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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
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ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
「道しるべ」でお好きなカテゴリーをお選びいただき、お時間の許す限りごゆっくりおくつろぎください。
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Stay Hungry. Stay Foolish.「初心」 [2021年05月31日(Mon)]
今朝(5/31)のご来光
IMG-9487.jpg
自宅マンションのベランダから

意味深き経文(みおしえ)を いくそたび口に誦(ず)すとも
身にもしこれを行わず
 心、放逸(おこたり)にふけらば
沙門(ひじり)とよばん
そのあたえはあらず まこと、むなしく
他人(ひと)の牛をかぞうる かの牧牛者(うしかい)にたとうべし
「ダンマパダ」19/友松圓諦『法句経』

経文(みおしえ)を口にそらんずる まこと少分(わずか)なりとも
身に行う
こと法(のり)にかない
(むさぼり)と怒(いかり)と癡(おろかさ)とをすて
智慧(ちえ)は正しく 心よくほどけとき
この世にも著せず かの世にも執せざるもの

彼こそ沙門(ひじり)の列(みち)に入らん 
「ダンマパダ」20/友松圓諦『法句経』

映画『生きる』のDVDを見て思うところあり、
スティーブ・ジョブズの「伝説のスピーチ」を再読。
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自分はまもなく死ぬという認識が、
重大な決断を下すときに一番役立つのです」

Stay Hungry. Stay Foolish.
Steve Jobs, CEO of Apple Computer, on June 12, 2005.
「ハングリーであれ。愚か者であれ」スティーブ・ジョブズ
◆スピーチ全訳/日経新聞

今まで、ジョブズの「伝説のスピーチ」について、
自分なりに、このように受け止めていました。
・結果を求めず、ただ「点を打つ」
・「自分の可能性」を信じて前進し続ける
・明日を変えるのは明日ではなく「今ここ」
・Stay Hungry(貪らず) Stay Foolish(愚直に)

あらためて、じっくり読み直すと、
一つ目の大学をたった半年で退学した話では、
 「退学を決めたことで、…」
 「もし私が退学を決心していなかったら、…」
二つ目のアップルからクビを言い渡された話では、
 「人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまった
 「会社を発展させるという重圧は、
  もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました
そして、三つ目の話では、
 「本当に大切なことしか残らない
 「自分は死ぬのだと思い出すことが、
  敗北する不安にとらわれない最良の方法です」

決定者が「自己」か、「他者」か、「運命」かの違いはあるにせよ、
いずれも「捨てる」「手放す」であり、
その結果、「本当に大切なことしか残らない」で、
様々な「とらわれ」や「しがらみ」から解き放されて「身軽」になり、
「今ここに集注」して今なすべきをなす(点を打つ)。

「我々はみんな最初から裸です。
自分の心に従わない理由はないのです」

"Stay Hungry. Stay Foolish."について「初心」と受け止めましたひらめき

初心者の心には多くの可能性があります
しかし専門家といわれる人の心には、それはほんとんどありません。
In the beginner's mind there are many possibilities,
but in the expert's there are few.
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なにかを達成したいとか、達成したというような心がないとき
つまり、自分中心の思考がないとき
私たちは、本当の初心者なのです。
このとき、私たちは、初めてなにかを学ぶことができます

一番難しいのは、初心者の心を持ち続ける、ということです。
つねに初心者でいるということ、
ここに禅の本当の秘密があるのです。
このポイントは、とても、とても大切です。
もし坐禅を始めるのであれば、
あなたの初心に感謝する、ということから始めます。
ここに禅の修業の秘密があるのです。
鈴木俊隆『禅マインド、ビギナーズ・マインド』

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「初心」/鈴木俊隆『禅マインド、ビギナーズ・マインド』
柳田由紀子『宿無し弘文、スティーブ・ジョブズの禅僧』

「初心」
―― いっさいの「はからい」を捨てよ、
捨てようとする「意識」さえも捨てよ、ということか(無心、無私)

自分たちの窮状を訴え、作品の売れない苦しさから、
「何とかして売る道がつかないものでしょうか」とお尋ねしたときだった。
私の作家生活において、生涯忘れることの出来ない言葉を聞いたのである。
「諸君は、売れるようなものをお作りになるから売れない。
売れないものをお作りなさい。必ず売れます」
目の洗われるような思いであった。
売れるようなものを作ろうとするのは、もうすでに
ものにとらわれた姿である。
何とかして売れるものをつくろうとすればするほど、心はくもる
そんな世事世俗にまみれた心から、良い作品は生まれるはずがない
そういう「はからい」は捨てよ、そして捨てようとする意識さえも捨てきれ
――岡倉先生(岡倉天心)は、そこを突かれたのであろう。
大西良慶・平櫛田中『人間ざかりは百五歳』
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田中苑(岡山県井原市)2012.3.31

久しぶりにジョブスの「伝説のスピーチ」を読んで、
あらためて気づいたこと、もう一つ

それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。

松下幸之助『実践経営哲学』より――
「素直な心になること」
聞くところによると、
碁というものは特別に先生について指導を受けたりしなくとも、
およそ一万回打てば初段ぐらいの強さになれるのだという。
だから素直な心になりたいということを強く心に願って、
毎日をそういう気持ちで過ごせば、
一万日すなわち約30年で素直な心の初段にはなれるのではないか
と考えるのである。
初段ともなれば、一応事にあたってある程度素直な心が働き
そう大きな過ちをおかすことは避けられるようになるだろう
そう考えて、私自身は日々それを心がけ、また自分の言動を反省して
少しでも素直な心を養い高めていこうとしているのである。

ジョブズが17歳のときに
「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」
の言葉に出合って33年間、毎朝続けてきたということは、12,000日です。

ジョブズが説く"Stay Hungry. Stay Foolish."とは「初心」であり、
松下さんの「素直な心」に通じると受け止めましたひらめき

そして何より肝要なのは、学んだ教えを「身に行う」こと。
身に行わねば「他人の牛を数える牛飼い」です(上記「ダンマパダ」19)

学んだことや気づいたことを「無意識に行動」できるよう「習慣化」する。
これについて、先日(5/16)放送のNHK「こころの時代」で、
為末大さんと仏教学者の蓑輪先生との対話が印象に残っています。

箕輪先生「日常的な習慣として良い習慣を身につける
それはある意味で環境を整えていくこと
それを主体的にやるところが大きかったのではないか」
為末さん「今の話を伺っていて、私たちの世界にすると
戒律は「ルール」のイメージが強く、
習慣は「ルーティン」のイメージが強くて、
ルールはしてはいけないことですが、ルーティンは
それを自然にしてしまうように体に刷り込ませるものなんですね
私たちの世界では、無意識に同じ行動を取ることによって
心の状態を毎回同じに作れる
のでルーティンが大事で、
似てるのかなと思ったのですが」
箕輪先生「律には、他者から強制的にというニュアンスが入るんですが、
戒には、強制ではなく、自らが進んで身につけていくもの
それをすることで修行がしやすくなる点があったと思います」


松下幸之助のもっとも基本的で、潜在的にもっとも力強い思想は、
生涯にわたって学び続ける根源に関するものである。
重要なことは、確かな習慣と、その習慣を支える理想なのだ
彼は繰り返し人々に説いた。
謙虚な心と開かれた心を持てば
人はどんな経験からも、どんな年齢でも学べると。
人間的な大きな理想を抱けば、成功も失敗も克服し、
そのどちらからも学び、成長し続けることができると。
彼の驚異的な人生は、これらの主張の力強い証明にほかならない。
ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長
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人生とは、ひとことで言えば習慣です
習慣とは繰り返すことにほかなりませんから、
強い意志をもって臨めば、
やがて習い性となって大いに人生の助けとなります。
それは、生活に限らず、生きかた、目標のもちかた、
仕事への向かいかた、言葉の使いかたから、ふるまいまで、
行為のすべてです。その意味で、
私の人生は、まさしく習慣のたまものです。
日野原重明『与命』

行動を繰り返すと、それは習慣になります。
毎日の仕事や生活の中で、こうしてみようかな、と思ったり、
あのときこうすればよかったのではないか、と気がついたりすることが
だれにでもあるでしょう。
気づいたら、どんな小さなことでも、それをそのままにしておかない
よくないと思った悪い癖はやめる
いいと思ったことは続けてみて、それを習慣にしてしまう
毎日が「思いついたらすぐ実行」の積み重ねというわけです。
やろうと思うだけでは、やらないことと同じです。行動こそが勝負です。
日野原重明『いのちの使いかた』

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「日々是好日」


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
カメの産卵を目撃〜ウエルカメ服部緑地 [2021年05月30日(Sun)]
昨日(5/29)の早朝、服部緑地で伴走練習を終えると、
コース横の木陰に大きなカメ。
池から離れているこんなところになぜと思ってよく見ると、
カメの周りのお尻あたりだけ、土がこねられています。
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もしや?
な、なんと、びっくりぽん、カメの産卵です。
ニュースで見るウミガメの産卵は、夜中に海岸の砂浜と思うのですが、
白昼堂々と公園の池から離れた乾いた地面(砂地ではない)に産卵です。
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お尻から出ている白いのが卵です。
ピンポン球より小さく、ウズラ卵ぐらいで、真っ白です。
(周りの地面に落ちているどんぐりと比べてイメージしてください)

一つ産み出すと、右の後ろ足で産んだ卵を地面の奥の方に押し込みます。
卵を産んでは右の後ろ足で押し込む作業を何度か繰り返し、
すべて産み終えたのか、今度は両方の後ろ足を上手に使って、
産みつけた地面を丁寧に整地です。
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いやいや、見事なものです。
カメの産卵をナマで見たのは初めて、とても感動しました。
それにしても、
・池や水辺の近くでなく、なぜあの場所なのか
・砂地でないのに、どうやって穴を掘ったのか
・乾いた地面を、どうやって水分を含ませて捏ねたのか
そして産卵。

これだけの大変な作業を、
・カメは何時ごろからどれだけの時間をかけてやっているのか
・お父さんガメや仲間の手伝いはなく、一人でやっているのか
などなど、興味津々。

しかも白昼堂々です。
散歩する人やランナーにも、学校に向かう高校生たちにも気づかれず、
カメの産卵を見守っていたのは、
お母さんと一緒の二人のお子さんと我らオッサン二人でしたが、
カラスが気づいて卵を狙っているかもです。

・卵が孵化するまでどれぐらいの期間なのか
・その時は子ガメが地面の下から湧き出てくるのか

カラスのほかにも、野良猫やヘビもいるでしょうし、
カメは万年というても決して安穏と生きてるわけではなさそうです。
そういえば、四天王寺さんの亀の池にぎょうさんいるカメさんも、
境内地のどこぞで産卵してるのでしょうね。

今までカメに興味なかったですが、
産卵シーンと出会って、メチャ親近感もちました。
カメに栄光!

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

11代目玉置半兵衛『あんなぁ よおぅききや』より――
「兎と亀」
兎さんの相手は亀さんで
亀さんの相手は亀さん自身で、自分と戦ったんや
(…)
おまえも自分で決めたことは必ず守る、
約束したことは、まず自分が守る、自分が自分に負けないこと。
自分に勝てんと、どうして他人に勝てるんや
自分が自分に挑戦するうちに
人からも信頼されるようになり、信用され
また自分自身がだんだん強い心を持った人間になっていくんや。

あんなぁ よおぅききや

亀さんが自分自身と戦うのは、それでええ。それで立派な亀さんや。
けどな、亀さんは寝ている兎さんを追い抜く時に、
『兎さん、そんな所で寝てたら風邪ひくよ、競争で私に負けるよ』と、
油断している亀さんを起してあげるくらいの優しさと寛大さが
あったら、もっと良えのや

自分に厳しく、人には優しくの心を持たんとあかん。

「そしたら、負けるやん」
中学生の私には、またわかりませんでした。

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「壁は、自分自身だ。」岡本太郎

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
これでは死骸も同然だ [2021年05月28日(Fri)]
レッドスーパームーンの天体ショー(5/26)から一日が過ぎても、
月は変わらずそこにある
「月々に月見る月は多けれど 今見る月はここのこの月」詠み人知らず
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夜明け前の4時半、自宅マンションのベランダから

「われらはここ 死の領域(さかい)にあり」
道を異(こと)にする人々は このことわりを知らず
このことわりを知る人々にこそ かくていさかいは止まん
「ダンマパダ」6/友松圓諦『法句経』

映画『生きる』より――
これがこの物語の主人公である
しかし 今この男について語るのは退屈なだけだ
なぜなら 彼は時間を潰しているだけだから
彼には生きた時間がない
つまり彼は生きているとは言えないからである
(…)
駄目だ これでは話にならない
これでは死骸も同然だ
いや 実際この男は20年ほど前から死んでしまったのである
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「もう… 遅い」
「いや 遅くはない」「いや 無理じゃない
「あすこでも やればできる ただやる気になれば
「 わしにも何かできる わしにも何か…」
 ♪ ハッピーバースデー アワ・グッドフレンド
 ♪ ハッピーバースデー トゥ・ユー

映画『生きる』予告編/YouTubeムービー


いのちとは時間であること。
その時間に限りがあること。
その事実を知っている人間だけが
いのちの使いかたを自分で考え、変えることができます
日野原重明『与命』

「浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」滝瓢水

――「どうせ濡れる」「いずれ死ぬ」、だからどうする?

My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like:
"If you live each day as if it was your last,
someday you'll most certainly be right
."
It made an impression on me, and since then, for the past 33 years,
I have looked in the mirror every morning and asked myself:
"If today were the last day of my life,
would I want to do what I am about to do today?
"
And whenever the answer has been "No" for too many days in a row,
I know I need to change something.
3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、
その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
もし今日が最後の日だとしても、
今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。
Steve Jobs ”Stay Hungry. Stay Foolish” June 12, 2005

毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』

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生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸

人間としての存在や人生の充実ということに関して言えば、
老いにつけ若きにつけ、
今、自分がおのれの命といかにかかわり
どのような姿勢で生きているかを問い続けるか否かが問題なのであり、
言い換えれば、毎日毎日が人生の一大事の連続なのであろう。
大西良慶、平櫛田中『人間ざかりは百五歳』

足るを知る「吾唯足知」/龍安寺
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松下幸之助のもっとも基本的で、潜在的にもっとも力強い思想は、
生涯にわたって学び続ける根源に関するものである。
重要なことは、確かな習慣と、その習慣を支える理想なのだ
彼は繰り返し人々に説いた。
謙虚な心と開かれた心を持てば
人はどんな経験からも、どんな年齢でも学べると。
人間的な大きな理想を抱けば、成功も失敗も克服し、
そのどちらからも学び、成長し続けることができると。
彼の驚異的な人生は、これらの主張の力強い証明にほかならない。
ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長
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人生とは、ひとことで言えば習慣です
習慣とは繰り返すことにほかなりませんから、
強い意志をもって臨めば、
やがて習い性となって大いに人生の助けとなります。
それは、生活に限らず、生きかた、目標のもちかた、
仕事への向かいかた、言葉の使いかたから、ふるまいまで、
行為のすべてです。その意味で、
私の人生は、まさしく習慣のたまものです。
日野原重明『与命』

行動を繰り返すと、それは習慣になります。
毎日の仕事や生活の中で、こうしてみようかな、と思ったり、
あのときこうすればよかったのではないか、と気がついたりすることが
だれにでもあるでしょう。
気づいたら、どんな小さなことでも、それをそのままにしておかない
よくないと思った悪い癖はやめる
いいと思ったことは続けてみて、それを習慣にしてしまう
毎日が「思いついたらすぐ実行」の積み重ねというわけです。
やろうと思うだけでは、やらないことと同じです。行動こそが勝負です。
日野原重明『いのちの使いかた』

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「日々是好日」


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
今ここに集注し、今なすべきをなす [2021年05月27日(Thu)]
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花びらと色と香を そこなわず
ただ蜜味(あじ)のみをたずさえて かの蜂のとび去るごとく
人々の住む村落(むら)に かく牟尼(ひじり)は歩めかし
「ダンマパダ」49/友松圓諦『法句経』

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完全に自分を忘れ、自分は何もないとわかれば、
そこに、すべてから解放された自由な自分が発見されます。
何ものからも解放された、いわゆる無心の境地です。
その時その時、その場その場に全力を注いで、あとに何も残さない
そういう自由な心境というものがわかるならば、
結局それが人生の最高のものではないかと思いますね。
山田無文・中内功『あきないと禅』

「今を生きる」 坂村真民
咲くも無心
散るも無心
花は嘆かず
今を生きる

「無心」…自分を忘れて、今ここに集注し、ただひたすら今なすべきをなすひらめき

常識にとらわれず、本質を見極め
正しい判断を積み重ねていく
ことが、
絶えず変化する経営環境の中では大切なのである。
本質追究の原則」/『稲盛和夫の実学』

常に信念を持って主体的に生きるためには、
やはり心静かに、われ何をなすべきかを考え、
そのなすべきことをひたすらなしていく
ことが大切である。
「なすべきことをなす」/『松下幸之助 一日一話』

素直な心になれば、物事の実相が見える
それに基づいて、
何をなすべきか、何をなさざるべきか
ということもわかってくる。
なすべきを行ない、なすべからざるを行なわない
真実の勇気もそこから湧いてくる。
「素直な心になること」/松下幸之助『実践経営哲学』

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「日々是好日」


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ふだんの生活のうちに実行していく [2021年05月26日(Wed)]
今朝のおはようジョグの道すがら、花を咲かせる紫陽花に、
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まこと 色うるわしく あでやかに咲く花に 香りなきが如く
善く説かれたる語(ことば)も 身に行わざれば その果実なかるべし
「ダンマパダ」51/友松圓諦『法句経』

紫陽花が咲かせているのは花のガクだから、
香りがなくても構わないですが、
ほんま、なんぼええこと学んでも「実行」せな価値なしです。自戒

何ごとも行動が伴わなければ意味はない
ドラッカー『経営者に贈る5つの質問』

理念なき行動は凶器であり、行動なき理念は無価値である。
伊丹敬之『人間の達人 本田宗一郎』

文字にしてしまえば平凡すぎるほどの、
このような当たり前の心がけ(六つの精進)を、
日々の暮らしに溶かし込むように、少しずつでいいから
堅実に実践していく
こと。
大仰な教訓を額縁に入れて飾るばかりでなく
やはりふだんの生活のうちに実行していくことが肝要なのです。
心を磨くために必要な「六つの精進」/稲盛和夫『生き方』

「一日作さざれば、一日食らわず」百丈禅師
(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)

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「日々是好日」


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
The Power of Habit(習慣の力) [2021年05月24日(Mon)]
今朝(5/24)の昇る朝日
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自宅マンションのベランダ(6階)から

今朝起きたとき、あなたはまず何をしただろうか?
(…)
「私たちの生活はすべて、習慣の集まりにすぎない」
1892年にウィリアム・ジェームズはそう書いている。
私たちが毎日行っている選択は、
よく考えた末の意思決定だと思えるかもしれないが、実はそうではない。
それらは習慣なのだ。
―― チャールズ・デュヒッグ『習慣の力「新版」』より

年齢を重ねても走り続けたいと願う私にとって、
日々のラン練習の課題は、走るペースや距離ではなく、
「いかにして力を抜いて楽に走るか」。

イメージ的には、ラジオ体操のような走りではなく、
太極拳のように力を抜いて流れるような動きで走りたい。
そんな走りを志向していたところ、
ランとはまったく関係のない本ですが、
チャールズ・デュヒッグ著『習慣の力 The Power of Habit』の
プロローグに記された一節が目に留まり、
興味を持って電子書籍で読みました。

「私が軍隊で学んだもっとも重要なことは、習慣を理解したことだ」
と少佐は言う。
世界の見方がすべて変わる
すぐに眠って朝はすっきり起きたいと思ったら、
夜のの習慣と、起きたときに無意識に何をしているかを調べてみる。
楽に走れるようになりたければ
それを習慣化するための引き金を見つける
(…)
すべてが習慣の集まりだと知ること、
それは懐中電灯とバールを手に入れるようなものなんだ。
道具があれば、問題解決のための糸口をつかめる
―― チャールズ・デュヒッグ『習慣の力「新版」』より

プロローグに続いて三部構成で、第一部は「個人」の習慣、
第二部は「企業」の習慣、そして第三部は「社会」の習慣と展開され、
ランの個別テクニックや具体的な練習方法の教示はありませんが、
それ以上に多くの教示を得ました。

たとえば、P&Gのファブリーズの商品戦略について、
本書を読むまで「習慣化」のイメージはありませんでした。

単なる繰り返し(反復)でなく
良い習慣を身につけて悪い習慣を減らしていく「習慣化」
自らの心も身体も変わって、人生が豊かになり、社会も豊かになる。

「継続は力」というより「善き習慣は力」であり、
「The Power of Dreams」というより、
The Power of Habit」かもです。

私が読んだのは、2019年7月刊行の「新版」で、
「旧版」との違いは確認していませんが、
各社の電子書籍サイトで「新版」のプロローグと第一章を読めます。
また、現代ビジネスのサイトに「旧版」の抜粋連載があります。

昨日(5/23)伊丹の荒牧バラ公園へ
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バラの花が散って「ノックアウト」ではなく、
ノックアウトというバラの品種で、病気をノックアウトのようですが、
そのネーミングにセンスの良さを感じさせないような…
(自分のセンスのなさを棚に上げて言うのもなんですが)

松下幸之助『道をひらく』より――
「何でもないこと」
何事においても反省検討の必要なことは、今さらいうまでもないが、
商売においては、特にこれが大事である。
焼芋屋のような簡単な商売でも、一日の商いが終われば、
いくらの売上げがあったのか、やっぱりキチンと計算し、
売れれば売れたでその成果を、売れなければなぜ売れないかを、
いろいろと検討してみる。
そして、仕入れを吟味し、焼き方をくふうし、サービスの欠陥を反省して、
あすへの新しい意欲を盛り上げる。
これが焼芋屋繁盛の秘訣というものであろう。
まして、たくさんの商品を扱い、たくさんのお客に接する商売においては、
こうした一日のケジメをおろそかにし、
焼芋屋ででも行なわれるような毎日の反省と検討を怠って、
どうしてきょうよりあすへの発展向上が望まれよう。
何でもないことだが、この何でもないことが何でもなくやれるには
やはりかなりの修練が要るのである。
平凡が非凡に通ずるというのも、この何でもないと思われることを
何でもなく平凡に積み重ねてゆくところから
生まれてくるのではなかろうか。

今日を懸命に生きる。今日を完全に生きれば明日が見える。
稲盛和夫『心を高める、経営を伸ばす』

とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが
そこに失敗の原因があります
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります

「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』

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「日々是好日」


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
随処作主 立処皆真 [2021年05月22日(Sat)]
人は仕事を通じて成長していくものです。
自らの心を高め、心を豊かにするために、精いっぱい仕事に打ち込む
それによって、 よりいっそう
自分の人生をすばらしいものにしていくことができる
のです。
稲盛和夫『生き方』


河合隼雄『老いるとはどういうことか』より――
34「ほんとうの供養」
 世のなかには、働きたいと思っても働けない人もいる。
身体や精神の障害があるために、なかなか働けないのである。
私がお会いする方たちのなかにはそんな人がおられる。
 病院に入院しているが、病院内での軽作業くらいならできる、
という程度の方が、次のようなことを言われた。
 自分は最近、母を亡くしたが、自分は今は何の収入もないので
母のために何かするということはできないしかし院内の作業で
入院中の老人たちのためのおむつをたたんで整理する仕事を
しているとき、そのおむつのひとつひとつを扱うのが

母への供養と思ってやっている、というのである。
 この話を聞いて、この方の母を思う気持ちの深さに心を打たれたが、
それに加えて思ったことは、その病院内で、
おそらく「寝たきり」などと言われている老人の方々が
この人の母への供養に貢献しておられる、ということである。
 何もせず寝ていて、おむつをかえてもらっているだけと思う人も
あろう。しかし、私には、そのような老人の一人一人のたましいが
母を失った人の心を慰め、その供養に日夜参加している
というイメージが見えてくるのである。
 毎日働けることはありがたいことだ。それによって
われわれはお金や物や多くのものを得ている
しかし誰かの供養のために
「ほんとうに」参加するなどということをしているだろうか


私たちが自分の人間性を向上させたいと思ったとき、
そこにむずかしい修行などは必要ありません。
ただ、ふだんのくらしの中で自分に与えられた役割
あるいは自分が行うべき営為を
――それが会社の業務であろうと、
家事であろうと、勉学であろうと――
粛々と、倦まず弛まず継続していくこと。
それが、そのまま人格鍛錬のための修行となるのです。
すなわち、日々の労働の中にこそ、心を磨き、高め、
少しでも悟りに近づく道が存在しているということです。
稲盛和夫『生き方』

山田無文・中内功『あきないと禅』より――
「菩提心とは自末得度先度他」と道元禅師の示されておられるように、
自分は後でよいから、まず他を救おうと誓うことです。ところが、
他のため、社会のため、人類のためという、その「ため」という言葉を、
(…)、
決して「ため」じゃない。相手の中に精神を集中することによって
自分を忘れてしまう
のだと思う。
花の美しさに見とれて自分を忘れる
月の美しさに見とれて自分を忘れる
(…)
この「自分を忘れる」ということ、これが仏教でいう菩提心です。
この自分を忘れる境地は、素直に相手を受け入れる境地なのです。
(…)
完全に自分を忘れ、自分は何もないとわかれば、
そこに、すべてから解放された自由な自分が発見されます。
何ものからも解放された、いわゆる無心の境地です。
会社に出たら会社のことだけ、
家に帰ったら家の事だけ、会社のことも忘れる。
飯を食う時は飯だけ、風呂に入れば風呂だけ、
その時その時、その場その場に全力を注いで、あとに何も残さない
そういう自由な心境というものがわかるならば、
結局それが人生の最高のものではないかと思いますね。


アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ(=「無私」)
He dose not consider himself
ロジャー・パルバース『英語で読み解く賢治の世界』
/岩波ジュニア新書

悪事を己に向かえ 好事を他に与え
己を忘れて他を利するは 慈悲の極みなり
「忘己利他」伝教大師

自分がなすべき仕事に没頭し、工夫をこらし、努力を重ねていく。
それは与えられた今日という一日、いまという一瞬を
大切に生きる
ことにつながります。
仕事の現場が一番の精神修養の場であり、
働くこと自体がすなわち修行なのです。日々の仕事に
しっかり励むことによって、高邁な人格とともに、
素晴らしい人生を手に入れることができるということを、
ぜひ心にとめていただきたいと思います。
稲盛和夫『生き方』

My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like:
"If you live each day as if it was your last,
someday you'll most certainly be right
."
It made an impression on me, and since then, for the past 33 years,
I have looked in the mirror every morning and asked myself:
"If today were the last day of my life,
would I want to do what I am about to do today?
"
And whenever the answer has been "No" for too many days in a row,
I know I need to change something.
3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、
その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、
今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。
Steve Jobs ”Stay Hungry. Stay Foolish” June 12, 2005

足るを知る「吾唯足知」/龍安寺
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融通がきかないからこそ、人はまた真剣にもなるのであって、
融通無碍もいいが、
融通のきかないことにもまた一徳がある。
人はさまざま。事はさまざま。いろいろと気苦労なことであるが、
人生の最後には融通のきかない一線があることを知って、
つねひごろから心がけをよくしたいもの。
こんなことはわかりきったことだが、分かり切ったことだけに、
何度も自分に言い聞かせておきたいものである。
「年の瀬」/松下幸之助『道をひらく』

「随処作主 立処皆真」臨済禅師
(ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり)

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生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸」

とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが
そこに失敗の原因があります
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります

「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』

今日を懸命に生きる。今日を完全に生きれば明日が見える。
稲盛和夫『心を高める、経営を伸ばす』

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「日々是好日」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
宅配ドライバーが走る理由 [2021年05月21日(Fri)]
今週火曜日(5/18)放送のNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』は、
ヤマトの宅配ドライバーの永澤さんでした。
「普通だけど普通じゃない」
「永澤が荷物を運べば、町の空気が変わる」
 ――「空気清浄器ですよ」
そして
「永澤は、常に、今もっとも配慮すべきことは何かをすばやく判断していた

番組の冒頭から、永澤さんが「走る」シーンの連続。
お届けする荷物を持ってお客様のもとに走り、
用が済んだらトラックまで戻るために走る

宅配ドライバーは、なぜ走るのか?
―― 仕事に追われているから
時間に追われているから
お客様に荷物を早く届けるため
お客様にご満足いただくため
生産性を高めるため

永澤さんの回答は、そのいずれでもありません。
その意識レベルの高さにガツンと一撃くらわされました。

安全運転・安全確認する時間を確保する
お客様からご要望とかご質問があったときに
 ゆとりを持って答える時間を自分で作っていく

システム導入やマニュアル化などの業務効率化の取り組みも、
永澤さんのような高い意識レベルがあって初めて「魂」がこめられる、
そう受け止めました。
普通だけど普通じゃない」に納得です。

人と人を、つなぐ
ラストワンマイルを担う永澤さんだけでなく、
ヤマトがワンチームでそれぞれが各自の役割を果たし
リレーの襷をつないで届けているのは、
単にモノとしての荷物ではなく、
モノに込められたお客様の「心」と「心」が通い合う

苦労の数だけ、笑顔に変わる
自分が苦労した分だけ、お客さまや共に働く仲間が苦労が減り、
そして笑顔に変わり、みんなの笑顔に自分も笑顔になれる。
番組を通じてその姿が映し出されていましたが、
永澤が荷物を運べば、町の空気が変わる
「空気清浄器ですよ」に納得です。

「頑張ってはいるんですけど、
それがお客さんから大変そうだなとか、
忙しそうだからっていうのはマイナスしかないと思う
ので、
お気軽にお声がけもしてほしいですし、
お客さんが「あぁ よかった」ぐらいでいいっす。
「あぁ よかった」って思ってもらえればいい、
そういうふうに思ってやってますね」

無有虚偽諂曲之心 和顔愛語 先意承問/『無量寿経』
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嘘偽り(うそいつわり)や自分の気持ちをまげて媚び諂う(こびへつらう)心なく
和らかな表情と愛情ある言葉で接し(にこやかに微笑んで、やさしく話し掛ける)
相手の意を承って問いただす(相手の心持ちを先んじて知り、その思いを満たす)

実のところ、永澤さんの気配りや心配りは半端なく(普通じゃない)、
色々とご苦労されているのですが、
その苦労にやらされ感や自己犠牲なんて微塵も感じさせないし、
お客さまはそんな永澤さんと会えるのを心から楽しみにしておられるし、
共に働く仲間もお互いに協力し合って生き生きと働いておられる
間違いなく、プロの仕事であり、プロの仕事人です。
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「笑門来福」

番組では、かつて永澤さんが屈折されていた頃のことも紹介されますが、
その永澤さんが、宅配ドライバーの仕事に出会って、
仕事を通じて「心」が磨かれて高められていく

宅配ドライバー永澤さんの満面の「笑顔」には、
日々お客様と接する現場で鍛え抜かれた人間の「美しさ」を感じました。

たまたま、日曜(5/16)の夜に、NHKのBS1で
「何も求めず ただ座るだけ〜自給自足の禅寺 安泰寺の1年〜」に続いて
「永平寺 禅の世界」の再放送と、厳しい禅修行のドキュメンタリーを見ましたが、
厳しい修行とはいえ、所詮は寺の中でのことです。

宅配ドライバー永澤さんの素晴らしい「満面の笑顔」を見て、
自分の仕事がエッセンシャルワーカーか、
ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)に関係なく、
日常の仕事や生活こそが修行」であり、
その意味で「日々自分が試されている」と受け止めました。

以下、松下幸之助『道をひらく』より――
「心を高める」
禅の修業はなかなかきびしい。
ちょっと身じろぎでもすれば、たちまちパンパンと警策がお見舞いする。
痛いとも言えないし、苦しいとも言えない。
きびしい戒律にとりかこまれて、箸の上げ下げすらも自由でないのである。
自堕落になれた人間には、瞬時もがまんならないであろう。
しかしこのきびしい戒律も、回を重ね、時を経るに従って、
それがしだいに苦痛でなくなってくる。
戒律を戒律と思う間は苦痛である
しかし、その戒律がいつしか身につき、
日常坐臥に自然のふるまいとなってあらわれる時
もはやそれは苦痛ではない
そして、このきびしさを苦痛と感じなくなったとき
そこからきたえぬかれた人間の美しさがにじみ出てくるのである。
人間は本来偉大なものである。みごとなものである。
しかしそのみごとさは、放っておいてはあらわれない。
易きにつくのが人間の情であるとしても
易きがままの日々をくりかえすだけならば
そこにはただ、人間としての弱さが露呈されるだけであろう。
おたがいに与えられた人間としての美しさをみがきあげるために、
きびしさを苦痛と感じないまでに心を高めたい
ものである。

「心の鏡」
自分の身なりを正すためには、人はまず鏡の前に立つ。
鏡は正直である。ありのままの姿を、ありのままにそこに映し出す。
自分のネクタイは曲がっていないと、がんこに言い張る人でも
鏡の前に立てば、その曲直は一目りょうぜんである。
だから人は、その誤ちをみとめ、これを直す。
身なりは鏡で正せるとしても、
心のゆがみまでも映し出しはしない。
だから、人はとかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。
心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが
けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随処にある
自分の周囲にある物、いる人
これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である
すべての物がわが心を映し
すべての人が、わが心につながっているのである
古えの聖賢は「まず自分の目から梁を取りのけよ」と教えた。
もうすこし、周囲をよく見たい。
もうすこし、周囲の人の声に耳を傾けたい。
この謙虚な心、素直な心があれば、人も物もみなわが心の鏡として、
自分の考え、自分のふるまいの正邪が、
そこにありのままに映し出されてくる
であろう。

「何でもないこと」
何事においても反省検討の必要なことは、今さらいうまでもないが、
商売においては、特にこれが大事である。
焼芋屋のような簡単な商売でも、一日の商いが終われば、
いくらの売上げがあったのか、やっぱりキチンと計算し、
売れれば売れたでその成果を、売れなければなぜ売れないかを、
いろいろと検討してみる。
そして、仕入れを吟味し、焼き方をくふうし、サービスの欠陥を反省して、
あすへの新しい意欲を盛り上げる。
これが焼芋屋繁盛の秘訣というものであろう。
まして、たくさんの商品を扱い、たくさんのお客に接する商売においては、
こうした一日のケジメをおろそかにし
焼芋屋ででも行なわれるような毎日の反省と検討を怠って
どうしてきょうよりあすへの発展向上が望まれよう
何でもないことだが、この何でもないことが何でもなくやれるには、
やはりかなりの修練が要る
のである。
平凡が非凡に通ずるというのも、この何でもないと思われることを
何でもなく平凡に積み重ねてゆくところから
生まれてくるのではなかろうか。

今日を懸命に生きる。今日を完全に生きれば明日が見える。
稲盛和夫『心を高める、経営を伸ばす』

とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが
そこに失敗の原因があります
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります

「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』

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「日々是好日」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

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横田慎太郎『奇跡のバックホーム』 [2021年05月16日(Sun)]
横田慎太郎さんの『奇跡のバックホーム』を読みました。
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色々なことが思い出されて胸が熱くなります。
本を読んで、あらためて
横田慎太郎さんと出会えたことを心から嬉しく思います。
ご縁を導いてくださった神様に心から感謝です。

「病気になってよかったこともある」
「僕がやらなければならないのはこれなんだ!」
「僕の人生は、また新たに始まったばかり」

横田慎太郎は青虫からサナギを経て蝶になった
本を読み終えてそう思いました。
突然の病に倒れて沖縄キャンプを離脱するまでは野球漬けの「青虫」、
そして甲子園で再び大暴れすることを目指して苦闘の日々を経て、
あの「奇跡のバックホーム」で「蝶」になった。

「野球のおかげでいまの自分があるわけで、野球に対して感謝しかない」
けど「引退試合以来、一度もボールを投げてないし、
ボールもバットもグローブも部屋になく、
タイガース時代に使っていた用具は全部実家に送りました」。

青虫と蝶では、DNAは同じでも、その住む世界や生き方は違うように、
横田さんの生き方や考え方は大きく変わられたようで、
蝶になられた横田さんは(今までとは別の形で)
多くの人に勇気と希望の光を照らしていかれることでしょう。
今後のご活躍が楽しみです。
お身体に気をつけて頑張ってください。

「鳥は飛ばねばならぬ」 坂村真民
鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ
怒涛の海を 飛びゆく鳥のように
混沌の世を 生きねばならぬ
鳥は本能的に 暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も 一寸先は闇ではなく
光である
ことを知らねばならぬ

新しい年を迎えた日の朝 わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ

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闇があるから 光がある
苦があるから 楽がある
闇を生かせ 苦を生かせ
「闇と苦」坂村真民

闇があるから光がある
そして闇から出てきた人こそ
本当に光のありがたさがわかるんだ。
小林 多喜二

人生いつも順風満帆というわけにはいかない。
人生順調な時があり、不遇な時がある。
不幸に見える時があり、幸福に見える時がある。
いずれにしても絶望する必要もなければ有頂天になる必要もない
いつの日も光は私たちのすぐ隣にあると信じたい。
三浦綾子『小さな一歩から』

一寸先は闇でも、
その一寸先には光がある

いつも前を見て、倒れるときも前のほうに倒れる
そんな生き方を理想に、生きていきたい。
やなせたかし『明日をひらく言葉』

光は闇の中で輝いている
闇は光に勝たなかった。

ヨハネによる福音書 1:5/『聖書協会共同訳 新約聖書』


「二度とない人生だから」 坂村真民
二度とない人生だから
一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう
貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日 まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの 星星の光にふれて
わが心を洗い清めてゆこう
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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
敬意と思いやる心で先意承問「先義後利」 [2021年05月05日(Wed)]
何事でも感謝の心を持つことが大切だということだと思います。
感謝の心を持てば、それはいろいろな形になって自分に返ってきます
その自分に返ってくることを期待して
感謝の心を持つというのではいけません
が、
自分の置かれた立場なり他人からの恩恵なりに素直に感謝できる人、
言いかえれば喜びを知る人というのは、非常にしあわせな人だと思います。
これは、商売に限らず、私たちの人生すべての面にもあてはまる
人間としての大事な基本と言えるのではないでしょうか。
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』

「感謝の心」を持てば、自分に「利他〜ん」ぴかぴか(新しい)
「喜びを知る人」というのは、非常にしあわせな人
★人の喜びが、自分の喜び
★人の悲しみは、自分の悲しみ
――「己を殺す」や「自己を捨てる」は、我慢や自己犠牲の世界ではなく
友愛と共感の世界(お返しや施しを求めず、人のためにつくす)
「己れを忘れて他を利する(忘己利他)は 慈悲の極みなり」最澄

君たちは、いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない
自分に厳しく、相手にはやさしく、という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
司馬遼太郎『21世紀に生きる君たちへ』


心を穏やかにさせるには思いやりを持つことが大事である。
一切の私心をはさまずに物事にあたり、人に接するならば、
心は穏やかで余裕を持つことができるのだ。(渋沢栄一)
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千里の氏神さま、上新田天神社にて

心に余裕がないと思いやりの心は持てないと思うのですが、
そこが凡人の浅はかさ、渋沢栄一との違いか。

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「思いやる心」
(…)
人と人とを互いにつなぐものは、お互いに相手のことを思いやる心。
ちょっとしたことにも、思いやる心から泉がにじみ出る

そのうるおいがなくなったとき、
人と人との間は、パサパサのポクポク。
こまかいこまかい土の粒子のような、
何のつながりももたない人間の寄り集まりになって、
ちょとしたことにも、個々バラバラに舞いあがる。
どっしりとした大地を支えるものは水。
どっしりとした人間の共同生活を支えるものは、他を思いやる心
世の中がどんなに変わ っても、お互いに
この心の泉までも枯らしたくないと思うきょうこのごろである。

和顔愛語、先意承問(わげんあいご、せんいしょうもん)
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言葉とともに描かれた阿弥陀三尊が心を和ませてくれます。
(中央に阿弥陀如来、その脇に観音菩薩と勢至菩薩)

―― 無有虚偽諂曲之心、和顔愛語、先意承問『無量寿経』
虚偽諂曲〈こぎてんごく〉の心あることなく、和顔愛語して、先意承問す。
嘘偽りや自分の気持ちをまげて媚び諂う心なく
和らかな表情と愛情ある言葉で接し
にこやかに微笑んで、やさしく話し掛ける
相手の意を承って問いただす
相手の心持ちを先んじて知り、その思いを満たす


先月末、ブラインドサッカーOFFT!MEから、
オンライン開催のセミナー(4/30)の案内が届きました。
その案内で、ブラサカとは別のもう一つの視覚障がい者サッカーとして、
弱視の選手で構成される「ロービジョンフットサル」を知りましたが、
案内本文に先立って記された注意書きに感心させられました。

「音声読み上げでの操作など、
 本画面からのお申込が難しい場合はメールにてご連絡ください」に続いて
「当日は字幕を出すため、聴覚に不安がある方もご参加いただけます」です。

セミナーの主な対象は、目が見えない人や見えにくい人と思われますが、
視覚障害の方だけでなく、聴覚にハンディのある方にも配慮されて、
しかも、その記述が開催案内の最後の付け足しでなく
本文に先立って案内のしょっぱなに記載されていました。

素晴らしいです。今まで気づかなかっただけかもしれませんが、
こんな案内に出会ったのは初めてです。

突然ですが、クイズです。
学校の教室で黒板は東西南北どちらにありましたか?
小学校は?、中学校は?、高校は?
なぜ、そうなのでしょう?
法律で決められているからですか?

3月に放送のNHK土曜ドラマ『きよしこ』に深い感銘を受け、
ドラマ原作の重松清さんの『きよしこ』、
そして『青い鳥』を読みました。
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『きよしこ』は、NHKのドラマで取り上げられた3編だけでなく、
7編いずれの話も心に深く感じ入る話でしたが、
個人的には『北風ぴゅう太』が何より心に沁みました。

小学校卒業のお別れ会で演じる劇の台本を読んだ先生が、
「おまえはお話をつくるんはうまいけど、
 まだ大事なことがわかっとらん」
「通行人Aやら通行人Bやら、なんじゃ、それは。
 おまえ、世の中に『通行人』という名前のひとがおる思うんか?」
「あたりまえじゃろが、通行人いうても、このお話の中でたまたま
 脇役じゃったいうだけで、そのひとにとって自分が主人公なんよ。
 そうじゃろ? みんながほんまは主人公で、たまたま
 お話の中で主人公と脇役に分かれただけのことよ。それを
 忘れたらいけん。せめて名前ぐらい、しっかり付けちゃらんか」

一人ひとりがドラマの「主人公」で、
その瞬間瞬間がドラマの「本番」、ということでしょうか。
今まで、通行人という配役に疑問を持ったことは一度もないです。

そして、先ほどのクイズは『青い鳥』を読んで初めて知りました。

クイズの答えは、黒板の位置は西側で、南側は窓です。
その理由は、ノートを書くときに手元が影にならない配慮とのこと、
ならば、右利きはそれでいいとして、左利きは手元が影になる、
それでいいのかと、吃音の村内先生の問いかけが続きます。

私自身、コロナワクチンの高齢者先行接種の対象で、
65年近く人生やってきて、今まで、黒板の向きを意識したことなく、
なぜそうなのかまったく疑問を抱くことなく、
カンペキに思考停止でした。

ネットで拾った情報で真偽は確認していませんが、
法律で定められていることについてこんな情報がありました。
―― 明治28年の「学校建築図説明及設計大要」に
「教室ノ形状ハ長方形トシ室ノ方向ハ南又ハ西南、東南トシ
 凡テ光線ヲ生徒ノ左側ヨリ採ルヲ要ス」とあり、
これが左側に窓がある教室が多い理由のようです。

明治の時代の因習がそのまま引き継がれているだけなのか、
今どきは太陽より目に優しい光線あるし、
右利きか左利きかに関係なく影にならんこともできるでしょうし、
教室の形も長方形にこだわる必要ないかも。
いやいや、常識に囚われて、疑問を持たず、思考停止です。

みんな囚われすぎだ!と思うんですよね。
余談ですけど「囚」って怖い字ですよね。
人が常識に包囲されているようだ……。
澤田智洋『ガチガチの世界をゆるめる』

松下幸之助『道をひらく』より――
「なぜ」
こどもの心は素直である。
だからわからぬことがあればすぐに問う。「なぜ、なぜ」と。
こどもは一生懸命である。熱心である
だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。
考えて納得がゆかなければ、どこまでも問いかえす。
「なぜ、なぜ」と。
こどもの心には私心がない。とらわれがない
いいものはいいし、わるいものはわるい。
だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。
こどもはこうして成長する。
「なぜ」と問うて、それを教えられて
その教えを素直に自分で考えて、さらに「なぜ」と問いかえして
そして日一日と成長してゆくのである。
大人もまた同じである。
日に新たであるためには、いつも「なぜ」と問わねばならぬ
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、
「なぜ」と問うタネは随所にある

それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く
十年一日の如き形式に堕したとき
その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。

素直な心になれば、物事の実相が見える
それにもとづいて、
何をなすべきか、何をなさざるべきかということも分かってくる。
なすべきを行い、なすべからざるを行わない真実の勇気
そこから湧いてくる。さらには、
寛容の心、慈悲の心というものも生まれて、
だから人も物もいっさいを生かすような経営ができてくる。
また、どんな情勢の変化に対しても、柔軟に、融通無碍に順応同化し、
日に新たな経営も生み出しやすい。ひと言でいえば、
素直な心はその人を、正しく、強く、聡明にするのである。
「素直な心になること」/松下幸之助『実践経営哲学』

NHK土曜ドラマ『きよしこ』に深い感銘を受けたのがきっかけで、
新潮社のサイト「考える人」で『きよしこ』の原作者の重松清さんと
『吃音』の作者の近藤雄生さんの対談記事を読んで関心を持ち、
近藤雄生さんの『吃音』を読みました。
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エピローグの最後の最後――
だがそれでもなお、どもることは苦しい。
当事者に、重く、執拗に、のしかかる。
70代で吃音のある男性が、ある日羽佐田竜二のもとを訪ねてきた。
吃音を治すための訓練をしたいと言ったという。
羽佐田は答えた。年齢を考えれば、
これからの人生の時間を訓練に使うより、吃音があるままでも
ご自分のしたいことに使う方がいいのではないですか、と。
するとその男性はこう言った。
「残り、時間が……、少ないから、こそ、私は、訓練をしたいんです。
 死ぬ、までに、どうしても、思うように、話すという経験、を、
 してみたいの、です」
おそらくこの言葉にこそ、100万人の人たちの思い
詰まっているのではないかと思う。

本書のあとがきで、近藤さんは、
「吃音は個性である」という考え方に対して、
個性だと一般化することには慎重であるべきだと考える。
個性として社会に認識されれば
困っている人たちの問題を解決する手段が奪われかねない
個性とは思えずに苦しんでいる人たちの気持ちこそ、
より知られるべきだと私は思っている」
と書いておられますが、
本書を読み終えて共感し、近藤さんの主張に同意です。

考えてみれば、今まで、とくダネ!の小倉智昭さんとか、
田中角栄さんとか、映画『国王のスピーチ』のジョージ6世とか、
マリリン・モンローやブルース・ウィリスとか、
そして最近では、バイデン大統領とか、
吃音を克服して活躍したり吃音でも頑張っている著名人の話を
見聞きすることが多かったです。

吃音でもその症状は人それぞれでしょうし
抱える悩みや問題は違って当然のことにも関わらず、
世間の多くは(私も含めて)それらの個々に寄り添おうとしないで、
困難を克服した偉人たちの姿を持ち出して、
「頑張れば困難は克服できる、克服できないのは弱い、ダメだ」と
十把一絡げにステレオタイプ化した意見を展開していたように思います。
自戒です。

先月末に発刊の文庫版には、重松さんの解説あり、
近藤さんの「文庫版あとがき」も秀逸で、いずれも読む価値あり。

文庫版あとがきの最後の最後――
思うように言葉を発せられないことが、
いかに少年の人生を翻弄してきたかを想像する。
そしてこれからの彼の人生に、どのように影響していくだろうかを。
彼が、また彼のように苦悩する少なからぬ人が、
吃音にとらわれずに生きられる社会であってほしいと思う。
そうした社会に少しでも近づくのに、
本書がわずかにでも力になるものでありえたらと、
いま心から願っている。

重松さんは、文庫版の解説の冒頭で、
書店でのトークイベントのことを書いておられるのですが、
「そのイベントには小さな工夫が凝らされていた」で始まります。
そして話が展開された後
「冒頭の一文を訂正する。
 どうやら僕は言葉の選び方を間違えてしまったようだ。
 そのイベントには、吃音の当事者に寄せる小さな配慮があったのだ」

重松さんの解説を読むと、トークは二部構成で、
前半と後半の間の休憩時間に質問や感想を書いていただいたところ、
受付時の配慮に驚くと同時に感謝したという意見が複数あったとのこと。
後半のトークで、そのことを重松さんが近藤さんに紹介すると、
最初に京都でトークイベントした時はそこまで考えが及ばず、
会場の雰囲気から困った方がおられたのを察して申し訳なく思った反省から、
今回はそのようにされたとのこと。
一度やって、反省点を見つけ、次に生かし、それを素直に打ち明けられる。
「うれしかった。
 そうか、『吃音』は、こういう人柄の書き手によって綴られたんだな…」

上からの指示や横を向いて右へならえでなく、
当事者に寄り添う小さな配慮や工夫」が世の中を大きく変える、
と受け止めました。
マイノリティデザインは、人数的に少数派ということだけでなく、
当事者にとって「かけがえのない」小さな配慮や工夫でもあるのでしょう。


★問題(gap)は一律でなく、多様(バラバラ)
★敬意と思いやりの心で「個」に寄り添う
★個々の課題(next action)は、社会の課題
★個々の小さな課題に取り組むことで社会は良くなる
★課題に取り組むのは我われ一人ひとり(他人事ではない)

私たち、重度障害者の存在価値とはなんでしょうか。
私は、「価値のある人間と価値のない人間」という区別や
優劣、順位があるとは思いません。
価値は、人が創り上げるもの、見出すものだと信じているのです。
価値を創り出しているのは人の心です。
これは、唯一人間にのみ与えられた能力だと思います
あるのは、『価値のある人間・ない人間』という区別ではなく
価値を見出せる能力のある人間・ない人間』という区別です。
(海老原宏美さんが東京都知事に宛てた手紙)

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「無限の宝庫」
この世の中に存在するものは、一つとしてムダなものはない
ムダだと思うのは、その活かし方、使い方を知らないだけ
活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる
ムダだ、マイナスだと頭をかかえてばかりいたら、
不満に心が暗くなり、せっかくの天与の贈物も猫に小判。
黄金は、猫にとっては何の役に立たない無用の物かもしれないが、
その活かし方を知っている人間にとっては、天下の大宝。
その価値を知らぬ猫の愚を笑いたくもなるが、
笑ってばかりもいられないのがお互いの姿であろう。
無用と思われていたカビのようなものでも、
これを有効に使えば、貴重な働きをすることがわかってきた今日、
この世の中はまさに無限の宝庫である。すべての物はもちろんのこと
マイナスでしかない人間など、本来この世にあろうはずがない
お互いに、もうすこし謙虚でありたい。もうすこし勇気をもちたい。
そして、もうすこし寛容の心を持って、
すべての物が、すべての人が、時と処を得て
その本来の値打ちが活かされるようつとめたいものである。

◆誰もが、思いやりといたわりの心で人と接することができる社会を
築いていきたい。
/小泉内閣メールマガジン(第39号)2002/3/21/首相官邸

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春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」佐藤一斎『言志後録』33
(しゅんぷうをもってひとにせっし、しゅうそうをもってみずからつつしむ)

今年もツバメの巣づくりが始まっているようです。
まだ、ひな鳥の姿は見えませんが・・・
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始発前の阪急電車の某駅にて

糸賀一雄の最後の講義「愛と共感の教育」より――
よほど、「この子らを世の光に」という言葉のもつ重い意味を
お話になりたかったのでしょう。
その「を」が「に」と逆になれば、この子どもたちは
憐れみを求める可哀そうな子どもになってしまいます。
しかし、この子らは、みずみずしい生命にあふれ、
むしろまわりの私たちに、そして世の人々に、
自分の生命のみずみずしさを気づかせてくれる
素晴らしい人格そのものである
のだということを、
おっしゃりたかったのだと思います。
この子らこそ「世の光」であり、「世の光」たらしめるべく
私たちは努力せねばならないのだということを、
園長先生は最後に、そして一番訴えられたかったのでしょう。
◆「この子らを世の光に」/滋賀県ひらめき

『小倉昌男 経営学』より――
私が唱える「サービスが先、利益が後」という言葉は、
利益はいらないと言っているのではない。
先に利益のことを考えることをやめ
まず良いサービスを提供することに懸命の努力をすれば
結果として利益は必ずついてくる。それがこの言葉の本意である。
利益のことばかり考えていれば、
サービスはほどほどでよいと思うようになり、
サービスの差別化などはできない。となると、収入も増えない。
よって利益はいつまでたっても出ない。
こんな悪循環を招くだけである。
つまり、どちらを先に考えるかで、結果は良くも悪くもなる
経営には常にトレードオフ(二律背反)の問題がある。
それに対する正しい対応を考えるのが、経営者の大きな責任である

福井くん、この患者さんは何階に住んでますか?
医師の言葉のかけ方や振る舞いによって、
患者さんが心を開くかどうかは違ってくるのです。
医師の多くは、どういう病名なのかをすぐに探りたくなってしまう。
体調についてのチェックリストを問いただしてしまう。
これは充分に気をつけなければなりません
目の前に「病気がある」のではなく、「病む人間がいる」
そういう考えを根本に持ち、
若い医師はこれから日々学び、実感してほしいと思います。
医師と患者という関係だけでなく
医師である前にひとりの人間として
患者さんに寄り添わなければなりません
『日野原重明 100歳』

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
相手も生き、自己も生きる「自利利他」 [2021年05月04日(Tue)]
Weak Is the New Strong
あなたが持つマイノリティ性 =
「苦手」や「できないこと」や「障害」や「コンプレックス」は
克服しなければならないものではなく、生かせるものだ。
だれかの弱さは、だれかの強さを引き出す力だから。
すべての「弱さ」は、社会の「伸びしろ」ぴかぴか(新しい)
澤田智洋『マイノリティデザイン』

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表紙カバーには「点字」表記で「マイノリティデザイン」
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松下幸之助『道をひらく』より――
「生かし合う」
人間の生命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。
ところが、自分の生命の尊いことはわかっても
他人の生命もまた尊いことは忘れがちである
ともすれば私心に走り私利私欲が先に立つ。
つまり、自分にとらわれるということで、
これも人情としてやむをえないことかもしれない。
しかし、これではほんとうに、
おたがい相互の繁栄は生まれないであろう。
人間本来の姿は生かされないであろう。
やはり、ある場合には自己を没却して、まず相手をたてる
自己を去って相手を生かす
そうした考えにも立ってみなければならない。
そこに相手も生き、自己も生きる力強い繁栄の姿がある
尊い人間の姿がある
自己を捨てることによってまず相手が生きる
その相手が生きて、自己もまたおのずから生きるようになる
これはいわば双方の生かし合いではなかろうか。
そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる
おたがいに、ひろく社会の繁栄に寄与するため、
おたがいを生かし合う謙虚なものの考え方を養いたい

新人は誰でも失敗しますが、
障がい者は、その期間がちょっと長めなのです。
それをどうとらえるかが組織の文化。障害を持った人を
招き入れることが、組織全体のパフォーマンスと矛盾しない

それがダイバーシティーです
アイデアも増えるし、多様性があった方がいい

「天台宗・一隅を照らす運動」より――
一人ひとりがそれぞれの持ち場で最善を尽くすことによって、
まず自分自身を照らします
そしてこれが自然に周囲の人々の心を打ち、響いていくことで
他の人々も照らしていきます
そうしてお互いに良い影響を与え合い
やがて社会全体が明るく照らされていきます
「一隅を照らす」ということは、各々の仕事や生活を通じて
世のため人のためになるように努力実行することで
お互いが助け導き合い、あたたかい思いやりの心(仏心)が
自然と拡げられていく
のです。

私たちは、いつも障害の前におかれていたんです。
心身障害とか、精神薄弱とかいわれる人々とわたしたちが、
実は根が一つなんだ、
本当に発達観から見て根っこが一つだという共感の世界を、
理屈の上でもせめて共感の世界というものの根拠があることを、
わたしたちは知りたいと思います。
糸賀一雄の最後の講義「愛と共感の教育」

糸賀一雄の最後の講義「愛と共感の教育」より――
よほど、「この子らを世の光に」という言葉のもつ重い意味を
お話になりたかったのでしょう。
その「を」が「に」と逆になれば、この子どもたちは
憐れみを求める可哀そうな子どもになってしまいます。
しかし、この子らは、みずみずしい生命にあふれ、
むしろまわりの私たちに、そして世の人々に、
自分の生命のみずみずしさを気づかせてくれる
素晴らしい人格そのものである
のだということを、
おっしゃりたかったのだと思います。
この子らこそ「世の光」であり、「世の光」たらしめるべく
私たちは努力せねばならないのだということを、
園長先生は最後に、そして一番訴えられたかったのでしょう。
◆「この子らを世の光に」/滋賀県ひらめき

人の喜びが、自分の喜び
人の悲しみは、自分の悲しみ
――「己を殺す」や「自己を捨てる」は、我慢や自己犠牲の世界ではなく
友愛と共感の世界(お返しや施しを求めず、人のためにつくす)
「己れを忘れて他を利する(忘己利他)は 慈悲の極みなり」最澄

君たちは、いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない
自分に厳しく、相手にはやさしく、という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
司馬遼太郎『21世紀に生きる君たちへ』

◆誰もが、思いやりといたわりの心で人と接することができる社会を
築いていきたい。
/小泉内閣メールマガジン(第39号)2002/3/21/首相官邸

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春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」佐藤一斎『言志後録』33
(しゅんぷうをもってひとにせっし、しゅうそうをもってみずからつつしむ)

何事でも感謝の心を持つことが大切だということだと思います。
感謝の心を持てば、それはいろいろな形になって自分に返ってきます
その自分に返ってくることを期待して
感謝の心を持つというのではいけません
が、
自分の置かれた立場なり他人からの恩恵なりに素直に感謝できる人、
言いかえれば喜びを知る人というのは、非常にしあわせな人だと思います。
これは、商売に限らず、私たちの人生すべての面にもあてはまる
人間としての大事な基本と言えるのではないでしょうか。
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』

感謝の心を持てば、自分に「利他〜ん」ぴかぴか(新しい)
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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
マイノリティデザイン [2021年05月03日(Mon)]
いつも言っているように、最大の敵は自分なんだ。
前に、禅宗の坊さんたちに「己を殺せ」と言った話をしたけれど、
あれは「禅」じゃなくて人生の極意なんだ。
自分を殺すそこから自分が強烈に生きるわけだ。
それがほんとうに生きることなんだ。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』

「最大の敵は自分」「自分を殺す」
―― 自分と「命懸けの真剣勝負」で闘って瞬間瞬間に生きる位置情報ということか


瞬間、瞬間に、生きる。岡本太郎
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岡本太郎『自分の中に毒を持て』

岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
人間だれでもが身体障害者なのだ。
たとえ気どった恰好をしてみても、八頭身であろうが、
それをもし見えない鏡に映してみたら、
それぞれの絶望的な形でひんまがっている。しかし人間は、
切実な人間こそは、自分のゆがみに残酷な対決をしながら、
また撫でいたわりながら、人生の局面を貫いて生き、進んでいくのだ

人間はたしかに他の動物よりも誇りをもっているかもしれない。
しかしその誇りというのは奇怪な曲折を土台にしている。
悲しみ、悔い、恥じる。あるいは無言に、また声をあげて。
しかもそれも人生の一つの歌にすぎない。
自分のひそかな歪みにたえながら、それを貫いて生きるしかない。
そして救われたり、救われなかったり。
目をこらして見れば、それがあらわに
人間生活の無限のいろどりになっているのが見えるだろう。

私が岡本太郎さんの『自分の中に毒を持て』を読んだのは2012年のGW、
今から9年前のことです。
同年4月放送の「情熱大陸」に出演された安藤美冬さんが、
集英社を辞めてフリーになるか迷っていた時にこの本に出合って、
「安全な道を取るか、危険な道を取るか、迷ったら、危険な道を選べ」に
背中を押されて辞める決断をしたと語られたのを見たのがきっかけです。

当時55歳だった私は、監査法人を辞めて独立して20年あまりでしたが、
GWの旅の供にこの本を読んで強烈なインパクトを受けました。
こんな甘ちょろい生き方でいいのか、
もっと真剣に命がけで生きないでどうする、
と、厳しい叱咤激励を受け止めて心を入れ替えたはずが…
相変わらず、雑事にかまけて惰眠を貪り、ただ馬齢を重ねるだけ。
お粗末なことです。

そんな私が9年ぶりに岡本太郎さんのこの本を再読したきっかけは、
澤田智洋さんの『マイノリティデザイン』。
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Weak Is the New Strong
―― あなたが持つマイノリティ性 =
「苦手」や「できないこと」や「障害」や「コンプレックス」は、
克服しなければならないものではなく、生かせるものだ。
だれかの弱さは、だれかの強さを引き出す力だから。
すべての「弱さ」は、社会の「伸びしろ」ぴかぴか(新しい)

今日死んでもいいように、すべてを出し切った「へなちょこ野郎の奮闘記」

表紙カバーには「点字」表記で「マイノリティデザイン」です。
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この本の冒頭のカラー写真ページに、
岡本太郎さんの『自分の中に毒を持て』から引用されていて、それが
本日紹介した「人間だれでもが身体障害者なのだ。」から始まる部分です。

実のところ、9年前に読んだ岡本太郎さんの本には、
随所に線引きやしおり代わりの折れがあるのに、
本日紹介した部分には線引きなどなく、
澤田さんの本の引用を読んでも、
えっ?て感じで思い出せませんでした。

本書の「謝辞」より――
働くことがこんなにも楽しいことだなんて
 みなさんと出会うまで知りませんでした。」
「家族が僕を、僕にしてくれました
 一緒に幸せになりましょう。」

読み終えて、澤田さんは「良い仕事をされている」と思いました。
かつてはコピーライターとして
「強いものを、より強くする仕事」をされてきたのが、
息子さんの視覚障害を転機にパラダイム転換
お客様にとって、家族にとって、社会にとって、
そして何より自分自身にとって「良い仕事」をされて、
その仕事で、自分も、そして周りも、みんなが光り輝いている。
まさに「自利利他円満」です。

転機になったのが息子さんの障害ですから
「万事塞翁が馬」、何が良いことか悪いことかわらかない。
日々是好日」です。
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澤田さんの『マイノリティデザイン』を知ったきっかけは、
フェリシモさんの神戸学校で、
開催案内のメールに記された澤田さんのメッセージに興味を持ち、
澤田さんの『マイノリティデザイン』を買い求めて読みました。

そして、澤田さんの『マイノリティデザイン』を読んだおかげで、
岡本太郎さんの『自分の中に毒を持て』を9年ぶりに再読し、
惰眠を貪っていた私の魂は再び激しく揺さぶられて覚醒です。

澤田さんが説く仕事の三つの方向性にも共感し、同意です。
@本業で得た力を、本業以外に生かす
Aだれかではなく、あなたのために
B使い捨てのファストアイデアでなく、持続可能なアイデア
そして、
★「一瞬」より「一生」を。「楽しい」より「うれしい」を。
★「SDGs」の外へ。18番目の目標は自分の中にある。
などなど共感するメッセージ多々あり。

4月24日開催の神戸学校での澤田さんのお話もよかったです。
お話を聞いて「良い仕事をされている」とさらに強く感じました。

★「SMALLの中にALLがある」
名だたる大企業が、ボランティアでなく、
ビジネスとして取り組まれているのも納得です。

★「NIN_NIN」
寝たきりの人が視覚障害者の目になり、
視覚障害者が寝たきりの人の足になるボディシェアリングロボット。
忍者のような格好で肩に乗っているので「忍」かと思っていたら
「人」とのこと。人と人をつないで「人_人」。なるほど!

翌日(4/25)放送のがっちりマンデーに登場の各社も、
いずれも社会の課題に向き合ってがっちりでした。
森永卓郎さんが「WIN WIN WIN」と言われていましたが、
その中身は「人_人_人」ということでしょう。
マス(だれか)ではなく、
特定の個(あなた)が抱える「問題」と向き合って、
「課題」に取り組んで「価値」を高めて輝かせる、と受け止めました。
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渡辺 一史『なぜ人と人は支え合うのか』
◆精神的に自立する/2019.2.19

★「ビジネスの成長より、人間の成長を」
ビジネスの成長は数字を追い求めがちですが、
人間の成長、とくに心を高めて魂を成長させることによって、
その結果としてビジネスが成長する、という図式でないと
持続可能性は果たせない、と受け止めました。
数字の世界に生きる一人として今後の課題です。

★「SPEED」「STRONG」「SHORT」から
 「SLOW」「SMALL」「SUSTAINABLE」へ
このパラダイム転換を受け入れるか、それがとも否定するか、
どう判断して、どう行動するか、が問われる、と受け止めました。

★生産性から「必要性」「波及性」へ
LGBTは生産性がないと主張する国会議員や
知的障害者福祉施設の大量殺人事件の容疑者のような人にとって、
生産性が低かったりなかったりすれば必要性なしになるのでしょうが、
そんな短絡的な話ではありません。

本書の「おわりに」に、澤田さんは
「無駄だと思っていた時間は10年後に効いてきた」と記されていますが、
そのためには、正しい方向に舵を取り、結果を求めることなく、
「日一日の瞬間瞬間を光り輝かせていく」ことが肝要、と受け止めました。


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生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸

明日がある
あさってがあると
思っている間は
なんにも ありはしない

かんじんの「今」さえないんだから。
(東井義雄)

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

Connecting the Dots.(点と点をつなげる)
将来をあらかじめ見据えて、
点と点をつなぎあわせることなどできません

できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。
だから、我々は、今やっていることが
いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶと信じるしかない。
Stay Hungry. Stay Foolish.(Steve Jobs)

朝に種を蒔き
夕べに手を休めるな

うまくいくのはあれなのか、これなのか 
あるいは、そのいずれもなのか 
あなたは知らないからである。
コヘレトの言葉 11:6/日本聖書協会『共同訳 旧約聖書』

とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って、
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが、
そこに失敗の原因があります
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
己が最大の味方であり、最大の敵である。 [2021年05月02日(Sun)]
岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
よく考えてみてほしい。
あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。
こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は
誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。
それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら
そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、
自分の行きたい道なのだ。ほんとはそっちに進みたいんだ。
だから、そっちに進むべきだ。
ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは
自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。
誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがる
頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思ってたら
何とかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。
かまわないから、こっちに行ったら駄目だ、と思う方に賭ける
(…)覚悟はそこにあるんだ。
ほんとうに生きるっていうのは、そういうことだ
(…)
結果がまずくいこうがいくまいがかまわない。
むしろ、まずくいった方が面白いんだと考えて、
自分の運命を賭けていけば、いのちがパッとひらくじゃないか。
何かをつらぬこうとしたら、
体当たりする気持ちで、ぶつからなければ駄目だ

体当たりする前から、きっとうまくいかないんじゃないかなんて、
自分で決めて諦めてしまう。愚かなことだ。
ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし
自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ
それなのに、ぶつかる前から決めこんでしまうのは、
もうその段階で、自分の存在を失っている証拠じゃないか。

瞬間、瞬間に、生きる。岡本太郎
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岡本太郎『自分の中に毒を持て』

岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
「道で仏に逢えば、仏を殺せ」有名な言葉だ。ぼくも知っている。
確かに鋭く人間存在の真実、機微をついていると思う。
しかし、ぼくは一種の疑問を感じるのだ。
今日の現実の中で、そのような言葉をただ繰り返しただけで
果たして実際の働きを持つだろうか。とかく、
そういう一般をオヤッと思わせるような文句をひねくりまわして、
型の上にアグラをかいているから、
禅がかつての魅力を失ってしまったのではないか。
で、ぼくは壇上に立つと、それをきっかけにして問いかけた。
「道で仏に逢えば、と言うが、皆さんが今から何日でもいい、
京都の街角に立っていて御覧なさい。仏に出逢えると思いますか。
逢えると思う人は手を上げて下さい」
誰も上げない。
「逢いっこない。逢えるはずはないんです。
 では、何に逢うと思いますか」
これにも返事がなかった。坊さんたちはシンとして静まっている。
そこでぼくは激しい言葉でぶっつけた。
出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。
 そうしたら、己を殺せ

会場全体がどよめいた。やがて、ワーッと猛烈な拍手。
これは比喩ではない。
人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない
いのちを賭けて運命と対決するのだ。
そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。
己が最大の味方であり、また敵なのである
-----------------------
ぼくはいつでも最低の悪条件に自分をつき落とす。
そうすると逆にモリモリッとふるいたつ。
自分が精神的にマイナスの面をしょい込むときこそ、自他に挑むんだ。
ダメだ、と思ったら、じゃあやってやろう、というのがぼくの主義。
いつも言っているように、最大の敵は自分なんだ。
前に、禅宗の坊さんたちに「己を殺せ」と言った話をしたけれど、
あれは「禅」じゃなくて人生の極意なんだ。
自分を殺す、そこから自分が強烈に生きるわけだ。
それがほんとうに生きることなんだ
自信なんていうものは相対的価値観だ。
誰々よりも自分は上だ、とかいうものでしかない。そうじゃなくて、
人間は生死を越えた絶対感によって生きなければだめだ

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岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
この世に苦しみ悩んでいるのは決して自分だけじゃない。
世の中の人ほとんどが、おなじ悩みを持っていると言ってもいい。
不満かもしれないが、この社会生活以外にどんな生き方があるか。
ならば、まともにこの社会というものを見すえ、
自分がその中でどういう生き方をすべきか、
どういう役割を果たすのか、決めなければならない。
独りぼっちでも社会の中の自分であることには変わりはない。
その社会は矛盾だらけなのだから、そのなかに生きる以上は、
矛盾の中に自分を徹する以外ないじゃないか。
そのために社会に入れず、不幸な目にあったとしても、
それは自分が純粋に生きているから、不幸なんだ
純粋に生きるための不幸こそ
本当の生きがいなのだと覚悟を決めるほかない
自分はあんまり頭もよくないし、才能のない普通の人間だから
何も出来ないんじゃないか、なんて考えてるのはごまかしだ。
そういって自分がやらない口実にしているだけだ
才能なんてないほうがいい。才能なんて勝手にしやがれだ。
才能のある者だけがこの世で偉いんじゃない。
才能のあるなしにかかわらず、自分として純粋に生きることが
人間の本当の生き方

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岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、
凡人には難しいという人がいる。
そんなことはウソだ
やろうとしないから、やれないんだ。それだけのことだ。
もう一つ、うまくやろう、成功しようとするから、逆にうまくいかない

人生うまくやろうなんて、利口ぶった考えは
誰でも考えることで、それは大変いやしい根性だと思う。
繰り返して言う。
世の中うまくやろうとすると、
結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。
一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、
本当に生きているのではない
流されたままで生きているにすぎない
そして非常に悪いことは、
自分は本当に純粋にこういうことをしたいと思っているが、
それを世の中は許してくれない、
しかも、自分はさまざまな悪条件の中にあるので、
もし違ったところで生活していれば、出来るかもしれないが、
今の状況では、というようにやたらに障害の項目を並べたてることだ。
それは、弁解のために、自分に言って聞かせ、他人に納得させるために
盛んに障害を言いたてているにすぎない


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岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
たしかに今日の小市民生活は物質的には恵まれている。
暮しは昔に比べてはるかに楽になってはいるが、
そのために生命の緊張感を失い、逆に空しくなっている。
進歩だとか福祉だとかいって、誰もがその状況に甘えてしまっている。
システムの中で、安全に生活することばかり考え、
危険に体当たりして生きがいを貫こうとすることは稀である。
自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、
生きぬかなかければならない

今日のすべてが虚無化したこの時点でこそ
かつての時代よりも一段と強烈に挑むべきだ
強烈に生きることは常に死を前提にしている
死という最もきびしい運命と直面して、
はじめていのちが奮い立つのだ。死はただ生理的な終焉ではなく、
日常生活の中に瞬間瞬間にたちあらわれるものだ。
この世の中で自分を純粋に貫こうとしたら、
生きがいに賭けようとすれば、必ず絶望的な危険をともなう。
そのとき「死」が現前するのだ。
惰性的にすごせば死の危機感は遠ざかる。しかし空しい
死を畏れて引っ込んでしまっては、生きがいはなくなる。
今日はほとんどの人が、
その純粋な生と死の問題を回避してしまっている。
だから虚脱状態になっている
のだ。
個人財産、利害得失だけにこだわり、
またひたすらにマイホームの無事安全を願う、
現代人のケチくささ。卑しい。小市民根性を見るにつけ、
こんな群れの延長である人類の運命などというものは、
逆に蹴とばしてやりたくなる。
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ
死ぬのもよし、生きるもよし。
ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。
現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。

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生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸

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東福寺の塔頭、芬陀院(雪舟寺)2016.4.30

「最大の敵は自分」「己を殺せ」
「己を殺す決意と情熱を持って危険に対面」
―― 自分と「命懸けの真剣勝負」で闘って瞬間瞬間に生きる位置情報ということか

松下幸之助『道をひらく』より――
「真剣勝負」
剣道で、面に小手、胴を着けて竹刀で試合をしている間は、
いくら真剣にやっているようでも、まだまだ心にスキがある
打たれても死なないし、血も出ないからである。
しかしこれが木刀で試合するとなれば、いささか緊張せざるを得ない。
打たれれば気絶するし、ケガもする。死ぬこともある。
まして真剣勝負ともなれば、
一閃(せん)が直ちに生命(いのち)にかかわる。
勝つこともあれば、また負けることもあるなどと
呑気なことをいっていられない。
勝つか負けるかどちらか一つ。負ければ生命がとぶ。
真剣になるとはこんな姿をいうのである。
人生は真剣勝負である。だから
どんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやならければならない
もちろん窮屈になる必要はすこしもない。しかし、
長い人生ときには失敗することもあるなどと呑気にかまえていられない。
これは失敗したときの慰めのことばで、
はじめからこんな気がまえでいいわけがない。
真剣になるかならないか、その度合によってその人の人生はきまる
大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない
おたがいに心を新たにして
真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
瞬間、瞬間に、生きる。 [2021年05月01日(Sat)]
今日から5月

岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。
ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。
財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、
かえって人間は自在さを失ってしまう。
過去の蓄積にこだわると、
いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。

人生に挑み、本当に生きるには、
瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。
それには心身とも無一物、無条件でなければならない
捨てれば捨てるほど、 いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる

今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。
ふつう自分に忠実だなんていう人に限って、
自分を大事にして、自分を破ろうとしない。
社会的な状況や世間体を考えて自分を守ろうとする。

それでは駄目だ。社会的状況や世間体とも闘う。
アンチである、と同時に自分に対しても闘わなければならない
これはむずかしい。きつい。社会では否定されるだろう。
だが、そういうほんとうの生き方を生きることが人生の筋だ。

自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。
そんな生き方は安易で、甘えがある。
ほんとうに生きていくためには自分自身と闘わなければだめだ

自分らしくある必要はない
むしろ、「人間らしく」生きる道を考えてほしい。
「忠実」という言葉の意味を考えたことがあるだろうか。
忠実の「忠」とは「まめやか、まごころを尽くす」ということだ。
自分に対してまごころを尽くすというのは、
自分にきびしく、残酷に挑むことだ。

瞬間、瞬間に、生きる。
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岡本太郎『自分の中に毒を持て』

「捨てる」ことで、
「今この瞬間」に「なすべきこと」をなす。
―― 瞬間、瞬間に、生きる
今、何をなすべきか、何をなさざるべきか(判断と選択)
なすべきを行ない、なすべからざるを行なわない(真実の勇気)
自分に負けず、自分を信じて、果敢に断行(不屈不撓)

素直な心になれば、物事の実相が見える。それに基づいて、
何をなすべきか、何をなさざるべきかということもわかってくる。
なすべきを行ない、なすべからざるを行なわない真実の勇気も 
そこから湧いてくる。
「素直な心になること」/松下幸之助『実践経営哲学』

自己欺瞞なくして希望はないが、
勇気は理性的であり、あるがままにものを見る
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い
希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが
それをやり遂げるには勇気がいる
希望ではなく勇気」/『エリック・ホッファー自伝』

なすべきことをなすという勇気と、
人の声に私心なく耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
知恵はこんこんとわき出てくるのである。
「知恵は無限」/松下幸之助『続・道をひらく』

山ほどある情報のなかから、自分に必要な情報を得るためには、
「選ぶ」よりも「いかに捨てるか」のほうが重要。
手は浮かぶものではなくて、消去して残ったものになります。
ひとつの手を選ぶということは、
それまで散々考えた手の大部分を捨てること。
羽生善治『捨てる力』

『小倉昌男 経営学』より――
荷物の密度をできるだけ早く「濃く」するのは至上命令である。
そのためには、サービスを向上して差別化を図らなければならない。
コストが上がるから止める、というのは
この場合、考え方としておかしい。
サービスとコストはトレードオフ(二律背反)だが、
両方の条件を比較検討して選択するという問題ではない
どちらを優先するかの判断の問題なのである。だから、
手間ひまかけてメリットやコストを計算するのはやめてほしい。
それよりも、サービスを向上するためにどうしたらよいか、
それだけを考え、実行してほしい――。私は皆にそう訴えた。
そこで「サービスが先、利益は後」のモットーを作ったわけである。

どちらを先に考えるかで、結果は良くも悪くもなる。
経営には常にトレードオフの問題がある。
それに対する正しい対応を考えるのが、経営者の大きな責任である。
『小倉昌男 経営学』

自分が選んだものに対して責任をとりつつ自信を持つことが
大事なのではないでしょうか。
羽生善治『捨てる力』

人間は、自由を用いる方法について選択の自由を持っている
という意味で自分自身の運命の創造者である。
しかし、結果の支配者ではない
『今こそ読みたいガンディーの言葉』

進む道は選択できる(選択の自由)
結果は選択できない(瞬間、瞬間の努力次第)
善いことを思い、善いことをすれば、運命は良き方向へと変わっていく
悪いことを思い、悪いことをすれば、その運命は悪い結果へと変わっていく
やるか、やらないか、徹底してやるか、適当にやるか、
すべて自分の選択であり、結果の支配者ではないが、
「自分自身の運命の創造者」ということか

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである。
有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。
物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である
小林秀雄『無私の精神』

人間は何度も何度もこの世に生まれてくることはできない。
この大切な一生を、
何の願も立てずに空しく過ごしてしまうということは、
まことにもったいないことである。
澤木興道『禅談』

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生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸

明日がある
あさってがあると
思っている間は
なんにも ありはしない

かんじんの「今」さえないんだから。
(東井義雄)

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

Connecting the Dots.(点と点をつなげる)
将来をあらかじめ見据えて、
点と点をつなぎあわせることなどできません

できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。
だから、我々は、今やっていることが
いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶと信じるしかない。
Stay Hungry. Stay Foolish.(Steve Jobs)

明日ありとおもうこころのあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
(親鸞聖人が9歳で得度された時に詠まれた歌)

足るを知る「吾唯足知」(龍安寺 2013/11)
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不安や焦り、あるいは恐れにとらわれて
自分を見失ってはいないか
一発逆転の妙手妙策ばかりを追いかけて
いまここでなすべきことをおろそかにしてはいないか
困難にあればこそなお勇気をもって、
なすべきことをなすべきときにきっちりとなしていく。
そのたゆみない歩みこそが、
着実に成果を高め、成功にいたる道ではないか

松下幸之助 日々のことば「道をひらく」

西村惠信『坐る ― 白隠禅師坐禅和讃を読む』より――
因果一如の門ひらけ、無二無三の道直し
無相の相を相として、行くも帰るも余所ならず。
意訳しますと、次のようになるでしょうか。
すべては原因をもって存在しているという事実に気がつき、
ただひとすじの道が真っ直ぐに通っていることが分かる。
形なき形こそ真の自己だと分かってみれば、
世界中の隅々まですべて我が家なのだ。

とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが、
そこに失敗の原因があります
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』


食べて飲み、労苦の内に幸せを見いだす。
これ以外に人に幸せはない

それもまた、神の手から与えられるものと分かった。
コヘレトの言葉 2:24/日本聖書協会『共同訳 旧約聖書』
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咲くも無心
散るも無心
花は嘆かず
今を生きる

「今を生きる」坂村真民

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。