世界が注目した壁新聞
[2012年04月27日(Fri)]
「地域の応援団に徹する」
手書きの壁新聞で注目 石巻日日新聞
東日本大震災で社屋が被災する中、手書きの壁新聞を発行した石巻日日(ひび)新聞に対し日本記者クラブ特別賞が贈られることになった。授賞理由は「報道史に残る壁新聞づくり」。壁新聞は米ワシントンの報道博物館「ニュージアム」にも永久保存されることが決まり、その活躍はテレビドラマにもなった。同社を訪ねると、常務取締役の武内宏之報道部長は「多くの市民が今ももがき苦しんでいる。有名になったとかドラマになったとかで喜んではいられない」、「地域の応援団に徹したい」と意欲を語った。
震災から1年、震災前に1万4000部を数えた発行部数は7800部と過半まで回復したものの広告は4割にとどまる。人口16万人の石巻市は死者・行方不明者約5800人、全壊家屋4万4000戸、市街地全域が津波に襲われ甚大な被害を受けた。町の中心部からヘドロ状の土砂やがれきは姿を消したものの、建物の建築が制限された海沿いの地域にはがれきや廃車が山と積まれ、荒涼とした風景の中に復興の兆しを見出すのは難しい。
4月20日、日本財団の事業に関連して同社を訪れると、武内部長は1階輪転機室に案内してくれ「床上20aまで海水に浸かり、床に積んであった新聞ロール紙は使い物にならなくなった」、「輪転機は2年前に入れ替えたばかり。最大12n印刷可能の新鋭機だった」、「社員の大半が被災し取材用の車も流された」と被災直後の絶望的な状況を説明した。「大型車が木の葉のようにフワフワと流れる窓越しの光景に絶句した」とも。
そんな中、同社には物資が不足した戦時中、わら半紙で手書きの新聞を作った経験があり、上段に積んであったロール紙が無傷だったことも幸いして、壁新聞発行となった。3色の油性ペンで連日6部作成し、避難所など6カ所に張り出した。
「市民は食糧、水と同様、地域の情報も欲していた。しかし取材した写真や情報を入れるだけのスペースはない。それが悔しかった」(武内部長)
震災8日目に電気が通じ、輪転機のボタンを押すと、奇跡的に動いた。4頁から新聞発行を再開し現在は6頁に。大津波で多くの読者が家を失い、仮設住宅なども訪ね歩き拡張活動を続けた。震災前の過半に達した現在の部数は社員28人の熱意と努力の結果である。80%が従来からの読者、20%は新規読者という。
編集を束ねる平井美智子・報道部課長は「被災地の状況を全国に知らせるのが全国紙とすれば、被災者が日々、必要とする情報を提供するのが地域紙」と石巻日日新聞の役割を語った。石巻日日新聞は100年前、石巻初の地域新聞として創刊され、創業者・山川清氏は「地域の回覧板たれ」との言葉を残した。武内部長も「地域あっての新聞。地域の応援団として新聞発行を続けるのが使命」と語るとともに、「読者が求めている情報は何か、そんな目線が震災前より強くなったような気がする」と付け加えた。(了)
手書きの壁新聞で注目 石巻日日新聞
東日本大震災で社屋が被災する中、手書きの壁新聞を発行した石巻日日(ひび)新聞に対し日本記者クラブ特別賞が贈られることになった。授賞理由は「報道史に残る壁新聞づくり」。壁新聞は米ワシントンの報道博物館「ニュージアム」にも永久保存されることが決まり、その活躍はテレビドラマにもなった。同社を訪ねると、常務取締役の武内宏之報道部長は「多くの市民が今ももがき苦しんでいる。有名になったとかドラマになったとかで喜んではいられない」、「地域の応援団に徹したい」と意欲を語った。
被災地の桜も満開に
震災から1年、震災前に1万4000部を数えた発行部数は7800部と過半まで回復したものの広告は4割にとどまる。人口16万人の石巻市は死者・行方不明者約5800人、全壊家屋4万4000戸、市街地全域が津波に襲われ甚大な被害を受けた。町の中心部からヘドロ状の土砂やがれきは姿を消したものの、建物の建築が制限された海沿いの地域にはがれきや廃車が山と積まれ、荒涼とした風景の中に復興の兆しを見出すのは難しい。
がれき処理は依然進んでいない
4月20日、日本財団の事業に関連して同社を訪れると、武内部長は1階輪転機室に案内してくれ「床上20aまで海水に浸かり、床に積んであった新聞ロール紙は使い物にならなくなった」、「輪転機は2年前に入れ替えたばかり。最大12n印刷可能の新鋭機だった」、「社員の大半が被災し取材用の車も流された」と被災直後の絶望的な状況を説明した。「大型車が木の葉のようにフワフワと流れる窓越しの光景に絶句した」とも。
そんな中、同社には物資が不足した戦時中、わら半紙で手書きの新聞を作った経験があり、上段に積んであったロール紙が無傷だったことも幸いして、壁新聞発行となった。3色の油性ペンで連日6部作成し、避難所など6カ所に張り出した。
「市民は食糧、水と同様、地域の情報も欲していた。しかし取材した写真や情報を入れるだけのスペースはない。それが悔しかった」(武内部長)
石巻日日新聞報道部
震災8日目に電気が通じ、輪転機のボタンを押すと、奇跡的に動いた。4頁から新聞発行を再開し現在は6頁に。大津波で多くの読者が家を失い、仮設住宅なども訪ね歩き拡張活動を続けた。震災前の過半に達した現在の部数は社員28人の熱意と努力の結果である。80%が従来からの読者、20%は新規読者という。
編集を束ねる平井美智子・報道部課長は「被災地の状況を全国に知らせるのが全国紙とすれば、被災者が日々、必要とする情報を提供するのが地域紙」と石巻日日新聞の役割を語った。石巻日日新聞は100年前、石巻初の地域新聞として創刊され、創業者・山川清氏は「地域の回覧板たれ」との言葉を残した。武内部長も「地域あっての新聞。地域の応援団として新聞発行を続けるのが使命」と語るとともに、「読者が求めている情報は何か、そんな目線が震災前より強くなったような気がする」と付け加えた。(了)