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75歳の誕生日 雑感 [2015年03月03日(Tue)]



 すっかりブログはご無沙汰でした。馴れとは怖いものです。
今までは書かねば自分の存在が怪しくなる恐怖感に背中を押
されて書いていましたが、別に何とも感じなくなりました。

昨日の3月1日は私の75歳の誕生日。これを契機に、また
少し気楽に書こうという気になりました。この日は子供、孫
の8人からのお祝いとお箏の先生からまでケーキをいただき
嬉しさの余りつい食べ過ぎ、腹がもたれました。スンマセン。

前日、後期高齢者の健康保険証が届きました。その数日前に
運転免許証の更新をしました。この取得のためには高齢者の
講習を受けなければなりません。そこで後期高齢者をいやと
いうほど実感させられました。記憶力テスト、瞬発力、視力
の衰えにガックリ。特に暗いところの視力がめっちゃダメで、
夜間は要注意。それでも同年齢の比較ではでは良の判定。
実地運転では「言うことなし」とのお墨付きまで頂いた。
やっと一安心。毎日、運転しているおかげかもしれない。

嬉しいこともう一つ。2月15日に都山流宗家から荷物が届
いた。中身は「継続開軒50年の表彰状」と記念品として標
準時計であった。本来は京都まで行って宗家から直接頂くの
が筋であったが、あいにく大きな演奏会があり行けなかった。
額に入れて飾ってみると、50年の重みが伝わってくる。
尺八を始めて5年で教授資格を取り、24歳から教えた始め
たことになる。学生時代に週2回、基礎を徹底的に教えてい
ただいた福島の吉田幌山師、開軒後もご指導いただいた仙台
の氏家皎山師に巡り会えた幸せに感謝である。私の弟子の数
は多いとは言えないが、出会いの不思議さを感じる。教える
ことは学ぶこと。まさに自分の人生を豊かにさせてくれた。
またこれまで多くのお箏の先生方にも出会え、勉強させてい
ただいた。とても幸せなことと改めて感謝したい。
そして私と関係する皆々様方。どうぞこれからも残りの人生
を黄昏に染まるまで、充実したものにするために、これまで
同様、ご協力、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
尺八と虫歯 101才の入れ歯 [2014年08月20日(Wed)]


老いはハ・メ・マの順でやってくるという。私はこのサイクルの
何順目に当たるだろうか。特に歯は尺八の音色と大いに関係する。
なので、入念なケアを心掛けている。食事後の磨きは無論のこと、
3か月毎に歯科医院で点検を欠かさないでいた。ところがこの春に
下の両奥歯が痛み出した。掛かりつけの富谷の歯医者で診てもらう
と、「歯の根に菌があるので抜かねば」と平然とぬかす。ウッソー。

抜いたら歯並びが変わり、絶対音色に悪影響を及ぼす。その先輩の
苦労例がいくつも浮かぶ。そのために何年もケアに通っていたのに
と思うと怒りが込み上げて来て、「私は出来れば抜きたくない」と強
い調子で言い放った。医者は隣の歯とブリッジするから大丈夫と言う
が、無言で帰った。それからしばらくして、喉が痛み、耳鼻科から
抗生物質をもらった。朝・昼・夕食と寝る前の一日4回も飲むこと
になった。夕食を20時過ぎに終え、寝るまで2時間位でまた飲む。
はたしていかがなものかと素人ながら不安に感じた。案の定、喉は
V字型に回復したが、3日後には腹痛と下痢。薬を止めた。その時に
あることに気が付いた。「あれっ。歯の痛みが無くなっている」。

右下に少し違和感あるものの、何たる偶然。これはとんだ薬の福・
作用で、歯の菌までが駆逐されたのだ。ルンルンと何でも噛める。
それからまたしばらくして、母が急に歯医者に行くと言い出した。
入れ歯が合わなくなり、食べている最中に外れる。歳百と一年。
歯茎が萎んでくるのでやむを得ない。では近くがいいとF歯科に決
め行って見る。初めての医者は付き添いでも何か緊張する。

眼鏡をかけた若い背がスラリとした医者だ。口数は少ないが患者を
3つの椅子に座らせ、テキパキと診ては治療して回っている。
母を診て、入れ歯の作り直しをすすめる。今まではバネが外れやす
かったが今度は大丈夫。しかも、今ある歯をそのまま生かすと言う。
その言い方のイントネーションに懐かしさを感じた。私の生まれ故
郷の岩手県ではないかと直感した。そのうち確かめてみようと思う。

入れ歯の出来具合は上々。気に入った私は歯のケアを申し入れた。
早速、レントゲンを撮ってくれた。その結果、何と右下の奥歯の根が
折れていることが判明した。例によって抜きたくないと言うと折れた
歯の方を半分に切って抜き、土台を入れて被せる案を提示された。

まさに折衷案である。私も折れて、この案に乗った。抜いた時に医者
が興奮気味に私に「こんなにきれいに半分に割れているのは珍しい」
と言って抜いた歯を見せてくれた。眼鏡をかけて見ると、血に染ま
っているが、確かに歯がきれいに薄く2枚になっていた。よほど
固いものを噛んだに違いない。そういえば、痛みが取れた嬉しさ
のあまり、固いものを思い切り噛んだことが思い浮かんだ。大後悔。

入れるまでは時間が掛かる。今は大きな穴が開いたままである。
その間に2回の尺八出演があり、何とか無事にこなすことが出来た。
早く穴埋めしたいがお盆休みもあり、長期戦になりそうな雲行き。
101才の母は入れ歯を新調、食は細いが楽しそうに食べている。
長生きするには歯を丈夫にし、口内の清潔が大事と雑誌にあった。
歯ぎしりも出来ず、元気に食事する母を横目で見て、自重の毎日。
第3回「同舟会絵画展」開催のお知らせ [2014年08月03日(Sun)]



在仙マスコミ各社のOB達がかっての取材合戦を忘れ、好きな
絵画で競い合う絵画展が開催される。3回目の展覧会となる。

日時は8月5日(火)〜10日(日)10時〜18時
場所は東北電力グリーンプラザ展示室。

今回の趣向の目玉は在社中、もっとも思い出深い出来事を作品に
仕上げ、展示することになっている。私はあれこれ思い悩んだ
挙句、ちょうど20年前に開催された社内文化祭を取り上げた。

何故、会社で突如文化祭が開かれることになったか?それは社内
の大改革を行う時期に全体の意思疎通を図る意味があったのでは
と推測する。当時、酒好きで飲みながら様々なアイデアを集約す
る切れ者の上司がいた。当時、私は総務部長で総務局をまとめる
立場にあり、思案して寸劇をやることに決めた。実は以前、組合
のクリスマスパーティでその1年間の大きな出来事をパントマイ
ムで演出した経験があった。まず最初に演目と主役を考えた。

ちょうど津軽三味線を習っている若手を主役に抜擢。演目は高橋
竹山の一生を描く「風雪流れ旅」と決めた。それからは仕事の合
間を見つけてはワープロにセリフを打ち続けた。そして役の割り
付けは回りを見ながら、適役を探し、その人を口説いた。
下合わせのはじめは遠慮しながらの演技であったが、次第に熱を
帯び真剣な舞台となった。なるべく多くの人に出てもらうために
若いどさ回りの修行時代から芸術家として大成した竹山時代まで
5幕ものとなった。中にごぜのおりんとの濡れ場まで作った。

本番では興奮した観客が舞台に上がって投げ銭までしてくれた。
幕は無かったので、大勢の人が黒い大きな布の端を高く上げて走
りながら幕を引いた。最後は幕を離して総出でカーテンコールを
した。劇団総務局四季の「風雪流れ旅」は見事一力会長賞を受賞。

この熱気と名場面の数々は私にとって忘れられないものとなった。
その1場面を10号の画面に表してみた。風雪の中でおりんと出
会う場面である。劇に参加した人をできるだけ多く招待した。
後の2点は6号で「春景 政宗像」「魚影」。ぜひご高覧下さい。



りっちゃんの転落した海 [2014年07月30日(Wed)]


まだ梅雨が明けないというのに、真夏並みの暑さが続いている。
海が恋しくなる季節到来である。息子のタクは海釣りが大好きだ。
よく休日に子供を連れて、海へ出かける。私は釣りには興味が無い。
いつ釣れるか分からないのに、何時間もじっとしていられない。
そんな時間があれば尺八を吹いて待っていた方がいいと思うのだ。
そのくせ釣れた魚は「新鮮で旨い」と言って酒のつまみにしている。

爽やかに晴れたある休日、タクに一家で海釣りにいくがどうかと誘
われた。折角だから、海のスケッチでもするかと誘いに乗った。
5人を乗せた車は30分もすると奥松島の美しい浜に着いた。
何とも清々しい。船着き場があり、コンクリートの堤防が海に向か
い伸びていた。釣り場を探し、堤防の先端に向かって歩いている時、
タクが不意に言った。「ここだよな。リッちゃんが落ちたのは」と。
指さす先を見ると途中から道幅が半分になっている。下を覗くと、
何と2メートル以上ある。ガリガリとした荒削りのコンクリの半畳
ほどのたたき台が見える。深緑の海がすれすれに迫っている。

私は思わず血の気が引く思いがした。2年前の出来事が蘇る。
ここからたたき落ちてよくぞ軽傷で済んだものだ。まさに奇跡だ。
りっちゃんは沖に浮かぶ船を見ながら歩いており、道幅が半分に
なっていることにまったく気づかなかった。落ちた瞬間はきっと
不意に宙に浮いた感じだったに違いない。幸いが重なった。
抱えていた衣類がクッションになった。出血が大量だったが、
あごを貝殻で切っただけで済んだ。傷も残らなかった。
また干潮時でたたき台が海に沈んでいなかったため助かった。
満潮では気が動転して、助けも間に合わなかっただろう。

話を聞いて想像したより、はるかに現場は厳しい状況だった。
身の毛が逆立つ思いだ。ご先祖さまに救われたとしか思えない。
しばらく動揺が収まらず、スケッチどころではなかった。
本人は何度も来ているせいか屈託なく、釣り糸を垂れている。
2時間もした頃、ようやく一枚描き終え、皆でにぎりを食べた。
さっぱり魚は釣れず、私は浜辺を散策し孫2人と棒で砂浜に大
きな絵を描いたり、砂の城を作ったりして遊んだ。
いい気分転換になったが、怖い思いの浜辺の遊びとなった。


黒き瞳との出会い [2014年07月13日(Sun)]



ある朝、玄関で空を見上げていると、何やら家の裏の細い路地に動く気配。
見ると、何と生まれたばかりの小さな子猫が草むらの中で跳ねている。
しかも一匹ではない。その時は3匹見つけたが、正確には5匹いたのだ。

近寄ると、走って逃げた先が洗面所の下の通気口。ここで生まれたのか。
そういえば黒猫を家の周りでよく見かけていた。まさか私の家の下で生む
とはと大いに驚く。ウ〜ン 生んだばかりの子猫をむげに追い出す訳にも
いかない。しばらくはそっとしておくことにして家人にも内緒にしていた。
子猫は成長とともに行動範囲が広がり、遊びに来ていた弟にも見つかった。
「猫の習性で子猫を連れて出ていくよ」と言う。

そのうち親猫とバッチし会ってしまった。しかも目の前1mくらい間近。
風呂に入ろうと窓の方を見ると何と網戸越しにこちらをじっと凝視する
黒い瞳にくぎ付けになってしまった。
体は黒いが瞳はもっと黒く輝き、強い意志を感じられ魅入ってしまう。
裸のまま見つめ合っていた。彼女は外の階段の遊び場で子猫に乳をやり
ながら寝そべっていたのだ。私の目に敵意がないのを見抜いたのか逃げ
ようとしなかった。それから間もなく黒猫一家はふっと姿を消した。

5匹はすべて黒であるがみんな特徴があった。ネズミ色や鼻白、胸が白、
毛がもじゃもじゃな奴もいた。密やかに観察する楽しみを失ってしまった。
ついでがあったので、知り合いの大工さんに通気口に網を張ってもらった。
張り終わったその日の夕刻、黒猫一家が姿を現した。

子猫は2匹に減っていた。風呂場でまた再会する。体はやつれていたが、
黒き瞳は依然と少しも変わらずに凛としていた。
3匹はどこで失ってしまったのか聞く由もないが、2匹を抱えた姿はいじ
らしい。子猫の鼻白と胸白はだいぶ大きくなったが、まだ乳を飲む仕草を
する。梅雨時に家をロックアウトされた境遇に何か気の毒な気がした。
この日から餌を与えることにした。食べ物の余りもので冷蔵庫にいつまで
も眠っているものなどを近所の目がうるさいので、こっそりと裏の路地に
箱を置き、入れている。4〜5日してまた姿を消した。しかし餌は必ず空
になっている。黒き瞳はたくましく子育てしているのだろう。
三種の神器紛失騒動 救世主は? [2014年07月10日(Thu)]


失ってみていかに大事なものか思い知らされるのは恋人とは限らない。
私にとって三種の神器ともいえる宝物は財布、手帳、携帯電話の三つ。
ある時、何とこれを入れていた小型のカバンを紛失してしまったのだ。
さあ大変。一番困るのは明日からどう動けばいいのか分からないこと。
大いにパニクッてしまった。冷静にと言い聞かせながら心当たりを探す。
まずは自分の部屋を徹底的に隅から隅まで探す。お陰で少し整理が進む。

次に昨日の行動を順序良く思い出して見る。まず外出先はM先輩を施設
に見舞い、次に年老いた恩師K先生を理髪するために弟の優のところに
車で連れて行ったこと。この二か所に絞られた。施設に電話したら届い
ておりませんとの返事。さすれば優のところしかないと電話するが無い
という。どうしても納得がいかず翌朝早くに優宅に行きゆっくりと思い
出しながら階段を上がり椅子に腰かけて見る。優も家族総出で家探しし
てくれていた。整理された部屋には紛れ込む隙間も無い。えーッと頭を
抱えてしまう。

すると優がそういえば娘が携帯を無くしたときに携帯の会社に頼んで
探してもらったことを話してくれる。渡りに舟とばかりに家の近くの
携帯会社に行って事情を説明する。向こうは慣れているらしく調べま
すがそのためには新たな契約をという。金に糸目はつけない覚悟だから
すぐに応じる。数時間後に待っていた連絡が入る。「落合駅から3キロ
周辺にある」と判明。とすれば、K先生宅しかない。
安堵感が拡がるが、果たしてそうか不安も抱えながら駆け付けて見る。
先生の奥さんも寝たきりでヘルパーさんが来ていた。事情を説明すると
探してくれ、これですかと差し出してくれたカバンはまさしく探し物。

「オオッ これです」と欣喜雀躍。何故思いだせなかったのだろうか?
先生を抱えながら車で送り迎えしたことだけしか頭になく、先生を送っ
た時に部屋まで行き、寝ている奥さんと話し込んだことをすっかり忘れ
ていたのだ。その時にカバンを置いてきてしまったのだ。何たる失態。
帰りしな優宅に寄り、途中のスーパーで買ったビールやケーキなどを
お詫びにと差し出す。「いや〜よかった。これで疑いが晴れた」と嫌味。
後日、この優も財布を落としてしまう。幸い金は抜き取られたが無事に
警察に届いていた。
この騒動で感心したのは人工衛星の探知能力である。私の携帯の電波
をキャッチしてくれるなんて素晴らしいと感謝感激である。反面、
世界中の些細な動きまでキャッチできる能力は空恐ろしい気がする。

都山流とざんりゅうトザンリュウの日々 [2014年07月05日(Sat)]



明日で6月が終わる。もう今年の半分が過ぎてしまったことになる。
名残を惜しむかのように大雨が降った。雷鳴轟く中で都山流尺八の
師範・准師範の検定試験が仙台市民会館で行われた。

受験者は京都や長野など全国から15名が集まった。異色はスイス
の女性。試験会場に入る前に気持ちを落ち着かせるため水を飲んだ。
周りの人に「お酒ならいいのにね」と冗談を言う余裕を見せる。
聞こえてくる音色はとても流麗で感性が伝わってくる。結果は2位。

トップは郡山から来た若手男性。東京芸大の筝曲部を昨年卒業。
師匠は尺八界の貴公子として全国的に有名な藤原道山。そのご本人が
受験現場に突如現れたのである。応援に東京から駆け付けたのだ。
かねてからどんな感じの人か話してみたかった。まさに好機到来。

受験現場の責任者のものですと言って自己紹介をする。名刺を差し
出すと私は持っていないのでと言って小さな紙包みを渡される。
後で解くと、中は綺麗な布袋に有名な糸方との古曲合奏のCDが入
っていた。何よりと喜ぶ。立ち話だったが結構話が盛り上がった。
イケメンで近寄り難い感じだったが、実にさっぱりした気さくな人柄
が伝わってくる。スタイルも美的なセンスも良い。これじゃ人気が出
て当たり前である。このトップになった弟子と芸大で同級だったのが
宮城県の佐藤皖山氏の息子で、これまた准師範をトップで合格した。

若手の台頭は後継者不足の邦楽界にあって本当に喜ばしい限りである。
前夜の検定委員との夕食会では地元から6人が参加。懇親を深めた。
同月の福島市で行われた本曲講習会では講師と理事長と昼食で懇談。
前月は仙台で行われた楽理の講習会で京都から来た本部講師と懇談。
2か月間に3回も都山流行事で本部役員と懇親を深めたのは嬉しい
限りであるがいささか気疲れもする。しかしどうせやるなら支部長の
役目を楽しみながらこなせたら最高と思う。今日の手伝いは役員以外
の2人を含め、15人も来てくれた。感謝するばかりである。

5人が師範試験不合格となった。人生失敗して強くなるもの。次回を
期して奮起して欲しいと願う。尺八を続けるときっと素晴らしい竹の
ご縁に恵まれること請け合いである。これだけは私の55年の尺八人
生を振り返って自信を持って言える。ホントにありがとう。
その後の近況報告 [2014年06月21日(Sat)]


3月の「寒山春光」の報告後、3か月以上ブログを空けてしまいました。
燃え尽き症候群か病気したのかとご心配された向きもあるようですがハイ
大丈夫元気です。このところ立て続けに行事があり過ぎ、てんてこ舞いなが
ら、ドキドキわくわくしながら何とか寄せ来る波を乗り越えています。

何から話していいか迷っています。徐々に思いつくままお伝えしていきます。
一番大きな仕事は仙台三曲協会の6月8日の総会までの準備でした。なにせ
3月の理事会で会長が突如交代。理事・幹事も大幅に変動。新しい体制を紹
介する意味もあり、5月初めに異例の開催。そして今月の総会開催。この総
会を目指し、会報「杜のひびき」10号を4ページ建てで発行。
その総会が60年近い協会の歴史上かって無い大もめ。会長の任期について
総会の承認前に新会長が活動するのはおかしいというもの。もんだ挙句、時
間は戻せないので、次回の交代期に考えることで決着。730名近い会員を
抱える協会の運営が岩崎郷山新会長に任されたが、今回も引き続き副会長を
引き受け、企画・広報委員長兼務も加わり、責任の重さを感じている。

も一つの大きな組織である(公・社)宮城県芸術協会の総会も5月31日に
あり、今回も引き続き、理事に選出された。今年から長唄部門と三曲が一緒
になり邦楽部となった。奇しくも今年は芸協の50周年の年。10月5日の開
演に向けて、曲の選定から出演者まで決め、下合わせも始まる。

そして私が支部長を務める都山流尺八宮城県支部も行事が続く。特に今年は
本部の行事が加わった。5月11日は楽理の講習会が日立ホール、6月15は
福島市で本曲講習会、6月29日は師範・准師範の試験が仙台で開催。各々
場所の設営から本部や会員との連絡が多い。

富谷ライオンズクラブは今年15周年。4月18日に式典を開催。私も14年間
在籍。地元の人間でないのに縁があって続けてきたが、さすがに息切れ。
この式典を見収めて退会を決意した。親しい仲間も多く名残が惜しかった。

この間、旅行は大阪・奈良飛鳥、山形肘折温泉、そして母の101才のお祝い
を作並一の坊で兄弟5人が集まり挙行。機会あれば別稿で紹介したい。
ゴルフも波瀾万丈。200名近いコンペを含め2回優勝。2位が2回と気持ち悪
い位のっている。のったついでに宝くじを買ってみたが6等止まり。やっぱり。
まあ、当たらないで幸せと思っている。
その他、パソコン・印刷機の怪、トイレ事件、黒ネコ騒動、安楽死問題、明智
光秀の真相、孫の岸壁転落現場の実見など話題満載であるがはたしてどこまで
紹介できるかはスケジュールの展開次第またこちらの理由が大きいが気分次第。
ではまたごきげんよう。さようなら。 ハイ 朝ドラは欠かさず見ています。

母の満百才の誕生日 そして大晦日 [2014年01月02日(Thu)]


2013年の1年の一番大きな出来事は何と言っても
母マサ子が満百才の誕生日を無事に迎えたことだ。
その日12月20日は朝から雨模様。
祝う会は息子の都合で、日曜日に終わっていた。
肝心の誕生日の当日に何も無いとはあまりに淋しい。
幸い、この日はデーサービスがお休みの日であった。
温泉でも連れて行き、お昼を食べてくるのはどうか。

思い立って直ぐに身軽な盛岡の弟トクに電話。了承。
また弟ユーの嫁の公恵さんにも介護役をお願いした。
そこで、近場の秋保温泉のホテル佐勘に個室を予約。
準備万端が整い安堵した途端、アクシデントが発生。

前日の昼、母は急に右足が激痛。デーから戻ってくる。
しかし不思議にも家にたどり着いたら痛みが消えた。
大事を取り、ベットに休ませる時に内緒にしていた
明日のサプライズを母に話す。母の驚きは大きかった。
翌日、母の体調は不漁気味だが、本人は行く気満々。

トクを東仙台で拾うが金曜日の雨ときて車は大渋滞。
途中、母が補聴器の電池が切れて聞こえないと言う。
急きょ、鶴ヶ谷のパリミキに戻り、電池を購入する。
時間食ったが、公恵さんも無事同乗し4人揃う。

秋保に近づくにつれて雨模様が霙に変わり、着く頃
はすっかり雪景色になった。旅館で用意した車いす
に母を乗せて、部屋に到着。障子を開けると見事な
銀世界。赤い橋と水量の増した滝が印象的だ。

母はパスしたが、温かい湯に浸かり、和食で腹を
満たした。母も珍しく食が進む。トクと私が尺八を
交互に吹く。バックの雪景色が狩野派の絵の中にい
る錯覚を覚える。早春賦などは母も口づさんでいた。

3時間弱だったが、実に濃密な誕生会となった。
母は翌日から足痛がぶり返し、ベットに寝ている日が
続いたが、不死身のマサ子は甦った。元日2日前には
髪を洗いに行くと私の車で弟ユウの理髪店へ出かけた。
トボトボながら歩けるようになったのだ。

今、2013年の大晦日。TVから除夜の鐘が聞こえる。
さて明日からは母の101才の新たな年を迎える。
どんな年になるのだろうか。薄氷を踏む思いがするが
未知の世界に一緒に踏み込むドキドキ感もある。また
母に勇気とユーモアをもらうのを楽しみにしよう。
星野富弘の花の詩画展 [2013年12月04日(Wed)]



すごい人が入るものだ。首から下は完全麻痺。口にくわえた筆で
素晴らしい詩と絵を描く。山登りや体操の好きな青年教師がある日、
突然打ち所が悪く寝たきりになる。理不尽な境遇に苛立ちを募らせ、
自暴自棄になり、母を罵り、八つ当たりする。

やがてその口に筆をくわえ、字を書くようになり、枕元の花を描く
ようになる。本人は言う。「大阪万博の1970年。23才の時、大怪
我をして、絶望のあまり生きていても仕方がない。早く死にたいと
思いました。しかし死にたいと思っても時間がくれば原は減るし、
心臓は正確に動いているし、身体は一生懸命生きようとしている。
自分の意思とは違う大きな力が私の身体を生かそうとしている。
枕元の花をじっと見ていると雑草の花まで何か大きな力が働いて
いるような気がした。お見舞いの手紙に返事が書きたくて口に筆を
くわえ文字の練習を始め、何とか書けるようになったが、紙の余白
が出来てしまい、その余白に花の絵を描いているうちに 。それが
詩画の作品の原点になりました」

書き溜めたものを展示したところ大きな反響を呼び、全国に広まり、
美術館ができるまでになった。すべてを失い、心が空っぽになった
時、人を感動させる詩や絵が生まれることを学ばせてもらった。
一番に見せたい人は一番苦労をかけたお母さんだという。
「母の手は菊の花に似ている。固く握りしめそれでいてやわらかな」

2年間「きれいだ、すごい」と心から感心したように言う女性と
結婚した。傷つけるので結婚指輪はいらないという。
「私は傷を持っている。でもその傷のところからあなたのやさしさが
しみてくる」。
首から下の身体に神経がない人からこれだけ感動させられるとは
思いもよらなかった。人の不思議さを思い、文学館の裏山の真っ赤な
紅葉を眺めながら帰途についた。