世界に誇る巨人「北斎」の足跡 [2010年07月14日(Wed)]
江戸浮世絵師北斎は桁外れの絵の天才である。
近代西洋美術にも多大なる影響を及ぼしている。 巨人北斎の足跡をたどり、信州は小布施までの旅へ。 7月3日、長野新幹線で長野。さらに長野電鉄乗換。 この電車が田舎の電車と思いきや、展望付きの電車。 全国の電車の寄せ集めらしい。急行で小布施に到着。 目的の「北斎館」まで徒歩。街はこじんまりと綺麗。 木を埋め込んだような気持ちの良い歩道を行く。 「北斎館」は土曜日であったが、中は空いていた。 まずスライドで「北斎の肉筆画」と「小布施の北斎」 を30分位見る。次に版画展示室と肉筆を見る。 包丁の上に半分に切った西瓜があり、半紙が掛けら れている。その半紙の水を吸った透け具合が見事。 絶筆に近い「富士越龍」もじっくりと堪能。 屋台展示室では二基の祭屋台が置かれ、一つは「龍・ 鳳凰」図。鮮やかな赤が印象的。もう一つは「男浪・ 女浪」。渦を巻く浪がすべてを呑み込んでしまう迫力。 北斎の直筆の絵が天井に描かれた屋台を牽くお祭り。 なんて豪華な祭かと思う。これを描いたのは85・ 86才。しかも晩年、4回もこの小布施に逗留。 江戸から220キロを何日もかけ、歩いて往復。 絵の執念。体力の強靭さ。画狂巨人の面目躍如。 何故こんな田舎に、老いた画狂が通ってきたのか? ![]() その答えが近くに建つ「高井鴻山記念館」にあった。 幕末維新の豪農商で文化人であり先覚者であった彼 は江戸で北斎に会い、知己の間となった。 天保の改革で厳しい取締りを避け、身を寄せた。 彼は北斎のために、家を提供しアトリエとした。 ここから数々の傑作が生み出されたのである。 彼は学問思想にも情熱を傾け、佐久間象山と親交が あり、大きな木の火鉢を囲んで激論に及び、その度 に火鉢が動かされ、下の畳が擦り切れたそうだ。 二階の押入れには母屋に通じる抜け穴があった。 竜馬の時代。幕末の緊迫感が感じられる。 日本の行く末を憂い、財力を惜しみなく使い、飢饉 には窮民を救い、東京や長野に私塾を開き教育にも 力を注いだ。小布施は文化の香りが高いとの評判は 代々の高井家の家風のおかげかも知れない。 北斎と高井鴻山の間柄。幕末の世情など考えながら 栗林の下を栗ソフトを舐め、舐め、帰路へついた。 長野駅で旅行中、耐えてきた天から大粒の雨が降る |