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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
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動じることなく、正しいことをする [2022年04月30日(Sat)]
昨日は雨風が強くて落花や落葉が盛んで、
たちまち塵取りに満杯です。
KIMG1726_2.JPG
朝ジョグで立ち寄るついでの庭掃除、
長年マンション暮らしの身には朝から清々しくて心地よく、
最近のマイブームの一つです。

あらためて思いましたが、こんな掃除でも、
何のためになんて言い出すとあかんのでしょうね。
続かないし、何より楽しくないです。

掃除しながら色んなことを考えているので、
決して無心というわけでなく、
掃除に集中してるわけでもないですが、
心は穏やかで落ち着きます。

今朝(4/30)の朝日新聞の投書欄「声」で、
今月17日に開催された「かすみがうらマラソン」を走られた方の
投稿が目に留まりました。

給水所で提供されたドリンクの紙コップが、
ゴミ箱に入れられずに散乱しているのをわざわざ拾い、
背負った籠に入れて走り続けたランナーがおられたとのこと。

いやいや、なかなか出来ないでしょう。
投稿にも書かれているように、
自分の為に走ればそれなりの記録も出せるにもかかわらず、
大金を払ってエントリーしているのに、
他人がゴミ箱に入れなかったゴミを拾いながら走る。
しかも、わざわざ拾ったゴミを持ち運ぶ籠をかついで走る。

あほちゃうかとか、一人ええかっこすなとか、
そんなことを言われるのやないかと、
なんぼええことでも躊躇してできないと思うのですが、
ご本人はゴミ拾いが楽しく、人の目なんて気にならないのかもです。

散乱している紙コップを拾うことが本人にとって「自然体」で、
そこに「自己犠牲」や「利他」とか「義務」や「責任」とか、
大義名分や理由なんて存在しないのではないか、
そんな気がします。

そういえば、エンゼルスの大谷翔平さんも、
試合中でもグラウンドでゴミが目に留まったら拾われるとか。
あれも同じで、大谷さんにとって、かつてはともかく、
今では、ゴミを拾う理由や目的なんか特になく
「そこにゴミが落ちているから拾う」ただそれだけなのかもです。

<世間八法>
誰かに批判されて悩む
誰かに賞賛されて有頂天になる

失敗して落ち込む
成功して喜ぶ

貧しくなって失意の底に沈む。
財をなしてしあわせだと思う。

人に認められてもらえずに鬱々とする。
名を立てて満足する。

これに対して、ダライ・ラマ法王は
―― 四つの対句はいずれも自然なことに思えます。しかし、
心の訓練を積んだ人にとって、これらは間違った反応です。
賞賛されても、批判されても、
感情を交えずに、その真の意味を評価するべきです。
正しい目的または動機は、
批判や賞賛を避けたりはしません
正しいことをするのが目的なのですから。

人生とは、ひとことで言えば習慣です。
習慣とは繰り返すことにほかなりませんから、
強い意志をもって臨めば
やがて習い性となって大いに人生の助けとなります
それは、生活に限らず、
生きかた、目標のもちかた、仕事への向かいかた、
言葉の使いかたから、ふるまいまで、行為のすべて
です。
その意味で、私の人生は、
まさしく習慣のたまものです。
日野原重明『与命』

生きかた ・・・「一日一生」「一期一会」
目標のもちかた ・・・「日に新た」「不屈邁進」
仕事への向かいかた ・・・「奉仕一貫」「初心不可忘」
言葉の使いかた 、ふるまい・・・「和顔愛語」「和敬清寂」

お茶を売ってお金を儲けるだけなら、
自分の都合でいつ休んでもいいようなものですよ。
しかし、このおばあさんは 
そんな味けない考えは少しもなかった
自分の茶店は 
自分一人のものではない。
この茶店をアテにして 
上り下りする山越えの旅人たちのためのものだ。
その世話をするのが自分の役割なのだ。
きっとおばあさんは 
無意識のうちにもそう考えていたのではないでしょうか。
「無言の契約」/松下幸之助『人生談義』

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
趣味と仕事の違い(仕事の意義) [2022年04月24日(Sun)]
「趣味」・・・ 自己満足
「仕事」・・・ 自分以外の誰かを喜ばせる

『松下幸之助・経営の真髄』より――
商売にはサービスがつきものである。
サービスを伴わぬ商売は、もはや商売ではない
その意味においては、
サービスは商売人にとっての一つの義務ともいえる。
しかし、これを単なる義務としてのみ受け取り
しかたなしにやむをえずやっているとしたら
これほど疲れることはない。こちらが疲れるだけでなく、
お客さまにもその「しかたなさ」が自然に通ってしまう
サービスは相手を喜ばせるものであり、そしてまた
こちらにも喜びが生まれてこなければならないものである。
喜び喜ばれる姿の中にこそ真のサービスがあるといえよう。
お互いに、喜びをもってサービスにあたりたい。
躍動する心でサービスに専心したい
真の商売がそこから芽生えてくる

松下幸之助『社員稼業』より――
そば屋のご主人は、お得意さんの声に耳を傾けながら
その店独特の味づくり、店づくりに精魂をこめます
企業の経営者も同様です。
これは、会社につとめる社員ひとりについても、同じこと
考えてもよいのではないでしょうか。つまり会社のつとめを、
あたかも自分の稼業、わが家の職業と考え、
責任をもってすすめていったらどうかということです。
自分の職務についてはいわば自分が社長であるとの自覚をもつならば
おのずと創意工夫も生まれてくるでしょう。
上役や同僚、後輩など周囲の人びとに対しても、
すべてよきお得意さんと見なして意見をきくこともできましょう。
そして自分なりに仕事を楽しみつつ、
これを高めていくことができるのです。社員稼業とは、
そのように、自主独立の精神をもつことによって、
みずからの成長をうながし、仕事の成果を上げていく
ための
大事な心がまえなのです。

もし社員稼業に徹するならば、
命じられただけの範囲で仕事を済ませるということはできない
と私は思います。(松下幸之助『社員稼業』)

千宗室『自分を生きてみる・一期一会の心得』より――
自分たちが客として席に入ったとしたら、
一人一人がどう見えているか

亭主側は常にそれを頭におき、準備をする
これも、茶の湯に限ったことではないでしょう。
相手に対する思いやり、優しさを持つことが大事。
優しさを持つということは、
無条件に相手を甘やかすというのではなく、
まず相手を認める、相手の立場に立って考えるということ。
それが出来れば、
お互いの間に心の通い合いの輪を広げることができるでしょう。

「考える」とは、
自分が身をもって相手と交わることだ。
だから、考えるとは、つきあうことなのです。
ある対象を向こうへ離して、
こちらで観察するのは考えることではない

対象と私とがある親密な関係に入り込む
それが考えることなのです。
人間について考えるというのは、
その人と交わることです

小林秀雄『学生との対話』

「顧客第一主義」といっても、
あらゆる顧客を満足させることはできない。
誰をも喜ばせることが大事なのではなく、大事なことは、
対象とする顧客を深く喜ばせることである。
ドラッカー『経営者に贈る5つの質問』

黄昏ジョグで箕面の実家に向かう道すがら、とくし丸と遭遇!
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とくとくと〜く、とくしまる♪(2022.4.13)

とくし丸といえば、
先日(4/8)のNHKドキュメント72時間で丹後半島が取り上げられたように
限界集落の話と思っていたので、まさかまさかです。

すぐ近くの徒歩圏に、スーパーライフがあり、
建替え改装中(4月29日リニューアルオープン)のコープもあるのに、
なんでまた?
思わず足を止めて、色々とお話をお聞きしました。
毎週決まった曜日の決まった時間から営業されていて、
ご贔屓にされているお客さんも多くおられるとのことでした。

考えてみれば、周辺は独居老人が多く、年々高齢化が進み、
皆さん、徒歩であれ、バスであれ、買い物に難儀されています。
私の母も、生協の個配のお世話になるようになりましたが、
いざ頼んでみると色々と不満が出てくるようです。
不満の内容は、母の話を聞けば納得ですが
逆に、母から話を聞かされなければ気づかなかったでしょう。

想像力というと、
よく論理的な思考と対比される。
空想や夢想はそうなのだろうが、想像力はちがう。
眼の前にあるものを足がかりとして、
眼の前に現れていない出来事や過程をのびやかに想像すること、
あるいはそれを論理的に問いつめてゆく
こと。これは、
科学や宗教や芸術、あるいは政治や倫理や<他人への>思いやり、
それらのいずれにおいても
根のところで働いているはずの、わたしたちの力だ。
鷲田清一『〈想像〉のレッスン』

実のところ、先日のNHKドキュメント72時間でとくし丸を見ても
他人事でしたが、自分の身近でとくし丸と出会い、
耳を傾けて色々と話を聞き、自分の問題として考えると、
多くの気づきや学びを得られました。
------------
先週末、頭髪が限界を超えていたのでQBハウスに立ち寄ると、
券売機に「シニアのお客さま限定」のボタンあり。
ありがたき御慈悲と思いしや、
「前回のご利用から1ヶ月以内のご来店で」の注意書あり。
うーん、残念。

せっかくの機会なんで、スタッフの方にちょっとお尋ね。
シニア会員について
先月までは平日限定で100円引きだったのが、
今月から1ヶ月以内の来店で曜日に関係なく100円引きとのこと。

客は土日もお得でありがたいし、
店は1ヶ月以内のリピート期待でありがたい。なかなか商売上手です。
惜しむらくはネーミング、
「ツキイチ」では無粋というか、ひねりがない。
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(2022.4.16)
例えば「またおこし」とか「またきてね」とか
それと、ツキイチで100円引きなら、
週イチなら200円引きにして「またおこしスペシャル特盛」とか

今どきは何でも「ポイント制」ですが、
意外に、こんな「アナログ」で「顧客とコミュニケーション」も
捨てたもんやないかもです。

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていく
ということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかも
しれないが、少なくともこちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。それが
相手のためであると同時に、
大きくは自分のためにもなって、
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

「幸」というものは、
直接つかめるものではない。
人を幸せにすることの反応として、自分が幸せを感じる
周囲がすべて幸せになっていれば
当然、自分もいつのまにか幸せになっていく

これは、商売でいうと奉仕優先、消費者優先という思想である。
自分だけが幸せになりたいということで
人を押しのけてもと自分の利益ばかり追う自己優先の考え方は
こうした点からいっても間違っている
最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる
お互いの立場としては
社会が、お得意先が、さらに消費者が優先である。
これなくして企業の繁栄もないし
企業の繁栄なくしては、お互いの幸せもあり得ない
立石一真『人を幸せにする人が幸せになる』

世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

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ウクライナに平和を!/箕面市役所(2022.4.16)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
「和敬清寂」の寂は何か? [2022年04月23日(Sat)]
お茶の心を表す「和敬清寂」について、
「和」、互いに心を開いて仲よく
「敬」、互いに敬い合って
「清」、心清らかに
までは分かるのですが、
「寂」、どんなときにも動じない心
となると、
なぜ寂が不動心なのかイマイチ納得できず、
違和感ありました。

これについて、裏千家16代家元 千宗室さんの
『自分を生きてみる・一期一会の心得』より――
では清寂の寂は何か?
よく、何ものにも動じない心などと訳されているのですが、
私にはいま一つピンと来ない。
この寂というのは、やっぱり侘しいイメージがある。
侘びやさび。滅びていくイメージがある。
ただし、滅びると取ってしまったら、悲しいものに聞こえる。
清寂の寂というのは、寂滅の寂。
私は、日を重ねていくということじゃないかととらえています。

毎日毎日をしっかり生きていく
その一日というのはまた、私一人が生きているのではない
あなたも生きている。
まわりの人も一緒に、この一日を生きている。
朝、目が覚める。
私が見ている太陽を他の人たちも見ている。
私が感じている爽やかな薫風なら薫風を、
まわりの人たちも感じている。
私が寝る時に他の人たちも眠りにつく。
自分一人が生きているんじゃなくって、
皆でその一日を生きている。同じように年を取っていく。
月が生まれ、満ち欠けていくのと同じように、
人とともに生きて、人とともに死んでいく。
それが寂ということではないでしょうか。

私が生きる。そして、あなたも生きる。
共に生きているということを感じ合うのが
「和敬清寂」の寂だと思う。
自分と和み、人と和もう
自分を敬い、人を敬おう
私の心に清らかなものがある。そして、
人の心にも清らかなものがあることを信ずる。
そして、共に生まれ、共に死んでいこう
そのことを認識すれば、答はどこにいくかというと、
この言葉は「一期一会」を置き換えていることになると、
私は思うのです。「和敬清寂」の根本精神は、
「一期一会」
ということではないかと。
ともにそこにいる、ともにそこにあるということです。

だから、喜びを感じ、喜びを分け合う
悲しみを感じれば、悲しみを分け合う
程度の差はあれども、
それらを分かち合っているという気持ちではないのでしょうか。
自分の心に敏感になり、人の心にも敏感になる
そういうことだと思うのです。その思いさえあれば、
お互い意見を戦わすことはあっても、諍いは減るはずなのです。
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宣長にとって、生きるとは「考える」ことであった。
吉田悦之『宣長にまねぶ』

「考える」とは、
自分が身をもって相手と交わることだ。
だから、考えるとは、つきあうことなのです。
ある対象を向こうへ離して、
こちらで観察するのは考えることではない

対象と私とがある親密な関係に入り込む
それが考えることなのです。
人間について考えるというのは、
その人と交わることです

小林秀雄『学生との対話』

先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。
第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、
律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
聖書協会共同訳「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていく
ということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかも
しれないが、少なくともこちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。それが
相手のためであると同時に、
大きくは自分のためにもなって、
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

「幸」というものは、
直接つかめるものではない。
人を幸せにすることの反応として、自分が幸せを感じる
周囲がすべて幸せになっていれば
当然、自分もいつのまにか幸せになっていく

これは、商売でいうと奉仕優先、消費者優先という思想である。
自分だけが幸せになりたいということで
人を押しのけてもと自分の利益ばかり追う自己優先の考え方は
こうした点からいっても間違っている
最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる
お互いの立場としては
社会が、お得意先が、さらに消費者が優先である。
これなくして企業の繁栄もないし
企業の繁栄なくしては、お互いの幸せもあり得ない
立石一真『人を幸せにする人が幸せになる』

世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
どんな仕事も創造性を発揮し得る [2022年04月22日(Fri)]
吉田悦之『宣長にまねぶ』より――
結局は、
高い目標が有るか否かである。
志を立てて、目的を完遂しようとしたとき
それまでバラバラだった知は、
統合される。あるいは方向性を持ち出す。
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宣長にとって、生きるとは「考える」ことであった。
吉田悦之『宣長にまねぶ』

「考える」とは、
自分が身をもって相手と交わることだ。
だから、考えるとは、つきあうことなのです。
ある対象を向こうへ離して、
こちらで観察するのは考えることではない

対象と私とがある親密な関係に入り込む
それが考えることなのです。
人間について考えるというのは、
その人と交わることです

小林秀雄『学生との対話』

西堀榮三郎『技士道 十五ヶ条』の
第4章「創造性を考える」より――
職場など組織のなかには、
この創造性を阻もうとする言動が多い。
「考えるなんて余計なことはするな。
 俺のいう通りに働けばいいんだ」
という人がいるが、
これは「お前は人間ではない」といっているに等しい
こういうことをいうから、
創造性を発揮できなくなるのである。

誰にも創造性を発揮する能力があるのだから、
それならば、それを活かす方向にもっていきたい
レジャーと同じように、
仕事上でも十分に創造性が発揮できたなら、
どんなに素晴らしいことだろう。
私が、いまここで「仕事上」という言葉を使うのは、
人間は仕事を通じて社会に参加すると考えるからである。

仕事にもいろんなものがあり、
個人でやる小説家や画家のような仕事から、
何人かで協働して完成させる企業や
ボランタリーのような共同作業まである。
また、家事労働のように私的な労働もある。
これらの仕事はみな、創造性を発揮し得るものばかりである
だから、仕事のあるところでは内容の違いはあっても
必ず創造性が発揮できる
と、私は考えるのである。

全然考えてへんやんか!
当たり前のことが当たり前にできないと建築(仕事)できないよ!

苦労が見える建築(仕事)、来た人わかりますよ。
苦労のないもの感動するかなぁ
(考えてない仕事に感動するかなぁ)

仕事はぜんぶ闘いでしょう

基礎のない人間いっぱいいるやない、
人間を語れない人間 いるやん、
コンピューターばかり見ているやつ、
これ役に立ちませんよ

「闘う建築家 安藤忠雄」NHK-BS

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(2022.4.20)
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(2022.4.21)
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(2022.4.19)

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
正しく訊こうと考えて問題を出す [2022年04月21日(Thu)]
吉田悦之『宣長にまねぶ』より――
結局は、
高い目標が有るか否かである。
志を立てて、目的を完遂しようとしたとき
それまでバラバラだった知は、
統合される。あるいは方向性を持ち出す。
KIMG1614_2.JPG

宣長にとって、生きるとは「考える」ことであった。
吉田悦之『宣長にまねぶ』

「考える」とは、
自分が身をもって相手と交わることだ。
だから、考えるとは、つきあうことなのです。
ある対象を向こうへ離して、
こちらで観察するのは考えることではない

対象と私とがある親密な関係に入り込む
それが考えることなのです。
人間について考えるというのは、
その人と交わることです

小林秀雄『学生との対話』

小林秀雄『学生との対話』より――
「質問するというのは難しいことです。
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。
僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っています。
僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、
答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。
ただ、正しく訊くことはできる
だから諸君、正しく訊こうと、そう考えておくれよ
ただ質問すれば答えてくれるだろうなどと思ってはいけない
『どうしますか、今の、現代の混乱を?』なんて
問われてもどう答えますか。質問がなっていないじゃないか。
質問するというのは、自分で考えることだ。
僕はだんだん、自分で考えるうちに、
『おそらく人間にできるのは、
 人生に対して、うまく質問することだけだ。
 答えるなんてことは、とてもできやしないのではないかな』と、
そういうふうに思うようになった。
さあ、何か僕に訊いてみたいことがありますか」

ベルグソンは若いころにこういうことを言ってます、
問題を出すということが一番大事なことだ
うまく出す、問題をうまく出せば即ちそれが答えだと、
いま文化の問題でも、何の問題でもいいが、
物を考えている人がうまく問題を出そうとしませんね、
答えばかり出そうとあせっている
小林秀雄・岡潔『人間の建設』

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
そこに劇は起らず、何も生れない [2022年04月20日(Wed)]
吉田悦之『宣長にまねぶ』より――
結局は、
高い目標が有るか否かである。
志を立てて、目的を完遂しようとしたとき
それまでバラバラだった知は、
統合される。あるいは方向性を持ち出す。
KIMG1614_2.JPG

宣長にとって、生きるとは「考える」ことであった。
吉田悦之『宣長にまねぶ』

「考える」とは、
自分が身をもって相手と交わることだ。
だから、考えるとは、つきあうことなのです。
ある対象を向こうへ離して、
こちらで観察するのは考えることではない

対象と私とがある親密な関係に入り込む
それが考えることなのです。
人間について考えるというのは、
その人と交わることです

小林秀雄『学生との対話』

小林秀雄『学生との対話』の
池田雅延「問うことと答えること」より――
……ちかごろはみな、録音機のマイクを平気で人につきつける。
そうすることでもう人間同士の会話は成り立たなくなっていることに
誰も気づいていない。会話とは、当事者同士で創作する言葉の劇だ
そこに機械が入りこむともうだめだ
話す側は、聴く側が耳を機械に預けて虚ろになっていることを
すぐさま感知するから

聴く側の表情や目の色に触発されて考えるということがなくなる
頭のなかに出来上っている意味内容を吐き出すだけになる
聞くほうも聞くほうだ、あとで録音を聞けばよいと思っているから
身を入れて聞かない

そこに劇は起らない、そこからは何も生れない……、
そう言っていました。

君は今日、僕の話が聞きたいと言ったね、
だから僕は、君と話そうと思って待っていた、
なのになんだい、
君は僕の話を機械に聞かせているじゃないか

僕は、君に聞いてほしい言葉は持っているが、
機械に聞かせる言葉など持っていないからね。

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
そういう意味合いで一筋に考える [2022年04月19日(Tue)]
吉田悦之『宣長にまねぶ』より――
結局は、
高い目標が有るか否かである。
志を立てて、目的を完遂しようとしたとき
それまでバラバラだった知は、
統合される。あるいは方向性を持ち出す。
KIMG1614_2.JPG

宣長にとって、生きるとは「考える」ことであった。
吉田悦之『宣長にまねぶ』

小林秀雄『考えるという事』より――
(本居宣長)の説によれば、
「かんがふ」は、「かむかう」の音便で、
もともと、むかえるという言葉なのである。
「かれとこれとを、比校(アヒムカ)へて思ひめぐらす意」と解する。
それなら、私が物を考える基本的な形では、
「私」と「物」とが「あひむかふ」という意になろう。
「むかふ」の「む」は「身」であり、
「かふ」は「交ふ」であると解していいなら、
考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、
物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、
物を身に感じて生きる、そういう経験をいう

実際、宣長は、
そういう意味合いで、一と筋に考えた
彼が所謂「世の物しり」をしきりに嫌いだと言っているのも、
彼の学問の建前からすると、物しりは、
まるで考えるという事をしていない
という事になるからだろう。

「考える」とは、
自分が身をもって相手と交わることだ。
だから、考えるとは、つきあうことなのです。
ある対象を向こうへ離して、
こちらで観察するのは考えることではない

対象と私とがある親密な関係に入り込む
それが考えることなのです。
人間について考えるというのは、
その人と交わることです

小林秀雄『学生との対話』

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
私の義務が果たせない作品がある [2022年04月18日(Mon)]
先日(4/10)、映画『HOKUSAI』を見たのをきっかけに
北斎の生き様に心惹かれ、
葛飾北斎のガイドブックを買い求めて読みました。
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永田生生慈監修『もっと知りたい葛飾北斎・改訂版』

たしかに、色々と「知る」ことはできましたが、
北斎の絵を見るより先に、記された文字に目が行ってしまい、
小林秀雄が説くように「心の中でおしゃべり」しているのでしょう、
肝心の絵を「感じる」ことはできませんでした。

―― 心で「感じる」ことに文字や言葉は必要ないのかもです。

今日は北斎の命日。
4月18日朝七ツ時(午前4時頃)、北斎永眠。享年90歳。

(おう)死に臨み、大息し
天我をして十年の命を長ふせしめハといひ、
暫くして更に謂(いい)て曰く、
天我をして五年の命を保たしめハ、
真正の画工となるを得へしと、言訖(おわ)りて死す
―― 飯島虚心『葛飾北斎伝』(『もっと知りたい葛飾北斎』より)

絵本『富嶽百景』初編の跋文も心を打ちます。
北斎は当時75歳、
さらに精進を重ねて百有十歳で画風を完成させると誓願


(おのれ)六才より物の形状を写の癖ありて
半百(50歳)の比(ころ)より
数々(しばしば)画図を顕(あらわ)すといへども
七十年前(70歳以前に)(えが)く所は
実に取(とる)に足(たる)ものなし
七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり
故に八十才にしては益々進み
九十才にして猶其(なおその)奥意を極め、
一百歳(100歳)にして正に神妙ならん歟(か)
百有十歳にしては一点一格にして生(いけ)るがごとくならん

願くは長寿の君子
(よ)が言(こと)の妄(もう)ならざるを見たまふべし  画狂老人卍筆
――『もっと知りたい葛飾北斎』より

北斎の「心意気」に、平櫛田中の言葉を思い出しました。

まもなく満102歳になります。
よくここまできたものと思います。しかし、
もう少し長生きしないと、
私の義務が果たせない作品がある
のです。
5、6点、いやずっとせばめても
4点は作らなければなりません。
私は器用が大嫌いです。
仕事が上手と言われる人を見ると、たいがい器用です
私はその器用な仕事が大嫌いなのです。
大嫌いな器用な仕事が
知らない間に私にくっついて来ていたのです。
平櫛田中(PHP特別保存版「心に響く100の言葉」より)

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田中美術館(岡山県井原市)

これがこの物語の主人公である。
しかし 今この男について語るのは退屈なだけだ。
なぜなら 彼は時間を潰しているだけだから。
彼には生きた時間がない
つまり彼は生きているとは言えないからである。
(…)
駄目だ、これでは話にならない。これでは死骸も同然だ
いや、実際この男は20年ほど前から死んでしまったのである。
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映画『生きる』

「もう少し長生きしないと、私の義務が果たせない作品がある」か、
「生きているとは言えない、これでは死骸も同然だ」か

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ガンバレ、みんなガンバレ [2022年04月17日(Sun)]
満月、空に満月、
ピンクムーン(4月の満月)です♪
そして今日は復活祭(春分後の最初の満月のあとの日曜日)
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(4/17・早朝4時過ぎ)

淀川河川敷で開催される水都大阪ウルトラマラニックに
参戦する長居わーわーずからエントリーの仲間を応援。

会場に最寄りの守口駅は始発乗車でも5時49分着で、
6時スタート組の仲間を見送れない。
何とかならぬものかと思案、

もしやと思って確認すると、
淀川対岸の阪急京都線の上新庄駅なら5時17分着!

豊里大橋経由で会場まで4キロ弱、
6時スタート組に間に合い、見送れそうです。
ガンバレ、みんなガンバレ、月は東へ、西へ♪

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会場に到着、間に合いました。

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。ひらめき
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
掛け替えのない命の持続感をもて [2022年04月11日(Mon)]
宮本武蔵の言葉「我事に於て後悔せず」について
昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、
いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来る
だろう。
その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても
批判する主体の姿に出会う事はない
別な道がきっとあるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、
後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ
そういう確信を武蔵は語っているのである。
それは、今日まで自分が生きて来たことについて
その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。
そこに行為の極意があるのであって、
後悔など、先き立っても立たなくても大した事ではない、
そういう極意に通じなければ
事前の予想も事後の反省も、影と戯れる様なものだ
とこの達人は言うのであります。
小林秀雄『私の人生観』より

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オオサンショウウオ(箕面・滝道)
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井伏鱒二の『山椒魚』から、じーっと動かないものと思ったら、
けっこう活発に動くのでびっくりです。

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今年も、ツバメの巣作りが始まりましたハートたち(複数ハート)

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。ひらめき
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
優しい心とは「感じる」こと [2022年04月10日(Sun)]
昨日(4/9)、箕面メイプルホールで開催された上映会で
映画『HOKUSAI』を見ました(日本語字幕)。
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北斎をはじめ、画商の蔦屋重三郎や、
武士でありなら戯作を書き続ける種彦など、
彼らの生き様に魂を揺さぶられ、
映画の最初から最後まで見入ってしまいました。

新しい千円札の表面は北里柴三郎で、
裏面は北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」です。
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千円券には、日本を代表し国民にも馴染みの深い「富士山」を
モチーフとした富嶽三十六景・神奈川沖浪裏としています。
本図は、江戸時代の浮世絵師葛飾北斎の代表作で知名度も高く、
世界の芸術家に影響を与えた作品でもあります。
◆紙幣の裏面の図柄の選定理由/財務省

◆Hokusai's 'Great Wave' to feature on new Japanese banknotes
/CNN(9th April 2019)


あの北斎の代表作『富嶽三十六景』が70歳を過ぎて発表されたとは知らず、
また、『富嶽百景』が74歳の発表とは驚きです。

70歳を過ぎて脳卒中に倒れ、
筆を持つ右手が障害が残っても立ち止まることなく、
旅に出て「富嶽三十六景」を描き上げる。
そして、88歳で亡くなる最後の最後まで描き続けた。

ガツンと一撃くらわされました。

何のために描くのか、
何のために働くのか、
何のために生きるのか、
―― 食べるためではなく、他者との競争でもない

あらためて、百丈禅師の「働かずして食わず」を考えさせられました。

高見沢潤子『兄 小林秀雄』より――
「ああきれいだと心に感じて、じいっとみつめて
 花と時を費すところに愛がある
と兄はいっていたし、また、
人間は、いくら知識があっても、学問があっても、
 優しい心がなければ、立派な人間とはいえない、
 優しい心とは感じることである

ともいった。
兄は感じる人であった。人間の心を、美を、真実をよく感じた
だから優しい、愛情の深い人だった

小林秀雄『美を求める心』より――
例えば、諸君が野原を歩いていて
一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。
見ると、それは菫(すみれ)の花だとわかる。
何だ、菫の花か、と思った瞬間に
諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。
諸君は心の中でお喋りをしたのです。
菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、
諸君は、もう眼を閉じるのです。
それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。
菫の花だと解るという事は、
花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えて了うことです。
言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、
そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、
花は諸君に、かつて見た事もなかった様な美しさを、
それこそ限りなく明かすでしょう。
画家は、皆そういう風に花を見ているのです。
何年も何年も同じ花を見て描いているのです。
そうして出来上がった花の絵は、やはり
画家が花を見たような見方で見なければ何にもならない
絵は、画家が、黙って見た美しい花の感じを現しているのです。
花の名前なぞを現しているのではありません。
(…)
画家が花を見るのは好奇心からではない。花への愛情です
愛情ですから、
平凡な菫の花だと解りきっている花を見て、見厭きないのです。

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。ひらめき
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
自分が主体になって「一燈照隅」 [2022年04月09日(Sat)]
ヴィクトール・フランクル『夜と霧の明け渡る日に』より――
人生の幸福を求めながらも現実に引き戻される人間について、
ラビンドラナート・タゴールは詩で次のように美しく表現しました。

私は寝て夢を見た
  人生は喜びかもしれないと。
私は目を覚まして気づいた
  人生は義務だったと。
私は働き、ついに気づいた
  義務は喜びだったのだと。

人生は要するに義務であり、唯一の大きな責任なのです
そして人生には喜びもありますが、
それ(喜び)は手に入れようと努力するようなものではなく、
「欲しい」と思って得られるようなものではなく、
むしろ自然に向こうからやってくるものでなければなりません。
結果が添えて与えられるものであるように、
喜びも自ずと与えられるものです。
幸福は目標ではないし、そうであってはならないし、
またそういうことはありえません。幸福は結果にすぎません
幸福は転がりこんでくるもので、
追求して手に入るものではありませんから、
幸福を求めるあらゆる人間の努力は失敗に終わるでしょう。
(…)
人生の意味を自分から問うのは誤っています
人生の意味を問うことができるのは私たちではありません。
問いを投げかけているのは人生で、私たちは問われている側なのです!
答えなければならないのは、私たちのほうです。
人生がつねに毎時間私たちに投げかけている「人生の問い」に
答えなければならない
のは、私たちです。
人生とは、問われることに他なりません
私たちは、答えるためにのみ、
つまり人生の責任を負うためにのみ、存在しているのです。
(…)
未来に何の見込みもないとしても、恐れることはありません。
なぜなら現在こそがすべてで、
現在には、私たちに向けられているつねに新しい人生の問いが
含まれている
からです。ですから、
その時その時に私たちに期待されていることがすべてなのです。
未来において私たちが待っているものが何か、
私たちは知ることができませんし、また知る必要はありません。

自分は自分の主人公
世界でただひとりの自分をつくる責任者

東井義雄

自分が主体になって、
自分の心が書物の方を照らしてゆく。
心が照らされるのではなくて、
心がすべてを照らしてゆくような学問をしなければならない。
安岡正篤『哲学としての東洋思想』


自らが主(自分が主体)となり、
自分の心「を」照らされたり、照らしたりではなく、
自分の心「が」周りすべてを照らしてゆくよう、
日々、「一燈照隅ひらめきで何ごとも懸命に誠実に取り組む。
その結果として、喜びが与えられ、幸福が転がりこんでくる。


世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

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花の終わった梅に、小さな実がぴかぴか(新しい)
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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。ひらめき
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
Walk Alone [2022年04月08日(Fri)]
佐々木美佳『タゴール・ソングス』より――
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もしきみの呼び声にだれも答えなくても ひとりで進め

ひとりで進め ひとりで進め 
もしだれもが口を閉ざすのなら 
みなが顔を背けて 恐れるのなら
それでもきみは心開いて 
本当の言葉を ひとりで語れ

もしきみの呼び声にだれも答えなくても ひとりで進め

もしみなが引き返すのなら
もしきみが険しい道を進むとき
だれも振り返らないのなら
茨の道を きみは血にまみれた足で踏みしめて進め

もしきみの呼び声にだれも答えなくても ひとりで進め

もし光が差し込まないのなら
夜の嵐に扉を閉ざすのなら
それでもきみはひとり雷で
あばら骨を燃やしながら 進みつづけろ


本の出版をきっかけに、映画が全国各地で再上映される予定とのこと、
楽しみでするんるん(映画は知らず、まだ見ていません)

Rabindranath Tagore's English translation
If they answer not to thy call walk alone,
If they are afraid and cower mutely facing the wall,
O thou unlucky one,
open thy mind and speak out alone.
If they turn away, and desert you when crossing the wilderness,
O thou unlucky one,
trample the thorns under thy tread,
and along the blood-lined track travel alone.
If they do not hold up the light when the night is troubled with storm,
O thou unlucky one,
with the thunder flame of pain ignite thy own heart
and let it burn alone.

『タゴール詩集』(山室静訳)より――
もし彼らがお前の呼びかけに応じなくても、
お前はひとりで歩いて行け
もし彼らが怖がって声なく壁の前に立ちすくむとしても
おお、運のわるい男よ
お前の胸をひらいてひとりで語るがいい
もし彼らが音を向けて、荒野を横ぎる時にお前を見捨てるとも
おお、運のわるい男よ
足の下に茨を踏みつけ、ひとりで血のしたたった道を旅して行け

夜が嵐でどよめいている時
もし彼らが光を高く掲げないとしても
おお、運のわるい男よ
苦悩の雷火でお前自身の胸に火を点じて
それをただ一つ燃えさせるがいい。

独立自尊の本心は百行の源泉にして、源泉滾々到らざる所なし。
是れぞ智徳の基礎の堅固なるものにして、
君子の言行は他動に非ず、すべて自発なりと知るべし。
福澤諭吉『福翁百余話』

自分は自分の主人公
世界でただひとりの自分をつくる責任者

東井義雄

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若冲の鶏図の世界?
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通りすがりの禅寺で

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。ひらめき
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
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コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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ただおのれ自身の力を求めしめよ [2022年04月07日(Thu)]
石川拓治『奇跡のリンゴ』より――
危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
(ラビンドラナート・タゴール『果実採集』より)

Let me not pray to be sheltered from dangers
but to be fearless in facing them.
Let me not beg for the stilling of my pain
but for the heart to conquer it.
Let me not look for allies in life's battlefield
but to my own strength.
Let me not crave in anxious fear to be saved
but hope for the patience to win my freedom.
Grant me that I may not be a coward,
feeling your mercy in my success alone;
but let me find the grasp of your hand in my failure.
(excerpted from Rabindranath Tagore, "FRUIT-GATHERING")

E・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』(鈴木晶訳)より――
危険から守られることを祈るのではなく、
恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。
痛みが鎮まることを祈るのではなく、
痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。
人生という戦場における盟友を求めるのではなく、
ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように
恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、
ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。
成功のなかにのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、
自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような、
そんな人間になれますように。
ルビンドラナート・タゴール『果実採り』より

タゴール著作集・第一巻の『果実あつめ』(山室静訳)より――
わたしをして危難から守られんことを祈らしめるな、
ただ恐れなくそれらに直面せしめよ。
わたしをしてわが悩みを鎮めんことを乞わしめるな、
ただかれにうち克つ心を乞わしめよ。
生の戦場における盟友を求めしむるな、
ただおのれ自身の力を求めしめよ
救われんことを性急に渇望せしめるな、
ただおのが自由を得るための忍苦を望ましめよ。
わたしをして成功のうちにのみおんみの慈愛を感じるごとき
卑怯者たらしめず、わが失敗のうちにおんみの手の把握を感ぜしめよ。

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野口英世博士像(箕面公園)

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。ひらめき
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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
盛岡マラソン2022にエントリー [2022年04月03日(Sun)]
10月23日開催の「いわて盛岡シティマラソン」にエントリーしました。
仕切り直しの高齢者デビュー戦ですぴかぴか(新しい)

9月18日の丹後ウルトラから5週間ということで
厳しいかなと思いましたが、
・抽選でなく先着順
・陸連の公認(予定)
・参加費が昨年の14,000円から今年は9,500円
 (ほかの大会も右にならえしてほしいものです)

ということで、エントリー開始の昨日、エントリーを済ませました。

参加賞はありませんが、完走メダルは南部鉄器。
制限時間は6時間で、年代別のタイムで表彰とは別に、
20kから30kまでのスプリットタイムが最も早いランナーに「山の神」賞。

コースを確認すると、盛岡市街を出て、
去年11月に宮沢賢治を巡る旅で立ち寄った御所湖に向い。
折り返すのですが、その間の登りがきつそうです。

といっても、高低差は100mなく、
(「あいの土山マラソン」の高低差は100mを超えていたはず)
時季的に紅葉が見ごろでしょうし、雄大な岩手山の眺望も楽しみです。

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御所湖(2021.11.20)
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去年レンタカーで訪れた時、
一年後にマラソンで再び訪れるとは思ってもいませんでした。
導かれたご縁に心から感謝です。

実のところ、今シーズンの大会エントリーは
まだ考えてもいませんでしたが、
李登輝さんの『武士道解題』を読んだのをきっかけに、
新渡戸稲造に心惹かれて学ぶようになり、
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いつか機会あれば盛岡を訪ねてみようとネット検索したら、
マラソン開催を知り、そんなご縁に導かれてのエントリーです。

ということで、エントリーシートに記した大会に対する想いは、
新渡戸稲造と宮沢賢治の没後89年を偲ぶ」。
―― 新渡戸稲造は1933年10月15日、享年71歳。
そして宮沢賢治は1933年9月21日、享年37歳で、
今年の秋で没後89年です。ちなみに、89は24番目の素数。

マラソンついでの岩手再訪、楽しみでするんるん

この結果、今シーズンの私の大会参加スケジュールが決まりました。
フル第2戦は「松阪マラソン」、
(去年から闘病が続く伴走練習相手の復帰レースの予定でした)
そして第3戦は本命レースの「篠山マラソン」。
――( 9/18)丹後ウルトラ 今日から24週間後
(10/23)いわて盛岡シティ 5週間(29週)
(12/18)みえ松阪 8週間(37週)
( 3/ 5)篠山ABC 11週間(48週)

丹後ウルトラに向って地力をつけ、
フル三戦をホップステップジャンプで結果を出す、
と、例によって「捕らぬ狸の皮算用」です。

道という言葉に迷うなかれ 朝夕おのがなすわざと知れ
(至道無難禅師)
新渡戸稲造『修養』の第13章「道」より

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるなひらめき
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言うべきを言い、正すべきを正す [2022年04月02日(Sat)]
新渡戸稲造『武士道』の
第9章「忠義」(The Duty of Loyalty)より――
西洋の個人主義は父と子、夫と妻に対して別々の利害が認むるがゆえに、
人が他に対して負う義務を必然的に著しく減ずる。
しかるに武士道においては、家族とその成員の利害は一体である、
―― 一にして分かつべからざるものとなす。この利害を
武士道は愛情と結びつけた―― 自然に、本能的に、不可抗的に。
それゆえに、もしわれわれが自然愛(動物でさえもつところの)によりて
愛する者のために死ぬとも、それが何であるか。
「汝らおのれを愛する者を愛すとも、何かの報いをか得べき。
 取税人もしかするにあらずや」。
-------------------------
武士道は我々の良心を主君の奴隷となすべきことを要求しなかった
(…)
主君の気紛れの意志、もしくは妄念邪想のために
自己の良心を犠牲にする者に対しては、 武士道は低き評価を与えた

かかる者は「侫臣(ねいしん)」すなわち腹黒き阿諛(あゆ) をもって
気に入ることを求むる奸徒(かんと)として、
あるいは「寵臣(ちょうしん)」 すなわち卑屈なる追従によりて
主君の愛を盗む嬖臣(へいしん)として賎しめられた。
(…)
臣が君と意見を異にする場合、彼の取るべき忠義の途は
あらゆる手段をつくして君の非を正すにあった。
容れられざるときは
主君をして欲するがままに我を処置せしめよ。かかる場合において、
自己の血を濺いで言の誠実を表わし
これによって主君の明智と良心に対し最後の訴えをなすは、
武士の常としたるところであった。
生命はこれをもって主君に仕うべき手段なりと考えられ、
しかしてその理想は名誉に置かれた。したがって
武士の教育ならびに訓練の全体はこれに基づいて行なわれた
のである。

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。ひらめき
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
一番汝に近い義務をやれ [2022年04月01日(Fri)]
トマス・カーライル『サーター・リサータス.(衣服哲学)』の
第2巻・第9章「永遠の肯定」より――
Do the Duty which lies nearest thee,'
which thou knowest to be a Duty!
Thy second Duty will already have become clearer.
一番汝に近い義務をやれ
さうすればその次の義務は自ら明らかになってくる。
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

お前が義務なりと心得る「最も手近の義務をなせ
お前の次の義務は、その時には、すでに明らかになっているであろう。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

お前が義務だとわきまえている「お前の最も近くにある義務をなせ
第二の義務は、すでに一段と明確になっているだろう。
谷崎隆昭訳『衣服哲学』 

“ I, too, could now say to myself:
Be no longer a chaos, but a world, or even worldkin.
Produce! Produce!
Were it but the pitifullest, infinitesimal fraction of a product,
produce it, in God's name!

'Tis the utmost thou hast in thee ; out with it, then. Up, up!
Whatsoever thy hand findeth to do, do it with thy whole might.
Work while it is called to-day,
for the night cometh wherein no man can work.”
自分は今はかういふことを言ひ得るやうになった。
混沌たる勿れ。自ら宇宙となれ。大きな宇宙でなく小さくてもよい。
調和した完成した円満な宇宙となれ、
何でもよい、作れ! 創造せよ!
たとへそれがProductの何万分の一、何億万分の一の
微々たるものであってもよい。神の名に於て作れ!

それがお前の為し得る最上の仕事だ。
さらばそれを行へ!
おまへの手の見出すところの為すべきことを全力を以て為せ
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

私もまた、私自身に向って、こう言うことができる。
もう混沌であることをやめ、一つの世界(小世界でもよい)になれ。
生み出せ! 生み出せ!
一つの産物の、最もつまらぬ微小な一かけらでもよいから、
神の名にかけて、産み出せ!

それはお前のもつ最大限度である。
ではそれを出せ。起て、起て!
お前の手でやる仕事は、なんでもよい、全力をつくしてやれ
今日と呼ばれる日の中に、働け。
誰も働くことのできない夜が訪れるからである。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

わたしもまた、今や自分に向って言うことができた。
もはや混沌とはならないで、世界に、さもなければ小世界にでもなることだ。
生産せよ。生産せよ。
それが何かの産物のごくつまらない極小の部分にすぎなくても、
神の名にかけて生産することだ

それが君が君の中に持っている最大限のものである。
それじゃ、それを作り出すことだ。立ち上がれ、立ち上がれ。
君の手でやれると思うものはなんでも、全力をあげてなすことだ
今日と言われているうちに、働きたまえ。
誰も働けない夜がやってくるからだ。
谷崎隆昭訳『衣服哲学』 

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★『新渡戸稲造全集・第9巻』
★ デジタル・オンデマンド版『衣服の哲学』
★ 李登輝『「武士道」解題』

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。ひらめき
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。