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島根県議会は性同一性障害者をバカにしている[2023年03月07日(Tue)]
島根県議会は、性同一性障害者が性別の変更を行う際の要件の緩和を求める意見書を国に提出を求める陳情を受け取りながら、なんだかんだ言ってその結論を先延ばしてきました。

しかし、結局は陳情者の要望を無視し、任期満了を理由に審議未了としたことに対しわたしは激しい怒りを感じざるを得ません。任期満了の最後の2月議会であれば、白か黒かの結論を出すのが礼儀であり、審議未了というのは「わかりませんでした。」ということかあるいは「仕事してません」ということであろう。

性同一性障害者(性別不合)は、自分の性別に合わせた生活をするために、性別変更の手続きをしなければいけません。しかし、現在の日本においては、性別変更には難しい要件が課せられており、多くの人々が苦しんでいます。この問題に対して島根県議会議員たちは何をしてきたのでしょうか?

島根県議会は陳情を受け取ったにも関わらず、その結論を先延ばしし、最終的には審議未了とするという、まったく無責任な行為を行いました。陳情者の要望を無視することで、性同一性障害者い対する偏見や差別を助長することになるということを議員たちは理解していないのでしょうか?

県議会という場所は、県民のために働く場所であり、議員たちは県民の代表として、県民のために尽力することが求められています。しかし、島根県議会が行ったような陳情者の要望を無視するような行為はまさに議会の役割を放棄するものです。

性同一性障害者は、差別や偏見に苦しんでいます。わたしたちは、そんな彼ら彼女らの声に耳を傾け、彼ら彼女らが抱えている問題に対して、真剣に向き合うことが求められています。島根県議会は陳情者をバカにするような行為を行うのではなく、性同一性障害で苦しんでいる人たちに真摯に向き合い、解決策を模索すべきであった。

【エッセイ風にの最新記事】
Posted by tsukuyomi at 13:00 | エッセイ風に | この記事のURL
辞職要求は行き過ぎ??[2023年02月28日(Tue)]
辞職要求は行き過ぎ?

「LGBT団体と地方議員のやり取り」

先日、ある地方議員が、「同性愛は気持ちが悪い」と発言したことが問題視され、
LGBTの団体がその地方議員に対し、辞職を要求する動きが起こりました。

この問題について、わたしは考えるべきことがあるのではないかと思い、このブログ記事を
書くことにしました。

同性愛に対する誤解や偏見がまだまだ根強く残っている現代において、わたしたちは
この問題について冷静に考える必要があると考えます。
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「辞職要求は行き過ぎ?」

LGBTの団体が、同性愛者に対する誹謗中傷的な発言をしたある地方議員に対して
辞職を求めたことについて、わたしは疑問を感じざるを得ません。

確かに、その発言は不適切であったと言わざるを得ませんが、それに対して
LGBTの団体が辞職を求めることは、やや行き過ぎた反応ではないでしょうか?

わたしは、この問題について、以下のような考えを持っています。
・同性愛に対する誤解や偏見が根強く残っている現代において、まずは双方が語り合う
ことが大切である。

・LGBT団体は差別や偏見に対して声を上げることが重要であるが、その発言自体が
攻撃的にならないように注意することが必要である。

・地方議員も、同性愛に対する誤解や偏見を持っている場合は、積極的に理解を深める
よう努力をするべきである。
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「理解と対話が大切」

同性愛に限らず、性的マイノリティに対する偏見や差別はなくすべきものです。そのためには相互の理解と対話が絶対に欠かせません。
耳
Posted by tsukuyomi at 17:07 | エッセイ風に | この記事のURL
性的指向・性同一性の実在性[2023年02月23日(Thu)]
維摩経は大乗仏教の経典の一つです。
そのなかで、男と女は実在しない、と述べられています。
しかし、この文脈での男と女は、物質的な身体的な性別についての
言及ではなく、心の中にある男女の概念について言及しています。
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したがって、維摩経における男女が架空のものであるからと言っているから
と言って、異性愛や同性愛、性的指向や性同一性、あるいは性的少数者などが
すべて架空のものか、と言うとそうではありません。

これらは個人が自分自身を認識する上での身体的、性的、そして心理的な
特徴や嗜好に関する実在の要素だと言えます。
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ただし、これらの概念が社会的に構築されたものには違いなく、
異なる文化や時代によって異なるのは事実です。

したがって、これらの概念に過度にとらわれることなく、個人は自分自身を
自由に表現できる社会を目指すことが重要ですし、そもそも
仏教では一切の存在が縁起によって成り立つんだとしています。一人の人間も
その人自身を取り巻く無数の条件や縁起によって成り立っているのです。
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いくら個人の自由だから、と言って好き勝手なことをして、
多様性だ、と言うのは考えものです、

次回は、社会秩序と多様性についてです。

上田地優
分かったようで、実は、わからん[2022年05月25日(Wed)]
同一性とはアイデンティティーのことを指すそうです。
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自我が同一であるとは、
時や状況を超えても同じであるというまとまりの感覚のことで、同様に、
性同一性とは、時間的に社会的に同じ性別であるという感覚なんですって。だから、
性同一性には強弱、濃淡があるそうなんです。つまり

自分は女性と同じであるという感覚が
非常に強い人から非常に弱い人まで個人差があるということだそうです。

さて、
日本では、分からないことはいいことだとみなす傾向が強くて
特に大学の先生がいうことなら、まったく分からないことでも
もそのまま鵜呑みしてしまうことが美徳なのですね。

そのかわり、肩書もどの大学にも属していないぺいぺいが
大学の先生と同じことを言っているにも関わらず、
偉そうにしやがって、と言って文句をいったり、全然わからんと
ケチをつけられたりすることもありますが、で、話をもとに戻しまして、

自我でなんですか?と質問すらしないし、そんなこと、わからないのか、と
周りの人からバカにされるのではないかと思って、わかったふりをする。
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自我とはegoの訳語です。自我が同一とはどういうことなのでしょうね。
はっきりいってわかりません。

わたしたちは、意識していると、つねに、ああでもない、こうでもないと疑い、いろいろと妄想し、考えていています。自我とは、その考えている自分のことなんです。

考えている自分、自我は眠ってしまうと消えてしまいます。また、なにかに没頭していると、自我は消えてしまいます。自我とはそういうものです。

わたしたちが大切にしがみついている自我とは多くの要素がたまたまなにかの縁があって集まって構成されている空(くう)の存在です。

自我とは常に移り変わる無常なものなのです。浮き雲みたいに絶えず姿かたちをかえていていく自我が時と状況をこえて同じであるはずがありません。

性同一性も同様です。
時間的にも社会的にもわたしがずっと同じ性別である状態が性同一性なんだ、ということなんですが、わかったようなわからないような。普段、わたしたちは「自分はきょうも女性なんだ」とか「わたしはうまれてこのかたずっと女性と同じなんだ」と思いながら生活してますか?

「わたしはずっと男性とおなじなんだ」という感覚が極端に強い人からその感覚が弱い人までいて、個人差があるんだぞ、ということなんですが、それは個人差ではなく、人はみんなそれぞれ千差万別ということなんですよ。
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竹は竹になろうとおもって竹になったわけではありません、わたしたちだってみんな
たとえば、病気になろうと、おもってなったわけではないし、自然(じねん)になったということですね。

だから、わたしはずっと女性とおなじなんだ、ではなく、知らず知らずのうちに自然(じねん)に、おのずからこうなったということなのです。

きょうはこのへんで、
では、また
うえだちひろでした
Posted by tsukuyomi at 21:38 | 風姿花伝 | この記事のURL
妙法蓮華経提婆達多品が性転換を公認しているんですか?[2022年05月07日(Sat)]
神社仏閣関係の業界紙で、日本のあるお坊さんがこんなことをおっしゃっていた。
『妙法蓮華経提婆達多品十二』は性転換を容認しているお経だと。

わたしは大変驚いた。
そして、中村元先生もこんなことを聞かれたさぞかし驚いて腰を抜かすのでは
ないかと思うとともに、こんな解釈もできるんだな、と感心した。
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聞くところによれば、このお坊さん、心の性と体の性の不一致に苦しみ、性転換手術まで受け、そして出家されたとのこと。自身とおなじような悩みをもつ人やLGBTの人たちの支えになりたいとの希望を持っておられる。たいへん、殊勝なことで、その思いには頭が下がる思いである。しかし、
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妙法蓮華経提婆達多品の後半部分で、サーガラ龍王の宮殿から戻った文珠菩薩は、宮殿で、多くの衆生を『法華経』によって教化したことを話す。その代表として8歳の龍女のことを紹介する。


「その娘は8歳で、大いなる智慧をそなえ、研ぎ澄まされた能力を持ち(中略)覚りを求める心において不退転であり、広大なる誓願を持ち、一切衆生に対して自分のことのように愛情を抱き、(中略)正しく完全な覚りを得ることができる」と

それに対して、権威主義的な女性観・成仏観に固執する智積菩薩と智慧第一のシャーリプトラが
「どんなに優秀であっても、女性であること自体で、ブッダになることはできない」と難癖をつけるのである。

女性も覚れるとする文殊菩薩と龍女、覚れないとする智積菩薩とシャーリープトラ。

平行線をたどって、水掛け論になりそうなときに、多くの人々やシャーリープトラのまえで、龍女の外性器が消えてなくなり、男性の性器が現れ、サーガラ龍王の娘は、自ら真の菩薩であることをはっきりと伝えたのである。

これは、女性蔑視が激しかった当時のインドで、8歳で畜身(竜の娘)の女性が覚れることを示すために、小乗仏教の女性観と成仏観に固執しているシャーリープトラや男たちがなかなか信じないので、彼らを説得するために男になって成仏して見せたのであって、けっして性転換を肯定するものではなく、むしろ、女性の名誉回復、女人成仏を説いたのである。
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いかにして、法華経の提婆達多品が、性転換を肯定しているのだと解釈されたのか、わたしは理解に苦しむのである。


煩悩にまみれ、迷いに迷っている性転換の亡者に、法華経は性転換を肯定しているんだ、と教えれば、さらに、その亡者たちは迷いの世界に入り込んでしまうことになる。

身勝手な経の読み方は、百害あって一利なし、である。

参考文献)サンスクリット原典現代語訳「法華経」下 植木雅俊訳

Posted by tsukuyomi at 20:18 | 性同一性障害あれこれ | この記事のURL
わからないことは有難いこと[2022年05月06日(Fri)]
日本では「仏」を「ほとけ」と読ませて、「死んだ人」のことにされた。本来は「真理に目覚めた人」「真の自己に目覚めた人」ということである。

「道楽」は「どうぎょう」と読んで「道(覚り)を求めようとする願い」「どうらく」と読んで「仏法の覚りの楽しみ」を意味していたが、我が国では、「道楽息子」「道楽者」といった使い方をされる。「道楽者」とは「酒色や、ばくちにふけって身を持ち崩しているもの、怠け者」ということである。
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さて、うつらうつらテレビを見ていたら、ドラッグクイーンと言葉が耳に飛び込んできた。

ふつう、ドラッグと聞けば、多くの人たちはドラッグストアー、薬物を連想するであろう。したがって、テレビを見ていた多くの人は、「薬物中毒の女王?」と勝手に解釈したであろう。

それは無理のないことである。耳でドラッグと聞いて、それが「引きずる」とか「重いものを引っ張る」という意味のdragで、俗語としての「女装した男の人」「男の人にまとわれた女性用の服、ドレス」ということで、大げさに化粧をした男たちがスカートのすそを引きずりながらあるいていることだと誰が想像できようか。
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話は違うが、ほとんどの日本人、坊さんも含めて、経典に何が書かれているかをよく知らないままで、今日まで来たという不幸がある。日本人には「わからないことは有難い」という変な思想があるそうだ。

「あなたたちにはわからないでしょ。わたしたちにしか分からないのよ」と権威付けに使われたと言ってもよいのかもしれない。

わからないから、呪術的に、有難いものとして、大事に大事にする。

マスコミはしきりにSDG’sとかで、同性婚とか同性愛、多様な性をセンセーショナルに取り上げるが、取り上げるのはとてもありがたいことだが、わたしには、それこそ一般人にはわからない横文字を多用して「わからないでしょ、わたしたちにしかわからないのよ」と
報道しているように思えてしょうがない。

ある意味、我が国では、SDG’sも多様な性も呪術的なもので、有難いものなのかもしれない。
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さっきの話ではないが、輸入された多くの言葉が、我が国では、本来の意味とはまったくことなって用いられていることがほとんどだ。

たとえば、おそらく、北米西ヨーロッパの人たちが考えている同性婚と我が国の若者たちが考えているそれは全く異なることなのかもしれない。北米西ヨーロッパの人たちの結婚観は古代ギリシャのプラトンに由来するそうだ。プラトンは『饗宴』という作品のなかで、男同士の愛はこの上ないもので、天上の愛だと述べている。いっぽうで、日本人の結婚観はなにに由来するのだろうか、まさかプラトンではあるまい。
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我が国の特徴として、思想的なものや仏教用語が茶化されたり低俗化され、ふざけて使われたりすることが多く、特に北米西ヨーロッパで新しい何かが流行するとすぐに飛びつくが、何年か経つときれいさっぱりわ捨て去られてしまう傾向にある・・・、

着せ替え人形の着せ替え現象が顕著である。

なにかにつけ、現代の日本では、思想的に安易ということもあり、なにやらおかしな方向に引きずられているような気がしてしょうがないのである。


Posted by tsukuyomi at 21:22 | 風姿花伝 | この記事のURL
ひとりの精神科医の誤解で始まった〜性同一性障害のおおはなし〜[2021年08月31日(Tue)]
性同一性障害って、一度は聞いたことがあるでしょう?

性同一性障害(gender identity disorder)とは、心の性と身体の性が一致しない状態で、それだったら、性転換手術をして性別を変更してしまえば解決するんじゃないの、と一般には思われています。


性同一性障害とは心の性と身体の性の一致しない疾患なんだ、という誤った理解は当時の有名な精神科医の誤解から始まったのです。そして、その有名な精神科医の誤解を訂正することなく、まぁ、相手が有名な精神科医だということで「先生、それはちがっていますよ」とは言えないし、そもそもその精神科医さん、ジェンダーに関することは「まったくわからない」とおっしゃてたぐらいだから、しかも、アメリカ発の障害なので、わからなかったのでしょうね。それで高名な精神科医の誤解が訂正されることなくマスコミが無批判に流したからいまのようなガラパゴス状態になってしまったのです。
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わたしたちは人間として生まれてきたとき、男か女をいずれかの性を選ばないといけません。その両方を持つこと、そのどちらでもないということは許さません。(多様な性については別の機会に)
しかし、それは選ぶというのではなくて、好むと好まざるとにかかわらず、わたしたちはわたしたちの意思とは関係なく男か女に決定づけられます。それが身体の性、戸籍上の性なんです。

男として、女として生まれたときに決定づけられた性別に対してふつうは疑問を持たないで成長して、年ごとになったら異性に抗しがたい魅力を感じるのは、考えてみると不思議なことですね。で、4%の確率で同性に魅力を感じる人もいますが、考えてみるとそれも不思議なことです。

そして、1%以下の確率で、その与えられた性に疑問をもち、自分は男ではないとか女ではないという現象が生じるのです。心と身体の性の不一致という現象です。性別違和とか性別不合と言います。

さて、性同一性とはジェンダーアイデンティティーのことです。アイデンティティーとは時間的に社会的に「同じ」であるということで、変化することなくあるもの、唯一無二の自分ということです。だからジェンダーアイデンティティーとは変化することない唯一無二の女性あるいは男性としての自分ということです。で、男であるか女であるかということは人格の根幹にかかわってきます。だから性同一性とは人格の中枢なんです。よく似たような言葉に性自認という言葉がありますが、性自認の自認とは「自分で認める」ということで「同一性」とは違うんです。自分で認めたということはいつか変わる可能性がありますからね、時間的に社会的に変わることない同一性ではないんです。性自認障害って、聞いたことがないでしょ?

だから、性同一性障害とは自分の性別を自分で認めることに障害があるのではなく、性同一性の社会的機能が低下している状態なのです。具体的には周囲が認めてくれない、望む性役割が取れない、身体の性的な特徴が受容できないなどがあります。性同一性障害とは性同一性の社会的機能の低下なのです。自尊心と自己肯定感が極端に低下していて、自分はこういう人物であるという安心感が持てなくて、それによって、社会生活などのさまざまな分野で障害を起こしている疾患なのです。

したがって、ホルモン療法をやって、性転換手術をして、戸籍上の性別を変更したら、それでよし、ではないのです。

つづく



Posted by tsukuyomi at 20:45 | 風姿花伝 | この記事のURL
同性愛行為は特殊な現象ではありません[2021年08月15日(Sun)]
動物行動学の専門家で随筆家の竹内久美子氏は、
「同性愛者は間接的に子育てをしていて、そうやってじぶんたちの遺伝子を後世に残しているんです」とおっしゃる。

先生のお話によると、
イタリアのパトヴァ大学の研究グループが、男性同性愛者と男性異性愛者、その血縁者からなる4600人を超える大規模な家系調査をしたところ、男性同性愛者の母方の女性(母親、おば、祖母など)のほうが、男性異性愛者の母方の女性たちよりもたくさんの子どもを産んでいたという結果が得られたというのです。

男性同性愛者は間接的な過程、つまり自分の母方の女性たちを通じて、じぶんたちの遺伝子、男性同性愛についての遺伝子をつぎの世代に伝えていて、生産性はあるのですね。

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男性同性愛者はいつの時代でもだいたい25人に一人、約4%に落ち着くのだそうです。逆に言えば、男性異性愛者は96%存在しているということ、女性同性愛者のほぼ同じ割合で存在しているのです。

この4%という数字。異常でもエラーでもありません。当たり前なのです。
生物学的にはだいたい1%以上マイノリティーが存在してたら、普通で、反対に、たとえば、トランスセクシャル(性同一性障害・性別不合)と呼ばれる人たちは何万人に一人の割合で存在しているので、だから、エラー、つまり障害とみなされているのです。

同性愛は人間だけではなく、哺乳類に広く分布しています。

同性愛行為、ふつうに考えればじぶんたちの子孫を残しにくいと思われますが、しかし生物学的には必ず一定数存在しています。

同性愛はけっして特殊な現象ではないのです。

脳の機能がどうのこうではなく、同性愛行動をとる確率を高める遺伝子が代々受け継がれている、ということなのです。

それは、ある意味、生物の種としての生存戦略のひとつなのです。

Posted by tsukuyomi at 20:05 | 風姿花伝 | この記事のURL
坊さんがジェンダーレスとかLGBTが云々というのはちょっと変[2020年12月23日(Wed)]
我が国に仏教が伝来すると、聖徳太子は、我が国で最初の法華経の注釈書『法華義疏』を表した。日本仏教の始まりは法華経を抜きにしては語れないのです。
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たとえば、平安中期に菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は『更級日記』のなかで、少女のころの自分は、「『源氏物語』に夢中でした」と書き、そして夢の中に現れた「いと清げなる僧」から「法華経五の巻をとく習へ」と告げられたと言います。その源氏物語などの平安文学には法華経の法会などの場面がしばしば描写されているのです。薬師寺の僧景戒による『日本霊異記』は法華経にからむ説話です。

法華経は、松尾芭蕉、長谷川等伯、本阿弥光悦、近松門左衛門といった日本史の教科書でおなじみの芸術家たちも大きな影響を与えていたのです。
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聖徳太子が法華経義疏を表して以来およそ1200年もの間、日本の文化、日本人の精神性の底流には、とうとうと法華経が流れ続けていたのです。

それがぷプッツンと切れたのが、明治政府による西洋化政策。西洋文化の中心はキリスト教。だから、明治政府による西洋化とは、日本のキリスト教国化政策といってもいいかもしれません。

廃仏毀釈運動によって、日本の仏教界は激しく弾圧され、徐々に力を失っていきました。そして、昭和20年8月30日ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が厚木基地に上陸してから、昭和27年4月28日にサンフランシスコ講和条約が正式に発効するまでのおよそ6年7か月間のGHQによる日本占領政策のなかで、民主政策のもとで、日本をキリスト教国化するプログラムが実施されたのです、

マッカーサーは日本人を単なる「12歳の少年」だと考え、日本のキリスト教化を信念としていたのです。日本人は精神的に未熟で、キリスト教の教えが生きていくことができないと確信し、キリスト教化することにより精神的な解放しようとしたのです。

そして平成から令和になって、そのマッカーサーが考えていた日本のキリスト教国化が現実のものとなろうとしています。

たとえば、お寺でクリスマスを祝い、坊さんがLGBTがどうのこうの、ジェンダーレスだどうのこうのと語り、法華経第12章「提婆達多と竜女成仏」は性転換容認だと勝手な解釈をし、妻をめとり、子孫を残し、平気で肉を食べる・・・お寺さん自ら、キリストの誕生日をお祝いしているありさま。
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いまから約2500年前、ブッダは「あらゆる人間には苦しみ、肉体は男女に関わりなく老い、病は人を選ばず、死はすべての人に訪れる」と説いたのです。これを仏教における平等思想、男女両性の平等思想なのです。ブッダの教えでは、ジェンダーや同性愛は無意味なのです。仏教では、LGBTに関しては、関知せずなのです。

わたしたちは肉体と精神作用はいろいろな要素が一時的に寄り集まった仮の姿です。そのかりそめの肉体が永遠ものと錯覚し、いつまでもしがみつき、そのうえ男女の違いを持ち出すこと自体、仏教では意味をもたないことなのです。

法華経は諸経の王と尊ばれ、ブッダの教えの中では最高のものと位置づけられ、計り知れない影響を日本に及ぼしてきたことは最初にのべました。日本の文化や日本人の精神性の影響を与えてきたのは聖書ではなく、法華経なのです。


さて、仏教の開祖ブッダがこのいまの日本の仏教界のありさまを見たなら、どういうのでしょうね?

「アーナンダよ、この国にはわたしの教えとは程遠い訳の分からない教えがまん延している」と言うのかもしれないですね。






Posted by tsukuyomi at 21:21 | この記事のURL
なぜ、いまさら多様性を強調しないといけないの?神も仏もいろいろでしょ。 〜アリストファネスのアンドロギュノス論〜[2020年12月16日(Wed)]


島根県のある高校で、性の多様性についての勉強会があったという。
教える先生も教わる生徒も大変だったでしょうね。

体の性は男だけど、自分は自分を女だと思っていて、好きなのは男、あるいは体の性は女だけど、自分は男でも女でもなくて、好きな相手は男でも女でもない・・・。

高校生に教えている先生、どこで誰から教わったのか、
多分、誰かが作ったマニュアルを見ながらだろうけど・・・
教わっているほうは、わかったというよりも、訳が分からないというのが本音かな。
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そのいわゆる性的指向の起源を説明しようとした最古の学説として名高いのが、プラトンの対話篇『饗宴』の一説にあります。

この作品のなかで、プラトンは高名な喜劇詩人と思われるアリストファネスにつぎのようなエロス論を書かせているのです。

それによれば、人類はもともと「男・男」「女・女」「男・女」の二種類の組み合わせを持った二重体の存在で、いまの人間をふたり結合させた形をしていたのです。ところが人類は、神に逆らい歯向かうようになったので、そこで全知全能の神ゼウスがそれはよくないと思い、それぞれ半分づつに切断され、今日の男と女の二種類だけになったというのです。

以来、人間たちは各自失った半身を探し求め一緒になろうとしました。この失われた半身のことを「ソウルメイト」というのです。、そして、もと「男・女」(アンドロギュノス)だったものは異性愛者と化し、「男・男」「女・女」だったものは同性愛者になった、ということなのです。

ちなみにこのなかで最も優秀にして有能なのは男同士で愛し合う、もと「男・男」の組み合わせだった者たちなんです。いかにも男尊女卑の激しかった古代ギリシャ人らしい見解ですね。

さて、このアリストファネスのアンドロギュノス論のような妙なことを教育現場で一生懸命生徒たちに教え込まれているのです。

最初に書いたように、体の性は男、だけど心は女、好きな相手はどちらでもない、とか体は女だけど、心はどっちでもない・・・、とかそうやっていろいろな組み合わせが計算上できてしまう。
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いったい、だれがこんな組み合わせを考えたんでしょうね。

そして、いったいだれがこんなことを教育現場に持ち込み、実際に高校生に教えようと提案したんでしょうか?

性の多様性って、いかにも科学的なようなことを言ってるけど、疑似科学もいいところ。


人って、そんなに単純ではありません。
自分が置かれている環境、人間関係などの縁によって
いろいろ変わってきますし、変化します。
人ばかりではなく、生物、つまり自然って、単純なものではないのです。

昨日まで同性愛だった人が、なにかの縁で、異性愛になったりもするし。
性は揺らぐものなのです。だから、
性的指向というのは、固定的で不変なものなんかではないのです。


まあ、先生が知ったかぶりして、性の多様性を高校生に教えるのなら、
男同士で愛し合う「男・男」の組み合わせがもっとも優秀で、有能なのですよ、と教えたらどうでしょう。

でも、やがて、あのとき先生が言ったことは真実ではなかったと高校生たちは気づくのです。罪なことです。

付け加えておきますが
もともと性に限らず、この世のあらゆることが多様なのです。
いろいろな人、いろいろな生き物、いろいろな植物、自然界は多様そのものです。
そして神も仏もいろいろなのです。

だけど、なのに、なぜ、いま、多様であることを強調しないといけないのでしょうか・・・。

Posted by tsukuyomi at 21:58 | この記事のURL
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