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ギグ・エコノミーは何を意味するか? [2019年12月14日(Sat)]
最近、ギグ・エコノミーなる新語が世間を賑わせております。独立自営業者化が拡がった経済とでも言う意味になりますが、元々は、ジャズの演奏において、知らない演奏家同士が単発のライブを組むGIGという言葉から派生しているようです。

昔から、フリーランスとしての働き方は、特にデザインなどの個人資質に負うところが強い仕事ではありました。その個人としての働き方の部分だけ取り出し、いわば企業にとって固定費負担の少ない契約方法として、個人(=自営業者)との契約による経済性の追求の流れと相性が良いため、例えば、ウーバーなどのシェアリングエコノミー企業等を中心に拡がってきているようです。

この動きが果たして、これからの社会にとって、特に人が生み出す付加価値(社会全体にとっての)の向上に対して、本当に有効に機能するのかどうか、機能させるためにはどのような視点を加えることが必要なのかを見てみたいと思います。

まず、大きな流れを見てみます。

@終身雇用的な働き方の段階:
 
1企業内での正規社員の労働力の最適化が有効だった時代の産物。今でも、企業の中核的な先端技術開発分野では有効かもしれませんが、高度な技術革新が必要な分野を中心に、「企業内人材の高度化」だけでは競争に勝てない時代がますます進んでおります。

A企業内でのルーティンワーク中心に非正規雇用者の拡大の段階:

特に高度な技術を要しない、主に企業内の繰り返し業務については、コストの高い社員を派遣社員に置き換える動き。需要の変動弁としても便利。しかし、人を抱えるという点ではこれも過渡的な段階。

B上記の@とAをAIやロボティクス等の先端技術にて置き換える段階:

最初にAのルーティンワークを置き換え、徐々に@の先端技術分野にも浸透している段階。しかし、他社が開発した標準化された技術は、それがいかに高度なものであっても、競合他社もいずれ容易に導入できるため市場で勝ち抜くのは困難。

C働き手(正規・非正規)の「外部化」の段階:

Bの動きと同時進行しながら、働き手そのものを外部化する段階。(例:ウーバー&ウーバーイーツの運転手や運び手が典型。)ウーバーのドライバーは自動運転時代には不要となるがそれまでは必要。当然ながら、この段階での働き手はAのように企業内の非正規雇用者である必要がなく、コスト的にも個人契約で十分。働きによっては収入増になるという、偽りのインセンティブがまぶされていることが特徴。

この最後の段階をギグ・エコノミーと称している訳ですが、こうして過去からの流れを見てみると、この流れが行き着く先はおぼろげながら見えて来ます。

1つは、このギグ・エコノミー段階は過渡的なものだということです。いずれ技術的に置き換え可能な分野では働き手は不要となります。

更に見えてくることは、特に先端技術分野やデザインなどのアートの分野での外部化としてのギグ・エコノミーで、うまく市場競争に勝ち抜くことが出来るのだろうかという点です。

この観点から、極めて先進的な視点からアプローチしているのが、例えばソフトバンクグループです。

一言でいうと、ソフトバンクグループは出資企業の合従連衡により、人々の生活全般(通信、移動、金融、ショッピング等すべて)で、それぞれの分野で強みを持つ企業を束ねて(合従連衡させ)圧倒的な付加価値を付けようとしているように、筆者には見えます。

こうした動きの将来においては、例え天才的な能力を持った個人であっても、そうしたリーダー的な企業間の合従連衡が生み出す、圧倒的な技術力・ネットワーク力・イノベーション力に太刀打ちすることは極めて困難であり、結果、単なる一時的な消耗品と化するのではないでしょうか?

このソフトバンクグループのようなアプローチに対して、果たして対抗するアプローチはあるのか?

それは、ごく概略的に言えば、ソフトバンクグループのいわば「帝国的なアプローチ」に対して、「民主的なアプローチ」に徹することです。

帝国的なアプローチの弱点は、かつてのローマ帝国がそうであったように、皇帝の力(権威)にかなり依存していることです。それでも分権主義をローマ帝国は強く意識して進めたため、あそこまでの広範な帝国を統治出来た訳ですが、その統治の1つひとつの結び目(ネットワーク力と言ってもいいかと思います。)が弱かったため、強力に推進できた水道事業(ハードの極み)などは別にして、皇帝の権威に一旦ほころびが出ると瓦解するのも容易だったと言えます。

では、ソフトバンクグループに対抗するための民主的なアプローチとは一体どういうものであるべきか?

ヒントをいくつか上げると、一つは相乗作用です。もう一つは多様な組み替え効果です。いずれも、特定の企業群(ソフトバンクグループのような)内だけでは、その最大化に限界がありますが、これを地球的にかつ民主的に拡大すれば対抗できる可能性が見えて来ます。

例えば、リナックスの開発のように。

そのためには、かなり困難を伴いますが、地球上のあらゆる人的資源をその「都度」最適に組み合わせ、圧倒的な結果を生み出す仕組みを作り上げ、それを、民主的に人類に配分するという方向ですね。最適な組み合わせにおいては、今のAIなどの技術である程度容易になりますが、それを1つの企業グループの「成果」として「独占」させるのではなく、「民主的」に最適配分するための仕組みは、政治や国のあり方も関係しますので一筋縄では行きませんが、こうした志向をもって、小さな単位から試行錯誤を重ねながら進めていくのがいいのではないかと思っております。

中村哲さんを偲んで [2019年12月05日(Thu)]
ペシャワール会の中村哲さんが不慮の死を遂げました。
私も一時、アフガニスタンの人々の生活基盤そのものを1から作り上げるという彼の活動に共鳴を受け、ペシャワール会に寄付をしていたことがあります。まさかこのような形で死を迎えるとは思いも寄りませんでした。

一体、誰がこのような地を這うような地道な活動を行う人間に対して凶弾を向けたのか?

今日の東京新聞を見て、改めて彼の活動のすごさを知りました。

★誰も行かないところにこそわれわれに対するニーズがある。

これは、「誰もやらないことにこそ、我々に対するニーズがある。」とも言い換えられるでしょう。

★彼ら(アフガニスタンの人々)はわれわれの情熱のはけ口でもなければ、慈善の対象なのでもない。日本人と同様、独自の文化と生活意識をもった生身の人間だちなのである。

限りなく、アフガニスタンの人々が置かれた現状に対する共感意識が高い言葉です。

私が行っている互助移動支援活動についても、ある時から、ボランティア活動と呼ぶのは止めました。もちろん、慈善活動でないとも書きました。この中村哲さんの語録を読んで、すっきりとした気分です。

互助移動支援の対象は、身近な同じ日本人(或いは日本に住む人)です。たまたま、図らずも生活上の不便(移動)を抱えてしまっている方々です。しかし、移動しなければこの社会では人は生きていけません。そこに切実なニーズがあります。にもかかわらず、行政はもとより、地域の団体などは、必ずしもそうしたニーズに応えておりません。ましてや、このような「持ち出しの面倒なこと」にかかわろうとする個人は、私の住む町も含め今のところゼロです。

ボランティア活動を行っている人々はたくさんいらっしゃいます。ですが、そうした方々に声をかけても、この互助移動支援活動については賛同はして頂けるものの、ご自身が積極的にかかわろうとする方は、不思議なことに皆無です。ニーズはいっぱいあるのは皆さん分かっていらっしゃいます。でも、ご自分からはどういう訳か動かない。

これは一体どういうことか?、何が中村哲さんを動かしたのか?中村哲さんの語録を読んでこの思いを新たにしました。
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