シュエダゴンパゴタ [2017年03月02日(Thu)]
ブログメンバー/理事の亀山です。 先日、寒い関東を離れ暖かい南九州で美味しいものでも食べてのんびりしてこようと思い2泊3日で鹿児島へ旅行してきました。丁度羽田空港で飛行機を待っているときSNSで知り合った方から「鹿児島にビルマ仏教式で建てられたパゴダがありますよ」との書き込みがありました。 以前、こちらで書きましたが門司にミャンマーの僧侶が居る「世界平和パゴダ」は知っていましたが、鹿児島は知りませんでした。 場所は「南泉院」という天台宗のお寺で、レンタカー移動の旅行だったので行ってみることにしました。 宿泊していた鹿児島の中心街から車で40分くらいの山あいにひっそりと有りました。途中から狭い一本道になりましたが対向車とすれ違うことも無く駐車場についても他に車は無く、人の気配も感じられない静寂でした。入り口には立派な阿吽像がありました。 そしてパゴダは階段を登った先にあり、名前は「シュエダゴンパゴタ」と書いてあります。 シュエダゴンパゴタと言えばヤンゴンにあるミャンマーで一番有名な聖地です。 その名を冠したここは、2008年4月に、門司の世界平和パゴダ大僧正ウ ケミンダ師を導師として落慶式が挙行されたそうです。世界の平和と、ビルマ戦線敵味方全戦没者将兵の慰霊、及び日本、ミャンマー善隣友好のため建立されと説明書きがありました。 石の看板にはミャンマー語でシュエダゴンパゴタ(これは私にも読めます)、仏牙寺そして英語で“BUDDA TOOTH TEMPLE”と書いてあります。仏塔にはスリランカの仏歯寺から“仏歯”、ミャンマーのバガンから“仏舎利”が招来され安置されているそうです。 隣に戦没者慰霊の石碑があります。 数年前、ミャンマー関係の友人に誘われて高野山城福院で毎年開催されているビルマ戦線戦没者慰霊法要に参加したことを思い出しました。戦後70年近く経過し生還された旧日本軍の方々も90歳を超え、参列者は年々減る一方で記憶を風化させてはならないと訴えて居ました。 少し調べてみると第二次世界大戦で日本からビルマに送り込まれた日本兵は約33万人、そして終戦後帰国したのが約12万人、6割強の方々がビルマの地で命を落としたそうです。インパール作戦などで、物資の補給は無く、食べる物も自力で手に入れなくてはならず、敵の追撃のみならず飢餓、マラリア、雨季の雨にさらされ、多くの屍が転々とする白骨街道。映画ビルマの竪琴も戦後世代の私たちも知って居ます。 今でもミャンマーの各地に日本人墓地があったり、私が訪れるインレー湖でも戦争中に日本兵とのエピソードを話す女性、日本兵が残していった機材で歯科治療する人、日本軍の砲弾の部品を授業開始合図の鐘に使っている学校、日本軍が日章旗に寄せ書きと銃剣(寄せ書き日章旗は数年前知人の手で日本に戻り高野山に納められました) など今でも戦争を感じることがあります。第二次世界大戦ではビルマでも14万人の犠牲者かいたそうで日本軍より多くの命が失われています。 私たちはそのような重く厳しい歴史のうえに今の活動があります。親日的な国で穏やかな人たちの優しさから親しみを感じているミャンマーですが、知っておかなければならない、忘れてはならないと思っています。 皆様には引き続き、MFCGの活動を見守っていただき、一緒にサポートしていただければと思います。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)への寄付・支援をお願いします→ MFCGの活動に寄付をする MFCG 団体ホームページはこちら→ ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会 MFCG facebook にも「いいね!」をお願いします→ ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)facebook公式ページ --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- |
Posted by
亀山
at 06:29