「白潟歴史まち歩き楽会」田中瑩一先生ご講演 [2012年02月17日(Fri)]
研修生のHです。
遅いご報告となって恐縮ですが、先月1月20日(金)、松江市市民活動センター(スティックビル)において、島根大学名誉教授・田中瑩一(えいいち)先生の講演会が開かれ、行ってまいりました。 ![]() 田中先生は国語科教育法や民話研究で、いくつもの業績を残してこられました。 その一方、島根大学ご在学中、山陰日日新聞(現・日本海新聞)の連載『松江八百八町 町内物語』の執筆に参加なさいました。 『松江八百八町 町内物語』は全三巻立てで単行本化されたものの、すでに絶版。連載当時(昭和20年代後半〜30年代前半)の『山陰日日新聞』のバックナンバーも、島根県立図書館にありません。さいわい、新聞の本社があった米子市立図書館に所蔵されていましたが、経年変化と当時の紙事情の悪さもあり、慎重にページをめくらないと破れてしまう状態だったそうです。 それでも全連載を複写し、その中から精選する形で近く復刻するとのことです。その序文原稿を田中先生みずから朗読の上、そのころのエピソード・思い出をいろいろお話になりました。 また「余話」として、明治時代の国語科教科書「松声文集」(しょうせいぶんしゅう)の講義をしていただきました。 高校時代の古文・漢文の知識がよみがえってきますが、私は古文が苦手でしたので、どこまで頭に入ったでしょう。それでもテストなど気にせず、古文や漢文に親しむのは、とてもいいことだと思いました。 田中先生のお話で興味深かったのは、この教科書を使った学校教師たちの優秀さでした。明治時代、向学心旺盛で立身出世を夢見ても、進学や上京には大変なお金がかかりました。地元にとどまり、小学校や中学校の教師となった例も多かったようです。息子を上の学校にやるために、家産を傾けてしまったらしいという例もお聞きしました。 情報・学習機会の格差著しかった時代のことを、私たちはどう受け止めたらいいのでしょう。 学ぶことと生きること(=生き方・生活・人生 etc.)について、ずっと考えている私です。 【H】 |