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ついに坂本城跡にたどり着く [2013年08月16日(Fri)]


大津で尺八講習会があると聞いたときから是非行って
見たいところがあった。それは明智光秀が築城した水
城の坂本城である。当時の宣教師フロイスが安土城に
次ぐ天下の名城であると本国へ報告している。無論
今は無いが、どんな所に建っていたのか知りたかった。

講習会2日目の早朝、ホテル隣の京阪大津駅から北に
向かう。地図を頼りに終点の坂本駅の一つ手前の駅で
降りる。駅名は「松の馬場」。まつのばんばと読む。
ここからひたすら琵琶湖に向かって下って平地になっ
て右に折れてしばらく行くと坂本城跡という立て札に
出会う。道の端一坪ほどの敷地に石が置かれその上に
赤い傘が立てかけられ、お休み所風なたたずまい。

その四つ角の西に目をやれば叡山が見下ろしている。
叡山の押さえとしての役が納得できる。東には古い寺
があり、境内に入ると時代を感じさせる大きな墓石や
積み上げられた古い墓があり、往時を偲ばせる。
どうしても城のあった湖を見たくて、さらに東へ歩む。
車の走る道を横切ると広場に出た。そこに白い石を刻
んだ光秀の像が建っていた。驚いたことにその脇には
真新しい歌碑が大きな石に刻まれていた。

何と今年6月に坂本観光協会が建てたもの。タイトル
は「光秀の意地」(おとこのいじ)。歌手は鳥羽一朗。
歌の前のセリフが良い。「これが光秀の本音でござる。
一寸の虫にも五分の魂。やらねばやられる戦国の掟。
わしは主を間違えたようじゃ」歌詞は3番まである。
ネットで探したら、ちゃんと鳥羽一朗が歌っていた。

公演の木々からは、蝉の鳴き声がやかましいほど響く。
もう琵琶湖のさざなみが草の間から目の前に迫る。
何人かの少年が湖畔に釣り糸を垂れていた。静寂だ。
砂辺で寄せる波に手を浸していると、何やら光るもの
が近づいてくる。やがて大振りの魚の腹だと分かる。
もう死んでいて波に身を任せ、砂浜に打ち上げられた。
何やら光秀の無念と重なるものがあり感慨を催した。

翌日は帰仙の日、早朝に坂本の西教寺を訪ねた。駅か
ら20分ほど上り道をひたすら歩く。坂本城の城門を
移したというがっしりした門をくぐり長い石畳を上る。
天台真盛宗の総本山である。叡山焼き討ちのあと光秀
が再興し、一族の菩提寺とした。古色蒼然としたお墓
に詣でた後、本堂に入る。早朝なので受付がいない。
時間が迫っていたので勝手に上がる。気になった名札
の部屋を開けると光秀公と妻の木造が安置されていた。
そこで合掌し、隣のガラスケースを見て、アッと驚く。

明智左馬之助光春が有名な湖水渡りをした鞍と鐙が中
に安置されているではないか。この光秀の弟の光春こ
そ我が家の先祖と言い伝えられてきたのである。
確たる証拠など無いが幼いときから年寄りに聞かされ
て来たために信心みたいに心に沁みてしまって家紋の
桔梗を大事にしている。今回の思わぬ出会いもご先祖
の引き合わせと有り難く感謝し、叡山の麓を後にした。
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