どこまで人がいいのか? [2019年10月31日(Thu)]
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昨日午後、最後の方の送迎中に利用者の方から電話があり、息子さんが職場で倒れて救急車で病院に運ばれたとのこと。まだ送迎中でしたが、今乗っている方をお送りした後なら駆けつけることができると、咄嗟に答えてしまいました。
以前、別の方から、「主人が倒れて病院からすぐ来るように電話があり、朝の雨の中、タクシー会社に電話しても配車できないとのことなので、何とかならないか」との電話があり、急ぎ駆けつけお役に立てたことがありましたが、そのシーンが私の中では重なってしまい、思わず駆けつけるとお約束してしまったのです。 しかし、後でよくよく考えてみると、時間は午後の快晴の日であり、タクシーが使えないことはまずありません。しかも、ご自分の息子さんが職場で倒れて救急車で病院に運ばれた訳です。こうした場合、普通の親なら一刻も早く病院に駆けつけるため、即タクシーを呼ぶのではないでしょうか? であるのに、送迎中の私が駆けつけるとタクシー以上に時間がかかると伝えたのに、どうしてもお願いしたいと切迫した声で依頼されました。 分かりましたと答えて、30分後ぐらいに何とか駆けつけました。ご本人は車中で、タクシー代がかからずに本当に良かった、と私に感謝の言葉を言っておりましたが、後で考えるとこれは何だか変ではないかと思いました。 病院に到着して、送迎ルールに基づき100円のガソリン代を告げました。その方からは、これまでも一切の任意のお気持ち代に相当するような金銭を頂いたこともありませんが、今回は実は密かに+αのお気持ち代を差し出すのではないかと思っておりました。しかし、相変わらず100円ポッキリで、ありがとうございましたとの一言。 3時間ぐらい後、私の個人的な用を済ませた帰りに、再度電話があり、今度は病院まで駆けつけて自宅まで送り届けました。この時も100円ポッキリ。 この方には最新の利用案内を差し上げており、その中には、「燃料費は実費ですが、運転時間、待ち時間に費やす私の労力や車両の維持管理費や保険代は、私からの無償供与であること、しかし、もしこの活動をご支援頂けるお志があるなら、任意のお気持ち代はお受けしております。」と書かれており、ご本人もそれをお読みになっている筈です。 にもかかわらず、こうした特殊な状況のなか急ぎ駆けつけた私の「労力」に対して、彼女の「値付け」はゼロ円であり、本来ならタクシー代が7000円はかかるところ200円で済ました訳です。 この事実は何と言っていいのか、要するにタクシー代をけちるために、いいようにこの互助輸送の仕組みを使われたのではないか?と後になって思い当たった訳です。何と頭の回転が悪いことでしょう。自分でも嫌になります。 何故、最初の電話の時、「一刻も早く駆けつける必要があるのなら、私ではなくタクシーを使うべきであり、このような依頼は互助輸送の対象ではありません。」ときちんと言えなかったのか? これでは、この互助による輸送について了解を貰っている地域のタクシー会社2社にも申し訳が立ちません。 以上の出来事が、タイトルにある「どこまで人がいいのか?」という自己嫌悪の言葉です。 その方からは、今日も明日の午後空いているかと電話がありました。ちょうど午後からは予定がきっちり入っているので「明日は駄目です」と、きっぱりとお断りしました。その後、「以前にも言った通り、段々と利用者が増えており、どうしても足腰の弱った高齢者を優先せざるを得ないので、XXさんは、同乗とかできることでもないかぎり、もう依頼にはお応えできません。」と話しました。 この出来事の後味が悪く、夜中に目が覚めて考えたのは、特に初期の頃は、利用者の資格については、年齢条件と身体の状態を加味していなかったという事実です。単に、交通が不便なところに住んでいてクルマも保有していない方も、利用登録に応じて来ました。その利用者の中に、こうした比較的若く(高齢者ではない)足腰も丈夫な方も2−3割はいます。 こうした方からは総じて、ガソリン代以外の任意の謝礼は頂いたことはありません。同じような意図でこの「善意の互助による輸送」の果実を「無償」で味わっていたのでしょう。 これから、互助による輸送を始める方、このような事実を踏まえて利用者の条件をお決めになるようおすすめします。私の苦い未熟な体験から。。 |



