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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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★経営のための会計★
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商売の尊さと喜び [2023年01月29日(Sun)]
昨日(1/28・土曜日)の夕方4時頃、ぶらり千里中央へ。
冷たい雨まじりの雪が吹く中
モノレールの駅から北大阪急行に向かう連絡通路では、いつもと変わらず
ビッグイシューの最新号を手に掲げて販売しておられました。

松下幸之助さんが「峠の茶屋」で説くおばあさんを彷彿させる姿に感銘し、
ビッグイシューの最新号を買わせていただきました。
――「当たり前が当たり前でなく、それゆえ有り難いひらめき

お茶を売って金を儲けるということだけから見れば、
この茶店はおばあさんのたんなる暮らしの手段にすぎず、
旅人たちと別になんの約束もしていないのだから、
自分の都合が悪ければ、いつ休んでもいいようなものである。
だが、このおばあさんには、そんな味気ない考えは、
すこしもなかった
と思われる。

千里中央で販売しておられる入沢さんのビッグイシューは、
手書きの感謝のメッセージが添えられています。
A4のコピーで、今回は感謝の言葉に続いて
・「七福神の出身地」
・「長ネギの青い部分の簡単レシピ」
・「恵方巻の歴史」が記されていました。

松下さんが「峠の茶屋」で説かれるように、
入沢さんの姿には「たんに雑誌を売ってお代を頂くという以上の、
誠実な奉仕の気持ちがあふれている
」のを受け止め、
「商売の尊さと喜び」についてあらためて深く考えさせられました。

そこになんだか、儲けということを超えた、
イソイソとした姿
が浮かび上がってくるのである。
商売の尊さと喜びは、
こんなところにあるのではなかろうか。

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パナソニックミュージアム(2023.1.12)

そして、千里中央で入沢さんから買い求めたビッグイシューの最新号、
国際記事の「レフェットリオ、魂を満たす食事とは?」に
インパクトを受けました。

「世界のベストレストラン50」で2016年と18年に世界一に輝いた
「オステリア フランチェスカーナ」のオーナーシェフ、
マッシモ・ボットゥーラに対するインタビュー。

フードロス削減と貧困問題を同時に取り組むコミュニティ食堂
「レフェットリオ」について、その思想に色々と考えさせられました。

記事を読んで、まず考えさせられたのは、
「レフェットリオ」をオープンするアイデアは、
2015年に開催されたミラノ万博のテーマがきっかけで、
(ちなみに、テーマは「地球に食料を、生命にエネルギーを」)
そのきっかけが単なるテーマ以上のもので、
自らに問いかけ、出した答えがこの行動だった
とのこと。

一方、2025年に開催される関西万博。
実のところ、私にとって地元開催なのに関心なく、
テーマも知らず、自ら問いかけて考えたことはありませんでした。
(ちなみに、テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」)

また、先日のニュースで報じられたところによると、
万博に出展を予定していた大阪外食産業協会は、
「資金集め難航で出店辞退も検討したが、
 面積を3分の1に規模を大幅に縮小して出展」とのこと。

しかし、肝心要の話は、出展か否かや、出展の規模ではなく、
出展の「中身」や「閉会後の展開」ではないかと・・・

ミラノと大阪は姉妹都市のはずですが、
「商売」や「食」に対する意識や思想がまったく違います。
残念ながら、ミラノに感じる「哲学」を大阪は感じさせない・・・
(私が感じないだけか、感じさせないよう仕向けられてるのか)

この活動は、慈善事業ではなく文化なのです。
持続可能で包摂的な未来を創るためには、
みんなが一緒になって未来の姿を想像し、
そこに向ってともに行動を起こさなければなりません。

食べ物の質以上に問われるべきは、
人間としての尊厳であり、食べ物への敬意です。
食に向き合う姿勢は、
私たちの価値観や文化を反映するもの
です。
自分自身が食べる時も、家族に食べさせる時も、
地域の人に食べてもらう時も、何の違いもありません

食は、私たちに単なる栄養以上のものを与えてくれます。
食は楽しみであり、文化の架け橋であり、
お互いの距離を縮めてくれます。
料理を作り提供し食べること自体が、発見であり、創造であり、
信頼関係を築く手段ともなります。

家を失い弱い立場にある人にとって、
食は生きるために必要なだけでなく、
人間として不可欠なものです。
思いやりや、やさしさをもって他者に受け入れられた実感は、
単に栄養を摂取することより、
もっと大切なニーズ
を満たしてくれます。

料理人であるということは、
持続可能な道を切り開く素晴らしい機会
恵まれているということです。食材に敬意を表し、
種まきから食卓まで一連のサイクルを大切にしてこそ、
一流人の料理人と言えるでしょう。

などなど、3ページのインタビュー記事には、
私自身の仕事や生活に関して教えられることがたっぷりでした。

ご参考までに
「料理王国」のサイトから
なぜこのプロジェクトに取り組むのか?
その根底にあるものとは?

「フォーブスジャパン」のサイトから

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盆栽を地植えした実家の梅の木
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(2023.1.22)
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(2023.1.28)
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困難に出会われたとき、瑞巌老師はいつでも、
いま自分がやらなければならない一番の本筋を考えられたのです。
どうやって食べ物を探そうか、どうやって金を探そうかではなくて、
自分が出家した以上、僧侶として何ができるのか、
何が一番自分の本筋の仕事であるのか
食べられるか食べられないかではなく、
それを考えてなさったことが、
やはり瑞巌老師が大成なさった一番の基礎にあると思います。
盛永宗興老師の『お前は誰か』


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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
たがいに助け合いながら生きている [2023年01月17日(Tue)]
白石あづささんの『佐々井秀嶺、インドに笑う』、
佐々井師の波乱万丈の人生にインパクトを受けましたが、
「おわりに」に記されたバングラデッシュ人の幸せのシステムにも
考えさせられました。

この「おわりに」を書く直前に、
イスラム教徒の多いバングラデッシュで旅行取材していたのですが、
日本語通訳さんが
「一日に5回も仕事を中断して世界平和を祈ると、
日本人は『効率悪い』っていうんだけど、あれ逆。
一度、リセットされるから効率が上がるんだ」
と言うのを聞いて、今なら少し分かる気がします。

「貧しい国なのに、市民に悲壮感がないのは、祈っているから?」
と質問すると、
誰かがたいてい助けてくれるから不安がない
と意外な答えが返ってきました。
福祉が充実しているわけでもないのに、なぜかと聞くと、
イスラム社会には、稼いだ年収から使った生活費を差し引いたお金の
2.5%を税金とは別に困っている人に寄付する仕組みがある
そうです。

しなくてもバレないけど、神様との契約だからみんな守っている。
慈善団体に寄付してもいいけど、朝夕、モスクで顔を合わせていれば、
失業したり困っている人に何となく気が付く
その人にそっとお金を渡してもいい。そうすると
その人が商売を始められて、また困っている人を助けられる。
ここがポイントなんだけど、
あげたりもらったりしたことは、お互い速攻で忘れるきまり。
アラーもそう言っている。
他宗教でも他国の人でも困っていれば助けるよ」

宗教はさておき、そんな幸せのシステムを
遵守しているバングラデッシュ人に負けた気がするのと同時に、
佐々井さんがせっせと各村に簡素な寺を建て、
神も仏もありません。
 泣いてすがるんじゃなくて、寺に集まり相談し合え

と説法しているのを思い出しました。


バングラデッシュ人の「幸せ」のシステムに完敗です。

幸せのシステムといっても「制度」ではなく、
神様との契約といっても
「お天道様は良いことも悪いこともすべてお見通し」で、
他者から義務づけられたものではなく「自分との約束」といった感じか。

「困った時はお互いさま」というか、「持ちつ持たれつ」というか、
互いに顔の見える関係で助け合い
そして、助けたことに見返りを求めない「陰徳善事」。
助けられた方はその恩に報いるべく「報恩感謝」で頑張り、
今度は自分が助ける側になってしっかり恩返し。
―― 倍返し、3倍返しで「幸せ」のネズミ算ぴかぴか(新しい)

それに引き換え、
「もらえるうちに、つくらなきゃ!」(マイナンバーカードの広告)
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国の制度ですらこんな状態
―― 自分にとって得か損か、貰えるものならもらわな損
すべてにおいて「自分さえよければいい」
自己中心で「他人のことなどお構いなし」の「利己」。

バングラデッシュより経済的に豊かなはずなのに、
実のところ、豊かではない。―― これでいいのかと自省。

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―― いくら稼いで金を残しても子孫は使ってしまう。
いくら本を残しても読まぬ。
それよりは、人知れず善行を行い、陰徳を積むことだ。(陰徳善事)
それが子孫繁栄の方策だぞ、
ということが書いてある。
誰にもわかる徳目だが、行う人は少ない。
白隠は徳を「悳」と書く。
善行善心のことである、それが「直き心」である。
◆白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ
/Bunkamura


助け合っていくということは、
みなが実力を持つことです。
みなが助け合うということは、
お互いが実力を持つことをお互いに助け合うということです。
実力をなくした者を助け合うというようなことじゃない
実力を持つようにお互い助け合いをする
これが、私は共存共栄だと思うのですね。
これでなくては世の中はうまくいかないと思います。
みんながそれぞれの職責を全うして、
自分の仕事をやっていこうという場合にこそ、
その実力の上に共存共栄の花が咲く
と私は思いますね。
松下幸之助・1964(昭和39)年

司馬遼太郎 『21世紀に生きる君たちへ』より――
(…)
君たちは、いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない。
―― 自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。そして、すなおでかしこい自己を

21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、
君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。
(…)
自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助けあって生きている
のである。
(…)
人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、
たがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して
孤立して生きられるようにはつくられていない
。このため、
助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、
いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」
みな似たような言葉である。
(…)

大きな犠牲と引き換えに「本当に大切なもの」を学んだあの日から
28年目の朝を迎えるにあたって合掌

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梅一輪 一輪ほどの暖かさ(2023.1.15)
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冬籠りのメダカたちも元気です

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
私の今年の一文字「慈」 [2023年01月04日(Wed)]
明けましておめでとうございます。
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2023.1.1
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年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「慈」ですひらめき
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母の木彫りの「慈」(日頃は実家の玄関の壁に掲げられています)

一切の生きとし生けるものは、
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ
何びとも他人を欺いてはならない。
たといどこにあっても
他人を軽んじてはならない。
互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
この慈しみの心づかいをしっかりとたもて
「慈しみ」/中村元-訳『ブッダのことば』

悪事を己に向かえ 好事を他に与え
己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり
伝教大師『山家学生式』

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


――「雨ニモマケズ」の英訳はいくつかあるのですが、
そのどれもが「マケズ」をそのまま否定形で訳していて、
「ちょっと違うな」と思っていました。
だからぼくの訳は、“Strong in the rain”で始まっています。
「強い」という意味の“Strong”で、
よし、やるぞ」という感じを出したかったんです。
それは賢治の願望であり、祈りでもあったから。
ロジャー・パルバース「私の大好きな宮沢賢治」
/NHK『ラジオ深夜便』 2009年9月号

雨ニモマケズ        Strong in the rain
風ニモマケズ        Strong in the wind
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ  Strong against the summer heat and snow
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテイル

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ

素直な心になれば、物事の実相が見える。
それにもとづいて、何をなすべきか、
何をなさざるべきかということも分かってくる。
なすべきを行い、なすべからざるを行わない真実の勇気も
そこから湧いてくる。さらには、
寛容の心、慈悲の心というものも生まれて、だから
人も物もいっさいを生かすような経営ができてくる。また、
どんな情勢の変化に対しても、柔軟に、融通無碍に順応同化し、
日に新たな経営も生み出しやすい。
「素直な心になること」/松下幸之助『実践経営哲学』


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大阪国際空港・A滑走路(2022.12.30)

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。