CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
★経営のための会計★
ようおこし (^_^)
ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
「道しるべ」でお好きなカテゴリーをお選びいただき、お時間の許す限りごゆっくりおくつろぎください。
道しるべ★カテゴリー
Google

WWW このブログ
<< 2021年08月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新の記事
最新のコメント
https://blog.canpan.info/miya38ts/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/miya38ts/index2_0.xml
素直に耳を傾け、謙虚に学ぶ [2021年08月31日(Tue)]
数日前のこと、昼の食事をしながら見るとは無しにテレビを見ていると、
NHK「命を守る行動を」でお笑い芸人ハチミツ二郎さんが語る話に
強烈なインパクトを受けました。

実のところ、お笑い芸人ハチミツ二郎さんのお名前を聞くのも初めてで、
コロナ感染で救急搬送後8日間意識を失われていたのも知りませんでしたが、
かつてなら入院して助かった命も救命救急医療がひっ迫している状況では、
ハチミツ二郎さんも今なら果たして助かったか?と思うと、
他人事で見過ごすことはできませんでした。

そのハチミツ二郎さんが「命を守る行動を」で語られたのは、
感染後のワクチン接種のことです。
私自身、この番組を見るまで、
コロナ感染者は抗体ができるので
ワクチン接種は必要ないと思っていました。しかし、
ハチミツ二郎さんは闘病が終わった後にワクチン接種の案内が届いたので、
周りの人に助言を求めたところ、色んな意見があったが、
最終的に接種を決断されたとのことでした。

2分ほどの放送を見終えて受け止めたのは次の三点。
まず、専門家でない者(私)は、自らの経験や聞きかじりの知識で
安易に意見や助言をすべきでなく、厳に慎まねばならない。

一方で、自分が判断する時は、
限られた意見や情報に判断を委ねるのではなく、
信頼できる情報を自ら集めて自らの責任で判断する。

そして、その判断は、
自分や自分の家族とか店のことだけを基準にするのではなく、
他者や社会への思いやりを基準にする。

その後も、ハチミツ二郎さんの「命を守る行動を」は何度か見ましたが、
YouTubeのNHKチャンネルにアップされていました。
8月26日にアップされて11万回を超える視聴ですが、
高く評価が528に対して、低く評価が722で「低く評価」の方が多い。

翌27日にアップされた「若者に広がるデマ 正しい情報は?」は、
20万回に迫る視聴ですが、高く評価が1,193に対して、
低く評価が6,137と「低く評価」が圧倒的に多い。

視聴したすべての人が評価するわけではないし、
インパクトを受けても評価のクリックしない人もいるでしょうし、
コメントができない設定で低い評価の理由は分かりませんが、
たとえ自分の考えと異なる意見や意に沿わない内容でも、
素直に耳を傾け、謙虚に学びたいと「自戒」です。

私たちはすべてのことから学べる
悪からも善からも、実からも虚からもおそらく学べる。
狭い見方が敵なのである。
曽野綾子『それぞれの山頂物語』

昭憲皇太后(明治天皇の皇后)御歌
「人ごとの 良きも悪しきも 心して 聞けばわが身の 為とこそなれ」
IMG-7149.jpg


P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ありがとう、まっちゃん!(東京パラ2020) [2021年08月30日(Mon)]
熱戦が続く東京パラリンピック2020、
昨日(8/29)の武道館の「柔道100キロ級」に
われらがまっちゃん、松本義和さん(59)が出場されました。

本来なら、武道館で応援するのを楽しみにしていましたが、
諸事情あって無観客での開催となり、
NHKのネット配信によるライブ観戦で応援です。

あらためて、世界レベルの高さを知る一方で、
年齢差も半端ないのにB1(全盲)で世界と戦う超人まっちゃん、
その凄さを知りました。
コロナで試合もできず、練習環境もままならなかったのに、
最後の最後まで見事に頑張り抜いて、
さすが、まっちゃん、われらが誇りですぴかぴか(新しい)


というわけで、私にとって東京パラ2020は昨日で終わりましたが、
終わりがあれば始まりあり。
そう、あれは3年前、2018年3月の篠山マラソン。
関門不通過で失格のお粗末な結果に、
会場をさっさと立ち去ろうと駐車場からクルマを出そうとしたら、
レースを完走したまっちゃんのガイドのムックさんから電話があり、
「宮さん、どこにいるの?」
「今からクルマで帰るところ」
「一緒に帰ろうよ、バス停で待っているから」ということで、
篠山から大阪まで一緒に戻って私の自宅に車を置いて、
千里中央の王将で打ち上げ(私だけ反省会)。

その席で、まっちゃんの東京パラ挑戦が話題になり、
東京パラの出場権を勝ち取るための条件とか、
東京パラを目指すためのスポンサー探しやサポートの話題になりました。

あれから3年半か、物語には始まりがあれば終わりあり、
そして続きがあっていいかも。
あれから3年なら、これから3年ということで2024年はパリですぴかぴか(新しい)

本人は終わったばかりで先のことを考える余裕ないやろし、
そして、今回出場するだけでもどれだけ大変やったか分かっているのに
勝手なことを言わんといてとまた叱られるやろなぁと案じていたら、
いやいや、すでに答えは出ていました。

本日15時27分に配信された時事通信の記事によると、
大会前には「次のパリで全盲だけのクラスができたら」と
62歳での挑戦に意欲を見せていた松本選手。
試合後「先のことは明日から考える」といたずらっぽく笑った。

よっしゃ!
パリに向かって、まっちゃんの挑戦、これからもみんなで応援です。
matsumoto_2020.jpg
―― 去年の8月30日、本来なら武道館で試合のあった日に、
武道館から場所を変えて開催した「まっちゃんを応援する会」の
エンディングで使用したスライドショーの表紙

力を尽くして戦い終えた後のまっちゃんの笑顔はいつも最高で、
昨日も素晴らしい最高の笑顔を見せてくれました。
ありがとう、まっちゃん。われらが誇りですぴかぴか(新しい)

去年の応援する会で用意した寄せ書き用の日の丸も、マジックインキも、
まっさらのままで、次の出番を楽しみに大切に箱に入れて保管です。

1630272647707.jpg
今朝も、朝ランの締めに千里の氏神様にお参りすると、
拝殿に置かれている言葉が福沢諭吉に変わっていました。
今日も生涯の一日なり

勝手な解釈ですが、その言葉の説くところは
「日に新た」や「一期一会」「日々是好日」などと同じく、
今日という一日は二度と来ないのだから、
先のことをとやかく言わんと、
今日一日をしっかり気張って精一杯生き抜き、
「今日を生涯で最高の一日にする」ということでしょう。

そしてお賽銭にポケットから取り出した1円玉を見ると
「昭和37年」
私の生まれ年より5年遅いから59年前です。ということは、
59歳のまっちゃんの生まれ年か。(^.^)
神さまお導きのありがたきご縁に感謝し、お供えして合掌。

P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
多言無用 [2021年08月29日(Sun)]
昨日(8/28)、朝から奈良へ出かけてきました。
お目当ては、奈良県立美術館で本日(8/29)まで開催の
「ウィリアム・モリス展」
1630140449079.jpg

1630140471325.jpg

モリスといえば、あの特徴的なデザインで、
この特別展も多くが壁紙や内装用ファブリックでしたが、
私がモリスに関心を持ったのは、
ティム・ブラウン著『デザイン思考が世界を変える』を読んで、
こんな一節が目に留まったからです。

イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に
全身全霊を注いだウィリアム・モリスは、
産業革命は世界に想像を超える富をもたらしたと同時に、
世界から感性、情熱、人間の深いかかわりを奪い取ってしまったと
誰よりも強く訴えた。
彼は晩年、こう嘆いた。「考えてもみろよ。
結局、石炭の燃えかすの山のてっぺんに残ったのは
会計事務所だというのか?


ART IS MAN'S EXPRESSION OF HIS JOY IN LABOUR.
芸術は、労働における人間の喜びの表現である。


モリスについては、日をあらためて

奈良に出かけたついでと言っては非礼な話ですが、
美術館から足を延ばして東大寺の大仏殿にお参りしてきました。
1630140495493.jpg

東大寺では、大仏殿から大仏様を24時間生中継されています。
毎日、正午から、コロナ感染の早期終息と罹患された方の早期快復、
並びに感染により亡くなられた方々の追福菩提を祈る勤行をされていて、
僧侶の読経に合わせて一緒にお祈りできますし、
自分が祈りたい気持ちになればいつでもお参りしてお祈りできます。
◆リモート参拝・東大寺から大仏様生中継/ニコニコ生放送
(★)目障りなコメントは「非表示」設定できます

朝ランの締めに千里の氏神様にお参りしてきましたが、
10日ほど前から、お昼には大仏殿のお参りが習慣化しています。
そして、昨日はオンラインでなく、リアルに大仏殿のおつとめに参加。
僧侶の読経に合掌して、コロナの早期終息、罹患された方の早期快復、
感染されてない方の無病息災、亡くなられた方の追福、
そして本日の武道館(パラ柔道100キロ級)でご加護を祈願。

1630140518220.jpg

1630140540760.jpg

昨日の奈良に出かけた電車の中でのこと。
行きの地下鉄御堂筋線では、
梅田駅から乗ってきた二人連れの女の子がずっとしゃべり続け、
そして奈良から帰りの快速急行では、
生駒駅から乗ってきた山歩き姿のおっさん二人連れが
缶ビールを片手に延々としゃべり続けていました。

どちらもマスク越しの会話ですが、
その二人以外には同じ車両で話をしている人はいないので、
話の内容が丸聞こえ(ビール片手のおっさんはしゃべる声もでかい)、
緊急を要する会話ではなく、世間話のおしゃべりです。

マスクして会話すればOKとか、大丈夫とかの話ではなく、
「周りが見えていない」ということなんでしょう。
なんて偉そうなことを言ってますが、
お盆までの私も同じでした。

マスクをしているとはいえ電車の中で延々とおしゃべりを続けていたし、
店で食事する時もマスクを外して無駄なおしゃべりをしていましたが、
それで別に何とも思っていませんでした。
周りが見えていませんでした。

「意識」が変われば「見え方」が変わるし、それによって「行動」が変わる。
うつったら困るから感染防止か、うつしたらあかんから感染防止か、
やることは同じでも、意識が違えば、行動の内容やレベルも変わります。

大仏殿で正午から僧侶の読経が始まって、
一緒に手を合わせる人もいれば、そうでない人もいる。
なんのために正午から読経が始まるのか知らされていないからでしょうか、
東日本大震災の後は北御堂などでも被災者に手を合わせていたのと比べると、
まだまだ「他人事」なのかもです。
コロナ感染は、震災以上に「明日はわが身」かもしれないと思うのですが

人は人、自分は自分で、人の振り見て我が振り直せ。
これからは、店で食事する時や電車の中とかで話をする必要あれば、
メモ書きを交換するとか、スマホでチャットするとか、
あるいは視覚障害の方となら手のひら書きがいいいのでしょうか。
(必要に応じてポリエチレン手袋やソフトタッチペンの活用など)
そんなことを思いました。
――「他言無用」より、今は「多言無用」か

P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ウサギとカメ(改訂) [2021年08月24日(Tue)]
「ウサギとカメ」
ウサギはカメを相手に勝負したが、油断して
途中で居眠りして負けた。
ウサギから勝負を挑まれたカメは、
自分のペースで一歩一歩進み続けて「自分との闘い」に勝った。
P1010032.JPG   

ほな、なにかい、
カメの相手はカメ自身で、自分との戦いに勝ったということでっか。
けど、けったいな話でんな。それやったら、なんで、
カメは寝てるウサギの横を通るとき、起こしたらんかったんです?
ウサギが居眠りやのうて、こけて怪我してたり、
お腹いたで倒れ込んでたりしとっても、
カメは素通りしてましたんか?

そりゃそうやがな、ウサギが寝とったからカメは勝てたんや。
起こしたら負けまんがな。
それに、怪我や腹痛やいうても分からしまへんで、
ウサギの作戦で仮病かもしれんやないか。勝負に情は無用や。

んなあほな、それやったらカメの相手はウサギで、
「自分との戦い」やのうて、ウサギと競争してまんがな。
あきまへんで
きょうび、自分は大丈夫の「利己」やのうて、
利他」が大事なんとちゃいまっか。
カメは自分のことを忘れて、自分のことを後にして
ウサギを起こすなり助けるなりせな(忘己利他)。
こんなカメ、あかんわ。(自戒)

昔の友にはやさしくて 変わらぬ友と信じ込み
あれこれ仕事もあるくせに 自分のことは後にする〜♪
河島英五「時代おくれ」

s-P1010029.jpg

P1010040.JPG

s-P1010038.jpg
旧豊郷小学校/近江商人発祥の地

松下幸之助『道をひらく』より――
「生かし合う」
人間の生命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。
ところが、自分の生命の尊いことはわかっても
他人の生命もまた尊いことは忘れがちである
ともすれば私心に走り私利私欲が先に立つ
つまり、自分にとらわれるということで、
これも人情としてやむをえないことかもしれない。
しかし、これではほんとうに、
おたがい相互の繁栄は生まれないであろう。
人間本来の姿は生かされないであろう。
やはり、ある場合には自己を没却して、まず相手をたてる
自己を去って相手を生かす
そうした考えにも立ってみなければならない。
そこに相手も生き、自己も生きる力強い繁栄の姿がある
尊い人間の姿がある
自己を捨てることによってまず相手が生きる
その相手が生きて、自己もまたおのずから生きるようになる
これはいわば双方の生かし合いではなかろうか。
そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる
おたがいに、ひろく社会の繁栄に寄与するため、
おたがいを生かし合う謙虚なものの考え方を養いたい。

P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
不要不急 [2021年08月20日(Fri)]
久しぶりの日の出に、朝ランも清々しいでするんるん
IMG-9911.jpg

夜が明けるのが遅くなってきましたが、
それとともに朝日が昇る位置もだいぶ南になって、
自宅マンションのベランダから昇る朝日を拝めなくなりました。
夏至から2カ月、そして1カ月後はお彼岸、
季節は、人の計らいに関係なく着実に巡っています。
ありがたいこととです。
KIMG0002_2.JPG
(2021.8.2)

自分自身の不注意や不用意な行動が、大切な人を
死に追いやるという恐怖。
症状がでないこと、またウィルスを目視できないことが、
その恐怖心をさらに大きくしていくのです。
特に両親と同居されていたり、
持病を抱えていたりする方にとっては一大事、
日々の報道とともに、私たちの平穏な心を蝕んでいくのです。
こうなると、大切な人との別れであるご葬儀や年忌のご法事も、
参加者の命のリスクを冒してまで行うものであるかどうかが問われ、
中止や延期、縮小されていくことは当然のことなのかもしれません。

ある日突然テレビや新聞に現れた「不要不急」という言葉。
自分自身の一つ一つの行為が必要であるか
急を要するものであるか
その価値判断を私たちは迫られることとなりました。
これは不要不急であるからやめておこうか、
これならやっていいかというように。
――「不要不急」という禅問答(細川晋輔)/『不要不急』より

先月19日に刊行された新潮新書の『不要不急』を読みました。

昨年から私たちの行動に縛りをかけた四文字熟語「不要不急」について、
10人の僧侶がそれぞれの視点から語りかけます。
臨済宗が2人、曹洞宗が3人、天台宗が2人、真言宗が1人、
浄土宗が1人、浄土真宗が1人で、10人のうち5人が禅僧です。

禅といえば「今、ここ、自分」であり、
そしてどこの禅堂にも掲げられているのが
「生死事大、光陰可惜、無常迅速、時不待人、慎勿放逸」です。
P1030315.jpg
―― 生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸

禅僧たちが「不要不急」についてどのように考え、
そしてどのように行動しておられるのか、興味津々で読みました。

本書のまえがき(十人十色の“不要不急”)と
臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺師の論考はネットで読めます。

「不要不急の外出はお控えください」、
「不要不急のイベントはお控えください」
と呼び掛けたところで、
「オリンピックやってるのに、なんでお盆の帰省は控えなあかんねん」
「国境を越えてパラ開催するし、県をまたいで甲子園もやってるのに、
 なんで県をまたぐ行動を自粛せなあかんねん」
「危機感あおって自粛を続けてたら経済が回らんやないか、
 いつまでやってるんや」なんて言い返されるだけ。

言い返されても、自分の言葉で丁寧に説得することなく、
用意された原稿を見ながら、
ワクチン接種率がどうたらこうたら、人流がどうたらこたら、
オリンピックのテレビ視聴率がどうたらこうたら。

数字を示すだけでは何の根拠にもならない
聞き手が納得して意識が変わって行動の変化を導いてこそ、
「説明責任」を果たしたことになる。

人流やオリンピックのテレビ視聴率の数字を示すだけで、
現実の感染爆発や医療崩壊との「因果関係」を明らかにせず、
今度は「出勤者7割減」の目標を掲げて財界トップに協力を要請。
となれば、次なる手は「テレビ視聴率70%」か。
んなあほな、創作落語のネタにもならないと思いしや、
「笑いも仏法も“不朽”」と説く露の団姫師なら、もしかして……

売上であれ、マラソンの記録であれ、数値目標をぶち上げるのは簡単。
しかし掲げた目標に向かって、関係者のベクトルを一致させ
そして一人ひとりの行動を変えなければ意味がない

なぜその目標を目指すのか、その目標を達成した結果どうなるのか、
達成するために取り組むべき課題はなにか、などを明らかにすることで、
一人ひとりが自分がなすべきことを考えて行動する。
その結果として数字が変わるのであって、
ベクトルを合わさずして求める数字は得られない
もし得られたとしたら運がよかっただけのこと。

「不要不急」、健康な人にとっては病院は不要かもしれないが、
今は健康でもいつコロナに感染するか分からない。

昨日は元気だったが、
朝起きたら熱が出ていたので検査を受けたいけど受けられない、
検査で陽性判定が出たけど保健所から連絡がない、
自宅で安静にしていたら容態が悪化したので救急車を呼んだけど
受け入れてくれる病院がない。

昨日は「不要」だった病院が、
今は「必要」なのに「傘がない」ってことも現実に起こりうる。
自業自得?、んなあほな
自分は大丈夫と言い切れるのか、だれもが明日はわが身かも

そんなことまで自分の頭で考えて
「不要不急の外出やイベントをお控えください」と呼び掛けるなら、
メッセージに込められた心は伝わるだろうが、
よく考えもせずに常套文句として呼びかけたところで
「不要不急」の意味するところが伝わらない。

というか、そもそも「不要不急」の意味するところを
自分の頭で考えて自分なりに理解していなければ伝えようがないし、
「危機感をあおるだけ」とか言われても、言い返せないし、
説得もできない。難儀なことです。
となれば、夜が明けて、雨が止むのを「ただ待つ」のみか……

985c3004-1688-4df8-a9d1-00df68d13830.__CR0,0,2696,1668_PT0_SX970_V1___.jpg
人生に夜の世界は必要です」横田南嶺

20170903.jpg
闇があるから 光がある
苦があるから 楽がある
闇を生かせ 苦を生かせ
「闇と苦」坂村真民

松下幸之助『道をひらく』より――
「雨が降れば」
雨が降れば傘をさす。傘がなければ風呂敷でもかぶる。
それもなければぬれるしか仕方がない。
雨の日に傘がないのは、天気のときに油断して
その用意をしなかったからだ。雨にぬれて、はじめて傘の必要を知る
そして次の雨にはぬれないように考える
雨があがれば、何をおいても傘の用意をしようと決意する
これもやはり、人生の一つの教えである。
わかりきったことながら、世の中にはそして人生には、
晴れの日もあれば雨の日もある。好調の時もあれば、不調の時もある。
にもかかわらず、晴れの日が少しつづくと、つい雨の日を忘れがちになる。
好調の波がつづくと、ついゆきすぎる。油断する
これも、人間の一つの姿であろうか。
このことをいましめて昔の人は「治にいて乱を忘れず」と教えた。
仕事にしても何にしても、この道理はやはり一つである。
雨が降れば傘をさそう。傘がなければ、一度はぬれるのもしかたがない。
ただ、雨があがるのを待って、
二度と再び雨にぬれない用意だけは心がけたい。
雨の傘、仕事の傘、人生の傘、いずれにしても傘は大事なものである。

「ダムの心得」
雨が降る。山に降る。
降った雨は地にしみこみ、谷水となり、川となり、
平野をうるおして海に流れる。この流れがうまくゆけばよいけれど、
ちょっと狂えば洪水となり、また反対にかんばつとなる。
流しっ放し、使いっ放しの結果である。
そこでダムを考える。
流しっ放しをせきとめて、せきとめ溜めたその水を有効に使う。
ゆとりをもって適時適切に放出する。人間の知恵の進歩であろう。
川にダムが必要なように、
暮らしにもダムがほしい。物心ともにダムがほしい
ダラダラと流れっ放し、使いっ放しの暮らしでは、まことに知恵のない話。
大河は大河なりに、小川は小川なりに、それぞれに応じたダムが
できるように、人それぞれに、さまざまな知恵を働かせれば

さまざまのダムができあがるはずである。個人の暮らしの上だけではない。
商売の上にも、事業の経営のうえにも、このダムの心得がぜひほしい
そしてさらに大事なことは、国家の運営にあたっても、
このダムをぜひつくりたい。国家と国民の安定した真の繁栄のために。

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
朝夕、油断することなかれ [2021年08月19日(Thu)]
かつて山登りをしていた頃、
「山の事故は下山の時に多い」と教えられました。
体力的に弱っていることもあるでしょうが、
それ以上に、安心感から気が緩んで緊張感や集中力が欠けることに
問題があるのでしょう。

このことは山登りに限る話ではなく、たとえば経営や商売でも、
危機的状況の真っ只中より、むしろ危機を脱した後とか、
目標を目指して頑張っている時より、目標を達成した後とか、
気が緩んだり、慢心した時の方が危ないものです。
その意味で、失敗は成功の基というより「成功は失敗の基」です。

高名の木登りといひしをのこ、
人を掟てて、高き木に登せて梢を切らせしに、
いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、
降るるときに、軒たけばかりになりて
「過ちすな。心して降りよ」と言葉をかけはべりしを、
「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。いかにかく言ふぞ」
と申しはべりしかば、
「そのことに候ふ。
 目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れはべれば申さず。
 過ちは、やすき所になりて、必ずつかまつることに候ふ」と言ふ。
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。
鞠も、難きところを蹴いだして後、
やすく思へば、必ず落つとはべるやらん。
――『徒然草』第109段

油断大敵、一瞬の気の緩みが事故のもとです。

金銀は儲けがたくて減りやすし。
朝夕、十露盤に油断する事なかれ
井原西鶴『日本永代蔵』

各地でコロナ感染者が過去最多を更新し、
「試算を超える感染拡大」が続いています。

コロナは避けがたくてうつり易し。
重症化しても手当してもらえず。
朝夕、コロナに油断することなかれ


P1010050.JPG
旧豊郷小学校/近江商人発祥の地
P1010027.JPG
「慢心」「油断」は禁物爆弾
s-P1010038.jpg

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ウィリアム・モリスが説く「芸術の役割」 [2021年08月16日(Mon)]
ティム・ブラウン『デザイン思考が世界を変える』の
第5章「初心にかえる――経験のデザイン」より――
産業革命は、消費者だけでなく消費社会を生み出した。
産業化経済を維持する規模を生み出すには、製品だけでなく、
それに伴うサービスをも標準化する必要があった。
これは価格の低下、品質の向上、生活水準の改善など、
社会に驚くべき利益をもたらした。
しかし、弊害もあった。次第に、
消費者の役割がほとんど受動的になっていたのだ。
19世紀末にモダン・デザインを発明したイギリスの改革者たちは、
この点を痛感していた。
イギリスの工場から大量に流れ出す安価な商品の山は、
もはやそれを作った労働者と何のつながりもなく、
それを購入した消費者にとって何の価値もない
――そんな世界を予見していたのだ。
イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に
全身全霊を注いだウィリアム・モリスは、
産業革命は世界に想像を超える富をもたらしたと同時に、
世界から感性、情熱、人間の深いかかわりを奪い取ってしまったと
誰よりも強く訴えた。
彼は晩年、こう嘆いた。「考えてもみろよ。
結局、石炭の燃えかすの山のてっぺんに残ったのは
会計事務所だというのか?


William Morris : How I Became a Socialist
Think of it!
Was it all to end in a counting-house on the top of a cinder-heap,

with Podsnap's drawing-room in the offing, and a Whig committee dealing out champagne to the rich and margarine to the poor in such convenient proportions as would make all men contented together, though the pleasure of the eyes was gone from the world, and the place of Homer was to be taken by Huxley?

ウィリアム・モリス『民衆の芸術』/1953.4 より――
「如何にして私は社会主義者になったか」(中橋一夫訳)
まあ、考えてもごらんなさい
こういう一切は結局どんなことになるのだろうか。
それは近くにポッドスナップの応接室がある、
灰殻の上に立てられた事務所といった光景であり、
みんなが一緒に満足するような大変に都合のいい割合で
金持にはシャンペンを、貧乏人にはマーガリンを配給するウィッグ党の
委員会という光景になるにすぎない。
しかも一方では、眼の楽しみはこの世の中から消えてしまい、
ホーマーの位置にハックスレーがとってかわるといった世の中なのだ。

ウィリアム・モリス『素朴で平等な社会のために』/2019.11 より――
「私はいかにして社会主義者になったか」(城下真知子訳)
考えてもみてほしい!
エンジンを燃やし続ける石炭の燃え殻、そのゴミの山に
鎮座する銀行に、なぜ、すべてが吸い上げられなければならないのか

しかもその近くには、
成り上がりポドスナップの居間が控えているとくる。
そして、ホイッグ党執行部は、「金持ちにはシャンパンを、
貧乏人にはバターならぬ俗悪マーガリンを」という都合のよい分配を
編み出し、これですべての人間が満足するという。
美しいものを見る喜びは、世の中から消え失せ、
詩人ホメロスもハクスレーに取って代わられるというのに?

そして本論の最後。ウィリアム・モリスが説く「芸術の役割」に、
「会計事務所」や「銀行」の役割(本分)を自らに問い質す。

William Morris : How I Became a Socialist
It is the province of art to set the true ideal of a full and reasonable life before him, a life to which the perception and creation of beauty, the enjoyment of real pleasure that is, shall be felt to be as necessary to man as his daily bread, and that no man, and no set of men, can be deprived of this except by mere opposition, which should be resisted to the utmost.

ウィリアム・モリス『民衆の芸術』/1953.4 より――
「如何にして私は社会主義者になったか」(中橋一夫訳)
そういう労働者の前に充実した合理的な生活の真の理想をしめす
ということは芸術の仕事なのだ

美の知覚と創造、眼前の真の快楽の享受、こういうことが
日々のパンと同じように人間にとって必要であると
感じられるような生活をいう。
このような生活はいかなる人間からも、
またいかなる一群の人々からも奪いとるわけにはいかない。
ただ反対のための反対といったものに面する場合は別だ。
しかし、そのような反対にはあくまでも反抗しなければならない。

ウィリアム・モリス『素朴で平等な社会のために』/2019.11 より――
「私はいかにして社会主義者になったか」(城下真知子訳)
だからこそ、芸術は、生きるにふさわしい豊かな生活の真の理想を
彼らに指し示し、芸術の本分をまっとうすべきなのだ

美を感じ、創造すること、つまり本当の喜びを堪能することが、
日々のパンと同じように必要だと感じられる人間の暮らし
――誰も、どういう集団も、単に反対ということで、
これを奪われてはならない。
そして、そんな反対意見には徹底的に抵抗すべきだ。


KIMG0038_2.jpg
実家に泊まり、一夜明けて母のお供で朝の散歩に出かけると、
雨上がりの近くの公園に、たわわに実ったみかん。
ぶらり歩くからこそ気づくので、走っていては気づきませんでした。
ゆっくり急げ(Make haste slowly)急がば回れひらめき
そして時には立ち止まるのもいいものです。

P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
骨と皮になるくらい迷ってもいい [2021年08月08日(Sun)]
日曜日の朝5時からNHK-Eテレで放送の「こころの時代」、
本日(8/8)はネルケ無方さんの「天地いっぱいを生きる」でした。

昨年10月11日に放送された時も見ていたので
二度目の視聴でしたが、新たな気づきと学びを得ました。
年年歳歳、花相似たり
歳歳年年、人同じからず

去年の秋の放送で、番組の冒頭に
ネルケ無方さんが語られた、人の育て方(育ち方)について
きゅうりとトマトとかぼちゃにたとえられた話に、
仏教伝道協会のネルケ無方さんの記事を思い出しました。

番組を見終えた後、仏教伝道協会のネルケ無方さんの連載記事を再読。
きゅうりとトマトとかぼちゃの話は連載の第2回「育てること、育つこと」、
そして連載の第4回が「手放すこと」で、
連載最終回の第6回が「変わること」でした。

昨年の6月末で独立開業30周年になるのを機に
6月末で事務所を閉めて自宅に移した後だったこともあって、
最終回の最後に記されたメッセージに勇気づけられました。
何も定かなことはないが、
 私に残された道のりは楽しみでもある


本日の番組を見終えた後、久しぶりに読むと、
ネルケ無方さんの連載が再開されていて、第7回が「迷うこと」でした。
「迷いがなければ、自分のありようを問うことはない」
大いに迷わなければ、悟ることはない。
 ちゃんと悟っているからこそ、安心して迷える


そういえば、松下幸之助さんも説いておられました。
迷うだけ迷ったらいい
ただ迷って、道を踏み誤ったらあかん
迷っている間はいいわけや。迷っているあいだはじっとして
ぱっと光明が見えるまでは、そのままの姿で勉強していたらいい
いつか光明を発見して腹が決まる。
それから勉強したって遅いことはない

今はまだ迷ったらいい。迷いに迷って、
骨と皮になるというくらいに迷っていてもいいわけや
次々にサラサラとうまくいくと、苦労のしがいがないものや(笑)。
だから、迷えば迷うほどに偉大なものが生まれる
そやけど、迷わんでもいいことを迷ったらあかん
それと、自分の感情にとらわれたらあかん
素直な心がなかったら、そうなってしまう
そのことをよう考えてやらないといかんな。


志を立てるのに、老いも若きもない。
そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。
今までのさまざまの道程において、いくたびか志を立て、
いくたびか道を見失い、また挫折したこともあったであろう。
しかし道がない、道がひらけぬというのは
その志になお弱きものがあったからではなかろうか
つまり、何か事をなしたいというその思いに、
いま一つ欠けるところがあったからではなかろうか。
過ぎ去ったことは、もはや言うまい
かえらぬ月日にグチはもらすまい
そして、今まで他に頼り、他をアテにする心があったとしたならば、
いさぎよくこれを払拭しよう。
大事なことは、みずからの志である。みずからの態度である。
千万人といえども我ゆかんの烈々たる勇気である。実行力である

志を立てよう。自分のためにも、他人(ひと)のためにも
そしておたがいの国、日本のためにも
「志を立てよう」/松下幸之助『道をひらく』

IMG-0223.jpg
「空蝉」

「今日の結果がないと明日はない」
イチロー(4000安打達成の記者会見)

明日がある
あさってがあると
思っている間は
なんにも ありはしない。
かんじんの「今」さえないんだから。
(東井義雄)

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

足るを知る「吾唯足知」/龍安寺
P1010817.JPG

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。