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被災地で尺八を吹き、考える [2011年11月29日(Tue)]

車は舗装から外れ、瓦礫が取り除かれた道を進む。
左に3階まで窓が壊れた水産高校の校舎が見える。
やがて海辺の松林に着く。根が折れ曲がっている。
去年の5月に泊まった民宿は跡形も無い。平地だ。
高台と思っていたが、10Mの津波では無抵抗だ。
私が酔って吹いた尺八をテープにとって漁業の舟
で聴くと言っていた爺さんはどうしたか。翌朝車
で駅まで送ってくれた娘さんはどうしたか。
ここは気仙沼の岩井崎。風光明媚な観光地で有名。
まばらになった松林を抜けて、潮吹き岩に出る。
波はあったが潮は吹き上げない。津波で目詰まり
でも起こしたのだろうか。秀ノ山雷五郎の像は土
台が大きく抉り取られていたが、晩秋の夕日に向
かってしっかりと手を上げていた。

11月22日15時に待ち合わせのプラザホテル
に着く。気仙沼ライオンズの会長さんの案内で
前ガバナーの千葉ライオンの墓所に向かう。
駅裏の山の石段を登った所にお墓があった。
富谷ライオンズの仲間11名が児玉Lの読経する
中を焼香する。僧職だけあって本格的な雰囲気だ。
一段落した後で、私が尺八で「アメージンググレ
イス」を吹奏する。風の無い夕刻の虚空に拡がる。
彼はご本人と奥さん、娘2人、孫3人の何と7人
が一度にこの世からかき消えてしまったのだ。
葬儀には7人の写真が飾られてあったそうだ。
残されたのは婿2人と孫2人だけ。去年の総会で
ガバナーの退任挨拶をし、懇親会ではニコニコと
笑いながらお酒を一人一人に注いで回っておられ
た姿が目に焼きついている。ああ、無常が沁みる。

17時20分からプラザホテルで私のロビーコン
サートが開かれた。ホテルの計らいで赤毛せんを
敷いた舞台が用意された。玄関も近く、人の往来
もあったが、ロビーの椅子は埋まっていた。
「アメージング」はじめ唱歌「赤とんぼ」「もみじ」
それに「男はつらいよ」「愛燦燦」そして民謡の
メドレーで「追分」「宮城野盆歌」「遠島甚句」など
をやり、最後に「ふるさと」で終わった。とても
響きが良く、一曲ごとの拍手に乗せられて気持ち良
く演奏ができた。これでお終いと思っていたところ
ハードな仕事が待っていた。

26日に仮設の屋台村が正式にオープンする。
みやげ物や食堂、飲み屋が魚市場の近くに軒を並べ
ている。そのほとんどがプレオープンしている。
そこでその各店で尺八を吹いて回ってくれという。
いわば金を取らない「尺八流し」である。初物には
弱いので直ぐに乗ってしまった。客の入っている店
を選んで「尺八を吹かせて下さい」と言って入る。
幸い心臓の強いS女史をはじめ女性3人が付人で
心強い。店主やお客さんが喜んで拍手してくれる。
様子見に短い「赤とんぼ」を吹きアンコールに応え
るようにした。8軒くらい回って、さすがに疲れた。
「石焼ビビンバ」を食べ、お好み焼き屋でコーヒー
を飲みやっと吹き終えたという実感が湧いてきた。
泊まり組みは酒をたらふく飲み、えらいボルテージ
が上がっていたのを尻目に20時過ぎ、気仙沼を後
にした。富谷まで4人でS女史車に便乗。そこから
自家用車で帰宅したのは23時近く。興奮している
のかしばらく眠れなかった。あまりにも無残な現実。
生と死の何気ない分かれ目を淡々と語る被災体験者。
夢中で尺八を吹きまくって来たがどれだけのものか。
自己満足だけの話で終わるものなのか。答えはしば
らく時間がかかりそうだ。とにかく眠ろう。
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