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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
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ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
「道しるべ」でお好きなカテゴリーをお選びいただき、お時間の許す限りごゆっくりおくつろぎください。
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安らぎの理想郷への道 [2021年12月23日(Thu)]
先日(12/12)の青島太平洋マラソンの伴走は「台湾サンダル」でした。

今年10月末のリレーフォーライフ神戸の会場で出会って、
あれから50日、そして青島太平洋マラソンから10日。
青島太平洋の伴走まで封印してきたスピード練習も解禁し、
自分の走りが少し変わってきたように感じます。

日曜日に参加したペース走でも快調に走り続けられました。
たっぷり走る当初の予定は果たせなかったですが、
15キロを過ぎてフォームが少し乱れてきたように感じたので
ペースを上げて調整すると、ペースは徐々に上がっていき、
走り終えた後も息切れしなかったのにはビックリです。
KIMG0898_2.JPG
武庫川(12/19)
KIMG0907_3.JPG

以前に比べて、走るのが「楽」になったように感じます。

去年の夏にNさんと服部緑地で伴走練習を始めた頃は、
3キロの周回コースを一周するのがやっとこさで、
2周目の上りで「うつむくな、顔を上げて前を向いて足を出せ」と
ハッパかけられました。
目が見えないのになんで分かるんです?と尋ねると、
息づかいやロープの張りで分かると言われたのも懐かしい思い出です。

あのときのシゴキ、いや熱烈指導のおかげで、
体幹や足腰はずいぶん鍛えられ、そして台湾サンダルとの出会い。
ぐるぐる周回に飽きてぐっすり昼寝、
目が覚めて走り続ける気力もなくそのまま帰るつもりが、
縁あって試し履きしたら、ぐいぐい加速して2周。
走りながら、スロージョギングと出会って
服部緑地の400mトラックを走った時の感動がよみがえりました。

足を「前に出す」のではなく、足が「前に出る」って感じですひらめき

今まではフォームや足の着地を意識して走っていたのが、
意識することなく走れるようになり、
それが「楽」に走れるようになった要因であり、
また、乱れた時は自己修正できるようになったのかも。
そして楽に走れるようになって、走るのが楽しくなってきました

「楽と楽しいは違う」なんて言われて、
なるほど、楽してはダメだと納得していましたが、
しんどくて苦しい先に楽しみがあるなんてのは「結果」の話で、
「楽だから楽しい」が真理で、
どうすれば楽して、周りを喜ばせ、自分も心から楽しめるかを考え、
創意工夫して日々取り組むことが大事ではないか、
そんなことを思うようになってきました。

「子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者」『論語』雍也第六 20
(子いわく、これを知る者はこれを好む者に如かず。
 これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)
 ―― 知っているだけでは、好きな者にはかなわない
    けど、好きな者も、楽しんでやる者にはかなわない

桑原武夫『論語』より――
知る、好む、楽しむという三つの動詞によって、
対象に対する主体のかかわり方、したがって
対象に対する主体の態度に深浅のあることを示した名言である。
「知」は客体の認識、
「好」は客体への傾斜つまり関心、そして
「楽」は客体の中に入ってあるいはそれと一体化して安住することであろう。
最初の二つの段階を経て、
第三段階の安らぎの理想郷に達する
とするのである。
しかし、いきなりそこに到達することは許されないのであって、
漸次的完成でなければならない
「之」というのは、軽い言葉であって、必ずしも之を学問、道徳ととらず、
およそものごとは、という意味にとっておきたい。

吾、未だ安らぎの理想郷に達せず(^^)

正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道であるひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

松下幸之助『道をひらく』より――
「働き方のくふう」
(ひたい)に汗して働く姿は尊い。
だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。
それは東海道を、汽車にも乗らず、
やはり昔と同じようにテクテク歩いている姿に等しい。
東海道五十三次も徒歩から駕籠へ、駕籠から汽車へ、
そして汽車から飛行機へと、日を追って進みつつある。
それは、日とともに、人の額の汗が少なくなる姿である。
そしてそこに、人間生活の進歩の跡が見られるのではあるまいか

人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。
だが、いままでよりも一時間少なく働いて
今ままで以上の成果をあげることも、また尊い。
そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか

それは創意がなくてはできない。くふうがなくてはできない。
働くことは尊いが、その働きに
くふうがほしいのである。創意がほしいのである。
額に汗することを称(たた)えるのもいいが、
額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。
怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。
楽々働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を
おたがいにもっとくふうしたいというのである。
そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。

われらに要るものは
銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である
われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成であるひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

私は人というものが何より大切だと思っている。
私たちの国というのは、この、
人という水滴を集めた水槽のようなもので、
水は絶えず流れ入り流れ出ている。
これが国の本体といえる。
ここに澄んだ水が流れ込めば、水槽の水は段々と澄み
濁った水が流れ込めば、全体が段々に濁ってゆく
それで、どんな人が生まれるかということと、
それをどう育てるかということが、
何より重大な問題になる。
「60年後の日本」/岡潔『数学を志す人に』
P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
それでこそ信頼を築ける [2021年12月20日(Mon)]
話題の映画『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』を観ました。

久々に、最初からエンドロールまでずっと見入ってしまいましたが、
その中で私が一番インパクト受けたシーンがこちら


化学会社を専門に企業側の弁護をしてきた法律事務所で、
地域住民の将来にわたる健康被害から守るために
巨大企業のデュポン社を相手の集団訴訟の弁護を引き受けるか否か、
その議論をするミーティングで主人公の上司が最後に発した言葉

彼が集めた証拠を読んだ人は?
故意の過失であり、腐敗だ
読め(read it)
読んでから文句を言え
これだから弁護士は国民に嫌われ
ラルフ・ネーターのような運動家が人気に
デュポンをやっつけろ(nail Du Pont)
全員でな(all of us should)
アメリカの産業界をより良いものにするためだ
それでこそ信頼を築ける
許してはならん!

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

「常に正義を味方とすること」
常に正しくあることこそ自分を一番強くすることである。
最後の勝利を決するものは正しいか否かということであって
強いか弱いかゞ勝敗を決するのではない
個人々々の能力の差というものは、
平常のときはさほど現われるものではない。
本当に困りぬいた最後のときに、
その問題を解決できるか否かが人間の能力の差であり、
正義に味方している限り
必ず道は開け困難は打開されるものである
本田宗一郎「我社存立の目的と運營の基本方針」1954.3

正しきものは強くあれ
土光登美

目に見えぬ神にむかひてはぢざるは
人の心のまことなりけり

(明治天皇・御製)

めにみえぬ神のこころにかよふこそ
人の心のまことなりけれ

(明治天皇・御製)

私は人というものが何より大切だと思っている。
私たちの国というのは、この、
人という水滴を集めた水槽のようなもので、
水は絶えず流れ入り流れ出ている。
これが国の本体といえる。
ここに澄んだ水が流れ込めば、水槽の水は段々と澄み
濁った水が流れ込めば、全体が段々に濁ってゆく
それで、どんな人が生まれるかということと、
それをどう育てるかということが、
何より重大な問題になる。
「60年後の日本」/岡潔『数学を志す人に』
P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
一足ずつの過程それ自体が幸せ [2021年12月17日(Fri)]
なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中でのできごとなら

峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で燈台守が語る言葉ですが、
先日(12/12)の青島太平洋マラソンの伴走で、
新しい気づきがありました。

しあわせとはほんとうの幸福を求める「過程」にあり
峠の上りも、下りも、そしてどんなつらい修羅場にあっても、
それが「正しい道を進む中でのできごと」なら、
その一足ひと足がしあわせであり、
制限時間内に完走とか、自己ベスト更新なんてことは、
ほんとうの幸福でもなんでもない。

「なにがしあわせかわからない」とは、
「禍福は糾える縄の如し」や「万事塞翁が馬」と同じで、
制限時間内に完走とか、自己ベスト更新とか、
一時の結果で幸不幸を判断したらあかんということであり、
ほんとうの幸福を求める過程の一歩一歩それ自体がしあわせ
ということではないかと。

たしかに、完走できて嬉しいし、頑張った甲斐があってよかったですが、
もし完走できなかったらあの修羅場の値打ちが下がるのか?

必死になって一生懸命にがんばったあの「ふたりが修羅場」は、
たとえ完走できなくても値打ちは下がらないし、
決して無駄ではない(無駄にならないというより無駄にしない)。

逆に、あの時、必死にならず、自分たちの力を出し切らなかったら
それが自分たちにとって不幸せなことであり、
完走できなかったから、目標タイムに届かなかったら、
不幸せとか残念という結果論の話ではない

ならば、「ほんとうの幸福」とはなにか

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」
「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くこと」

たとえば、マラソン大会のエイドの給水でフタ付きのコップで提供され、
もし片手が使えずに難儀しているランナーがいたら、
(片手に障害があるとか、片手に伴走ロープを持っているとか)
決められたルールがどうであれ、代わりにフタを開けて差し出すとか、
その時その時に自分が「正しい」と判断する道を選んで進む

お天道様は、良いことも、悪いことも、すべてお見通し
自分が正しいと判断し、正しく行動したことに
間違いなければ「良い結果」になり、
間違いがあれば「悪い結果」になる。

目に見えぬ神にむかひてはぢざるは
人の心のまことなりけり

(明治天皇・御製)

めにみえぬ神のこころにかよふこそ
人の心のまことなりけれ

(明治天皇・御製)

「結果より過程」「今を生きる」「不屈不撓」などなど
今までも頭では理解しているつもりでしたが、
先日の伴走の「ふたりが修羅場」で
これらの言葉の意味するところが身に染みて分かりました。

「これからも世のため人のために必死になって日々生活して行きます」ひらめき
KIMG0880~2.JPG
阪神タイガース背番号24番の横田慎太郎さんのユニフォームに
「伴走」のゼッケンをつけてスタート。
12月とは思えぬ暑さでしたが、「ふたりが修羅場」の先に、
ランの神様から「制限時間内に完走」のご褒美ぴかぴか(新しい)

忘己利他(もうこりた)

自利利他円満(じりりたえんまん)

共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はありえない
それが自然の理であり、社会の理法なのである
自然も人間社会も、共存共栄が本来の姿なのである
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

KIMG0870~2.JPG(霧島焼酎神社の手水)

私は人というものが何より大切だと思っている。
私たちの国というのは、この、
人という水滴を集めた水槽のようなもので、
水は絶えず流れ入り流れ出ている。
これが国の本体といえる。
ここに澄んだ水が流れ込めば、水槽の水は段々と澄み
濁った水が流れ込めば、全体が段々に濁ってゆく
それで、どんな人が生まれるかということと、
それをどう育てるかということが、
何より重大な問題になる。
「60年後の日本」/岡潔『数学を志す人に』

P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ふたりが修羅場 [2021年12月15日(Wed)]
年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」でした。
2021_伴.jpg
伴走の「伴」ですが、人偏でなく、糸偏に半だと「絆」。
あらためて「半」の成り立ちに興味をもち、調べてみました。
白川静『常用字解』によると、
「八」は左右にものが分かれる形で、
「半」は犠牲(いけにえ)として供える牛を真中で二つに分ける形で、
「わかつ、わける、なかば」の意味となる。
神様にお供えする牛が語源なら、丑年の今年の一文字に相応しいと決定です。
そして、その時のブログには、
「伴」には、「同伴」や「随伴」のように
お供する、付き従う、主従関係のイメージありますが、
私が「伴走」を通じて学んだ伴のイメージはパートナーです。
と書きましたが、
今回の青島太平洋マラソン(2021/12/12)の伴走で
私の「伴」に対する理解が変わりました
KIMG0846~3.JPG
当日(12/12)の朝、大会コースの橘橋から

ご一緒した全盲ランナーのKさんは、私と同い年で、
8月に誕生日を迎えられ、今回が高齢者デビュー戦です。

彼とは、初フル挑戦(私にとって初フル伴走)や
初ウルトラ(私にとって初ウルトラ伴走)とその再挑戦をご一緒しました。

また、阪神タイガースの横田慎太郎さんを一緒に応援し、
あの「奇跡のバックホーム」を、鳴尾浜球場のバックネット裏で
一緒に見届けたのも懐かしい思い出です。
s-20190926.jpg
引退セレモニーの後、
球場に来られたファンの一人ひとりとハイタッチのお見送り。
球場にかけつけた多くのファンが並んだのでハイタッチだけなのに、
Kさんは横田さんの黄金の左手で
右肩をぽんぽんと軽くたたいていただきました。
もしかするとKさんの白杖が横田さんの目に留まったのかもしれず、
横田さんの人間的魅力を感じました。

そんなKさんから、高齢者デビュー戦に伴走のご指名をいただき、
二つ返事で快諾。
どうせなら、自己ベスト更新で高齢者デビューを華々しく飾ろうと、
5時間切りの意欲的な目標を掲げて練習をスタートしたものの、
予期せぬことは起きるもので8月半ばから1カ月ほど中断。

9月下旬から練習再開。目標を制限時間内完走に下方修正し、
歩いて身体を動かすことから始めて、徐々に歩く距離を伸ばし、
スピードよりフォーム重視、タイムや距離より走る時間を重視で、
フォームを崩さずに走り続けられる時間と距離を伸ばして
どうにかこうにか本番で完走を狙える手応えを感じたのですが…

本番は甘くなかったです。
スタート前に、ハーフを超えた先の不安を感じるKさんに対して、
私は一緒に挑戦した初フルやウルトラ(70キロ)の経験から
Kさんには残り10キロで発揮する底力というか粘り腰があるので
30キロまで行けば何とかなると思っていたのですが、
意外に早く、宮崎神宮の折り返しの前にペースダウンです。

そして、Kさんがご自身のフェイスブックの投稿に書かれたように、
「もう、20kmから30kmはふたりが修羅場」でした。

ここが踏ん張りどころやないか、がんばれ!
うつむくな、顔を上げて前を向け!
歩くな、ここでトボトボ歩いたら悔いが残る、足を前に出せ!
坂で足を止めるな、歩幅を小さくしていいから前に出せ、
登り切ったら下りは自然に足が前に出る、
などなど

まさに「ふたりが修羅場」でした。
自分の単独走で、あんなに自分を鼓舞したことは一度もなく
あれだけの気合いが入った走りを常にできたら、
それこそ獣王無敵でしょう。

いやはや、自分には甘く、人には厳しい、お粗末なことですが、
自分の走りでも、そこまで熱くなったことが一度もないのに、
そんな私が、なぜ「伴走」であんなに熱くなれたのか

「伴」に対する理解が変わりましたひらめき
――「主従関係」ではないのは当然として、
いわゆる「パートナー」でもなく、
もっと強い一体感で、
それも、つながるとか、向き合うとかのレベルではなく
一心同体」というか「自他不二」や「自他一如」とでも言うべきもの。
そしてその前提となるのが「強固な信頼」

同じ伴走でも、
たとえば、その日の朝に「はじめまして」と挨拶を交わす関係では、
レースの途中で「ケンカ」が起きることはあっても、
我われのような「ふたりが修羅場」にはならないでしょう。

掲げた目標や価値観など思いを共有し、
走力や体調だけでなく、潜在的な底力や気性とかを含めて、
互いのことを本当によく知り、そしてわかり合う

また、一緒に試行錯誤して練習を積み上げる過程があればこそ
「強固な信頼」を築けるのであって、
本番だけの助っ人意識の伴走とか、
練習も含めてパートナー程度の意識の伴走では、
そこに強固な信頼がないので、「ケンカ」は起きても
「ふたりが修羅場」なんてことは起きない。

相手が目標を達成できなかった時の「悔しさ」「悲しさ」を
自分のものとして受け止め、自分と相手の違いを忘れて
一つになる
。――「自他不二」「自他一如」

そして「ふたりが修羅場」を乗り越えた先にこそ、
心から「喜び」を分かち合えるのであり、
修羅場も「ほんとうの幸福」に近づく一足になる。

なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中でのできごとなら
峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』


KIMG0880~2.JPG
阪神タイガース背番号24番の横田慎太郎さんのユニフォームに
「伴走」のゼッケンをつけてスタート。
12月とは思えぬ暑さでしたが、「ふたりが修羅場」の先に、
ランの神様から「制限時間内に完走」のご褒美ぴかぴか(新しい)

忘己利他(もうこりた)

自利利他円満(じりりたえんまん)

共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はありえない
それが自然の理であり、社会の理法なのである
自然も人間社会も、共存共栄が本来の姿なのである
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

KIMG0870~2.JPG(霧島焼酎神社の手水)

私は人というものが何より大切だと思っている。
私たちの国というのは、この、
人という水滴を集めた水槽のようなもので、
水は絶えず流れ入り流れ出ている。
これが国の本体といえる。
ここに澄んだ水が流れ込めば、水槽の水は段々と澄み
濁った水が流れ込めば、全体が段々に濁ってゆく
それで、どんな人が生まれるかということと、
それをどう育てるかということが、
何より重大な問題になる。
「60年後の日本」/岡潔『数学を志す人に』

P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
人の心の悲しみがわかる [2021年12月14日(Tue)]
日曜日(12/12)、宮崎で開催された青島太平洋マラソンに、
「伴走」で参加しました。
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前日(12/11)宮崎ブーゲンビリア空港に到着
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当日(12/12)の朝、大会コースの橘橋から
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当日の朝、ホテルのフロントで

阪神タイガース背番号24番の横田慎太郎さんのユニフォームに
「伴走」のゼッケンをつけてスタート。
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12月とは思えぬ暑さでしたが「完走」ぴかぴか(新しい)

翌日(12/13)は、宮崎から二両編成のワンマン列車に乗って都城へ。
霧島ファクトリーガーデン」を訪れ、
色々と振り返って語り合いながらランチを美味しくいただいたり、
工場見学を楽しんだり、最高に贅沢な一日をまったり過ごしました。
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工場から望む霧島
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霧島焼酎神社の手水
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100%のこだわり

多くの皆さんの支えで大会が無事に開催されたおかげで、
自分たちの力を出し尽くして「完走」を果たすことができ、
また、大会後の打ち上げの帰りに迂闊にも財布を落としたのですが、
親切にも交番に届けてくださった方がおられたおかげで、
最後まで楽しい旅を続けることができ、本当に心から感謝です。

そして昨夜(12/13)のNHK「逆転人生」に、横田慎太郎さんが登場。

色々と悲しみや辛さを味わってきた横田慎太郎さんだからこそ、
人の心の悲しみがわかるし、伝えられることがある。
これからの活躍がますます楽しみです。

岡潔『数学を志す人に』より――
「春宵十話」
いま、たくましさはわかっても、
人の心の悲しみがわかる青年がどれだけあるだろうか。
人の心を知らなければ
ものごとをやる場合、緻密さがなく粗雑になる
粗雑というのは対象をちっとも見ないで
観念的にものをいっているだけということ、つまり
対象への細かい心くばりがないということだから、
緻密さが欠けるのは
いっさいのものが欠けることにほかならない


「かぼちゃの生いたち」
人が喜んでいるということは割合に早くわかるが、
一番わかりにくいのは人が悲しんでいる、
あるいは悲しむだろうということで、
これは容易にはわからない。しかしこれがわからないと、
道義の根本を、表層的にではなく、根源的に教えることができない。
それがわかるようになるのは、
だいたい、小学校の3,4年ごろだと思う。
また、人が悲しむようなことをする行為をにくむ
これが正義心の始まりだが、
これも同じ年ごろで教えられると思う。
しかし、人の悲しみがわかるといっても、
そのわかるという言葉の内容だが、徹底的にわかると、
人が悲しんでいると自分も悲しくなる
人の悲しみを自分も悲しいという形で受け取るようになる。
これは十代では無理であって、二十歳以後だと思う。


宮沢賢治の「雨ニモマケズ」で
東に行ったり、西に行ったり、南に行ったり、北に行ったりは、
いずれも、「喜び」でなく、「悲しみ」のあるところで、
賢治が「ソウイウモノニナリタイ」デクノボーとは、
「人の心の悲しみがわかる」ということなのかも…

年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」でした。
2021_伴.jpg
伴走の「伴」ですが、「同伴」や「随伴」のように
お供する、付き従う、主従関係のイメージありますが、
私が「伴走」を通じて学んだ伴のイメージはパートナーでした。
◆私の今年の一文字「伴」/2021.1.3

しかし、今回の伴走で、私の「伴」の理解が変わりました
この続きはまた明日
◆ふたりが修羅場/2021.12.15

私は人というものが何より大切だと思っている。
私たちの国というのは、この、
人という水滴を集めた水槽のようなもので、
水は絶えず流れ入り流れ出ている。
これが国の本体といえる。
ここに澄んだ水が流れ込めば、水槽の水は段々と澄み
濁った水が流れ込めば、全体が段々に濁ってゆく
それで、どんな人が生まれるかということと、
それをどう育てるかということが、
何より重大な問題になる。
「60年後の日本」/岡潔『数学を志す人に』

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
「信頼」疑いをおこさせない [2021年12月11日(Sat)]
岡潔『数学を志す人に』より――
「天と地」
わたしは「こころ」で三つのお話をしましたが、
これはどれもみんな信頼するという気持ちをいったのです。
ここでいっている信頼するというのは疑いをおこさないということです。
「信じる」ということの究極はぜんぜん疑いがおこらないということなのです。
(中略)
なにかいちいち文字に書き表わして、
それに認め印までおしてもらわなければ承知できない、
そのようにしてはじめて安心するというふうなつながりでは、
つながっているということの実感はけっして出てきません
もう一度いいますと、
さきのみどりの花園があるという「ある」と、
自分の肉体があるという「ある」とは、
ことばとしては同じですが、実はまったくちがったものです。
ここの境めがひじょうに大事なところです。
さやかにあるという「ある」を「ある」と思っていると
軽く澄んで天となり
疑いを強く打ち消す形の「ある」を「ある」と思っていくと
重く濁って地となります
だから天地はこの線で分かれるのです
このけじめがすこしでもわかるような気がしてくれば
それがあなたの心の夜明けなのです。(1964年・63歳)

私は人というものが何より大切だと思っている。
私たちの国というのは、この、
人という水滴を集めた水槽のようなもので、
水は絶えず流れ入り流れ出ている。
これが国の本体といえる。
ここに澄んだ水が流れ込めば、水槽の水は段々と澄み
濁った水が流れ込めば、全体が段々に濁ってゆく
それで、どんな人が生まれるかということと、
それをどう育てるかということが、
何より重大な問題になる。
60年後の日本」/岡潔『数学を志す人に』

1965(昭和40)年に発表された「60年後の日本」の冒頭です。
さらに、こう続きます。
人という存在の内容が心であり、心が幼い頃に育てられるとすれば、
とりわけ義務教育が大切であることはいうまでもない。

1965年といえば、私は小学生で、義務教育の真っ只中でした。
そして60年後は2025年、、、

巨きな人生劇場は
時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……ひらめき
われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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(大正13年、28歳)
何度も目にしてきた宮沢賢治の写真ですが、
手元を見たのは初めてかも(チコちゃんに叱られるのおかげ)
こんな指の組み方をしていたとは…

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
自我の意識は個人から銀河系に進化 [2021年12月09日(Thu)]
昨日(12/8)、SDGsのセミナーに参加。
セミナーの前半はこの手のセミナーによくある内容でしたが、
後半は新たな気づきあって得ることが多かったです。

私にとっての「小さな幸せ」とは…ということで、
自分が幸せを感じる時とか、感じることを一つだけ書き上げて、
それとSDGsとのつながりを考えさせる。

SDGsの17の目標の中から自分が取り組む課題(My SDGs)を決め、
だからどうする(Next Action)を考えて、
今できることから行動を変えていく、
というのが一般的によくあるアプローチだが、そうではなく、
自分の小さな幸せと「SDGsの17の目標」との「つながり」を考えさせる

たとえば私の場合、
私にとっての「小さな幸せ」とは…で思い浮かんだのは「夜明けのRun」ぴかぴか(新しい)
今や習慣化しているが、あらためて考えると、
SDGsの17のゴールの何か一つではなく、
すべてのゴールの一つひとつに繋がっている
ことに気づく。

SDGsの17の目標は、
お仕着せの与えられたものでなく
そして問われるのは「幸せ」や「希望」の大きさではなく、
一個人の自我に生きるか、それとも、銀河系に生きるかということか。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」
「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くこと」

色々と本を読み、セミナーも受講してきたが、
今までで一番の当たり。
これも、宮沢賢治の童話を読み、
宮沢賢治を訪ねてイーハトーブ岩手県を巡る旅に出かけたおかげか。

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飲食店でコロナ感染防止のアクリル板はどこの店でも目にしますが、
CO2センサーは先日訪れたお店で初めて見ました。
お客さんが見えるところにこれ見よがしに置くなんて「無粋」、
そんな意見もあるでしょうが、
そのお店ではそんな印象を受けませんでした。
センサー設置の「形」の問題でなく、「実」を伴っているか
SDGsの襟元のバッジや各種の取り組みも然りか

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
智力は冷やしているときに働く [2021年12月06日(Mon)]
岡潔は、智力(知力でなく智力)の養い方について
「ちょうど日本刀を鍛えるときのように、熱しては冷やし、
 熱しては冷やしというやり方を適当に繰り返すのが一番よく」、
そして智力は「冷やしているときに働くもの」と説く。

「緊張と緩和」や「緩急自在」と分かったつもりでしたが、
智力は冷やしているときに働く」は頂門の一針。

岡潔『数学を志す人に』より――
私が中学生のころ、数学の試験は答案を書き終わってからも
間違ってないかどうか十分に確かめるだけの時間が与えられていました。
それで十分に確かめたうえに確かめて、
これでよいと思って出すのですが、出して一歩教室を出たとたんに
「しまった。あそこを間違えた」と気づくのです。
(…)
教室を出て緊張がゆるんだときに働くこの智力こそ
大自然の純粋直感ともよぶべきものであって、
私たちが純一無雑に努力した結果、心情によく澄んだ一瞬ができ
時を同じくしてそこに智力の光が射したのです。
そしてこの智力が数学上の発見に結びつくものなのです。
しかし、間違いがないかどうかと確かめている間はこの智力は働きません
ところが、いまは冷すほうを抜きにして熱してばかりいるように思われます。
(…)
せんだって和歌山市に講演に行ったとき、泊った宿屋の女主人から
「うちの子には珠算もピアノも生け花も舞踊も習わせています。
 まだ足りないでしょうか」とたずねられ、
しかもその子が小学校にはいったばかりの幼な子だと聞かされたときは
全くびっくりしました。そうでなくてもいまの学校は宿題が多すぎるのです。
どうもこの人は子どもの時間を残りなく何かで塗りつぶさなくてはいけないと
思っているらしい。しかし人は壁の中に住んでいるのではなくって
すき間に住んでいるのです。むしろ、すき間でこそ成長するのです
だから大脳を熱するのを短くし、すき間を長くしなければ
とうてい智力が働くことはできまい
と思われます。

「すき間でこそ成長する」→「大脳を熱するのを短くし、すき間を長くする」ひらめき

大切なことは、主人が何をしたかではなく、
何のためにしたか
ということではございませんか。
あなたたちのような木偶の坊にはおわかりいただけないでしょうが…
(映画『雨上がる』で主人公の妻が城主の名代として来た家老と近習頭に発したセリフ)

松下幸之助『社員心得帖』より――
「自分を高める義務」
私どもの会社では、昭和40年に完全週5日制に踏みきったのですが、
それから半年ほどたったころ、
私は社員につぎのような話をしたことがあります。
「わが社が週5日制になってから半年の月日がたったけれども、
皆さんは週2日の休みをどのような考えで過ごしておられるだろうか
一日教養、一日休養というように有効に活用できているかどうか。
2日間の休みを無為に過ごすのでなく
心身ともにみずからの向上をはかる適当な方法を考え
実行していただきたいと思う。
ただ、そのみずからを高めるというか、
教養を高めたり、仕事の能力を向上させたり、
あるいは健康な体づくりをすることと関連して、
私は一つ皆さんにお尋ねしたい。
それはどういうことかというと、ほかでもない。
皆さんが勉強なり運動をするときに
自分がこのように自己の向上に努めるのは、
ただ単に自分のためばかりではない。
それは社会の一員としての自分の義務でもあるのだ

という意識をもってやっておられるかどうか、ということである。
そういうことを皆さんは今まで考えたことがあるかどうか、
また現在考えているかどうかをお尋ねしたいと思う」

自分の教養を高めるとか、自分の技術を向上させるとか、
あるいは健康な体をつくるということは、
自分を幸せにし、また自分の社会的地位を高める
ということなどのためばかりでなく

社会の一員としての共通の責任であり義務である
と考えなければなりません。そういう義務感というか、
社会の一員としての連帯感というものを、
私たちは一人ひとり、よく認識しておく必要がある。
松下幸之助『社員心得帖』

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
「希望」でなく「希願」 [2021年12月03日(Fri)]
先々週の金曜日(11/19)、
大谷翔平さんが大リーグMVPを満票で受賞した日
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下は岩手日報の号外(11/19)、上は翌日の朝刊(11/20)
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花巻からレンタカーを借りて一関市東山町の松川を訪れました。

石と賢治のミュージアムの敷地内に「農民芸術概論綱要」の碑がありました。
が、ほかの碑と違って、説明書きなどなく、ひっそり置かれていました。
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宮沢賢治『農民芸術概論綱要』より――
「農民芸術の製作」
……いかに着手しいかに進んで行ったらいいか……
世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ

感受の後に模倣理想化冷く鋭き解析と熱あり力ある綜合と
諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力はかはる
機により興会し胚胎すれば製作心象中にあり
練意了って表現し 定案成れば完成せらる
無意識即から溢れるものでなければ多く無力か詐偽である
髪を長くしコーヒーを呑み空虚に待てる顔つきを見よ
なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

その時は気づかず、戻ってブログの記事を書いた時にも気づかず、
記事を公開した後にあらためて記事を見て気づきました。
原文は「希願」なのに、碑は「希望」です。

調べてみると、
東北砕石工場の工場主だった鈴木東蔵さんの実子の実さんが、
遠野高校の校長在任中に卒業記念として制作されたものの、
一字違いのため譲り受けて私邸に設置されたとのこと。
(原子内貢『宮沢賢治詩碑・平成30年度最新版』)

その碑が、石と賢治のミュージアムに移設されたのでしょうか。
いずれにせよ、一字の違いのおかげで、
賢治が「希望」でなく「希願」の言葉に込めた思いを
考えることができました。

あらためて手元の辞書を調べると、
「祈願」はあっても、「希願」はなく、
「希望」や「願望」はあっても、「希願」はありません。

そこで、それぞれの語義を確認すると、
希う(こいねがう)切に望む
願う(ねがう)こうありたいと切に考える
望む(のぞむ)欲しいと願う、当てにする
(注)「願う」が心の中で物事の成就を切望するのに対し、
「望む」は現在と将来に期待や見込みを立て、それを当てにする

心の中か、公言するかの問題ではなく、
切に考えて実現させるか、期待や見込みを当てにするか

その意味では、「根拠なき願望」というのはおかしな話で、
願望」ならば根拠があって当然でしょうから、
「根拠なき希望」と言うべきかも

もし強い願望を抱いて、自分の夢をあきらめなければ、
なんとか実現できるよう、さらに良い方法を
考え続けていくことができる
のです。
心の奥底からこうありたいという強い願望を持てば、
人の心は、眠っている間でさえも、
なんとか壁を取り除こうと考えるようになるのです。
このようにして、信じらないほどの創造力が生まれてくるのです。

状況の奴隷になってしまうと、状況が悪いことを理解し、
自分の夢が非現実的であったという結論をだすだけになって
しまいます。しかし強い願望を持っている人は、
問題を解決するために創意工夫と努力を始め
目的に到達するまで、決してあきらめないのです。

目的に向かって進んでいく人、挫折を重ねていく人、そして
だらだらと一生を終えてしまう人の、一番の大きな差は、
この願望の強さなのです。
稲盛和夫『成功への情熱―PASSION―』

大谷翔平さんの大リーグ挑戦は、
「世界に対する大なる希望」ではなく、
世界に対する大なる希願」であり、
その希願を成就すべく、
強く正しく生活」し「苦難を避けず直進」した、
その結果として、今回の大リーグMVP受賞ひらめき
そして一時の結果に「慢心することなく」、さらなる努力を積み重ねる足跡

世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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念のため、遠野高校に設置された賢治像の碑は「希願」ですぴかぴか(新しい)
◆「農民芸術概論綱要」碑/ 宮澤賢治の詩の世界

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宮沢賢治を訪ねて(2021.11/17〜21)足跡
◆未知なる道を探索して歩き進む/2021.11.15
◆永久の未完成、終わりはない/2021.11.24
◆鹿踊りの、ほんとうの精神/2021.11.25
◆芸術をもてあの灰色の労働を燃せ/2021.11.25
◆すべてのいのちはつながっている/2021.11.25
◆銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱/2021.11.25
◆グスコーブドリのまち・一関市東山町/2021.11.25
◆きれいにすきとおった風をたべ/2021.11.26
◆下ノ畑ニ居リマス/2021.11.26
◆賢治さんのお墓にお参り/2021.11.26
◆賢治の心 受け継ぎて/2021.11.26
◆岩手山を望む(御所湖)/2021.11.26
◆ごく強力な鬼神たちの棲みか/2021.11.26
◆岩手山銀河ステーション天文台/2021.11.26
◆よだかの星は今でも燃えています/2021.11.26
◆すべてはつながっている「自他不二」/2021.11.27
◆昨日の為に働くか、明日の為に働くか/2021.11.28
◆とにかく読む、読んで知ることだ/2021.12.1

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
とにかく読む、読んで知ることだ [2021年12月01日(Wed)]
月末の昨日(11/30)、仕事の道すがらに出会った古本屋さん。

アマゾンは先に求める本があって検索するし、
ブックオフもオンラインで注文した本を受け取りに店舗に立ち寄るだけ。
特に目当ての本があるわけでないのに、
リアルな古本屋さんのお店に入ったのは久しぶり、いつ以来か。

順に棚を巡り、目に留まった本は、
昭和52年11月30日発行の「宮沢賢治(文芸読本)」
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44年前のこの日(11/30)に発行された本で、
当時20歳だった私も2ヶ月後には高齢者の仲間入り。
「運命的な出逢い」を感じて買い求める。

谷川徹三「ある手紙」(昭和10年2月・朝日新聞)より――
僕はこの頃宮沢賢治という人の童話集に夢中になっている。
君は名前も知らないだろう。
一般には全く知られてない人だからね。
(…)
僕はもっと早くこの人を知りたかった。
この人が生きていたら逢って見たかったね。

―― そうだ、この人は死んでいるんだ。
ずっと肺が悪くて去年の秋亡くなったのだ。
(…)
とにかく読むことだ。読んで知ることだ。
この人が世に知られないたった一つの理由は
機会がなくてみんなに読まれなかったことだと僕は思っているからね。

ほかも読み応えある内容ばかりで運命的な出逢いの期待を裏切らず。
ワンコインで買えてありがたい限りです。

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宮沢賢治を訪ねて(2021.11/17〜21)足跡
◆未知なる道を探索して歩き進む/2021.11.15
◆永久の未完成、終わりはない/2021.11.24
◆鹿踊りの、ほんとうの精神/2021.11.25
◆芸術をもてあの灰色の労働を燃せ/2021.11.25
◆すべてのいのちはつながっている/2021.11.25
◆銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱/2021.11.25
◆グスコーブドリのまち・一関市東山町/2021.11.25
◆きれいにすきとおった風をたべ/2021.11.26
◆下ノ畑ニ居リマス/2021.11.26
◆賢治さんのお墓にお参り/2021.11.26
◆賢治の心 受け継ぎて/2021.11.26
◆岩手山を望む(御所湖)/2021.11.26
◆ごく強力な鬼神たちの棲みか/2021.11.26
◆岩手山銀河ステーション天文台/2021.11.26
◆よだかの星は今でも燃えています/2021.11.26
◆すべてはつながっている「自他不二」/2021.11.27
◆昨日の為に働くか、明日の為に働くか/2021.11.28

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。