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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
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要するに、自滅である [2022年10月25日(Tue)]
昨日に続いて、ジョン・ウッデンの『育てる技術』より――

私が大切だと信じている目標は、
自分の能力を最大限に発揮するという目標である。
この目標なら、誰でも実行可能である
反対に、人がなしうる最悪の行為は、
自滅することだと私は考えている。自滅するというのは、
最善の努力をせず、自分の能力を最大限に発揮しないという意味だ

前の晩に夜更かしをした、個人成績を気にしすぎた、
十分な準備をしなくても全力を発揮できると思った、
あせって逆効果になることをやってしまった、などなど。
要するに、自滅である。
他の人間が手をくだすまでもなかった。
これは恥ずべきことだ。


だから、私が人を判断するときも、基準は、
その人がその人なりの100%にどれだけ近づいたかだ。
選手たちには、毎日少しずつ向上し、
ベストの状態に近づく努力をするよう義務づけた。
とはいえ、完全な状態になるというのも不可能であると率直に話した。
そのうえで彼らに、「私は諸君が完全な状態に到達するために
最善を尽くすことを期待している」と言った。
どこまで完全に近づけるかが、われわれの努力目標だった。
120%や110%を達成するのは無理だろう。しかし、
自分の潜在能力を100%出し切るという目標にどれだけ近づけるか
それが私の彼らに与えた課題だった。
人がその課題を真摯に受け止めるとき、驚異的な結果が出る

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Success is peace of mind
which is a direct result of self-satisfaction
in knowing you did your best
to become the best you are capable of becoming.
John Wooden

成功とは、自分がなれるベストの状態になるために
最善を尽くしたと自覚し、満足することによって得られる
心の平和のことである。

「なれる最高の自分になるために質の高い努力をしていたかどうか」
―― 尺度は「努力の量ではなく、質の高さ」


John Wooden:The difference between winning and succeeding
/TED2001

Cervantes said,
"The journey is better than the end."


KIMG2720.JPG
道端に落ちていたツバキの実の殻。
見上げると、枝には新たなつぼみが…

「自分の潜在能力を100%出し切るという目標にどれだけ近づけるか」を
真摯に受け止めて「質の高い努力を自らに課して着実に実行」か、
それとも「自滅」か
――「知行合一で主体的な自己を確立」なら
Success is peace of mind(心の平和)がもたらされ、驚異的な結果が出る。
なのに・・・
要するに、自滅である
 他の人間が手をくだすまでもなかった。
 これは恥ずべきことだ」

おい、主人公、目を覚ましているか、
知行合一で主体的な自己を確立か、
くれぐれも自滅すること勿れ

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

とかく、わたくしどもは、
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、そこに失敗の原因があります。
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておる
のであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『愛語』

生きることの最大の障害は期待をもつということであるが、
それは明日に依存して今日を失うことだ。
運命の手中に置かれているものを並べたて、
現に手元にあるものは放棄する。
君はどこを見ているのか。どこに向かって進もうとするのか。
将来のことはすべて不確定のうちに存する。
今直ちに生きなければならぬ

セネカ『人生の短さについて』岩波文庫

もしタイム内で走れなかったとしても、
やれる限りのことはやったという満足感なり、
次につながっていくポジティブな手応えがあれば、
また何かしらの大きな発見のようなものがあれば、
たぶんそれはひとつの達成になるだろう。言い換えれば、
走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか
それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。
同じことが仕事についても言える。
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか
宮沢賢治『生徒諸君に寄せる』

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
自分で自分を最高の自分に育てて、ほめる [2022年10月24日(Mon)]
小平奈緒さんの引退レース(10/22)に深く感銘。

ジョン・ウッデンの『育てる技術』より――
最高の自分になるために全力を尽くせば、成功が手に入る。
そして、それをするかどうかを決めるのは自分自身なのだ。
(…)
あらゆる方法で全力を尽くせば、成功者なのだ
それ以下の中途半端な努力をするのでは、
程度の差こそあれ失敗したことになる。
-------------------
「自分がなれる最高の自分になるよう努力しろ。
他人から学べ。しかし、人よりも優れた人間になろうとはするな。
それはおまえたちにはどうにもならないことだ
。そのかわり、
自分がなれる最高の自分になるよう一生懸命に努力しろ。
それならおまえたちにもなんとかなる。
おまえたちはもしかすると他人よりも優れた人間になるかもしれないし、
そうはならないかもしれない。
そういつことは自然にまかせておいたほうがよい」(父親の教え)
-------------------
成功とは、
自分がなれるベストの状態になるために最善を尽くしたと自覚し、
満足することによって得られる心の平和のことである

――「なれる最高の自分になるために最大限の努力を傾けたという
   確信から生まれる心の平和を得ること」
さらに言えば、
自分の成功のレベルを判定できる唯一の人間は自分自身である
――「成功の尺度とは『努力の質』」
右に述べたことが真の成功であると私は確信している。
それから派生するもの ―― たとえば得点、トロフィー、全米優勝、
名声 ―― はすべて副産物である。
真の競争は自己ベストに到達するよう努力することであり、
それは自分しだいでどうにかなることである

それができれば、成功をおさめたといえる。
そのとき、あなたは勝者であり、
あなただけが自分に勝ったかどうかを実感するのだ。
-------------------
神はその無限の知恵によって、すべての人を似た存在にはせず、
すべての人を同じ環境には置かなかった。
背の低い人もいれば高い人もいる。動きの速い人もいれば遅い人もいる。
利口な人もいればそうでない人もいる。
状況はさまざまだ。機会の多い人もいれば、少ない人もいる。 
われわれはこれらの点で同じではないが、どのような状況下であれ、
自分の持っているものを最大限に発揮する機会を持っている
ことについては
みな同じである。
あなたにとって究極の課題は、現状の中で存分に自分を生かし、
自分のベストの状態になる努力をすること
である。

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Cervantes said,
"The journey is better than the end."



John Wooden:The difference between winning and succeeding
/TED2001

成功とは、
自分がなれるベストの状態になるために最善を尽くしたと自覚し、
満足することによって得られる心の平和
のことである。
自分の成功のレベルを判定できる唯一の人間は自分自身である。
ジョン・ウッデン

私は、今も覚えておりますが、
ちょうど5、6人で仕事をしておりました時分に、
夏でしたから、仕事を終わって行水をいたします。
風呂もないことはありませんが、その当時は湯を沸かしまして、
たらいで行水をするということが、広い習慣になっておりました。
私は日いっぱい働いて、それから行水で汗を流すわけです。
その行水をしたときにふっと「きょうは、朝から自分ながらよくやったな」
という感じがしたことを覚えておりますが、そのときには
非常に満ち足りた気分を味わったように思います。
私はそのときに「ああ、きょうは自分ながらよくやったなあ」と、
自分で自分の仕事をたたえるような気分になって行水をつかっておった、
そのときの心持ちというものは、
今も忘れることのできないうれしいものです。
人から評価してもらうということも、
むろんそれによっていろいろ感慨もありますけれども、
それよりも、自分で自分をほめるとでも言いますか、
そういうような心境がずっと続いたならば、
その人はいわゆる世の成功者である
という感じがいたします。
仕事の量ですとか、そういうものは第二にいたしまして、
どんな仕事でありましても、
私はそういう心境のもてる人は、必ずその仕事に、
小は小なりに大は大なりに立派な成果があがる
ものだと思います。
「自分で自分をほめられるか」/松下幸之助発言集・第7巻

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

とかく、わたくしどもは、
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、そこに失敗の原因があります。
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておる
のであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『愛語』

生きることの最大の障害は期待をもつということであるが、
それは明日に依存して今日を失うことだ。
運命の手中に置かれているものを並べたて、
現に手元にあるものは放棄する。
君はどこを見ているのか。どこに向かって進もうとするのか。
将来のことはすべて不確定のうちに存する。
今直ちに生きなければならぬ

セネカ『人生の短さについて』岩波文庫

もしタイム内で走れなかったとしても、
やれる限りのことはやったという満足感なり、
次につながっていくポジティブな手応えがあれば、
また何かしらの大きな発見のようなものがあれば、
たぶんそれはひとつの達成になるだろう。言い換えれば、
走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか
それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。
同じことが仕事についても言える。
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか
宮沢賢治『生徒諸君に寄せる』

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
奇跡の再現に向けてRestart! [2022年10月17日(Mon)]
今北純一『マイ・ビジネス・ノート』より――
給料や貯金の額だけで人間の存在価値は決まらない、ということは、
誰もが頭では理解しているはずです。
それなのに、なぜ「吾唯足知」の境地になれないのでしょうか
それは、「個」が確立されていないからです。
「個」を確立すれば、
「自分はこれをやりたい」という目標を見出せ、
それによって「足りている」ことを実感できるはず
です。

私は、この目標をミッション(M)ととらえています。
ミッションと言うと、多くの人は
「使命」「任務」「特命」というイメージを思い浮かべるでしょう。
しかし、私が言うミッションは、そのどれでもなく、
自分がやりたいこと」「やらなければならないこと」、
つまり「自らがチャレンジすべき夢や目標」のことです。
それは抽象的でわかりにくい目標のことではないし、
絶対的に実現不可能な夢でもない。
具体的かつ本当に自分が好きでやりたいことがミッションです。
そしてこれは、誰からも命令されるものではなく、
自分、つまり「個」が決めるものです。

たとえば目の前に山があり、「あの山に登りたい」と目標を立てたとします。
この場合、山に登ることがミッション(M)です。
山頂を極めるという夢を実現するためには、
「この道筋で自分は行くんだ」というロードマップがなければなりません。
それを私はビジョン(V)と呼んでいます。
そのビジョンを、山頂へ向かって実行するプロセスで燃やす情熱、
「夢をとことん本気で追いかける」エネルギーがパッション(P)です。

企業にしろ個人にしろ、この「MVP」がきちんとしているなら、
先行き混沌としたこの時代でも本物として残っていくことができます。
MVPがなく、まやかしの流行に乗っかって、たまたまうまくいっているようなら、
淘汰の波に呑み込まれてしまうでしょう。
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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

2018年12月の奈良マラソン:フルの自己ベスト更新で4時間32分57秒
翌2019年1月の高槻ハーフマラソン:初の2時間切りで1時間56分22秒
翌2月の木津川:4時間9分47秒と奈良から2カ月で23分余りPB更新
そして3月3日の篠山で3時間58分37秒とサブフォー達成

あれから4年が経ち、今年1月から高齢者の仲間入り。
来年3月6日の本命レースまで20週、140日。
奇跡の再現に向けてRestartexclamation
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武庫川の河川敷で「ユリカモメひよっこマラソン」の35k走

本日のミッションは「しっかり走り切る」
10月中旬とは思えぬ暑さの中で10時スタートのレース、
中盤から終盤にかけてへろへろよれよれでしたが、
先月の丹後ウルトラに続いてDNFは避けたかったので何とか完走。

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「走り切る」ことはできましたが、
「しっかり走り切る」レベルには程遠かった。
けど、走り切ったおかげで「課題」は見えました。
もっと「賢く」走らねば、
そのために「賢く」練習せねば、

来年3月の本命レースに向けて、
次戦は3週間後の11月6日にに開催の「あいの土山マラソン」。
次回のミッションは「楽しくしっかり走り切る」です。

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「楽しく走ろう」/武庫川スポーツクラブ

明日のことをいうやつはバカだというけれど、そうじゃない。
明日の約束をしないやつに希望は沸いてこない。
本田宗一郎

それは今日の課題であって、明日の課題ではない
われわれが明日という日をもつために、
われわれ自身が今日取り組まなければならない課題である。
ドラッカー『断絶の時代』のあとがき

幸運は、努力と成功を追い求めた結果、訪れるものです。
重要なのは、その前の準備です。
そして、幸運が訪れたときに、すぐにそれをつかむことです。
宝くじは幸運とは違います。宝くじに当たるのは単なる偶然にすぎません。
リカルド・セムラー『奇跡の経営(The Seven-Day Weekend)』

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)

Cervantes said,
"The journey is better than the end."

John Wooden


人間の決意というものは、お互いによほど気をつけていないと、
たやすくくずれてしまいがちである。
一度思いを定めたから、
それで、もうまちがいなく十分だというわけにはなかなかゆかない。
何度も何度も、自分自身に言い聞かすのでなければ、
小さな決心一つすら守れないことも少なくない。
だから一つの決意をしたら、
その思いをくり返し自分でかみしめて、
そしてそれを毎日の生活の中、働きの中で生かしてゆくことが大切
だと思う。
「決意」/松下幸之助『思うまま』


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ただ一粒の米の中にも [2022年10月10日(Mon)]
森盲天外『一粒米』に
新渡戸稲造が寄せた「序」より――
(…)
一粒の米と雖も受くる人が受くれば万斛の米に優るの滋養と為る。
吾人は世を心無く渡りて人生の真意を知らず
薄禄を得れば安心し世間に少し名でも聞こゆれば自負し、
名利を以って成功と心得るのみならず、
己が名利を獲んが為めには人を害するまで野卑な心も起り易い此世の中に、
人生の目的は明徳である、
人生の最大要務は万物の向上を助長するにあり、
之を遂ぐるには犠牲を要し、
犠牲の目的は人生の円満を期するのだと絶叫する教導者は有り難い。
(…)
吾等はなまじい。眼があればこそ疑惑の念に駈られ、
事の軽重をも判断せずに銘々の主張に執着し己れの好む者を正道とし、
気に合はぬを邪道と呼んで、
一旦己れと所信を異にするものあれば仇敵の如くに視て、
狭き世の中を一層狭め、短き命を一入(ひとしお)縮めるが、
霊的の眼を具へた人は肉眼が無くも道を外づさぬ
双脚のみ頼って進む者は、
広き街路に出れば兎角踉蹌(ろうそう)として歩みばこそ
あれもこれも己れの進行を障害するものと心得れど
霊光に照らさる人は独立直行して道幅は踵の踏む丈けあれば
細き道を辿って目的地に達する

(…)
森氏の精神的経験は眼の有無に依らぬ、
是れ氏の教訓の広く吾人を益する所以である。
此度此書を公にせらるゝにつき、
序文を求められしに僕は喜んで之れに応じたが、
此れは普通の序文とは違い
精神界の後進者が、
先進者に対する敬畏と感謝の意を表する辞である

 明治41年3月8日  新渡戸稲造 識

新渡戸稲造をして自らを精神界の後進者と言わしめる盲天外の『一粒米』に
魂を揺さぶられ、多くの教示を得ました。

予は日に三度の食を貪りながら、
此の大々的真理の存在することに気付かず無意味に経過して居た、
慈母の家庭に於ける教訓を受けても、
実に無意識であった、只徒に合掌低頭するのみであったことを、
今更の如く愧(はづ)かしく感じた事である。
謂ふこと勿れ一粒米は植物なりと、
謂ふこと勿れ一粒米は草の実なりと。
彼が進化し向上し来るならば、已に植物でない、草の実でない、
即ち今の我となって居るのである

然らば、是に合掌し低頭するも、一粒米其物に払ふの敬意ではない
進化の天即其物に払ふの尊敬である
さらば一粒米に払ふの尊敬は、
是れ吾人の屈服でない、吾人の汚辱でないことを覚知し得るではないか。
森盲天外『一粒米』
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彼れ一粒米に口なく声なけれども、彼は確に斯の如く云って居る。
日々我が眺望底に於て、
彼が向上の手段を実行して居る其行動が、
確かに此くと説明して居るのである。
眼あるものは見よ、耳あるものは聞け、
彼が向上するの手段を実行するの這裡(なか)に、
無口の言がある、無声の声がある

森盲天外『一粒米』

彼一粒米が犠牲となって、吾人の生命となったのは、
彼が新なる生命を造ったのである。
決して人の為にしたのでない、
一粒米彼自身の向上を遂げたのである。
夫れ故に彼の新たなる生命は、
人となつて尚ほ向上せんことを欲しつゝあるものなることを
思はなければならぬ

さるからに、彼が犠牲は、人間となったのを以て、
尚ほ満足するのではなからう、
向上に向上を遂げて、人世といふ無窮無限の大円満を、
成就せんとして居るものであることを思はなければならぬ。
是を以て吾人は彼の犠牲に由って新たなる生命を造り、
已に吾人となって居るのであるから、
吾人は彼の犠牲を讃嘆し、感謝すると同時に、吾人の向上を遂げて、
彼が犠牲の希望を満足させなければならぬ。
我にして此の念なくば、彼が犠牲の精神を空しく終らしむるのである

若し其精神を空しく終つたならば、
犠牲も犠牲でない、却て我の殺生となったのである

依て吾人の向上は、取りも直さず、
犠牲となりし一粒米の新たなる生命を向上させて、
其希望を満足せしむるものと云はなければならぬ。
故に三度食する毎に是に向かつて、合掌低頭しては、其犠牲を感謝し、
是と同時に我の向上を遂ぐべく誓はなければならぬのである。
君子は其独を慎むと、夫れ是を謂ふ乎

森盲天外『一粒米』

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求むれば 我が身世にふる 道もがな
ただ一粒の米の中にも
森盲天外

盲目の境遇に於てすら、猶ほ此の光明を認むることができる。
若し世の具眼者にして、夫れ此の無尽燈を発見せば、
盲目の境遇に勝る、最も大なるものがあるであらう

世に失望し、煩悶する人よ、決して自ら棄てゝはならぬ、
無尽の光は常に人世を照して、燦然として輝いて居るのである。
森盲天外『一粒米』


何事でも感謝の心を持つことが大切だということだと思います。
感謝の心を持てば、それはいろいろな形になって自分に返ってきます。
自分に返ってくることを期待して感謝の心を持つというのではいけませんが
自分の置かれた立場なり他人からの恩恵なりに素直に感謝できる人
言いかえれば喜びを知る人というのは、非常にしあわせな人だと思います。
これは、商売に限らず、私たちの人生すべての面にもあてはまる
人間としての大事な基本と言えるのではないでしょうか。
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』より

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
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「脚下照顧」
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日新、日日新」/土光敏夫先生記念苑

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。