リレー投稿「ミャンマーから教わったこと」編★vol.8 [2022年01月11日(Tue)]
blogチームボランティアパートナーの伊藤です。ミャンマーには2016年末から2年半ほど滞在しました。私は現地で特別な活動をしたわけではなく、単なる滞在者、生活者としての視点になりますが、「ミャンマーで教わったこと」について書いてみました。 ************************* 沢木耕太郎氏の短編に、「胡桃のような」という作品があります。 タクシーに乗った若者が、60歳を過ぎた運転手の日常生活について聞かされる話です。毎朝2時半から仕事を始めて、夕方5時には帰宅し、風呂に入って晩酌し、夕飯を食べて寝る。毎日毎日、同じことの繰り返し。その「胡桃の殻のような」堅牢な人生を前に、若者は自らの人生が、いかにも柔らかく脆いものに感じられる・・・という話です。 学生時代をバックパッカーとして過ごした私にとって、沢木氏の「深夜特急」はバイブルのような存在ですが、この短編も、読後いつまでも余韻の残る、特別な味わいのある作品でした。 2016年に夫の赴任についてミャンマーに渡った私は、現地での生活に慣れるにつれて、ふと、この作品を思い出すことが多くなりました。 毎週土曜の朝に訪れていたヤンキン・ゼー(市場)の入り口で野菜を売っている女の子。いつも同じ場所に野菜を並べ、値段を尋ねれば淡々と金額を口にする。安いときも高いときも、外国人である私に対しても、サンダルをつっかけた近所のおばさんに対しても、彼女の対応は変わりませんでした。外国人には高めに売ることだってできるだろうに、そんなことは微塵も考えたことがないようでした。 市場の隅でシャン・ヌードルを売っている家族も、毎日同じように小さな店を開け、同じメニューを同じ値段で売り続けていました。2年以上通っていたけれど、新メニューはついぞ登場したことがなく、付け合わせのピクルスもいつも同じ。 このような人たちは、ヤンゴンの街中で、比較的よく見られるように思います。私は最初、彼らのことを、商才がないなと思いました。ミャンマー人が時として「頑固」で「進歩がない」と言われてしまう理由は、こういうところなのかな、とも思いました。 それでも、毎日愚直に同じことを繰り返し、積み重ねていく彼らのやり方をずっと見ていたら、そこに、ゆるぎない人生を築き上げていく強さのようなものを感じるようになりました。そう、まさに胡桃のような。 輪廻転生の大きな流れの中にいる彼らにとって、「ジタバタしない」生き方は、自然なものなのかもしれません。 乗車率120%の地下鉄で都心のオフィスに通い、何度か転職もして、常に「より良い自分を目指す」のが良いことだと信じてきた私。変化や改善のない生活は怠惰だとさえ思っていた私。 でもミャンマーには、何も変えず、ただ愚直に同じことを繰り返しながら力強く生きている人達がいました。 「人が幸せに生きていくためには、どうしたらいいのだろう。」異文化に触れた全ての人が一度は感じるこの疑問に対する一つの答えが、そこに示されているような気がしました。 あの頃とはすっかり状況の変わってしまったミャンマー。彼女たちの生活が、穏やかに堅牢に守られていくことを願うばかりです。 ヤンキン・ゼーの朝の賑わい(2017年) 日本では見たことのない野菜もたくさん 食べ方の分からない野菜・その1 食べ方の分からない野菜・その2 タディンジュ満月の前には市場の入り口に灯篭のおもちゃ売りが並びます(2017年) 市場の中の生花コーナー 限られた季節だけ売られる蓮の花 ------------------------------------------------------------------------------------------------- ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)への寄付・支援をお願いします→ MFCGの活動に寄付をする MFCG 団体ホームページはこちら→ ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会 MFCG facebook にも「いいね!」をお願いします→ ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)facebook公式ページ -------------------------------------------------------------------------------------------------- |
Posted by
鈴木
at 15:00