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道楽55年目の狂想 顛末記 [2014年04月01日(Tue)]



 弥生3月も今日でお終い。今月3日に行われた小生の開軒50
周年記念尺八演奏会を皮切りに、翌日から絵画の個展まで5日間
開催。誰の目からもこの欲張った企画はまさに狂想の類としか思
われないだろう。しかし不思議なことに私はこれまで数多くやっ
た演奏会の企画の中で一番肩肘を張らないで、ごく自然体で出来
たと思っている。何故なのか?この企画を思いついたのは昨年の
11月。それまで例年の行事に追いまくられていた。

ひと段落して、ふと「来年は開軒50周年かぁ」との思いが頭の
中に浮かび、それがしだいに大きくなり、何かしなくてはと急に
気になりだした。しかし会場をとるにしても手遅れだ。
こうなればウイークデイの夜でも取れるところを捜そう。時期は
どうする?春と秋は演奏会シーズンで忙しい。夏は暑くて嫌だ。
そうだ春先がいい。11月の始め、たまたま青年文化センターに
行く機会があり、空いているところを捜してもらったところ交流
ホールが見つかった。迷わず抑えた。

それから内容をどうするか?が始まった。寝ても覚めても頭のど
こかで考えていた。結論は中央の偉い先生を呼んでの立派な会は
ヤメ、こじんまりした親しみの持てる会で三曲関係者よりも一般
の人を対象に曲の編成をした。そのためにどの曲も10分以内に
した。3月の季節に合わせ、春の曲だけにして、タイトルは春を
呼ぶ「寒山春光」とした。私の独奏は開幕曲の「寒月」。季節外れ
だが、内容は梅一輪の温かさがあるので良しとした。本曲の暗譜
は初めてだったが必死だった。私の独奏は2部の始めの「春の海」
と2曲だけ。大勢の本曲は「春霞」と「春光楽」の2曲。寒山会
の7人に護国神社献曲でご一緒する安川水山、庄子為山、田村亮
山の3氏にも参加してもらった。昔の門下生だった及川弐山君も
花巻から参加。そして今回の一番の目玉は昔の教え子である好ち
ゃん(当時小学6年生)。今や鬼太鼓座の座長として国の内外で
活躍している松田惺山氏が東京から来て「萌春」を昔のグループ
仲間の関野由美子氏と合奏。ここで、結果を話してしまう。

惺山氏は幼い頃に私と会場に来ていた百一才の母との思い出話
をした後に、「五木の子守唄」を吹き始め、いつしか「萌春」に
移っていた。神業的な音色とテクニックに会場はすっかり呑まれ、
静まり返ってしまった。インフルエンザから治ったばかりの関野
氏も引っ張られるように熱演した。終わっての拍手はしばし鳴り
止まなかった。私もこんな素晴らしい演奏は聴いたこともない。
この上ない素晴らしいプレゼントをいただいた。

古曲「摘草」と「春の曲」の合奏は亡き愛妻の仲間である氏家香
園門下の浅沼香由氏ほか3人にお願いした。合奏の最初は宮城会
の若手、橘寿好、氏家紘子の両氏と竹は愚息寒月と諏訪寒嶺君で
「新暁」。彼女らは島崎藤村の詩を美しくも力強く歌い上げた。

そして最後の締めは台原老人センターの門下生25名が参加して
総勢35名の尺八大合奏。「早春賦」「おぼろ月夜」「荒城の月」の
3曲を演奏。会場の皆さんも尺八に合わせて合唱した。私は生まれ
て初めて指揮をとった。くそ度胸で、なりふり構わず腕を振った。

演奏が終わり、花束贈呈の時に思わぬハプニングが起こった。
私が花束をもらった後に、松田氏が白鳥会から花束をもらう手は
ずだった。出てきたおばさんは何も持たずに舞台中央に進み出て
くるではないか。私ははっと気がついた。こちらで花束を用意す
ると勘違いしているのだ。私は先にいただいたものを彼女に手渡
した。場内はどっと笑いに包まれたが、彼女は一向に平気で、
にこやかに笑みを浮かべながら松田氏に花束を手渡した。
彼も手馴れたもので笑いながらそれを高々と上げて見せた。
さすがエンターテナーと感心。場内は和やかな雰囲気に包まれた。

挨拶に立った私はその最後に一番前に座っている母を紹介した。
私の尺八を下手だった時からずーっと聴き続け、また絵の厳しい
批評家でもある母に感謝の言葉を述べ、母の手を握った。母は
弟のトクと優に両側から抱きかかえられるようにして、恥ずかし
そうに立ち上がり、腰をかがめて「ご苦労さま」といった。
骨細ながら温かい掌の感触が残った。

最後に「ふるさと」をみんなで合唱しながら、もうこれで充分だ
という気持であった。250席を用意したがほとんど埋まった。
目的である「低肺」の寄金は18万1千円となった。深く感謝。

今回の集客の原因の一つは地元紙の河北新報夕刊社会面のトップ
に写真入りで大きく載せていただいたこと。3日前まで載らない
ので諦めていただけに嬉しかった。問合せがあった。来られなか
った人でも会うと「新聞見ましたよ」と声をかけてくれる。記事
となると6万部のチラシを戸別配達したより効果があるわけだ。

も一の助人は老人センターの尺八出演者である。平均年齢73才。
そのマンパワーぶりは頼りになった。会場の椅子や衝立の準備、
照明、音響、受付の係など引き受けてくれた。

忘れてはならないのが宮城県芸術協会の先生方のご助力である。
早坂貞彦理事長に挨拶を依頼したのが1週間前位。身に余るお
言葉まで頂戴し、恐縮至極。また書家の中塚仁氏にはプログラム
の題字やめくりまで書いてもらった。華道の本内一磯氏には啓翁
桜を主にした豪華な生け花を舞台の袖に飾っていただいた。
写真の佐々木一光氏には舞台やチラシの写真でお世話になった。

絵の最後の日に思いつきで抹茶の接待をしたいとの思いを話した
ところ、快く引き受けてくれたのが日本茶道学界の高橋威仙氏と
門下の山田、渡辺の両氏。茶室に入った40人位の人はとても喜
んでくれた。

絵の個展も10年足らずの未熟者なのに、恐れ多くも名だたる
洋画の先生方を始め150名超の方に来ていただいた。
遠くは神奈川の茅ヶ崎から来られた先輩がいた。この山田恭哉氏
は大学の尺八の先輩であり、絵をやっている奥さんも別の日に見
に来ていただいた。ありがたいことである。個展のおかげで沢山
の人と絵のお話が出来た。これも嬉しかった。そして30点の私
の絵を見た感想をいただいて、自分の絵の個性に気付かされた。

これからはこのことを参考にしたい。「よく描く暇があるね。いつ
描くのですか?」と聞かれる。私は何故尺八と両立するのかなど
考えたこともないが、自分では描き出すと夢中になる。完成する
まで止められない。そして母に見せるのが楽しみなのである。
母は時にあれこれ注文を出すことがある。しゃくだが的を得て
いる。直すと「良くなったね。よく描くね。」と労ってもらう。
これが励みになる。絵の展示と撤去も大変な労力が要る。息子
や嫁や孫そして尺八のお弟子さんまで手伝ってもらった。
受付も5日間のやり繰りが大変だった。白鳥会の人たちや友人
の富谷君とその奥さんにも助けられた。普段のお付き合いが
いかに大事か思い知らされた総力戦であった。

息もつかせぬこの4ヶ月間は一つの目的にまい進した。この日
々は黄昏の年代になっては本当に得がたい貴重な日々であった。
恐れていたいつもの風邪をも寄せつけない緊張の日々であった。

終わってみると、不思議にそれほどの疲れも覚えない。この前
TVで「脳は歳に関係なく、使えば使うほど進化する」と云って
いた。その後の仕事も開放感の中で、前より順調にしている感じ。
若い時の受験から開放された日を思い出す。今はなにをやっても
面白く、のびやかな気分である。本当に「ごちそうさん」。
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