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やはりそうだったのか。 [2022年07月03日(Sun)]
東洋経済新報社の記事で、稲垣えみ子さんというフリーランサー(元朝日新聞記者)が、お金を稼ぐということ(仕事と報酬)に対してこんなことを書いておりました。

時に無報酬で講演を頼まれることがあったそうですが、今は、それは断っているそうです。

理由は、疲れてしまったということだそうです。一生懸命講演の準備をして、いくら相手から「ありがとうございます。」と言葉では感謝はされても、何も返ってこないということに疲れたとのこと。

次の言葉がポイント。

「正直言うと、このような「仕事」をすると、私は一方的に何かを奪われているような気がしてしまう。もっとあからさまにいえば、相手だけが得をして、自分は一方的に時間と労力を取られている……そう「買い叩かれている」気がするのである。」

そうです。筆者がこのブログで散々「変な人」について書いていることも、このような心情から来ております。続けて、こうも言っております。

「今の私にとっては「時間と労力」は最高の財産なのだ。それを得るために自分なりに勇気を奮って会社を辞めたのである。その大切なものを差し出したのだから、相手もその人にとっての大切なものを差し出すのがフェアな関係というものではないだろうか。そうなのだ。これはフェアじゃない。そう思っているのである。」

そう、フェアじゃない。自分だけ得すればいいという、その根性が透けて見えるので、疲れてしまう(私の場合は、彼女ほど修行が出来ていないので、疲れるどころか「腹が立ってくる」訳です。)

町のパンフレットから削除してもらい、町の関連部署にも、もう「町からの紹介は遠慮したい」との文書を渡してから、新規の町からの紹介は途絶えましたが、未だ、古いパンフレットを見た介護施設や民生委員経由で、互助送迎についての問い合わせ電話があります。

電話では、互助送迎の趣旨を説明するのが難しいから、一度お伺いして説明しましょうか?と申しあげても、改めてそのようにお願いしますという方はほぼいません。

皆さん、タクシー代が高いので「買い叩きたい」心情がありありですね。

これはこれで結構なこと。そういう人たちを相手にすると、心身ともに疲れてしまい、全く割に合わないからです。

それでも、気持ちよく送迎ができる方々だけで、今年は6月までで233回の往復送迎をこなしております。月30回から50回の間。これまでは65回が最高でしたから、ほどよいペースです。
イエローカード3つ [2022年03月26日(Sat)]
昨日、またまた互助送迎の利用者(これからは、「協力パートナー」と呼ぶ方がピッタリかも知れない)に三行半を突きつけてしまいました。

その理由は、

1.医療機関での診療が遅くなるのは、医療機関側の不手際だと何度か言ったこと。
2.ある政党への投票依頼をされたこと。(前回の総選挙)
3.病院への入院の際、「お支払い(たったの数百円)は退院時(1週間後)でいいですか?」と言われたこと。

以上3つが、私にとってはストレスの溜まる発言や行為であり、イエローカードに該当します。

この互助送迎活動は、少しでもこういうことで助かる人がいればという気持ちから始めました。
お金のためでもなく、名誉のためでもありません。

ところが、この筆者からのいわば「贈与」のような行為を逆手に取って、トコトンご自分の利益の最大化を図る方が非常に多く、そのため、心臓疾患(心房細動)を患ってしまいました。この送迎活動から来るストレスが原因ではないかと、以前から活動の概要を報告していたかかりつけの医師が即座に筆者に告げました。実はその通りでした。

これでは、この送迎活動そのものが成り立たないと考え、私にとって「違和感」の残る方々は、順次送迎をお断りしてきました。何故なら、そういう方々は、この社会にいわば「害悪」を流している存在だと思ったからです。

この社会、厳然たる法則があるようです。それは、人々が最初に誰かに善意を提供し、それに対して善意の提供を受けた側が、何らかの(お返しの)気持ちを返さない場合は、次からはその方への善意の提供をきっぱり止めるということが、最もその集団の発展に寄与したという信憑性のある学説です。

つまり、悪意?を持つ方々を善意で救い続けても、決して、その方々が受けた善意を他の人間に返すということはしないという事実です。

そういう人間は、むしろ、もっと「鴨」になる善意の提供者を際限なく求める続けるというこの事実。

従って、私にとって不愉快な出来事があった場合、即レッドカードで退場頂くこともあるし、上記のようにイエローカードで退場を「警告」するに留める場合もあります。

もちろん、嫌な気持ちになる事項が何であるかは、私の主観的な受け止め方で決まります。客観的な基準などはありません。私が嫌だから嫌という他はありません。

問題は、こうした「悪意」を持って、私の送迎活動を利用する人々を、そのまま切った状態では、またまた、そういう方々は他のことで悪意を示すことは目に見えております。これでは、社会全体がいつまで経っても良くなりません。

このジレンマですね。根気よく更生?させようと思っても、「悪貨は良貨を駆逐する」の喩えどおり、こちらがまた体を悪くするのがオチですね。

せめて、一気にそうした方々を「駆逐」しないで、今回のようにイエローカードを提示し、なぜ、私がそのように思うのかを、少しでも理解して頂いた方が、この社会にとっては巡り巡って良い結果をもたらすのではないかと思った次第。

他に、何かいい考えをお持ちの方、お教え下さい。
「これでいいですか?」の言葉が気になる [2022年03月17日(Thu)]
互助送迎で利用者から頂けることになっているガソリン代などの実費は、私の場合、特に頂いておりません。従って、いわゆる任意の謝礼のみとなります。いわば、私がこの送迎活動を継続するための利用者からのカンパです。

このカンパで、送迎活動に必要なクルマの維持費や年末共同募金への寄付金などを賄うことを、利用者の方には伝えてあります。

それ以外の人件費(運転時間、待ち時間)については決して頂きません。頂くと、白タク行為となり違法となるからです。更に新車の購入費に相当する償却費も頂きません。これは私の意思でクルマを変えたからです。

ほとんどの利用者の方が、降りる時に感謝の言葉とともに、「お気持ち代」として、これ少ないですけどと言って渡して下さいます。その任意の謝礼金額は人によってマチマチです。

しかし、前もっての説明の際には、任意の謝礼はクルマの維持費(時には修理費)や共同募金への寄付に当てることを話しておりますので、今残っている皆さんは、その費用の目安を理解された上で、上記のような形でカンパをされております。

ところが、今のところ2人だけですが、「これでいいですか?」と言って、維持費としての最低金額、場合によっては足りない金額を差し出す方がいらっしゃいます。当然、共同募金へ回す寄付金の一部にはなりません。

しかし、そうは言われても、「これじゃ少ないです」とも「これでは多いです」とも言いようがありません。言えば白タクになりますから。従って、内心不愉快な気持ちでボソッと「いいですよ」としか答えようがありません。

その金額が維持費にも満たない金額であった場合の心境は複雑です。

その満たない部分は、縁もゆかりもない見ず知らずの他人に私から貢いでいることになるからです。更に私の老後の貴重な時間まで貢いだことになります。

「これでいいですか?」と言って、私から「良くないんですよ」と言えない状況を作りながら、私から「いいですよ」という言葉を引き出しその金額をいわば正当化する、その気持が伝わってくるような気がして、とても内心不愉快な気分になります。本人にはそのような気持ちはないでしょうが、言葉のあやに敏感な方は、こうした言い回しはしないものです。

こういう微妙な機微については、この互助送迎を実際にやってみないと分からないと思います。見知らぬ人のために数時間も拘束され、クルマの維持費までが持ち出しとなることをずっと続けるのは精神的に困難です。

その方は、土曜日は休日で送迎はしないことを説明した筈が全く覚えていなくて、土曜日のスケジュールを臆面もなく入れてきました。さすがに、この土曜日送迎は、どうしての担当医のスケジュールが取れない場合を除いて、避けるように伝えました。このことは理解されたようですので、今度の送迎の時に、私の気持ちを説明して「これでいいですか?」と言わないように伝えようかと思っております。

本当にこの送迎活動、いろいろなことに直面し精神的に疲れますね。とても、他の人にはすすめられるものではありません。しかも、一度手を染めたら、いわゆる蟻地獄に嵌ったように、この世界から抜け出るのは困難と来ています。何故なら、次から次へと予約の電話が入るからです。しかし、皆さん本当に移動に困っている方ですから、「感謝以外、何者でもない」とまでおっしゃって下さる方もいます。従って、私も体が続く限りこの活動をやろうという気力が湧いてくるのですが、上記のような言葉には内心傷つきますね。

更に、余談ですが、車内ではよく理解できない、訳の分からない世間話を滔々としゃべる方もいます。この方もそうです。普通の会話の流れに即してのきちんとした話しが出来ない方がかなり多い。相手をしているだけで疲れてきます。こちらが何か尋ねても、その答えが一向に返ってこないで、自分が言いたいことだけを滔々としゃべる高齢者達、この世間にはやけに多いですね。介護施設で働く方々の苦労がよく分かります。

今日は、またまた愚痴のブログになりました。しかし、このような言葉1つで、随分と嫌な気分を引きずるので、何かの記録としてとっておこうかと思った次第。。。
また一人送迎をお断りしました。 [2022年01月29日(Sat)]
互助送迎を始めてから4年3か月が経過しようとしております。

地域の様々な人々と接触するなかで、この社会のごく普通の高齢者の実態がよく見えてきました。こういう特殊なことをすると、社会の裏面までが浮き出て見えてくるということですね。

今日、また一人の方の送迎をお断りすることとなりました。

きっかけは、1月21日に予定通りにお迎えに行きましたが不在だったことです。何か急な出来事があったのではと、その日計6回もイエ電と携帯に電話するも繋がらず。

昨日、念の為もう一度携帯に連絡すると、何と普通につながるではありませんか?ここからが狐につままれたような展開が待ち受けておりました。

その方は、1月21日に約束の時間に来ないので、筆者に電話したとおっしゃいました。何度目かの電話は転送されて留守電につながったともおっしゃいまいした。ところが筆者の受信記録を見ても何も記録がありません。また、筆者の使っているワイモバイルの設定では留守電の設定はしておりません。これは確認しました。

もし電話を受けているなら記録が残っているはずだと思い、新たに電話アプリをインストールして確認しましたが、昨年11月からの受信記録にはありませんでした。しかし、その方は電話したし留守電にもつながったとおっしゃいます。

そして、今日の送迎の日を迎えた訳ですが、念の為、その方が持ってきた携帯から筆者のスマホにかかるかどうかをチェックするために、電話をしてもらうように依頼しました。ところが、そこでその方は、今日はいつもと違う電話(これは違います。受信記録を見ても、これまでと同じ番号でした。)を持ってきたからと言って、筆者の携帯の番号をそのまま入力しました。きちんとかかりました。当然です。

そして車中での会話で、その方は更に、1月21日は朝9時頃まで在宅して、筆者の到着を待っていたこと、しかし、筆者が来ないのでやむを得ずタクシーをその日は使って病院に行ったとおっしゃいました。

「そんなことはないですよ。9時10分前ぐらいに到着してお待ちしておりましたが、在宅ではなく、玄関チャイムにも反応せず、イエ電にも誰も出ませんでしたよ」と伝えました。いや、「9時前に待っていました」と更におっしゃるので、家に帰ってグーグル・マップでの当日の移動記録(時間と住所付き)をプリントしてお持ちしました。

さっきおっしゃったことは、間違いであることは、このマップが示しておりますと言ってプリントをお渡ししたら、その方は、それっきり黙ってしまいました。

こんなに小さな嘘を重ねてつく高齢者に遭遇したのは初めてです。これでは他の方々とのスケジュール調整に支障をきたすのでお断りすることとなりました。当然、お送りした後の本日の任意の謝礼は辞退しました。

いやはや、参りました。平然と嘘をつく高齢者。しかも、何のためにこんな嘘をつくのか皆目わかりません。一見すると普通の品のいいお年寄りに見えるのですが、こういうことがあるもんですねぇ〜。

ちなみに、この方の送迎は50歳ぐらいの息子さんを、近くの病院にお送りする送迎です。息子さんはお一人では行けないような状態(身体条件はOK)のようです。普通に筆者との会話も出来ません。こちらから「おはようございます。」と言って、初めて挨拶だけを返すような方です。

いや〜、世の中には大変な方もいらっしゃる! 「だから、今回のようなことがあったのでは、という訳ではありません。」念の為。
互助移動支援の活動報告(2021年) [2022年01月08日(Sat)]
昨年度までの互助送迎による活動実績などをまとめた文書を、年初から利用者に配布しております。
こんなものを配布すべきではないと一度は考えたのですが、私が行っている活動は「報酬が一定の仕事」でもないし、「無期限?ボランティア」でもないし、ましてや、マリアテレサが行っているような「慈善活動」でもありません。

単に、この地域にこんなことをやる人間が増えれば、皆さん助かるだろうなぁ〜?との気持ちから始めた、いわば地域貢献プロジェクト活動のようなものです。

従って、この送迎活動が私自身の中で完結するのは、本当はまずいことです。地域社会に様々な形で拡がっていかなければなりません。

と思って、今住んでいる町のトップに話しをしにいったのが、2017年9月です。そして、とりあえず私一人で先行して始めたのが2017年11月1日。

しかし、先のブログでも書いたとおり、見事に町からは梯子外しにあいました。でも、一旦始めたこの送迎活動ですが、今辞めたら困る方が大勢いらっしゃいます。そうした方は、いわば私の活動を支えてくださる「同士」のような方々ですので、ここは、私の活動報告をまとめて、彼らと分かち合うのが筋ではないかと思い直して、元旦早々から順次配布することとしました。

以下、その報告書の全文です。

2021年12月31日

もろっこクラブ利用者 各位
        
2021年度のもろっこクラブの活動実績についてお知らせいたします。

● 送迎回数:617回(ほとんどが往復送迎でした。)
 2020年は430回、2019年は529回、2018年は155回でした。
 2020年度はコロナの影響で少し落ち込んでおります。
1日3−4人(最大6人)程度がほどよい感じですので、うまくスケジュール調整できれば、月に60人70人(年間700人程度)は送迎可能です。

● 現継続利用者数:約27人。(一度でも利用した方を含みます。)

● 皆様からの貴重なカンパ(任意の謝礼)の使い道:
   ・クルマの維持管理費用(車検・点検、任意保険、自動車の税金等)への充当。
   ・クルマの特別修理代 5万円。(利用者宅での車庫入れ時に横腹を擦る)
   ・一時不停止の罰金 7千円。(これは私のミスでした。今後気をつけます。)
   ・社会福祉協議会への年末募金 3万円。(特別支出があったため、ちょっと少なめ)

● その他トピックス
  毎年掲載しておりました社会福祉協議会発行の「ふれあいマップ」からは、もろっこクラブのページの削除を依頼しました。理由は、町の援助がない中、これ以上拡大すると現利用者に迷惑がかかるのと、町の約束不履行下での福祉関連部署等からの紹介を受けるのは道理に合わないと考えたため。また、町からの紹介なので町の福祉政策の一環として考える自己中心的な方が多いのも大きな理由。現利用者からのご紹介のケースは、この送迎の趣旨をご理解頂ける前提で、これからもサポートしますのでご安心下さい。


以上です。来年2022年も皆様にとっていい年になりますように。
私も健康に気をつけてできるだけ長く送迎活動ができるようにしたいと思っております。

===ここまでが報告書の内容です。===

しかし、孤立無援の中、こんなこと年取っていつまで続くのだろうか?との思いがあります。
新年の顔合わせ会で、近所の人からこの活動について聞かれました。仕事からすっかり離れてしまって暇があるらしく少々興味があるようです。立ち話しましたが、恐らく何も実現しないだろうと、この4年間の経験から言えますね。

もう、考えられる手立てはすべて打ちました。長くなるので書き留めるのは止めますが、もうこれ以上は思い当たりません。
社協パンフへの掲載中止 [2021年11月14日(Sun)]
例年、地区の社会福祉協議会から、年一回発行しているパンフレットに、筆者が行っている「互助移動支援活動」の原稿チェック依頼が来ます。今年も2週間ぐらい前に事務局長の手紙が届きました。

少し悩んだ末に、次のような返事をしたため、担当者の方にお会いして手紙の趣旨についてご説明し了解をして頂きました。宛先など個人情報はマスクしてあります。

=以下、手紙の内容です。=

もろっこクラブ代表世話人 花岡 進

ZZZZ町社会福祉協議会
事務局長 WWWW 様

   「FFFFマップ」への当クラブの記載について

日頃から、当クラブの活動に対して様々なご支援を頂き誠にありがとうございます。

来年度の「FFFFマップ」への当クラブの記載につきましては、下記の諸事情により、活動そのものを「削除」して頂ますようお願い申し上げます。

1. 2017年9月に、XX町長を始め、もろバス所管のYY課長等に対して、2度に亘ってZZZZ町の移動困難者の救済案についてご説明した結果、町長からは、町の長期計画への反映が行われるまで待ってほしい。ついては、花岡自身が先んじて互助送迎を開始して欲しいとの話がありました。

2. 2019年7月にはBB福祉課長にも説明をし、BB課長は「社会福祉協議会の所管になるので、社協と今後調整してほしい。その旨、社協には伝えておく。」との話を頂いておりました。(実は、最初にこの話を持っていったのは社会福祉協議会でしたが、BB課長はそのことはご存知ないようでした。)

3. 活動開始からほぼ3年が経過し実績を積み上げる中で、様々な課題も明確になってきましたので、2020年10月1日に、当時のYY課長に対して、もろっこクラブの活動実績と今後の町からの支援体制(案)についてのプレゼンテーションを行いました。その場では確たるご返事はいただけなかったものの、「移動手段の確保について福祉部局と調整をしているので、ここ2-3ヶ月以内に、非公式な会議への出席を花岡に求めるようにしたい。」とのご返事を頂きました。

以後、今日に至るまで町からの連絡は一切ありません。

しかしながら、2017年11月にもろっこクラブとしての送迎活動を開始して以来、社会福祉協議会や町の高齢者福祉課、地域包括支援センター、民生委員などから、実際に異動に困難をきたしている方々に対して、当クラブが紹介されてきました。これも、FFFFマップに掲載されたことが機縁になってのことと存じます。

私としても、本当に移動に困っている身体や精神に支障を持つ方々に、今後ともお役に立てればとの思いはありましたが、以下のような理由で、それも断念せざるを得ません。

1. 現在、町からの支援が全くない状態のもと、ドライバーは私一人のみですが、月に50-60人の往復送迎をコンスタントにこなしております。年間にすると、ほぼ600人から700人ペースです。クルマは朝から夕方までほぼ100%送迎活動に使っております。私の稼働時間も昼間の7-8割に相当します。土曜日も医大が診療をしているため稼働しております。

2. 従って、これ以上、新たな利用希望者に対しては対応が不可能です。現利用者を介しての紹介のケースは随時対応したいと思います。

3. これがもっとも大きな理由ですが、これまでの利用者のうち、私が行っている互助送迎の主旨とかかる労力をご理解頂けず、ご自分中心の振る舞いをされるため、送迎を続けることは精神的にも困難と判断しお断りした方々がいます。(はっきり告げたり、それとなく依頼された日の都合がつかない等、断り方は様々ですが。)
改めてカウントしてみると、私が送迎を忌避した方の人数は32名にもなります。

しかし、今回調べてみて驚いたのですが、この32名のうち、25名が社協や高齢者福祉課、民生委員などの公的な機関からの紹介でした。約8割です。これは、役場関係部署が介在することで、「公的な福祉政策」の一環として、もろっこクラブの送迎活動が、一部誤解されて捉えられているためではないかと思います。

4. 最後の理由は、何と言っても最初に書いたような役場上層部との約束の経緯がありながら、その約束を全く無視し続けながら、その役場関係の部署から送迎希望者を「振られてくる」ことへの違和感です。これは物事の道理がおかしいと思わざるを得ません。

以上、長文で恐縮ですが、これまでの経緯と今回のふれあいマップへの掲載辞退の理由についてまとめてみました。できれば、町の他の部署にもお伝えいただければ幸いですが、もし、私自身から話をする必要がある場合はご連絡ください。こちらから町の関係部署に直接連絡し同様のことをお願いすることと致します。

以上、手紙の全文です。

これでは、地域で助け合う活動が続く訳がありません。残念ですが。

ご参考までに、気になるデータを添付します。

<<日本人は見知らぬ人を助けない>>

英国のチャリティーズ・エイド・ファンデーションという団体が毎年、行っているもので、国ごとに「見知らぬ人を助けたか」「寄付をしたか」「ボランティアの時間を持ったか」という3項目でアンケートを実施し、その結果をまとめたものである。

 この調査は2009年から行われており、19年に発表された10年間の総合ランキングでは日本は126カ国中107位、最新の21年のランキングでは何と114カ国中最下位となっている。

日本人が他人を信用しない傾向が顕著であることは、すでに多くの調査結果が示している。例えば、総務省が18年に行った調査によると、「ほとんどの人は信用できる」と回答した日本人はわずか33.7%しかおらず、その割合は各国の半分しかなかった。基本的に日本人は他人を信用しないので、他人と関わろうとしない人が多く、それが今回のランキング結果にも反映されている。

<<平野啓一郎のツイッターで知った事実>>

「 最も貧しい人たちを国は援助すべき」と問う米シンクタンクの国際調査結果。これに「完全に同意」と答えた人間が10%台(15%)を超えなかったのは、日本人だけだった。しかも「ほとんど同意」も59%で世界最低。
凄いぞ現代日本人。
https://t.co/in7x70Dtw4

日本は世界でもまれにみる利己主義が行き渡った国のようです。

幸福とは? [2021年09月11日(Sat)]
先日、ある送迎希望者のお宅にお邪魔しました。

80歳を超えたその方は、ご主人をなくした後、息子さんと二人で今の家に住んでいるそうです。その息子さんは月に1回、近くの病院の精神科を受診するため、母親同伴で私の送迎を使いたいとのこと。

これまでは近くのNPOの福祉有償運送を使っていたそうですが、そのNPOではドライバーの高齢化のためかその送迎を中止してしまったため、役場に私のことを聞いて電話をかけて来ました。

本題に入りますが、その息子さんは何と50歳を超えているそうです。話の途中に一度だけ姿を現し、何も言わずに10分ぐらいで自室へと引き返しました。やはり何かあるようです。

その母親から聞いたことで強く印象に残っていることがあります。

ある日、母親は息子さんに「こんな引きこもり状態で何もしないで、今の生活に絶望して死にたいと思ったことはないの?」と尋ねたそうです。答えは、「そんなことはない。今の状態で十分に満足している。」との答え。

唯一、地図をボロボロになるまで眺めるのが「趣味」だそうです。

そこで、筆者が再度思い起こしたのは、「幸せって一体何だろうか?」 ということです。

不幸な状態というのは、いくらでも定義できあちこちに様々な形であります。ところが幸福とは一体何か?と改めて聞かれてもこれはかなり難しい。強いていうと、「不幸ではない状態のこと」ですが、これでは積極的な定義にはなっておりません。

あのトルストイも、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と言っております。

じゃあ、このどれも似たようなものである幸福な状態とは一体何なんだろうか?

筆者のこれまでの経験から、「幸福な状態」とは一体どういう状態なのか、改めて考えてみました。

「幸福とは、思い煩うことが少なく、日々の移ろいを心地よく感じさせる何かを会得している心の状態。」

随分と淡白な定義になりました。

なお、良い暮らしとは何か?については、かつて、こんなブログを書いたことがあります。

https://blog.goo.ne.jp/mariomari/e/73dce12d9be33e22497c176dba870e55
感情と理性の相互作用 [2021年08月14日(Sat)]
前回のブログで、計6回も都度行き先を言われて「お付き合い送迎」をこなした時の、ある種の「不快感」について書きました。

これは、この送迎に関して最初に反応したのは、筆者の「感情」であったことを意味します。人は感情と理性を分けて考えがちです。しかし、ある本を読んでいて、また筆者の経験からも、「感情に基づく思考」を通じて、むしろ理性的な考えそのものがより高められた状態で惹起してくるようです。つまり、感情と理性とは一体なのですね。こんなこと、今更ながらの認識ですが。

今回抱いた「感情的な嫌悪感」から、今一度、互助送迎のあり方について再考して見ました。

最初に、利用希望者の方にお配りする「ご利用案内」には、以下のことが書かれております。

1.「生きていく上で必要な日常生活圏への移動」が支援対象。
2.「事前予約制」であること。急な移動依頼は駄目。

さて、何故先日のはしご送迎に関して、筆者の心の中にある種の「嫌悪感」が生じたかというと、

まず、事前の予約も何もなく、何箇所かの場所へ行くように依頼されたことです。その場所には、「生きていく上で必要」とは思えない場所も指定されました。例えば、時計の電池を換えるための時計屋さん、仏壇に備えるための花屋さんやおまんじゅう屋さん、メガネのことを相談するためのめがね屋さんなどです。

生きていく上でどうしても必要な場所とは、言い換えると、医療施設が典型ですが、そこに行かないと命に関わることになる場所です。これを敷衍すると、お金がなくなると生きていけないから銀行は対象。食料がなくなると生きていけないからスーパーも対象。役場で手続きしないと健康保険などの制度が利用できなくなり生きていけないから役所も対象です。

この方は、精神に異常を来しているのが影響しているのかどうか定かではありませんが、何もかもご自分が行きたい場所に、いわば「お抱え運転手」のように筆者の送迎活動を使ったことによる「嫌悪感」でした。しかも、1箇所が終わる都度、「時間があるなら次にここに行って頂けますか?」と言って、断れない状況を作りながら、送迎のはしごを依頼されたのです。

さて、ここから今一度、筆者が行っている「互助送迎」の精神について考え直して見ました。

皆さん、この活動を「ボランティア活動」と誤解されます。今でもかなりの利用者がそう思っているのではないでしょうか?

実は、ボランティア活動ではありません。余談ですが、ボランティア活動の日本での第一号は、関東大震災の際に被災者救援のために、当時の東大の学生が「動員」されたことが初めてだったようです。戦前の学徒動員もそうです。ボランティアという言葉に何となく胡散臭さを感じていましたが、このような国家による強制動員の歴史(つまり強制奉仕活動)を背負っていることがあった訳です。そこで戦後は、戦前の国家の強制による奉仕活動に相通じるニュアンスを避けるため、「ボランティア」という英語に置き換えられたと考えられます。

従って、今でもボランティア活動というと、災害時のボランティアのように、無償の奉仕活動というニュアンスがどうしてもつきまといます。

筆者の活動も「無償の奉仕活動」と誤解している方が大勢いらっしゃる訳です。

そうではないことに、今回の事例を通じて改めて考え至りました。

分かりやすい例を出すと、例えば、道端で倒れている人を見かけたとします。すると、ほとんどの人が「どうかしました?」と声をかけるでしょう。そこで、容態が変なら救急車を呼ぶでしょうし、そうではなくちょっと捻挫した程度なら、お家の方に連絡するなり、近くであればお家までお送りするなりするのが、普通の人の心持ちではないかと思うのです。(そうでない人もいますが。)

筆者が4年近くやっている「互助送迎」もそうしたケースです。つまり、生きていくための「移動困難者」を何とかしてあげたいという「責任感」を抱いてのある種の「救済活動」なのです。決してボランティア(奉仕活動)ではありません。「救済」をして誰かに褒めてもらいたいという気持ちもありません。ただ、こういうことをする人がこの社会に増えることを望んでいるだけです。

但し、こうした「救済」を筆者から継続的に提供された人が、ボランティアのように「無償提供」のままで平気でしょうか?何らかの心の負担が生じるのが人というものですね。

従って、その負担を和らげるために「任意の謝礼」という抜け道を作っている訳です。暑い中でも、大雨の中でも、約束の時間通りにかけつけて、乗降の手伝いをし買い物袋をトランクに入れ、そして、安全運転でお家までお届けする、この活動に対して、この任意の謝礼を全く出さないお方がもしいれば、それは「人間としての情」を欠いている方だと判断せざるを得ません。「そうした方まで、いいなりに、あちこちに送迎するべき、しないのは変ですよ。」と思う方、遠慮なく、理由を添えてメールして頂くとありがたいです。

こうした考えからすると、先程のお方に対して筆者が嫌悪感を抱いた、その根源的な理由が自分でもよく理解できるようになりました。こうして、感情と理性的思考が相互に影響しながら、より良い理解に繋がっていくことを実際に体感できたという訳ですね。

何事も、実際に活動し現実を体感しないと思考も拡がらないという、まあ、皆さん先刻ご承知の事実を、この歳になって今更ながら感得したという次第。。

追伸:先程、大学病院に行かれた件のお婆さんから電話。目の異常があったので急遽タクシーで朝早く駆けつけたとのこと。帰りは送迎できないかとのこと。何か事情があるかと思って、土曜日で休みのところ駆けつけました。あまり杓子定規に対応するのではなく、様子を見ながら臨機応変に対応することとしました。何よりも筆者との会話で、どうやら「安堵感」も生まれる模様。
もろっこクラブ利用者数の推移 [2021年08月09日(Mon)]
3年9ヶ月を経過した互助移動支援活動ですが、現在たったの一人だけで活動しております。いずれパンクするのではと危惧した時期もありましたが、コロナ禍を挟んだこともあってか、何とか一人でやっております。

ちょっと時間ができたので、この間の利用者数の推移をまとめてみました。

年度別利用者数:
 2017年11月(開始)4人
 2018年 155人
 2019年 529人
 2020年 430人
 2021年 7月現在 340人

今年は、月当たり32人(1月)〜59人(6月)とばらついておりますが、何とか、パンクする60人超えは免れております。

*今年のハイライトと実績*

1.3月から「無料化」(「任意の謝礼」=カンパ、だけにしました。)
2.累計登録者数:72人
3.送迎終了24人
4.送迎お断り:21名
5.送迎継続中:24名
6.死亡:4名

「送迎お断り」がこれほどになるとは思いませんでしたが、互助送迎が定めたルール違反が主たる理由です。

先日、これまでにない「記録」をマークしました。

いつもの時間にお迎えに行きました。すると、まず近くの銀行に立ち寄るように言われました。その後予定のクリニックに送迎。終わる頃近くの薬局にお迎え。(薬局で30分程度待ちました。)その後、2つ目の病院に送迎。別の送迎を済ました後、その病院で待機しお迎え。そのまま帰宅すると思いきや、帰りにしまむらに寄るよう依頼され、しまむらに行く。その後、お花屋さんい行きたいと言われ、そのままお花屋さんへ。すぐ近くの和菓子屋さんで買い物をされた後、やっとこさ、その方のご自宅までお送りしました。

計6箇所の送迎です。たまたま時間があったので付き合いましたが、次から次へと新しい行き先を指定されるので、炎天下の中、車中でじっと待つのは辛く、最後は「返事」をする気力もなくなりました。

こういうこともあるので、この活動はとても他の人にはオススメできません。「赤の他人」のためにそこまで耐えることが多分できないかと。(でも、何とか一人でもいいから手を挙げて欲しい!!)

但し、最後に一言付け加えておきますと、この方は精神科に通っている高齢者です。うつ病か何からしい。この日は炎天下の送迎をたくさんこなしたので、いつもより多い「カンパ」を頂きました。これで、この先もこの方の面倒?を見続けられる「精神状態」に回帰しました。

追記:

もう1つ、先日、ショッキングな出来事がありました。「いつもの金額でよろしいですか〜?」とか細い声で下車時に言われました。(「駄目です」とは、とても言えないでしょう!こういう言い方をするのはこの方だけ。普通は「こんな金額で申し訳ないですね〜」という方ばかり。)「はい、いいですよ」と答えました。すると、この方、いつもより100円少なく手渡したのです。現在、この方のみが、燃料費に相当するだけの「任意の謝礼」でしたが、そこから、更に「いつも通りでいいですか?」と言われて、実際には100円減らされたのはショック。この方、別に生活保護を受けている困窮者でも何でもありません。
コロナワクチン接種の「効用関数」 [2021年07月24日(Sat)]
筆者が送迎を行っている高齢者で、最も重篤な基礎疾患を抱えた方がおります。

その方は、週1回は大学病院で1−2種類の輸血を2−4時間かけて受けております。その他に、以前から抱える基礎疾患として、ニトログリセリン常時保有が必要な心臓病、若いころからの喘息、足腰の疾患その他を抱えており、クルマに乗り込むのもやっとの状態です。

さて、その方がこの度、新型コロナワクチンの接種を受けることになりました。長年の主治医も了承したとのことです。

その方のお友達は、あんなにいつ死んでもいいような状態で、リスクを犯してまでワクチンを打たなくても良いのに、と危惧しております。

そこで、ワクチンを打つか打たないかを判断するための「効用関数」なるものを試算してみました。これは他にも人生において使える考え方です。

まず、コロナの最新の感染者数を今朝の新聞で確認すると、(日本の総人口は1億2千万人としております。)

 ● 罹患者総数 85万8503人(約千人に7人=10万人あたり約700人) うち死亡者総数 15052人。(10万人あたり約12人)
 
一方、ワクチン接種についての厚労省のデータ(2021年7月21日発表、データは7月11日現在)を見ると、

 ● 接種者総数 3760万人 うち接種後の死亡者総数 667人(10万人あたり約1.7人)
   但し、厚労省は3人を除いてはワクチン接種との因果関係は認められなかったと言っております。とりあえず、667人全員が接種による死亡と仮定します。

つまり、10万人あたり12人がコロナに罹患すると死亡するのに対して、ワクチン接種による死亡者は10万人あたり1.7人となります。約7倍のリスクがワクチンを忌避することによって生じることになります。しかも、これは基礎疾患を多く抱えるであろう664人(多くは高齢者)を全てワクチン死と仮定しての数字です。仮に、667人の半分しかワクチン接種死がなかったとすると、10万人あたりの死亡者は更に半減し0.8人程度に落ちます。そうするとワクチン接種を行わないと、コロナ感染によって15倍の死亡リスクを抱えることになります。

もう、明らかですね。ワクチン接種することにより死亡リスクが7分の1から15分の1に低減、場合によってはそれ以上の「効用」があることが示されました。

筆者も、あんなに重篤な基礎疾患を抱えていつ死んでもおかしくない状態なのに、ワクチン接種して大丈夫かな?との疑問を抱いておりましたが、効用関数という考えからは上記の結論が導き出されます。今日、特別に送迎を行いますので、そのことをご本人に伝えてあげようかなと思います。

但し、1点だけ念を押しておくことを忘れないようにしないと。。

それは、ワクチン接種が引き金となって早逝する可能性があるということです。基礎疾患を抱えて毎週輸血をしていても、まあ、あと1−2年は生きられるかも知れません。仮に、その間にコロナに罹ってコロリと逝っても、それまでの人生は「謳歌」できる訳です。その謳歌できたであろう人生の残り時間を「犠牲」にしても本望ですね?という点を、念のため本人に言い伝えて置かないと、ワクチンを打ったのでもっと人生を「謳歌」できると勘違いされても、それは筆者の「本望」ではありませんので。。。

追伸:本人に確認したところ、ワクチン打って急逝してもいいとのこと。そういう覚悟が出来ているなら、他人がとやかく言う筋合いはありませんね。しかし、身体が悪いお年寄りには人生の未練は余りないことが改めて分かりましたので、せめて、送迎中だけでもいい思いをさせてあげなければと思い直しました。(クルマだけは電気とガソリンで走る快適なものにこの5月に買い替えたので、皆さん、喜んでおります。)

なお、ワクチンが直接の死因だと国が認定した場合は4420万円が支払われます。1級の障害者になった場合は年額505万円ほどが支払われます。
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