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古巣は灰色 新屋は何色か [2012年06月22日(Fri)]


 海辺は津波でさら地。古巣は地震でさら地となる。
古巣とは一家が仙台に越してきた時から住んだ角五
郎丁の家。私が高校2年から途中、大学4年間中断
し、結婚までの計10年間、住み慣れた家である。

父が盛岡で身体を壊し、実家で身に付けたせんべい
屋を始めんと機械を購入し一旗揚げんとしたが再発。
結局、一度も高価な機械は動かず仕舞いでほどなく
他界してしまった。残されたのは広い店構えだけ。

母は近所に一女高や尚絅、ドミニコなど女学校が多
かったので「まるみや」という看板を揚げ、お汁粉
やお好み焼きを始めた。税務学校の生徒なども来て
結構、学生が出入りしていた。私は社会人1年生に
なっていたが、母は生活費の他に弟2人、妹1人の
学費を稼ぐのは一苦労であった。

だがくたびれた顔は見せず、いつも笑顔を絶やさず
お客さんに接していた。割烹着姿の母は頼もしくも
あった。お客さんからは「おばさん」と呼ばれて慕
われていた。

ある時、女学生が男に追われて逃げ込んできた時も
毅然として立ちはだかり「何をするんですか」と一
喝し、男を追い払ったこともあったそうだ。
必死で生活している母の気迫に圧倒されたのだろう。

大学受験の灰色の時代。床がうねった二階の部屋で
無味乾燥な試験問題と格闘、のた打ちまわった苦い
思い出が充満していた。

子供達も独り立ちしてこの家を去った。その頃は店
も閉め、貸し店舗となった。

私が結婚して鶴ヶ谷に引っ越すのを転機に母も一緒
に住むことになった。母は孫と居たかったのだ。

一番下の弟ユースケは理髪の道を進み、同業の彼女
と結婚。当初は彼女の実家の閑上の店で働いていた
が、やがて角五郎丁の家に帰り、自分の店を開いた。
このお陰で津波から免れ命拾いした。父に助けられ
たと彼は感謝している。

50年経過の家も今回の地震で、その役割を終えた。
母の白寿の祝いで集った兄弟達も空き地となった跡
を眺め、感慨深かげだった。

来年早々には新しい店がオープンする運びになって
いる。駐車場付の店で住いは小さくなるが、何より
嬉しいのは「兄弟の部屋」を作るそうだ。いつでも
泊まれるようにしたとのこと。兄弟全員一致で彼に
土地を譲ったとは言えその志や良しである。

汗と涙の灰色のイメージからどんな色の家が誕生す
るのだろうか。三人姉妹の下の娘が理髪を継いだ。
生まれたばかりの孫の名は「ハルマ」。何か勢いを感
じる。希望の色が見えそうで楽しみである。
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