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灼熱の名古屋、冷水あふれる郡上八幡 [2015年08月06日(Thu)]


8月1日から2日間、名古屋で都山流尺八講習会が開催された。
毎年この時期に開催される恒例の行事であるが、何かが起こる。
去年は高知で、台風の直撃で氾濫警報が鳴る川の側で行われた。
今年は何と35度以上が連日続く、異常な猛暑の中である。
近くの多治見では39.9度を観測した。まさに風呂のお湯だ。
極力、会場のホテルから出ないようにしたが昼食時間はピーク。
海が近いせいかむっとする湿気が加わり、どっと汗が噴き出る。
講習会場はとても広いが、3百人超の熱気で息苦しくなる。
しかし、ユーモアあふれる各講師のお陰で効率よく終わった。

1日目終了後、宗家を囲み懇親会が開催され全国の仲間と懇談。
2日目終了後はご当地のグッチ教授が訪ねて来た。国文学専攻。
地唄の歌詞研究の第一人者である。宮城県から参加の岩崎氏と
3人で夕食をとりながら懇談。明日は彼の車で郡上八幡に行く
ことに決まった。翌日、彼の家近くの駅で合流。高速を飛ばす
こと約1時間。岐阜の山にぶつかったところを下りると長良川。
その支流の吉田川沿いの町が目的地の郡上八幡である。

泉が付近一帯から噴き出て、それが小さな川となって町の中を
巡って流れている。グッチ氏が気の利いたものを用意していた。
それは草履である。早速、草履に履き替えたら浅瀬を渡る。
冷たい水に思わず悲鳴を上げる。夏祭りが近いので混雑が予想
されたが意外に人影はまばら。川には鮎釣りが何人かいる程度。
町は中国人の団体と家族ずれと出会う位だ。私と先生は半ズボ
ンで正解。岩崎氏はズボンをめくって小川をさかのぼる。

水があまりに冷たく1分とは入っていれない。グッチは乙姫川
をさかのぼり、人気のない隠れスポットに導く。そこは大きな
小屋の下で水を堰き止めている所で、日陰で腰を掛けながら、
足を水に浸しておける。人は全く来ない。ゆっくりと過ごした。

昼飯はお目当ての鰻だ。吉田屋ホテルの美濃錦でうな重を注文。
パリッとした歯ごたえある焼きで、ご飯の中にまた鰻がある。
町を流れる小川では子供たちが水遊びに興じている。その近く
の大きな旧家に入る。そこでは氷水を食べさせてくれる。
これがまた美味。氷を5ミリ位の粒にしてそれに抹茶やキャラ
メルをまぶし、白玉やあんが入っている。水が良いので氷が美
味しい。こんな美味しい氷水は初めてだ。不思議に頭痛もない。

4時間も遊んだ頃、にわかに曇りだしたと思ったら大粒の雨が
降り出した。おまけに雷が稲妻と共にドカンドカンと鳴り響く。
いち早く気配で、グッチ先生は車をとりに駆けだして行った。
その間、土産屋で買い物をして待つ。程なく車で郡上とお別れ。
20分も走ると晴れている。まさに山の天気の変わりやすさだ。
下界の名古屋は猛暑の最中。10度も温度が上がった感じだ。
まさに砂漠の中のオアシスのような桃源郷で遊んできた心地。
グッチ先生に心からの感謝をして別れ、名古屋を後にした。 




春の先駆け 京での梅花巡り [2015年03月04日(Wed)]



2月21日に京都で都山流尺八楽会の支部長・評議員会があった。
午後の会議前に折角の京都を見物しようと3名でタクシーを呼ぶ。
前にも何回か案内した運転手さんが気さくに要望を聞いてくれる。
今回は春の先駆けの梅花を見る。また生田検校の墓の発見である。
まず向かったのは北野天満宮。ちょうどこの日から梅花祭が開幕。
時間が早いのか人もまばら。境内の梅もまばらに咲いている程度。
自分の誕生日も近いのでおみくじを引いてみる。何と「大吉」や。
小さな紙切れ一枚で気分は軽く晴れやかになる。何とも不思議だ。
次に東へ進路をとり、鳥辺山の麓にある実報寺を訪ねる。事前に
電話を入れて場所を聞くと清水寺の近くらしい。運ちゃんの勘で
何とか辿り着く。観光の寺ではない。普通の日蓮宗のお寺なので
お墓のあり場所も聞かないと分からない。意外にも白く新しい大
きな墓石であった。理由は昨年、没後300年で新設したらしい。
昨年訪ねた八橋検校が没後330年とのこと。墓地からは京都の
西南が一望できる。北の化野、蓮台野と並び昔からの3大墓所。
筝との合奏ができることに感謝し参拝。その後、南へと向かう。
運ちゃんの地元という「城南宮」に到着。観光客はまばらである。
京都では着物姿で街を歩く男女が多く目についた。ようやく日本
人も和服の良さが分かってきたのかと嬉しくなった。が残念なが
らほとんどの人が中国、台湾、韓国の人が貸衣装を着ているのが
実態なそうだ。確かに近くに寄ると言葉が分からない。しかし
この城南宮には都心から離れているせいか来ることは無いという。
南だけあって早くも梅は赤白の花を咲かせ、高貴な香りが漂よう。
庭もゆったりと散策できた。地元出身の運ちゃんに感謝である。
会場の聖護院近くのラーメン屋前で下車し運ちゃんと別れ、昼食。
京都の春の先駆けを見たぞと自慢したくなる3時間の観光でした。

お酒の好きな人におすすめコース。前日、京都に住む小学生時代
の友人W君と飲んだお酒は下戸の私でさえ美味いと思わず叫んだ。
場所は伏見。人気の少ない東福寺や明暗寺の石碑「吹禅」を見て
伏見稲荷大社まで徒歩で汗をかき、京阪電車の伏見桃山駅で下車。
酒蔵の立ち並ぶ伏見の街をぶらつくと、寺田屋や酒の記念館など
に出くわす。お目当ての十石船は残念ながら川の水不足でお休み。
そして辿り着いたのが「神聖」の酒蔵を改造した居酒屋風な店。
ここの搾りたての原酒が度数は強いが、水のようにすィーと喉を
通過した後、馥郁たる香りが余韻のごとく口の中に残るのである。

京都3日目に意外なところで、満開の梅花に出会うことが出来た。
智積院である。前日に時間切れで見落とした寺である。紀州根来
から家康時代に再建された。長谷川等伯の屏風絵が飾ってあった。
その絵もさることながら、寺の瓦をバックに粉ぬか雨に濡れた紅
梅の鮮やかさはまさに春の先駆けであった。この3日間の京都は
直に春を体験させてくれ、大きな力を頂いた。帰宅後、玄関脇の
固く蕾を閉ざした梅の木を見ても少しの辛抱と余裕で見ている。


未曽有の高知雨台風 余話 [2014年08月22日(Fri)]


高知滞在の8月1〜3日の3日間は毎日、台風情報を注視していた。
お陰で台風に少し詳しくなった。今回は何故、局地的に雨が多かっ
たのか?解説によると、四国山脈の南で速度の遅い台風と高気圧が
合流し、積乱雲を次々と発生していたというのだ。この現象には
立派な名前がついていて、「バックビルディング現象」と言う。

例年の8月の2〜3倍の雨量を3日間で降らせた。当然のごとく、
河川は氾濫し、高知県内で246棟が浸水、道路や鉄道は各所で山
崩れや冠水のため遮断。高知市内の16万2千世帯、33万7千人
に避難勧告が出されるという異常事態になった。
こんな中、よく2日間の尺八講習を滞りなく終えて、帰って来られ
たものと我ながら不思議な感じがする。

3泊したのは駅前の「スーパーホテル高知」。昨年できたばかりの
最新ビジネスホテル。オートロックで番号を6桁入れる仕組み。
外出にはこの番号をどこかにメモしておかねばならない。温泉付き。
近くの温泉の原湯を運んでいる。一番気に入ったのは1泊4千円と
低料金。しかも朝食が豪華バイキング。毎朝、違うメニューが揃う。

ここの受付嬢の笑顔がまた良い。一人で受付から食器の片づけまで
こなす。この笑顔には随分と雨で湿りがちな気持ちが救われた。
そして驚いたことに、この女性が「実は私、仙台なんです」と話し
てくれた。「えっー」と一同、思わず声を上げた。高知の女性はと
褒めるつもりだったが、「ウーン」と一同、仙台を見直した次第。

さて、このホテルではいいことばかりは続かなかった。内緒にした
い恥ずかしい話なのだ。旅の恥はかき捨てて思い切って話そうか。
雨で下着の取り換えが多くなり、残り少なくなった。温泉の帰り
大きな洗濯機が2つあるのが目に入った。見ると粉石けんや乾燥
機もついて100円で使用できる。洗濯機を使ったことがないが
何か自分でもできる気がしてきた。ここで経験しておくのも悪く
ないと、部屋から溜まっていた下着類を持ってきて洗濯機に入れ、
カップ一杯の粉石けんを入れ、コインを入れてスイッチを押した。
後は出来上がりを待ち乾燥機に入れれば終わり。「オー簡単ヤ」

ところがそう甘くはなかった。時間つぶしに近くで新聞を広げて
いると、中年男が大きい声で「おれの洗濯機がまた回わっている」
と受付の男性を連れて走っていく。いや〜な予感が背筋に走る。
私も現場に直行する。やはり紛れもなく、私が入れた洗濯機だった。

ちょっと見て、空だと思ったが先客がヘリにへばりついていたのだ。
怒り狂う男に謝ったが、しかし事態は進展しないので止めた洗濯機
から私のものを選り分けて取り出すしかない。すっかり混ざった
ものから取り出すのは至難の業。見かねた男は自分がやると言って
選り分けては、自分のものを隣の洗濯機に手際よく入れていく。
やがて完了。洗濯機を回して、「またやり直しだ」と引き揚げた。

こちらも赤面しながら、やり直しして、乾燥機に2度かけて乾かす。
人間は失敗して覚えると言うが、どうも自分の失敗は派手である。
翌日フロントからビニール袋に入ったパンツと靴下1足が戻った。
何故か靴下一つが残った。相手のものか自分のものか分からず仕舞。
恥の記念として持ち帰ったが、思い出したくないので帰宅後捨てた。

羽田まで行ける見通しがついた時点で空港からホテルにキャンセル
の電話をいれた。彼女が明るい声で、「どうぞお気をつけてお帰り
下さい。お元気で」と親しみを込めて話してくれた。「貴女も元気
に頑張って下さい」「はいありがとうございます」と言って別れた。
我々の滞在していた間の少しの時間だけでも、ふるさと仙台のこと
を彼女は思ったのではないだろうか。
雨地獄 高知からの脱出 [2014年08月18日(Mon)]


 雨は2日間の講習中、ある時は激しくまた静かに降り続いた。
全国都山流尺八講習会は水かさの増す鏡川河畔の三翠園で開催。
台風12号は停滞、ゆっくりと自転車並みの速度で北上。その間、
3か月分の雨量を3日間で絨毯爆弾のように水を落としていた。

「ルルルル―」と甲高い音が突然、会場のあちこちから流れた。
250名超の参加者の携帯から緊急警報が発せられているのだ。
講師も話を中断して様子を窺う。役所に勤める会員が状況を聞
いて来て報告。「危険水域に迫っているが、引き潮なので動かず
にいる方が良い」。やや安心して、2日間の講習を何とか終えた。

今回の講習会のお世話いただいた高知県支部の方々全員が申し訳
なさそうにして「お気をつけてお帰り下さい」と見送ってくれた。
私は山ア愛山支部長に「荒天はあなたのせいではありませんよ」と
声をかけ、笑って別れた。高知県支部の人達のこの1年間のご苦労
は大変なもの。心より感謝。外は土砂降り。タクシーを待つ人で長い
行列ができた。実はこの日、妹のいる松江まで行く予定だったが、
鉄道は運休。道路もあちこち寸断。とても岡山まで抜けられない。
あきらめてもう1泊することに決め、明日、様子を見ることにした。

ホテルの紹介で、近くにいい店があるというので小降りの外に出た。
その店は「たたきや」の名の通り、鰹のたたきが売り物。これで3
日間連続、たたきにありつけた。が、いささか食傷気味。ところが
看板だけのことはあった。特に塩たたきは絶品。4人の仲間は満足。
そこに現れたのが何と松江の尺八の仲間である。先から飲んでいた
らしくすでに出来上がっていて、雨も忘れて盛り上がった。

翌朝のトップニュースは相変わらず、高知の台風被害を報じている。
意を決し松江行をあきらめ、動いているという龍馬空港に向かった。
がらんとした高知駅とは対照的に空港は混雑していた。あらかじめ
帰途用に予約していた出雲空港発をキャンセル。便を調べると30
分遅れの羽田行きに空きがある。しかもシニアの窓際の優先席確保。
台風のぶ厚い雲の上に出ると、太陽の光注ぐ青空がまぶしかった。

わずか1時間20分で羽田に到着。新幹線と在来線乗り継いで8時間
を考えると「便利は人間にとって幸せか」の疑問はどこへやら?
文明の利器のありがたさが今回は特に身に染みた。

妹に先送りした土産の白松最中は空しくなったが、優しい妹の言葉。
「今度来るときは土産はいらないからね」まあ、しゃ〜ないね。

その後台風11号が連続して高知を襲った。いまだ交通手段は遮断。
ところが先日のニュースによると、高知の名物「よさこい祭り」が
前夜祭は中止になったが、本祭りは予定通り華々しく挙行された由。
さすが龍馬、慎太郎、半平太をはじめ志士の出どこと感心した。
雨台風の真只中 高知での出来事 [2014年08月17日(Sun)]


今年の夏の都山流尺八講習は四国の高知で開かれた。遠くて暑いぜ。
それに南海地震での津波が来たら逃げ場がない。命の危険があるぜ。
今回は棄権に傾いたところ、友人が地震をあてる有名な学者の話を
紹介。それによると3年前の東日本大地震で解消され当分起きない。
その説に勇気づけられ、急きょ参加を決定。宮城県から3人が出席。

往きは新幹線と特急を乗り継いで8時間半の長旅。新大阪でラーメ
ンをすすり、岡山から「南風」で瀬戸大橋を渡る。海に浮かぶ島や
船を下に見ながら結構な時間がかかった。四国の背骨を超えると急
に列車は速度を増した。高知駅に到着。駅の近くのホテルに向かう。
けれども、あるはずのホテルは見当たらない。代わりに病院がある。
嫌な予感が走る。ホテルの名前を言ってもさあと言って分からない。
結局、一回りして駅に戻ったところで反対方向に出たことに気づく。

駅を起点にまさに対角線上にそのホテルの看板が見えるではないか。
相棒もがっくり。受付嬢に聞くと、昨年暮れに出来たばかりと言う。
雨が降り出していたが、荷物を置いて、ネットで予約していた寿司
店にタクシーで向かう。ここで出された鰹のたたきは逸品。この店
も開店して間もない。仙台からと聞いて店主が驚いていた。

講習会は2日目の午後からなので車で「寺田寅彦記念館」に向かう。
小学校の同級生の母方の祖父にあたり、彼と飲むと話題になった。
一度、独自の世界観を持つ寺田寅彦博士の育った家を訪れたいと思
っていた。お城の側の平屋の大きな昔風な家である。一度焼失して
再建され20数年と言うから比較的新しい。開け放たれた縁側から
庭越しに緑の樹木が見渡せる。昔、刑務所の跡が公園になったそう。

中年の案内嬢の説明を聞いている内、にわかに空が掻き曇り、強風
が吹き荒れ、雨が室内に吹き込んできた。ゆったりと話していた彼
女も大いに慌てて、雨戸をわらわらと閉め出した。薄暗い広い座敷
にぽつねんと座していると、戸を閉め終わった彼女が気の毒がって
最近の博士に関わる小冊子を手渡してくれた。車が着くまでの間、
見ていた。博士は3度結婚して、友人は2度目の妻の次女弥生の次
男だったことが初めて分かった。人の家系はどうでもいいが、清純
そうで優しかった彼の母弥生さんは単純な家庭では無かったのかも。

タクシーを呼び、小降りになった中を会場の「三翠園」に向かう。
ここでは高校の同級生と会う約束をしていた。彼は同志社を卒業し
高知新聞社に勤め、定年を迎えた。私が大阪勤務時代に一度会った。
それから30年近い年月が経過。果たして見分けがつくだろうか。
約束の時間が近づく。広いロビーをウロウロ歩きながら探している
と、目の前の小柄な老人が傘を杖代わりに、よたよたと歩いている。

売店の女の子に大きな声で「長いこと会っていない友人に会う」と
話している。これは間違いないと判断。名前を呼ぶと振り返った。
「いや〜」と笑う顔は間違いなく彼だった。昼食を取りながら歓談。
軽い脳梗塞を患っていた。動作が緩慢なのはそのせいであった。

彼とは学生時代の最後の夏に私が京都に押しかけ、彼の下宿先に米
を持参して一週間ほど滞留したことがある。古都巡りが目的だった
が、暑さで昼はほとんど外出せず、夜の京都を彷徨っていた。しか
し鉾祭り、宇治巡り、そして北野天満の下宿の長くて天井の高い家
の造りなど猛烈な暑さと共に記憶に生々しい。昔話に花が咲いた。
彼は婿に入り、苗字も替わった。子供や孫もいる。こちらに骨を埋
める覚悟である。別れ際、彼は「死ぬ前に一度仙台に行って見たい」
と笑いながら少し淋しげに話した。「早目に来いよ」と言って別れた。
(この項続く)
炎暑に石の記憶を聞く   宮城県芸術協会海外研修 アンコールワットの旅 [2013年12月08日(Sun)]



出発の11月25日、空港で見送りに見えた早坂理事長は
「大いに遊びなさい。芸の肥やしになりますから」と挨拶。
一行13名を乗せたアシアナ機は仁川に寄り、3時間待ち。
目的地のシェムリアップまで9時間20分かかる。ホテルで
足を伸ばして熟睡。今回の旅の特徴は3日間、同じホテル。
荷物の詰め替え無しで超余裕。
翌朝、夏服に脱皮。半ズボン姿で表に出る。南国の空の下
は気温30度近くで蒸暑い。まずはアンコールトムに出発。
12C後半の城街で巾220mの堀が1.5km四方に巡らさ
れている。石の建造物は傷みが激しい。
当時の王は仏教に帰依していたため、後にヒンズー教によ
って破壊された。
午後からは近くのアンコールワットを見学。12C初め、
ヒンズー教の寺として建造。見上げる高さは65m。
町の建造物は皆これより低くする規則いなっている。
下から見上げる塔は迫力満点だ。50度超の勾配は手摺が
あるとはいえ、かなりキツイ。汗が目に入る。下を見ない
ようにして一段ずつよじ登る。
重いカメラを持った先輩は「イヤー来てえがったな」と
満足気にシャッターを切る。
ホテルで一眠りして夕日鑑賞に出る。プレループは小ぶり
の寺院ながら、大きな石段だ。この上も観光客が多いが、
赤い夕日は憎いほど二人のシルエットを浮き上がらせる。
ロマンな気分で夕食時に伝統舞踏の「アップサラダンス」
を鑑賞。民族衣装に身を包み、指先をしなやかに曲げて踊る。
ラマヤナー影絵と共に10年前に世界遺産に登録された。
3日目、早朝5時に出発。アンコールワットから昇る朝
日を見るために暗い道を懐中電灯で足元を照らして進む。
すでに観光客は蓮のある池の周りにびっしりとたむろして
いる。日の出前からしだいに明るくなり始め、アンコール
の遺跡のベールを明けていく。
朝食後、東洋のモナリザと呼ばれる石彫が有名なバンデ
アイスレイを見る。ここの彫刻はすべて女性の手による。
細かい細工が特徴。これも世界遺産。
午後からプロームというおじいさんが守り通したという
古代寺院タ・プロームへ出発。
巨木の根に崩され傾きながらもしっかりと支えられており、
微妙なバランスの上にある。まさに木との共生の世界遺産。
翌日のベン・メアリ遺跡は昔の王の墓所。黒檀の花の意。
黒檀の名所であったが高価なので伐採され、現在は入口に
ある一本だけになった。この遺跡は見事なまでに朽ち果て、
苔むした石が山になり、まさに石の墓場の様相。
王様の石棺も壊れたまま表に無造作に放り出されていた。
この破壊は木だけでなく33年前にポルポトが金のために石
彫を無残に剥がし捨てたため。
シェムリアップは世界遺産の宝庫であり、これを歴史的
に系統的に展示・説明してくれたのがアンコール博物館。
実に明るく綺麗な建物の中に1〜8世紀に栄えたクメール
文化が展示されていた。国外に散逸した国宝の多くが
無傷で戻されていた。残るは仏とタイからの返還だけ。
汗を拭き拭き石ばかり見てきて、さすがに食傷気味。
今度は水を見ようとトンレイサップ湖に出かけた。
雨季の終わりで、今は湖が琵琶湖の10倍という東南アジア
で最大の湖。船に乗り、水上に浮かぶ家並みを見学。
警察や学校、教会もあり、ここだけで2千人が浮草生活。
想像を超えた生活を垣間見ることが出来た。
傾いた石や細い木で支えられた家などは地震や台風が無
いからだと現地ガイドの説明。
ここの生活は戦後の日本を彷彿とさせる。物売りの子供達、
3人を乗せたバイクや二人乗りの車をバイクで引っ張る
バイクタクシーの氾濫など。少し外れると、バナナ、やし
の木、原始稲作そしてジャングル。ハンモックでの昼寝姿
など自然との共生。
今回も山盛りの楽しい研修と交流をすることが出来た。
佐々木光一団長始め、ご同行の皆さんに感謝である。
宮城県の気温は帰国の日、零下を記録。30度近い温度差。
暖房部屋で河北の夕刊を見て目が釘付けになった。
大石芳野氏の「レンズが捉えた現場」の連載の最初にポト
派による惨劇を生々しく掲載。
人間の業の虚しさを石の記憶と共に深く思い知らされた。
「スカイツリー」 お上りさんを楽しむ [2013年09月09日(Mon)]



東京の空は曇りながら晴れの予報。今日こそは前回見逃した所
スカイツリーに行ってみようと決めて東京駅に向かう。自分で探し
て行くのも面倒なので、はとバスを利用することに。4時間コース
の好都合のものがちょうど空いていた。出発まで時間があったので
近くの皇居を散歩することにした。皇居を歩くなんて何十年ぶり。

玉砂利の上を歩いて見て、その広大さを実感した。ようやくたどり
着いたところは坂下門。きれいな石垣の手前のお堀に松並木が映り、
晴れ渡った青空の下、悠々と白鳥が一羽浮かんでいる。これは一服
の絵である。人通りが少ないのを良いことに持参したスケッチ道具
を手早く広げ1時間ほど描く。直射日光を浴びて汗が吹き出る。

引率された学童の群れが多くなる。流れについて行くと二重橋到着。
終戦の日、この前で正座して多くの人が平伏する写真が目に浮かぶ。
江戸以降の日本の歴史に欠かせない場所と思うと身が引き締まる。

東京駅に戻ってはとバスに乗り込む。コースに入っている浅草寺の
真後ろに到着。ここは何回も来ているし、くたびれてもいたので脇
寺の石の縁台に腰掛けて、姿の良い赤い五重塔を描いて時間を潰す。
出来上がった頃、通りかかった坊さんに「ここは神聖の場である」
とお叱りを受ける。「アッ スイマセン」と素直に謝りバスに戻る。

スカイツリーはもう目の前である。バスが到着して直ぐに見上げる
塔は目がくらみそうになる。遠くから見ては感じないがその重量感
に圧倒される。早速、上ろうとするがハイそんなに甘くは無かった。
待ち時間が3時間と聞いて諦めた。3度目の挑戦のときはこれだけ
に目的を絞って来なくてはならない。

出発時間まで「ソラマチ」を歩く。大きなショッピングセンターだ。
若い人のフアッションや土産屋が数多く並んでいて飽きさせない。
それにしても平日というのにお祭みたいな人出で溢れかえっている。
全国の人気のスポットを実感。「ここでしか買えないよ」売り言葉に
つられて買った菓子を土産に新幹線で帰途につく。
近江路余話  懐かしい旧友との再会 [2013年09月08日(Sun)]



大津は昔、朝鮮からの渡来人が住み着いたと司馬遼太郎は言う。
古代日本をリードする知識階級を形成していたに違いない。
かつては大津宮が置かれ、神社仏閣の数は全国有数である。
折りしも、仙台博物館で「近江巡礼」が開催。早速足を運んだ。
重文とされる神仏の数の多さには驚くばかり。

大津の宿は「ブルーレイク」。京阪大津駅に隣接している。
喫煙の部屋しか取れず、中に入るとタバコの匂いがするが直ぐに
慣れてきた。実はこの宿が動くのに最適であった。なにせこの駅
から北は坂本。南は石山寺。西は京都の地下鉄へ直結の琵琶湖畔。

荷を解く間もなく、懐かしい人と会うために私はホテルを出た。
盛岡の小学校時代の友人が隣りの山科に住んでいることに気付き
ハガキを出したところ、直前にメールが入り、会う事になった。

約束の山科駅で待つ間不安があった。何せ何十年も会っていない。
賀状のやり取りだけで、幼い頃の顔もおぼろげである。しかし
現れた彼を見て直ぐに分かった。陽に焼けた顔からテニスをして
いたこと。左利きであったことなど思い出した。顔の特徴も変わ
らない。彼も手を振る私を見つけて笑顔で握手。驚くことに、
いきなり奥さんに車を運転させて伏見に行くという。丁度、退社
時間と重なり道は渋滞。30分位の車中の中で話は弾んだ。

彼はエンジニアで定年後の今も韓国へ行って技術指導をしている
とのこと。それで返事のメールが遅れてしまったと謝っていた。
伏見は酒どころ。酒蔵の店で原酒を飲み、積もる話に花が咲いた。
共通の話題も沢山あり、離れていた二人の長い歳月は一遍に氷解。
帰りも奥さんに迎えに来てもらった。仲の良かった友人を誘いまた
近く会う約束をした。近江の一歩は旧友との再会で始まった。
ついに坂本城跡にたどり着く [2013年08月16日(Fri)]


大津で尺八講習会があると聞いたときから是非行って
見たいところがあった。それは明智光秀が築城した水
城の坂本城である。当時の宣教師フロイスが安土城に
次ぐ天下の名城であると本国へ報告している。無論
今は無いが、どんな所に建っていたのか知りたかった。

講習会2日目の早朝、ホテル隣の京阪大津駅から北に
向かう。地図を頼りに終点の坂本駅の一つ手前の駅で
降りる。駅名は「松の馬場」。まつのばんばと読む。
ここからひたすら琵琶湖に向かって下って平地になっ
て右に折れてしばらく行くと坂本城跡という立て札に
出会う。道の端一坪ほどの敷地に石が置かれその上に
赤い傘が立てかけられ、お休み所風なたたずまい。

その四つ角の西に目をやれば叡山が見下ろしている。
叡山の押さえとしての役が納得できる。東には古い寺
があり、境内に入ると時代を感じさせる大きな墓石や
積み上げられた古い墓があり、往時を偲ばせる。
どうしても城のあった湖を見たくて、さらに東へ歩む。
車の走る道を横切ると広場に出た。そこに白い石を刻
んだ光秀の像が建っていた。驚いたことにその脇には
真新しい歌碑が大きな石に刻まれていた。

何と今年6月に坂本観光協会が建てたもの。タイトル
は「光秀の意地」(おとこのいじ)。歌手は鳥羽一朗。
歌の前のセリフが良い。「これが光秀の本音でござる。
一寸の虫にも五分の魂。やらねばやられる戦国の掟。
わしは主を間違えたようじゃ」歌詞は3番まである。
ネットで探したら、ちゃんと鳥羽一朗が歌っていた。

公演の木々からは、蝉の鳴き声がやかましいほど響く。
もう琵琶湖のさざなみが草の間から目の前に迫る。
何人かの少年が湖畔に釣り糸を垂れていた。静寂だ。
砂辺で寄せる波に手を浸していると、何やら光るもの
が近づいてくる。やがて大振りの魚の腹だと分かる。
もう死んでいて波に身を任せ、砂浜に打ち上げられた。
何やら光秀の無念と重なるものがあり感慨を催した。

翌日は帰仙の日、早朝に坂本の西教寺を訪ねた。駅か
ら20分ほど上り道をひたすら歩く。坂本城の城門を
移したというがっしりした門をくぐり長い石畳を上る。
天台真盛宗の総本山である。叡山焼き討ちのあと光秀
が再興し、一族の菩提寺とした。古色蒼然としたお墓
に詣でた後、本堂に入る。早朝なので受付がいない。
時間が迫っていたので勝手に上がる。気になった名札
の部屋を開けると光秀公と妻の木造が安置されていた。
そこで合掌し、隣のガラスケースを見て、アッと驚く。

明智左馬之助光春が有名な湖水渡りをした鞍と鐙が中
に安置されているではないか。この光秀の弟の光春こ
そ我が家の先祖と言い伝えられてきたのである。
確たる証拠など無いが幼いときから年寄りに聞かされ
て来たために信心みたいに心に沁みてしまって家紋の
桔梗を大事にしている。今回の思わぬ出会いもご先祖
の引き合わせと有り難く感謝し、叡山の麓を後にした。
滋賀の都 大津での暑くて深い勉強 [2013年08月15日(Thu)]



日本最大の湖、琵琶湖の南は大津市で都山流尺八の
講習会が開かれた。仙台からは遥かに離れた近江の国。
昔から近江からは東北地方に産業や文化を人が運んだ。
だから近江は懐かしい遠い故郷みたいな感じを受ける。
そして、普段お世話になっている専務理事の山本邦山
氏の生まれ故郷と聴いては何とか行きたいと日程調整。

宮城県支部から5名が参加した。8月3日〜4日の
2日間。所は琵琶湖に面した青い瀟洒な琵琶湖ホテル。
2階の会場に入って目を奪われた。高い天井一杯に、
魚影を模した透明板が連なってキラキラと輝いている。
あたかも明るい湖の底にいる感じをイメージしている。

開始前からほぼ満席状態。今回は全国からかつて無
い最多の参加人数とのこと。宗家の挨拶の後、中尾都
康氏が紹介される。「まだ尺八を始めて1年余ですので
勉強をさせてもらいます」と挨拶。会場から宗家5代
目継承者に対する期待と激励の拍手が送られた。
本曲「木枯」を川村泰山氏、基本奏法を加藤条山氏、
そして「朝風」は永広孝山と山崎 山の両氏すすめる。
途中、旅の疲れか、聞き惚れてか、頭を垂れていた人
が散見される。かく言う私も隣の人につつかれる有様。
本曲は10回以上も聴いているので油断してしまう。
折角の講習会に対して失礼と反省するばかり。

この日「宗家を囲む懇親会」が例年のごとく開催。
宴もたけなわの頃、司会の森田柊山氏が「本日の趣旨
は宗家を囲む会なので親しくお話したり記念写真を撮
ったりして下さい」と勧めたものだから宗家始め幹部
は休む間もないほどカメラの前に座る羽目になった。
宮城県は少数なので他県と合同で写真をとることにし
たが、シャッターを押す人がいない。たまたま側に永
広孝山氏を見かけお願い。カメラを構える格好が可
笑しく、お蔭で笑顔の記念写真となった。感謝です。
樂友との語らいもあり、隣りのテーブルにいたグルー
プは次回の開催地、高知県支部の人達。下見を兼ねて
か大勢が出席。気持ちの高ぶりが伝わってきた。

講習会2日目。「知られざる流祖の魅力\」と題し、
森田柊山氏が講演。写真や資料で、流祖が近江の地
を虚無僧した話をしてくれた。今回は推測が多かっ
たが、いつもよくここまで調べたものと感心しきり。
午後の「合奏曲の尺八奏法について」川村泰山氏の
説明があり午前は終了。

午後は唯是震一氏が自作の「三曲第二番」を説明。
師の先祖は岩手県遠野でよく足を運ばれる。東北に
深い縁がある。関東大震災の時に生まれ、名を震一
とつけられる。今年90才とは思えない張りのある
声で「自分は六百曲以上作曲したが、まだ生けそう
なのでこれからもやります」と宣言。場内から拍手。
正派は今年百周年。2代目の中島靖子氏を支えてき
た。演奏はお孫さんの奥田雅楽之一氏と山本邦山氏
のご子さまの雅翠、雅楽邦の両氏。正派で息が合う。

山本邦山氏は話の冒頭「この齢になると故郷は本当
に良いですね」としみじみ話された。娘さんの雅楽邦
さんと「壱越」を合奏。これまでこの曲を合奏された
人は120人以上。すべてメモされていたのに驚いた。
故郷の余吾湖は一時間毎に風景が変わる。これを作曲
「湖都」が生まれた。この尺八は若い人に任せ、自分
は会場の尺八の指揮を取られた。今回は箏の方の受講
者が60名もおり、会場に準備された箏や17絃に挑
戦された。場内に響く大合奏は迫力満点であった。

二日間にわたる暑くも充実した講習会は無事、幕を
下ろした。湖のように深く記憶に残る講習会であった。
朝夕、京阪電鉄に乗って、北は坂本城跡、西教寺、南
は石山寺、西は山科、伏見そして大津では三井寺や疎
水の取り入れ口を見ることが出来た。何よりも観光船
「ミシガン」に乗って琵琶湖南岸を一周し、楽波の都
を実感。船上から見る比良、比叡の山並も素晴らしか
った。この寄り道は旅の醍醐味である。宿の近くの銭
湯にホテルのタオルを持って入浴し、地元の人の話を
聞くのも楽しかった。来年は土佐の高知。ワクワク旅
が待ち遠しい。楽友よ。また健康で会いましょう。
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