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灼熱の名古屋、冷水あふれる郡上八幡 [2015年08月06日(Thu)]


8月1日から2日間、名古屋で都山流尺八講習会が開催された。
毎年この時期に開催される恒例の行事であるが、何かが起こる。
去年は高知で、台風の直撃で氾濫警報が鳴る川の側で行われた。
今年は何と35度以上が連日続く、異常な猛暑の中である。
近くの多治見では39.9度を観測した。まさに風呂のお湯だ。
極力、会場のホテルから出ないようにしたが昼食時間はピーク。
海が近いせいかむっとする湿気が加わり、どっと汗が噴き出る。
講習会場はとても広いが、3百人超の熱気で息苦しくなる。
しかし、ユーモアあふれる各講師のお陰で効率よく終わった。

1日目終了後、宗家を囲み懇親会が開催され全国の仲間と懇談。
2日目終了後はご当地のグッチ教授が訪ねて来た。国文学専攻。
地唄の歌詞研究の第一人者である。宮城県から参加の岩崎氏と
3人で夕食をとりながら懇談。明日は彼の車で郡上八幡に行く
ことに決まった。翌日、彼の家近くの駅で合流。高速を飛ばす
こと約1時間。岐阜の山にぶつかったところを下りると長良川。
その支流の吉田川沿いの町が目的地の郡上八幡である。

泉が付近一帯から噴き出て、それが小さな川となって町の中を
巡って流れている。グッチ氏が気の利いたものを用意していた。
それは草履である。早速、草履に履き替えたら浅瀬を渡る。
冷たい水に思わず悲鳴を上げる。夏祭りが近いので混雑が予想
されたが意外に人影はまばら。川には鮎釣りが何人かいる程度。
町は中国人の団体と家族ずれと出会う位だ。私と先生は半ズボ
ンで正解。岩崎氏はズボンをめくって小川をさかのぼる。

水があまりに冷たく1分とは入っていれない。グッチは乙姫川
をさかのぼり、人気のない隠れスポットに導く。そこは大きな
小屋の下で水を堰き止めている所で、日陰で腰を掛けながら、
足を水に浸しておける。人は全く来ない。ゆっくりと過ごした。

昼飯はお目当ての鰻だ。吉田屋ホテルの美濃錦でうな重を注文。
パリッとした歯ごたえある焼きで、ご飯の中にまた鰻がある。
町を流れる小川では子供たちが水遊びに興じている。その近く
の大きな旧家に入る。そこでは氷水を食べさせてくれる。
これがまた美味。氷を5ミリ位の粒にしてそれに抹茶やキャラ
メルをまぶし、白玉やあんが入っている。水が良いので氷が美
味しい。こんな美味しい氷水は初めてだ。不思議に頭痛もない。

4時間も遊んだ頃、にわかに曇りだしたと思ったら大粒の雨が
降り出した。おまけに雷が稲妻と共にドカンドカンと鳴り響く。
いち早く気配で、グッチ先生は車をとりに駆けだして行った。
その間、土産屋で買い物をして待つ。程なく車で郡上とお別れ。
20分も走ると晴れている。まさに山の天気の変わりやすさだ。
下界の名古屋は猛暑の最中。10度も温度が上がった感じだ。
まさに砂漠の中のオアシスのような桃源郷で遊んできた心地。
グッチ先生に心からの感謝をして別れ、名古屋を後にした。 




ガンと戦い 第3ラウンド終わる [2015年07月31日(Fri)]



この半年間に3つのガンの治療で3回入院、さらに来月心臓の手術
を待つ友人Tがいる。退院後、彼の家を訪れる。意外に元気そうだ。
昨年の12月の前立腺がんの放射線治療から始まり、膀胱がん治療、
そして今回の肝臓がんの治療と立て続けに新たながんと激闘した。
今回の治療は風変わりで、ガンにアルコールを注入する方法なのだ。
肺の近くなので、ポイントが狂わないように息を止める必要がある。
止める時間は20秒間位。彼はその達成のため洗面所で訓練をした。
その成果があってアルコール注入治療が無事終わった。彼の顔は真
っ赤だったそうだが、アルコールによる酔いなのか、息を長く止め
たせいかは分からず仕舞いだった。太めの体が大部スリムになった
が、体力の回復を待ち、次なる心臓の手術に備えている。彼は現役
時代に2度も心筋梗塞を患い、バイバス手術が必要になっている。
この宿敵に立ち向かうには暑い中、いかに体力を蓄えるかが勝負。
奥さんの献身的なサポートを受け、頑張って欲しい。
彼から思わぬ話を聞いた。医者は「ガンだからと言ってすぐ治療を
勧めない。特に高齢者の場合は悪性のガンでない限り、放っておく
のも一つの方法。寿命が尽きるのとガンで逝くのと同じ位に考えて
いる」とのこと。何かガンの恐怖が少し薄らいで、ホッとした。
見舞に行きながら逆に元気づけられて別れ、真夏の太陽の下に出た。
彼の長所は実に慎重ながらも楽観的に考え、周りを和ませてくれる。
「病院は避暑地だよ」と笑う。きっと何度でも帰還する男と信ずる。

明日から私は名古屋に向け出発する。都山流尺八の本部講習がある。
会場の場所は何と彼が転勤で住んでいた隣町だよといって奥さんと
二人で懐かしそうな表情を浮かべていた。尺八を吹ける体に感謝し
て、暑い名古屋に行ってきます。楽しみは行きがてら静岡の兄の所
で1泊する。また講習後、もう1泊して知人の愛知教育大のT先生
のご案内で郡上八幡に行けること。T君に悪いが、健康な体に感謝
である。これも102才の母のお陰かも知れない。留守には弟の嫁
さんが母の面倒を見てくれる。何と幸せ。ありがと〜う。ではまた。

仙台の下町オールウェーズの再発見 [2015年05月20日(Wed)]


震災以来、同居していた次男が職場に近いところへ引っ越した。
場所は小田原で宮町に接している。マンションやアパートが多
いが、昔からの旅館や大衆食堂、韓国料理、中華料理店がある。

引っ越し後にその一つ、小さな「ホームラン食堂」で夕食。
夫婦で忙しく働く側で、小さな女の子が二人遊んでいる。客と
馴染で、そのうちテーブルに寄りかかって居眠りを始めた。
何か映画「オールウェーズ三丁目の夕日」の一場面みたいだ。

独り者の引っ越しと侮っていたが、意外にも荷物が多く運ぶの
に手間取った。捨てるものも多かったが、新たに買い揃えたり
引っ越しはやはり大変だ。一番手こずったのはガスだ。一通り
説明を受けたものの、いざやるとなると思うようにいかない。
特に風呂の点火が難しい。何とか説明書を読み点火に成功した。

早速、半間四方の小さな風呂に入って見る。大阪の社宅を思い
出した。さて風呂上がりにテレビを見ようとするがさあ大変。
息子も私同様、機械いじりが苦手。二人して説明書を読みなが
ら、初期画面から始まり、ようやく映りだしたなと思ったら、
余計なボタンを押してまたやり直し。まさに賽の河原の石積み。
あきらめかけたらパッとついた。思わず歓声。缶ビールで乾杯。

この夜は一間のフローリングに布団を一枚敷いて泊まってみた。
何か新たな船出のような高揚感を覚える。そうだ。福島大学の
寮、下宿、新婚のアパート、鶴ケ谷の新築へ転居、大阪の社宅、
すべて引っ越しは人生の大きな転機であった。新しい出会いと
新たな世界が待っていた。

人生には思わぬ出会いがあるもの。契約書の貸主の名前を見て、
おやっ見覚えがあると直ぐにひらめいた。高校の同級生と同じ。
確か賀状の住所は宮町だったはず。不動屋さんに訊ねるとどう
やら間違いない。翌朝、彼から電話が掛かってきた。お互いに
「いや〜驚いたよ」。大家とこの下町の居酒屋で一杯やるか。

居酒屋と言えば、大学の友人に誘われて会合の後、文横即ち一
番町の文化横丁に出かけた。十何年かぶりで懐かしかった。
相変わらず肩を寄せ合うように、小さな店が軒を連ねている。
金曜日とあってか止まり木は満員。おばちゃん一人で世話を
している。お客さんからの差し入れといってイカ焼きを出す。
カラオケは常に3曲以上予約されていて、次々と回転良く歌
っている。二人ずれの若い女性客も負けずに歌っている。
共同トイレは2か所あり、あちこちの店から集まってくる。

仙台の中心街の一番町に昭和の時代をそっくり残した特区が
現存しているのは奇跡に近い。全国でも稀ではないだろうか。
息子の引っ越しで、仙台のオールウェーズに気づかされた。
高速で社会が動いている時代に、心を和ませる場所を何とか
大事に残しておきたいものである。



恩師片野先生の突然の訃報 [2015年05月18日(Mon)]


訃報は突然にやってくるもの。夕食で新じゃがに塩をつけて
口に入れた途端、電話が鳴った。嫁から受話器を受け取ると、
恩師の片野達郎先生の奥さんからで、いつもの歯切れのいい声
で「驚かないでね。今朝、主人が亡くなったの」と言う。

86才の先生はもともと体が丈夫でなかったが、最近は衰えが
目立ち、杖で体を支えてゆっくりと歩いていた。近所の床屋は
坂道を上がるので、私が弟の優の理髪店に車で送迎していた。
車まで手を引いていくが、その手の力がだんだんと軽くなって
いくのが気になっていた。ひと月前に先生に誘いの電話をした
ら「いや〜転んじゃってね。ろっ骨を折って歩けないんだ」
これが私の聞いた先生の最後の言葉になってしまった。

先生との出会いは高校2年の時、古文と漢文を教わったのが縁。
先生はまだ東北大学大学院に籍を置き、バイトで教えていた。
先生は一見して、ただものじゃない気配が濃厚に漂っていた。
「平安時代の女の命は長い黒髪である。御簾から香り良い髪が
少しのぞく風情などいいじゃないか」こんな風にニキビ顔の高
校生を刺激して、古文の世界に引き込む。分かりやすいが造詣
の深さに圧倒された。こんな先生には出会ったことがなかった。

私は2年の時に盛岡から転校してきて、まだ学校に馴染めない
でいた。ある日、先生と階段ですれ違った時に「君、家に遊び
に来ないか」と誘われた。お宅は私の家から遠くなかった。
この時から実に半世紀以上の長い付き合いとなった。

先生は気持ちが学生のように若くて、一回り上の兄貴みたいな
存在だった。先生のお宅では夜遅くまで人生論や宗教、特に禅
の話をした。何せ先生は若い時に仏道に入り、禅の修行をして、
得度までした方だった。私の考え方は実に先生の影響をもろに
受けていると言っていい。話は深夜まで及び、終いには先生は
疲れて、炬燵に横になって話をしてくれた。

私が福島大学に入り尺八を始めたころ、仙台に帰省し、銭湯の
帰りに先生の間借りの部屋を訪れ、習いたての尺八を吹いた。
当時、先生は奥さんとニコニコと聴いてくれたが、新婚間もな
い貴重な時間、下手な尺八を聴かされ、さぞ迷惑だったのでは
なかったかと今になって反省。

人生の節目とか迷いがあるとき先生と話をすれば不思議に気持
が解放されて、楽になった。また、先生がこの世に現存してい
るというだけで安心感があった。先生は人生の師であった。

先生の専門は詳しく知らないが、中世の和歌を研究し、日本文
芸学というあまり聞いたことのない分野で、河北新報にも業績
が紹介されたことがあった。退官後は斉藤茂吉記念館の館長を
長く務め、自らも俳句をNHK文化センターで教えていた。
非常に人気があり、沢山の受講者がいたと聞く。

奥さんは生け花の先生で私の演奏会の舞台を飾ったことがある。
奥さんも数年前から腰が悪化して、寝たきりの状態になった。
娘さんは横浜在住。息子さんはイタリアで活動。日常はケアを
受けて生活している。14日の葬儀では大学の先生方と俳句の
関係者が多数参列した。私は短い弔辞を述べ、尺八を吹いた。

曲は「アメージンググレース」。ただし曲名は伏せておいた。
なにせ曹洞宗輪王寺の坊さん方が多数おる中で、キリストの讃
美歌であるとは言えなかった。葬儀を終えた後、何という曲か
との問い合わせが多くあった。先生のお写真はにこやかに笑っ
ておられた。先生のいない淋しさを胸に秘め、先生の教えであ
る「今を精一杯生きる」ことにします。 合掌。




友人の難手術の成功を祈る [2015年05月06日(Wed)]


近くに住む大学同期の友人であるT君が手術するために入院
する。それも聞くと大変難しい大手術なのでエエ〜ッと驚く。

まず検診で肝臓にがんが見つかる。この治療には手術が必要
であるが、心臓が弱い上に心筋梗塞が見つかり健常者の20
%位しか動いていないという。バイバスを作る必要が生じた。
そのために食道に見つかった血管の瘤3個を破裂しないよう
に手当しなければならない。つまり3か所を順序に都合3回
の大手術を成功させることが必須条件なのだ。

入院の2日前にお宅に見舞に伺う。玄関や庭は花で華やか。
出てきた彼は心なしか幾分やつれ、声に元気がない。何度
か聞き返えすほどだ。この状況では無理からぬことだろう。

彼は大変な読書家である。目が疲れやすい私は本が苦手だ。
だから彼との会話ではどの分野でも教わることが多かった。
興味の対象が似ていていつも話が弾んだ。今回もいつの間に
お墓の話で盛り上がった。にこやかに笑みを浮かべ話し聞い
ていた奥さんはどんな気持ちだったのかと後悔しきり。

彼は酒を飲めないので在庫の酒と機関車の本やミニチュアを
頂いてきた。彼の趣味は乗り物。機関車から船そして飛行機
となり、天井からは何十と言う飛行機がぶら下がっている。

蔵書は宗教、歴史、小説、伝統芸能と幅広い。私の尺八の会
には欠かさず聴きに来てくれ、チャリテイーにも多額の寄付
を頂き、演奏についても実に適切な感想を聞かせてくれた。

また、映画をDVDにとり、ジャンル別に仕訳している。
今回は子供の日と言うことでアニメ映画を沢山借りてきた。

別れ際はいつも夫婦で通りに出て、車が曲がるまで見送って
くれる。今回は車の窓から手を出して握手し「頑張って」と
言って別れた。温かい手からは力強さが感じられなかった。

第一ステージが終わるのは1月後位。いったん退院した時に
会う約束をする。どうか無事に手術が終えることを祈る。






花吹雪の中、妻の11回忌 [2015年04月22日(Wed)]


4月17日は妻の命日。今年は11日の結婚記念日と間違えた。
11年も経つとボケも手伝って紛らわしい数字をよく間違える。
桜の季節に結婚したいとの強い思いがあったがその年は遅咲き。
今年は例年より早く咲いた。その焦りもあったのかと弁解めく。

母を墓参に誘うと朝食後、横になっていたが首を縦にうなずく。
三寒四温の中、今日は温かい。新寺小路のお寺の駐車場で驚く。
何と敷地いっぱい桜の花びらが敷き詰められているではないか。
境内からせり出した桜木から惜しげもなく、花弁を撒いている。
風が吹くと一層激しく舞い散る。車の前窓は前が見えない位だ。

老母も「こんなところに桜がねえ」と感慨深かげに見上げる。
偶然、墓参中に娘の琴江が嫁ぎ先の母と夫と連れ立って見えた。
先日は車でお互い携帯で連絡し合っていたのに会えなかったが、
何の連絡もしてないのに、ここで会えるとは妻の引き合わせか。

近くで昼食を取ることにして、車を動かすとフロントの花びら
が左右に飛んでいく。まるで花の雲上を飛行している気になる。
末期がんを宣告されてから2か月以上頑張った妻に感謝である。

筝曲演奏・作曲家の故野村正峰氏の「春愁」の歌詞を思い出す。

光のどけき 春の日の 
花の心ぞ うらみなる
嵐の庭の さくら花
 ふりゆく身とも 知らずして
さきにおうこそ うらみなる

匂いやさしき 春の夜の
乙女ごころぞ うらみなる
ともしびくらき 梅の宿
つまびく琴の 音によせて
別れのうたの うらみなる

ああ春の日は すぎゆきて
思いでのみぞ うらみなる
花も乙女も ひとときの
夢はみじかき 春の草
思い出のみぞ うらみなる
学校で孫娘と合奏 不思議な縁は続く [2015年04月17日(Fri)]


2月の初め、近くの燕沢小学校で三曲鑑賞と体験授業があった。
6年生の孫娘の里月が通う学校である。お筝の先生の計らいで
サプライズの格好で里月も最初の「さくら」と「花は咲く」に
三絃と筝で参加することになった。名前を呼ばれて前に出る時、
級友と笑顔を交わしていたのは意外だった。家では練習は皆無。

大丈夫かと内心ハラハラしていたが、本人はいたって落ち着い
て演奏していたのには驚いた。後で本人は緊張して手が震えた
と話していたが、この度胸は亡妻が子供の頃、東北放送で独唱
していたというから、祖母の遺伝かもなどと爺バカは思った。

その彼女も4月9日、晴れて西山中学校に入学した。式には
7年間、尺八講師をしていたので毎年、招待を受けている。
入学式はいつ来ても希望に満ちた新鮮な感動を覚えるが今年は
ことさらに心に湧くものがあった。

11年前、妻を亡くした前年の暮れにこの中学校を訪れて尺八
の普及をお願いしたところ、当時の佐々木信長校長が翌年退職
するにもかかわらず、ご尽力くだされ、非常勤講師となった。

活発な生徒らの若いエネルギーと格闘するうちに、私の傷心は
どこかに吹っ飛んだ格好になった。私の心はだいぶ救われた。
おまけにこの第1期生からいまだに尺八を吹いている若手がい
ることは何にもまして嬉しい限りである。

まさか当時2才の里月がこの学校に入学するのを見届けるとは
思いもしなかった。帰りに燕沢小学校の佐藤校長と担任だった
馬場先生に会った。「おめでとうございます」と挨拶された。
また、演奏をお願いされた。これまたうれしい限りである。

西山中学校の校歌が歌詞も曲調もとても気に入っている。
「風青く蔵王は晴れて 雲ひかる生命の朝〜」
聴いていると当時の気持ちが湧き上がるように蘇って来る。

この作曲者は曽我道雄氏で、かって南材木町小学校を全国合唱
コンクールで3年優勝に導いた伝説の人。何とこの先生に現在
私は毎月1回、歌を教わっている。「鶴ケ谷元気会」で教え子
が中心になって、この先生のご指導を受けている。大人気で
いつも教室いっぱいの女性優位の教室である。私は町内の回覧で
この先生の名前を見て即座に応募した。
80才を超すとは思えないにこやかな笑顔でユーモアたっぷりに
指導される。行事が重なり欠席しがちだが楽しみな歌声会である。
これも不思議な縁としか思えない。大切にしたいものである。



 

第3回子供の邦楽コンサート 成長に驚く [2015年04月10日(Fri)]



子供の邦楽コンサートは今年で3回目。4月5日の日曜日は
桜が開花したのに、あいにくの雨。昨夜から降り続いている。
この日に向けて練習してきた子供たちは雨などものともせずに
約束の9時には集合してきた。早速、舞台裏で荷解きをして
予定より10分も早くリハーサルが始まった。場所は1昨年の
宮城野区文化センターのパトナホール。とにかく音響が良くて
マイクはまったく要らない。仙台三曲協会が次代を担う子供ら
を育てようと力を入れてきたこの会もようやく軌道に乗り始め
今回は9社中の43名という過去最多の参加者となった。
期せずして小学生と中・高校生とが半分の9曲ずつで計18曲。

予定通り13時に開演ベルが鳴る。最初の曲は6年生が主体の
三絃曲、「群」。みんな色とりどりの着物姿で舞台が華やいだ。
途中糸の切れた子がいたが、動じず替え三味線で立派に弾いた。
これが翌日の河北の朝刊にカラー写真で記事と共に掲載された。

最初と最後の曲以外はくじ引きで曲順が決まる。
今回は独奏曲が多いのが特色。小学生の部7曲が独奏。3曲目
の「冬の日」が岩渕実桜ちゃん(小2)と斉藤好未ちゃん(小
4)の2人が熱演したあとは独奏曲が続いた。

これまで三絃に挑戦していた笠原君(小6)は筝で「雪・紅梅」
を演奏。最年少の小1の渡部葵ちゃんは首を少し傾げながら、
「うれしいひな祭り」を完奏。驚いたのは常連の奥山矩誉君
(小5)が「時鳥の曲」を暗譜でしかも堂々と歌ったこと。
着物姿が一層引き締まって見えた。続いて妹の溪花ちゃん(小
2)は「六段の調」をこれまた暗譜。しかもその弾きっぷりは
実にしっかりしていて、風格さえ感じられた。

小澤美都ちゃん(小6)もますます上手になり、「祭の太鼓」を
手早く確実に弾きこなしていた。1部の最後は田中舞ちゃん
(小6)が「まりつき・かくれんぼ」を元気よく演奏した。

休憩後に岩崎郷山三曲協会会長の挨拶があった。これは初めて
のことで協会としての熱の入れ方が伝わってくる。

2部は中学・高校生の部。最初は「花は咲く」を高橋瑞希さん
(中1)が心入れて情感豊かに演奏した。2曲目は伊藤和希さん
(高1)と赤間梨花さん(中2)が「水面」を息の合った演奏。
次の宮城道雄編曲「中空五段砧」を佐藤麻理菜さん(高2)が
堂々と演奏。彼女は宮城県高校筝曲コンクールで優勝しただけあ
って貫録十分の演奏だった。4曲目「歓喜の曲」は高2の田辺衣
純・林芙美香両名による無難な演奏。5曲目の「あこがれ」は
中1が4名、中2が2名による演奏。制服姿が凛々しく演奏もま
とまっていた。次の独奏曲「風のセレナーデ」は吉田奈々さん
(高2)の流れるような華麗な演奏に魅せられた。音色の美しさ
も際立っていた。7曲目は「花筏」。中学2が6名、高1が1名
の編成で、水の流れの強さと流れに乗る花弁の情景が目に浮かぶ
素晴らしい演奏であった。8曲目は「螺鈿」。高校生3人が着物で
登場。大人の雰囲気が漂う。17絃が初めて登場。この押手がと
ても効果的に筝に共鳴していた。最後は「さらし風手事」は佐沼
の中・高校生6名による演奏。実にテンポ良くきびきびと演奏し
今回の演奏会を締めくくった。

アナウンスは協会の宮城会大師範の呑山佳子さん。声楽もやるだ
けあって歯切れよく抑揚をつけた話し方はプロ顔負け。
雨の影響で客足が心配だったが、心配無用。200名を超す人が
客席を埋め、子供に盛んに拍手を送っていただいた。
また今回はプロのデザインを2人の高校生が仕上げとても好評。
めくりは芸協の執行理事の中塚仁先生に依頼。また初めて舞台に
花を飾った。やはり花は場を盛り上げる。終演後、子供たちが
記念に1本ずつ持ち帰った。

また今回、宮城県文化振興財団から助成金を受けられた。感謝。
来年は3月27日福祉プラザで開催が決定。また子供たちの成長
が今から楽しみである。




「健康フエア」の会場で尺八を吹く [2015年04月10日(Fri)]



4月4日、5日の2日間「健康フエア」が国際センターで開催。
河北の朝刊見開き2回をはじめ当日の朝刊にも紹介された。

こんな大々的なイベントとはつゆ知らず昨年のいつだったか
河北の営業マンから尺八の出演依頼があって気軽に了承した。
そのことは今年になるともうお得意の忘却の彼方に消えていた。

先月末に営業の彼から電話があり、あっと思い出して手帳を見
ると日時はメモされておりホッとした。それから正式の招請状
が届いた。見ると、招請者はなんと東北大学の総長の名前が筆
頭に載っている。そして同日の朝刊の見開きの紹介記事に私の
名前が芸名で出ているではないか。

楽器演奏は私だけであとは健康に関するお話がほとんどである。
タイトルを何にしますかと聞かれた時はまだ会の趣旨が呑み込
めていなかったので尺八の音色の特性と震災が頭に浮かんだの
で適当に「鎮魂と祈りの音色」と言って決まってしまった。
しかしこのタイトルだけが紙面いっぱいの健康フエアの記事の
中で浮いているように感じて仕方なかった。

講師用の駐車場に車を止め、2階の会場に上がっていく。
河北の営業マンが大勢動き回っている。主催が東北大学、河北、
東北放送の3者である。私の指定された会場は大きくドアが開
いた部屋で仕切りがいくつかあり、健康のグッズなど置かれて
お客さんが見て回るその一角にステージがあり、その前にイス
が40個ほど置かれている。すでにお客さんが座っている。
簡単なマイク調整をして本番を迎えた。

最初に尺八はいかに健康に良いかの話をした後、演奏に入った。
まず都山流尺八の代表的な本曲「岩清水」のさわりを吹いた。
場内は展示を説明したり、見る人の声が騒騒しい。集中力が途
切れ、一部間違えたりした。未熟さを痛感する。

その後、「千の風になって」「アメージンググレース」「「花は咲
く」と吹くに従って静かになった。やはり尺八は静寂を好む。

ようやく調子に乗り、桜が咲いたのでと言って春の曲を吹いた。
「早春譜」「滝廉太郎の花」「おぼろ月夜」そして最後に森山直
太朗の「さくら」を吹いた。尺八の舞台の前はびっしりイスが
埋まっていた。大きな拍手をいただいて舞台を降りた。

気持ちがこちらに向いている人と無関心な人が混在している所
での演奏の難しさを体験させられた演奏であった。
大学の入学式で尺八を吹く [2015年04月07日(Tue)]



桜が開花した次の日の4月4日、東北生活文化大学の入学式が
行われた。雲一つない真っ青な空の下、199名の入学生を前
に後援会長としての祝辞を述べた。いつも話すことは決まって
いる。115年前に創立された当時、この学校を支援してくれ
た3人のとてつもない偉人の紹介である。

まず日本初の平民総理大臣の原敬。もう一人は関東大震災の
復興院総裁として今の東京の姿を作った後藤新平。そして最
後は海軍出身の総理大臣で昭和天皇の信任が厚かった斎藤実
である。このお三方は折に触れて学校に激励に訪れている。
特に斎藤実は2・2・6事件で倒れるまでこの学校の設立者
として後援していた。水沢の記念館には学校とのつながりの
資料が展示されている。何故、偉人たちが支援したのか?

考えるに創立者の三島駒治夫妻と同じ岩手県、あるいは水沢出
身というだけではない。白河以北一山百文と蔑まれてきた東北
の貧しさからの脱却は教育であるという信念が共通していたか
らではないだろうか?しかも当初から法律学校と女子の職業学
校という地に足がついた実学であった。この伝統は今に繋がっ
ている。健康栄養学、生活美術をはじめ生活文化を学ぶ所。
そして最後に斎藤実の胸像が三島夫妻と共にこの大学の敷地に
あることを紹介する。これが私のお決まりの挨拶の骨子である。

入学式が終わると今年から引き続き、後援会の入会式がある。
ここで私が再登場して挨拶する手はずになっているが、今年は
思い切ったサプライズを打ち出した。何と挨拶の初っ端に尺八
を取り出し、お祝いに一曲吹きますと切り出した。自分でもこ
の大胆さに驚く。場内は一瞬、ざわめいた。型通りの挨拶と思
いきや何と古風な尺八とは。曲は「アメージンググレイス」。
讃美歌で神の大いなる恵みの意味である。静かに曲が流れ出す。
1番だけなので物の2分位か。マイクもあり体育館に響く。

終わると壇上の学長はじめ来賓、そして場内の生徒や父兄から
拍手が起こり鳴り止まない。「あ〜やって良かった」と安堵。
帰りに知らない先生からも「決まりきった式では感激が無い。
是非来年も」と声を掛けられる。実はこれを思い立ったのには
背景がある。それはこの学校に尺八や筝のクラブを作りたいと
思っていたからである。三島学園の同窓会や大学祭などでも演
奏する機会があり、少しは学校に三曲が浸透してきたかなと思
えたからである。しかし道はいまだ遠しである。地道に何度も
機会を捉えてやるしかない。今回を切っ掛けに道が開けるかも
知れないと春の青空に向かい、一抹の希望を抱くのである。


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