幸福とは? [2021年09月11日(Sat)]
先日、ある送迎希望者のお宅にお邪魔しました。
80歳を超えたその方は、ご主人をなくした後、息子さんと二人で今の家に住んでいるそうです。その息子さんは月に1回、近くの病院の精神科を受診するため、母親同伴で私の送迎を使いたいとのこと。 これまでは近くのNPOの福祉有償運送を使っていたそうですが、そのNPOではドライバーの高齢化のためかその送迎を中止してしまったため、役場に私のことを聞いて電話をかけて来ました。 本題に入りますが、その息子さんは何と50歳を超えているそうです。話の途中に一度だけ姿を現し、何も言わずに10分ぐらいで自室へと引き返しました。やはり何かあるようです。 その母親から聞いたことで強く印象に残っていることがあります。 ある日、母親は息子さんに「こんな引きこもり状態で何もしないで、今の生活に絶望して死にたいと思ったことはないの?」と尋ねたそうです。答えは、「そんなことはない。今の状態で十分に満足している。」との答え。 唯一、地図をボロボロになるまで眺めるのが「趣味」だそうです。 そこで、筆者が再度思い起こしたのは、「幸せって一体何だろうか?」 ということです。 不幸な状態というのは、いくらでも定義できあちこちに様々な形であります。ところが幸福とは一体何か?と改めて聞かれてもこれはかなり難しい。強いていうと、「不幸ではない状態のこと」ですが、これでは積極的な定義にはなっておりません。 あのトルストイも、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と言っております。 じゃあ、このどれも似たようなものである幸福な状態とは一体何なんだろうか? 筆者のこれまでの経験から、「幸福な状態」とは一体どういう状態なのか、改めて考えてみました。 「幸福とは、思い煩うことが少なく、日々の移ろいを心地よく感じさせる何かを会得している心の状態。」 随分と淡白な定義になりました。 なお、良い暮らしとは何か?については、かつて、こんなブログを書いたことがあります。 https://blog.goo.ne.jp/mariomari/e/73dce12d9be33e22497c176dba870e55 |