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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
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よそさまに負けないだけの仕事をする [2022年06月30日(Thu)]
昨日(6/29)、午後から予定の仕事が変更になったので
パナソニックミュージアムへ。
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お目当ては、経営理念特別展「松下幸之助『日々是新』
〜誰にも負けない立派な仕事をするために〜」です。
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高橋荒太郎『語り継ぐ松下経営』より――
あれはたしか昭和29年だったと記憶しているが、(…)
銀行の重役さんが、すでに提出してある事業計画を見ながら尋ねられた。
「松下さん、いったい松下電器はどこまで拡張なさるんですか」
(…)
松下電器を大きくするか小さくするかということは
社長の私が決めることでもなければ、松下電器が決めることでもありません
すべて社会が決定してくれることです。
松下電器が、よそさまに負けないだけの仕事をして
需要者の皆さんに喜んで使っていただけるような製品を作っていけば、
もっと作れという要望が集まってくるでしょう。
その限りにおいては、松下電器はどこまでも拡張しなければならない。
しかし逆に、
われわれがいかに現状を維持したいと思っても、
よそさまより劣るような悪い製品を作って売っていたのでは、
社会は決してそれを受け入れてくれないでしょう。そうなると、
現状維持どころではなく、縮小せざるをえなくなってしまいます。
ですから、松下電器を大きくするか小さくするかは、
すべて社会が決めてくれることです。
もちろん、半期ごと、一年ごとの計画書はお出ししますが、
どこまで拡張するのかということになりますと、
これは「わかりません」とお答えするしかありません」
(…)
実際、これは仕事をしていく心がまえとして非常に大切なことだと思う。
われわれの仕事はすべて、
社会への貢献の度合いにお応じて報酬をいただいている

だから、その報酬がいただけないということは、
われわれが社会に対して何も貢献していないということであり、
それは同時に、松下電器の方針に反していることである。
そういう心がまえで仕事をしていけば、
当然に、よそに負けない品質、よそに負けないコストの製品をつくり、
さらによそに負けないサービスを実現しなければ
社会の支持を得られない
ことになる。
そうなれば、その方針に反している部分にも
改革のメスがすぐ入れられるようになってくる。
松下電器の経営の基本には、一貫してこういう思想が流れているのである。
(※)「方針」 松下幸之助創業者の経営理念に基づく基本方針

これは損得の問題ではない産業人としての使命なのである。
われわれの使命は、事業を大きくするとか利益を追うことではない。
社会に貢献することである。
この使命をわれわれが真剣に果たしていけば
当然社会の支持を得て報酬をいただけるはずである。
われわれが伸びるか伸びないかは、すべて社会が決定してくれる。
事業というものは、力でできるとか、
資本が大きいからできると考えるのは間違いである。
やはり、縁あってその企業に集まった従業員一人ひとりが、
ほんとうに産業人の使命を体で自覚し、
責任ある仕事をそれぞれの持ち場で遂行していってこそ、
社会から報酬が得られる

私は、ただそれだけを考えて、何の迷いもなくやってきたのである。
高橋荒太郎『語り継ぐ松下経営』

「よそさまに負けない」
  →「誰にも負けない」
     →「昨日の自分にも負けない」
        →「日々是新」
           →「毎日が真剣勝負」

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである。
有能な実行家は
いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ
現実の新しい動きが看破されれば
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ
物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である。
小林秀雄『無私の精神』

「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
義を見て為さざるは勇なきなり [2022年06月22日(Wed)]
先週末から封切り公開(6/17〜)の映画『峠』について、
司馬遼太郎の原作を図書館で借りて読了。

司馬遼太郎『峠』よりーー
「おれでも吉原に馴染みの女がいるぜ。
 しかし火事を見ても走らない」
「それはあなただからです。河井継之助なら走ります
 げんに走っています」
「王陽明もか」
「ええ、王陽明も走ります
佐吉がおもうに、
走ることは儒教の根本義である仁というものである。
儒教では惻隠の情というものを重くみる。
道をあるいていて、見知らぬ子供が河に落ちた。
どんな悪人でもそんな場に通りあわせれば捨てておかず、
なんらかの手段でたすけようとする。
人間がうまれながらにもっている痛わしく感ずる心〈惻隠の情〉こそ
仁の原始形態である、と孟子も説いている。
継之助はそれを感ずると同時に
かれの信条らしく行動したのであろう。
その行動は純粋気質から発しており
高山の湖のように透明度の高いものだ、と佐吉は思う。
だから走ったのですよ

義を見て為さざるは勇なきなり〔論語〕
(なすべきことと承知しながら為さざるは、勇気がないからだ)

九に曰く、
信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし
それ善悪成敗はかならず信にあり。
群臣とも信あるときは、何事か成らざらん。
群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん
------------------------
まこと<信>は人の道<義>の根本である。
何ごとをなすにあたっても、まごころをもってすべきである

善いことも悪いことも、成功するのも失敗するのも、
かならずこのまごころがあるかどうかにかかっているのである。
人びとがたがいにまごころをもって事にあたったならば、
どんなことでも成しとげられないことはない。
これに反して人びとにまごころがなければ、
あらゆることがらがみな失敗してしまう
であろう。
『十七条憲法』/日本の名著2「聖徳太子」

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「知恵は無限」
人間の知恵というものは、
しぼればいくらでも出てくるものである。
もうこれでおしまい、もうこれでお手上げ、などというものではない。
なすべきことをなさねばならぬ」という強い決意の上に立って、
正義感と勇気に燃えたならば
、そこに思いもかけぬ知恵がわき出て、
思いもかけぬ道がひらけてくるのである。
もちろん、一人の人の知恵には、そこにおのずから限りがある。
しかし、わからぬことは他人に聞くという謙虚さがあったならば、
それらの他の知恵がわが知恵の上に限りなく加わって、
やはり知恵は無限にひろがってゆくと言えよう。

つまり、なすべきことをなすという勇気と、
人の声に私心なく耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
知恵はこんこんとわき出てくるのである。
わが知恵の乏しきを嘆く前に、
この勇気と謙虚さを、あわせ持っていたか、三省、四省してみたい。
そして、もうこれでおしまいなどと、安易に言うのはやめにしたい。
知恵は無限にわき、無限に集まるのである。

自己欺瞞なくして希望はないが、
勇気は理性的であり、あるがままにものを見る
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い
希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、
それをやり遂げるには勇気がいる
「希望ではなく勇気」『エリック・ホッファー自伝』

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである。
有能な実行家は
いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ
現実の新しい動きが看破されれば
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ
物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である。
小林秀雄『無私の精神』

「万物万象はわが心に帰す」
「だから心をつねに曇らさずに保っておくと、物事がよくみえる
学問とはなにか。
心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である」
司馬遼太郎『峠』

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明日は雨になるか、それとも晴れるか、
望むと望まざるとに関わらず、いずれそうなる。
「今」なすべきことを為し、なすべからざることをしない

「無用でしょう」継之助はいった。
武士の旅立ちにふりかえるということがあってはならない。
司馬遼太郎『

かれは商人や工人の感覚で藩の近代化を図ったが、
最後は武士であることのみに終始した。
武士の世の終焉にあたって、
長岡藩ほどその最後をみごとに表現しきった集団はない。
運命の負を甘受し、
そのことによって歴史にむかって語りつづける道を選んだ。
『峠』という表題は、そのことを、
小千谷の峠という地形によって象徴したつもりである。
書き終えたとき、悲しみがなお昇華せず、
虚空に小さな金属音になって鳴るのを聞いた。
◆榎峠と司馬遼太郎の碑/河井継之助記念館
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
事を行うための道具にすぎない [2022年06月17日(Fri)]
先日の日曜日(6/12)、ぶらり逸翁美術館に出かけ、
蕪村の俳句や絵画を愛で、茶室「即心庵」でお点前を頂戴。
川のせせらぎに鮎が泳ぐ姿の練り切りの和菓子や
花入れの桔梗の花、壁に飾られた横山大観の扇子の絵に
厳しい暑さを忘れて至福のひとときをまったり過ごしました。
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「時を旅する」

逸翁美術館を運営する阪急文化財団さんの「阪急文化」15号よりーー
2022年も「身体が資本、心は財産」を基本とし、
すべての方が健康で、
幸せいっぱいの笑顔が溢れる毎日
となりますよう、
心より願っております。
(アグノリアホール支配人・朝峰ひかり)

「身体が資本」は世間でよく聞くところですが、
「心は財産」は耳馴染みでなく、
その意味するところを考えさせられました。

「資本」にしろ、「財産」にしろ、
それはそのもののためにあるのではなく
それが使われて「新たな価値」を生み出す道具にすぎない
その新たな価値(幸せ、感動、文化などなど)が日々蓄積され、
身も心も豊かになって「幸せいっぱいの笑顔が溢れる毎日」になる。

「わしのいのちは、上洛の一日のためにある」
「左様。御上洛がおわりますれば、その翌日のためにござります。 
その翌日がおわりますれば、さらにその翌日のためにござります。
生は事を行うための道具にすぎませぬ
それが陽明学の基本思想なのであろう。
生は生そのもののためにあるのではない、という継之助の考えを、
この若い藩主は理解していた。
司馬遼太郎『峠』

樹齢千年の縄文杉を見て、ただの木でしかないのに感動したり、
真冬、青い空に映える真っ白な富士山を見て、
ただの盛り上がった土の塊にすぎないのに
清々しい気持ちになれたりと、
価値を創り出しているのは人の心です。
これは、唯一人間にのみ与えられた能力だと思います。
(……)
あるのは「価値のある人間・ない人間」という区別ではなく
「価値を見出せる能力のある人間・ない人間」という区別です
(海老原宏美さんが東京都知事に宛てた手紙)
渡辺 一史『なぜ人と人は支え合うのか』より

「価格」は見えますが、
「価値」は見える人にしか見えません
福原義春『私は変わった 変わるように努力したのだ』

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「無限の宝庫」
この世の中に存在するものは、一つとしてムダなものはない。
ムダだと思うのは、その活かし方、使い方を知らないだけ
活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる。
ムダだ、マイナスだと頭をかかえてばかりいたら、
不満に心が暗くなり、せっかくの天与の贈物も猫に小判

黄金は、猫にとっては何の役に立たない無用の物かもしれないが、
その活かし方を知っている人間にとっては、天下の大宝。
その価値を知らぬ猫の愚を笑いたくもなるが、
笑ってばかりもいられないのがお互いの姿であろう。
無用と思われていたカビのようなものでも、
これを有効に使えば、貴重な働きをすることがわかってきた今日、
この世の中はまさに無限の宝庫である。すべての物はもちろんのこと、
マイナスでしかない人間など、本来この世にあろうはずがない。

お互いに、もうすこし謙虚でありたい。
もうすこし勇気をもちたい。
そして、もうすこし寛容の心を持って、
すべての物が、すべての人が、時と処を得て
その本来の値打ちが活かされるようつとめたいものである。

「万物万象はわが心に帰す」
「だから心をつねに曇らさずに保っておくと、物事がよくみえる
学問とはなにか。
心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である」
司馬遼太郎『峠』

ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長』」より――
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松下幸之助のもっとも基本的で、潜在的にもっとも力強い思想は、
生涯にわたって学び続ける根源に関するものである。
彼ならこう言うだろう。
東京大学出身(あるいはハーバードでもオックスフォードでもいい)という
特権的な学歴を持っていることはいいことだが、
それは何ら本質的なことではない。これと同じことは、
抜群の知性、優れた容姿、豊かな個性についても当てはまる。
この種の要素よりも重要なことは
確かな習慣(信念)と、それを支える理想なのだ
彼は繰り返し人々に説いた。
謙虚で素直な心を持てば、
人はどんな経験からも、どんな年齢でも学べる
と。
人間的な大きな理想を抱けば、
成功も失敗も克服し、
そのどちらからも学び、成長し続けることができる
と。
彼の驚異的な人生は、これらの主張の力強い証明にほかならない。

【松下幸之助の21世紀への遺訓】
変化する環境にあっては、
生涯にわたって学び続ける姿勢が、
知能指数や家庭環境やカリスマ性や学歴よりも、
偉大な成功や抜群の業績につながる。

生涯にわたって学び続ける姿勢
謙虚さ、素直な心、リスクに挑む意志、人の意見を傾聴する能力、
そして誠実な自己観照(自省)と深く結びついている。

大きな理想主義的・人道主義的な目標と信念は
事業での成功と相容れないものではない。
少なくとも急速に変化する状況にあっては、
その目標と信念が成長を促す支えとなり、
それによって業績を挙げることもありうる。

逆境は必ずしも職業や人生を打ちのめすものではない。
それなりの条件が整えば
苦難の時期は大きな理想と絶えざる成長を育み、
偉大な達成に結びつく
ことがある。

あなたは謙虚にしているように見えるけれども。
どういう心持ちで謙虚にやっているのかというご質問ですね。
ぼくは謙虚にしているとか、していないとかは意識していませんけれど、
結局、何ごとによらず、衆知によらないといかんと思うんです。
だから、10人の人がおれば10人の知恵を借りる、
100人の人がおれば100人の知恵を借りる、
1億人の人がおれば1億人の知恵を借りる、という心構えで
やっているんです。だからね、すべての皆さんはじめ、
この家屋、電灯、光、全部がわが師だと思っている

すべてのものがわが師であると、こういう考えでやっている。
だから、どこを見ても私より偉い人ばかりがいる、
私が一番あかん、そういう考えでやっている
んです。
1983年4月、80歳を超えた松下さんが
世界中から集まった若手経営者の前で講演した後の質疑応答



人生の目的はどこにあるのでしょうか、
もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私はやはり真正面から、
それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです。
昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、
日々誠実に努める
その弛まぬ作業、地道な営為(えいい)、つつましき求道(ぐどう)に、
私たちが生きる目的や価値がたしかに存在しているのではないでしょうか。
現世とは心を高めるために与えられた期間であり、
魂を磨くための修養の場
である。
人間の生きる意味や人生の価値は 
心を高め、魂を錬磨することにある。
まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。
俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、
やがて息絶えるその日まで、
(う)まず弛(たゆ)まず一生懸命生きていく

そのプロセスそのものを磨き砂として、
おのれの人間性を高め、精神を修養し、
この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく

私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。
稲盛和夫『生き方』

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先週の鹿児島出張の2日目、南日本新聞さんが取材に来られていました。
翌日の南日本新聞に写真入りで記事が掲載されていたとのこと。
もとより記事の主役は私ではありませんが、
記事が掲載された6月9日は横田慎太郎さんのお誕生日。
そんなおめでたい日の南日本新聞の紙面に、身に余る光栄で恐悦至極です。
◆「克灰」灰に克つ!/2022.6.7
◆不屈不撓、不屈邁進/2022.6.8
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
汝自身を知れ [2022年06月16日(Thu)]
千里の氏神さま、上新田天神社にて
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「鏡は人の心を映すものである」新渡戸稲造

新渡戸稲造『武士道』より――
神社に詣ずる者は誰でも観るごとく、
その礼拝の対象および道具は甚だ少なく、
奥殿に掲げられたる素鏡がその備えつけの主要部分を成すのである。
鏡の存在は容易に説明ができる。それは人の心を表わすものであって、
心が完全に平静かつ明澄なる時は神の御像を映す
この故に人もし神前に立ちて拝礼する時は、
鏡の輝く面に自己の像の映れるを見るであろう。
かくてその礼拝の行為は、
汝自身を知れ」という旧きデルフィの神託と同一に帰するのである。

心だに誠の道にかないなば 祈らずとても神や守らん
(菅原道真)
心だに誠の道にそむくなば 祈ったところで神は守らず
(詠み人知らず)

天知る、地知る、我知る、人知る

神様(お天道様)はすべてお見通し

商売繁昌の秘訣は、信用にあり、
信用を得る道は誠実に御客本位に行う事である。
「信用の三条件」/小林一三『私の行き方』

信用というものは、
正直さがあくまで土台になっている。
それともう一つ大事なことは、
信用には長い時間と忍耐が必要だということだ。
どんなに正直にやっても三日坊主ではだめだ
3日くらいでできるほ甘いものではない。
やはり長時間かけて世間が下してくれた勤務評定なのである。
人生は信用とカネの天びん棒」/本田宗一郎『俺の考え』

松下幸之助『道をひらく』より――
「心の鏡」
自分の身なりを正すためには、人はまず鏡の前に立つ。
鏡は正直である
ありのままの姿を、ありのままにそこに映し出す。
自分のネクタイは曲がっていないと、がんこに言い張る人でも
鏡の前に立てば、その曲直は一目りょうぜんである。
だから人は、その誤ちをみとめ、これを直す
身なりは鏡で正せるとしても、
心のゆがみまでも映し出しはしない。
だから、人はとかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。
心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが
けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随処にある
自分の周囲にある物、いる人、
これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。
すべての物がわが心を映し、
すべての人が、わが心につながっている
のである。
古えの聖賢は「まず自分の目から梁を取りのけよ」と教えた。
もうすこし、周囲をよく見たい。
もうすこし、周囲の人の声に耳を傾けたい

この謙虚な心、素直な心があれば、人も物もみなわが心の鏡として
自分の考え、自分のふるまいの正邪が
そこにありのままに映し出されてくるであろう。

「偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除け
(マタイ 7:4)

「月来れば月映じ、鳥来れば鳥映ず。
波静まった水面の如く、
万物明らかに映ずる心の状態
を落ち着きという」
心身統一合氣道/誦句集

「万物万象はわが心に帰す」
「だから心をつねに曇らさずに保っておくと、物事がよくみえる
学問とはなにか。
心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である」
司馬遼太郎『峠』

私は17歳のときに
「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」
という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
もし今日が最後の日だとしても、
 今からやろうとしていたことをするだろうか
」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。
自分はまもなく死ぬという認識が、
重大な決断を下すときに一番役立つのです。
Stay Hungry. Stay Foolish.
Steve Jobs, CEO of Apple Computer, on June 12, 2005

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生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
変えるのは今の自分 [2022年06月13日(Mon)]
久々に箕面の滝まで朝ジョグ♪
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ツバメも巣立って空き家になってるものと思いしや、
別の巣で子育て真っ最中でした。
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もとは正月飾りの盆栽だったのを庭に直植えした梅、
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花を咲かせた後についた小さな実が、
いつの間にずいぶん大きくなっていました。
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「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」
―― You cannot change others or the past.
You can change yourself and the future.

他人は変えられないが、変わる。
過去は変えられないし、変わらない。過去は学ぶもの。
自分は変えられる。
未来は変えるものではなく、
「過去」に学んで「今」を変える、その結果として「未来」は変わる

明日ありとおもうこころのあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
(親鸞聖人が9歳で得度された時に詠まれた歌)

明日がある
あさってがあると
思っている間は
なんにも ありはしない。
かんじんの「今」さえないんだから。
(東井義雄)

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

野村克也『野村メモ』より――
意識が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

野村克也『野村ノート』より――
心が変われば態度が変わる。
態度が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる

人生とは、ひとことで言えば習慣です。
習慣とは繰り返すことにほかなりませんから、
強い意志をもって臨めば
やがて習い性となって大いに人生の助けとなります
それは、生活に限らず、
生きかた、目標のもちかた、仕事への向かいかた、
言葉の使いかたから、ふるまいまで、行為のすべて
です。
その意味で、私の人生は、
まさしく習慣のたまものです。
日野原重明『与命』

生きかた ・・・「一日一生」「一期一会」
目標のもちかた ・・・「日に新た」「不屈邁進」
仕事への向かいかた ・・・「奉仕一貫」「初心不可忘」
言葉の使いかた 、ふるまい・・・「和顔愛語」「和敬清寂」

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ぶらり、逸翁美術館へ『蕪村、時を旅する』
蕪村の俳句や絵画を愛で、茶室「即心庵」でお点前を頂戴。

川のせせらぎに鮎が泳ぐ姿の練り切りの和菓子や
花入れの桔梗の花、壁に飾られた横山大観の扇子の絵に
厳しい暑さを忘れて至福のひとときをまったり過ごしました。

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
存亡禍福は皆己に在るのみ [2022年06月11日(Sat)]
高田郁さんの『あきない世傳・金と銀』をご紹介いただき、
第一巻から既刊の第12巻まで一気に読了。
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色々と学びや気づきが多く、ページの上端や下端は折れだらけ。
本年2月刊行の第12巻の最後は、カーライルの「衣裳哲学」が思い出され、
第13巻の発売が今から楽しみで待ち遠しいです。

衰颯的景象 就在盛満中
発生的機緘 即在零落内
(あきない世傳K p.152)
故君子 居安宜操一心以慮患 処変当堅百忍以図成
(『菜根譚』前集118)
衰颯の景象は、すなわち盛満の中に在り。
発生の機緘は、すなわち零落の内に在り。
故に、君子は安きに居りては、よろしく一心を操りて、もって患いを慮り、
変に処しては、まさに百忍を堅くして、もって成るをはかるべし。
―― 衰える兆しは、盛んなころからある。
芽の出るいとなみは、落ちぶれたときに起こる。
だから人間は無事な時から、覚悟してまさかに備え、
不幸があったら、忍びに忍んで盛り返すこと。
(魚返善雄訳)

孔子曰、存亡禍福、皆在己而已。
存亡禍福は皆己に在るのみ) 
「禍福は、向こうから訪れるのではなく、
ただ人間がそれを招くものである」

徳者事業之基
未有基不固 而棟宇堅久者
心者後裔之根
未有根不植 而枝葉栄茂者 (あきない世傳K p.200)
(『菜根譚』前集157)
徳は、事業の基なり。
未だ基固からずして、棟宇の堅久なるものはあらざるなり。
心は、後裔の根なり。
未だ根植わらずして、枝葉の栄茂せるものはあらざるなり。
―― 人格が事業の土台。
土台がダメでいて、建物の丈夫なためしはない。
心が子孫の根になる。
根がダメでいて、枝葉のしげるためしはない。
(魚返善雄訳)

人生の目的はどこにあるのでしょうか、
もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私はやはり真正面から、
それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです。
昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、
日々誠実に努める
その弛まぬ作業、地道な営為(えいい)、つつましき求道(ぐどう)に、
私たちが生きる目的や価値がたしかに存在しているのではないでしょうか。
現世とは心を高めるために与えられた期間であり、
魂を磨くための修養の場
である。
人間の生きる意味や人生の価値は 
心を高め、魂を錬磨することにある。
まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。
俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、
やがて息絶えるその日まで、
(う)まず弛(たゆ)まず一生懸命生きていく

そのプロセスそのものを磨き砂として、
おのれの人間性を高め、精神を修養し、
この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく

私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。
稲盛和夫『生き方』

松下幸之助『道をひらく』より――
「心を通わす」
古人曰く、人生はあざなえる縄の如し。
まことにこの世の中、長い人の歩みのなかには、
よいこともあればわるいこともある。
うれしいこともあれば悲しいこともある。
そして、よいと思ったことが実はわるくて、
わるいと思ったことが実はよくて、
つまりはあれこれと思いまどうことは何もなくて、
はじめから素直に謙虚に歩んでおればそれでよかった
と、
人の知恵の浅はかさに、いまさらのように胸打たれることがしばしばある。

はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、
また徹底的によいということもないのである。
それでもなお人は、わるいと思うときには自分で自分の心を閉ざし、
よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる。
心を閉ざし、人をへだて、心と心とが通い合わぬ姿からは、
おたがいに協力も助け合いも生まれてはこない

心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。

有為転変のこの世の中、よいときにもわるいときにも、
いかなるときにも素直に謙虚に、おたがいに心を通わし、
思いを相通じて、協力し合っていきたい
ものである。

「心配またよし」
何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば、
この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、
実際はそうは問屋が卸さない。
人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある

しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを
懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに、
人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じる

ということが大事なのである。
この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪わしく、
人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう。

憂事に直面しても、これを恐れてはならない。しりごみしてはならない
「心配またよし」である。
心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、
そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力をしぼる。知恵をしぼる
するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。
新しい道がひらけてくるのである。
まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、
人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。

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生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
不屈不撓、不屈邁進 [2022年06月08日(Wed)]
大阪から鹿児島に向かう車中の供は『奇跡の本屋をつくりたい』。
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著者の久住邦晴さんは、父親が創業した札幌の書店を継いだ店主。
半端なく変化する経営環境に厳しい舵取りを強いられる日々、
息子さんを白血病で亡くし、そして奥様もガンで亡くし、
それでも踏ん張り続け、店を続けるため知恵を絞り続けてこられたが閉店。
新たな形でリスタートを目指すも、ご本人に肺ガンが発覚して他界。
本書は久住さんの遺稿を収録したものです。

艱難辛苦に逃げることなく、
最後まで諦めることなく只管(ひたすら)愚直に弛まぬ努力を続ける姿は
『奇跡のバックホーム』の横田慎太郎さんに通じるものあり。

「奇跡」は自ら起こすものでなく、
「不屈不撓」「不屈邁進」の弛まぬ努力を見届けた神様からの贈り物で、
その意味で、逆境や不遇は神様が我を試すための贈り物と解すべきか。

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マグマシティ鹿児島
以下、『菜根譚』より――
天、我に薄くするに福をもってせば、
吾、吾が徳を厚くしてもって之をむかえん。
天、我を労するに形をもってせば、
吾、吾が心を逸にしてもって之を補わん。
天、我を阨するに遇をもってせば、
吾、吾が道をとおらしめてもって之を通ぜん。
天も且つ我をいかんせんや。
(前集91)
―― 天が福をおしむなら、こちらは徳でたち向かおう。
肉体をくるしめるなら、精神を楽にしておぎなう。
境遇をふさがれたら、真理に生きて切り抜けよう。
天もこれにはどうもできまい。
(魚返善雄訳)

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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「克灰」灰に克つ! [2022年06月07日(Tue)]
昨日(6/6)、雨上がりの朝、
残っていたツボミがすべて咲きました。
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早速、花びらにはナメクジがお越しです。
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鹿児島へ

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――「降灰」指定置場
「克灰袋」に入れて、きれいに置いてください。

『菜根譚』より――
横逆困窮は、是れ豪傑を鍛煉するの一副の鑢錘なり
能く其の鍛煉を受くれば、即ち、身心交も益す。
其の鍛煉を受けざれば、即ち、身心交も損す。
(前集128)
―― 難儀苦労は、人をきたえるカナ床のようなもの。
たたかれ抜けば、からだもハラもできる。
よくたたかれないと、できそこないになる。
(魚返善雄訳)

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
日々是新 [2022年06月05日(Sun)]
先週の日曜日(5/29)、まだ夜も明けぬ早朝の4時に
ユリのツボミが2つ、すでに開き出していました。
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開花の瞬間を見届けるのは容易やない、と思いながらも、
やはり、気になるので、先日(6/1)挑戦!

深夜2時、早くもツボミが開きかけていました。
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期待して、1時間後の3時に見に行くと、さほど変化なし。
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5時になって周りが明るくなり、少し開き出しました。
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そして7時半、だいぶ開いてきました。
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先週の日曜日(5/29)に比べると、
その日(6/1)の朝は肌寒さを感じました。

いつ開花するかは、時計の時刻や夜明けの光よりも、
気温やその変化に影響されるのかもです。

朝顔は、夜の闇のなかに咲くのです。
人間も希望という大輪の花を咲かせるのは、
かならずしも光の真っただなかでも、
暖かい温度のなかでもなかろう。
冷たい夜と、濃い闇のなかに
私たちは朝、大輪の花という希望を咲かせる。
夜の闇こそ、花が咲くための大事な時間なのだ
と、私はそう考えました。
いまの時代というのは、まさにそういう時代かもしれません。
五木寛之『朝顔は闇の底に咲く』
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アサガオの花は、日の出とともに開くものだと
信じている人が多いようだ。
夕方、アサガオを見ても、つぼみは堅く閉じたままであるのに、
朝起きてみると、みごとな花が開いているのであるから無理はない。
しかし、実際にアサガオの花が開く時刻を知っている人は
あまりないのではないか
と思う。
瀧本敦『ヒマワリはなぜ東を向くのか』

松下幸之助『道をひらく』より――
「なぜ」
こどもの心は素直である。
だからわからぬことがあればすぐに問う。「なぜ、なぜ」と。
こどもは一生懸命である。熱心である。
だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える
考えて納得がゆかなければ、どこまでも問いかえす。「なぜ、なぜ」と
こどもの心には私心がない。とらわれがない
いいものはいいし、わるいものはわるい。
だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。
こどもはこうして成長する。
「なぜ」と問うて、それを教えられて、
その教えを素直に自分で考えて、さらに「なぜ」と問いかえして、
そして日一日と成長してゆくのである。

大人もまた同じである。
日に新たであるためには、
いつも「なぜ」と問わねばならぬ
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、
「なぜ」と問うタネは随所にある

それを見失って
きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く
十年一日の如き形式に堕したとき
その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。

ジョージ・バーナード・ショーは、こう言って
人生の生き方を要約したのです。
「多くの人は現実を見て、なぜ?とだけ言う。
私は決して存在しないことを夢見て、
そして言うのです――なぜそうならないのか?
You see things ; and you say, 'Why?'
But I dream things that never were ; and I say, 'Why not?'
ジョン・F・ケネディ/アイルランド滞在中の演説で

「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。