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雨台風の真只中 高知での出来事 [2014年08月17日(Sun)]


今年の夏の都山流尺八講習は四国の高知で開かれた。遠くて暑いぜ。
それに南海地震での津波が来たら逃げ場がない。命の危険があるぜ。
今回は棄権に傾いたところ、友人が地震をあてる有名な学者の話を
紹介。それによると3年前の東日本大地震で解消され当分起きない。
その説に勇気づけられ、急きょ参加を決定。宮城県から3人が出席。

往きは新幹線と特急を乗り継いで8時間半の長旅。新大阪でラーメ
ンをすすり、岡山から「南風」で瀬戸大橋を渡る。海に浮かぶ島や
船を下に見ながら結構な時間がかかった。四国の背骨を超えると急
に列車は速度を増した。高知駅に到着。駅の近くのホテルに向かう。
けれども、あるはずのホテルは見当たらない。代わりに病院がある。
嫌な予感が走る。ホテルの名前を言ってもさあと言って分からない。
結局、一回りして駅に戻ったところで反対方向に出たことに気づく。

駅を起点にまさに対角線上にそのホテルの看板が見えるではないか。
相棒もがっくり。受付嬢に聞くと、昨年暮れに出来たばかりと言う。
雨が降り出していたが、荷物を置いて、ネットで予約していた寿司
店にタクシーで向かう。ここで出された鰹のたたきは逸品。この店
も開店して間もない。仙台からと聞いて店主が驚いていた。

講習会は2日目の午後からなので車で「寺田寅彦記念館」に向かう。
小学校の同級生の母方の祖父にあたり、彼と飲むと話題になった。
一度、独自の世界観を持つ寺田寅彦博士の育った家を訪れたいと思
っていた。お城の側の平屋の大きな昔風な家である。一度焼失して
再建され20数年と言うから比較的新しい。開け放たれた縁側から
庭越しに緑の樹木が見渡せる。昔、刑務所の跡が公園になったそう。

中年の案内嬢の説明を聞いている内、にわかに空が掻き曇り、強風
が吹き荒れ、雨が室内に吹き込んできた。ゆったりと話していた彼
女も大いに慌てて、雨戸をわらわらと閉め出した。薄暗い広い座敷
にぽつねんと座していると、戸を閉め終わった彼女が気の毒がって
最近の博士に関わる小冊子を手渡してくれた。車が着くまでの間、
見ていた。博士は3度結婚して、友人は2度目の妻の次女弥生の次
男だったことが初めて分かった。人の家系はどうでもいいが、清純
そうで優しかった彼の母弥生さんは単純な家庭では無かったのかも。

タクシーを呼び、小降りになった中を会場の「三翠園」に向かう。
ここでは高校の同級生と会う約束をしていた。彼は同志社を卒業し
高知新聞社に勤め、定年を迎えた。私が大阪勤務時代に一度会った。
それから30年近い年月が経過。果たして見分けがつくだろうか。
約束の時間が近づく。広いロビーをウロウロ歩きながら探している
と、目の前の小柄な老人が傘を杖代わりに、よたよたと歩いている。

売店の女の子に大きな声で「長いこと会っていない友人に会う」と
話している。これは間違いないと判断。名前を呼ぶと振り返った。
「いや〜」と笑う顔は間違いなく彼だった。昼食を取りながら歓談。
軽い脳梗塞を患っていた。動作が緩慢なのはそのせいであった。

彼とは学生時代の最後の夏に私が京都に押しかけ、彼の下宿先に米
を持参して一週間ほど滞留したことがある。古都巡りが目的だった
が、暑さで昼はほとんど外出せず、夜の京都を彷徨っていた。しか
し鉾祭り、宇治巡り、そして北野天満の下宿の長くて天井の高い家
の造りなど猛烈な暑さと共に記憶に生々しい。昔話に花が咲いた。
彼は婿に入り、苗字も替わった。子供や孫もいる。こちらに骨を埋
める覚悟である。別れ際、彼は「死ぬ前に一度仙台に行って見たい」
と笑いながら少し淋しげに話した。「早目に来いよ」と言って別れた。
(この項続く)
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