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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
★経営のための会計★
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ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
「道しるべ」でお好きなカテゴリーをお選びいただき、お時間の許す限りごゆっくりおくつろぎください。
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世界はもっと素晴らしくなる [2021年01月05日(Tue)]
年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」です。
2021_伴.jpg

先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、
少なくとも、こちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。
それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

自利利他円満(じりりたえんまん)

先義後利(先義而後利者栄)
義を先にして利を後にする者は栄える


リーマンショックが2008年9月、
そして1年後の2009年9月に日本航空の経営危機が報じられ、
翌2010年1月に日本航空は経営破綻。
私がザッポスと出会ったのはそんな頃でした。
(アマゾンがザッポスを買収したのが2009年7月)

当時、クツをネットで売り買いすること自体が信じられなかったですが、
それ以上にビックリ仰天したのが顧客サービスの徹底ぶり。
究極の非効率、あり得ない、けど現実にアメリカであり得ている
なんでやねんと思っていたところに、
ザッポスCEOのトニー・シェイの本の邦訳が出版されたので、
すぐに買い求めて貪るように読みました。
IMG-8545.jpg
自宅の本棚にはザッポスの本が3冊、
うちシェイ自身が書いた本『顧客が熱狂するネット靴店・ザッポス伝説』
(原題:Delivering Happiness)は2010年12月2日の初版初刷本、
強烈なインパクトを受けて魂を揺さぶられました。

シェイが11月末に亡くなっていたことを知って昨年末に久々の再読。
ウィズコロナやアフターコロナ、ニューノーマルなんて言葉に
胡散臭さすら感じ、なにごとも「本質の追究」です。

以下、朝日新聞のGlobeのインタビュー記事(2012/1)より写経――
IMG-8547.jpg
お金をたくさん儲けることは成功であり、幸せだと思っている人は多い。
だが、私が考える幸せとは人生を楽しむことだ。
幸せとは、人と人とのつながりから生まれる
真の友情をはぐくみ、自分らしくいられる社員ほど
幸せを感じると同時に生産性も高く

会社に大きな利益をもたらしてくれる
私が経営するザッポスは、そんなビジネスモデルで成長してきた。
(…)
たとえ素晴らしい仕組みを整えても、機能するかどうかは人次第
心から最高の顧客サービスを提供したいと思える企業文化があり、
社員全員で共有しなければ、ゴールは絵に描いた餅に終わる

頭は良くて士気も高いが、お金をたくさん稼ぐことや、
自分の昇進だけが働く動機になっていては、
こうした企業文化は残念ながらはぐくめない。
私の考えはその対極にある。
(…)
人と人との密接なつながりは、充実感や幸福感を生む
心にはゆとりが芽生え、商品を顧客に売りつけるという発想ではなく
顧客に喜んでもらいたい」「相手を幸せにしたい
といった崇高な目標へと社員の意識を導いていく。
ザッポスでは実際、目先の損得勘定だけで物事を考えている人には
理解できないような応対をしている。
社員が常に最善の判断をしてくれると信じているので、
業務マニュアルもない
あるオペレーターは約2年前、顧客一人の靴選びのために、
8時間23分も電話で応対した。
いま、この記録を更新しようと、仲間が競い合っている。
別の社員は、深夜に「ピザを食べたい」と電話してきた顧客のために
ネットで営業しているピザ屋を調べて紹介した
(ザッポスはピザを売ってない)。
自社に在庫がなければ、その場で競合他社のサイトを調べ、
見つけた時は顧客に案内している。
この場合、ザッポスは明らかに利益を失うことになるが、
一回の応対での利益よりも、
顧客との間で生涯続く関係を築くことの方が優先される

(…)
ザッポス流を押付けるつもりはない。
ただ、企業は単に利益を追求するだけていいのだろうか。
幸せにあることが究極の目標だとすれば、
あらゆる人も、あらゆるビジネスも、
幸せという文脈や枠組みの中で考えれば、世界はもっと素晴らしくなる


「幸」というものは、直接つかめるものではない。
人を幸せにすることの反応として、自分が幸せを感じる
周囲がすべて幸せになっていれば
当然、自分もいつのまにか幸せになっていく
これは、商売でいうと奉仕優先、消費者優先という思想である。
自分だけが幸せになりたいということで、
人を押しのけてもと自分の利益ばかり追う自己優先の考え方は、
こうした点からいっても間違っている。
最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる
お互いの立場としては
社会が、お得意先が、さらに消費者が優先である。
これなくして企業の繁栄もないし
企業の繁栄なくしては、お互いの幸せもあり得ない
立石一真『人を幸せにする人が幸せになる』

松下幸之助『人生談義』より――
「つながりあって生きている」
世の中の人びとは企業に対して常にさまざまな要望をいだいています。
その人びとの求めに応じ、生活の向上に貢献することによって
企業は見返りとして利益を得ることもできるし、発展もできる
だから大切なのは、まずお客様に喜んでいただくことで、
利益だけを追い求めても、決してうまくいくものではないと思うのです。
このように、まず相手を喜ばすことが
自分の発展につながっている
ということは、商売、事業に限らず
お互い個人同士の人間関係にもいえるのではないでしょうか。

『松下幸之助・経営の真髄』より――
商売にはサービスがつきものである。
サービスを伴わぬ商売は、もはや商売ではない。
その意味においては、
サービスは商売人にとっての一つの義務ともいえる。
しかし、これを単なる義務としてのみ受け取り、
しかたなしにやむをえずやっているとしたら、
これほど疲れることはない。こちらが疲れるだけでなく、
お客さまにもその「しかたなさ」が自然に通ってしまう。
サービスは相手を喜ばせるものであり、そしてまた
こちらにも喜びが生まれてこなければならないもの
である。
喜び喜ばれる姿の中にこそ真のサービスがあるといえよう。
お互いに、喜びをもってサービスにあたりたい。
躍動する心でサービスに専心したい。
真の商売がそこから芽生えてくる。

商いの原点は、
どうしたら売れるか儲かるかではなく、
どうしたら人びとに心から喜んでもらえるかである。
松下幸之助『松翁論語』

松下幸之助『道をひらく』より――
「手を合わす」
うどんの値段は同じであっても、
客を大事にしてくれる店、まごころこもった親切な店には、
人は自然に寄りついてゆく。
その反対に、客をぞんざいにし、礼儀もなければ作法もない、
そんな店には、人の足は自然と遠ざかる。
客が食べ終わって出て行く後ろ姿に、
しんそこ、ありがたく手を合わせて拝むような心持ち、
そんな心持ちのうどん屋さんは、必ず成功する
のである。

こんな心がけに徹したならば、
もちろん、うどんの味もよくなってくる。
一人ひとりに親切で、一ぱい一ぱいに慎重で、
湯かげん、ダシかげんにも、親身のくふうがはらわれる。
そのうえ、客を待たせない
たとえ親切で、うまくても、しびれが切れるほど待たされたら、
今日の時代では、客の好意もつづかない。
客の後ろ姿に手を合わす心がけには、
早く早くという客の気持ちがつたわってくるはずである。

親切で、うまくて、早くて、そして客の後ろ姿に手を合わす――
この心がけの大切さは、何もうどん屋さんだけに限らないであろう。
おたがいによく考えたい。


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
他山の石をもって玉を攻むべし [2021年01月04日(Mon)]
年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」です。
2021_伴.jpg

先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、
少なくとも、こちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。
それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

自利利他円満(じりりたえんまん)

先義後利(先義而後利者栄)
義を先にして利を後にする者は栄える


「最大より最良たれ」
―― 第一生命の創業者矢野恒太の言葉です。

第一生命の公式サイトより――
1902年、創業者 矢野恒太により、日本で初めての
「相互主義の保険会社」として第一生命は設立されました。
徹底した堅実経営、お客さま重視の姿勢、
「最大たるより最良たれ」の考え方。
創業者は規模を追い求めるのではなく、
お客さまや社会にとって「最良」であることこそが
生命保険事業の最大の価値である
と考えました。
117年以上の時を経て今も受け継がれている第一生命グループの
『お客さま第一主義』の経営理念は、今も社員一人ひとりに刻まれ、
ビジネスの隅々にまで行き渡っています。
第一生命グループはこれからも、新たな価値を創造しながら成長を続け、
常に時代の最良であることを目指していきます。

極めて真っ当な話で、ご説ごもっともですが、
現実には、トップ営業職員による金銭搾取事件が発覚し、
その被害総額は19億円と半端ない金額。
さらに別件で3件の金銭搾取事件が起きていたことが明らかに……

およそ、お客さまにとって「最良」とは言えない状況に違和感あり、
以下の本を買い求めて読みました。
『第一生命 最大たるより「最良」たれ
 ――「人」と「経営品質」で挑む変革の物語』(生産性出版)
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本の帯にはオリエンタルランドCEO加賀美氏推薦と記されていますが、
本の中に推薦の言葉はありません。
私が知りたかった創業者の言葉「最大より最良たれ」についての記述も
ほとんどなく、2001年に日本経営品質賞を受賞したり、
2010年に株式会社化したりの経営改革の取り組みの紹介でした。

保険金不払い問題が発覚したのは2005年のこと、
「お客さま第一主義」を標榜するなら、
お客さまの請求に応じるだけでなく、
お客さまに請求もれがないかチェックするのが当然のはずが、
そんな会社でも日本経営品質賞を受賞できるようです。

本の後半では、第一生命さんが取り組む「経営品質経営」や
「DSR経営(第一生命のCSR)」の現場での実践事例が紹介されていますが、
たとえば営業店で展開される「特別増産月」の営業の取り組み、
これが「最大より最良たれ」で「お客様第一主義」の実践なのか、

「最大より最良」で「お客様第一主義」が貫かれているなら、
お客様をだまして不幸にする金銭搾取事件なんて起きるはずないし、
営業店で「特別増産月」を設定して目標達成を競い合うだろうか、
甚だ疑問です。

大きいか小さいか、多いか少ないか、高いか低いか、高いか安いか、
速いか遅いかなんてことは「数字」で示して競い合えるけど、
良否(良いか良くないか)、善悪(善いか悪いか)、
正否(正しいか正しくないか)、正直か嘘つきかなんてことは、
「数字」で示せない。

「最良」であることを目指しながら、
「正しいことをする」ことが判断基準になっていない
のでは?
―― 他山の石をもって玉を攻(おさ)むべしひらめき

いかに知識があり、聡明であって、上手に仕事をこなしても、
真摯さに欠ける者は組織を破壊する。
組織にとって最も重要な資源である人を破壊する。
組織の精神を損なう。成果を損なう。
ドラッカー『マネジメント』

物事の判断にあたっては、つねにその本質にさかのぼること、
そして人間としての基本的なモラル、良心にもとづいて
何が正しいのかを基準として判断する
ことがもっとも重要である。
『稲盛和夫の実学』

松下幸之助『道をひらく』より――
「真実を知る」
人間は、ものの見方一つで、
どんなことにも堪えることができる。
どんなつらいことでも辛抱できる。
のみならず、いやなことでも明るくすることができるし、
つらいことでも楽しいものにすることができる。
みな心持ち一つ、ものの見方一つである。
同じ人間でも、鬼ともなれば仏ともなるのも、
この心持ち一つにあると思う。
そうとすれば、人生において、
絶望することなど一つもないのではあるまいか。
ただ、この、ものの見方を正しく持つためには、
人間は真実を知らねばならないし、
また真実を教えなければならない。
つまり、ものごとの実相を知らねばならないのである。
もちろん、情愛は大切である。
だが、かわいそうとか、つらかろうとか考えて、
情愛に流されて真実をいわないのは、本当の情愛ではあるまい
不幸とは、実相を知らないことである。真実を知らないことである
人間はほんとうは偉大なものである。
真実に直面すれば、かえって大悟徹底(たいごてってい)し、
落ちついた心境になる
ものである。
だからおたがいに、正しいものの見方を持つために
素直な心で、いつも真実を語り、真実を教え合いたいものである


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
私の今年の一文字「伴」 [2021年01月03日(Sun)]
明けましておめでとうございます。
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おかげさまで穏やかな年明けを迎えることができました。
去年の正月は年末27日の仕事納めの日に母が検査で緊急入院が決まり、
本人にとっても家族にとっても予定外のことでしたが、
おかげで色々とじっくり考えることができ、
独立開業30周年になる6月末を機に事務所を自宅に移すことを決意。
その後もコロナなど予定外のことが続きましたが、
年齢的に一か月の入院で相当に弱ることを覚悟した母も、
年相応にできなくなってきたことが増えるわが身をボヤキながらも
気丈に日々暮らしてくれて大助かりです。

先の見えない中で心配や憂いは尽きないですが、万事塞翁が馬
今を素直な心で受け止め、懸命に生き抜いていきたいものです。

年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」です。
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伴走の「伴」ですが、人偏でなく、糸偏に半だと「絆」。
あらためて「半」の成り立ちに興味をもち、調べてみました。
白川静『常用字解』によると、
「八」は左右にものが分かれる形で、
「半」は犠牲(いけにえ)として供える牛を真中で二つに分ける形で、
「わかつ、わける、なかば」の意味となる。

神様にお供えする牛が語源なら、丑年の今年の一文字に相応しいと決定です。

「伴」には、「同伴」や「随伴」のように
お供する、付き従う、主従関係のイメージありますが、
私が「伴走」を通じて学んだ伴のイメージはパートナーです。

互いに認め合い(共存)、共に高め合って喜びを分かち合い(共栄)、
共に生きる(共生)。リモートを含めた「見える」つながりだけでなく、
その「背後」や「背景」にも心を通わして「共存・共栄で共に生きる」。
そんな思いで、ことしの漢字一文字は「伴」にしました。

先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、
少なくとも、こちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。
それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

自利利他円満(じりりたえんまん)

先義後利(先義而後利者栄)
義を先にして利を後にする者は栄える

松下幸之助『道をひらく』より――
「心を通わす」
古人曰く、人生はあざなえる縄の如し
まことにこの世の中、長い人の歩みのなかには、
よいこともあればわるいこともある。
うれしいこともあれば悲しいこともある。
そして、よいと思ったことが実はわるくて、
わるいと思ったことが実はよくて、
つまりはあれこれと思いまどうことは何もなくて、
はじめから素直に謙虚に歩んでおればそれでよかったと、
人の知恵の浅はかさに、いまさらのように胸打たれることがしばしばある


はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、
また徹底的によいということもないのである。
それでもなお人は、わるいと思うときには自分で自分の心を閉ざし、
よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる

心を閉ざし、人をへだて、心と心とが通い合わぬ姿からは、
おたがいに協力も助け合いも生まれてはこない。
心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。

有為転変のこの世の中、よいときにもわるいときにも、
いかなるときにも素直に謙虚に、おたがいに心を通わし、
思いを相通じて、協力し合っていきたい
ものである。

松下幸之助『人生談義』より――
「物と心」
商売でもね、物が動いて、お金が動いて、それで一応は成り立つんです。
しかし、もう一つ根本的に大事なことは、
物や金と共に、人の心もまたこれに乗って、
移り動いていかなければならない
ということです。
単に物をつくり、物を売り、そしてお金を得ているというだけなら、
商売とはまことにさくばくとしたものになってしまいますよ。
そうじゃないのですな、ほんとうは。
物とあわせて心をつくり、物と共に心を売り、
そしてお金と共に心をいただく、
つまり物や金が通いあうだけでなく、
お互いの心というものがお客様との間に通い合う
ことが
きわめて大切なのです。
そこに真の商売の喜びや味わいと言うものがあるのですね。

それに、商品の価格にしても、
サービスとかいろいろな便宜とか、
そうした心の面をも総合した価値判断で決めるベき
で、
単によそがいくらだからウチはいくらにするというようでは、
ほんとうの商売はできませんね。
たとえば、よそが1万円のものを、場合によっては、10,500円で売る。
すると、お客さんは「なぜよそより高いのか」と聞かれる。
そんなとき、「同じ製品ですが、私の方はお添え物があるのです」
「何を添えてくれるのか」「魂をお添えするのです」
といったことが言えるかどうか。
そのくらい、自分が商売をする心の価値に自信を持ちたいものですね。


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
自ら責任を取る専門家 [2021年01月02日(Sat)]
明けましておめでとうございます。
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2021年の一番機は伊丹側のB滑走路から離陸

文藝春秋2020年12月号、
民間臨調による「検証・コロナ対策」に色々と考えさせられましたが、
『コロナ病棟「家族ケアチーム」の軌跡』も読み応えありました。

聖路加国際病院でも、当初はコロナ患者への家族の面会は、
全面的に禁止されていたのですが、
家族からの強い要望もあって、見直したのです。
患者にとって大事なものは何か》という視点から、その方策を考えよう
ということになったのです」
「感染を怖がって過剰な規制をするのでなく、
正しい感染防止の管理をして、
その中で患者・家族が切実に必要とすることを、
しっかりと把握して対応していくことが必要です。
医師は自ら責任を取る専門家です
何もしなければ医療者側は無難でしょうが、それでは何も生まれません
----------------
「40台、速やかに購入しましょう」福井院長が決断を示した。
福井院長は、コロナ患者の受け入れを決めた時から、
「必要なものは何でも要求してほしい。緊急事態下では、
 患者ケアが第一だ。お金は後でどうにでもなる
」と発言していた。
まさにその考えによるタブレット購入の決断だった。
このような非常事態下での
組織のトップによるスピーディな「決断」は、極めて重要だ。

『日野原重明 100歳』に書かれていたエピソードを思い出しました。
――「福井くん、この患者さんは何階に住んでますか?」

1970年代後半,聖路加国際病院で毎週火曜日朝8時から行われていた教育回診でのエピソード。心不全の患者さんが翌日退院予定だとの研修医のプレゼンテーションに対し,日野原先生は「患者さんの自宅は何階にありますか?」と尋ねられた。その患者さんはエレベータのないビルディングの3階に住んでいて,果たして3階までの階段を上り下りするだけの心機能が回復していることを確かめたかどうか,われわれ研修医は鋭く追及された。

『日野原重明 100歳』より――
私が医師として彼らに一番伝えたいのは、
いつも患者さんの側に立って考えるということです。
正面から威圧的に向き合うのではなく、
隣にそっと座り、ソフトな言葉で流れるように会話をしてほしい。
患者さんが言葉を見つけられず、少し時間がかかるようなときには
次の言葉を静かに待っていられるような関係で
患者さんに接してほしいのです。それから少しずつ、
患者さんの抱える問題をどう解決していくのがよいのかを
科学的に考えていくのがプロの医師なのではないかと思います。
ふっと見たときに感じる直感的な感じ方を大切にしながら
核心に少しずつ迫っていくのです

医師と患者という関係だけでなく、医師である前にひとりの人間として、
患者さんに寄り添わなければなりません

『日野原重明 100歳』

柳田邦男『コロナ病棟「家族ケアチーム」の軌跡』より――
問題は、死者の数の多寡ではない
問われるべき問題は、一人ひとりの死、一つひとつの別れを
しっかりと見つめることによってはじめて見えてくる

一人の死は、本人にとって地球の消滅である。
大事な人との死別は、残された者にとっては、人生の挫折である。
「さよならのない別れ」の重い意味は、まさに
一人の死に焦点を絞ることによって
切実感をもって理解できるようになるのだ。

「問題は数の多寡ではない」―― 頂門の一針ひらめき

松下幸之助『道をひらく』より――
「真実を知る」
人間は、ものの見方一つで、
どんなことにも堪えることができる。
どんなつらいことでも辛抱できる。
のみならず、いやなことでも明るくすることができるし、
つらいことでも楽しいものにすることができる。
みな心持ち一つ、ものの見方一つである。
同じ人間でも、鬼ともなれば仏ともなるのも、
この心持ち一つにあると思う。
そうとすれば、人生において、
絶望することなど一つもないのではあるまいか。
ただ、この、ものの見方を正しく持つためには、
人間は真実を知らねばならないし、
また真実を教えなければならない。
つまり、ものごとの実相を知らねばならないのである。
もちろん、情愛は大切である。
だが、かわいそうとか、つらかろうとか考えて、
情愛に流されて真実をいわないのは、本当の情愛ではあるまい
不幸とは、実相を知らないことである。真実を知らないことである
人間はほんとうは偉大なものである。
真実に直面すれば、かえって大悟徹底(たいごてってい)し、
落ちついた心境になる
ものである。
だからおたがいに、正しいものの見方を持つために
素直な心で、いつも真実を語り、真実を教え合いたいものである


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
「成功物語」の罠に陥らない [2021年01月01日(Fri)]
明けましておめでとうございます。

2021年の幕開け、朝6時半に箕面の実家を出て、
ほぼ満月のお月さんを西の空に仰ぎ見ながら
石橋を経て国道171号を伊丹方面へ。
軍行橋の手前の温度計は氷点下、−1℃
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2021年はマイナスからスタートです。

橋を渡って猪名川の堤防には救急車、
何事かと思ったらバイクに乗ったお巡りさん登場。
新年早々の交通事故、注意一秒、怪我一生、お互いご用心!

今年も見事な日の出に合掌exclamation
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2021年の一番機は伊丹側のB滑走路から離陸
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去年5月、コロナの緊急事態宣言を解除する際、
政府は「日本モデルの力を示した」と表明しましたが、
文藝春秋12月号の民間臨調「検証・コロナ対策」によると、
民間臨調のヒアリングに官邸スタッフは
泥縄だったけど、結果オーライだった」と証言したとのこと。

「日本モデル」の形成過程は、
戦略的に設計された精緻な政策パッケージのそれではなく、
様々な制約条件と限られたリソースの中で、
持ち場持ち場の政策担当者が必死に知恵を絞った
場当たり的な判断の積み重ねであった。
場当たり的でも結果が出れば政治的には評価されます。
ただ、それでは将来に同様の危機が到来した時の再現性はありません

つまり、「日本モデル」の基礎は危ういものであることが
浮かび上がったのです。
----------------
この時(2009年の新型インフルエンザ)の水際作戦が成功したという
「成功体験」を「成功物語」にしてしまったことが
「備え」の欠如につながったと思うからです。
(…)
学ぼうという意思はあったのです。
しかし、学べなかった。危機感がなかった。
「成功物語」の罠と言っていいでしょう。
政府は、今回の新型コロナウィルス対応を成功したととして
「日本モデル」の力であると宣言しました。
ただ、圧勝も快勝もしていない。
ここまでのところではせいぜい辛勝といったところではないですか。
自作自演の「成功物語」にさせないことが大切だと思います。
官邸スタッフがいみじくも言ったように今回の対応は
「泥縄だったけど、結果オーライだった」のに過ぎないのですから。
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しかし東日本大震災後、私たちは
教訓を学ぶことが苦手になってはいないでしょうか
目の前にある問題への対処ばかりに気を取られ、
未来に備えて投資するという危機意識と責任感が薄れている

ように感じます。

「再現性がない」といえば、私のサブフォーと同じ。
再現性がないどころか、的確に適切な手を打たないので、
コロナの状況は第2波、第3波と深刻化し、
私のその後の記録もサブフォーからどんどん遠のく。

自作自演の「成功物語」にさせない
ということで、今年の目標はサブフォー復活。
しかも、奇跡と言わせぬ実力をつけて、どんな気象条件や体調でも、
そしていくつになっても、楽々サブフォーできるようになりたいものです。
本年もよろしくお願いします。

松下幸之助『実践経営哲学』より――
「必ず成功すると考えること」
物事がうまくいったときに、それを自分の力でやったのだと考えると
そこにおごりや油断が生じて、つぎに失敗を招きやすい
実際、成功といっても、それは結果の話であって、
その過程には小さな失敗というものがいろいろある

それらは一歩過てば大きな失敗に結びつきかねないものであるが、
おごりや油断があると、そういうものが見えなくなってしまう。
けれども「これは運がよかったから成功したのだ」と考えれば、
そうした小さな失敗についても、一つひとつ反省することになってくる


反対に、うまくいかなかったときに、
それを運のせいにして「運が悪かった」といことになれば、
その失敗の経験が生きてこない。
自分のやり方に過ちがあったと考えれば、
そこにいろいろ反省もできて、同じ過ちはくり返さなくなり、
文字どおり「失敗は成功の母」ということになってくる。そして、
そのように「失敗の原因はわれにあり」という考えに徹するならば、
そうした原因を事前になくしていこうという配慮ができるようにもなる。
だから、それだけ失敗も少なくなって、どういう状況下にあっても
経営が順調にいくという姿になってくる
わけである。

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。