とのエピソードを話す女性、日本兵が残していった機材で歯科治療する人、日本軍の砲弾の部品を授業開始合図の鐘に使っている学校、日本軍が日章旗に寄せ書きと銃剣(寄せ書き日章旗は数年前知人の手で日本に戻り高野山に納められました)

など今でも戦争を感じることがあります。第二次世界大戦ではビルマでも14万人の犠牲者かいたそうで日本軍より多くの命が失われています。

私たちはそのような重く厳しい歴史のうえに今の活動があります。親日的な国で穏やかな人たちの優しさから親しみを感じているミャンマーですが、知っておかなければならない、忘れてはならないと思っています。



皆様には引き続き、MFCGの活動を見守っていただき、一緒にサポートしていただければと思います。

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Posted by 亀山 at 06:29
ミャンマー料理レストラン「マリカ」さんに聞くAミャンマーのこと、日本のこと [2016年08月29日(Mon)]

ブログチームのKeikoです。前回の「ミャンマー料理って?」に続き、今回も高田馬場にあるミャンマー料理レストラン「マリカ」のご主人デビットさんと奥様のロイセンさんをフィーチャー。MFCGのイベント「ミャンマー料理を楽しむ会」を縁の下の力持ちで支えてくださっています。

この日はミャンマーから帰国中の代表の名知(右側で嬉しそうに笑っております)も参加し、デビットさん(一番奥の白いシャツ)とロイセンさん(お隣の素敵な笑顔)のお料理をみんなで美味しくいただきました。

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デビットさんとMFCGの出会いは7年ほど前。名知が都内でミャンマーの方たち向けの無料健康相談会を開催した時、人づてにその計画を聞いたデビットさんがお店に来るミャンマーの方たちに告知してくださったのがきっかけです。また、ミャンマーでの本格的な活動を控えた名知を見て「先生が現地の食事で困らないように」とメニューにない料理を名知に食べさせ、応援してくださいました。

そんなデビットさんが日本に来たのはバブルが終わる1990年代前半。着いてすぐ、電車が数分ごとに走っていることにびっくり。そして、ミャンマーの若者の間で大人気だった菊池桃子さん(女優か歌手かも分からないけれど、皆、学生寮の部屋に彼女のポスターを貼っていたそうです)をテレビCMで見て「やっぱりきれい」と感動。更に、ミャンマーで見ていた日本人俳優「ヘンリー・サナダ」の映画をレンタルビデオ屋で探したけれど見つからずがっかり。「ヘンリー」は海外版で日本では「真田広之」だと、のちに判明。

一方、日本に来る前のデビットさんはヤンゴンの大学に通う前途有望な学生でした。当時、地方からヤンゴンの大学に進学できるのは成績優秀な若者ほんの一握り。デビットさんと同じ北部カチン州出身の同級生は120人中わずか3人だったそうです。
しかし、社会主義政権下の閉鎖的経済政策等による経済の低迷。インフレ抑制を狙った高額紙幣の廃止。そして1988年、学生を中心とした民主化運動が全国に広がり、それを鎮圧した国軍がクーデターで政権を掌握。その変化をヤンゴンで目の当たりにしてきたデビットさんは、公務員になる目標を180度変え、ミャンマーを出る決意をしました。その後、紆余曲折を経て日本で難民申請、2008年に「マリカ」を開業しました。

デビットさんのミャンマーおすすめポイントは国内各地にある寺院はもちろんですが、それ以上に故郷カチン州の大自然。未だ幻と言われる標高5800メートル超のカカボラジ山を有し、山間を2本の川が流れています。店名「マリカ」はこのうちの1本の川の名前。そしてこの2本が合流するとミャンマーの中心を南北に流れる大河エーヤワディー川となります。
(写真はバガンを流れるエーヤワディー川)

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ただ、デビットさんが最近のミャンマーで非常に残念だと感じていることがあります。それは、経済が成長するにつれ他人を思いやる心が薄れていること。かつて道路脇の木陰には必ずや水が置いてあったそうです。それは、暑いなかを歩く他の人を気遣って「どうぞご自由にお飲みください」という心。しかし何年か前に久しぶりに母国に帰ったとき、「自分だけで後のことは関係ない」という態度が見え隠れしたと言います。

また、130を超える民族が暮らすミャンマーだからこそ、その違いを大切にして欲しいと願っています。デビットさんが子供の頃は共通言語であるビルマ語だけではなく、カチンの言葉も大切に次世代へと引き継がれていたそうです。

これからますます変貌を遂げるであろうミャンマー。デビットさんが思い描く10年後は、それぞれの文化や習慣を互いに尊重しあいながら、かつミャンマーというひとつの国のもとでみんなが成長していく姿。そのために日本にいる自分に何ができるのか、常にそれを考え行動しています。

インタビューの最後にデビットさんにMFCGに期待することも尋ねてみました。すると「現在南西部を中心にしている活動拠点を北部にも広げて欲しい。MFCGが行っている医療を必要としている地域はまだまだある。そのために私も名知さんを応援する」と。とてもありがたいお言葉です。しかしこれは同時に私たちへの訓辞でもあると受け止めています。

10月1日にまた「ミャンマー料理を楽しむ会」を開催します。デビットさんご夫妻のお料理をどうぞ食べにいらしてください。


☆オリエンタルキッチン マリカ:JR高田馬場駅より徒歩5分/東西線高田馬場駅より徒歩1分
http://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13099070/



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ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)への参加方法(寄付または会員)はこちらです。
http://mfcg.or.jp/donation/
ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)の団体ホームページはこちらです。
http://mfcg.or.jp/
また、ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)のfacebook公式ページ もご覧ください。
http://www.facebook.com/mfcg.or.jp/
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Posted by 戸村 at 07:48
新年の訪れを祝うミャンマーの祭り「東京ダジャン」 [2016年04月15日(Fri)]

熊本の被災者の皆さんへ心からご冥福とお見舞い申し上げます。
ミャンマーでもマンダレー周辺でM6.9 の地震が発生したと報道されておりますが、現地は水掛祭りの最中のためなのか詳細がわからない状態です。
どちらの地域におかれましても被害にあわれた方々の救済と一日も早い被災地の復興を心からお祈り申し上げます。

以下、本日のブログを更新させていただきます。


こんにちは。MFCGボランティア会員の鈴木一登と申します。ふだんは栃木県の病院でリハビリテーションの仕事をしています。

今回は、季節柄ダジャン(水かけ祭り)のことを書きたいと思います。
ダジャンとは、ミャンマーの新年を祝う行事です。正確には、新年を祝う行事ではなく、ダジャンを終えてから新年を迎えるようです。

というのも、ダジャンとは「ダジャーミン」(日本で帝釈天と呼ばれる神様)を迎えるお祭りなんだと聞いたことがあります。一年の間の災厄やら罪悪を洗い流すために、お互いに水を掛け合うことが、そもそもの始まりであったとか。

由来はさておき、ミャンマーで毎年4月に行われているダジャンは、実は日本でも行われています。在日ミャンマー人がミャンマー料理の屋台をたくさん出していて、手頃な値段で現地でしか食べられないようなローカルなミャンマー料理を楽しむことができます。在日ミャンマー人のバンドがライブをやったり、ミャンマーの舞踊が披露されたりもしています。
ダジャンの頃にミャンマーを旅行していると、心の底から楽しそうにしているミャンマー人をたくさん見ることができます。ダジャンの頃というのは、ミャンマーでは乾期から暑期に季節が移り、スコールが降るごとに、だんだんと暑さが増してくる時期です。カラカラに乾いた大地が湿り気を帯び、緑が息を吹き返してくる季節。だんだんと暑くなってくるのと同時に、ミャンマー人のテンションも上がってくるのかもしれません。

日本でのダジャンについては、今年は4月2日と3日に日比谷公園で行われました。例年1日だけの開催ですが、今年は東京で行われるダジャンが25周年ということもあってか2日間の開催になりました。

4月3日、私は偶然にも栃木からリハビリの勉強会のために東京の虎ノ門へ来ていました。一日座り続けて夕方には勉強会は終わりましたが、勉強だけをしにわざわざ東京へ来て、またまっすぐ栃木へ帰るのも忍びなく、勉強会に参加した同僚とともに、虎ノ門から日比谷公園まで歩いてみました。

日比谷公園に着いた頃は17時を過ぎていました。ダジャンは17時までと聞いていたのでもう終わってしまったかなと思っていましたが、屋台は店じまいをはじめていたものの、まだまだ人がたくさんいてにぎわっていました。

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開場をぐるっとひとまわり歩いたところで、ミャンマーのミニコミ誌「バダウ」を発行している落合さんと、JMCC(Japan Myanmar Culture Center)でかつて一緒に日本語教室でボランティアをしていた小山さんに会うことができました。JMCCの塾長であるマヘーマー先生にも会うことができました。

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きっと誰かに会えるはずと思い足を運んでみましたが、案の定、知己の人達に会うことができました。そしてミャンマーとはまったく縁もゆかりもない同僚を、彼らにとっては謎の外国人イベントにつきあわせることになってしまいましたので、おわびをかねてシュエインエー(ココナッツとタピオカのジュース)とサーヌーマキイン(ココナッツミルクのケーキ)を食べてもらいましたが、残念ながらというか、案の定というか、なかなか微妙な反応でした。

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「バダウ」のHPにて東京ダジャンの歴史を知ることができます。日本で開催されて今年で25年になるそうです。はじめて開催されたのは1991年ということになります。

ミャンマーがまだビルマだった1988年、学生達が主体となった民主化運動が起きました。その時の中心的な人物がアウンサンスーチーさんだったそうです。軍事政権は民主化運動を軍事力をもって強制的に鎮圧し、1989年に国名をビルマからミャンマーへと変えました。

その時に軍事政権の弾圧から日本に逃れてきた政治的亡命者たちが中心になり、東京ダジャンがはじまったと聞いています。それから四半世紀が経ち、ついに時代は変わりました。

ダジャンは新しい年の訪れを祝う祭りですが、今年の東京ダジャンは、ミャンマーという国が新しく生まれかわったことを祝う祭りでもあったのかもしれません。

バダウ イベント情報 東京ダジャン




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ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)への参加方法(寄付または会員)はこちらです。
http://mfcg.or.jp/donation/
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Posted by 鈴木 at 01:37
ミャンマー好きのあつまり「ワーダナーの会」 [2015年06月11日(Thu)]
ミンガラバー。MFCGボランティア会員の鈴木一登です。普段は栃木県のリハビリ病院で作業療法士として働いています。

先日、ミャンマー好きの人たちがつどう会、その名も「ワーダナーの会」の集まりに参席してきたので、その話をしようと思います。

ワーダナーの会は、ミニコミ雑誌『バダウ〜ビルマよもやま話〜』の主筆である落合清司さんが中心になっているミャンマー好きの集まりです。「ワーダナー」とはビルマ語で「趣味」というような意味です。

今回は、落合さんがミャンマー好き仲間の石谷さんに声をかけたのをきっかけに、いもづる式に人が人を呼び、結局17人が集まることになりました。

私がワーダナーの会を知ったのは、高田馬場にあるミャンマー語教室「JMCC」(Japan Myanmar Culture Center)でした。JMCCで日本人にミャンマー語を教え、ミャンマー人に日本語を教えているマヘーマー先生のだんなさんが落合さんだったのです。名知さんに出会ったのもJMCCのミャンマー語教室です。また当ブログのメンバーである亀山さんに出会ったのもJMCCでした。
JMCCとワーダナーの会は夫婦がやっているので表裏一体の存在です。どちらかに顔を出していれば自然ともう一方とも通じてきます。そんな感じでワーダナーの会にもJMCCでミャンマー語を勉強していた仲間が多いです。

今回のワーダナーの会は名知さんも来ると聞いていましたが仕事で予定が合わず、MFCGからは、広報誌『ミタァース通信』の校正をしてくださっている岡本さんが参加しました。

総勢17人は東京曙橋に今年できたシャン料理のお店「ゴールデンバガン」に集まりました。とくになにか重大な発表のために集まったということでもなく、おいしいシャン料理を食べながら、ミャンマービールを飲みながら、近くの席の人と旧交をあたためたり初対面の人と自己紹介をしたり、そんな雰囲気のあつまりでした。

シャン料理のお店といえば高田馬場の「ノングインレー」が有名ですが、ゴールデンバガンのシャン料理も、ノングインレーに負けないくらいおいしい。そしてここでしか食べられないシャン料理もたくさんありました。

ミャンマーはここ数年でおおきく変わりましたが、ワーダナーの会の人たちは変わっていなかった。それがなによりもうれしかったです。


落合清司さんがやっているミニコミ誌『バダウ』のHP
http://www.badauk.com/

落合さんの奥さんマヘーマー先生がやっているミャンマー語/日本語教室「JMCC」のHP
http://jmcc.fc2web.com/

シャン料理のお店「ゴールデンバガン」の食べログ
http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130903/13178952/


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Posted by 鈴木 at 23:19
世界平和パゴダ [2015年05月27日(Wed)]

MFCGミタァース便りを読んで頂きありがとうございます。ブログメンバーの亀山です。

日本国内でミャンマーに縁のある場所と言えば東京の高田馬場が有名です。ミャンマー料理屋が集まり、私も何度も訪れています。どのお店に行ってもミャンマーの人達もよく出入りしています。
数年前、テレビの情報番組か何かで九州の玄関口門司にビルマ様式のパゴダ(仏塔)があり、ミャンマーから僧侶が来ている僧院があると紹介していました。

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ミャンマーではどこに行ってもパゴダはありますが日本にあるのは初めて知りましたが、神奈川在住の私には少々遠い門司です。しかし2012年3月に下関・門司へ旅行することになり訪れてみようと改めて調べてみたら運営資金難や僧侶に帰国などで閉鎖中と知りがっかり。でも建物は外から見ることはできるようなのでと思い向かうと門司の街中から案内看板もあり迷うこと無く辿り着いたもののやはりクローズ中で外から眺めるだけでした。
昨年(2014年)秋にミタース便りメンバーでもある鈴木から世界平和パゴダが再開して、先日行って来たと聞き、丁度11月に福岡へ行く機会があったので電車で門司まで行きあまり時間も無かったのでタクシーで向かうことに。前回のクローズ中とは違い駐車場に車数台と観光客らしき人達も居ました。

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入り口には「世界平和パゴダ」と日本語、英語、ビルマ語で書かれています。門をくぐり階段を上がるとパゴダ入り口正面に。中に数組の先客が居たので一先ずパゴダの回りを何周かのんびり歩きました。風が吹くと鈴の音が心地よく涅槃仏に手を合わせたりしていると中から人が出ていくのが見えました。

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靴と靴下を脱ぎ中に入ると石の床がひんやりとして身が引き締まる感じがします。日本語でビルマ式お参りの仕方が書かれていて折角なのでその通りにお参り。「私はブッダに帰依します/ブッダン サラナン ガッチャーミ」、「私は仏法に帰依します/ダンマン サラナン ガッチャーミ」、「私は僧に帰依します/サンガン サラナン ガッチャーミ」とカタカナで書かれている通り唱えて礼拝です。ミャンマー語でもなくたしかパーリ語だったと記憶してます。今度ミャンマーでもしっかり唱えようと思います。
帰りがけに芳名帳のようなものが有るのに気付き日本語とミャンマー語で記帳しました。ページを捲っているのと少し前のページに鈴木の名前がしっかり有りました。

外に出て奥に進むと前回は入れなかった「ビルマ僧院」があります。

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灯りの付いている部屋もありましすが静かで人の気配が感じられません。入り口に「ご自由にお入り下さい」と書いてあるので扉を開き大きめの声で挨拶をすると奥から人が出てきました。話を聞くと彼はここに住み僧侶達の身の回りの世話などしている方でした。僧侶は何かのイベントに出かけて不在とのことで残念でしたが中を案内してくれて本堂?のような部屋でしばらくボーっとしてました。

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ここでミャンマー語の教室や瞑想会、人形劇など様々なイベントも開かれ地元と密着した僧院として再開されていることがわかります。今度来るときがあれば今度は是非僧侶にお目にかかりたいと思います。

帰るときに先ほどの方が裏手から降りていくと街中まで近いと教えてくれたので僧院の裏手に出ると見事が竹林が広がっています。丁度竹林越しに太陽があり、風になびく竹林と相まってとても幻想的な風景に出会うことが出来ました。

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私はミャンマーへ行くと必ず寄り、お参りするお寺が何カ所かありますが、その雰囲気を少し思い出させてくれました。少々遠いですが高田馬場とは違うミャンマーを感じるコトができる門司の「世界平和パゴダ」です。下関のふくや博多観光から少し足を伸ばして静かなミャンマーのお寺をお参りしてみてはいかがでしょうか?



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ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)の団体ホームページをご覧ください。
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また、ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)のfacebook公式ページ もご覧ください。
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Posted by 亀山 at 07:00
お坊さんの教えに触れるためにミャンマーの人がやっていること [2015年01月15日(Thu)]

ミャンマー式僧院で行われる「アルー」

いつもMFCGミタァース便りをご覧いただきありがとうございます。
MFCGブログチームの今日子です。

皆さんは、東京の板橋にミャンマー式の僧院があるのをご存じでしょうか?
有志のミャンマーの方の寄付で建てられた僧院で、ミャンマーの僧院さながら、きらびやかな仏像がまつられていて、僧侶が布教活動をしたり、ミャンマーから来日する僧侶が過ごしたりもしているとのこと。

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また土日になると、「アルー」と呼ばれる寄進が行われることが多くなります。
アルーとは、冠婚葬祭などに寄進者が食事やお布施を僧院に納め、僧侶にお経を唱えてもらうのです。

僧侶に食事をしていただいたあとは、招いた親族友人に食事をふるまいます。
ミャンマーの多くの人は、こうして食事を振るまったり、良いことをしたり、ということで、善行を積んで功徳を積み、よりよい来世を願うというように考えているんですね。

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仏陀の教えを忘れないためにする寄進も

新年のお祝いのために、ミャンマー人の友人が我が家に遊びに来てくれました。
うちの夫の親戚(実際は親戚みたいな関係(笑))で、しばし楽しい時間を過ごしました。
その1人の女の子は日本でシステムエンジニアの仕事についていますが、今月板橋の僧院でアルーをするというのです。

何のためなのか聞くと、「お坊さんの話を聞きたいから」ということで、有志の5〜6人が料理のお金を出しあい、僧侶はじめ日本にいる親戚や友人を呼んで食べてもらうというのです。
それを、今後定期的にしていきたいとのこと。

お坊さんの話を聞くのは、仏陀の教えを忘れないため。
教えは、わかっていても毎日の生活が忙しくて忘れてしまいがち。話を聞いても2週間もすれば忘れてしまう、というのです。
だから1か月に1回、やっていこうと思う、と。

どんな話が印象的だったか聞くと、自分の怒りのコントロール法ということでした。
どうすればいいのか? それは怒ってる自分を、上から観察することです。
「自分で自分の気持ちを見て、あ、怒っているな、と思ったら収まるんです。
焼きもちも、収まります」

はい、私も、お坊さんのお話を聞きに行きたくなりました。

でも難しいですよね? 簡単に怒りを手放せる方もいらっしゃるかもしれませんが私には至難の業のように感じます(^^;)
でもそれは訓練なんだそうです。
常に毎日、いつも、そのことを頭に入れて自分を観察しているとできるようになるとのこと。

というお坊さんの話を心に刻んでも、人はだんだん忘れてしまうので、またアルーをするのだそうです。
この次のアルーに招待していただいたので、またご報告しますね!

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Posted by 伊藤 at 10:30