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四季折々の雑記

 30年以上在籍したメディアでは「公」の動きを、その後10年以上は「民」の活動を中心に世の中を見てきた。先行き不透明な縮小社会に中にも、時に「民の活力」という、かすかな光明が見えてきた気もする。そんな思いを記したく思います。


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日本文化、色濃く残すパラオ  [2008年10月13日(Mon)]
あまりに美しい海と島
日本文化、色濃く残すパラオ



 みずみずしい香りを発散する緑の島々と吸い込まれるほどに透明な碧き海―9月14日から6日間、ミクロネシアとパラオを初めて訪れた。あまりの美しさと第2次世界大戦の激戦地として今なお多くの英霊が現地に眠る現実を前に言葉を失った。以下、改めて訪れる機会があることを期待して、駆け足で見聞したパラオの印象を記す。


                青、白、緑の3色の世界

▼残影

 パラオは第1次大戦後、日本がドイツに替わり委任統治し、風土が似た沖縄を中心に多数の日本人が移り住んだ。現在の人口は約1万8千人。戦前の最盛期には2万5千人を超す日本人が住み、インフラ整備に無関心だったドイツとは逆に学校や病院、道路を積極的に建設。コロールには南洋庁が置かれ、1933年の国際連盟脱退後は海軍基地を設け西太平洋の作戦拠点とした。

 200を超す島々の中心、コロール島の南洋神社跡には鳥居が残り、かつて日本人入植者の上陸用に掘られたという新水道は今も小型船の通路となっている。気候・風土が似ているせいだろうか、コロールの街は、やはり戦前2万人を超す日本人が住んだフィリピン・ミンダナオ島のダバオと驚くほど似ているような気がする。

 委任統治時代の積極的な日本語教育の影響か、現在も約400の日本語が日常生活の中に残る。いずれも地元のパラオ語になかった言葉がそのまま残ったとされ、例えば電気は「デンキ」、電柱は「デンキハシラ」といった具合だ。驚いたことに「ごみ」はパラオでも「ゴミ」。地元通によれば、一昔前までこの国で出るごみの類はバナナの皮や魚の骨など、放っておけばやがて腐敗して自然に還るものばかり。そもそも発想において、ごみという概念がなかったのではないかという。

 
                  海岸に積まれたゴミの山

 ところが近年はペットボトルからタイヤ、プラスチック容器、ビニール袋といった自然に還ることのない人工のゴミが増加、コロール島の海岸にもこうしたゴミがうず高く積まれ、ごみ山は年々、大きくなる一方という。途中で訪ねたパラオ政府の係官は「とりあえず分別収集を始める予定」というが、美しい島々の美観を保護する上でも大きな問題になりつつある。

▼旧軍

 旧海軍基地が置かれただけに、島のいたるところに岩をくり抜いたトーチカ跡が残り、「あかつき部隊」の陣営があったという小島の脇には桟橋の跡だろうか、6,7本の杭が頭を出していた。波打ち際に向けて前方がなだらかに下る水上飛行機用の滑走路跡は当時の原形をほぼそのまま残し、前方には米軍の激しい爆撃で二つに割れたといわれる「軍艦島」もかすかに見えた。

 米軍の総攻撃で50隻の旧日本海軍艦船が周辺の海に沈んだとされ、航行に支障のある浅い海域での沈没船は撤去されたが、今も4−5隻がコロール近くの海中に取り残されている。たまたま約1時間の空き時間を利用して小型観光船に乗ったところ、欧米のツアーだろうか、別の観光船の客が盛んに水中観察をしていた。ガイド氏によると、日本人観光客に評判がいいのはサンゴ。対照的に欧米、特に米国の観光客は第2次大戦の残影を見るのが好きで、一行も海底に沈む旧日本戦艦を楽しんでいるという。戦勝国には敗戦国と違った思いがあるのだろうが、旧日本海軍戦艦が観光資源となっている現実に絶句した。


                    旧海軍の飛行艇発着場

▼親日

 パラオの人たちは親日的である。訪問した時期は直後に大統領選を控え多忙な時期であったが、大統領、副大統領にお会いする機会もあり、随所で日本への期待を耳にした。「しつけ一つとっても日本が最高」などといった声も出た。海をイメージした青の下地に月を意味する黄色い丸が描かれた国旗も、日本国旗を参考にしたというのが通説のようだ。遠来の客に対するリップサービスが込められているとしても、他の訪問国ではまず感じたことがない親日感を宿泊先や街中での人々の視線に感じた。

 諸説あるが、パラオにわたって20年、観光業を営む日本人男性はその一因として、第2次世界大戦の末期のペリリュー島の攻防戦を挙げた。島に立てこもった旧日本軍守備隊は1万2千人。10倍を超す米軍の総攻撃を前に夜陰に紛れて地元住民全員を船で本島に移し、3日間にわたる激戦の末、ほぼ全員が玉砕した。地元民の犠牲者はなく、日本軍の潔さに対する信頼が今もパラオの人たちの心に残っているのだという。


                モダンなパラオ大統領府

 駆け足の出張で真偽は分からないが、攻防戦では米軍にも1万人を超す死傷者が出た。総攻撃を決めたのはフィリピン奪還に燃えるマッカーサー元帥。米太平洋艦隊司令長官のC・ニミッツはむしろ消極的であったとも伝えられ、聞くところによると、そのニミッツがペリリュー島の攻防に関して後に記したとされる詩の一文がその後、島に建てられた碑に刻まれているという。コロールから船で半日かかりというペリリュー島に行く時間はなく、未確認だが、資料によると、碑文は以下の内容という。

「Tourists from every country who visit this 
island should be told how courageous 
and patriotic were the japanese soldiers
who all died defending this island」
 
 国を思う気持ちを讃えるだけでなく、日米双方に多大な犠牲者を出したペリリュー上陸作戦が果たして必要であったのかー、そんな思いも込められているのかもしれない。
 
▼近年

 ミクロネシア連邦と違いパラオは観光客も増え、日本や韓国からの直行便も増えつつある。日本や台湾資本のモダンなホテルも並び、現在、中国系のホテルも建設中のようだ。宿泊先のホテルの支配人によると、外国人の居住者は中国人約1千人、日本、韓国、台湾人が100〜200人。フィリピンからの出稼ぎも多い。台湾と国交を結んでいることもあってか、観光客のトップは台湾人、次いで日本人、韓国人の順で、グアムの基地ら遊びに来る米兵の姿も目立つという。 



              緑の島、石灰質が浸食されている

 近年、マグロなど回遊魚に対する違法操業船が増え、米、豪両国の協力で取り締まりを強化しているが、極めて狭い領土とは逆に排他的経済水域(EEZ)はあまりに広大。巡視船、人手不足も甚だしく、ほとんどお手上げの状態。大統領選に出馬中の副大統領は私見と断った上で「海をいくつかに仕切って、漁業権を各国の企業に売った方が現実的。日本など各国の観光客も間違いなく増える」と語った。いろんな意味で将来が気になるパラオ初訪問となった。
                                            (了)
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コメント
ニミッツの詩は名越二荒之助のでっち上げでしょう
Posted by:ヒメ  at 2009年01月27日(Tue) 23:43
念願の宮崎さんとのミクロネシア出張。お世話になりました。

ゴミの語源を調べたら「木の葉」との説がありました。
日本のゴミも近代化とともに変わってきたのではないでしょうか?

Posted by:早川理恵子  at 2008年10月18日(Sat) 11:10
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