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1500円のご支援でマラリアにかかった子ども10人分を治療する薬が買えます。

【お知らせ】
テレビ東京世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」に 代表名知の現地の活動紹介されました
放送局:テレビ東京
番組名:「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」
日時: 2015年6月15日(月)
詳しくは こちらです
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リレー投稿「日本の中のミャンマー」編★vol.4 高田馬場リトル・ヤンゴン [2022年07月07日(Thu)]

こんにちは。MFCGボランティアパートナーの伊藤です。

日本の中のミャンマーと言えば・・・ということで、久しぶりに高田馬場のリトル・ヤンゴンに行ってきました。まだ行ったことのない方に向けてご紹介します。

リトル・ヤンゴンは、高田馬場駅前のビルの中に展開しています。8‐9階にミャンマー食材店が集中していて、エレベーターを降りれば、そこはミャンマー。

パッケージは基本的に全てミャンマー語なので読めませんが、店員さんに聞けば親切に教えてくれます。皆さん無理に勧めることもないので、ゆったりとしたムードで楽しくお買物ができます。

(店内の様子)
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私が買ったのは、ヤンゴンでよく飲んでいたインスタントのミャンマーミルクティー。すんごく甘いですが、疲れた時に飲むと癒されます。

(ミルクティー)
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それから、スパイシーマンゴー。マンゴーに唐辛子という、日本人には思いもつかない組み合わせ。食べてみると、辛さの中からじんわり立ち昇ってくる甘さが癖になります。

(スパイシーマンゴー)
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お買物の後は、4階にある昨年オープンしたばかりのお洒落なミャンマーカフェへ。ここは、1階にある有名レストランの系列店なので、そちらからお料理も持ってきてくれます。

(カフェの様子)
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私が注文したのは、「ダンパウ」というミャンマー風ビリヤーニと「ラペットゥ」という定番のお茶の葉サラダ。お友達が頼んだのは、「オーノカオスエ」というココナッツミルクの入ったスープヌードル。いずれも日本人の口に合い、また食べたいと思うお味です。

(ダウパウ)
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(ラペットゥ)
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(オーノカオスエ)
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最後はミルクティーとミャンマースイーツ。もち米でできた温かいデザートで、二人ともすぐに完食。同じような形でバナナ、セムリナ粉、じゃがいも等でできたお菓子もあり、どれが好きか食べ比べるのも楽しいです。

(ミャンマースイーツ)
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今回ご紹介したのは、リトル・ヤンゴンの中で、私のようにミャンマーの言葉が分からず、料理にも慣れていない方でも十分に楽しめ、ミャンマーを身近に感じられるお店です。

リトル・ヤンゴンはミャンマー関係者にとっては馴染みの深い場所なので、他にも色んな楽しみ方があると思います。


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Posted by 鈴木 at 19:32
リレー投稿「日本の中のミャンマー」編★vol.3 もやし [2022年07月07日(Thu)]

こんにちは。ボランティアパートナーの仲野です。日本各地で水かけ祭りが開催されていましたが、参加された方はいらっしゃるでしょうか。もしかしたら、もう一本水かけ祭りをテーマにした投稿があるかもしれませんが(!?)、「日本の中のミャンマー」を再開しようと思います。

味噌汁や炒め物、安くて使い勝手の良いもやしは皆さんの食卓にも並ぶ機会が多いかと思います。

そんな「もやし」について紹介しようと思います。

スーパーで手にしているもやしの種がミャンマーから来ていたことを初めて知ったのは、2018年頃でした。

ミャンマー留学から戻り、東京に住んでいた時のことです。ある時、ふと、ヤンゴン大学の学食で食べていた肉野菜炒めを食べたくなりました。

それは、その時安く手に入っただろう野菜で作られており、野菜の種類も、それぞれの量も毎回異なっていました。

ナンプラーとオイスターソース、味の素があれば、適当に作っても、それらしきものができそうだと思い、ヤンゴン大学の行きつけ食堂風肉野菜炒めを作ることにして、その日はスーパーに行きました。いつもは産地や種類など気にせず、量が多く、一番安いもやしを選んでいましたが、その日は、よりミャンマーの食堂で食べていたもやしに近いものを買おうと意気込んでいました。

ありました。ひょろっとしたもやしが。

日本でよく見るもやしはプリっとしたものというイメージがあったので、これは一体どこで作られたのだろうと気になり、商品を裏返して、初めてもやしの品質表示を見てみると、「ミャンマー」という文字がそこにありました。種子をミャンマーから持ってきて、日本で育てたもやしでした。

また、今回もやしについて書こうと思い、もやし生産者協会のホームページでもやしについて調べてみると、日本で食べられるもやしは、緑豆、ブラックマッペ、大豆を種子としているものが多いく、ミャンマーでは緑豆とブラックマッペを作ることができるということでした。

ミャンマーとの輸出入の問題なのか、正確なことは不明ですが、最近はミャンマー産の種子を使ったもやしを見かけることがなくなりました。

皆さんも、状況が落ち着き、もやしを購入する際は、裏側の品質表示までご確認ください。思いもよらないところに、ミャンマーが隠れているかもしれません。

(写真1)ヤンゴン大学食堂で食べた昼ごはん
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(写真2)寮で出てきた朝ごはん、少し太めのもやし。
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Posted by 鈴木 at 19:28
リレー投稿「番外」編★ミャンマーのダジャン [2022年07月07日(Thu)]

タミンサーピービーラー?(ごはん食べましたか?)ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)ボランティア・パートナーの鈴木一登と申します。今回のリレー連載は、番外編として、ミャンマーのダジャン(またはティンジャン)「水かけまつり」について書いています。

なぜかというと、ミャンマーの暦では4月に新年を迎えます。今年2022年は4月17日が元日でした。ミャンマーの新年を迎えるまでの期間に、おたがいに水をかけあって一年間のけがれを清めるのが「水かけまつり」の意味だと聞いたことがあります。というわけで今月は各ボランティア・メンバーがダジャンについて書き綴っています。

伊藤さんは東京で先日行われたダジャンを紹介してくれました。私は自分が体験したミャンマーのダジャンについて書こうと思います。

私がミャンマーで水かけまつりを体験したのは1回だけ。はじめてミャンマーを旅行した2006年でした。

その頃、東南アジアを長期貧乏旅行をしていた私は、バンコクのミャンマー大使館で28日間のツーリスト・ビザを取得し、カオサンにあるシーク教徒の店でミャンマー往復の航空券を買いました。そして暑期まっただ中の3月に、バンコクのドンムアン空港から飛行機でヤンゴンに到着しました。

空港に降り立ってから約1ヶ月、バガン・マンダレー・インレー湖・チャイティーヨーと、お決まりのルートをバスと鉄道で旅行し、最後に出会ったのが水かけまつりでした。

4月のはじめ頃、ミャンマーはもっとも暑い季節にさしかかっていました。うんざりする蒸し暑さのなか、窓を全開にした中距離バスに乗ってバゴーに向かっていた時でした。私の前の座席に、バケツ一杯分くらいの水のかたまりが窓の外から飛んできました。暑さのせいで幻覚を見たのかと思いました。前の座席の女性は「キャー」と叫びましたが、すぐに「ハハハハッ」と笑いました。

まわりの乗客たちも「アッハッハ」と笑っていました。いったいなにが起きたのかよくわかりませんでしたが、その後もバスが走っていると、次々と窓の外から水の塊が飛んできました。窓の外をよく見ていると、沿道にバケツを持った子どもたちが待ち構えていて、車が通り過ぎるのと同時に、満面の笑顔で、バケツの水を窓の中めがけて投げ込んでいました。

バスが町に近づいてくると、必ず子どもたちが待ち構えていて、バケツの水を浴びせてきます。そのうち、窓際のおばさんは、水が飛んでくるのを予想して、その時だけ窓をシャッと閉めるようになりました。

それが「水かけまつり」の序章であったということを、その時の私はまだ知りませんでした。

バゴーからヤンゴンに戻ってきた時に、大きなおまつりが始まろうとしていることがわかりました。街のあちこちにステージ(マンダッと呼ばれる)が設置されていました。

4月13日の朝にダウンタウンのゲストハウスから出ると、風景は一変していました。路上は水びたしで、子どもたちが水鉄砲やバケツを手に走り回っています。「水かけまつり」がはじまっていました。

大通りに出ると、あちこちに設置されたマンダッの上は人々が鈴なりにホースを持ち、道を歩く人に向かって水をかけまくっていました。若者たちを荷台に載せた軽トラックが何十台も数珠つなぎになってマンダッの前を通り、大量の水を浴びていました。

ちょっとそこまで、といって出かけたがさいご、家に着くまでには頭から足の先までズブ濡れになって帰ってきました。でも、ミャンマーは一年でいちばん暑い時期だから、ロンジーもTシャツもすぐに乾くし、当時は誰も携帯電話なんて持っていなかったから、濡れたところで、どうってことありませんでした。

ダジャンの最中に、ヤンゴンからバンコクに戻ってきました。タイにもミャンマーと同じように「水かけまつり」があり、ソンクランと呼ばれています、バンコクでソンクランに出会いましたが、ミャンマーのようにバスの外からバケツの水をぶっかけられるような体験はなく、物足りない感じがしました。

実をいうと、去年も今年もミャンマーは大きな不幸に見舞われており、国民はダジャンを行いませんでした。ミャンマーは、まるで突然緞帳が落とされた舞台のように、すべてが止まっています。国民は、まだ新しい年を迎えられないままでいます。

しかし、ミャンマーの人たちが過去のけがれを清め、新しい年、新しい春をむかえられる日は、そう遠くないと信じています。そのような春を迎えられる日が来たら、私ももう一度ミャンマーのダジャンに参加したいと思っています。

写真は2006年のヤンゴンで出会ったダジャン「水かけまつり」

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Posted by 鈴木 at 18:10
リレー投稿「番外」編★TOKYOダジャン祭り [2022年07月07日(Thu)]

MFCGブログチームの伊藤です。先週から「リレー連載:番外編」として水かけ祭りの記事をお送りしていますが、4月10日に日比谷公園で行われたTOKYOダジャン祭りに行ってきたので、会場の様子をレポートします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ダジャンはミャンマー正月を祝う水かけ祭りのことです。日本の各地で、その時期に合わせてミャンマー祭りが行われます。

当日の午前10時過ぎ、地下鉄日比谷駅を出ると、会場を目指すミャンマー人グループが、ここにも、あそこにも。公園に入ると、会場入口での消毒を待つ人達が長蛇の列を作っていました。

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幸い日本人用の入口はそれほど混んでおらず、中に入ると、ミャンマー各地の料理を売るスタンドが、陸上トラックくらいの大きさの会場をぐるりと取り囲むように並んでいます。ミャンマー語と日本語で呼び込みをする店員さんと、あちこちのブースを覗きながら行ったり来たりするお客さんで、会場内はすごい熱気。

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様々な少数民族の料理が並び、バラエティーも豊かです。ミャンマーの代表的な麺類モヒンガーはもちろん、私の大好きなミャンマースイーツのスタンド、雑貨のスタンドもありました。

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会場内のステージでは、ミャンマーの踊りと歌のパフォーマンスが行われています。ダジャン(水かけ祭り)のダンスを披露した女の子たちは、最後にステージ中央に集まり、日本語で、ミャンマーに平和を取り戻すための協力を呼び掛け、会場は一瞬しんみりとした雰囲気になりました。

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続いての出し物は、のど自慢大会。500円払った観客は舞台に上がって歌手の首にレイ(花輪)を掛けられるシステムになっていて、写真の男の子は、リズムよい歌と踊りで大人気。レイでぐるぐる巻きにされながら、「チェズバー!(ありがとう!)」と叫ぶ彼に、ステージ前に並んだ観客たちは、大きく手を振り上げて応えていました。

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東京近郊の在日ミャンマー人と、ミャンマーに関心を持つ日本人の集まるイベントと聞いていましたが、想像以上の人数と盛り上がりに驚きました。ミャンマーの若者たちのパワーと笑顔の溢れる会場を後にしながら、彼らの未来が明るいものであって欲しいと心から願いました。


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Posted by 鈴木 at 18:06
リレー投稿「番外」編★水かけ祭り [2022年07月07日(Thu)]

こんにちは。ボランティアパートナーの仲野です。 
「日本の中のミャンマー」というテーマでリレー連載中ですが、4月から5月にかけて、東京の日比谷公園をはじめ、日本各地でミャンマーの水かけ祭りが開催されるので、今回は「水かけ祭り」について書こうと思います。

ーーーーーーーーーーーー
ご存知の方が多いと思いますが、水かけ祭りとは、新年を迎える前に、水をかけて1年間の汚れを落とすという行事です。

私が滞在していた2018年は、水かけ祭り中、大型スーパーも休業して、皆が水かけ祭りに参加するという時期でした。

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いざ、水かけ祭り期間が始まると、大通りに人々が繰り出し、トラックの荷台から水をかけ、道路脇に作られたステージから水をかけます。

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歩いていても、自動車に乗っていても、トラックに乗っていても、水をかけられます。水をかけられないで、どこかに行くことは不可能ではないかと思うほど、あちこちからかけられました。

水かけ祭り初参加だったからか、日本人だからか、期間後半、十分汚れは落としたから、もう水かけられたくないなと思ってきました。近所の食堂が営業中という噂を聞き、温かいご飯を食べたくなった私と友人は、大通りを通らないように食堂に行くことにしました。

住宅街の細い道を選んで向かいましたが、小さな子供たちに、見つかり、追いかけられ、水鉄砲と桶で水をかけられてしまいました。

ある時、この話をミャンマー人の友人にすると、知らない大人に水をかけてもトラブルにならない社会だからこそ起きた出来事だね(笑)、と言われました。その視点はなかったので、今でも印象に残っています。

同じ出来事1つでも、見方によって印象が変わることを実感しました。様々な視点から見ることを忘れないようにしたいです。


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Posted by 鈴木 at 17:59
リレー投稿「日本の中のミャンマー」編★vol.2ミャンマーのお寺 [2022年03月27日(Sun)]

ネーカウンラー?(お元気ですか?) MFCG ボランティア・パートナーの鈴木一登と申します。ふだんは東京都の訪問看護ステーションで作業療法士として働いています。
今回のリレー連載、お題は「日本の中のミャンマー」。トップバッターの一宮さんは、日本にある Made in Myanmar の服を紹介してくれました。次にわたしが紹介したいのは、「ミャンマーのお寺」です。

ミャンマーには、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教をはじめ、さまざまな宗教を信仰する人々が暮らしていますが、仏教徒が多いこともよく知られています。2014年の国勢調査によれば、宗教別人口構成比における仏教徒の割合は87.9%とのことです。
仏教といっても、ミャンマーの場合、日本の「大乗仏教」とは様相がかなり異なる「上座部仏教」を信仰しているのが特徴です。上座部仏教とはなにか? ということを説明すると、夜が明けてしまうので割愛します。そんなミャンマーの上座部仏教のお寺が、じつは日本のあちこちにあります。

私も仏教徒なので、ミャンマーのお寺によく行きます。ミャンマーのお寺ではイベントをいろいろやっています。今年のお正月には、埼玉県和光市にある、ミャンマーのお寺(通称 和光市のお寺)で、仏塔を建立するために土を掘るボランティアを、友人たちと行ってきました。
いま、和光市のお寺では、日本に住むミャンマー人たちが、寄付をしたり、手作業をしたり、文字通り、みんなでちからを合わせて、仏塔の建立を行っています。土を掘って整地して、掘りかえした土を運んで土のうに入れる作業をみんなでやりました。
ボランティア作業が終わると、とうぜんのように食事をごちそうになりました。その日、お寺で結婚式を挙げるカップルがごちそうしてくれたのです。
その時はたまたま結婚式を挙げる人がいましたが、お寺でイベントがある時には、必ず食事がふるまわれます。檀家さんというのか、お寺を訪れる人々が、お坊さんに食べていただくために料理を作ってお布施として持ち寄ります。その食事のお布施は、お坊さんが召し上がったあとに、私たちもいただくことができます。

つい最近、埼玉県東松山市にあるミャンマー寺院「悟り寺」に行ったときも、そんなつもりはなかったのですが、「サー サー」(食べて 食べて)と言われるがままに食堂に上がり込み、気がついたらデザートまで、おなかいっぱいごちそうになっていました。
お寺に行くとおなかいっぱいになるというのは、日本のお寺にはあまり見られない、ミャンマーのお寺ならではの特徴だと思います。私はいつもそのことに感動しています。

そして、ミャンマーのお寺の特徴として、私がもうひとつ関心しているのが、お寺そのものが「くつろげる場所」であることです。境内のあちこちにはイスが置いてあり、建物の中では横になって休むこともできます。仏像に足を向けないようにだけ注意すれば、お寺のなかでは、かしこまって正座をする必要もありません。境内には、人々が持ち寄った花や果樹が植えられていて、大切に育てられています。

私はいつも、ミャンマーのお寺に行くと、うらやましさを感じます。たくさんの人々が集まって、損得なしに、みんなで協力してなにかを作り上げている。誰でもおなかいっぱい食べられて、安心してくつろいでいる。そのような場所は、いまの日本社会のなかで見つけようと思っても、なかなか見つからないものです。欲しいと思ってもなかなか得られないものです。それが、ミャンマー社会のなかには、どこにでも、あたりまえのように存在しています。

日本にあるミャンマーのお寺にぜひ訪れてみてください。きっとそこには、ミャンマーそのものがあると思います。

写真1〜8 埼玉県和光市のお寺での仏塔建立ボランティア。

写真1
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写真2
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写真3
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写真4
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写真5
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写真6
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写真7
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写真8
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写真9〜16 埼玉県東松山市の悟り寺。パオ民族の日が近かったため、日本に住むパオ民族たちがお寺に集りました。

写真9
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写真10
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写真11
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写真12
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写真13
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写真14
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写真15
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写真16
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次の「日本の中のミャンマー」は仲野さんが紹介してくれます。私たちの身近に、どんなミャンマーがあるのか、楽しみにしています。


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Posted by 鈴木 at 10:17
リレー投稿「日本の中のミャンマー」編★vol.1ミャンマーの洋服 [2022年03月27日(Sun)]

こんにちは。MFCGブログチームの一宮です。今回から、新たなリレー連載がはじまります。
MFCGの活動に興味を持ったり参加したりされている皆さんは、ミャンマーへの関心も高いと思います。
そこで今回のテーマは、日本にいながらにして「ミャンマーを感じる何か」「実はミャンマーにご縁があるもの」、を探してみることにしました。

ーーー
まずは私から。
それは、洋服です。
日本の衣類のおもな輸入先は、約半数が中国。
続いてベトナム、バングラディシュ、カンボジア。そして第5位がミャンマーです。(一般社団法人 日本貿易会サイトより。2020年時点)
ひと昔前は、ほぼすべてがMade in Chinaだった気がしますが、今はこんなに多様になってるんですね。

私は、「無印良品」の衣類を愛用しています。試しに自宅のタンスからいくつか引っ張り出し、生産国をチェックしてみると、見事にバラバラ!

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ミャンマー製なのは、ダウンベストでした。ちなみに無印の別のダウンジャケットもミャンマーからのもの。

私はミャンマーに住んでいた時、一度だけ縫製工場を見学したことがあります。そこで作っていたのも、ダウン製品でした。

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広々とした工場内部には、日本の「JUKI」ミシンがずらーっと並び、ロンジー姿の女性たち(男性はごくわずか)が、見事な足踏みで軽やかに縫い上げていのが印象的でした。

実は気づいていないだけで、皆さんもすでに「made in Myanmar」の洋服とともに生活しているのかもしれませんね。


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Posted by 鈴木 at 06:12
リレー投稿「ミャンマーから教わったこと」編★vol.10 [2022年03月26日(Sat)]

こんにちは!MFCG代表の名知です。
日本は寒いそうですね・・ミャンマーは本来は乾季で一番過ごしやすい季節のはずですが・・・ ここ現地は朝寒く!フリースです。日中は半そでのいでたちです。

今回、私が個人的に感じているミャンマーから学んだこと、を書きたいと思います。
それは "人間の気持ちの変化" です。 気持ちの移り変わりを自分の感じたままに書いてみました。個人的な印象ですので 全員にあてはまるわけではありません。一般的にミャンマー人は穏やかで、大人しいと言われています。

ミャンマーは 135の多民族国家で、昔、イギリスや日本の統治下にあった時代もあります。
2004 年に初めて、私は、ミャンマーのラカイン州で医療サポートに携わりました。ここはバングラデシュとの国境沿いで、ラカイン族が多く住み、また大勢のロヒンギャの方も住んでいます。
歴史的な背景もあり、民族間の対立や想いは、根深く、私が想像する以上に複雑で理解できない部分も多く含まれていました。

今も、その想いはあります。ヤンゴンに住むとても親しいミャンマー人の友人でさえ、さらに、日本に住む近しいミャンマー人の友人に質問しても、民族間の溝が埋まるような返事はなかったです。それどころか強く否定の言葉を聞かされたのを鮮明に覚えています。
2011 年、民政移管になり、ミャンマーへの門戸が開かれました!その後の経済の成長ぶりは目を見張るほどです。

特に、商業都市と言われるヤンゴンやマンダレーなどの発展は早く、ベトナムやタイなどの様々な外国資本が参入しました。ヨーロッパなどからも観光客が来られ、そのお客のために煌びやかなホテルが立ち並びました。また、働く外国人のためのコンドミニアムもたくさん建設されました。

そんな中 私は "違和感" を感じるようになってきました。ミャンマー人の言葉や対応が変化していっている感じを覚えたのです。それは "モノやお金に対する価値観の変化" ではないかと。
中々、正確に表現するのは難しいのですが・・・。ミャンマー人の素直さや純粋さのようなものが徐々に少なくなっていくのを体感しました。

ものさしがよくも悪くもお金。いくらに換算できるのか? ビジネスに直結するか?になっていった感覚をうけました。今まで抑圧されてきたので その反動でもあるのだろう、と私は、解釈していました。どちらかというと、物欲。。。
"人は環境によって変わる!"

そして、2021 年 2 月 1 日、この日からまた、激変した、ミャンマーの現実。この惨事に対し、少数民族が自分たちの意志でまとまってきています。
さらに、今までなら、ラカイン州のロヒンギャ問題にそれほど、関心を寄せなかったミャンマーの人々から、"今までのこと、すまなかった。申し訳ない!" という言葉を聞くようになりました。

もらう幸せからできる幸せ、そしてあたえる幸せに! 自分たちで自分たちの未来を考え、一歩を踏み出す! その歩みをしていると感じています。

まだまだ、道は険しいです。それでも前を向いて進んでいく! 誰のためでもなく、自分たちのために、次代のために!

"人は変われる!" 私は、ここミャンマーで毎日 様々なことを学んでいます。 その中で、この "人は変わることが出来る!!" と確信しています。今 私はミャンマーの人びとと供に最善の道を切り開いていきます。

花 応援スピーカ頂きありがとうございますにこにこ
〜〜現地から活動できることへの感謝を込めて 〜〜

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Posted by 鈴木 at 22:55
リレー投稿「ミャンマーから教わったこと」編★vol.9 [2022年03月26日(Sat)]

初めまして。
ラジオディレクター&日本語教師の小山 です。
2017年、担当するラジオ番組で名知さんに
取材させていただいき、それ以来
マンスリーサポーターとして、
MFCGを応援しています。
今回、2019年、私の活動の一部を寄稿します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ヤンゴン国際空港から北へ 
車で30〜40分ほど行った静かな村、
そこに私の活動する尼僧院学校があります。
ここで私は、子ども達に日本語を教えています。
およそ80人の尼が共同生活をしている
この僧院に、子ども達は60名ほど。
ピンクの袈裟を着た、尼の女の子たち。
とてもかわいいです。
彼女たちの一日をご存じですか。
僧院によって違うかもしれませんが、
ここでは、起床は朝の5時半。
6時に読経、6時半から朝ごはんです。
それから敷地内の学校のお掃除をして、
8時に水浴びをします。
それから各自勉強をしたり、
私が日本語を教えたり…。
10時半になると、お昼ごはんを食べて、
中学生以上は村の学校へ行きます。
学校から戻ってくるのは、夕方5時。
6時に水浴びをして、6時半からまた読経です。
(年齢の低い4歳ぐらいの子は、
この時間になるとウトウト…。)
夜7時から9時まで勉強時間で、
10時に就寝です。
(昼12時以降食事はしません。)
ご飯づくりは、役割分担が決まっています。
小さい子は、野菜のヘタをとったり、
皮をむいたり、お皿を洗ったり。
少し年上のお姉さん尼は、火をおこしから。
大きい鍋でおいしい料理をつくります。
校長先生自ら腕を振るう時も。
「これは私が作ったの」と。(^^)/

ミャンマーとの出会いは、2013年。
ミャンマーの識字率が高いことは
知られていますが、それは僧院で貧困層の
子ども達に文字の読み書きを無料で
教えているから…。そういう背景もあり、
私の財団では ミャンマーの6つの僧院に
学校建設支援をしてきました。
当初は完成した学校の贈呈式の企画を
実施したり、
その後の学校がきちんと運営されているか
を視察することが私の仕事でした。
贈呈式では、日本のこと、
日本の文化をミャンマー語で紹介する劇を
子供たちに披露したり、ミニサッカー大会や、
日本人のスタッフが楽器を演奏し、
その音楽に合わせて、子ども達が合唱したり…
ヤンゴン在住の日本人バンドが青空生ライブ!
などなど‥‥いろいろやりました(笑)
どの贈呈式も毎回盛り上がり、子ども達、
先生達、参加した人々に笑顔が溢れる日になります。

ミャンマーとのかかわりが深くなる一方で、
僧院学校の継続的な運営の難しさや、
そこにいる子ども達の厳しい生活環境、
家庭環境を知るようになると、学校を守り、
子ども達の可能性を広げるにはどうしたらいいか…、
もっとコミットしたかかわり方をしたいと
自然に思うようになりました。
とはいうものの、一人で いきなり6校
すべてで何かをはじめるのも難しい…。
何度も建てた僧院学校を回っていると、
最初の頃は気づかなかった校長先生の人柄、
考え方や学校の状況などが見えてきます。
その中で、話し合ったり、協力し合ったり
できそうな、ひとつの学校からはじめることに
しました。それが今の尼僧院学校だったのです。
この僧院では、少数民族パオ族の女の子を
60名ほど引き取って育てていました。
校長先生は 学位の高い尼の資格をもって
いらっしゃいますが、とても気さくで、
愛情深く、子ども達が望むなら、
(尼の道に進まなくてもいいから)
いろいろなチャンスを与えたいとおっしゃっていました。
その校長先生の人柄に惹かれ、
毎月1週間〜10日ほど、日本から渡航し、
学校運営のお手伝いをしながら、
勉強の楽しさを教えたいと思い、
校長先生と相談し、母語習得も出来ていて、
日本語を勉強したい子どもたち16名に
日本語を教えはじめました。
(そのために教師の資格も取得、笑)
日本語を飽きずに楽しく学んでほしいという
思いから、劇や歌、ゲームや体験学習、
グループワークや、日本食をみんなで作ったり、
授業内容はさまざまです。
最初の頃は、この風変わりな授業を見た
校長先生や先生方はとても戸惑い(笑)
子ども達も、ミャンマーの授業にはない
グループワークにフリーズ(笑)
でも、子ども達はすごいんです、場を楽しむ
天才!どんどん吸収していきます。
私は子ども達に助けられながら、
一緒に授業を作っていきました。

子ども達の写真を見た友人からは
「男の子じゃないの?」とびっくりされることも、しばしば…。
尼の子ども達を知らない人はそう思いますね。
どの子も一緒に見えてしまうようです。   
でも、一人一人 夢があり、性格も個性的!
将来はモデルになりたいという、
目立つのが大好きな子や
茶目っ気たっぷり、お笑い芸人のマネをする子、
「せんせーせんせーおげんきですか」と覚えた
日本語をとにかく使いたがる、
おしゃべり大好きな子、
村にいた時、9歳まで学校に通えず勉強は苦手…だけど、
いつも私の手伝いをしてくれる気遣いの子、
とにかく真剣に日本語の勉強に取り組み、
周りに振り回されないしっかり者。
全員がシャン州の貧しい農家の家の子ども達です。
中にはお母さんが小さい時になくなり、
お父さんが育児放棄をして、ここに引き取られた子もいました。
いろんな背景はあるけれど、
子ども達はいつも明るく、元気で
村にいた頃にうたっていた歌を披露してくれたり、
寄付で頂いたお菓子をくれたり、
私の似顔絵を描いてプレゼントしてくれました。
彼女たちの笑顔を見るたびに、私の心は癒され、
もっと、彼女たちに子ども時代のかけがいのない時間をつくり
たくさんの経験や思い出を残したいと
思うようになりました。

僧院は本来、
外国人は勝手に訪問できないのですが、
校長先生からの信頼も得られるようになり、
私がいる時は日本人も訪問できるように
なりました。訪問者が多ければ寄付も増え、
僧院学校の運営費になります。
80人の食費を賄う校長先生も助かるんですね。
(僧院も寄付者が多いところと、
そうじゃないところがあります。)
ヤンゴン在住の日本人参加のマンゴーの植樹会や、
交流会をひらいたり、
日本語が堪能なミャンマーの方に来てもらい、
日本語をいかした仕事の話を子ども達にして
もらったり。
また、日本の看護師さんには女の子の保健指導や
(名知先生から教わった)
学校のお掃除イベント&手洗い指導をしたり
日本の大学生たちもスタディツアーで遊びに来てくれました。
尼の子ども達は、一般社会との接触が少なくなるため、
外の世界を知る機会がなかなかありません。
そんな中、訪れた多くの日本人と接し、
学んだ日本語で自己紹介をしたり、
尼の一日を紹介したり、日本語で歌を歌ったり…
ひとつひとつの経験が、子ども達の自信に
つながっていくようでした。
訪問した日本人も、めったに交流できない
子尼たちとの時間に喜んでくれました。
また日本語を学べる僧院ということで、
ミャンマー人女性の寄付者たちも多く訪れて
くれるようになりました。
そうはいってもうまくいかないこともあります。
私が落ち込んでいると、
そのたびに校長先生が励ましてくださり、
その優しさに涙しました。

子ども達が日本語を学んでから7か月、
日本からたくさんの訪問客が来ることになり
「にほんごはっぴょうかい」をやることにしました。
これまで頑張ってきた成果をみてもらおう!
子ども達に話すと、緊張と期待と入り混じった
表情、6対4ぐらい?!(笑)
それから、それを目標にして日本語劇
「おおきなかぶ」の練習に取り掛かりました。
そのころになると、子ども達は自分たちで役を
決められるぐらい考えて動くようになり、
一生懸命練習にも励みました。
最初フリーズしていたグループワークも
できるぐらいに(笑)
「にほんごはっぴょうかい」
当日は、私も子ども達みんなドキドキでしたが、
見事にやりきりました。
教室に響いたたくさんの大きな拍手と歓声が、
子ども達を包みました。
終わった後、子ども達は「よく頑張ったと思う」と、
とても誇らしい笑顔。
校長先生からは「(子ども達が)普段の生活でも自分から
動くようになって、
日本語の授業がとてもいい影響を与えています、
ありがとう」と感謝の言葉を頂きました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
花
ミャンマーというと、
私にとっては僧院の子ども達との日々。
つつましい暮らしの中で見つけた小さな幸せや、
誰かをいたわる気持ち、ささやかだけれども、
日々の営みが平穏で、優しい時間。
私にとって、とても大切な気づきと、
心の安寧を教えてもらいました。
そして、子ども達の可能性、興味や関心は、
世界共通です。どんな形でもいい、
かけがいのない子ども時代に、
たくさんの未来へ種まきをする、これからもできる限り、
"子ども達の未来や希望
をつくる活動を続けていきたいと思っています。
子どもの意志(自分の人生を生き抜く)を育て、
見守り、信じ、委ねる、
その子がその子らしくそこで輝いていく…
教師として大切なことも、
ミャンマーの子ども達たちが、たくさん教えてくれました。
花子ども達が、私の先生です。
どうか彼女たちをお守りください。
※現在の様子はここでは書けませんが、
みな子どもたちは無事に暮らしております。

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Posted by 鈴木 at 00:00
リレー投稿「ミャンマーから教わったこと」編★vol.8 [2022年01月11日(Tue)]

blogチームボランティアパートナーの伊藤です。ミャンマーには2016年末から2年半ほど滞在しました。私は現地で特別な活動をしたわけではなく、単なる滞在者、生活者としての視点になりますが、「ミャンマーで教わったこと」について書いてみました。
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沢木耕太郎氏の短編に、「胡桃のような」という作品があります。
タクシーに乗った若者が、60歳を過ぎた運転手の日常生活について聞かされる話です。毎朝2時半から仕事を始めて、夕方5時には帰宅し、風呂に入って晩酌し、夕飯を食べて寝る。毎日毎日、同じことの繰り返し。その「胡桃の殻のような」堅牢な人生を前に、若者は自らの人生が、いかにも柔らかく脆いものに感じられる・・・という話です。
学生時代をバックパッカーとして過ごした私にとって、沢木氏の「深夜特急」はバイブルのような存在ですが、この短編も、読後いつまでも余韻の残る、特別な味わいのある作品でした。

2016年に夫の赴任についてミャンマーに渡った私は、現地での生活に慣れるにつれて、ふと、この作品を思い出すことが多くなりました。
毎週土曜の朝に訪れていたヤンキン・ゼー(市場)の入り口で野菜を売っている女の子。いつも同じ場所に野菜を並べ、値段を尋ねれば淡々と金額を口にする。安いときも高いときも、外国人である私に対しても、サンダルをつっかけた近所のおばさんに対しても、彼女の対応は変わりませんでした。外国人には高めに売ることだってできるだろうに、そんなことは微塵も考えたことがないようでした。
市場の隅でシャン・ヌードルを売っている家族も、毎日同じように小さな店を開け、同じメニューを同じ値段で売り続けていました。2年以上通っていたけれど、新メニューはついぞ登場したことがなく、付け合わせのピクルスもいつも同じ。

このような人たちは、ヤンゴンの街中で、比較的よく見られるように思います。私は最初、彼らのことを、商才がないなと思いました。ミャンマー人が時として「頑固」で「進歩がない」と言われてしまう理由は、こういうところなのかな、とも思いました。
それでも、毎日愚直に同じことを繰り返し、積み重ねていく彼らのやり方をずっと見ていたら、そこに、ゆるぎない人生を築き上げていく強さのようなものを感じるようになりました。そう、まさに胡桃のような。
輪廻転生の大きな流れの中にいる彼らにとって、「ジタバタしない」生き方は、自然なものなのかもしれません。

乗車率120%の地下鉄で都心のオフィスに通い、何度か転職もして、常に「より良い自分を目指す」のが良いことだと信じてきた私。変化や改善のない生活は怠惰だとさえ思っていた私。
でもミャンマーには、何も変えず、ただ愚直に同じことを繰り返しながら力強く生きている人達がいました。
「人が幸せに生きていくためには、どうしたらいいのだろう。」異文化に触れた全ての人が一度は感じるこの疑問に対する一つの答えが、そこに示されているような気がしました。
あの頃とはすっかり状況の変わってしまったミャンマー。彼女たちの生活が、穏やかに堅牢に守られていくことを願うばかりです。

ヤンキン・ゼーの朝の賑わい(2017年)
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日本では見たことのない野菜もたくさん
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食べ方の分からない野菜・その1
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食べ方の分からない野菜・その2
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タディンジュ満月の前には市場の入り口に灯篭のおもちゃ売りが並びます(2017年)
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市場の中の生花コーナー
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限られた季節だけ売られる蓮の花
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Posted by 鈴木 at 15:00
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