240917 ようこちゃんとおばあちゃん 〜敬老の日に寄せて〜[2012年09月17日(Mon)]
今日は敬老の日〜
小学校の頃、夏休みは母方の実家で過ごすことが何よりの楽しみだった♪
なぜって祖母の話はとにかく面白く私をの好奇心を駆り立てるからだ。
祖母は西条の造り酒屋の生まれで兄2人の3人兄弟で豊かな娘時代を過ごした。
女学校の頃、橋ですれ違う男子生徒に松竹梅とランキングをつけていたり、
テニスが大好きで休憩時間に校庭にすぐ飛び出せるように机の下でラケットを持ったまま授業を受けていた。
また友達と遊ぶ為に帳場から1円くすねていた。(当時のお金としては高額?)
ろくでもない話ばかりですが、これが楽しいの〜だってわが母は生真面目で厳格・・・
祖母とは相性が悪かった・・・・ってことで私は母と相性がイマイチ。
今思い起こせば、子どもの頃の相性は大きく影響しており常々疎外感と葛藤していたように思う。
祖母の話はその気持ちを一掃してくれた。「あんた〜いつ帰ってくるん?」とよく言われた。
家業は一番上の兄が造り酒屋を継ぎ、2番目の兄は小間物屋を営んでいたらしい。
その後、造り酒屋も酒の醸造に失敗、話によると「全部酢になってしもうた〜」らしいそして人手に渡る。
祖母は生涯このことを悔やみ「もし私が男の子だったら人手に渡さんかった〜」と言い続けていた。
祖母はお見合いをし結婚、男の子を授かる。その後夫は腸チフスにかかり二人を残して亡くなる。
当時女性の自立は遠かったが・・・・
もともとやんちゃな祖母は富田常雄の小説『姿三四郎』に出てくる講道館にて女中奉公に行く。
当時、子連れで東京に上京するバイタリティーに子どもながら
「ばあちゃん凄いね〜」と勇気に感動したことを思い出す。
その後、震災に会い広島へ帰る。そして再婚、ここで私の母と一つ違いの叔父を授かる。
「私は本当はハワイに嫁に行きたかったのに回りが許してくれんかった」と・・・・
おばあちゃんが震災に会わなかったら、そしてハワイに行っていたら私は生まれてこなかったことになる。
人の運命は不思議なものだな〜
最後まで意思をもってハードに生きていたおばあちゃん・・・・
80過ぎて病床にあっても「80才現役」というタイトルの本を読んでいた姿が忘れられない。
敬老という言葉にふさわしい凛とした祖母だった。
私も2人の孫がいるが・・・・・敬老という言葉にはるか遠い現状だな〜〜〜〜
小学校の頃、夏休みは母方の実家で過ごすことが何よりの楽しみだった♪
なぜって祖母の話はとにかく面白く私をの好奇心を駆り立てるからだ。
祖母は西条の造り酒屋の生まれで兄2人の3人兄弟で豊かな娘時代を過ごした。
女学校の頃、橋ですれ違う男子生徒に松竹梅とランキングをつけていたり、
テニスが大好きで休憩時間に校庭にすぐ飛び出せるように机の下でラケットを持ったまま授業を受けていた。
また友達と遊ぶ為に帳場から1円くすねていた。(当時のお金としては高額?)
ろくでもない話ばかりですが、これが楽しいの〜だってわが母は生真面目で厳格・・・
祖母とは相性が悪かった・・・・ってことで私は母と相性がイマイチ。
今思い起こせば、子どもの頃の相性は大きく影響しており常々疎外感と葛藤していたように思う。
祖母の話はその気持ちを一掃してくれた。「あんた〜いつ帰ってくるん?」とよく言われた。
家業は一番上の兄が造り酒屋を継ぎ、2番目の兄は小間物屋を営んでいたらしい。
その後、造り酒屋も酒の醸造に失敗、話によると「全部酢になってしもうた〜」らしいそして人手に渡る。
祖母は生涯このことを悔やみ「もし私が男の子だったら人手に渡さんかった〜」と言い続けていた。
祖母はお見合いをし結婚、男の子を授かる。その後夫は腸チフスにかかり二人を残して亡くなる。
当時女性の自立は遠かったが・・・・
もともとやんちゃな祖母は富田常雄の小説『姿三四郎』に出てくる講道館にて女中奉公に行く。
当時、子連れで東京に上京するバイタリティーに子どもながら
「ばあちゃん凄いね〜」と勇気に感動したことを思い出す。
その後、震災に会い広島へ帰る。そして再婚、ここで私の母と一つ違いの叔父を授かる。
「私は本当はハワイに嫁に行きたかったのに回りが許してくれんかった」と・・・・
おばあちゃんが震災に会わなかったら、そしてハワイに行っていたら私は生まれてこなかったことになる。
人の運命は不思議なものだな〜
最後まで意思をもってハードに生きていたおばあちゃん・・・・
80過ぎて病床にあっても「80才現役」というタイトルの本を読んでいた姿が忘れられない。
敬老という言葉にふさわしい凛とした祖母だった。
私も2人の孫がいるが・・・・・敬老という言葉にはるか遠い現状だな〜〜〜〜