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【お知らせ】
テレビ東京世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」に 代表名知の現地の活動紹介されました
放送局:テレビ東京
番組名:「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」
日時: 2015年6月15日(月)
詳しくは こちらです
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リレー投稿「番外」編★ミャンマーのダジャン [2022年07月07日(Thu)]

タミンサーピービーラー?(ごはん食べましたか?)ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)ボランティア・パートナーの鈴木一登と申します。今回のリレー連載は、番外編として、ミャンマーのダジャン(またはティンジャン)「水かけまつり」について書いています。

なぜかというと、ミャンマーの暦では4月に新年を迎えます。今年2022年は4月17日が元日でした。ミャンマーの新年を迎えるまでの期間に、おたがいに水をかけあって一年間のけがれを清めるのが「水かけまつり」の意味だと聞いたことがあります。というわけで今月は各ボランティア・メンバーがダジャンについて書き綴っています。

伊藤さんは東京で先日行われたダジャンを紹介してくれました。私は自分が体験したミャンマーのダジャンについて書こうと思います。

私がミャンマーで水かけまつりを体験したのは1回だけ。はじめてミャンマーを旅行した2006年でした。

その頃、東南アジアを長期貧乏旅行をしていた私は、バンコクのミャンマー大使館で28日間のツーリスト・ビザを取得し、カオサンにあるシーク教徒の店でミャンマー往復の航空券を買いました。そして暑期まっただ中の3月に、バンコクのドンムアン空港から飛行機でヤンゴンに到着しました。

空港に降り立ってから約1ヶ月、バガン・マンダレー・インレー湖・チャイティーヨーと、お決まりのルートをバスと鉄道で旅行し、最後に出会ったのが水かけまつりでした。

4月のはじめ頃、ミャンマーはもっとも暑い季節にさしかかっていました。うんざりする蒸し暑さのなか、窓を全開にした中距離バスに乗ってバゴーに向かっていた時でした。私の前の座席に、バケツ一杯分くらいの水のかたまりが窓の外から飛んできました。暑さのせいで幻覚を見たのかと思いました。前の座席の女性は「キャー」と叫びましたが、すぐに「ハハハハッ」と笑いました。

まわりの乗客たちも「アッハッハ」と笑っていました。いったいなにが起きたのかよくわかりませんでしたが、その後もバスが走っていると、次々と窓の外から水の塊が飛んできました。窓の外をよく見ていると、沿道にバケツを持った子どもたちが待ち構えていて、車が通り過ぎるのと同時に、満面の笑顔で、バケツの水を窓の中めがけて投げ込んでいました。

バスが町に近づいてくると、必ず子どもたちが待ち構えていて、バケツの水を浴びせてきます。そのうち、窓際のおばさんは、水が飛んでくるのを予想して、その時だけ窓をシャッと閉めるようになりました。

それが「水かけまつり」の序章であったということを、その時の私はまだ知りませんでした。

バゴーからヤンゴンに戻ってきた時に、大きなおまつりが始まろうとしていることがわかりました。街のあちこちにステージ(マンダッと呼ばれる)が設置されていました。

4月13日の朝にダウンタウンのゲストハウスから出ると、風景は一変していました。路上は水びたしで、子どもたちが水鉄砲やバケツを手に走り回っています。「水かけまつり」がはじまっていました。

大通りに出ると、あちこちに設置されたマンダッの上は人々が鈴なりにホースを持ち、道を歩く人に向かって水をかけまくっていました。若者たちを荷台に載せた軽トラックが何十台も数珠つなぎになってマンダッの前を通り、大量の水を浴びていました。

ちょっとそこまで、といって出かけたがさいご、家に着くまでには頭から足の先までズブ濡れになって帰ってきました。でも、ミャンマーは一年でいちばん暑い時期だから、ロンジーもTシャツもすぐに乾くし、当時は誰も携帯電話なんて持っていなかったから、濡れたところで、どうってことありませんでした。

ダジャンの最中に、ヤンゴンからバンコクに戻ってきました。タイにもミャンマーと同じように「水かけまつり」があり、ソンクランと呼ばれています、バンコクでソンクランに出会いましたが、ミャンマーのようにバスの外からバケツの水をぶっかけられるような体験はなく、物足りない感じがしました。

実をいうと、去年も今年もミャンマーは大きな不幸に見舞われており、国民はダジャンを行いませんでした。ミャンマーは、まるで突然緞帳が落とされた舞台のように、すべてが止まっています。国民は、まだ新しい年を迎えられないままでいます。

しかし、ミャンマーの人たちが過去のけがれを清め、新しい年、新しい春をむかえられる日は、そう遠くないと信じています。そのような春を迎えられる日が来たら、私ももう一度ミャンマーのダジャンに参加したいと思っています。

写真は2006年のヤンゴンで出会ったダジャン「水かけまつり」

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Posted by 鈴木 at 18:10
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