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映画「25年目の弦楽四重奏」 [2013年10月26日(Sat)]

今日はMusic Dialogueの運営メンバーの一人、田邊 俊さんから映画「25年目の弦楽四重奏」について。田邊さんは弁護士さんであると同時に、これほど世界中のコンサートやオペラに足を運んでいる方はあまりいないのでは?と思うほどの音楽好きです。

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皆さんは、弦楽四重奏という言葉を聞いて、どのようなイメージを浮かべますか?ヴァイオリン属の4本の弦楽器、ヴァイオリン2本とビオラ、チェロ各1本からなるアンサンブルが弦楽四重奏ですが、字面が少々いかめしいからか、クラシック好きの中でも、「取っつきにくい」とか、「退屈だ」という印象を抱く方が多いように感じられます。誤解を恐れずに言えば、そのような偏見(?)を持つのは決して日本だけではなく、ヨーロッパでもアメリカでも弦楽四重奏をハイブロウと考える傾向は存在するようです(面白いことに、オペラは、日本とは異なり世俗的と捉えられています)。

現在も全国にて公開中の映画、「25年目の弦楽四重奏」は、そのような弦楽四重奏に対するイメージを逆手に取りつつも、人生の意味を考えさせてくれる秀作でしたが、残念ながら、弦楽四重奏という渋いタイトルのためか、映画館には平均年齢の高い観客しか見受けられませんでした(蛇足ながら、原題の’A LATE QUARTET’には、主題となっているベートーヴェンの作品131を意味する後期という意味と人生の晩年という二重の意味が込められているのですが、邦題からは、ベテランという意味しか感じられず、そのことが観客が高年齢化した理由かも知れません。)。

さて、映画はニューヨークを本拠地とした名カルテットが結成25周年を目前としたシーズン直前に、チェリストがパーキンソン病を宣告され引退を決意したことで、それまでは表面上は完璧な調和を見せていたカルテットに、少しずつ不協和音が生じ始め、様々な奏者の思惑が交差し、さらに、予期せぬ人間関係の綻びから、25周年のシーズンを無事に迎えられないのではないかという危機的状況を迎え、その状況をどのように打開していくのかが描かれている人間ドラマです。途中、いささか強引で現実社会ではあり得ないようなエピソードも挟まれてはいるのですが、25周年シーズンの白眉として劇中にてテーマとして流されるベートーヴェンの作品131(弦楽四重奏第14番)のある意味での異常性、革新性からか、そのようなストーリー展開にも違和感を覚えることなくラストまで一気呵成にドラマが進んで行きます。

このベートーヴェンの弦楽四重奏第14番は、疑いなく、古今の弦楽四重奏曲の最高峰ですが、クラシック好きには、ガルネリSQ、エマーソンSQというアメリカの名弦楽四重奏団を思い出させるシーンもあり、スウェーデンの名ソプラノであるアンネ=ゾフィー・フォン・オッターが劇中に登場するというオマケもあります。

当然ながら、物語の結末を書くような無粋な真似は避けたいと思いますが、ご興味のある方は、映画館もしくは12月20日に発売されるDVDをご覧ください。

最後に、この映画には、「偉大な作曲家が表現しようとした深い思いや様々な感情・・・彼らの魂を探るには四重奏団が一番なんだよ」という印象的な言葉が出て来ますが、個人的にも、同じ弦楽器による最小限で最大公約数のアンサンブルである弦楽四重奏は、調和と対立という矛盾を止揚した人類最高の音楽だと確信しています(少々大げさですが。)。

私たちMusic Dialogueは、音楽家が成長するためにとても大切な室内楽、特に、弦楽四重奏の演奏会を企画することで、人生がより豊かになればという思いを抱いていますが、この映画の中にも象徴的に用いられているチェリスト、パブロ・カザルスのような偉大な音楽家から大山平一郎さんが直接に伝えられたメッセージを、若い音楽家や聴衆に伝えることが出来れば幸いだと考えていますので、どうぞこれからの企画にもご期待ください。

「25年目の弦楽四重奏」公式サイト 
http://25years-gengaku.jp/

(田邊 俊)

歌と絵が日々を彩る古代人若夫婦の生活[2013年09月12日(Thu)]

美術ジャーナリストの小川敦生さんが美術と音楽の「関係」について、とても面白い文章を寄せてくださいました。小川さんは、音楽と他の芸術ジャンルのコラボレーションに積極的に取り組んでいこうとしているMusic Dialogueの運営メンバーの一人でもあります。

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20130912小川さん絵.JPG

【B級フィクション的雑文】
歌と絵が日々を彩る古代人若夫婦の生活…音郎と美子の場合


 音郎(おとろう)君と美子(よしこ)さんは、古代人の若夫婦です。まだ国という概念が現れる前の時代の人間なので国籍はないのですが、読者の皆さんに身近に感じていただけるよう、日本人的な名前をつけてみました。

 洞窟の中に動物の絵を描いた古代人たち。「これほどの獲物を仕留めるなんて、音郎さんも大したものだわ」。最初は、狩りに出ている音郎君の帰宅を待っていた美子さんがこんなことを思いながら、色のついた土をこすりつけて手すさびに描いた。動物の絵はその程度の動機で生まれたのかもしれません。やがて、線や色が主張を始めます。獲物を仕留めた喜びを表現したり、狩りの途中で犠牲になった死者への追悼の気持ちを封じ込めたり。美子さんの筆は踊り始め、描くこと自体が面白くなってきます。こうして美術は生まれ、長い時代をかけて多様な展開を見せました。

 獲物を仕留めた古代人の中には、雄叫びを発した者もいたことでしょう。最初は、狩りという重労働を終え、音郎君の口から思わず漏れ出た喜びの声だった。そのうち声に「高さ」があることに気づき、声を出す途中で高さを何度か変えると気分が高揚したり切なくなったりすることを発見します。音郎君は声の出し方の練習まで始めてしまいました。音楽が生まれ、ここでも現代までの間に実に様々な表現が生み出されました。

 ともに人間の衝動から生まれた美術と音楽。哲学の進展や科学の進歩に伴って「視覚で楽しむもの」「聴覚で楽しむもの」といった分類が進み、「空間芸術」「時間芸術」といった違いも強調されるようになってきました。近代以降、美術館とコンサートホールという違うカテゴリーの建築の発達によって棲み分けが進んだということもあったでしょう。しかし、両方が音郎君と美子さんの家庭、つまり同じ環境の下で生まれえたことからも想像できるように、根がつながっていることにはもっと注目してもいいでしょう。アルタミラやラスコーの壁画は今に残っているので有名ですが、おそらく風化して失われた壁画もたくさんあり、その一つ一つに音郎君と美子さんの場合とはまた異なる表現のきっかけがあったことでしょう。

 すぐれた演奏家はしばしば、演奏する曲のビジョンを心の中に描き、あたかも異なる色の絵の具で描いたような多彩な音色を、一つの曲の中で紡ぎ出します。すぐれた画家はしばしば、画面の中で和音のような調和を図ったり、不協和音のような刺激的な線を描き込んだりします。美術と音楽は普通思っている以上に距離が近い。そう考えると、音楽に色が見えたり、絵の中にリズムを感じたり。ひょっとすると、鑑賞する私たちにとっても楽しめる世界が広がるかもしれません。

 この文章は、音楽と美術の根っこの部分に横たわる関係を探るべくしたためた雑文です。さらに、文章の内容とはあきれるほど関係がない上、誠につたない出来で恐縮ですが、音郎君と美子さん、もとい、音楽と美術との蜜月関係を絵にしてみました。美術だと思っていたら、何だか飛び出して音楽になっちゃった。でも、急がばLargo… ご笑覧ください。


お断り◆つたない絵の中に「急いで口で吸え」というごく一部の世代の方にしか理解のできない冗句が入っておりますが、どうかご容赦ください。

小川敦生(美術ジャーナリスト、多摩美術大学教授)

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9月28日(土)に世田谷美術館で「美術と音楽の対話〜ルソーを讃える夕べ」というイベントを企画させていただきました。美術と音楽の関係について自由に語り合える場になると思いますので、是非お越しくださいませ!

若い音楽家の学びの場〜八女の音楽塾にて 2[2013年09月05日(Thu)]

先週、おりなす八女で開催された音楽塾では、たくさんの素晴らしい音楽に満たされ、生徒さんたちの劇的な「変化の瞬間」を目の当たりにしながら、「学ぶ」ということについて、色々考えさせられました。

今回も演奏家を目指す有能な若い音楽家たちが集まっていました。皆さんしっかりとした技術をもっていらっしゃるので、1回目のレッスンでも難しい曲を弾きこなされます。でも聴いている方は何を聴いているのかよく分からない感が…。1回弾き終わったあとに先生が、ものすごく根本的なところに立ち返って、次々質問を投げかけます。

レッスン風景

「もしバッハが今生きていて、今の楽器を持っていたら、どんな風に弾くと思う?」
「バロックってどういう意味?」
「次のclassical periodとの対比でいうと?」
「バロック、クラシカル、ロマンティック〜と時代とともに表現の「様式」が変わっていっても、作曲家が表現したいと思う内容自体ってそんなにかわらないんじゃないの?」
 ・・・

という感じで45分のレッスンの半分~2/3の時間は、このような質問や色々な種類の比喩によって、生徒の頭はフル回転することになります。このように、まず頭で論理的に考え、楽譜とにらめっこしたあとに、演奏の指導が始まります。

「なぜ自分はこう弾くのか」ということを説明できるかどうか。説明できるようになると、聴いている方にもしっかりと伝わってくるものがあります。

「演奏とは『演じて奏でる』と書くのだから、ちゃんと自分で何を演じるのかが分かった上で弾かないと」という大山さんの言葉は今回もっとも説得力がありました。

ある生徒さんは、感情を全て取り去ったようなバッハを弾いていて、レッスン中何を言われてもそう変わらなかったのが、あと3分で終わりというところで

「もう一度トライさせてください!」

と言って、最後に弾いた時、全く別人の演奏かと思うような音に変わっていて、本当にびっくりしました。このあとの2日間で、彼女の他の曲もものすごく進化していました。

〜〜〜

今回は八女市役所で音楽塾を後ろから支えていらっしゃる部長さんや、街の文化的な取り組みのリーダーをされている方とお話しする機会があったのですが、人を育てるというのは、ただ何かのやり方を教えるのではなく、自分で正しく考えられるようにすることですねという話になり、とても納得しました。

八女市には仏壇や提灯、石燈籠、和紙などの伝統工芸がたくさん残っており、職人さんの気質として、良質なものや本質を追究・伝承するということが街の空気感の中にあり、何かとても通じるものを感じました。

今回見ていて、音楽塾はとても地味ながらも「本質を追求する」プロジェクトであると思いました。基本型を作るということだけであれはどこでもできると思いますが、これに「魂」を吹き込むためには、先生たちはもちろんのこと、これをサポートする市や会館の方たちのマインドが同じ方向を向いていることが不可欠であると感じました。

Music Dialogueでも、今後、本質的な学びの場を提供していきたいと強く思うようになりました。

先生たちによる演奏会

(伊藤美歩)
若い音楽家の学びの場〜八女の音楽塾にて[2013年08月29日(Thu)]
博多から電車で50分くらい南下したところにある八女市のホール「おりなす」で第一回「音楽塾」が開催されています。

今日の午後1時から始まった音楽塾。

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20時半にやっと最後のアンサンブルが終了しました。1日目なので受講生のみなさんもかなり緊張していらっしゃるようですが、それでも先輩音楽家にツボを教えてもらうと、もう一度弾いた時にはグンと良くなっていくのが分かります。

アンサンブルで自分が弾くのに夢中になっているときに「聴く」というのは本当に難しいのですが、意識をちょっと変えただけでここまで音楽か変わるの?という瞬間が今日も何度かありました。先生たちも体力勝負なスケジュールの中、1つ1つのアンサンブルやレッスンに真剣そのもので臨んでいるところにも迫力を感じました。

IMG_2818.jpg

この八女の音楽塾の塾長はMusic Dialogueのアーティスティック・ディレクターでもある大山平一郎氏。また講師陣にもMusic Dialogueの演奏家の母体であるThe Chamber Playersメンバーの千葉清加さん(ヴァイオリン)と金子鈴太郎さん(チェロ)、そして上田晴子さん(ピアノ)がおられます。

IMG_2796.jpg

http://orinasu-yamecity.jp/event/detail_20130826_0901.html

2日目、3日目の学びがどのようになるのか、楽しみです。

(伊藤 美歩)