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80才の大月宗明師の超人的パワー [2012年01月08日(Sun)]

正月3日に、思わぬ人が突如、我が家に現われた。
筝演奏家・作曲家で有名なあの大月宗明師である。
近くに来てから、携帯で連絡を取り我が家に着いた。
昨年、宗家を息子さんに譲って、時間の余裕が出来、
暮れから宮城県に来ていたとのこと。昨年の9月に
大阪中之島公会堂でお会いして以来の再会である。
岡山から東北へは車でチョコチョコ気楽に来ている。
80才とは思えぬパワーに無条件で、驚かされる。

茶の間の炬燵で99才の母を交えて話に花が咲いた。
もっとも母は耳が遠いので適当に合図地を打つだけ。
師は驚異的な博学でどの切り口からでも盛り上がる。
貴重なお話で私だけが聞いただけではもったいない。
なので、ここに断片的であるが記しておきたい。

筝の面では東京芸大邦楽科の4月採用の1期生で、
入試では宮城道雄、中之島欽一師らの前で「春の
海」を演奏。尺八パートを口ずさみながらの演奏に
試験官は驚いたという。宮城道雄師を知る最後の
生徒となった。父親は盲目となり当道会筝曲の一派
を立ち上げ、筝を五線譜で教えることを始めた。

話が古事記の頃の神話の世界に入ると熱がこもる。
なにせご自分の先祖は曽我氏で、橘の姓であった。
天皇家を補佐し、東大寺の大仏を建立したという。
偶然にも、ご自分は青森に大きな仏像を建立した。
曽我氏は朝鮮からの帰化人であり、当時の文化人で
あり、仏教を信奉、普及していた。大化の改新で
藤原氏に追われるまでは日本の中心的存在であった。
天照大御神の前の「イザナギ」「イザナミ」の「イ」
というのは朝鮮から来た人を意味する。その子孫の
天橋立の「海部」(あまべ)の真名井家の家系図は
国宝になっている。10月を神無月といって出雲に
全国の神が集まるとされているが、出雲に集った神
々は実はこの天橋立に集って来るのだという。

次は刀の話。東北は鉄の産地で昔から有名であった。
「俘囚刀」(ふしゅうとう)と呼ばれ、奈良時代に
は名を馳せていた。都を追われた帰化人の技術と結び
ついたものらしい。全国に残る「玉造」という地名は
この鉄の産地の名残と言う。

師は今回の大震災で宮城県北に閉じ込められ、車の
中で寝泊りしていた。頭上に煌く星空を眺めていて
閃いた。お互い助け合い、手を合わせる。この日本人
の国民性。これがあってこそ昔から言われる理想の国
「まほろば国」が誕生するのではないだろうか。
私たちは宇宙の生命であり、宇宙の意志により生かさ
れている。有名な古歌に「いろはにほへと」の終わり
のところに「ういのおくやま」とある。この「うい」
こそ「宇為」であり「人為」でなく超人的宇宙の意図
なのだ。人類皆兄弟はまことである。自分の両親さら
にそのまた両親とさかのぼると自分に関係した人の数
が人類の数に達するのは計算してもそう遠く無いはず。

師のお話はまだまだ続くが知的な脳の容量に脱帽で、
お話について行くのがやっとという状態。「ハアハア」。
しかし私の興味のある部分が多くて話は飽きなかった。
お帰りになった後は頭がしびれ、どっと疲れを感じた。
仙台平野に大津波 3年半前に予告 [2011年12月28日(Wed)]

先日、知人から河北のコピーを見せられ驚愕した。
3月の大津波を3年半も前に、予告しているのだ。
しかもまるで今見たごとくずばり言い当てている。
平成19年9月4日の河北新報朝刊の「座標」欄。
著者は仙台在住の近代出版史研究家の渡辺慎也氏。
書き出しは「仙台東部に10メートル超の巨大津波。
死者・行方不明者数万人にも。逃げ切れず次々と
波に呑まれる」こんな見出しの号外が出ると予告。
これには歴史に刻まれた裏づけがある。2千年前
の津波痕が弥生時代水田跡に見つかった。これで
仙台平野を襲った巨大津波は4回にも及ぶと言う。
続けて、仙台平野は三陸と違って高所が少ない。
東部道路の東側一帯は大津波に翻弄されることは
疑いない。大小河川や仙台港は格好な津波進入路
になってしまうと断定。この対策にも言及。個々
人は「てんでんこ」が鉄則。即ち自らの判断で直
ちに避難場所に向かえ。このため日常的に家族や
近隣と話し合うことが重要。逃げ場としては町内
毎に20mの津波に耐えられる8階建て以上の集
合住宅を設け、最上階には津波防災設備を施した
「地域民集合室」の設置まで提言している。
この実施には法令の改正や国庫補助の問題があり、
東北の全議員の活躍に期待、また技術的な仕様に
ついては建設業者の奮起を期待すると結んでいる。

私はうかつにもこの記事を見落としていた。否、
いつ来るか分からない大津波などに関心が無かっ
たということの方が正確かもしれない。
今になって見ればこんなに正確に予告をし対処の
仕方まで懇切丁寧に記事にしていただいたのにと
まことに悔やまれる。渡辺氏はどのような思いだ
ろうか。避けられない世の中の慣わしなのか。
無力感に襲われる。しかし何とか少しでも利口に
なり、同じ轍を踏まないようにしなくては、との
思いは焦燥感となって膨らんでいく。「あ〜」

「河北新報のいちばん長い日」 [2011年12月19日(Mon)]


仙台市に発行本社がある河北新報はあの大震災の下
でどのように報道したのか。紙面を一読すれば判る。
しかし、どんな状況の下で、どう感じ、どう考えて
どう行動したのかは紙面からは伺い知れない。
河北は記事に携わる編集だけでなく、全社員からの
アンケートをもとに表題の一冊の本にまとめ上げた。
激震の後は新聞制作不可能の事態。これを新潟日報
の助力で2Pの号外と翌日の朝刊8Pを発行できた。
通信・通話事情の悪い中、まさに奇跡的な快挙だ。
津波に呑まれ九死に一生を得た気仙沼総局長からの
手書きの原稿。「死者1万人以上」の原稿に見出しを
どうつけるか、被災者の心情を考え、悩む整理記者。
販売所が店主、従業員ごと流されたりした中、貴重
な情報源として待ち焦がれる読者へ届ける販売員。
社内で寝泊りする社員達への食料。車のガソリン。
新聞社に欠かせない用紙の確保。これら報道機関の
生命線をどう確保するか。全社員の知恵と努力で乗
り切る過程は手に汗を握るドラマを見ている感じだ。
放射能汚染から社員を守るために一時退避させるが、
記者たちは住民から離れて報道の任務を果せるかと
懊悩する。そんな中、地元紙はテーマを掘り下げた
連載企画を出し続け、被災者から自分たちに寄り添
う地元紙と感謝される。最後に報道部長の自問自答
が印象に残った。これまで地元紙として津波や震災
の警戒記事を載せてきたが、今回の2万人近い死者
を出した現実を見せ付けられ、はたしてこれまでの
啓発や記事は役に立ったのだろうか。やってきたか
らこれで収まったのか。もっと直接的で実際的な方
法があったのではないか。本当に地元の力になりえ
たのか。「報道とは一体何なのか」など疑問は続く。
私が40年近く籍を置いていた河北はまさに創業以
来の大震災に見舞われ、実に雄々しく社員一人一人
が難局に立ち向かっていった姿を見て、涙が出るほ
ど嬉しかった。後輩たちを心から誇らしく思った。
この本は2011年度「新聞協会賞」を受賞した。
被災地で尺八を吹き、考える [2011年11月29日(Tue)]

車は舗装から外れ、瓦礫が取り除かれた道を進む。
左に3階まで窓が壊れた水産高校の校舎が見える。
やがて海辺の松林に着く。根が折れ曲がっている。
去年の5月に泊まった民宿は跡形も無い。平地だ。
高台と思っていたが、10Mの津波では無抵抗だ。
私が酔って吹いた尺八をテープにとって漁業の舟
で聴くと言っていた爺さんはどうしたか。翌朝車
で駅まで送ってくれた娘さんはどうしたか。
ここは気仙沼の岩井崎。風光明媚な観光地で有名。
まばらになった松林を抜けて、潮吹き岩に出る。
波はあったが潮は吹き上げない。津波で目詰まり
でも起こしたのだろうか。秀ノ山雷五郎の像は土
台が大きく抉り取られていたが、晩秋の夕日に向
かってしっかりと手を上げていた。

11月22日15時に待ち合わせのプラザホテル
に着く。気仙沼ライオンズの会長さんの案内で
前ガバナーの千葉ライオンの墓所に向かう。
駅裏の山の石段を登った所にお墓があった。
富谷ライオンズの仲間11名が児玉Lの読経する
中を焼香する。僧職だけあって本格的な雰囲気だ。
一段落した後で、私が尺八で「アメージンググレ
イス」を吹奏する。風の無い夕刻の虚空に拡がる。
彼はご本人と奥さん、娘2人、孫3人の何と7人
が一度にこの世からかき消えてしまったのだ。
葬儀には7人の写真が飾られてあったそうだ。
残されたのは婿2人と孫2人だけ。去年の総会で
ガバナーの退任挨拶をし、懇親会ではニコニコと
笑いながらお酒を一人一人に注いで回っておられ
た姿が目に焼きついている。ああ、無常が沁みる。

17時20分からプラザホテルで私のロビーコン
サートが開かれた。ホテルの計らいで赤毛せんを
敷いた舞台が用意された。玄関も近く、人の往来
もあったが、ロビーの椅子は埋まっていた。
「アメージング」はじめ唱歌「赤とんぼ」「もみじ」
それに「男はつらいよ」「愛燦燦」そして民謡の
メドレーで「追分」「宮城野盆歌」「遠島甚句」など
をやり、最後に「ふるさと」で終わった。とても
響きが良く、一曲ごとの拍手に乗せられて気持ち良
く演奏ができた。これでお終いと思っていたところ
ハードな仕事が待っていた。

26日に仮設の屋台村が正式にオープンする。
みやげ物や食堂、飲み屋が魚市場の近くに軒を並べ
ている。そのほとんどがプレオープンしている。
そこでその各店で尺八を吹いて回ってくれという。
いわば金を取らない「尺八流し」である。初物には
弱いので直ぐに乗ってしまった。客の入っている店
を選んで「尺八を吹かせて下さい」と言って入る。
幸い心臓の強いS女史をはじめ女性3人が付人で
心強い。店主やお客さんが喜んで拍手してくれる。
様子見に短い「赤とんぼ」を吹きアンコールに応え
るようにした。8軒くらい回って、さすがに疲れた。
「石焼ビビンバ」を食べ、お好み焼き屋でコーヒー
を飲みやっと吹き終えたという実感が湧いてきた。
泊まり組みは酒をたらふく飲み、えらいボルテージ
が上がっていたのを尻目に20時過ぎ、気仙沼を後
にした。富谷まで4人でS女史車に便乗。そこから
自家用車で帰宅したのは23時近く。興奮している
のかしばらく眠れなかった。あまりにも無残な現実。
生と死の何気ない分かれ目を淡々と語る被災体験者。
夢中で尺八を吹きまくって来たがどれだけのものか。
自己満足だけの話で終わるものなのか。答えはしば
らく時間がかかりそうだ。とにかく眠ろう。
震災から半年 我が家にも風呂 [2011年09月15日(Thu)]


被災地はまだ瓦礫の山が固定してある状態が続く。
復興には本当に気の遠くなるような時間がかかる。
我が家も被災半年にして、ようやく風呂が設置さ
れ、入れることになった。倒れた給湯器を新たに
替えてからはひび割れし、タイルが剥がれた風呂
場で一時しのぎをしていた。戦時中の風呂みたい
な殺伐とした入浴風景だった。今度入れた風呂は
ユニットバスと言い、パッケージですぽっと納ま
る一坪の簡便なもの。2週間の工事期間中、秘か
に付いたあかつきにはきっと一番風呂に入ると
心に決めていた。ところが、設置の日がずれてし
まい丁度ゴルフのある日になってしまった。
私はゴルフ場で風呂は済ませて来たので、初入浴
は孫たち3人となってしまった。5年生の周は気
を使って「ジイは入らないの。もう一度入っても
いいジャン」と言ってくれる。30度を超す残暑
の中でのプレーは体力もくたくた。さすがに勘弁
してもらった。子供らは新しい箱に入り、最初は
戸惑っていたが、その内に居心地が良くなったと
見え、なかなか出て来ない。いつもはさっと入り
さっと出て行くカラスの行水なのだが。
今後、風呂の取り合いになりそうな予感がする。
おまけにヤマハの製品だけに風呂場に好きな音楽
を流す装置までセッティングされている。
大工さんの話では水の音であまり聞えないそうだ
が、音楽好きな人はますますゆっくりと体がうる
けるほど風呂に浸かっているのではないかとつい
心配までしてしまう。

台所は工事で作業場に変身。あおりで食器を始め
台所用品はすべて別室に押し込められ、一体何が
どこにあるのか皆目分からず、まるで他所の家の
台所だ。食事の時、欲しいものを口にし、途中で
言葉を飲み込んでしまう。探しに行くのが大変だ
からである。その意味では我慢強くなった。
片や不満はうっ積していくのである。
そんな中で、風呂の復活は大きな安心感を与える。
長風呂もいいじゃないですか。ゆっくりと疲れを
取り去り、ストレスを解消して下さい。家族諸君。
老筝曲家1800キロを運転、筝寄贈 [2011年09月14日(Wed)]


仙台三曲協会のホームページに問合せが見つかった。
問合せは私のメールに接続していたが、番号の変更
があったのに、更新を忘れていたため2ヶ月も遅れ
て気が付いた。メールの内容は筝を被災した人に寄
贈したいので誰か紹介して欲しいとのことだった。
お詫びのメールを入れたところ、自分で探して筝を
すでに運んだと返事が来た。その内容を見て驚いた。
ご自宅の柏市から石巻の北上中学校まで往復900
`を筝2面を積んで運んだ。お歳を聞いてまた驚く。
運転したのは73才の女性筝曲家。同乗の旦那さん
は83才という。しかも日帰りしたそうだ。
運転時間はせいぜい1時間位しか持たない私には
とても想像が付かない。最初は名前を伏せていたが
何回かメールの交換をしている内にこの方は高名な
山田流の宗家で高野和之師であることが判明した。
私は何度か東京で三曲演奏会を聴くが、このお方は
大のファンである。背筋をピンと伸ばし、腹から搾
り出すようにして高音から低音まで実に味のある歌
い方である。筝も音が弾け飛んで来るような弾き方。
とてもピンと張り詰めた空気を感じる。

被災地の小野こう子先生を紹介したところ、また筝
を運んで来るという。その日は私が近所の小学校で
三曲の鑑賞と体験授業をすると言ったら是非、覗か
せてくれとメールが来る。そこでつい調子の乗った。
それでは来られたついでに演奏の一節でもお願いで
きないかとメールを送る。結果は真に汗顔の至り。
どんな演奏もお引き受けしますが、いい演奏を弾く
ために徹底的に練習をする。とくに子供たちに聴か
せる時は真剣になる。「ちょこっとやる」ということ
は性格上できない。この日はへとへとになっている
ので勘弁して欲しいと断られた。
真摯な返事はあの演奏振りからも充分に納得できる。
さあ、緊張感が走る。これまで楽しく子供と接して
いたが大先生の見守る中で果たして上手くいくのか。
2回の計、1800キロをかけて、ご自分の愛着あ
る筝を被災地の子供たちのために自ら運ばれる情熱。
このご夫婦の熱い眼が見守る授業やいかに。
復興の槌音広がる [2011年08月16日(Tue)]

「トントントン」軽い音は屋根にトタンを敷く音。
「ドンドンドン」重い音は傷ついた外壁を剥がす音。
近所も足場を組み、修理する家が多くなり、道路が
工事のトラックが連なって止まり、狭くなっている。
我が家も震災後約5ヶ月目にして修理工事に入った。
ドンドンと響く音はひび割れた外壁をすべて落とす
槌の音。大事にしてきた我が家を取り壊すのは忍び
がたいが、新たな復興のためにはやむを得ない。
屋根も瓦を取り払い、トタンに葺き替えた。頭も胴
回りも軽くなり、耐震効果が見込める目論みだ。
連日30度を超す猛暑の中、工事している人は大変
だが、中にいる方も節電しながら、尺八を吹く気分
にもなれず、じっと耐えている。もっともご近所は
お互い様とは言え、他人の雑音だけに迷惑な話だ。
今度の工事に際し、お隣のMさんにご挨拶をした。
4月の余震で落下した瓦が車庫の屋根を破り、車2
台を破損。今は新車に替え、車庫も新装した。
そのお祝いと言うのも変だし、やっぱりお見舞いと
して、大郷の夏野菜と一緒にお持ちした。
無論、些少のものであったが今の気持ちを表した
積もりである。彼は震災の被災者からお見舞いとは
と笑いながらこちらの気持ちを受け取ってくれた。
4月の余震以来づ〜ッと心にひっかかっていたしこり
が取れ気分も軽くなった。隣の家は2次査定で全壊
と判定された。こちらは大規模半壊。お互いに壊れた
同士。今後も、長く良いお付き合いをと願っている。

風呂場に大量の蟻発生
今度の地震では風呂場の被害がひどかった。タイル
は剥がれ、ひび割れは深く長く、おまけに給湯器が
倒れて風呂は長い期間入れなかった。ようやく新
給湯器が付き、入浴始めたところ事件が勃発した。
朝未明、風呂場を覗いた次男のトヨが変事を知る。
「羽が生えた蟻がびっしりといる」と言う。眠い目を
擦りながら、行って見ると扉のガラスも黒くなる程
に羽の生えた大きめの蟻がゴソゴソと動いている。
「エッッ何だこれは」と思わず叫んでしまった。
何で一夜にしてこんなに群がるように発生したのか。
意を決して、とにかくシャワーを全開の強にして全
部を洗い流した。2日目も若干現れたが回を重ねる
内に皆無になった。丁度シロアリ駆除の有効期限が
切れたばかりで心配が募った。業者に連絡して見る
と、今直ぐには動けないと言う。どうも気味悪く困った。
そんな折、たまたま来宅した長男のタクジの顔を見て
彼が大の虫好きだったのを思い出した。彼に話すと
早速、風呂場に残っていた蟻の死骸を見て、「シロ
アリとチャウわ。ただの羽蟻や」「胴がくびれている
のはその辺を飛び回っている奴や」と。それを聞き、
「あ〜ヤレヤレ一」と安堵の胸を撫で下ろした。
その夜はゆっくりと風呂に入ることが出来た。
子供の頃のタクジは歩いていても虫の居所をピタリ
と当てるほど虫好きであった。「おまんは虫師か」と
笑っていたが、思わぬところで役に立つものである。
世界一の元気「なでしこジャパン」 [2011年07月24日(Sun)]

早朝4時半に目覚めた。早速、TVをつける。
女子ワールドカップ決勝戦がすでに始まっていた。
「なでしこジャパン」が強豪米国と雌雄を争う。
いまだ勝ったことが無い相手である。日本は米国
に比べ、小柄ながらすばやい動きを見せ、善戦中。
その内、強烈なシュートを決められるが、すぐに
日本はゴール前の混戦から難しい体勢でねじ込む。
後半、終了間際、また米国の強烈なヘッディング
で入れられ、これまでかと諦めかけたら澤選手の
神業的なゴールで同点。何という粘りだ。思わず
布団の上に正座して食い入るように見入っていた。
PK戦はゴールキーパーが横っ飛びした足で阻止。
これで米国に動揺が見られた。後2つ外し日本は
最後、豪快に左上にゴールを決めとどめを刺した。
走り寄るなでしこ達。どよめきが沸き起こった。
日本中の観客は「ヤッター」と叫んだことだろう。
サッカーは普段あまり見ないが、「何と素晴らしい
チーム力だ」と思わず唸った。きっと相手は人間の
力でなく、神に憑かれた力を感じたに違いない。
日本の小娘たちが世界の頂点に立ったのだ。こんな
感動は久し振りだ。なんと清々しい興奮だろう。
大和なでしこはひ弱ではなかった。むしろ男子より
強靭な精神と鍛えられた身体と技量を持っていた。
仙台の常盤木学園出身が2人、岩手県出身もいた。

私は第二次大戦の敗戦で打ちひしがれた中で、一人
無敵を誇った水泳の古橋広之進を思い出していた。
「トビウオ」とあだ名された彼の活躍にどれだけの
人が沸き立ち、日本人の誇りと勇気を取り戻したか。
今回の「なでしこ」は震災に打ちひしがれた人達を
どれほど元気付けたことだろう。撫子はピンク色。
風になびく花の姿も美しい。泥だらけになり走り回
る彼女達の姿からは想像できないが、最後の栄冠を
勝ち取った笑顔はまさしくピンクの輝きだった。

ピンクの夏の花と言えば、「ねむの花」を思い出した。
早速、朝の散歩に訪ねて見た。途中の鶴ヶ谷中央公園
の仮設震災ゴミ置き場はきれいに片付いていた。
ひょうたん沼の堤の両側のねむの木に花が満開だった。
下を通ると、淡い上品な香りした。花を手にとって見
ると、白い細長い花弁の先に細やかなピンク色がある。
冬の間は気が付かなかったが、花が咲くと10本もの
大きな木があることがわかった。「木を切らないで下さ
い」という看板を木に貼り付けた人の気持が分かった。
夏の猛暑に負けず、なでしこ同様、可憐な花を咲かせ
る強い木を大事に育てよう。
「六魂祭」に復興への熱気集まる [2011年07月22日(Fri)]

7月17日の日曜日は快晴。33度を超す猛暑の中、
孫5人と娘夫婦の8人で街の中心へ車で出かける。
お目当ては東北六県の祭を一堂に集めた「六魂祭」。
混雑を避け本町の駐車場に入るが、大型車で駄目。
降りてしまった子供達を見て社長が入口に止める
ことを許可してくれた。幸先が良いと喜びながら
二番町を渡ると、三越付近から尋常でない人の波。
ここでそれぞれ孫を連れたトクと優に合流する。
その数14名に膨れ上がった。会場の定禅寺通りは
無理と判断。昼時なので昼食を取る事にしたが、
この人数が入るレストランを見つけることは無理。
ところが意外に近くに見つかった。一番町に抜け
る通りに高級そうな老舗洋食屋。この際高くても
良いと腹をくくり中に入る。「しばらくお待ちを」
と云われ、案内された部屋は丁度14人用の個室。
しかもメニューが豊富で値段も手頃。貸切なので
話も大いに盛り上がった。腹ごしらえを終えて、
やはり祭の雰囲気を味わおうと再度会場へ向かう。
恒例の仙台七夕祭以上の人波にもまれながら匂当
台公園にたどり着く。屋台が立ち並び、ステージ
ではロックがガンガンと鳴り響いていた。ここで
弟達と別れた。福島市から来た明子は2人の子供
を連れ満員の電車で往復。駅からは徒歩。結局は
祭の行列は見ず仕舞。翌日の新聞によれば一日に
5万人の予想が、初日13万、この日は23万人と
はるかに想定外になってしまった。このため中止
になったパレードも出る始末。1カ月半という短
期間の準備ながら人が集ったことに関係者は驚く。
奥山市長も認識の甘さを反省しながらも、東北を
何とか支援したいという多くの人に感謝したいと
話していた。今後は反省を生かし、広い二番町で
やるのもいいかも知れない。とにかく人が集れば
活気が湧く。心が沸き立ち、勇気が湧いてくる。
カキ氷を街路樹の下で食べ、人気のペンダントを
貰って、子供たちはご機嫌にはしゃいでいた。
朝風呂に浸ること3日 生を実感 [2011年07月09日(Sat)]


ついに待望の給湯器が付いた。3月11日以来何と
138日目。翌朝、湯が溜まっているかそっと確める。
間違いなく満タンを示している。早速、風呂に入湯。
勢い良く湯がほとばしり出て風呂場は湯気で満ちる。
頭と体を洗い、湯に首まで浸かる。梅雨空を眺める。
気分はじわっと晴れていき、やがて最高の青空に。
タイルは剥がれ、ひびが縦横に走る壁は気にしない。
この爽快感がなんとも気持ちよい。朝に夕べに入浴。
3日間続けた。大げさに聞えるが正に生を満喫した。
副作用は日中に突然襲う眠気である。その時は決し
て逆らわず、背中をマッサージしながら仮眠をとる。
ツタヤも再開し、地震前と直後に見ていた「三国志」
をまたレンタルして来た。6巻借りたが2巻は既に
見終わっていた。今28巻目。48巻あるのでまだ
楽しめそうだ。これは単に勝負ものと違い実に人生
の盛衰と教訓に満ち溢れている。演じる人物も役に
ピッタリのはまり役が多い。中国の俳優を見直した。
風呂と三国志のお陰で、JRの「大人の休日」期間
であったが、つい出そびれてしまった。また9月に
出直すことにする。蒸し暑さも解消しているだろう。

修理工事はまだ先になりそうだが、風呂が付いたの
で一先ずは人間らしい日常に戻ってきて落ち着いた。
後の最大心配事は一つ。それは車庫のシャッター。
電動式で巻き上がったシャッターを入れる箱が前に
傾いている。支えが地震で半ば壊れ、危ない状態。
開け閉めする度、ギギーッ ガタガタと大きな音を
立て、道行く人や犬が思わず飛びのく有様。
先日、取り敢えず両脇に金物でつっかえ棒をかった。
開け閉めをなるべくしないようにしているがなにせ
家の1Fになっているので利用せざるを得ない。
いつもハラハラし、今日はお静かにと祈りながら
開閉ボタンを押している。不思議に音がしないで
スーッと開くこともある。そんな時は訳も無く嬉し
くなり「今日はついているぞ」と気が軽くなる。
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