• もっと見る
<< 2025年08月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
感情と理性の相互作用 [2021年08月14日(Sat)]
前回のブログで、計6回も都度行き先を言われて「お付き合い送迎」をこなした時の、ある種の「不快感」について書きました。

これは、この送迎に関して最初に反応したのは、筆者の「感情」であったことを意味します。人は感情と理性を分けて考えがちです。しかし、ある本を読んでいて、また筆者の経験からも、「感情に基づく思考」を通じて、むしろ理性的な考えそのものがより高められた状態で惹起してくるようです。つまり、感情と理性とは一体なのですね。こんなこと、今更ながらの認識ですが。

今回抱いた「感情的な嫌悪感」から、今一度、互助送迎のあり方について再考して見ました。

最初に、利用希望者の方にお配りする「ご利用案内」には、以下のことが書かれております。

1.「生きていく上で必要な日常生活圏への移動」が支援対象。
2.「事前予約制」であること。急な移動依頼は駄目。

さて、何故先日のはしご送迎に関して、筆者の心の中にある種の「嫌悪感」が生じたかというと、

まず、事前の予約も何もなく、何箇所かの場所へ行くように依頼されたことです。その場所には、「生きていく上で必要」とは思えない場所も指定されました。例えば、時計の電池を換えるための時計屋さん、仏壇に備えるための花屋さんやおまんじゅう屋さん、メガネのことを相談するためのめがね屋さんなどです。

生きていく上でどうしても必要な場所とは、言い換えると、医療施設が典型ですが、そこに行かないと命に関わることになる場所です。これを敷衍すると、お金がなくなると生きていけないから銀行は対象。食料がなくなると生きていけないからスーパーも対象。役場で手続きしないと健康保険などの制度が利用できなくなり生きていけないから役所も対象です。

この方は、精神に異常を来しているのが影響しているのかどうか定かではありませんが、何もかもご自分が行きたい場所に、いわば「お抱え運転手」のように筆者の送迎活動を使ったことによる「嫌悪感」でした。しかも、1箇所が終わる都度、「時間があるなら次にここに行って頂けますか?」と言って、断れない状況を作りながら、送迎のはしごを依頼されたのです。

さて、ここから今一度、筆者が行っている「互助送迎」の精神について考え直して見ました。

皆さん、この活動を「ボランティア活動」と誤解されます。今でもかなりの利用者がそう思っているのではないでしょうか?

実は、ボランティア活動ではありません。余談ですが、ボランティア活動の日本での第一号は、関東大震災の際に被災者救援のために、当時の東大の学生が「動員」されたことが初めてだったようです。戦前の学徒動員もそうです。ボランティアという言葉に何となく胡散臭さを感じていましたが、このような国家による強制動員の歴史(つまり強制奉仕活動)を背負っていることがあった訳です。そこで戦後は、戦前の国家の強制による奉仕活動に相通じるニュアンスを避けるため、「ボランティア」という英語に置き換えられたと考えられます。

従って、今でもボランティア活動というと、災害時のボランティアのように、無償の奉仕活動というニュアンスがどうしてもつきまといます。

筆者の活動も「無償の奉仕活動」と誤解している方が大勢いらっしゃる訳です。

そうではないことに、今回の事例を通じて改めて考え至りました。

分かりやすい例を出すと、例えば、道端で倒れている人を見かけたとします。すると、ほとんどの人が「どうかしました?」と声をかけるでしょう。そこで、容態が変なら救急車を呼ぶでしょうし、そうではなくちょっと捻挫した程度なら、お家の方に連絡するなり、近くであればお家までお送りするなりするのが、普通の人の心持ちではないかと思うのです。(そうでない人もいますが。)

筆者が4年近くやっている「互助送迎」もそうしたケースです。つまり、生きていくための「移動困難者」を何とかしてあげたいという「責任感」を抱いてのある種の「救済活動」なのです。決してボランティア(奉仕活動)ではありません。「救済」をして誰かに褒めてもらいたいという気持ちもありません。ただ、こういうことをする人がこの社会に増えることを望んでいるだけです。

但し、こうした「救済」を筆者から継続的に提供された人が、ボランティアのように「無償提供」のままで平気でしょうか?何らかの心の負担が生じるのが人というものですね。

従って、その負担を和らげるために「任意の謝礼」という抜け道を作っている訳です。暑い中でも、大雨の中でも、約束の時間通りにかけつけて、乗降の手伝いをし買い物袋をトランクに入れ、そして、安全運転でお家までお届けする、この活動に対して、この任意の謝礼を全く出さないお方がもしいれば、それは「人間としての情」を欠いている方だと判断せざるを得ません。「そうした方まで、いいなりに、あちこちに送迎するべき、しないのは変ですよ。」と思う方、遠慮なく、理由を添えてメールして頂くとありがたいです。

こうした考えからすると、先程のお方に対して筆者が嫌悪感を抱いた、その根源的な理由が自分でもよく理解できるようになりました。こうして、感情と理性的思考が相互に影響しながら、より良い理解に繋がっていくことを実際に体感できたという訳ですね。

何事も、実際に活動し現実を体感しないと思考も拡がらないという、まあ、皆さん先刻ご承知の事実を、この歳になって今更ながら感得したという次第。。

追伸:先程、大学病院に行かれた件のお婆さんから電話。目の異常があったので急遽タクシーで朝早く駆けつけたとのこと。帰りは送迎できないかとのこと。何か事情があるかと思って、土曜日で休みのところ駆けつけました。あまり杓子定規に対応するのではなく、様子を見ながら臨機応変に対応することとしました。何よりも筆者との会話で、どうやら「安堵感」も生まれる模様。
Posted by 宮前互助送迎サービス at 08:47 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
もろっこクラブ利用者数の推移 [2021年08月09日(Mon)]
3年9ヶ月を経過した互助移動支援活動ですが、現在たったの一人だけで活動しております。いずれパンクするのではと危惧した時期もありましたが、コロナ禍を挟んだこともあってか、何とか一人でやっております。

ちょっと時間ができたので、この間の利用者数の推移をまとめてみました。

年度別利用者数:
 2017年11月(開始)4人
 2018年 155人
 2019年 529人
 2020年 430人
 2021年 7月現在 340人

今年は、月当たり32人(1月)〜59人(6月)とばらついておりますが、何とか、パンクする60人超えは免れております。

*今年のハイライトと実績*

1.3月から「無料化」(「任意の謝礼」=カンパ、だけにしました。)
2.累計登録者数:72人
3.送迎終了24人
4.送迎お断り:21名
5.送迎継続中:24名
6.死亡:4名

「送迎お断り」がこれほどになるとは思いませんでしたが、互助送迎が定めたルール違反が主たる理由です。

先日、これまでにない「記録」をマークしました。

いつもの時間にお迎えに行きました。すると、まず近くの銀行に立ち寄るように言われました。その後予定のクリニックに送迎。終わる頃近くの薬局にお迎え。(薬局で30分程度待ちました。)その後、2つ目の病院に送迎。別の送迎を済ました後、その病院で待機しお迎え。そのまま帰宅すると思いきや、帰りにしまむらに寄るよう依頼され、しまむらに行く。その後、お花屋さんい行きたいと言われ、そのままお花屋さんへ。すぐ近くの和菓子屋さんで買い物をされた後、やっとこさ、その方のご自宅までお送りしました。

計6箇所の送迎です。たまたま時間があったので付き合いましたが、次から次へと新しい行き先を指定されるので、炎天下の中、車中でじっと待つのは辛く、最後は「返事」をする気力もなくなりました。

こういうこともあるので、この活動はとても他の人にはオススメできません。「赤の他人」のためにそこまで耐えることが多分できないかと。(でも、何とか一人でもいいから手を挙げて欲しい!!)

但し、最後に一言付け加えておきますと、この方は精神科に通っている高齢者です。うつ病か何からしい。この日は炎天下の送迎をたくさんこなしたので、いつもより多い「カンパ」を頂きました。これで、この先もこの方の面倒?を見続けられる「精神状態」に回帰しました。

追記:

もう1つ、先日、ショッキングな出来事がありました。「いつもの金額でよろしいですか〜?」とか細い声で下車時に言われました。(「駄目です」とは、とても言えないでしょう!こういう言い方をするのはこの方だけ。普通は「こんな金額で申し訳ないですね〜」という方ばかり。)「はい、いいですよ」と答えました。すると、この方、いつもより100円少なく手渡したのです。現在、この方のみが、燃料費に相当するだけの「任意の謝礼」でしたが、そこから、更に「いつも通りでいいですか?」と言われて、実際には100円減らされたのはショック。この方、別に生活保護を受けている困窮者でも何でもありません。
Posted by 宮前互助送迎サービス at 12:44 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
世間とのズレ [2021年07月10日(Sat)]
このところ、利用者の紹介で、新規の利用希望者から電話があり、当方が行っている「互助送迎」の趣旨について説明すると、訪問して説明するまでもなく、電話口でそのまま辞退されるケースが2件ありました。

今日あったケース

1.症状は椎間板ヘルニアとぎっくり腰で隣町の整形外科に通院開始したばかり。
2.その整形外科で現利用者から私の送迎について知ったので電話した。
3.現利用者から聞いたのは、役所の関係で私がボランティアの送迎を行っていること。
4.乗車代金としては500円を払うだけでよい。

1は、「送迎対象になりますよ。」と回答。
3は、「役所とは関係ありませんよ」と回答。「役所からの紹介はある」とも回答。
4は、「決まった料金を払う仕組みではありせんよ」と回答。

3については、「あ〜、そうだったんですか」と相槌を打っておりました。そして、4についても、「必ず頂く料金というのはありません。但し、国交省も認めている任意の謝礼は、その方がこの送迎活動から受ける利便性その他に応じて、その方のお気持ちと経済状態から任意にお決めになる金額は頂いております。その金額は500円と決まっている訳ではなく(そうだと、白タクになって違法)それ以下の方もいれば、それ以上の方もいますよ。ゼロの場合は、さすがにこちらの持ち出しが多くなり毎回続けることは困難になりますが。」と丁寧に説明しました。

こちらはてっきり送迎の趣旨についてはご理解頂いたものと思い、会話を続けようとすると、「では、もう利用するのは止めます。申し訳ありませんでした。」と言ったので、「あなたは利用することが出来ますけど」と返しましたが、「でも、結構です。すみませんでした」と言って電話を切りました。

以上のようなやりとりでした。

その方から最初に電話を受けた時は、「どなたの紹介ですか?」とのこちらからの質問に対して、「紹介者に断りもなく名前を言ってもいいのでしょうか?」と再三言われて、紹介者の名前を答えようとしないことにまずビックリしました。「いや、あなたは紹介者から私の電話番号を知ったのであり、紹介者の名前を告げることは何も問題ないのではないでしょうか?」と返答しましたが、なかなか紹介者の名前をおっしゃいません。

(実は、こういう方がいると直前に利用者から電話があり、今、手が離せないので夕方5時頃にその方から電話するように言って下さい。という前置きがありましたので、紹介者の名前は私としては承知しておりましたが、念のため尋ねたところ、このような返事。実際には5時には電話が来ず。夕食時にやっと来ました。)

いやはや、世の中の人々の心の中が全く見えません。

「紹介者の名前は言えない」と言われても困るのですが、でも、実際そう言われました。普通は、初めて電話をかける場合、「XXさんから紹介されてお電話したのですが。」と前置きするものだと私自身の常識では固く信じておりましたが、そうでない特殊な思考回路をお持ちの方がいることに、まず、ビックリ。

そして、電話口での上記のような会話。普通の話が全く通じない。

これは一体、どう考えたらいいのだろうか? 

まず考えられるのは、私の話が難しすぎること。わかりにくいこと。

そう言えば、以前から「明日、病院に行きたいので送迎お願いします。」といきなり電話がかかってくることが度々ありました。「便利なボランティアタクシー」と思っているとしか思えません。

そうではなく、「これこれしかじかと答えて、一度お伺いしてご説明しますので、ご住所をお教え下さい。」と言って話を続け、実際に訪問していろいろな手続や資料をお渡ししながら、送迎の趣旨について時間をかけて説明しております。

その結果、その後1度だけの利用か全く利用ゼロの方が、実は8名もいます。

恐らく、私の話を聞いて、「こんな面倒なことなら利用したくない」と思われた可能性が大です。

事故に遭った際、家族から訴えられても困るので、家族の署名入りの「利用承諾書」を頂くのが条件になっているのも、多分、そうした方々は嫌なのでしょう。面倒なのでしょう。

もう1つの可能性は、「もっと安く(できればタダ同然)簡単に利用できると思ったのに!」と思った可能性です。これは、いわゆるフリーライダー排除のためには、当方としては、辞退して頂くことは歓迎すべきこととなります。(これまで、2−3割がいわゆるフリーライダー的思考の持ち主でした。)

それから、単に「役所が関係しないのなら利用したくない」と考えていること。

いずれにしても、世の中の人々の考えている地平と、私が行っていることの互助送迎の複雑な仕組みが相容れないということでしょうか?

こういうことも、互助送迎が、特に個人ドライバーだけによる互助送迎が広がらない根本原因かも知れません。こういったお方を相手にするとガックリと疲れが出ます。もう辞めたくなりますね。

休日である筈の今日の土曜日も3件の送迎。昨日は8時半頃から夕方6時ごろまで6件の送迎。昼食もずっと取れない生活です。むしろ、とらない方が身体の調子もいいので、これはこれで歓迎ですが、昨日は約100キロの走行。

これは職業運転手より過酷ではないかと思ったりします。

従って、訳が分からない自分中心主義的なお方とは関わりたくない心境です。

いずれにしても、私自身のいわゆる「世間を見る目」が大甘だったということだけは言えそうです。

これまで、ありとあらゆる努力を重ね、ドライバーの発掘を心がけ努力を重ねて来ましたが、ドライバー候補として名乗りを上げる方は皆無。そうした方は実に「先見の明」がありますね。。。





Posted by 宮前互助送迎サービス at 22:46 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
送迎基準の新たな設定に光明が?? [2021年05月30日(Sun)]
「互助送迎」を始めて年月が経つたびに、自分のやっていることの意味を日々問うております。

最初は、単にこの小さな地域で何らかの事情で生活に必要な移動に困っている人を少しでも助けられないかとの気持ちで始めました。

厳密に言うと、最初から自分ひとりで始めようとした訳ではなく、この「地域社会の課題」については行政の責務ではないかと考え、町長を始め町の幹部の方々に説明し、町の施策として立ち上げないかとアプローチしてきました。

ところが、以前にこのブログでも書いたとおり、町としては、

1.新しいことはやらない。
2.うまくいくことが保証されていないとやらない。
3.リスク(移動には事故のリスクあり)があることはやらない。
4.住民からクレームがないことはやらない。

との唖然とする回答を寄せました。あまりに驚愕したのできちんと議事録にも残して町に提示し確認済みです。

2度目の町長との会議の結果、「そんなに気になるからXXさん、やったら?」と見事にうっちゃられてしまいました。そこで今の互助送迎をたったの一人で始めたのが2017年11月でした。

以後、このブログでも色々と書いている通り、利用者の中には様々な人がいます。約3割はいわゆる「自己中心的エゴイスト」とも言える人々です。

見知らぬ相手(私のこと)から、時間通りに迎えに来てもらって、医療機関などで長時間待たせて、きちんと家まで送ってもらう、その見知らぬ人が提供する「労力」というものの大変さに全く無頓着な方々です。

場合によってはお抱え運転手に話しかけるような口調で話しかけられます。
「はい、これ!次の通院予定!」と命令調で紙を差し出すお方。

奥さんが任意の謝礼として差し出したコインを、「そんなことするな!」と叱責して止めさせたお方。この方は、いわゆる競合見積もりをして、私の活動にしか行き当たらなかったと呟いていたのを鮮明に記憶しております。

この方、少しでも安く移動しただけの「エゴイスト」でしょう。(何とか自分で運転できるようになっての)送迎活動終了後も、検査入院の日のための足に私のクルマを使おうとして、「タクシー会社が出ないのでお願い出来ないか?」と嘘までついてタクシー代を節約しようとしたお方です。(タクシー会社の通話ログに残っていたので後で嘘だったと分かりました。)

このような例は他にもたくさんありますので、興味ある方はこのブログをご覧下さい。

そこで本題ですが、こうした「変なお方」は、これまでの経験からかなり「排除」することができるノウハウが溜まって来ましたが、今日のテーマはそうでない普通に「移動に困難を抱えている」方々をどういう基準で優先順位をつけながら送迎するかという点です。

利用希望者への最初の説明の際に、移動困難度に優先順位をつけて、困難度の高い人から優先的に送迎をしますよ、という点は説明しております。一番ゆるい基準は、高齢者(概ね80歳以上)でクルマなど移動手段がなくて困っている人になります。

先日、そのような最低基準に合致する方から電話がありました。

「息子が墓参りにこちらに来ているので、それが終わったら隣町のXX市役所まで送ってくれないか?」とのこと。送迎中だったので詳しい事情は聞けず、その後の連絡を待ちました。

朝電話を貰ってから、午後をかなり過ぎても連絡がないのでこちらから電話。「まだ息子が来ていない」とのこと。そこで、こちらから電話をして、「実は、ご家族は送迎対象ではないのですよ。最初のご説明した文書に書いている通りです。」と申し上げました。

すると、「私が乗っても駄目ですか?」 との返答。「はい。駄目ですね。」と答えてこの送迎はお断りしました。その際、その方が電話で言った言葉にカチンときました。「今日は千円出すつもりなんですが、それでも駄目なんですか?」との言葉。「お金の問題ではないのですよ。」と言って電話を切りました。

実は、この方には以前も急な電話がありました。精神を患った娘さんがいて、その娘さんが免許証をどこかで落としたとのこと。その時は、「それは大変だ。すぐに探しに行って、ないなら警察署まで急行しなければ」と思って娘さんとその方を乗せての送迎活動を提供しました。隣町の警察署や健保組合事務所などにも行って大変時間もかかりましたが、その際に頂いたのは、いつも通りのワンコイン(ガソリン代込み)でした。

この話には後日談があって、その40−50代と思われる娘さんは翌日急死しました。普段からアル中だったそうです。何らかのショック死でしょう。

余談ですが、こうした緊急時に私が対応したことがその方の脳裏にあったので、今回は、身体は何でもない息子さんの便宜のためにだけ私の送迎を「利用」しようとしたらしい。

前置きが長くなってしまいましたが、こうした「嫌なこと」があると、この私がやっている互助送迎活動って一体何のためにやっているのだろう?と時々疑問に思うことがあります。

そこで、ふと読んだ本の中に書いてあった、以下のマルクス・ガブリエルの言葉です。

「私達は皆、他者の苦しみに責任があるのです。」

そうだったんだ、その責任を果たすために、私ができる唯一と言ってもよいこととして、このような送迎活動をやっているんだ。と思い直しました。

となると、上記のケースですが、その方の息子さんは果たして何かに苦しんでいるだろうか?その苦しみを私の市役所への送迎で解決の一助にできるのだろうか?

答えは「否」です。

単に実家の墓参りに来たついでに、隣町の役所に行くのに便利で安価な移動手段はないかと探していただけではないのだろうか? 普段の利用者であるその息子の母親も単に息子の助けになろうとして私の送迎活動に便乗しようとしただけではないのだろうか?

そうであれば、この互助送迎の理念からしてもおかしいことになります。

問題は、「足腰が本当に不自由で移動に苦しんでいる方」であり、上述のように私を騙してまで1円でも安い移動手段を探している方をどう扱うかということです。

これは、一旦送迎してみないと、その方がたちの悪い人間かどうかは何とも分かりませんが、私としてはもう二度と上記のお方の時に被ったような「不快感」を味わいたくはありません。

今では3年半ほどの経験を重ねて来ましたので、お会いした時におおよそのその方の人間性は分かりますが、やはり実際に送迎してみないと真の人柄は分かりません。

解決策としては、とりあえず送迎はしてみるものの、とんでもないお方であった時は、こちらから辞退できる余地を最初の説明の段階で残しておくということぐらいでしょうか。。

マルクス・ガブリエルの言うように、「私達は皆、他者の苦しみに責任があるのです。」と言われても、その他者の苦しみには様々な人間の欲望が渦巻いております。そこまで考えた上での心理的な葛藤がないような、何か哲学的な解答はないものだろうか?
Posted by 宮前互助送迎サービス at 09:23 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
互助移動支援活動の本質 [2021年05月19日(Wed)]
昨日、近くの大学病院まで送迎したご夫婦。ご主人が足腰が覚束なく眼も片方が不自由で、乗車中はほとんど口を利いたことがありません。3年以上前からお世話しております。

昨日の朝、同じ病院へ行く別の方と同乗しました。これはそのご夫婦にとっては初めてのことでした。2時間ほどして「これから会計」との電話。しかし、たまたま私は別の方との約束がありそちらに向かっている最中だったので、「ちょっと時間がかちあってしまったので、お待たせすることになりますが、よろしいですか?」と念を押し、別の方の自宅に早めに行きました。そして、その方を首尾よく病院まで送り届けたその足で大学病院に向かっている最中に奥様から電話。「まだかかりますか?」と催促されたので、「今、こちらを出てそちらに向かっていますので10分もかからずに到着しますよ」と返答しました。

再度、時をおかずして奥様から電話があり、「主人がタクシーで帰ると言うので、もうお迎えは不要」とのこと。一瞬、嫌な気分になりましたが、そのまま帰宅しました。

私がやっている「互助送迎」は文字通り「互助」の精神でやっておりますので、利用者間での相乗りや時間調整からくる待ち時間が生じる点は、最初にご説明して同意頂いております。

従って皆さん、たまたま別の利用者の送迎がかちあってしまっても、文句は言わずにお待ち頂いております。私は、お待たせする場合は、「近くまで来ましたら電話しますからね。」と添えます。

そもそも、急ぐ用事がある場合は、皆さん、その日は病院の予約など入れることはありません。何故なら、大学病院というところは、どれだけ時間がかかるか分からないためです。従って、快く了解してお待ちいただくケースが通常ですから、「まだ来れないのか?」と催促の電話をいただく事自体、普通はありません。しかし、それは良しとしましょう。

しかし今回は、その電話の直後に再度奥様から、「主人がタクシーで帰ると言っているから、すみません、今日はそうします。」とまで言われました。これは初めてです。後5分もすれば到着するのにです。

その日に、何らかの事情説明の電話があるかも知れないと待っておりましたが、何も連絡なし。そして、今日になって奥さんから「昨日はすみませんでした。」との電話がありました。結局、タクシーがなかなか来ずに、私に頼んでおけば良かったとのこと。

しかし、もう後の祭りです。「こういうことがあると、他の利用者の方々に迷惑がかかるので、もう送迎はこれっきりにさせて下さい」と強く言い放ちました。相手の奥様は私の剣幕に少々ビックリされておりました。

複数の利用者の送迎を掛け持ちしながら、いつ終わらないとも分からない病院の診察時間に合わせて、電話を貰ってすぐに迎えに行くことなどおかかえ運転手でもない限り不可能です。それを承知しながら「もう今日はいいからタクシーで帰ります」と言われてしまえば、それはそれは私の堪忍袋の尾が切れるというものです。

実は、一人ひとりの過去の実績に基づき、そろそろ診察が終わりそうだと思う時間には、病院の片隅の無料で置ける駐車場にクルマをおいて待機していることが度々あります。そのことは利用者の方には何も知らせておりません。その待ち時間は目算が狂って時に2−3時間に及ぶこともあります。先日も診察が終わって薬局から電話してきた方に急いで駆けつけてから、なんと1時間以上も待たされました。(薬局が混んでいたそうです)

そうした私自身の苦労は全く承知していないのでしょう、そのご夫婦は。ご自分の待ち時間が30分を超えたからと言って督促の電話をし、待ちくたびれたといっては子供のように「タクシーで帰るからもういいです」と言う。

そこで本題に戻りますが、「互助」の本質ですが、「お互いに助け合う社会にしよう」という意味を私は込めております。利用者は他の利用者と譲り合って(私と他の利用者を)助ける。任意の謝礼(カンパ)は、私を経由して町の社会福祉協議会の年末募金へ還流させ、他の困っている方々を助ける。そうした活動全般が「互助による送迎活動」と私は位置づけております。

もちろん、送迎以外の色々な生活上の相談にも応じております。もちろん無料です。裁判所まで同行したこともあります。介護施設にも行ったことがあります。これも「互助」の一環です。

しかし、こうした自分勝手な利用者が増えると、他の方々の迷惑になるし、私自身の健康にも悪影響を与えますので、様々な形で「変な利用者」とは付き合わないように「自衛」しております。

その変な利用者が全体の約3割ほどいます。身が持たないのでほとんどの方と縁をきりましたが。。

これを多いと見るか少ないと見るか? 多いと思います。自分勝手な人間が3割です、この社会で。これはその他7割の普通の人間に悪影響を絶えず与えるのに十分な比率ではないでしょうか?

だから、この社会は段々と住みづらくなってくる!

1つ、私が気に入っている文章。

「他人から不適切に利用されないように、安全な状態で仕事や遊びができるように、自分自身の原則を明確にしなければならない。自分自身を慎重に律しなければならない。自分自身を信頼し、動機づけを失わないように、自分との約束を守り、報いなければならない。善良な人間になり、その状態を維持できる可能性が高まるように、自分自身に対する振る舞いを決める必要がある。

本当に助けを求めている人物と、助けに来た誰かに付け込もうとしているだけの人物とを区別するのは容易ではない。助けを求めていて、かつ、出来れば誰かに付け込みたいと思っている人物ともなれば、いっそう見分けが難しい。

単なる無知ではない場合、誰かを助けようとする試みが、虚栄心とナルシシズムに支えられていることも多い。

  ジョーダン・ピーターソン
Posted by 宮前互助送迎サービス at 22:11 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
認知症初期症状の人が増えてきた [2021年04月03日(Sat)]
お年寄り中心に送迎をやっていると、この社会の高齢化の具体的な進展度合いを肌身で感じます。

昨日、実際にあった話。

いつもの利用者から電話で、「明日の土曜日(4月3日)に歯科医に行きたいが、土曜日は休みですか?」とのこと。「土曜日・日曜日は休みですが、事情があって私のスケジュールも空いていれば対応していますよ」、と答えました。

その方からは、明日自分で行くにはコミュイティバスに乗るのが足が悪くて大変で云々と、依頼理由を何度も繰り返し話されました。ようやく、私の送迎の約束にこぎつけた段階で、再度、日取りと時間の確認に入りました。その際、その方がちらりと日取りを4月10日(一週間後)と口にされましたので、念の為、10日ではなく明日の3日でいいんですね?と確認しました。

その方から、「はい、明日3日の10時半でお願いします」、と再確認の返事があったので、そのまま3日の予定をカレンダーに書き込みました。

その後すぐ、その方から電話があり、「実は4月10日と間違えておりました。時間は9時半でお願いします。」とのこと。私は、「はい分かりました。10日に変更しておきます。」と言って電話を切りました。

すると、更にその10分後にその方から、「実は10日はコミュニティバスを使えるのが分かったのでキャンセルお願いします。」との電話。

私は、「はい、分かりました。10日はキャンセルしておきます。また、何かあればご連絡下さい。」と伝えました。

以上の電話のやり取りをしたあと、この方は初期の認知症状になっているのではと、ふと思いました。以前にも他のことで心当たりがあります。

車中で、今私が飲んでいる「飲むお酢」のことが話題となり、その方からも飲んでみたいので、ちなみに1本買って来てくれないか?と依頼されました。そこで早速翌日スーパーでその方の分まで買って来て、翌日、送迎途中で立ち寄ってお渡ししたいと伝えました。

その方は、娘が家にいるのでわざわざ届けないで、次回の送迎(3週間後)の時に渡して欲しいと言われましたので、その次回の送迎の時にお渡ししようとしたら、「実は娘さんが、家にあるりんご酢を飲むようにいうので、今回は不要です。」と言われました。

私は、手間かけてわざわざ買ってきたのに、変なことを言う人だなと内心思い、ついつい、「そのお酢には防腐剤が入っていますよ。少し飲むのはいいけど長く飲むと何か影響が出るかも知れませんよ」と余計なことを口走ってしまいました。

その方は、防腐剤のことは気になるらしく、しかし、あえて私が確保したお酢を改めて買いたいというまでもなく、そのまま話は終わりました。

もう、この方からの依頼に対して、わざわざ手間暇かけて何かしようとする気力が失せました。

これも、1つの認知症の初期症状ではないかと思っております。他にも、送迎料金のことで色々とありましたが、今日はもう止めておきます。こうした思考回路に少々変調をきたした方が実際に増えております。

それでも、依頼の電話があれば、少々変なことがあろうとも、これは一種の病気だと思って、これからは対処したいと思います。いちいちまともに考えていたのでは、こちらまで「初期認知症状」を呈しそうですので。。。
Posted by 宮前互助送迎サービス at 08:55 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
どうにも話が通じない [2021年03月30日(Tue)]
互助送迎の利用者の紹介ということで、依頼の電話が入ることがあります。

利用者の方からは、「こんなことやっている人がいるわよ。電話してみたら?」といった程度の話しか聞いていないようです。先程も、そうした方から電話がありました。
いきなり、「今日の1時ごろ歯科医院に行きたいのでお願いします!」と言われました。

こちらは、以下のように電話で応対します。

「送迎の趣旨をご説明し利用承諾書にご了承をいただくことが条件になっており、どなたでも送迎している訳ではなく、身体的に不自由な方やご高齢でお一人暮らしで外出がままならない方でないと送迎しておりません。この互助送迎の趣旨をお話しご了承を頂くためにまずお伺いして、この送迎の趣旨にご納得頂いてからご利用のスケジュールを予約しております。」

と話をするのですが、このことが全く理解されずに、ただただ、「こういる人がいるからと友達に聞いたので電話したんです。」と繰り返し答えるのみ。こういう方が実に多い。

話をきちんと前に進めることが出来ないし、相手の話を聞いてから受け答えをするという、いわば「訓練」のようなものがほとんど出来ていない人が実に多いのです。

こういう人とは話の進展が全くないので、途中で相手から「それじゃあ、結構です。」と言われておしまい。

これは一体、どう考えたら良いものか? 何事によらずこのように、相手とまともな会話が成り立たないケースが世の中にはいっぱいありそう。

いわゆる「民度」という言葉がよく使われますが、こちらからすると、まともな話が出来ないというレベルでは、小学生と会話しているに等しい訳です。

こうした利用者からの紹介ケースは他にもありますが、どうやら一回限りの便利屋さんとして私の送迎を使いたいらしい人もいます。こちらは移動に困っている現状の助けになればと思って送迎活動をしている訳ですが、一度きりという方が実に多い。60数名の利用者の中で、これまで10人ほどはいます。登録だけして一度も利用していない方も5−6人はいます。お宅に伺って説明をするだけでも手間なのに、何の音沙汰もないなら、初めから声をかけるのを止めて、と言いたいぐらいです。世の中、変な人が多いとは思っていましたが、本当に多い!

結局、本当に移動に困っている人自身が、自分の努力で私の活動を探し出し、思い切って自分の意志で電話をしてくるような方でないと、利用が長続きしないということですね。
Posted by 宮前互助送迎サービス at 12:58 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
来月から燃料費ゼロへ [2021年02月28日(Sun)]
3年4ヶ月、今住んでいる地域で「互助送迎」を行ってきました。送迎回数は、コロナ禍がありながらも約1200人を往復送迎してきました。

燃料費は、町内だとほぼ100円。町外だと近隣で200円、遠くに行く時は700円というのもありました。50円未満の近場の送迎は四捨五入して「0円」です。

今のクルマの燃費から計算すると8円/キロとなります。タクシーの約1/30。
これまで運転記録を付け、都度燃料費を計算してきましたが、今の利用者の方々は、燃料費だけしか支払わない方は皆無となりました。皆さん、「カンパ」として、100円、200円、300円といった金額をお支払いになります。ちょっと遠くに行けば千円をカンパして頂ける方も。

そこで、思い切って3月からは燃料費は頂かないことにしました。カンパのみでこの送迎活動を賄うつもりです。運転記録を付けるのが面倒になったということもあります。
それに、5月頃からは3円/キロのクルマに乗り換える予定です。まあ、ほとんどゼロですね。

カンパは全くの任意ですので、国交省も異論はないでしょう。

国交省のガイドでは、利用者を乗せた時には、燃料費しか確実には頂けません。「任意の謝礼」はまさに任意です。従って、利用者が何もカンパ(謝礼)をせずに下車してもOKです。現にそのような方もいました。

しかし、まさにタダ乗りの利用者から依頼の電話があっても、お断りするのも「任意」だと思っております。乗せた時は、これはタダでもやむを得ません。文句を言う筋合いはありません。

恐らく、2−3回続けて「タダ乗り」されれば、その方からの電話は受けても、予約が一杯とかの理由を付けてお断りすることになります。何故なら、私自身とても気分が悪いからです。気分を悪くしてまで見ず知らずの他人に送迎サービスを提供するほどの「聖人」では私自身ありません。

こちらは、お金と時間とリスクをかけて送迎しております。それに対して全く何の痛痒も感じないお方と「お付き合い」する気はありません。気が滅入るからです。

これでスッキリします。「嫌なヤツが来るから気をつけろ!」とは、思想家の内田樹が道場を開く時に友人から言われたそうです。

私も、身銭きって、残された人生の貴重な時間を使ってまで、嫌なヤツと付きあう気持ちは全くありません。

この互助送迎活動に興味のある方は、是非ご連絡下さい。

3年以上、数十人に呼びかけても、結局、この活動をやりたいというドライバー候補は皆無です。この点は、私の世間に対する認識が大甘だったと言わざるを得ません。

先日、県のデータベースに「ドライバー募集」の小さな記事を載せて頂きましたが、例え一人でも問い合わせがあればいいのですが。。駄目だろうなぁ〜。。
Posted by 宮前互助送迎サービス at 14:37 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
地方での高齢者移動支援のあり方 [2020年11月11日(Wed)]
最近、伊藤忠商事が移動サービスの全国展開に乗り出すというニュースがありました。リリース以外の詳細は分かりませんが、複数乗車で65歳以上なら300円から700円でドアツードアの送迎を行うとしております。

一方、富山県の朝日町が「ノッカルあさひまち」と称して今年夏から実証実験を開始しております。
やはり、ドアツードアの送迎です。従来の停留所停車方式であることが分かりましたので訂正します。

詳細が分かっているあさひまちのケースに基づき、これまでの経験から少し感想を述べてみたいと思います。

1.スマホでの予約
  これは、高齢者には無理。携帯すら持っていない方がいますが、かろうじて、携帯での電話はできます。SMSメッセージが使える人もごく僅かですが、います。しかし、スマホ予約はまず無理ですね。

2.前日予約
  電話受付だと前日予約になるようですが、これは、予約システムの問題かと思います。人が受ける場合は、前日ではなくとも当日でも空きを案内できます。これも予約システムに頼る弊害。

3.病院での帰路予約ができない
  これも、何らかの予約システムに依存していることからくる弊害。送ったドライバーが直接、帰路電話をもらうようにすればOK。

3.ドライバーの運転技量
  二種免許があれば「運転上手」とは限りません。失礼ながら、一部のタクシー運転手の荒っぽい運転についてはよく噂を聞いております。また、運転講習を受けたドライバーならOKかというと、運転についての人それぞれの「癖」は、一朝一夕には治りません。これは、私の経験からも言えます。余談ですが、私が使っているマツダのCX-5というクルマにはiDMという、運転技量をレーティングする装置がついております。運転歴数十年の私でも、最高レベルのレーティングになるのに3年ほどかかりました。1日程度の運転講習会を受講したからといって、人の運転の癖はそうそう治るものではありません。

4.トラブル解決への町や協議会の役割
  特にドライバー側に何らかの問題があるかどうかを、町や協議会がチェックするのは意味があることだとは思います。しかし、これも運転と同じで人それぞれ人格面で「癖」があり、それを第三者がチェックするのはかなり困難でしょう。しかし、後ろ盾としてそうした団体がいるというのは、ある種の歯止めになるかも知れません。

5.自家用有償旅客運送の枠組み
 この枠組みだと、タクシーの半額程度の料金であり、タクシー会社とのバッティングが基本的には生じます。この町のようにタクシー会社が1社で、コミュニティバスでの依存関係もあり、共存共栄が図られている場合でも、タクシー料金の半額程度というのは、利用者にとってかなりきつい出費だと思います。

また、地域交通活性化協議会などの場で、(テリトリーなど)さまざまな制約が課せられたりして利便性に問題点があります。またタクシー並の管理コストがかかるのも問題でしょう。

以上、思いつく問題点を、私の3年間に及ぶ実体験に基づき挙げてみました。

では、どうするのがもっとも効率的で利便性もありかつ永続性があるのか?

ここは我田引水になりますが、私が手掛けている「互助による輸送」のスキームに基づき、ドライバーに対する支援プログラムを公的・私的組織が提供する形が一番いいかと思います。

何よりも、システム投資や組織運営コストが一切生じません。ドライバー一人で複数の利用者を担当する専任担当性を採用します。この専任担当性のメリットは、

1.個々の利用者について熟知できる。
 家の場所はもちろん、どういった病院でどのくらいの頻度で、一回あたり何時間ぐらいの時間を要するかは、大体予測できるようになります。従って、お迎えに行く時間が大体分かります。

2.利用者にとっても、乗るクルマとドライバーが固定されているので、病院などで送迎クルマを見つけやすいし、ドライバーと馴染みになって気楽に乗れるようになります。

3.ドライバーは、各利用者の家の地理的関係や、迎車のための所要時間、その利用者のニーズ(例えば、帰路に薬局やスーパーの寄る人など)は予めよく分かっているので、最適なルート編成が即時・柔軟に行えます。相乗りや待ち合わせが生じることは、予め利用者の方にご了承頂いておりますが、待ち合わせ時間は、私の経験ではせいぜい10分から15分程度で済んでおります。

以上のような様々なメリットがあります。極めて柔軟にコストをほとんどかけずに、個別の利用者のニーズに応じた送迎が可能な上に、利用者の支払いは基本は燃料費のみ。後は任意の謝礼+市町村や企業などからの援助(もしあれば)です。これなら、低所得の利用者の方も頻繁に利用できます。

また、上記の「援助」によってドライバーのインセンティブを高めれば、ドライバーの成り手もそれなりにいるのではないでしょうか?

但し、この互助輸送の欠点は、「市町村」や「XX協議会」などに、高齢者の足の問題を解決するための「やってる感」が醸し出されないことです。
なんだか、勝手に地域での助け合いが進んでいる状態とも言えますね。

10年もすれば、自動運転車が増え、過疎地域でも交通問題は解決に向かうでしょう。その間のつなぎに、そんなに大仰な組織を作りお金を投じて、あまり高齢者から歓迎されない仕掛けで「やってる感」だけ醸し出しても仕方ないのではないでしょうか?
Posted by 宮前互助送迎サービス at 08:49 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
これまでの実績他 [2020年10月09日(Fri)]
もうすぐ、この移動支援を始めて3年が経過します。これまでの実績や雑感を下記にまとめてみました。丸3年を経過しましたので、データを更新し、コメントも削除・追加しました。

★年度別送迎者数(ほとんど往復送迎です。2017年は2ヶ月、2020年は9ヶ月の実績)

2017年---4名 2018年----155名 2019年----529名 2020年----2020年----361名  送迎者総数:1049人(送迎回数はほぼこの倍)

今年は、昨年より少なくなっておりますが、コロナの影響と下記に述べるお断わり件数の増加が理由かと思います。

★利用登録者数----60名

 うち、送迎終了者--3名 送迎中断中---13名 送迎お断わり---18名  未利用者---3名 死亡者---1名 送迎継続中---22名

 送迎終了者というのは、骨折などの治療が終わって自力で移動が可能となった方です。
 送迎中断中は、何らかの事情でおよそ3ヶ月間、送迎依頼がこなくなった方です。
 送迎お断わりは、ほとんどが燃料費以外は支払わない方です。
 
★雑感

 送迎お断りの比率がほぼ三分の一です。これは実に意外でした。この地域の三分の一は、人件費ゼロ、待ち時間料ゼロ、クルマ持込み、その他維持費ドライバー持ちの「互助送迎」に対して、燃料費以外は出さない方です。「互助」の精神は、地域でお互いに助け合うということにあります。私はガソリン代の他に「お気持ち代」として頂くいわゆる「任意の謝礼」は、クルマの維持費への充当だけでなく、社会福祉協議会を通じての共同募金へと「還流」させ、地域での互助が一応完結するようにしておりますが、この点を最初にご説明しても、ガソリン代のみの支払いしか行わない方々は現にいます。そのような方は、いわゆる「互助の精神」に欠ける方と判断し、私の精神的な負担をなくすためにも、それとなく、あるいは正面切ってお断りしております。

国交省のいわゆる互助送迎というのは、互助ですから、家族や近隣の方が助け合うという従来からのよい意味での、日本社会の慣習を尊重したやり方です。

ご家族に送迎を依頼するケースは、これは当然ながら燃料費も何も出さないでしょうが、仮に近隣の人々にこうした移動の手助けをしてもらった時でも、ガソリン代だけしか支払わない方が三分の一を占めるということになります。

タクシーの約30分の1の燃料費ですが、もしご近所の方に、時間通りに迎えに来てもらって、帰りも時間どうりに迎えに来てもらっての、数時間の移動支援提供に対して、本当に100円とか200円の燃料費しか支払わない方々が、こんなにもこの地域にいるとは全く想像できませんでした。恐らく、ドライバーがご近所の知り合いであれば、恥ずかしくて??こんなことはしないのかも知れません。

(念の為、この方々は国交省のガイドライン上は何も問題はありません。謝礼や換金性のない物品はあくまでも「任意」ですから。従って、私も最近は数回程度は「乗車拒否」をすることなく、きちんとお送りしております。一番多い方は何と数十回以上。多分、この方が発するストレス物質のせいで体調がおかしくなりました。)

私が同じ町に住むとはいえ、全くの他人だから(使い倒さなければ損)という理由以外には思い当たりません。もっと安い(タダに近い)移動手段はないかと思い、相見積もりをするお方までいるのは、これは全くの想定外でした。そこまであこぎな人間がいるとは。。。

いやいや、実に嫌な世の中になってしまったものです。という訳で、私も不本意ながら、我が身を守るため(実は今年、このストレスで入院しました)そのような「身勝手極まる」お方はお断わりすることにしました。その数、何と利用登録者の三分の一。

こんな実態を目の当たりにすると、私から「互助の移動支援をやらないか?」とは、とてもお勧めできませんが、幸い、このような方々を最初の面談の時点で「排除」するノウハウ?が溜まってきましたので、ご心配なく。

残りの方々とは、和気あいあいと実に気楽な送迎活動が日々できておりますので、時間があってクルマの運転が好きな方、是非是非、ご一報下さい。幾らでもお手伝いしますよ。
Posted by 宮前互助送迎サービス at 10:41 | 互助移動支援 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
検索
検索語句
最新コメント
タグクラウド
プロフィール

もろっこクラブさんの画像
https://blog.canpan.info/morocco/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/morocco/index2_0.xml