中国東北部で今も活用される日本建造物
[2019年10月01日(Tue)]
「残してこそ真実の歴史伝わる」の考えも
“日帝残滓”として解体進める韓国と対照
中国も韓国も日本との間に「歴史問題」を抱えている。しかし日本が戦前、現地に残した建造物に対する姿勢はかなり違う。中国では東北部(旧満州)を中心に日本ゆかりの建物の多くが「文物保護単位」(文化財)として保存・活用されており、「日帝残滓」(捨て去るべき廃棄物)として建物の解体を進める韓国と対照を見せている。他の旧址(史跡)と同様、歴史的、文化的価値に応じて「国家級」、「省級」、「市級」に分類され、表向き日本と関係が特に問題にされていることはないようだ。
旧奉天中央郵便局
もちろん、国内の意見は「利用価値があれば当然使うべき」といった割り切った意見から、「侵略された歴史の証として残すべき」、さらには「忌まわしい過去について思い出したくない」といった声まで幅がある。そうした中で近年、残された建物を純粋に建築学の立場から再評価する動きや歴史の一断面として保存を目指す動きも出ているようで、中国の“懐の深さ”を垣間見る思いもする。
9月末、久し振りに訪れた遼寧省の省都・瀋陽市。人口830万人。旧満州時代、奉天と呼ばれ、日本人が多く住んだ旧大和区などを中心に外観が東京駅とそっくりな瀋陽駅や旧奉天中央郵便局、奉天警察署、横浜正金銀行奉天支店など多数の日本ゆかりの建造物が文化財として残され、公安局や銀行支店など当時と似た用途で利用されている。
このうちの一つ旧奉天ヤマトホテル。戦前の満州鉄道が大連や長春(新京)、ハルビンなどで経営した最高級ホテルチェーンのひとつで、白っぽいタイル仕上げの建物はほぼ当時のまま残され、現在は遼寧賓館として使われている。省級文物保護単位(文化財)に指定され、正面入り口には「遼寧省人民政府 2007年5月26日公布 大和旅館旧址」のプレートも。戦前は蒋介石、戦後は中華人民共和国の指導者、毛沢東やケ小平も訪れている。
今回の遼寧省訪問は、同市で開催された日本財団の日中医学交流事業関連のフォ−ラム取材が目的。一夜、遼寧賓館で懇談の機会があった。アール・デコ調の内装は格調が高く、たまたま結婚式の披露宴が行われていた大ホールには戦後、参院議員にもなった李香蘭(山口淑子)がロシア人歌手のリサイタルの前座を務め、奉天放送局がスカウト、俳優・歌手として活躍するきっかけとなった舞台(李香蘭・私の半生 新潮社)もそのまま残されていた。
旧奉天ヤマトホテルに当時のまま残る大ホール舞台
瀋陽に先立って訪問した重慶市、雲南省昆明でも、日本ゆかりの建造物保存を話題にしてみた。一番多かったのは「建物が立派で利用価値があったから残った」という現実的な説明。次いで「歴史の一部だから残す。残さなければ歴史は失われる」といった指摘も目立った。金泳三大統領時代の1995年、爆破解体された朝鮮総督府を引き合いに「建物を壊したからといって支配されたという歴史は消えるものではない」、「後世に残してこそ真実の歴史を伝えることができる」といった声も聞かれた。
関連して友人に中国の若者の反応を聞いてもらうと、「どんな立派な建造物であろうと、日本人の統制下で強制的につくられた憎い歴史を思い出させる存在であることに変わりはない」といった返事も。その一方で、大連など瀋陽以外の都市も含め、建物の様式や技術、工法など純粋に建築学の分野から価値ある近代建築として、あるいは歴史的な古い建物群として保存する動きも出ているようだ。
確かに旧満州地域に残る日本ゆかりの建造物は、日本の若き建築家たちが、日本方式、中国方式にとらわれることなく全く新しい発想で、この地に合う石造り、鉄骨構造の洋風建築を目指したと言われる。都市開発や老朽化で古い住宅や関連の建物が姿を消す中、新しい保存の取り組みが、どう発展するかー。歴史問題は今も敏感なテーマであり、どう向き合うかは日本を含めそれぞれの国の問題である。軽々しく言うつもりはないが、そんな思いも込め今後の動きに注目したいと思う。