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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
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常に「今なり」、最後が最善 [2023年03月22日(Wed)]
『内村鑑三所感集』より――
最善の最後
信者の生涯は始めは悪くして終りは善くある、
終りに近づくぼどますます善くある

生命の夕暮れになればなるほど、
かれはなにものかかれの心の奥深きところに結実しつつあるを感ずる。
人あり、
かれにその生涯の中に最も愉快なりし時はいつか? と聞くならば、
かれは常に「今なり」と答うるのである。
しかしてかれの最後(ラスト)が最善(ベスト)である
あたかも年末のクリスマスがかれにとり最も喜ばしきときであるように、
かれの生涯の終りがかれにとり最も感謝多き時である
しかしてかれが特別に感謝して止まざることは、
かれの生涯の計画がことごとく失敗であって、
かれの計画に反せし神の御計画がかれの身において成ったことである。
「このゆえにわれ
 懦弱(よわき)と凌辱(はずかしめ)と空乏(ともしき)
 迫害(せめ)と患難(なやみ)に遭うを楽しみとせり
」。
信者にはこんな感謝があるのである。
(1917/12)

雨上がりの朝、アジサイの芽吹き、
新芽に生き生きと葉の水滴が鮮やかです。
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メダカも目を覚ましたようです

Haste not, Rest not.
「急がず、休まず」新渡戸稲造


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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
幸福の泉 [2023年03月20日(Mon)]
『内村鑑三所感集』より――
幸福の泉
満足の人とは独立の人である、不平の人とは依頼の人である
神と自己(おのれ)とに頼って生存する人には
この世ははなはだ愉快なるところである。
しかるにこの明白な原理を知らないで、
他人に恩恵を求めてその与えられざるを怒り、
常に世の無情を憤りながら憂き日月を送る者は実に愚かなる者である。
幸福は常にわが腕と心とにある
これを他人の手に求めてわれらに来るものは
ただ失望と恥辱と不平とのみである


丹後ウルトラマラソン
還暦を過ぎて61歳の初挑戦は13時間53分42秒で完走を果たし、
翌62歳の二度目の挑戦は13時間58分57秒。
残りわずか1分3秒とはいえ完走を果たし、
70歳でタイタン達成も夢ではないと意気込むも、
コロナ禍で2年連続で開催されず。

3年ぶりに開催の昨年は、
私にとって高齢者デビュー戦(65歳)でしたが、
諸事情あって心と身体が調わず、
第二関門(54.6キロ)をクリアするも、
碇高原アタックを断念して収容バスに乗りました。

先日、本年開催の案内ハガキが届きましたが、
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諸事情あって今年は参加できないとハガキを破り捨てたつもりが、
昨日、もろもろ片づけていると捨てずに残っていました。

復帰レースに決定ひらめき
―― 2023年9月17日、6カ月、26週、180日

・チャンスは一度きり(二度ない、今ここ自分に全力投球)
・先のことは分からず(タイタンのカウントダウンは不要)
・初心忘るべからず(初心に感謝し、初心を重ねて行く)

諸事情あってすっかり遠のいているので、まずは足馴らし
そして、来月からは下記に参加
・第2日曜は武庫川SCのロード記録会で3時間走
・第4日曜は長居わーわーずの伴走練習会
(追記)・長居で秘密の特訓LSD(毎月開催・日程未定)

七七日、百ケ日、初盆、そして丹後(9/17)

Haste not, Rest not.
「急がず、休まず」新渡戸稲造


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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ただ一輪の草花にしても [2023年03月13日(Mon)]
先日(3/7)見事な花を咲かせた椿は散りました。
KIMG3485.JPG(3/7)

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穏やかな陽気に、
ほかのツボミが次々と花を咲かせてくれ、いずれも見事です。
KIMG3505.JPG(3/11)

椿のほかにも、沈丁花やスミレなど花を咲かせていました。
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ただ一輪の草花にしても、
私心なく、自然に、素直に花を咲かせている
わけです。
そういった花の姿をみて、
もちろん何も感じないという人もいるでしょうが、しかし、
素直な心になりたいというつよい願いをもっている人の場合には
あるいはそこに何らかの偉大なヒントを
見出すかもしれない
と思うのです。
第5条「自然と親しむ」/素直な心を養うための実践10ヶ条
松下幸之助『素直な心になるために』
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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
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「一期一会」
「脚下照顧」
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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
不便だけど不幸じゃない [2023年03月08日(Wed)]
実家の南側の庭の椿、
一気に花を咲かせてくれました。
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KIMG3485.JPG(3/7)

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それにしても、ツボミを膨らませてから
花を咲かせるまでこんなに日数を要するとは・・・
じっくり力を蓄えただけあって見事です。

(↓)2週間前の2月22日
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大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい

着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
――「時を待つ心」/松下幸之助『道をひらく』

文藝春秋(2023/2)の記事が目に留まりました。

たしかに、不便だから工夫もするし、新しい知恵も生まれる。
そして不便を分かち合い、楽しく心豊かに暮らす喜び。
ぐっち、はるかさん、ひなちゃん、お幸せに四つ葉

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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天与の尊い道に生きる [2023年03月05日(Sun)]
内村鑑三「天職発見の途」1913.10.10
己が天職を知らんと欲するもの多し、
言ふ、我にして若し我が天職を知ることを得ん乎、
我は我が全力を注ぎて之に当たらんと。
人よ、汝は汝の天職を知るを得るなり、
汝は容易に之を発見するを得べし。
汝の全力を注ぎて汝が今日従事しつゝある仕事に当るべし、
然らば遠からずして汝は汝の天職に到達するを得べし、
汝の天職は天よりの声ありて汝に示されず、
汝は又思考を凝らしてこれを発見する能はず、
汝の天職は汝が今日従事しつゝある職業に由つて汝に示さるゝなり、
汝は今や汝の天職に達せんとして其途中に在るなり、
何ぞ勇気を鼓舞して進まざる、
何ぞ堕想に耽(ふけ)りて天職発見の時期を遅滞せしむるや

智者あり、曰く
  凡て汝の手に堪(たふ)ることは力を尽くして之を為すべし
と(伝道之書9章10節)、
此外別に天職発見の途あるなし、
平々担々たる途なりと雖も其終点は希望の邑(まち)なり、
感謝と歓喜との京城(みやこ)なり

手の及ぶことはどのようなことでも
力を尽くして行うがよい

コヘレトの言葉 9章10節(聖書協会共同訳)

天職を発見するの法は
今日目前の義務を忠実に守ることであります、
左すれば
神は段々と我等各自を神の定めし天職に導き給ひます、
要するに天職は之に従事するまでは
発見することの出来るものではありません、
予め天職を見付け置いて
然る後に之に従事せんと思ふ人は
終生、其天職に入ることの出来ない人であります

凡て汝の手に堪ふることは力を尽くして之を為せ
(伝道之書9章10節)との聖書の教訓が、
之が天職に入るための唯一の途であります、
我等は
時々刻々と我等の天職に向つて導かれて行く者であります、
或る一時の黙示に接して活然として天職を覚る者ではありません

内村鑑三「如何にして我が天職を知らん乎」1904.8.18

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練り切りの男雛/和菓子処 喜楽さん

松下幸之助『道をひらく』より――
「道」
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩む
ことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる


大切なことは、
やはりどのような境遇にいようとも、
精いっぱい人事を尽くすことではないでしょうか。
自分の人生にはどうにもならない面もあるということを知った上で、
信念を持って、自分自身の歩みを力強く進めていく

そうすれば、
大きな成功をおさめても有頂天にならないし、
失敗しても落胆しない

あくまで淡々となすべきことをなしていけるのではないか。
「運命を生かす」/松下幸之助『人生談義』

とかく、わたくしどもは、
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、そこに失敗の原因があります

その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『愛語』


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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
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「一期一会」
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小なるつとめ小ならず [2023年03月03日(Fri)]
矢内原忠雄『内村鑑三とともに』より――
「後世への最大遺物」
考えてみると、われわれの生涯はものを考えることではない。
考えていても世の中は少しもよくならない。
実行しなければいけない。
何でもいいから手近なことを実行することだ

いくら考えましても、あるいは祈りましても、
実行しないならば、自分の生涯は勇ましくも高尚にもならないし、
この世は少しも善くならないのであります。
事業と言うと大げさに聞こえますけれども、
われわれの生活に実践するということであります。

誰でも手近な、自分の手の届く範囲で、
善きことと思うことをしなければならない。

自分の手の届く範囲で、
やろうと思うならば誰にも比較的簡単にできることでありまして、
しかもそれが今日の日本に最も必要なことであります


今日、それはわれわれの義務であり、責任である。
実行の時期である。

たったひとりでも実行できないわけではない。

手近なところになすべき仕事は山ほどころがっている。

事業の価値をその規模の大小ではかることは間違いであります。
事業の価値はその品質にある。その精神にある。

己のために他人を利用しようという考えは、
ただにキリスト教の敵であるのみならず、
人類を破壊するものであります。
自分は他人のために生活するんだ、人類のため生活するんだ、
という考えは、国民を建設し、世界を建設する考えであります

神のためということがわからなければ、
せめて他人のため、人類のために生きるということだけでも、
わかって頂きたいと思うのであります。

小なるつとめ小ならず、世を蓋うとても大ならず、
小はわが意をなすにあり、大はみむねによるにあり。

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また一輪咲きました(3/3)
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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
良いときも、悪いときも、いかなるときも [2023年03月01日(Wed)]
松下幸之助『道をひらく』より――
「心を通わす」
古人曰く、人生はあざなえる縄の如し。
まことにこの世の中、長い人の歩みのなかには、
よいこともあればわるいこともある。
うれしいこともあれば悲しいこともある。
そして、よいと思ったことが実はわるくて、
わるいと思ったことが実はよくて、
つまりはあれこれと思いまどうことは何もなくて、
はじめから素直に謙虚に歩んでおればそれでよかったと、
人の知恵の浅はかさに、いまさらのように胸打たれることがしばしばある。

はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、
また徹底的によいということもない
のである。
それでもなお人は、
わるいと思うときには自分で自分の心を閉ざし、
よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる。
心を閉ざし、人をへだて、心と心とが通い合わぬ姿からは、
おたがいに協力も助け合いも生まれてはこない。
心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。

有為転変のこの世の中、
よいときにもわるいときにも、いかなるときにも
素直に謙虚に、おたがいに心を通わし、思いを相通じて、
協力し合っていきたい
ものである。

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