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四季折々の雑記

 30年以上在籍したメディアでは「公」の動きを、その後10年以上は「民」の活動を中心に世の中を見てきた。先行き不透明な縮小社会に中にも、時に「民の活力」という、かすかな光明が見えてきた気もする。そんな思いを記したく思います。


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日本の現状を憂う [2014年08月16日(Sat)]
すべき反論を為さない危険性
不要なナショナリズムを高揚させる


 69回目の終戦記念日を迎えた。世界は今、イスラム世界での紛争多発、ウクライナ領クリミアの編入に伴うロシアと欧米の対立など緊張が高まり、日本を取り巻く情勢も中国、韓国による歴史認識批判・攻撃が激しさを増している。

 
 世界に国境があり、民族、宗教、文化の違いがある限り、争いはなくならない。国が国としての求心力、まとまりを維持するためには緊張が欠かせず、それ故に政治家は平和よりも対立を演出することで自らの存在感を維持しようとするのかもしれない。

写真1.jpg

赤坂から見た東京の夕暮れ ビルの左横にかすかに富士山が見えた

 中国、韓国の日本攻撃を見ていると、そんな気もする。安倍政権の集団的自衛権を「軍国主義の復活」、「右傾化の象徴」と批判するが、平和慣れしたこの国の国民、若者には安倍首相がどう笛を吹こうと、軍国主義を歓迎するような覚悟、気力はなく、そんなことは両国とも知っている。日本批判は多分に国内向けなのだ。

もちろん国際社会は非武装中立を唱えれば、「平和」が保たれるほど甘くはない。集団的自衛権など一連の動きも、安全保障に関し、せめて普通の国並みの“体裁”を整えたい、といった希望の現われと見た方が理解しやすく、現実にもそれ以上の意味は持たない。

それにしても、この国の戦後の“引きこもり現象”は戦前に対する反省なのか、それとも自信喪失なのかー。敗戦国として当然“けじめ”を付けるべき一連の戦後処理の不徹底も、一方的で根拠のない日本批判に対し為すべき反論をなし得ないのも、ともに自信のなさからくる不作為ではないのかー。

そんな思いで毎日フォーラム8月号の「視点」欄に「残された戦後処理を徹底し、国の尊厳と発言力を守れ」の一文を投稿した。国家の尊厳は、為すべき責任を果たし、すべき反論を毅然と行うことで初めて確立される。そうでなければ中国や韓国の日本攻撃はいたずらに加速し、結果、不要なナショナリズムが高揚するばかりか、周辺国との未来志向の関係も築けない、といった内容。以下が全文、一読いただけると幸いだ。

×           ×           ×

比残留二世の国籍取得

残された戦後処理を徹底し国の尊厳と発言力を守れ


歴史問題に対する中国、韓国の対日攻撃が激しさを増し、「南京事件で30万人が虐殺された」、「20万人が従軍慰安婦として強制連行された」など“歴史的根拠が希薄な事実”が一人歩きしている。共闘体制を加速させる中韓両国に対する反発と、有効な反論をなし得ていない日本政府に対する不満が、国民のナショナリズムを高揚させる結果にもなっている。

なぜ、このような事態になったのか。中国、韓国の日本批判にくみするつもりは毛頭ないが、戦後70年近く経った現在も徹底を欠くこの国の戦後処理に一因があるような気がしてならない。8月5日、父親の手掛かりを求め7人が来日したフィリッピン残留二世の国籍問題を中心に現状を振り返る。

写真2.jpg


戦後処理に関し、ここ二十数年間で目を引く動きが二つあった。一つは台湾人元日本兵に対する補償問題。政府は1987年、「台湾住民である戦没者遺族等に関する法律」を制定し、日本の軍人・軍属として戦没、あるいは戦傷病者となった台湾住民、遺族に対し1人200万円の弔慰金を支払った。もう一つは旧ソ連軍によるシベリア強制抑留問題。戦後65年も経た10年、「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」(シベリア特措法)がまとまり抑留された元日本兵らに対する補償にようやく手が付けられた。

いずれも元日本兵らが損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京高裁や京都地裁が請求を退ける一方で国に然るべき対応を促したのを受け、法律が制定され補償の道が開かれた。行政の対応には、根拠となる法律の存在が欠かせない。比残留二世と同様、戦争の混乱で肉親と離れ離れになった中国残留孤児も、家庭裁判所の許可を得て新たに戸籍を作る就籍手続きで日本国籍の取得を進めているが、法の有無が双方の現状に大きな差を生じさせる一因となっている。

中国残留孤児の場合は74年、日中国交回復の高まりを受け、日中両国政府が早期解決に向け口上書を交わし、円滑な帰国の促進や永住帰国後の自立支援などを内容とする「中国残留邦人支援法」など三つの法律を整備した。これを受け家庭裁判所も中国政府作成の名簿に登載された孤児の就籍に前向きに取り組み、既に約1300人が日本国籍を取得している。

対する比残留二世。日本政府が初めて実態調査に乗り出したのは終戦からほぼ半世紀経った93年。フィリピン日系人会などの協力で調査を進めた結果、全体で約3000人、うち900人は父親の身元が分からず日本国籍を取得できないまま無国籍状態にあり、500人近くが既に故人となっていた。

長らく“忘れられた存在”であり、就籍による国籍取得も04年のスタートと大幅に遅れた。数年 前、国籍取得を支援する日本財団やフィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)の関係者と現地を訪れ、日系人会の幹部と話すうち「われわれは半世紀以上も棄民だった。何故だ」と問われ絶句した思い出がある。

フィリピン日系移民は1903年、道路建設に従事する契約労働者として3000人近い日本人が移住したのが始まり。第二次世界大戦直前には約3万人がフィリピンに住み、ミンダナオ島の港町ダバオには東洋最大、2万人の日本人町も形成され、多くが現地の女性と結婚し地域社会にも溶け込んでいた。

しかし41年の大戦勃発とともに軍人、軍属として応召され、戦死、あるいは捕虜として収容―強制送還され、二世は母とともに現地に取り残された。日本の敗戦が濃厚となる中、「敵国人の子」としてゲリラの襲撃対象となり、逃避行の中で父とのつながりを示す写真や出生証明書、両親の結婚証明書を自ら捨てた。教育を受ける機会もなく、今も多くの二世が極貧生活を余儀なくされている。

これまでに計209人が東京家裁に就籍の申し立てを行い、121人が認められた。現在、31人が係争中。PNLSCによると未把握の残留二世も含め、今後さらに300人近くが申し立てを行う見通しという。

就籍を促進するには、中国残留孤児と同様、法を整備し、司法が前向きに取り組める環境をつくるのが最も現実的だ。新法の整備や中国残留邦人支援法など関連法を一部改正して残留二世を新たな対象に加えるよう求める声が強く出されているが、実現していない。

満蒙開拓団など国策によって中国に渡り両親とも日本人である中国残留孤児と、個人の意思で移民した日本人男性の子である比残留2世は違う、といった指摘もある。しかし当時の国籍法は日本、フィリピンとも父系主義を採っており、日本人を父に持つ残留二世は当然、日本国籍を取得する権利を持ち、理のない指摘である。

日本―フィリピンの国交が56年に正常化しているのを受け「残留2世は自己意思で現地に残った」といった声もある。逃亡生活など過酷な環境を生き抜いてきた残留二世の厳しい現実を知らない無責任な見解と言うしかない。

同様の「自己意思残留」は、終戦直後、共産軍との内戦を前に国民党軍閥の働き掛けで約2500人が現地に残された山西省残留日本兵の恩給訴訟でも見られた。国は、既に戦争が終わっていたことを理由に「現地に残ったのは自己意思」と主張し、最終的に請求棄却の判決が確定したが、旧日本軍の鉄の規律からも国民党軍への参加が上官の“命令”であったのは容易に推察できる。時に“逃亡兵”の汚名さえ着せられた元日本兵の無念は察するに余りある。

日本の戦後処理対策は一義的に厚生省(現厚生労働省)の援護局に行った。かつて司法、厚生省記者クラブで戦後補償関連の訴訟や援護行政を取材した体験を踏まえれば、戦後処理という重大なテーマを前に、国は少なくとも「省」単位の大きな組織を立ち上げ、明確な対処方針を決めた上で総合的、体系的に取り組む姿勢が必要ではなかったかと思う。

台湾人元日本兵の補償ひとつ取っても、52年の日華平和条約で元日本兵は日本国籍を喪失しており、「受け身」の姿勢で処理するのは難しい。大局に立った国の判断こそ不可欠であった。軍人、軍属ら240万人が戦地に散り、半数弱の113万人分が未収用状態にある遺骨収集について最近、あらためて新法をつくり、「国の責務」で10年間かけ、集中的な取り組みを目指す動きが出ている。戦後処理は今もなお、途上にある。

比残留2世に関してもフィリピン政府が近年、父親が日本人と確認された2世に対する認証証書の発行に踏み切っている。日本政府もこうした動きを受け、前向きに対応するべきである。そうすれば就籍の審判にも弾みがつき、「日本人の証」を手にすることなく故人となった残留2世の名誉回復にもつながる。

 
今回来日した残留2世は男性5人、女性2人。この春、鹿児島出身の父の身元が判明し就籍が認められた男性1人を除く6人は父親の手掛かりを求める一方、東京家裁での調査官面接に臨む。年齢は平均73・3歳。日本国籍の取得は、時間との戦いでもある。

国の名によって行われた戦争の被害は国の名で救済されなければならない。それが国の求心力、尊厳を守り、国際社会に対し必要な主張を毅然行う姿勢にもつながる。(了)
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