暗闇から抜け出る 電気と水 [2011年03月19日(Sat)]
震災から3日後の深夜、ついに電気がついた。
暗闇からの開放に思わず「ヤッター」と大声を上げた。 夜は室内を歩くにしても、懐中電灯が手放せなかった。 食卓の真ん中には災害用の四角いローソクを立て食事。 次に息子がどこかで手に入れたランタンの下での夕食。 子供3人、大人5人、計8人の粗食ながら賑やかな宴。 片付けで見つけた古いアルバムなど開き、回し見した。 話しが弾んでは、時間が来ると、息子一家は家に帰る。 災害の最中であることをふと忘れる瞬間があるくらい。 私は戦時中の子供の頃を思い出し、遠い感傷に耽った。 電気がつくまで転寝していたので、睡眠は充分だった。 まずTVをつけてみる。画面には津波でズタズタにさ れた海岸の街が映し出されていた。新聞やラジオと違 い、その臨場感は生々しく説得力を持って迫ってくる。 繰り返しの画面を避け、震災の日に録画していたもの が気になり、HDVを入れて見る。間違いなく映った。 早速、居住まいを正し見ることにする。題は「邦楽花 舞台・尺八、三橋貴風の世界」。古典本曲の尺八の音色 が心地よく、震災でささくれだった心に沁みてくる。 これに勢いづいて、借りていたDVD「三国志」を4巻 次々に見てしまった。時計は早や4時半に近かった。 気持ちはすっかり高ぶっていた。3日間、暗くなれば 8時前には就眠していた。うっ積が一気に吹き出た。 「生きている」ことは、こういうことかと実感。 昨日、待望の水が出た。午前中、タイルの剥がれた風呂 場を掃除し、湯を張って一週間ぶりに風呂に入った。 少し黒っぽく濁っていたが、頭や体を洗い、湯に浸って いると、身体の隅からほぐれてきて、幸せな気分になる。 まだ寒い避難所で生活している人達にはまこと申訳ない。 「人間らしい」生活を一日も早く取り戻したいもの。 行政だけでなく、一人一人、何が出来るのか考えたい。 私の風呂は電気式で深夜にタンクの水を温める。だから タンクから飲み水を出すことが出来てほんとに助かった。 このお湯を近所の人達に分けてあげて、大層、喜ばれた。 普段、疎遠になっているご近所さんと水が縁で近くなる。 ガス欠で車を動かせず、遠くに持っていけないのは残念。 顔も歯も食器も洗濯もトイレも遠慮なく水が使える幸せ。 やはり人間の生活は水に支えられていると改めて実感。 日本は水が清らか。これはどれだけの宝であり、財産か。 無くなって初めて気がつくものの大きな一つであろう。 願わくばこの大気も放射能で汚染しないでと祈るばかり。 |