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安全読本を振り返って(6) 「今後の展望」 [2016年03月19日(Sat)]
第1章の締めくくりにこの安全読本の今後の展望について書いています。

この本は発展途上

私たちはこの本を「発展途上」と考えています。

この本は、2004(平成16)年度をもって東京都府中青年の家が閉所となるため、僅か一年間での作成となりました。この限られた期間の中で最大限の注意と努々によって作成してきましたが、情報の収集や内容の精査の面で至らない部分があることは否めません。

しかしながら、もとよりこの本は「この本の3つのポイント」の1.でも触れたとおり、「森林ボランティア団体が自主的に危険をコントロールできるようになること」を目的に作成しています。皆さんは、この本に書いてあることを単純に実行すれば良いのではなく、各国体の活動の中でより多くの情報を収集・蓄積し、問題解決のためのより良い方法を考え、更に発展・最適化させていく必要があるでしょう。

この本自体も、刻々と変化する時代・世相に応じた改訂を続けていかなければ十分な役割を果たせなくなってしまうと言えます。

このような意味で、この本は常に「発展途上」であり、この本を作った私たちを含めた森林ボランティアの皆さんの手による永続的な修正が求められているのです。




この本をモデルケースに

この本は、西多摩地域で作業グループリーダーとして活動する人を対象として書いています。よって、他の地域で活動する人にとっては必ずしも内容が一致しないことがあるかと思います。

私たちは、この本の内容や作成手法をモデルケースとして、それぞれの地域における森林ボランティアの活動形態や運営方法、現地での作業手法、白然環境などに適合させた本を、実際に森林ボランティア活動に携わっている人たちの手で作成していただくことを願っています。

私たちは、この本を作成する過程で様々な問題に直面し、その度に問題の解決方法を考えました。そこで学んだ最も重要なことは「実際に自分たちの問題として向き合う」ことの必要性です。他人から提供されたものではなく、自分自身が気づき考えたものでなくては、真の理解や解決にはたどり着けないと言えるのではないでしょうか。

より多くの人が森林ボランティアにかかわり、より安全に活動し、素晴らしい時聞を共有できる未来が実現することを心から願っています。


この安全読本を契機に今後の森林ボランティアの考える"安全"がより高いところに進んで行くことを、私たちは切に望みました。
最後のミーティングは、既に府中青年の家が閉所となってしまっていたため、急遽別の場所での開催になりましたが、この時、出席した全員ができあがったばかりの安全読本を手に(出来たことに浸る事無く)、次はどうするだとか、リスクマネジメントの章が難しすぎるので、もっと簡単なものを作らないかとか、沢山の意見がでてきました。

森の安全を考える会は、そんな思いの受け皿として立ち上げた組織です。本会は、この安全読本を中心に各地のフィールドで活躍される森林ボランティアのみなさんへどうやって「安全」を確保していくのかを考える一助となればと思っています。



安全読本を振り返って(5):私たちとこの本のこと [2016年03月12日(Sat)]
安全読本を作った私たちのことと、安全読本のことについて書きました。

この本を書いた私たちのこと

私たちは、西多摩地域の森林ボランティアに直接かかわる17名のメンバーで委員会を構成しています。それぞれ職業や学業を持ち、余暇を利用して森林ボランティア団体を運営したり、活動に参加したりしています。

私たちは、以前から森林ボランティア活動の安全に対して危機感を持ち、「なんとかしなければ」とは考えていました。実際に、個人レベルでは「ケガと弁当は自分持ち」という自己責任の範囲内での対策はしていました。しかし、団体としての対策に関しては、つい後回しにしてしまっていたり、「具体的に何をすればいいのか」「何が必要なのか」が漠然としていたりして、実際の行動に移すまでには至っていませんでした。

そんな私たちの意識を一変させる出来事がありました。2003(平成15)年、西多摩地域での森林ボランティア活動において、参加者の一人が現場ヘ向かう途中、急病で亡くなったことです。これをきっかけに、西多摩地域の森林ボランティア有志により、森林ボランティアのための上級救命講習会が開催され、一次救命技術の習得を目指しました。このような状況の中で、兵庫県の森林ボランティア活動では、間伐作業中の死亡事故が起こりました。これらの不幸な出来事によって、私たちは、緊急時の対処法だけでなく「事故を未然に防ぐ」ことの必要性を認識させられました。

今、私たちは、現状の活動体制では事故やケガに適切に対応するための準備が出来ていないことを実感しています。特に、重大な事故に適切な対応が出来なければ、私たちのボランティア団体が社会的信頼を失い、活動の存続が困難になるということを意味します。私たちは、このような状況のなかで「安全白書」の作成という東京都府中青年の家の提案に賛同し、この本の作成に取りかかりました。


なぜ、私たち17人の仲間は、本業の時間を縫って、週末の活動を犠牲にしてまでこの「安全読本」のために募ったのか。当時、活動における事故やケガはすでにギリギリの追い詰められた状況にあったと、誰もが振り返ります。
すでにどうしたら良いのか分からなくなった人たちは、事故やケガを起こした人を活動から締め出したり、「ケガと弁当は…」を持ち出してあくまでも自分たちの責任ではないと主張したり、団体によっては、活動時に念書を書かせたりしたところもあります(この念書の有効性については、安全白書において記載しています)

このような状況で作成がスタートした「安全読本」ですが、その範囲について、私たちは議論を重ね、結論を出しました。


この本の3つのポイン卜

この本の作成に当たって、次の3つのポイントを設定しました。

1.森林ボランティア活動の生命線、「安全管理」をまとめました

私たちは、森林ボランティアがこれからも活動を続けていくための生命線として、事故やケガに適切に対応することが必要であるとの認識で一致しました。

森林ボランティアは、森林内での活動を誰でも気軽に楽しむことが出来る反面、森林をフィールドとするが故に様々な危険が伴います。実際に、林業の現場ではベテラン作業員にさえ死亡事故が発生しています。 森林ボランティアは、自身が常に危険と隣り合わせていることを認識し、その危険とどのように向き合っていくかを考えねばなりません。さらに、森林ボランティア団体は危険を回避するための安全対策を取らねばなりません。もし、危険を放置したまま事故が発生すれば、団体の社会的責任は免れ得ません。

私たちは、森林ボランティア団体が自主的に危険をコントロールできるようになること、つまり適切な安全管理を行うことが必要であると考えました。

この本では、安全管理の方法についてまとめています。


2.森林ボランティア活動専用の本です

安全管理のための本と言えば、キャンプやアウトドアスポーツといった野外活動向けのものは数多く出版されていますが、森林ボランティア活動専用となるとあまり目にすることはありません。私たちが考える森林ボランティア活動の安全管理を実現するためには、森林ボランティア活動に特化した本が必要であると考えました。

この本は、森林ボランティア活動の実態に基づいた、森林ボランティアのための本です。


3.西多摩地域の作業グループリーダーを対象とする本です

この本の対象を設定するに当たって、当初は全国に適用できる本とすることを考えました。しかし、私たちのフィールドである西多摩地域と他の地域とを比較した時、森林ボランティアの活動形態や運営方法、現地での作業方法、自然環境などが必ずしも一致しないことに気づきました。よって、私たちがよく知っていて、私たちに直接かかわりのある西多摩地域の森林ボランティア活動のための本とすべきであるという結論に達しました。

また、西多摩地域では多くの団体が少人数の作業グループを編成して活動している実態に沿って、読み手の対象を作業時の責任者である作業グループリーダーとすることにしました。作業グループリーダーは、作業中の事故やケガが起こった時に問われる責任が団体の代表者よりも大きくなる可能性もあります。作業グループリーダーが安全管理を実践すれば、作業の安全性が向上するだけでなく、リーダーに求められる責任をより確実に果たせることになります。その結果リーダー自身が実践する安全管理はメンバーに波及し、森林ボランティア団体の安全意識の向上が期待できるのではないかと考えました。

この本では作業グループリーダーとして活動する時に知っておいてほしいことをまとめた本です。


この「安全読本」を読まれた方はどう感じられたのか率直な感想を聞きたいと常に思っていました。
特にこのページは、私たちの中でも賛否両論でありました。
地域を絞るべきか、絞らずに作るべきか。「安全読本」は府中青年の家閉所事業であったため、約1年で仕上げないと行けません。このため、全国地域とした場合、道具の違いに始まり、習慣、ボランティアの経験や活動への接し方が必ずしも西多摩地域と同じでは無いことから、本書については西多摩地域の森林ボランティアに限定したものとしました。


安全読本を振り返って(4):西多摩地域の森林ボランティアのこと(3) [2016年02月27日(Sat)]
今回は「西多摩地域と森林ボランティアのこと」の続編として、いよいよ安全についての話がはじまります。西多摩地域だけに留まらず当時の森林ボランティア団体の安全に対する考え方が判るかと思います。

ケガと弁当は自分持ち?

現在、西多摩地域だけでも多数の森林ボランティア団体があり、今まで山作業をしたことのない人も気軽に様々な活動に参加できるようになりました。

しかし、当初の知り合い同士での活動から会員を抱える団体としての活動、広く一般に募集しての活動、行政主導の事業やさらにそれらをつなぐネットワーク団体と広がっていった時に重要視されたのは、「いかに高い技術を身に付けプロに近づくか」「いかに活動に参加する人を増やすか」「いかに森林ボランティアという活動を世聞に認知させ、広めるか」ということであり、「いかに安全に作業するか」ということはなおざりにされがちであった感は否めません。

そこには“多少の"ケガは起こってしまって仕方ないものという感覚があり、それを「ケガと弁当は自分持ち」という言葉に置き換えてそれぞれの自己責任ということにしてしまう傾向が見られました。

実際、一部では「危ない目」に遭っても、それを教訓として伝えていくのではなく「武勇伝」としてしまう風潮すらあったのも事実です。

そして、活動が長く続いていく内に「いままで起きていなかったのだからこれからも起きないだろう」という“慣れ"も出てきてしまったのではないでしょうか。



今では考えられないかもしれませんが、当時はヘルメットを持っていたボランティア団体は多くはありませんでした。
プロの林業家でも、ヘルメットをせずに帽子や手ぬぐい姿があったくらいでした。
ヘルメットを購入する際も、助成金に余裕がでたからや、あった方が良いよね?、団体のロゴ入れてと、スタッフジャンパーの延長線上の様な感じでした。

また、作業中のケガに関しては、"自分持ち"の言葉通り、治療費はもちろん自己負担、物損が発生した場合でも自己負担と言った状況が多かったと記憶しています。



今求められる安全管理

今まで“幸運にも"起こっていなかった大きな事故やケガは、いつ・どこで・誰に起こってもおかしくありません。いくら万全と思えるような準備をしたところで起こりうるのです。それは突発的な自然災害による防ぎようのないものかもしれません。「絶対、大丈夫」ということはありません。

安全管理においては、まず、活動中の事故やケガを未然に防ぐことが重要です。次に、起きてしまった時に迅速かつ正確に判断し、適切な対応を行うこと。加えて、事故時の5W1Hの記録や「ヒヤリ・ハット」の情報を残すこと。そして最も重要であり、かつ難しいことは、それらの情報を分析し、事故防止に役立てるフィードバックを行うことで継続的に安全管理を向上させていくことと言えるのではないでしょうか。

その実現のためには、団体内に安全管理を重点的に考える役割を作ることも方策の1つです。また、救急救命講習を受けることも大切ですし、作業に内在する危険を理解し、作業する皆で共有することは事故やケガの減少につながります。

保険や法律の知識を身に付けることも考えなくてはなりません。

各団体によって活動内容や年齢層、フィールドの特徴も様々です。それぞれの団体が、自分たちに適したオリジナルの安全管理が求められているのです。



ヒヤリ・ハットについても、収集されてもそのままだったり、スタッフ内で回し読みされる程度。
安全読本を作るに当たってまずはヒヤリ・ハット事例を集めようと、各団体宛にアンケート形式でヒヤリ・ハット事例の提供をお願いしたところ、収集していない(または無回答)の団体が半数近く、回答があった場合でも、こともあろうか「当団体においてヒヤリ・ハットは報告されていません」といった回答だったりと言った状況でした。



安全読本を振り返って(3):西多摩地域の森林ボランティアのこと(2) [2016年02月20日(Sat)]
引き続き、安全白書を振り返ってをお送りいたします。
今回は「西多摩地域と森林ボランティアのこと」の続編として、西多摩地域の”森づくり”の後、森林ボランティアが自然発生的に活動を開始した流れをお届けします。

西多摩の森林ボランティアの歩み

この西多摩地域の森林ボランティアが大きく動き始めた契機になったのが、東京都五日市青年の家の主催事業「木と人のネットワーク」です。

檜原村の林業家、田中惣次さんと連携し、1986(昭和61)年からスタートし、林業体験の他に森林のフィールドワークや市民活動家、研究者の講演やシンポジウムなどを行っていました。この当時、熱帯林の伐採による急激な森林の減少が世界的な問題となり、国内では、割り箸を使用しない運動などに象徴されるように天然林保護が叫ばれ、間伐しながら育林する林業は誤解され、天然林保護派から敵対視さえされた時期でした。その中で、この講座は西多摩地域の森林の荒廃をリアルに分析するなかで、林業支援を目的にした市民による体験林業をめざしたユニークなものでした。

このような動きと共に、1986(昭和61)年の西多摩地域の森林の大雪害という状況のもとで、西多摩の森林ボランティアは大きく動き始めるのです。その発端になったのが、「木と人のネットワーク」の参加者が中心となり1987(昭和62)年に、現在では檜原村で手作りパン屋を経営する浜中多夫さんの山林の手入れを始めた「浜仲間の会」(浜仲間の会では自らの活動を「レジャー林業」と称しています)です。その後、この会から多くの森づくりグループが派生しましたが、その中で、東京産の木材を使用した家づくりを進めるなかで、流域の地場産業再生をめざす「東京の木で家を造る会」が1996(平成8)年から活動を閣始しました。

また、日の出町では大雪害を契機に、福祉のボランティアグループであった「花咲き村」が雪害木の片付けを始め、その後、山の手入れも始めました。さらに「花咲き村」は、日の出町の林業家、故羽生卓史さんと連携しフィールドを広げる一方で、小規模な山林所有者の森林の手入れを行ってきました。

さらに、「浜仲間の会」から多くのグループが派生しました。青梅市では「創夢舎」が誕生し、1995(平成7)年から青梅市軍畑で多摩の銘酒「澤乃井」を営む小澤順一郎さんの4haの伐採後の山林を植林からボランティア活動を始めました。同じく青梅市二俣尾の福田珠子さんの相続林の管理を目的に始まったのが「たまたまの会」です。さらに「未来樹2001」という団体も生まれました。

一方、あきる野市では女性林業家池谷キワ子さんの山林をフィールドに「林土戸(りんどこ)」が活動を始めました。さらに、このフィールドでは池谷さんの呼びかけで女性グループの「そらあけの会」が森の手入れをしています。この2つのグループは女性が半数以上という個性的なグループです。また、秋留台の雑木林の手入れや谷津田の復元、自然観察と再生、雪害地の整理を行うグループ「西多摩自然フォーラム」が、1991(平成3)年から活動を始めました。

檜原村、田中惣次さん宅の裏山にある「遊学の森」の道づくり整備を目的に、五日市青年の家の施設ボランティアと東京農業大学の学生が中心となり、「遊学の道Project」が1998(平成10)年より活動を開始、青年を中心に年間を通じた作業を行っています。また、日の出太陽の家(知的障害者施設)の裏山整備を行う「花咲き山整備隊(仮)」は2004(平成16)年から活動を開始しました。

このようなかで、西多摩地域での森林ボランティアグループの発展とともに全国のネットワークづくりをめざし、ネットワーク組織「森林(もり)づくりフォーラム」(現、森づくりフォーラム) が1995(平成7)年に結成されました。東京都(産業労働局)は、森林ボランティア活動に多くの都民が関心を寄せるなかで、都民が林業体験できる「奥多摩 都民の森」(通称、体験の森)を奥多摩町に開設(平成5年)しました。

そして、この体験の森の講座から派生し、受講者などによる自主的グループとして「奥多摩山しごとの会」「新島林業スクール」 や「奥多摩るーと2」などが活動しています。

「多摩の森・大自然塾」は、東京都の主催で森づくりフォーラムが運営する市民森づくり活動における初めての協働事業と言えるものです。多摩の森・大自然塾のいくつかのフィールドの中でも鳩ノ巣(奥多摩町)では、「森林インストラクター東京会」 のメンバーが、「JUON(樹恩)NETWORK」 の森林ボランティア青年リーダー養成講座の修了者に提案し、ともに活動しています。

このような奥多摩周辺の森林ボランティア活動は林業家の木村康雄さん、新島敏行さんや原島幹典さんのサポートを受け広がっています。

西多摩地域に広がる森林ボランティア活動は五日市青年の家の事業を契機にしたものの、市民が主体的にグループを作り、森林所有者との信頼関係を築き連携するとともに、東京都の事業が加わるという特徴を持ち、発展してきました。現在では、そのグループ数は、30団体をこえています。



西多摩地域の森林ボランティア団体の状況が初めて纏められたのも本書でした。
安全に関する読本の他にも、このような一面も持たせていました。

また、ここで紹介されている西多摩地域の森林ボランティアは、10年以上経った現在も、活動形態やメンバーが多少替わった団体もありますが、そのほとんどが活動を続けており、今現在も新たな団体を創出し続けていることも特徴的です。

安全読本を振り返って(2):西多摩地域の森林ボランティアのこと(1) [2016年02月13日(Sat)]
引き続き、安全白書を振り返ってをお送りいたします。
今回から「西多摩地域と森林ボランティアのこと」をお届けします。

まずは、西多摩地域の”森づくり”について。
特に森林ボランティアが入る前はどのような状況であったか。

西多摩の森づくりのいまむかし

東京都の森林は多摩と島しょに分布し、約7万8000ha あり、総土地面積の約4割 を占めています。そのほとんどは民有林 です。このうちの大半は、多摩地域の西部(以下「西多摩地域 」という)にあり、スギ、ヒノキなどの人工林が6割、広葉樹が多い天然林が4割となっています。この人工林は戦後植えられたものです。

江戸時代の西多摩地域は、「小丸太の青梅」と呼ばれる有名な林業地域で、多摩川の筏流しを利用して小径木、足場丸太を生産していました。<2004(平成16)年4月「森づくり推進プラン」東京都>。また、明治時代には山梨県にまたがる地域の森林を当時の東京府が取得し、今日まで東京都の水道水源林(2万1000ha)として管理されてきています。現在では秩父多摩甲斐国立公園、高尾陣馬都立自然公園<1950(昭和25)年>、明治の森高尾国定公園<1967(昭和42)年>に指定され、週末ともなれば多くのハイカーが訪れています。このように西多摩地域の森林は、都市生活の維持と都民の憩いの場として、東京になくてはならない都民共通の財産となっています。

しかし、この地域の林業は、1960(昭和35)年の外材輸入の自由化以降の木材価格の低下に加えて、1986(昭和61)年の春先の大雪害によって多くの林業家は打撃を受け、経営意欲を失いました。このため、間伐の遅れなど手入れ不足の森林や伐採後造林されない林地が増えています。更に、1998(平成10)年1月にも大雪による被害を受け、また近年、シカによる食害が深刻な問題となっており、もはや林業としての生産活動は厳しい状況となっています。

加えて、1960(昭和35)年に約2000人いた東京都の林業従事者も、2000(平成12)年には約300人と激減し(1961年、2000年国勢調査)、高齢化も進み、担い手不足が非常に心配されています 。近年、不況を背景に林業で働きたいと希望者が増加していますが、多くを雇用できる状況にないのが現状です。


特に、現在のあきる野市、日の出町、青梅市といった、住宅地と”森林”が近接している地域については、いわゆる「裏山」として、各家庭が自宅裏(それに限らず)に、0.1ha〜1ha未満の”森林”を所有していることが多いです。
これは、ガスが普及するまでは、各家庭の薪炭林として機能し、戦後は政府の拡大造林に後押しされ、薪炭林からスギまたはヒノキの人工林へ移行した場所でもありました。
しかし、高度経済成長期に入り、誰もがスギ、ヒノキの建材としての価値を忘れ初め、またこれらの地域の多くの方が、農業や林業といった第一次産業から都心への就職と言った第一次産業以外の産業へ移していったこともあって、いつしか「裏山」の存在を忘れられてしまいました。
十数年前に行われた、ある地元小学校での児童へのアンケートの中で、自宅の「裏山」をあまり良く捉えていない回答が目立ったとありました。
このように、世代を超えて「裏山」が少しづつ離れたものとなっていきました。


安全読本を振り返って(1) [2016年02月06日(Sat)]
本会の活動基本となっている、「転ばぬ先の安全読本」は、当時の東京都府中青年の家2004年度の活動の集大成として作成され、2005年に刊行されました。
既に刊行されてから10年が経ちましたが、今読み返してみても、当時の森林ボランティアの安全に対する真摯な取り組みが表れており、森林ボランティアの「安全」に関する教本として、未だに遜色ないものだと思います。
しかし、時の流れには逆らえず、当時最新の情報も陳腐化し修正が必要な箇所があることも事実です。
本会では、安全白書の改訂作業をプロジェクトとして開始したいと考えて準備を進めていますが、その一環としてこのブログで「安全読本を振り返って」ということで、「安全読本」を紐解き、当時の話題なども織り込みながら、読み進めていきます。

まずは、府中青年の家の北岡所長の挨拶から掲載開始します。

森林ボランティア事業の新たな発展のために

東京都青年の家として誇るべき事業は森林ボランティア事業の実施です。1986年に東京都五日市青年の家で主催事業として取り組まれた「木と人のネットワーク」がその始まりで、その後、大阪府、神奈川県、静岡県でも始まり、1990年代に入ると全国的に盛んに行われるようになりました。

現在この事業は、府中青年の家に引き継がれ、内容を深化させ、森林再生と自然保護を願う青少年、市民が多く参加し、好評を得ています。新たな森林ボランティアの動きも生まれ、その数、現在では全国で1165団体にもなっています。(林野庁調査、2003年)

また、森林ボランティア団体と、林業家、行政関係者等が一堂に集まって話し合う集いが開催されるなどネットワークづくりも盛んになってきました。 この森林ボランティア事業は、林業家のフィールドの提供と技術的な支援、この事業で、育ったスタッフ、そして青年の家職員との連携・協力により運営されています。

しかし、この事業が活発になり参加層が広がるとともに課題も出てきました。森林での活動はダイナミックで活動後の爽快感が得られる反面危険が伴うことです。昨年活動中に死亡事故が発生しています。

指導者は危険を予測して回避し、安全を確保する義務がありますが、安全の話を聞けば聞くほど活動が萎縮してしまいます。一方、活動を通して安全に対する意識、行動力を高めることもできます。森林は安全教育の場でもあるのです。しかし、森林活動に合った「教科書」はなく、心配しながらも一般的知識と経験で活動してきたのが実態です。

東京都西多摩郡を活動の場としている森林ボランティア団体と、林業家、行政関係者が集まって、これまで蓄積した経験と知恵を出し合って作り上げたものがこの「安全白書」です。

この「安全白書」は現時点で西多摩郡において活動する指導者向けに作られたものです。安全についてはこれが完璧というものはなく、時代、場所、指導者、参加者により考え方や対応を変えなければならないものもあります。

府中青年の家は今年度でなくなりますが、「森づくりグループ安全白書作成委員会」の委員が中心となって今後とも内容の充実に努めてまいりたいと思っております。

お読みになられた皆さんの忌憚のない、ご批判、ご意見をお願いいたします。

森林ボランティア事業の関係者が交流して、課題を検討すること自体にも意義があります。さらに、「安全白書」としてまとめあげるには並大抵の努力ではできません。忙しい中、執筆いただいた皆様に深く感謝いたします。本当にありがとうございました。

この「安全白書」が、森林ボランティア事業の新たな発展に寄与することを期待しております。

府中青年の家 所長 北岡文夫


北岡所長の挨拶にもありますように、当時、安全読本作成メンバーの多くが、この本を常に活動の中心においておけるようにという願いをもっていました。
その現れとして、本書のバリエーションとして、ポケット版を作れないかと、メンバーの中でポケット版の大きさ(どの位の大きさならば、ポケットに入れて持ち歩けるか)や、紙材質(汗や雨で濡れても大丈夫な材質はなにか等)といったことが、真剣に検討されていました。
予算の関係、時間的な関係でポケット版は幻に終わってしまいましたが、当時の意気込みはそこまであったのです。
また、2005年3月の終わり、いよいよ「安全読本」が刷り上がり納品された時に、最後のミーティングを行いましたが、その際にも、「安全読本」をもちいた実践的な活動(安全教育や、各団体に会った安全資料の作成方法講習など)をして行きたいとメンバーみんなの思いも多く語られました。

次に、委員長の挨拶を掲載します。

委員長あいさつ

現在、西多摩地域で森林ボランティアの活動は多く行われています。わたしは、数団体しか関わったことはありませんが、まず参加するときは、自分の連絡先と緊急連絡先を伝えるぐらいでしょう。もしかしたら、自分から連絡しただけで参加できる団体もあるかもしれません。そして、当日作業が行われ、何ごともなかったかのようにみんなで帰っていく。この活動中に、刃物による切傷や、転倒などにより発生した捻挫などの軽傷は、「自分も悪かったし」などと思ってケガをした当人も団体に報告をしていなかったり、団体側も当人が「大丈夫です」などというからそのままにしているところが多いと思われます。

わたし自身もはじめの頃は、安全管理など考えずに勢いやノリだけで活動に参加し、大きなケガがなければすぐに忘れて何ごともなかったように家路についていました。 しかし、その考えを一転させられたのは、五日市青年の家主催事業「森のワークキャンプ 2000」での出来事でした。その一例をあげます。

活動中にハチに刺された参加者がいたのですが、ハチも小さかったのでかゆみ止めの薬を塗布しました。しばらくたってから、その参加者は不調を訴え、その後10分程度で 意識がなくなったのです。作業現場での出来事、まずは作業道まで搬出しないと何もできないので、作業道まで運びました。幸運にもその参加者は、作業道に搬出される途中で意識が戻りました。それからわたしは病院への搬送はどうするのかと思ったのですが、 その場の雰囲気は、本人も大丈夫といっているので搬送の必要はない、というものでした。

わたしは自分が介護職だった経験などから容態を確認したところ、じん麻疹(ましん)が下肢に見られたため念のため病院への受診を強く勧めたのです。病院へ行く許可を受け参加者にも説明して病院に行きました。診断は蜂アレルギーによるアナフィラキシーショック。念のため一日入院となりました。

このように、意識をなくすようなことはめったにないと思います。しかし、ちょっと対応が違うだけで大変なことになる場合もあります。ここまでひどいことはないにせよ、小さなケガは多くの団体では当たり前のことであり、本人が大丈夫といったら病院へ行くことはないかもしれません。

安全のことをいくら考えて、いろいろな経験を積んでも、事故はさけられないと思います。それは、だれでも人間はミスを犯すからです。完璧な人などいません。だから、いろいろな活動に参加する人は、自分自身を守るためにも活動を共にする仲間を守るためにも、この本を読んでもらいたいと思います。


府中青年の家

森づくりグループ安全白書作成委員会

委員長 今泉進一


当時、委員長であった今泉は、森林ボランティアがあまりにもケガや事故について自己負担をして行かなくてはならない状況に疑問を感じ、周囲に同じような疑問をもった人がいないかを投げかけ、ぶつけて、このプロジェクトを発起させた張本人でもあります。
「安全読本」プロジェクト終了ののちに、彼はその時のメンバーを誘って、本会の前身である「森林ボランティア応急救護研究会」を立ち上げます。
その後、「森林ボランティア応急救護研究会」は、メンバーの移り変わりと共に本会「森の安全を考える会」として活動を開始することになりました。