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「河北新報のいちばん長い日」 [2011年12月19日(Mon)]


仙台市に発行本社がある河北新報はあの大震災の下
でどのように報道したのか。紙面を一読すれば判る。
しかし、どんな状況の下で、どう感じ、どう考えて
どう行動したのかは紙面からは伺い知れない。
河北は記事に携わる編集だけでなく、全社員からの
アンケートをもとに表題の一冊の本にまとめ上げた。
激震の後は新聞制作不可能の事態。これを新潟日報
の助力で2Pの号外と翌日の朝刊8Pを発行できた。
通信・通話事情の悪い中、まさに奇跡的な快挙だ。
津波に呑まれ九死に一生を得た気仙沼総局長からの
手書きの原稿。「死者1万人以上」の原稿に見出しを
どうつけるか、被災者の心情を考え、悩む整理記者。
販売所が店主、従業員ごと流されたりした中、貴重
な情報源として待ち焦がれる読者へ届ける販売員。
社内で寝泊りする社員達への食料。車のガソリン。
新聞社に欠かせない用紙の確保。これら報道機関の
生命線をどう確保するか。全社員の知恵と努力で乗
り切る過程は手に汗を握るドラマを見ている感じだ。
放射能汚染から社員を守るために一時退避させるが、
記者たちは住民から離れて報道の任務を果せるかと
懊悩する。そんな中、地元紙はテーマを掘り下げた
連載企画を出し続け、被災者から自分たちに寄り添
う地元紙と感謝される。最後に報道部長の自問自答
が印象に残った。これまで地元紙として津波や震災
の警戒記事を載せてきたが、今回の2万人近い死者
を出した現実を見せ付けられ、はたしてこれまでの
啓発や記事は役に立ったのだろうか。やってきたか
らこれで収まったのか。もっと直接的で実際的な方
法があったのではないか。本当に地元の力になりえ
たのか。「報道とは一体何なのか」など疑問は続く。
私が40年近く籍を置いていた河北はまさに創業以
来の大震災に見舞われ、実に雄々しく社員一人一人
が難局に立ち向かっていった姿を見て、涙が出るほ
ど嬉しかった。後輩たちを心から誇らしく思った。
この本は2011年度「新聞協会賞」を受賞した。
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