• もっと見る
<< 2023年12月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
コロナワクチン接種の「効用関数」 [2021年07月24日(Sat)]
筆者が送迎を行っている高齢者で、最も重篤な基礎疾患を抱えた方がおります。

その方は、週1回は大学病院で1−2種類の輸血を2−4時間かけて受けております。その他に、以前から抱える基礎疾患として、ニトログリセリン常時保有が必要な心臓病、若いころからの喘息、足腰の疾患その他を抱えており、クルマに乗り込むのもやっとの状態です。

さて、その方がこの度、新型コロナワクチンの接種を受けることになりました。長年の主治医も了承したとのことです。

その方のお友達は、あんなにいつ死んでもいいような状態で、リスクを犯してまでワクチンを打たなくても良いのに、と危惧しております。

そこで、ワクチンを打つか打たないかを判断するための「効用関数」なるものを試算してみました。これは他にも人生において使える考え方です。

まず、コロナの最新の感染者数を今朝の新聞で確認すると、(日本の総人口は1億2千万人としております。)

 ● 罹患者総数 85万8503人(約千人に7人=10万人あたり約700人) うち死亡者総数 15052人。(10万人あたり約12人)
 
一方、ワクチン接種についての厚労省のデータ(2021年7月21日発表、データは7月11日現在)を見ると、

 ● 接種者総数 3760万人 うち接種後の死亡者総数 667人(10万人あたり約1.7人)
   但し、厚労省は3人を除いてはワクチン接種との因果関係は認められなかったと言っております。とりあえず、667人全員が接種による死亡と仮定します。

つまり、10万人あたり12人がコロナに罹患すると死亡するのに対して、ワクチン接種による死亡者は10万人あたり1.7人となります。約7倍のリスクがワクチンを忌避することによって生じることになります。しかも、これは基礎疾患を多く抱えるであろう664人(多くは高齢者)を全てワクチン死と仮定しての数字です。仮に、667人の半分しかワクチン接種死がなかったとすると、10万人あたりの死亡者は更に半減し0.8人程度に落ちます。そうするとワクチン接種を行わないと、コロナ感染によって15倍の死亡リスクを抱えることになります。

もう、明らかですね。ワクチン接種することにより死亡リスクが7分の1から15分の1に低減、場合によってはそれ以上の「効用」があることが示されました。

筆者も、あんなに重篤な基礎疾患を抱えていつ死んでもおかしくない状態なのに、ワクチン接種して大丈夫かな?との疑問を抱いておりましたが、効用関数という考えからは上記の結論が導き出されます。今日、特別に送迎を行いますので、そのことをご本人に伝えてあげようかなと思います。

但し、1点だけ念を押しておくことを忘れないようにしないと。。

それは、ワクチン接種が引き金となって早逝する可能性があるということです。基礎疾患を抱えて毎週輸血をしていても、まあ、あと1−2年は生きられるかも知れません。仮に、その間にコロナに罹ってコロリと逝っても、それまでの人生は「謳歌」できる訳です。その謳歌できたであろう人生の残り時間を「犠牲」にしても本望ですね?という点を、念のため本人に言い伝えて置かないと、ワクチンを打ったのでもっと人生を「謳歌」できると勘違いされても、それは筆者の「本望」ではありませんので。。。

追伸:本人に確認したところ、ワクチン打って急逝してもいいとのこと。そういう覚悟が出来ているなら、他人がとやかく言う筋合いはありませんね。しかし、身体が悪いお年寄りには人生の未練は余りないことが改めて分かりましたので、せめて、送迎中だけでもいい思いをさせてあげなければと思い直しました。(クルマだけは電気とガソリンで走る快適なものにこの5月に買い替えたので、皆さん、喜んでおります。)

なお、ワクチンが直接の死因だと国が認定した場合は4420万円が支払われます。1級の障害者になった場合は年額505万円ほどが支払われます。
変異し続けるウィルス [2020年04月26日(Sun)]
新型コロナの特性に関して、日々様々なニュースが入ってきております。
中でも、4月24日のNew York Timesの下記の記事は、これからのコロナ禍の犠牲にならないように一読をおすすめします。

https://toyokeizai.net/articles/-/346423?utm_source=morning-mail&utm_medium=email&utm_campaign=2020-04-26&mkt_tok=eyJpIjoiWlRGaU5tSXdZelpsWXpkaCIsInQiOiJ3Vk5ZcmFnRlNrdjdKczJSZ0xGSWlka0tJSng3UXJSc3BxaVwvaGNrd3BwRU1BRzR5elwvcm1xZGJHSHg5U0pSa1lTOWNkalpBOU9rQVpjb0pUdUpPY1kzWDFMaGhxZmViZ3VYems5MGE0VncydmhHTmhPUFZsK3JoeXhzbEV5MzdLIn0%3D

私は、心臓の拍動が乱れる症状の完治のため、カテーテル・アブレーションという処置を3月11日に受けました。この際に、自分でも血中酸素濃度を簡易に測るため、パルスオキシメーターを持っていきました。心拍の波形と脈拍数なども同時に測定できます。

自宅に帰ってきてからも、肺に近い心臓でカテーテル治療を受けたことから、新型コロナへの罹患を強く警戒するため、このパルスオキシメーターにて1日に数回血中酸素濃度を測定しております。およそ、98%から100%が私の正常値です。

これが95%以下になると、新型コロナウィルスによる初期の肺炎症状が疑われます。ちなみに強度のCOPDに罹患している私の送迎の利用者は、平時でも酸素ボンベを持ち歩いておりますが、彼女に尋ねたら70%程度まで落ちることがあるとのこと。これはもう大変な状態です。彼女いわく、新型コロナに侵されたら即、死を意味するとのこと。しかし生きるために月1回の大学病院通いは欠かせません。

最後に、このように様々に変異し続ける今回のウィルスに対して、専門家会議での「最初の4日間は様子見すること」、との一律のステートメントは役に立たないことは明らかです。

敵は変幻自在です。それに対する対応策も変幻自在でなければならないことが、このウィルスの厄介なところです。政府の対応がこのように硬直していることを非難しても、このコロナの厄災は誰にでも等しく降りかかります。自分で自分を最大限に防御しないと、私が好きな岡江久美子さんのような不幸を招いてしまうことになるようです。
コロナ後の世界 [2020年04月20日(Mon)]
新型コロナが人類に突きつけているものをどう理解し、我々の生活をどう適応させて行くべきかをずっと考えています。前回書いたグローバリズムが帰結している効率第一主義や格差の拡大を、このままコロナ後も続けて良い訳はありません。

では、どういった社会構造に転換したらよいのか?

コロナによって少し見えてきた、この社会の新しいあり方を見てみます。

1.都市にせよ会社にせよ、効率性追求の結果としての、「人、モノ、金の集積」からの転換。
2.集積が可能としていた集権的・ピラミッド型の社会構造からの転換。
3.人が極力介在しない新しいテクノロジーの採用・推進。
4.消費者と生産者の直接的結合。また、消費者同士、生産者同士の直接的結合への転換。

以上のような社会構造への転換を、コロナによって迫られているように見えます。

ここで言うピラミッド型社会構造は、これまでは効率性アップを支える基盤としてある程度有効でした。しかし、ひとたび今回のような災禍が世界を襲ったら、上意下達的な意思決定構造では、とてもとても間に合わない訳です。

そこで、思い切ってこうしたピラミッド型社会構造を、フラットで無駄のないネットワーク型社会構造に変える必要があります。

今回のコロナ騒動で、一部動きが出ておりますが、飲食店向けの食材をパックにつめて業者が直接消費者に売るというような形ですね。いわゆる中抜となるため、生産者にとっても消費者にとってもメリットがあります。この中抜がフラット化ということにもなります。

このことは、これまでのサプライチェーンをフラットに組み替えることを意味します。システムはいわゆるピアツーピア(個人同士がつながる)形となります。この個人同士、企業同士のトランザクションの信用を担保する技術が、ブロックチェーン技術ということになります。

今回の件でかなり進んだテレワークも、会社での指揮命令系統が一旦切れる形で業務が進行するという、新しいピアツーピアの働き方を示唆しております。

人が介在しない新しいテクノロジーは、いわゆる自動化技術です。例えば、自動運転連結トラックによって都市間を結び、ドローンで地域の各戸まで配達するというような、自動化技術ですね。
これなら、人と人との接触がないので、コロナウィルスが感染を拡げようとしてもできません。

そして、このようなフラットなネットワーク型の社会を実現するためには、エネルギーについては、自然エネルギーを主体とした地域での地産地消型システムへの転換。さらに、できるだけ個別の家単位でのエネルギー自給体制の構築です。停電があっても大丈夫な形ですね。

食についても極力地産地消体制に移行。そして食料は生産者と消費者が直接結ばれた、極めて効率的かつ新鮮・安全な食材の相互供給体制をつくるという方向になるかと思います。

医療や介護体制はもとより地域完結型に親和性を持っております。しかし、今回のコロナウィルスの研究のような件は、これは国だけ地域だけで完結する訳には行きません。世界中の研究者を縦横につなげた効率のよい研究体制が必須です。そこでは、いわゆる特許による一社の独占といった考えは排除されねばなりません。成果はいわゆる「公共財」になるということでしょうか。

いずれにしても、1つだけキーとなるテクノロジーを挙げるとするとブロックチェーンですね。

更に考えを進めて行きたいとは思いますが、筆者ももう72歳の無職の老いぼれです。いつ、コロナにやられてコロリと死ぬかも知れません。こういった未来社会をこの目で見ることは、叶わぬ夢かも知れませんね。。。

コロナの気持ちを忖度すると・・・ [2020年04月10日(Fri)]
14世紀半ばから15世紀にかけて大流行したペスト。当時のヨーロッパ全体の人口の3分の1を奪ったとされております。イングランドでは更にひどく、約半分の命が奪われました。(ウォルター・シャイデル著「暴力と不平等の人類史」2019年6月刊より。)しかし、このことは後から振り返ると単なる厄災だった訳ではありませんでした。それは以下の事実からも言えます。

1.急激な人口減少の結果、極端な人手不足が起こり実質賃金が3倍程度上がる一方、土地や作物の価格が下がりました。その結果、当時の労働者はたったの年に14週間働きさえすれば、家族に衣食住を提供することができたとのこと。(ソロル・ロジャーズーオックスフォードの歴史学者)
いわゆる人々の間の格差が極端に縮小したのです。

2.ペスト禍の相手を分け隔てない猛威を背景に、カトリック教会の権威が徐々に崩れ、後の宗教改革からルネサンスへと時代が大きく転換できたこと。つまり神から人間中心主義への転換です。

では、今回の新型コロナが人類と社会に突きつけたものとは何なのでしょうか?

戦後世界の隆盛?は、いわゆるグローバリズムとして行き着いたことはご承知の通りです。グローバリズムとは、端的に言うと、経済成長を極大化させるための世界各国の分業体制と言えますが、この分業体制は、実は平等な分業体制ではありません。資本・情報・テクノロジーを握った一部の先進国による、その他の国からの成長の果実の還流のみをもたらす分業体制であることはご存知の通りです。その結果の副作用として、先進国の内部における格差の拡大も同時にもたらしました。

このグローバリズムは、一方ではコストのかからないが故の地球資源の収奪の極大化=「環境破壊」をもたらしました。この環境破壊はいわゆる地球温暖化問題を引き起こしながら、植生の急変からの生物の生息圏の急激な変化を引き起こしました。このことが、今回の新型コロナという未知のウィルスをもたらした遠因です。

他方、グローバリズムは世界の国々の間での究極の分業体制により資本効率を最大に高めた結果、相互依存関係は抜き差しならないまでに「進化」しておりました。いわゆるサプライチェーンが典型例です。このサプライチェーンの良し悪しを決めたのは、いわば究極の経済的な効率でした。

このサプライチェーンを、新型コロナは意図せずにものの見事に断ち切ったのです。

こうなると物事は逆流・逆転し出します。このまま人と物の流通がままならなくなれば、水分と養分を断たれた木のように立ち枯れていくのは明らかです。

このグローバリズムは、いわば経済至上主義ですので、人々の交流についても、あくまでも貨幣価値に基づく経済的な利害の最大化を目指すための効率化が求められておりました。従って、逆に言うと貨幣価値に換算できない人々の交流は、グローバリズムの本質から言うと無駄なものと位置づけられていたのです。

ビジネスを通じた交流は、貨幣価値を最大化するために必須のものとされておりましたが、ビジネスに関係のない、つまり損得に関係のない、地域社会での人々の交流関係は不要なものと位置づけられ、段々と希薄化していったのです。

しかし皮肉なことに、このようなグローバリズムの本質が今回のコロナ禍によって逆照射されたようです。つまり、生活必需品の多くは世界中の人々の労苦によって生み出されているという、そのあからさまな事実です。

自分ひとりでは生活できない。多くの世界中の人々の日々の働きによって全てのモノとサービスは成り立っており、それが一人ひとりに届けられていること。人は一人では絶対に生きていくことができないこと、この事実です。

この意味で、今回のコロナ禍は悪いことばかりではありません。もう一度、世界中の人々、そして、もっと小さな単位の地域社会の人々の間で、経済至上主義からくる連帯ではなく、お互い同士を思いやる連帯に移行する契機を、新型コロナは与えてくれたのかも知れません。



検索
検索語句
最新コメント
タグクラウド
プロフィール

もろっこクラブさんの画像
https://blog.canpan.info/morocco/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/morocco/index2_0.xml