映画「蟻の兵隊」の試写会に参加して
[2005年11月18日(Fri)]
11月15日、山西省残留日本兵問題をテーマにした映画「蟻の兵隊」の試写会を観た。「延安の娘」で知られる池谷薫監督による2本目の長編ドキュメンタリーで、製作委員会に寄せられた支援金などを基に国内・中国ロケを敢行し、150時間のテープを101分に編集して完成したと聞く。
怒りと苦しみ
主人公は、前回触れた軍人恩給請求訴訟の原告のひとり奥村和一さん。奥村さんらが敗戦後も山西省に残留し国民党の一翼として中国共産軍と戦うことを余儀なくされた背景に何があったのか、さらに踏み込んで自身を「殺人者」に仕立てた戦争を改めて問い掛ける内容。靖国神社に初詣に訪れた戦争を知らない世代と奥村さんとの対話から、終戦時、全将兵を速やかに帰国させるべく南京総司令部から山西省太原に飛び、現在は高齢のため病床にある当時の総司令部主任参謀との対面、さらに山西省への旅と画面は展開する。
前半では奥村さんらが所属した北支方面軍第1軍の将兵約1万人のうち2600人が国民党の“傭兵”として現地に残留することになった背景に、戦犯逃れを意識した当時の日本軍司令官の思惑と、圧倒的な共産軍の前に守勢に立たされた国民党司令官との密約があったことを示唆。後半では初年兵教育の名で残虐行為を強制された奥村さんの体験を基に、現地への旅を通じて戦争が持つ「狂気」を浮き彫りにしていく。奥村さんの怒りと悲しみが全編にあふれ、観る者に「戦争とは何か」を重く問い掛けてくる。
池谷監督は試写会の後「どのような形で映画を公開していくか、これから決める」と語っているが、是非,ひとりでも多くの人に観てもらいたい作品だ。
激しく反応
本来ここでは映画に対する感想を述べるべきだが、その前に個人的な思いを記すことにする。というのも、奥村さんが病院に面会に訪れた南京総司令部の主任参謀・宮崎中佐(当時)は私の叔父に当たる。映画で叔父は奥村さんの語り掛けに、3回にわたり絶叫に近い大声で反応した。介護に当たる長女の増本敏子さんによると「話すこと、見ることは駄目だが、耳は聞こえる」という。太原に飛行機で同行した少佐(当時)の手記「山西省内日本人引揚促進の想出」によると、叔父は全将兵の帰国に強い義務感と熱意を持っていたことがうかがわれる。激しい反応を見た瞬間、結果的に全将兵を救えなかったことに対する無念の表われ、とも感じられ、正直言って、衝撃を受けた。
私はこの夏まで在籍した通信社で法務・検察、厚生行政を長く担当、台湾日本兵、シベリヤ抑留兵、中国残留孤児など戦争を起点とした多くの問題を取材する機会があった。しかし叔父に取材を申し入れたことはなかった。多忙で時間がなかったというより、「(叔父にとって)触れられたくないテーマ」「聞いても何も答えてくれないだろう」との思いが先行し、そうした発想をしなかった、ということになる。しかし、今回の映画で叔父の激しい叫びを聞いた時、少なくとも山西省残留日本兵問題に関しては、むしろ多くを語ってくれたのではないかと思う。何故、素直にアプローチしなかったのか、残念であり、後悔している。(了)
怒りと苦しみ
主人公は、前回触れた軍人恩給請求訴訟の原告のひとり奥村和一さん。奥村さんらが敗戦後も山西省に残留し国民党の一翼として中国共産軍と戦うことを余儀なくされた背景に何があったのか、さらに踏み込んで自身を「殺人者」に仕立てた戦争を改めて問い掛ける内容。靖国神社に初詣に訪れた戦争を知らない世代と奥村さんとの対話から、終戦時、全将兵を速やかに帰国させるべく南京総司令部から山西省太原に飛び、現在は高齢のため病床にある当時の総司令部主任参謀との対面、さらに山西省への旅と画面は展開する。
前半では奥村さんらが所属した北支方面軍第1軍の将兵約1万人のうち2600人が国民党の“傭兵”として現地に残留することになった背景に、戦犯逃れを意識した当時の日本軍司令官の思惑と、圧倒的な共産軍の前に守勢に立たされた国民党司令官との密約があったことを示唆。後半では初年兵教育の名で残虐行為を強制された奥村さんの体験を基に、現地への旅を通じて戦争が持つ「狂気」を浮き彫りにしていく。奥村さんの怒りと悲しみが全編にあふれ、観る者に「戦争とは何か」を重く問い掛けてくる。
池谷監督は試写会の後「どのような形で映画を公開していくか、これから決める」と語っているが、是非,ひとりでも多くの人に観てもらいたい作品だ。
激しく反応
本来ここでは映画に対する感想を述べるべきだが、その前に個人的な思いを記すことにする。というのも、奥村さんが病院に面会に訪れた南京総司令部の主任参謀・宮崎中佐(当時)は私の叔父に当たる。映画で叔父は奥村さんの語り掛けに、3回にわたり絶叫に近い大声で反応した。介護に当たる長女の増本敏子さんによると「話すこと、見ることは駄目だが、耳は聞こえる」という。太原に飛行機で同行した少佐(当時)の手記「山西省内日本人引揚促進の想出」によると、叔父は全将兵の帰国に強い義務感と熱意を持っていたことがうかがわれる。激しい反応を見た瞬間、結果的に全将兵を救えなかったことに対する無念の表われ、とも感じられ、正直言って、衝撃を受けた。
私はこの夏まで在籍した通信社で法務・検察、厚生行政を長く担当、台湾日本兵、シベリヤ抑留兵、中国残留孤児など戦争を起点とした多くの問題を取材する機会があった。しかし叔父に取材を申し入れたことはなかった。多忙で時間がなかったというより、「(叔父にとって)触れられたくないテーマ」「聞いても何も答えてくれないだろう」との思いが先行し、そうした発想をしなかった、ということになる。しかし、今回の映画で叔父の激しい叫びを聞いた時、少なくとも山西省残留日本兵問題に関しては、むしろ多くを語ってくれたのではないかと思う。何故、素直にアプローチしなかったのか、残念であり、後悔している。(了)
経済同友会終身幹事の品川正治さんのインタビューの記事にいくつかのコメントやトラッ [Read More]