• もっと見る

宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
★経営のための会計★
ようおこし (^_^)
ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
「道しるべ」でお好きなカテゴリーをお選びいただき、お時間の許す限りごゆっくりおくつろぎください。
道しるべ★カテゴリー
Google

WWW このブログ
<< 2022年12月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の記事
最新のコメント
https://blog.canpan.info/miya38ts/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/miya38ts/index2_0.xml
新しい年に向けてテイクオフ(続) [2022年12月31日(Sat)]
昨日(12/30)の東証大納会で
締めくくりの鐘を打ち鳴らした脚本家の三谷幸喜さんのスピーチ、
「鎌倉時代は先が読めないという意味で
現代とすごく近いような気がしております。
僕らもこの一寸先は闇の世の中を
これから一歩一歩着実に
進んでいかなければいけないなというふうに思っています。
1歩進んで2歩下がる、
これだとどんどん後ろに下がっちゃうんで、良くありません。
2歩進んで2歩下がる、
これだとほとんど足踏み状態なので、これも良くありません。
3歩進んで2歩下がる、
これです、皆さん、3歩進んで2歩下がる、
少しずつですが、1歩ずつ前に向かって歩いていきましょう。

来年の干支は兎です。
兎というのは、非常に危機管理能力が発達しておりまして
寝ている時もずっと目を開けていると言われております。
僕らもしっかりと目を開けて
少しずつ前向きに新しい未来へ進んでいきたいと思っております。
きっとそこには、
今と違う素晴らしい景色が広がっていると思っております。」



うーん、大納会の打鐘のゲストは三谷幸喜さんということで
そのスピーチを楽しみにしていたのですが、
あまりに普通でインパクトなし。
―― 今年の年末の株価は4年ぶりに前年を下回ったというのに……

「鎌倉時代に限らず、いつの時代も先は読めません
一寸先は闇か、光か、だれもわからない
そんな世の中を
『1歩進んで2歩下がる』だと3歩しか歩いていない。
『2歩進んで2歩下がる』では4歩で、
『3歩進んで2歩下がる』だと5歩です。
一寸先は闇か、それとも光か、先が読めないのだから、
大切なのは、結果として下がってるか、足踏みか、前進かではなく、
「今を歩き続ける」こと
です。

来年は卯年ですが、うさぎは危機管理能力が発達して
寝ているときも目を開けている。
我われもしっかり目を見開いて現実から目を逸らさず、
闇雲に前へ前へと進むのではなく、
立ち止まるべき時は立ち止まり、後進すべき時は後進し、
そして、乗り越えるべき危機にも立ちすくむことなく、
しっかり足踏みして(時には後ろに引き下がり)助走をつけ、
力強くジャンプして飛躍しましょう
。」


三歩進んだと思ったら、四歩下がる。そんな毎日である。
だが、思うようにいかないことは、悪いことばかりではない。
思う通りにいかないからこそ、思わぬ方向に道が開ける

速く進みたければ一人で歩め。
遠くまで行きたければ、みんなで歩め。
これは、アフリカのことわざだという。
三歩進んだと思ったら、四歩下がる。その七歩の歩みを、
僕は書き残すようにしている。
速く進めないことにもどかしさを感じながらも、
何が「進む」なのかを決めつけている自分の思い込みを、
解きほぐしてくれているのが子どもたちなのだと気づく。
森田真生『偶然の散歩』
B9CCFB7C-50D5-4A4B-96EF-7C506EBF0E06.jpeg

何度も転び、そのたびにまた立つ。
そうして試行錯誤を繰り返しながら、
僕たちは歩くことを全身で体得してきた。
転ぶたび、そして立つたびに、人の身体は賢くなっていくのだ。
あっちへ走り、こっちへと駆け、
ズデンと転んではぎゃあと泣きながら、
子どもは身体の知性を鍛える。
それに比べ、ちっとも転ばなくなってしまった自分は、
どこか停滞しているのかもしれない
とも思う。
(…)
転んでも転んでも立ち上がるしぶとさ。それと同時に、
立ち上がってもなお、いつでも転べる勇気と身軽さ

そのどちらも失わないでいたいと思う。
森田真生『偶然の散歩』


松下幸之助『道をひらく』より――
一陽来復
ひろい世の中、長い人生、
いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、
これはこれでまことに結構なことであるけれど、
なかなかそうは事が運ばない。
ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、
思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。

しかし、それまたよし
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、
窮境に立って、はじめて世間の味わいを
学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。

窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンス
ではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、
苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。
そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復
暗雲に一すじの陽がさしこんで、
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくる
と思うのである。

もちろん中小企業の弱体性というものはあります。
けれども弱体性だけを認識して悲観するのと、
中小企業の長所というものを認識して勇気をもつというのと、
2つあるわけです。
前のほうはやっぱりうまくいかない。
景気に非常に押されるわけです。
あとのほうはむしろ面白くやっている。
だから認識いかんですよ。
「経営の醍醐味が味わえるという中小企業のよさ」
『松下幸之助・経営の真髄』より

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「年の暮れ」
何となく心せわしくなってきた。
毎年のことで、別にどうということはないようにも思うのだが、
やはり年の暮れというと落ち着かない。
あれもかたづけておきたい。これも始末をしておきたい。
別にウカウカすごしてきたつもりではないけれども、それでも
何となくその日その日をウカウカすごしてしまったような
悔いにおそわれるこの年の暮れ
である。
だがしかし、こんな思いがあればこそ、
この一年のしめくくりもできるのであろう。
年内余日もないきょうこのごろではあるけれど、
今からでもおそくない。できる限りのことはしておこう
及ばずながらもやってみよう。
今や一日が尊く、一時間が貴重なのである。
そんななかでも、世と人に対する感謝の気持ちだけは忘れまい
この一年、ともかくもすごし得たのは、自分ひとりの力ではない
あの人のおかげ、この人のおかげ、
たくさんの人のたくさんの善意と好意のおかげである。
時にやり切れない思いに立ったこともあろうけれど、
最後はやっぱりこの感謝の思いにかえりたい。
それでこそのこの年の暮れである。


KIMG3048.JPG
大阪国際空港・A滑走路(2022.12.30)

来年も良い年でありますようにひらめき

s-P1010822.jpg
「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
新しい年に向けてテイクオフ [2022年12月29日(Thu)]
一昨日(12/27)から朝日新聞の朝刊の(けいざい+)に連載の
「積乱雲のごとく」、読み応えあり。

楡周平さんの物流四部作(『ラストワンマイル』、『再生巨流』、
『ドッグファイト』、『バルス』)に勝るとも劣らぬ展開で、
まさに、事実は小説より奇なりです。

(…)
(主人公の義父)は、自分の会社の名を、こうしていた。
テイヘン
ドライバーは、世の中から便利に使われ、下に見られている。
いま俺たちは社会の底辺にいる。だが、はいあがってみせる
そんな自虐と決意がこもった社名だった。
松本(主人公)は、思いに打ちのめされた。
(…)
松本は震えた。今すぐ実行だ!
会社をつくった。社名は「CBcloud(シービークラウド)」。
CBとは航空管制官とパイロットとの間で使われる略語だ。意味は……
積乱雲!
すごい勢いで大きくなっていく積乱雲のごとく、
会社を急成長させて物流を支えたい。
「底辺にいるドライバーたち」の地位を高めたい。
収入を増やし、体を酷使している働き方を改革したい

(…)
「CBさんとともに、運送業界の地位を向上させたい。
 夢をかなえたい」
CBのサービスをつかう運送会社は2千社に近づき、さらに増えている
松本が思い描いたCBのごとく、積乱雲のごとく。

トラックの運転手の長時間労働が2024年に見直されます。
働きづめのドライバーの残業時間が規制される一方で、
ドライバー不足が深刻化して荷物が届かない「2024年問題」が
起こりかねないといわれています。
みなさん、ドライバーの仕事の大切さと大変さに思いをはせましょう。
すべてのドライバーたちに敬意をこめて



消費者が安い、早い、便利を追い求める限り、
企業はそれにこたえなければ生き残れない。
非正規労働者の需要を高めてんのは誰でもない。消費者なんだ
楡周平『バルス』

そうや、なにが出口戦略や!
事業再生であれ、なんであれ、
出口戦略なんてほざいている根性に明日はないパンチ

出口なんか求めてどないする!
求めるのは出口やない、テイクオフやexclamation
新しい年に向けてテイクオフひらめき

共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はありえない
それが自然の理であり、社会の理法なのである。
自然も人間社会も、共存共栄が本来の姿なのである。
(…)
関係先の犠牲においてみずからの発展をはかるようなことは
許されないことであり、それは結局、自分をも損なうことになる

すべての関係先との共存共栄を考えていくことが大切であり、
それが企業自体を長きにわかって発展させる唯一の道である。
(…)
需要者の要請にこたえてコストダウンをしていくために、
仕入先に対して値段の引下げを要望する。
これは、どこでもよくあることである。しかし、
その場合に、ただ値引きを要求するだけではいけない。
値段を下げても、なおかつ先方の経営が成り立つ、いいかえれば、
先方の適正利潤が確保されるような配慮が必要
なのである。
(…)
一方、商品の販売を担当する得意先に対しては、
こちらも大いに勉強するとともに、
やはり必要な適正利益を取ってもらうようにする。
同時に、需要者にも、適正な価格で買ってもらえるように、
商品政策、販売政策を考えていく
。そのようにして、
ともどもに適正利益を得つつ共存共栄していくことが大切である
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

(まこと)の商人は、
先も立ち、我も立つことを思うなり
(石田梅岩)

松下幸之助『道をひらく』より――
一陽来復
ひろい世の中、長い人生、
いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、
これはこれでまことに結構なことであるけれど、
なかなかそうは事が運ばない。
ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、
思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。

しかし、それまたよし
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、
窮境に立って、はじめて世間の味わいを
学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。

窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンス
ではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、
苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。
そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復
暗雲に一すじの陽がさしこんで、
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくる
と思うのである。

もちろん中小企業の弱体性というものはあります。
けれども弱体性だけを認識して悲観するのと、
中小企業の長所というものを認識して勇気をもつというのと、
2つあるわけです。
前のほうはやっぱりうまくいかない。
景気に非常に押されるわけです。
あとのほうはむしろ面白くやっている。
だから認識いかんですよ。
「経営の醍醐味が味わえるという中小企業のよさ」
『松下幸之助・経営の真髄』より

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「年の暮れ」
何となく心せわしくなってきた。
毎年のことで、別にどうということはないようにも思うのだが、
やはり年の暮れというと落ち着かない。
あれもかたづけておきたい。これも始末をしておきたい。
別にウカウカすごしてきたつもりではないけれども、それでも
何となくその日その日をウカウカすごしてしまったような
悔いにおそわれるこの年の暮れ
である。
だがしかし、こんな思いがあればこそ、
この一年のしめくくりもできるのであろう。
年内余日もないきょうこのごろではあるけれど、
今からでもおそくない。できる限りのことはしておこう
及ばずながらもやってみよう。
今や一日が尊く、一時間が貴重なのである。
そんななかでも、世と人に対する感謝の気持ちだけは忘れまい
この一年、ともかくもすごし得たのは、自分ひとりの力ではない
あの人のおかげ、この人のおかげ、
たくさんの人のたくさんの善意と好意のおかげである。
時にやり切れない思いに立ったこともあろうけれど、
最後はやっぱりこの感謝の思いにかえりたい。
それでこそのこの年の暮れである。

KIMG3019.JPG
北野天満宮(2022.12.25)終い天神
KIMG3021.JPG

KIMG3011.JPG

KIMG3027.JPG
実家近くの氏神様、阿比太神社(2022.12.28)
KIMG3029.JPG

KIMG3025.JPG
千里の氏神様、上新田天神社(2022.12.27)
来年も良い年でありますように!

s-P1010822.jpg
「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
松阪マラソン2022 [2022年12月19日(Mon)]
ぶらり松阪(2022.12.12)
E6E9E0A9-7E80-42F5-B4AB-0A687A5E8236.jpeg
松阪神社
3C27292C-E601-49B9-983F-6744893470E1.jpeg
本居宣長ノ宮
CF218A00-5230-4990-A61D-51879DC7C929.jpeg

E0F4EB90-6950-4329-907F-CDAAC909CA6E.jpeg
「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」
C1145D32-F323-4279-8452-9B7FC8C2E80A.jpeg

B76E301D-957A-424D-8DAC-E192851565E6.jpeg

F0959C2E-AFC3-48D2-94FA-1D58C8665639.jpeg
三圍(みめぐり)稲荷神社
464E9D08-3FA7-4E5B-A8B6-FC807231ACA2.jpeg


そして、昨日(12/18)、第一回みえ松阪マラソンるんるん
1EBA0F81-C241-4AA8-AFD5-87FF1AEAB477.jpeg
近鉄の大阪難波駅、5時45分発の松阪行の臨時特急。
1号車の1番A席です。

指定席を手配した時は、あわよくば奇跡再現と欲まるだしでした(笑)
しかし、予期せぬことは起きるというか、
何事も思い通りにいかないというか、、、

そもそも、なぜ松阪なのか?
加古川の方が近いし、コース的にタイムも狙えます。
あるいは、先週の奈良でもよかったのに、なぜ松阪なのか?

2020年の6月末で独立30年を機に事務所を自宅に移したタイミングで、
近くに住むブラインドアスリートからお声がけいただき、
服部緑地での伴走練習が始まりました。
その彼が昨年6月に脳腫瘍で入院。

そこで、病と闘う彼(松阪高校の卒業生)に
松阪マラソンの完走メダルと完走タオルを届けたいとエントリーしました。

実のところ、先月23日の夜に自転車の転倒で怪我した後、
足の痛みや腫れが引かないコンディションだったので、
完走メダルや完走タオルを届ける目標がなければ、
スタートラインに立つことはなかったです。

その意味では、己れのコンディションや記録(利己)より、
誰かのために(利他)が強いと言えるのでしょうが、
さらに言えば、単独走なのに伴走Tシャツを着て
彼と同行二人で走り切ったおかげで私は強くなれました(自利)。

まさに「自利利他円満」であり、「利己」と「自利」の違いを実感。
「己を忘れて他を利するは慈悲の極み、忘己利他」も、
結果的に自分のためになり、その意味では
「自利とは利他をいう」より「利他とは自利をいう」かも。
「先義後利」「サービスが先、利益は後」に納得です。

どんな状況でも自分のベストを尽くすひらめき
言い訳無用で自分の敵は自分とよく言われますが、
その一方で、自分の一番の味方は自分であり、
自分を敵にするか味方にするか

三越や三井グループの三井家やK&Kの国分家など
伊勢松阪商人のお屋敷を巡りながらの松阪マラソン、
おかげで色々と学びや気づきが多く、とても有意義でした。

AD981D0F-AE4D-447E-9743-10EEA2C6DDD3.jpeg
私も含めて全員が素晴らしい笑顔です。
それぞれに走り切った満足感というか達成感が伝わってきます。
心から楽しく幸せ、まさに至福。

松下幸之助『道をひらく』より――
一陽来復
ひろい世の中、長い人生、
いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、
これはこれでまことに結構なことであるけれど、
なかなかそうは事が運ばない。
ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、
思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。

しかし、それまたよし
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、
窮境に立って、はじめて世間の味わいを
学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。

窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンス
ではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、
苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。
そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復
暗雲に一すじの陽がさしこんで、
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくる
と思うのである。

もちろん中小企業の弱体性というものはあります。
けれども弱体性だけを認識して悲観するのと、
中小企業の長所というものを認識して勇気をもつというのと、
2つあるわけです。
前のほうはやっぱりうまくいかない。
景気に非常に押されるわけです。
あとのほうはむしろ面白くやっている。
だから認識いかんですよ。
「経営の醍醐味が味わえるという中小企業のよさ」
『松下幸之助・経営の真髄』より

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「年の暮れ」
何となく心せわしくなってきた。
毎年のことで、別にどうということはないようにも思うのだが、
やはり年の暮れというと落ち着かない。
あれもかたづけておきたい。これも始末をしておきたい。
別にウカウカすごしてきたつもりではないけれども、それでも
何となくその日その日をウカウカすごしてしまったような
悔いにおそわれるこの年の暮れ
である。
だがしかし、こんな思いがあればこそ、
この一年のしめくくりもできるのであろう。
年内余日もないきょうこのごろではあるけれど、
今からでもおそくない。できる限りのことはしておこう
及ばずながらもやってみよう。
今や一日が尊く、一時間が貴重なのである。
そんななかでも、世と人に対する感謝の気持ちだけは忘れまい
この一年、ともかくもすごし得たのは、自分ひとりの力ではない
あの人のおかげ、この人のおかげ、
たくさんの人のたくさんの善意と好意のおかげである。
時にやり切れない思いに立ったこともあろうけれど、
最後はやっぱりこの感謝の思いにかえりたい。
それでこそのこの年の暮れである。

s-P1010822.jpg
「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
認識いかん [2022年12月12日(Mon)]
松下幸之助『道をひらく』より――
一陽来復
ひろい世の中、長い人生、
いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、
これはこれでまことに結構なことであるけれど、
なかなかそうは事が運ばない。
ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、
思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。

しかし、それまたよし
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、
窮境に立って、はじめて世間の味わいを
学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。

窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンス
ではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、
苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。
そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復
暗雲に一すじの陽がさしこんで、
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくる
と思うのである。

F9EEC163-8E1A-42D5-A50B-42B472E26085.jpeg
2022/12/10

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「無限の宝庫」
この世の中に存在するものは、一つとしてムダなものはない。
ムダだと思うのは、その活かし方、使い方を知らないだけ
活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる
ムダだ、マイナスだと頭をかかえてばかりいたら、
不満に心が暗くなり、せっかくの天与の贈物も猫に小判

黄金は、猫にとっては何の役に立たない無用の物かもしれないが、
その活かし方を知っている人間にとっては、天下の大宝。
その価値を知らぬ猫の愚を笑いたくもなるが、
笑ってばかりもいられないのがお互いの姿であろう。
無用と思われていたカビのようなものでも、これを有効に使えば、
貴重な働きをすることがわかってきた今日、
この世の中はまさに無限の宝庫である。
すべての物はもちろんのこと、
マイナスでしかない人間など、本来この世にあろうはずがない。

お互いに、もうすこし謙虚でありたい。
もうすこし勇気をもちたい。
そして、もうすこし寛容の心を持って、
すべての物が、すべての人が、時と処を得て
その本来の値打ちが活かされるようつとめたいものである。

もちろん中小企業の弱体性というものはあります。
けれども弱体性だけを認識して悲観するのと、
中小企業の長所というものを認識して勇気をもつというのと、
2つあるわけです。
前のほうはやっぱりうまくいかない。
景気に非常に押されるわけです。
あとのほうはむしろ面白くやっている。
だから認識いかんですよ。
「経営の醍醐味が味わえるという中小企業のよさ」
『松下幸之助・経営の真髄』より

以下、『老子』の第11章――
(書き下し)
(…)
有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。

福永光司『老子(上)』朝日文庫
(…)
すべて形有るものが役に立つのは、
形無きものがそれを支える役割を果たしているからだ。

加島祥造『タオー老子』ちくま文庫
(…)
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、何もない虚のスペースこそ、
本当に役に立っている
のだ。

A488E098-9808-416A-9127-A6030EF92CA4.jpeg

7FF75A74-A469-46C6-B877-ED1B147CCB1F.jpeg

35C96943-840A-4DDE-B2A5-2D14D627A857.jpeg

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「年の暮れ」
何となく心せわしくなってきた。
毎年のことで、別にどうということはないようにも思うのだが、
やはり年の暮れというと落ち着かない。
あれもかたづけておきたい。これも始末をしておきたい。
別にウカウカすごしてきたつもりではないけれども、それでも
何となくその日その日をウカウカすごしてしまったような
悔いにおそわれるこの年の暮れ
である。
だがしかし、こんな思いがあればこそ、
この一年のしめくくりもできるのであろう。
年内余日もないきょうこのごろではあるけれど、
今からでもおそくない。できる限りのことはしておこう
及ばずながらもやってみよう。
今や一日が尊く、一時間が貴重なのである。
そんななかでも、世と人に対する感謝の気持ちだけは忘れまい
この一年、ともかくもすごし得たのは、自分ひとりの力ではない
あの人のおかげ、この人のおかげ、
たくさんの人のたくさんの善意と好意のおかげである。
時にやり切れない思いに立ったこともあろうけれど、
最後はやっぱりこの感謝の思いにかえりたい。
それでこそのこの年の暮れである。

s-P1010822.jpg
「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
上下四維等匹なし [2022年12月04日(Sun)]
予期せぬ事故(11/23)から1週間が経った先週木曜日(12/1)、
縫合を抜糸。頭も足も傷は大丈夫ですが、足の腫れがひかず、
診察後、近くの神社にお礼参りと完全治癒を祈願。
5DEE1B3F-0A06-47E3-A38C-F4A752C9DBF7.jpeg

怪我や病気など予期せぬことが起きると、
身体が不自由なこともさることながら、
予定していた様々なことに支障が出るのが難儀です。

あらためて「明日あり」でなく「明日なき」で「今ここに集中」し、
「なすべきをなす、なすべからずをなさず」と思うのですが、
肝心の問題は「自分が今ここでなすべきことは何か」の見極めです。

My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like:
"If you live each day as if it was your last,
someday you'll most certainly be right
."
It made an impression on me, and since then, for the past 33 years,
I have looked in the mirror every morning and asked myself:
"If today were the last day of my life,
would I want to do what I am about to do today?
"
And whenever the answer has been "No" for too many days in a row,
I know I need to change something.

3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば
その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
もし今日が最後の日だとしても
今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。
Steve Jobs ”Stay Hungry. Stay Foolish” June 12, 2005

毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』

河野太通『床の間の禅語』より――
上下四維等匹なし――上下四維に優劣はない。
そもそも上とか下とか、
東西南北、四方八方という方角に、上等下等の区別はない。
西が良くて、東が悪いというようなことはない。すべて平等だ。
今日は良い日、今日は悪い日などというが、それは比べるからである。
今日一日というものは、過ぎ去ったら、またと来ない。
今日は良い日であろうが、悪い日であろうが、
絶対的なものです。等匹がない。
(…)
比べるものがない、それしかない、何ものにも替えがたい。
すべてのものは尊厳にして絶対的なものです

毎日毎日がそうですし、私たち自身もそうです。

「日日是好日」や「足るを知る」について、
単に、現状是認でないことは分かっているつもりでしたが、
時も含めてすべてのものは
「比べるものがない、それしかない、何ものにも替えがたい、
 尊厳にして絶対的なもの」
であり、
そしてそれゆえ、
過去や今にとらわれることなく(裂古破今)、
本質を追究し、脚下を看て(看脚下)一歩一歩「歩む」
ということか。


考えれば考えるほど、正しく生きてきた自信がない。
神様が、もしもう一度、私にチャンスを与えてくれるのであれば、
今度は、後悔しないように正しく生きてみせる

そう誓いながら、病室のベッドの中で、うずくまっていた。
大久保淳一『いのちのスタートライン』


s-P1010822.jpg
「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。