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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
★経営のための会計★
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衆知による経営で未来を拓く [2020年12月27日(Sun)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

みずから開拓していこうという熱意にみちて
心してものごとを見、そこから学びとろうとするなら
道は無限にひらかれている
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。(…)
生涯、みずから新しいものを吸収し、勉強するという態度
よろこんで人びとの教えを受けていくという態度
そういうような態度を持ちつづける人には、
進歩はあっても停滞はない
一歩一歩、年をへるにつれて着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。
さらに十年、二十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。
そういう人がほんとうの大器晩成というのでしょうな。
「“学ぶ”ということ」/松下幸之助『人生談義』

偉大な発展とか、偉大な基礎を築くということは、
尋常一様のときには、いかなる人もできない。
困難な時にもなお向上心を弱めず、さらに志を固め、本来の使命に立脚して
そのなすべきことを断固としてやっていくという努力を続けて行くならば
そこに必ず、かつてないほどの知恵才覚というものが湧いてくる
また、そういうことを信ずるが故に
困難に直面して、なおますます勇気が出てくる
かつてない難局であれば、
それは同時にかつてない発展の基礎となるのである。
松下幸之助(1958年1月)63歳

うまくいっている会社、多少とも発展している会社、
また時代の変遷に対応して発展している会社は、
概して衆知による経営が行われているように思う。
言い換えると、みんなが経営に興味をもって
お互いに知恵を出し合って、そしてそれをうまく結集して
経営の芯としているというような会社は、概して発展している、
それが特にうまくいってる会社は急速に発展している。
松下幸之助(1972年1月)77歳

松下幸之助『人間を考える』より――
「人間の天命とそれを生かす道」
人間一人ひとりの知恵というものは人によって異なるとしても、
たとえどんな偉大な人であっても、おのずと限りがあります。
人間がその偉大な本質を正しく発揮し、幸せを逐次高めていくためには
何よりも多くの人びとの知恵を集めていかなくてはなりません
そして、そこに個々の知恵を超えた高い衆知、すなわち
すぐれた知恵を生みだし、それによって正しい道を求めていく
ことが
大切なのです。

衆知というものを考える場合に大事なことは、
ただ人が集まり、その知恵がだされれば
衆知になるというものではない
ということです。
その人びとが、個々の利害や感情にとらわれることなく、
相互に知恵をだしあって、何が正しいかということを見出そう、
よりよき道を求めていこうということで、
知恵と知恵との真剣な話しあいといった過程があって、
はじめてそれが衆知となる
のであって、さもなければ、
単に多くの知恵がそこに示されているだけということになってしまいます。

また、衆知を集めることが大切であるといっても、それは、
個々の人間が自分の知恵を高めていかなくてもよいという意味では
ありません。個々の知恵が非常に低い状態にあったならば、それに応じて
その時の衆知というものも比較的低いものにとどまってしまう
でしょう。
一人ひとりの知恵が高まるにつれて、
それだけその集団の衆知も高いものになっていく
わけです。
(…)
きょうの最高の衆知は必ずしもあすの最高の知恵ではありません
これで終わりだというところはないのです。だから、人間は
たえずみずからの知恵を高めつつ、衆知を集めていかなくてはなりません

人間が個々に知恵を磨き、衆知を集めていくための
手段というか方法については、多種多様のものがあると思います。
しかし、その基本の心構えとして大事なのは、素直な心というものです。
これなくしては真に知恵を高めることも衆知を集めることもできないでしょう。

素直な心とは私心なくくもりのない心といいますか、
一つのことにとらわれずに物事をあるがままにみようとする心なのです。
そういう心からは物事の実相をつかむ力が生まれてきますし、
それにもとづいて、なすべきことをなし、
なすべきでないことを排する勇気
というものも湧いてきます。
一言でいえば、素直な心は、人間を正しく強く聡明にするものです。


「人ごとの 良きも悪しきも 心して 聞けばわが身の 為とこそなれ」
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)御歌
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人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
限りない知恵才覚と無限の可能性の源泉 [2020年12月26日(Sat)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

みずから開拓していこうという熱意にみちて
心してものごとを見、そこから学びとろうとするなら
道は無限にひらかれている
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。(…)
生涯、みずから新しいものを吸収し、勉強するという態度
よろこんで人びとの教えを受けていくという態度
そういうような態度を持ちつづける人には、
進歩はあっても停滞はない
一歩一歩、年をへるにつれて着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。
さらに十年、二十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。
そういう人がほんとうの大器晩成というのでしょうな。
「“学ぶ”ということ」/松下幸之助『人生談義』

偉大な発展とか、偉大な基礎を築くということは、
尋常一様のときには、いかなる人もできない。
困難な時にもなお向上心を弱めず、さらに志を固め、本来の使命に立脚して
そのなすべきことを断固としてやっていくという努力を続けて行くならば
そこに必ず、かつてないほどの知恵才覚というものが湧いてくる
また、そういうことを信ずるが故に
困難に直面して、なおますます勇気が出てくる
かつてない難局であれば、
それは同時にかつてない発展の基礎となるのである。
松下幸之助(1958年1月)63歳

ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長』より――
彼はこの「できるはずのない」アイデアに懸命に取り組んだ。
新屋によれば、
「人には無限の潜在能力と無限の可能性があるとよく言われるが、
じつはこういう言葉の現実性を私たちはあまり信用していませんした。
心の奥底ではじつは信用していなかったんです。
ところが松下幸之助がそれを信じさせてくれた
無限の可能性というものが本当に存在するということを
確信させてくれたのです」。
(…)
1958年10月に開かれたある事業部の経営会議で、
幸之助は次のように発言した。
「今からわれわれは価格競争に直面しなければならない。
10%程度の値下げが必要だ。
最初はそんなことは不可能だと思うかもしれないが、それは
このような挑戦を限られた視野で見るからだ

もっと視野を広げるためには、社の外部の人も含めて、
できるだけ多くの人の知恵を借りる(衆知を集める)ことが大事だ。
しかも、たんに多くの知識を集めるだけでなく、
この新しいアイデアを実行するうえで、他社の協力を得らるかどうか
尋ねてみなければならない

自分たちの利益になるかどうかという点からだけ問題を見つめている限り、
問題点を克服する力はきわめて限られたものにとどまる
だろう。
これとは違って、集団の知恵を利用すれば
われわれの使命を実現に導いてくれるだろう」。
もし彼がほとんど他人の意見を聞かない傲慢で独裁的な経営者なら、
この言葉はほとんど重みを持たなかっただろう。
しかし、幸之助は強力な個人としての存在感を持ちながら、
幅広く情報や知識や女権を求めた
(衆知を集める)人だった。
みずから範を示したからこそ、彼の言葉に対する信頼は高まったのだった。

事業でも何でも「できない」と考えてしまえばそれで終わりである。
「できるはずだ。どうすればできるか」と考えてこそ
困難なこと、一見不可能に思えることもできるようになる
こういう考え方は、お互いが
物事を決断する際に大切なことの一つ
ではないか。

この問題をたんにトヨタ側からの理不尽な要求と考えてはなりません
トヨタが言うような要求があるまで手をこまねていてはだめなのです。
このような要求をあらかじめ予測し、前もって
それに合わせられるように準備しておかなければならない
のにです。
松下幸之助(1960年11月24日)

うまくいっている会社、多少とも発展している会社、
また時代の変遷に対応して発展している会社は、
概して衆知による経営が行われているように思う。
言い換えると、みんなが経営に興味をもって
お互いに知恵を出し合って、そしてそれをうまく結集して
経営の芯としているというような会社は、概して発展している、
それが特にうまくいってる会社は急速に発展している。
松下幸之助(1972年1月)77歳

松下幸之助『道をひらく』より――
「困っても困らない」
ひろい世間である。長い人生である。その世間、その人生には、
困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。
程度の差こそあれだれにでもある。自分だけではない。
そんなときに、どう考えるか、どう処置するか
それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。
困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、
そう考え出せば、心が次第にせまくなり、せっかくの出る知恵も出なくなる。
今まで楽々と考えておったことでも、
それがなかなか思いつかなくなってくるのである。
とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、不満で心が暗くなり、
不平でわが身を傷つける。
断じて行えば、鬼神でもこれを避けるという。
困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば
困難がかえって飛躍の土台石となるのである
要は考え方である。決意である。困っても困らないことである。
人間の心というものは、孫悟空の如意棒のように、まことに伸縮自在である。
その自在な心で、困難なときにこそ、
かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
画期的な躍進に至る転機のとき [2020年12月25日(Fri)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

「成功」は成し遂げた瞬間から、過去のものとなってしまうけれど、
「成長」はつねに未来志向の考え方になる。
だからこそ「成長し続けよう
成功ではなく成長を目指す/中竹竜二『鈍足だったら、速く走るな』

みずから開拓していこうという熱意にみちて
心してものごとを見、そこから学びとろうとするなら
道は無限にひらかれている
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。(…)
生涯、みずから新しいものを吸収し、勉強するという態度
よろこんで人びとの教えを受けていくという態度
そういうような態度を持ちつづける人には、
進歩はあっても停滞はない
一歩一歩、年をへるにつれて着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。
さらに十年、二十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。
そういう人がほんとうの大器晩成というのでしょうな。
「“学ぶ”ということ」/松下幸之助『人生談義』

ぶらり、パナソニックミュージアムへ。
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松下幸之助歴史館では、
経営理念特別展『画期的な躍進に至る転機のとき』が開催中です。
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会場入口には、パナソニック津賀社長の
「社員の皆さんへ」と題したメッセージが掲げられているように、
パナソニック社員に向けた内容の展示ですが、
関係者でなくても松下さんに学ぶことができるのでありがたいです。

会期は松下さんのお誕生日の先月27日から、
名前を明かせませんが然る方の誕生日の来月30日まで。
ご縁を感じて年内最終日の昨日(12/24)出かけてきましたが、
今回も多くの気づきや学びを得られてとても有意義でした。

以下、展示パネルから写経――
偉大な発展とか、偉大な基礎を築くということは、
尋常一様のときには、いかなる人もできない。
困難な時にもなお向上心を弱めず、さらに志を固め、
本来の使命に立脚して、
そのなすべきことを断固としてやっていくという努力を続けて行くならば、
そこに必ず、かつてないほどの知恵才覚というものが湧いてくる

また、そういうことを信ずるが故に
困難に直面して、なおますます勇気が出てくる
かつてない難局であれば
それは同時にかつてない発展の基礎となるのである。
(1958年1月)63歳
----------------------------
自分の担当している事業が、今は非常に恵まれない事業部である、
だから」この程度に食い止めたならば、まだいい方だという考え方は、
敗北感を持っている人だと私は思う。
この事業は性質上、まず横ばいが非常にいいんだと、
この事業は斜陽的な傾向があるからこれ以上伸びないんだと、
こういうような場合に、見方によればそうかもしれないが、
もっと違った考え方」によって
それを成長産業に転換する方法がありはしないかと考えてみると、
往々にして成長産業に転換するような内容に変わってくる。
自ら生み出せないと考えるか、生み出せると考えるかによって変わってくる
と思うのである。
行きづまっている仕事であるとか、うまくいかないという仕事は
新しいものを生み出すひとつの転機に立っていると考えたらいいと思う。
これは何とかしてやらんといかんという場合には、必ずそれを転機として、
そこに画期的なものを生み出すことに成功するという感じを、
私は非常に強く持っているのである。
(1962年5月)67歳
----------------------------
うまくいっている会社、多少とも発展している会社、
また時代の変遷に対応して発展している会社は、
概して衆知による経営が行われているように思う。
言い換えると、みんなが経営に興味をもって
お互いに知恵を出し合って、そしてそれをうまく結集して
経営の芯としているというような会社は、概して発展している、
それが特にうまくいってる会社は急速に発展している。
(1972年1月)77歳
----------------------------
人数が多いからできる、設備が完全だからできる、
金を使うからできるということも事実である。
しかし」、人も少ない、設備もない、金もない、
それでもできるということも事実である。
成功の過程にそういう二つの道があるということをよく承知願いたい。
そうすれば、嵐にも雨にも、天気の場合にも、
それに処する道は自由自在にできてくる。
一つのことにとらわれてしまうと、決して事業は成功しない
(1973年8月)78歳
----------------------------
先見をもってやるということには、心眼が大切である。
後手後手になるということは、目で見て初めて手を打つからである
心でものを見て、手を打たんと先見にならない
ものがあって、それを手に触って感じてからではもう遅い
魔術師ではないが、
無から有を生じるというようなことに成功するというか、
そういうことを信ずるというか、
そんなところから新しいものが生まれてくるのではないか。
(1976年1月)81歳
----------------------------
遅れているものがたくさんあるということは、
それだけなすべき仕事が多いということである。
「遅れているから当社はあかん」と言うのではなく、
「遅れているから前へ進めるのだ」
「先頭に立っていないから先頭に立てるんだ」
という新しい解釈をしなければならない。
「人に後れをとったらもうあかん」という人は敗北者である。
常に勝利者たるものは
「遅れているからこそ前へ進めるんだ」と解釈する

諸君の持てる力を3倍にするということは可能である
(1983年1月)88歳
----------------------------

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「転機」
今までの考え通りで、今までのやり方通りで、
それで事がすむならばよいけれど、
天地は日に新たであり、人の営みもまた日に新たである。
だからほんとうは、
昨日の考えは、きょうは一新されていなければならないし、
きょうのやり方は、明日にはもう一変していなければならない。
刻々に新しい考えを生み出し、刻々に新しいやり方で事に処していく
それが自然の理法に則した生成発展への道というものであり
そこに人間としての真の歓喜というものがある
その歓喜が失われたとき、
人の成長はとまり、社会の生成発展もとまる。
とまるだけならよいけれど、
とまるということはジリジリと崩壊するということである
人にとっても社会にとっても、まさに危機と言えよう。
今まで通りではいけないのである。
今まで通りに安住してはいけないのである。
思いを一新しなければならぬ。やり方を一変しなければならぬ。

日本も世界も、今日ただいまはそういうときなのである。
そういうきびしい転機に立っているのである。
危機とは転機の自覚のないことをいうのである。

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
「けどな」道は無限、知恵は無限 [2020年12月24日(Thu)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

「成功」は成し遂げた瞬間から、過去のものとなってしまうけれど、
「成長」はつねに未来志向の考え方になる。
だからこそ「成長し続けよう
成功ではなく成長を目指す/中竹竜二『鈍足だったら、速く走るな』

みずから開拓していこうという熱意にみちて
心してものごとを見、そこから学びとろうとするなら
道は無限にひらかれている
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。(…)
生涯、みずから新しいものを吸収し、勉強するという態度
よろこんで人びとの教えを受けていくという態度
そういうような態度を持ちつづける人には、
進歩はあっても停滞はない
一歩一歩、年をへるにつれて着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。
さらに十年、二十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。
そういう人がほんとうの大器晩成というのでしょうな。
「“学ぶ”ということ」/松下幸之助『人生談義』

この大自然、大宇宙は
無限の過去から無限の未来にわたって
絶えざる生成発展を続けている
のであり、その中にあって
人間社会、人間の共同生活も物心両面にわたって
限りなく発展していくもの
だと思うのである。
そういう生成発展という理法が、
この宇宙、この社会の中に働いている。
その中でわれわれは事業経営を行なっている。
そういうことを考え、そのことに基礎をおいて
私自身の経営理念を生み出してきているわけである。
ことごとく生成発展と考えること」/松下幸之助『実践経営哲学』

不況だから利益があがらなくても仕方がない、というのも
一つの見方である。しかし、現実に不景気の中でも
利益をあげ、業績を伸ばしている企業がある
ということは、
やはりやり方次第だということではないだろうか。
つまり、業績の良否の原因を、不況という外に求めるか、
みずからの経営のやり方という内に求めるかである。
経営のやり方というものは、いわば無限にある
そのやり方に当を得れば必ず成功する
「利益は報酬であること」/松下幸之助『実践経営哲学』

前間孝則・岩野裕一『日本のピアノ100年』より――
いま、時代の大きな転換期の中で、
いかなる産業も、過去の成功体験を一度白紙にリセットして、
新しい時代に生き残る戦略を再構築しなければならない
状況にあることは、
あらためて言うまでもない。
こと産業としてのピアノを考えた場合、
その国内需要の落ち込みはあまりに激しく、販売台数は最盛期の7分1で、
なおも低落傾向にあるという数字だけから見れば、
国内におけるピアノ製造の存続自体が危ぶまれるほどであり、
業界が抱く危機感は並大抵のものではないと思われる。
日本国内には現在、およそ600万台ものピアノが存在するといわれている。
すでに市場は飽和状態であるばかりか、
いまでは使われずにリビングルームで眠っているピアノや、
家庭で邪魔者扱いされたあげくに
中古ピアノとして業者に引き取られるケースもかなりある一方、
電子楽器の低価格化・高性能化が進む中で、
もはやかつてのように「作れば売れる」時代が再来することはあり得ない

ピアノ市場そのものが収縮すれば、
企業は存続のためにほかの楽器や、場合によっては
異業種にその領域を拡げるという“多角化戦略”に走らざるを得ず、
メーカー内におけるピアノの相対的な地位は 
次第に下がっていかざるを得なかったのである。
『日本のピアノ100年〜ピアノづくりに賭けた人々』

「けどな」


松下幸之助『道は無限にある』The Paths Are Infinite より――
お互い人間というものは、
よい状態が続いたり、少し事がうまくいったとなると
とかく易きにつきやすいものです。そして、
そこに安住してしまって
新しいものを求める熱意が欠けてくるきらいもあるように思います。
これも人間の心理として、一面ムリからぬことではあるでしょう。
けれども、それでは変化発展してゆく時の流れについていけなくなって
やがては進歩向上もとまってしまうのではないでしょうか。
だからやはり、
常にみずから新しいものをよび起こしつつ、
なすべきことをなしてゆくという態度を忘れてはならない
と思います。
お互いが、日々の生活、仕事の上において、
そういう心構えを持ちつづけている限り、
一年前と今日の姿とはおのずとそこに変化が生まれてくるでしょうし、
また一年先、五年先にはさらに新たな生活の姿、仕事の進め方が生まれ、
個人にしろ事業にしろ、そこに大きな進歩向上がみられるでしょう。
こう考えれば、まさに「道は無限にある」という感じがします。
大切なことは、
そういうことを強く感じて、熱意をもってやるかやらないかです。
ふしぎなもので、熱意をもって事にあたれば
なすべきことは次から次へと生まれてくるものです。
今日、この社会の動きはまことにめまぐるしく、むつかしい問題も
次つぎと起こってきています。が、こうした時期だからこそ
日に新たな心構えで日々の仕事、活動に熱心にとり組んでいけば
次つぎとよりよき知恵も生まれてきやすいのではないでしょうか。

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「知恵は無限」
人間の知恵というものは、しぼればいくらでも出てくるものである。
もうこれでおしまい、もうこれでお手上げ、などというものではない。
「なすべきことをなさねばならぬ」という強い決意の上に立って、
正義感と勇気に燃えたならば、そこに思いもかけぬ知恵がわき出て、
思いもかけぬ道がひらけてくる
のである。
もちろん、一人の人の知恵には、そこにおのずから限りがある。
しかし、わからぬことは他人に聞くという謙虚さがあったならば
それらの他の知恵がわが知恵の上に限りなく加わって
やはり知恵は無限にひろがってゆくと言えよう。
つまり、なすべきことをなすという勇気と、
人の声に私心なく耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
知恵はこんこんとわき出てくる
のである。
わが知恵の乏しきを嘆く前に、お互いにこの勇気と謙虚さを、
あわせ持っていたか、三省、四省してみたい。
そして、もうこれでおしまいなどと、安易に言うのはやめにしたい。
知恵は無限にわき、無限に集まるのである。

会社がいつも順風満帆で、順調に発展していくのは、
まことに望ましいことです。しかしそういう状態にあると、
社員は知らず識らずと温室育ちになります。
発展の過程に幾多の困難があって
その困難におびえず、喜んでそれを迎えて
そしてそれを切り抜けることがしばしばあってこそ
国なり会社なりが永遠の発展をしていくものだと思います。
「困難に直面して力をつける」/松下幸之助著『社員稼業』

市場縮小、未来がない「けどな」だからどうする
カネがない、足らない「けどな」だからどうする
時間がない、足らない「けどな」だからどうする
人がいない、足らない「けどな」だからどうする
仕事がない、売れない「けどな」だからどうする

「素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明にします」

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
成長に成長を重ねる「限りなき魂の成長」 [2020年12月23日(Wed)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

「成功」は成し遂げた瞬間から、過去のものとなってしまうけれど、
「成長」はつねに未来志向の考え方になる。
だからこそ「成長し続けよう
成功ではなく成長を目指す/中竹竜二『鈍足だったら、速く走るな』

みずから開拓していこうという熱意にみちて
心してものごとを見、そこから学びとろうとするなら
道は無限にひらかれている
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。(…)
生涯、みずから新しいものを吸収し、勉強するという態度
よろこんで人びとの教えを受けていくという態度
そういうような態度を持ちつづける人には、
進歩はあっても停滞はない
一歩一歩、年をへるにつれて着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。
さらに十年、二十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。
そういう人がほんとうの大器晩成というのでしょうな。
「“学ぶ”ということ」/松下幸之助『人生談義』

若き幸之助には高い学歴もなく、資産もカリスマ性も人脈もなかった。
出発点がこのように慎ましかったにもかかわらず、
彼は成長に成長を重ねた
裕福になることがえてして傲慢さと冷淡さにつながる世界にあって、
みごとなほど彼は人を堕落させる力に汚染されなかった。
結論を言えば、
彼があれほどの業績を挙げられた最大の理由はその成長にあり
知能指数やカリスマ性、特権、僥倖など
ふつう偉大な成功について回る諸々の要因にはないように思える。
ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長
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ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長』の「エピローグ」の結び――
松下幸之助のもっとも基本的で、潜在的にもっとも力強い思想は
生涯にわたって学び続ける根源に関するものである。
彼ならこう言うだろう。
東京大学出身(あるいはハーバードでもオックスフォードでもいい)という
特権的な学歴を持っていることはいいことだが、
それは何ら本質的なことではない。これと同じことは、
抜群の知性、優れた容姿、豊かな個性についても当てはまる。
この種の要素よりも重要なことは
確かな習慣(信念)と、それを支える理想なのだ
彼は繰り返し人々に説いた。
謙虚で素直な心を持てば、
人はどんな経験からも、どんな年齢でも学べる
と。
人間的な大きな理想を抱けば、
成功も失敗も克服し、
そのどちらからも学び、成長し続けることができる
と。
彼の驚異的な人生は、これらの主張の力強い証明にほかならない。

【松下幸之助の21世紀への遺訓】
変化する環境にあっては、
生涯にわたって学び続ける姿勢が、
知能指数や家庭環境やカリスマ性や学歴よりも、
偉大な成功や抜群の業績につながる。

生涯にわたって学び続ける姿勢
謙虚さ、素直な心、リスクに挑む意志、人の意見を傾聴する能力、
そして誠実な自己観照(自省)と深く結びついている。

大きな理想主義的・人道主義的な目標と信念は
事業での成功と相容れないものではない。
少なくとも急速に変化する状況にあっては、
その目標と信念が成長を促す支えとなり、
それによって業績を挙げることもありうる。

逆境は必ずしも職業や人生を打ちのめすものではない。
それなりの条件が整えば
苦難の時期は大きな理想と絶えざる成長を育み、
偉大な達成に結びつく
ことがある。


あなたは謙虚にしているように見えるけれども。
どういう心持ちで謙虚にやっているのかというご質問ですね。
ぼくは謙虚にしているとか、していないとかは意識していませんけれど、
結局、何ごとによらず、衆知によらないといかんと思うんです。
だから、10人の人がおれば10人の知恵を借りる、
100人の人がおれば100人の知恵を借りる、
1億人の人がおれば1億人の知恵を借りる、という心構えで
やっているんです。だからね、すべての皆さんはじめ、
この家屋、電灯、光、全部がわが師だと思っている

すべてのものがわが師であると、こういう考えでやっている。
だから、どこを見ても私より偉い人ばかりがいる、
私が一番あかん、そういう考えでやっている
んです。
1983年4月、80歳を超えた松下さんが
世界中から集まった若手経営者の前で講演した後の質疑応答


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
成功か失敗か、成長か停滞か衰退か [2020年12月22日(Tue)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

「成功」は成し遂げた瞬間から、過去のものとなってしまうけれど、
「成長」はつねに未来志向の考え方になる。
だからこそ「成長し続けよう
成功ではなく成長を目指す/中竹竜二『鈍足だったら、速く走るな』

みずから開拓していこうという熱意にみちて
心してものごとを見、そこから学びとろうとするなら
道は無限にひらかれている
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。(…)
生涯、みずから新しいものを吸収し、勉強するという態度
よろこんで人びとの教えを受けていくという態度
そういうような態度を持ちつづける人には、
進歩はあっても停滞はない
一歩一歩、年をへるにつれて着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。
さらに十年、二十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。
そういう人がほんとうの大器晩成というのでしょうな。
「“学ぶ”ということ」/松下幸之助『人生談義』

★「成功」か失敗か
 ―― 事が成るか、成らないか(結果の話)

★「成長」か停滞か衰退か
 ―― 昨日より今日、今日より明日か、
今日は昨日の如く、明日も今日の如く、十年一日の如きか(プロセス)

「成長の先に成功がある」
―― 成功や失敗の結果に一喜一憂せず
つねに「学び続ける」ことで「限りなく成長」できる
その意味では「一時の成功や失敗の先にさらなる成長がある」ひらめき

成功にとらわれるなexclamation成長にとらわれろexclamation×2
本田圭佑

松下幸之助『実践経営哲学』より――
必ず成功すると考えること」
物事がうまくいったときに、
それを自分の力でやったのだと考えると、
そこにおごりや油断が生じて、つぎに失敗を招きやすい。
実際、成功といっても、それは結果の話であって、
その過程には小さな失敗というものがいろいろある

それらは一歩過てば大きな失敗に結びつきかねないものであるが
おごりや油断があると、そういうものが見えなくなってしまう
けれども「これは運がよかったから成功したのだ」と考えれば、
そうした小さな失敗についても、一つひとつ反省することになってくる。

反対に、うまくいかなかったときに、
それを運のせいにして「運が悪かった」といことになれば、
その失敗の経験が生きてこない
自分のやり方に過ちがあったと考えれば、
そこにいろいろ反省もできて、同じ過ちはくり返さなくなり、
文字どおり「失敗は成功の母」ということになってくる。

そのように「失敗の原因はわれにあり」という考えに徹するならば、
そうした原因を事前になくしていこうという配慮ができるようにもなる。
だから、それだけ失敗も少なくなって、
どういう状況下にあっても経営が順調にいくという姿に
なってくるわけである。


「失敗は成功のもと」というたとえがあるが、
ほんとうに失敗を成功のもとにする人は何人あるか
これは正しい理論を用いて反省する人にのみ与えられたる権利だと思う。
ただ単に進退伺いを出したりするような人には絶対に、
失敗が成功のもとになる資格はないはずだと私は心得ている。
「果報は寝て待て」ということわざがあるが、
あれは私の祖先かだれかそそっかしいやつが間違えたと思う。
あれは「果報は練って待て」で、反省して待つことだ。
いくら反省しても運否天賦ということがあるが
よく反省して待つことがわれわれの問題だと思う。
本田宗一郎『俺の考え』

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
本当に限界を感じた時が始まり [2020年12月21日(Mon)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである
有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ

物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である
小林秀雄『無私の精神』

先月末に受けた健康診断、
おまけのインフルエンザ予防接種が目当てでしたが、
郵送で届いた結果を開封してビックリ。まさかまさかのオールAでした。
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1ヶ月後に64歳、さらに1年後には高齢者の仲間入りですが、
健康診断はもとより、子どもの頃の通信簿を含めて、
わが人生で初めてのオールAの成績表です。

コロナ禍のステイホームで生活のリズムが不規則になって、
もろもろのストレスも多く抱えがちにも関わらずのこの結果は、
おそらくランニングのおかげでしょう。心から感謝です。

昨日(12/20)も、朝から万博公園でのラン練習に参加。
一周1.15キロで20キロの予定が、まともについていけたのは10周まで。
意地でさらに1周ついていくのが限界で、その後はペースダウン。
18キロで自分を勘弁して練習終了。
自分の思い通りになりませんが、その日の結果に一喜一憂することなく、
練習で見出した明日への課題は「成長のエネルギー源」です。

「成功」は成し遂げた瞬間から、過去のものとなってしまうけれど、
「成長」はつねに未来志向の考え方になる。
だからこそ「成長し続けよう
成功ではなく成長を目指す/中竹竜二『鈍足だったら、速く走るな』

先週土曜日の朝、伴走練習でご縁をいただいたラン仲間の一人から、
走りのパフォーマンス向上のための練習メニューと
正しい呼吸やフォームについて秘伝の極意を授かりましたが、
彼には、節目節目で、的確なアドバイスをいただいてきました。

たとえば、3年前の大阪マラソンで結果を出せなかった時、
次の奈良では歩かずに完走できたら大阪より「成長」間違いなしとか、
靴選びのアドバイスに自分の走力に分不相応で躊躇していると、
靴に選ばれるランナーになってください」とか、
さらには、関門不通過の屈辱から再起をかけたレースでは、
篠山サブフォー必達の虎の巻をいただきました。
結果として、力不足で虎の巻どおりのトレースはできませんでしたが、
最後まで自分を信じて走り切り、サブフォーを達成できました。

サブ6の初フルから始まって、今や2時間50分切りの彼だからこそ、
様々な壁を経験され、その一方で達成した喜びを味わってこられたので、
そのアドバイスは、相手の立場に立って、わが事の思いで
いつも親身で的確。ありがたい限りです。

2月末に予定のオンライン開催の篠山マラソンまで10週間、70日。
さらに3月21日開催の淀川マラソンまで13週間、91日。
彼から授かった奥義を一意専心で取り組んで身につけ、
有森裕子さんにカッコいいとこ見せるぞ❣
――「動機善なりや、私心なかりしか」稲盛和夫

本当に限界を感じた時、それがトレーニングの始まりだ
ロニー・コールマン/NHK筋肉体操の特番より

練習を終えて家に帰る途中、業務スーパー津雲台店に立ち寄ると、
見切り品のゆずが6個198円で売っていたので購入。
冬至は今日ですが、一日お先にゆず湯で身も心もリラックス、ほっかほか
「見切り品 風呂に浮かべる 年の暮れ」万歩足跡
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松下幸之助『続・道をひらく』より――
「年の暮れ」
何となく心せわしくなってきた。
毎年のことで、別にどうということはないようにも思うのだが、
やはり年の暮れというと落ち着かない。
あれもかたづけておきたい。これも始末をしておきたい。
別にウカウカすごしてきたつもりではないけれども、
それでも何となくその日その日をウカウカすごしてしまったような
悔いにおそわれるこの年の暮れ
である。だがしかし、
こんな思いがあればこそ、この一年のしめくくりもできるのであろう。
年内余日もないきょうこのごろではあるけれど、今からでもおそくない
できる限りのことはしておこう。及ばずながらもやってみよう。
今や一日が尊く、一時間が貴重なのである。
そんななかでも、世と人に対する感謝の気持ちだけは忘れまい
この一年、ともかくもすごし得たのは、自分ひとりの力ではない。
あの人のおかげ、この人のおかげ、
たくさんの人のたくさんの善意と好意のおかげである。
時にやり切れない思いに立ったこともあろうけれど、
最後はやっぱりこの感謝の思いにかえりたい。
それでこそのこの年の暮れ
である。

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夜明け前の千里中央公園、6時半からラジオ体操
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人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
自分の運命を自分でデザインして創り出す [2020年12月20日(Sun)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである
有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ

物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である
小林秀雄『無私の精神』

中竹竜二『判断と決断』より――
判断と決断の一番大きな違いは、その時間軸にある。
「判断」は過去から現在に起こった事柄について下すもの。
「決断」は未来に起こり得る事象に対して下すもの。

―― 未来について客観的事実に基づいて予測して「判断」を下し、
いくつかの道(選択肢)から「決断」を下すもありでは?

過去の因を知ろうとするならば、現在の果をみよ。
未来の果を知ろうとするならば、現在の因をみよ。
因果経云「欲知過去因、見其現在果、欲知未来果、見其現在因」
平家物語
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北御堂/2015年1月

西堀榮三郎『技士道 十五ヶ条』より――
「アムンセンとスコットに見るリーダーシップ」
運とか不運は神様だけが決めるもので、
ほんとうに人間の力の及ばない絶対的なものなのであろうか。
私はそうは思わない。
運と不運を分ける点はほんのちょっとした小さな分岐点の決断にある
右にとるか左にとるかの選択によって、運命は大きく分かれるのである
はじめはほんの小さな些細なことだと思われる誤りでも、
後になってそれは、隊に致命的な打撃を与えることにもなる。
あたかも汽車のレールがポイントのところでは
わずか数センチしか違っていなかったのが、
先に行けば何百キロも違う方向へ行ってしまうというように、
最初の小さな失敗は次々に分岐点での誤りを重ねて、
ますます悪循環を招いていく


このようにアムンセン隊とスコット隊の行動を比べてみたとき、
アムンセンは成功すべくして成功し、
スコットは敗れるべくして敗れた
としか言いようのないことに気がつこう。
アムンセンは、経験からきた隊長としての心構え、隊の運営方法、
すべての面でスコットより優れていた。
このことが運命を分ける分岐点にきたとき
アムンセンの判断の背景にあって、アムンセンに正しい決断を下させ
運が運を呼んで、アムンセンに勝利をもたらしたのである
西堀榮三郎『技士道 十五ヶ条』

アムンゼンとスコットは劇的に異なる結果を生み出した。
それぞれが劇的に異なる環境に遭遇したからではない
行動が違ったから結果も違ったのである。
ジム・コリンズ『ビジョナリーカンパニー4』

ヴィクトール・フランクル『夜と霧の明け渡る日に』より――
私たちは、自分の身に降りかかる運命をいずれかの形で
自分なりにデザインできます

「行うこと、または耐えることによって、
 価値を高められない状況は存在しない」
とゲーテは言っています。
可能であるなら自分で運命を変える
しかし、それしか道がないのであれば、運命を潔く引き受ける
そのどちらかなのです。
いずれの場合も、私たちは運命や不幸によって、精神的に成長できます
ヘルダーリンが「自分の不幸の上に立つと、
私の立ち位置は前より高くなる」と述べている意味が、
わかったのではないでしょうか。

人間は、自由を用いる方法について選択の自由を持っているという意味で
自分自身の運命の創造者である。しかし、
結果の支配者ではない
『今こそ読みたいガンディーの言葉』

道は近きにあり、かえってこれを遠きに求むという言葉があるが実際です。
つい鼻の先にあるのですけれども、どうしても気がつきません。
夏目漱石『門』

「道」松下幸之助
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩む
ことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか。

他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。


それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。

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松下さんの創業の地・大開/2011.4.15

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
決断の基準 [2020年12月19日(Sat)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである
有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ

物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である
小林秀雄『無私の精神』

中竹竜二『判断と決断』より――
判断と決断。
この二つは似たような言葉だが、僕にとっては非なる言葉だ。
両者の違いはそれぞれの基準にある
「判断」の基準は、正しいか正しくないか
「決断」の基準は、強いか弱いか。さらには早いか遅いか

中竹竜二『判断と決断』より――
そして、出発点と終えたあとの状態が違う
「判断」をすべきときは、
ことの大小はあれ、人が「混沌」の中にいるとき
そして、判断を終えたあと、ものごとは
ある指標・基準において整理された状態になる

―― 判断の後には「冷静」がそこにあるべきである。
「決断」すべきときは、
人が選択肢を前に迷っているとき
決断を終えたあと、人は新しい一歩を踏み出し
選んだゴールや方針に向けて行動を起こす
―― 過去の成功事例に引っ張られたり、
リスクに憶病になりがちな不完全な僕らに「勇気」を与え、
見えない未来に踏み出す僕らを不安から救ってくれる。

中竹竜二『判断と決断』より――
「強い決断」とは、単にいくつかの選択肢から方針を決めることではない。
決めたゴールに向かって踏み出し、
それを実現するために行動してくことだと僕は思う。(…)
なぜ、僕が「決断」という言葉に対して、
「正しい」という形容詞を付けずに、「強い」を付けるか。
そもそも正しいかどうかは、目指すゴールに到達できたかどうか
つまり、結果が出てみないとわからない。だから、
決断をする時点で「正しい決断をしょう」と息巻いても意味がない
しかし、下した決断を正しくすることは可能だ
どんな環境に陥ったとしても、自分の決断を信じ、前へ進む、
それによって、ゴールは近づいてくる

そのためには、決断を「強く」する。
換言すれば「覚悟を決める」ことが欠かせない。
強さや覚悟がなければ、壁にぶつかったとき、
すぐにゆらいでくじけてしまうからである。

60パーセントでもよいから、おたがいに、謙虚に真剣に判断し、
それを100パーセントにする果断な勇気と実行力とを
持ちつづけていきたいものである。
「判断と実行と」/松下幸之助『道をひらく』

正しい判断(→)強い覚悟で断を下す(→)不屈邁進(→)成し遂げる
甘い判断、誤った判断(→)無謀な決断、迷って弱い決断(→)出たとこ勝負

自己欺瞞なくして希望はないが、
勇気は理性的であり、あるがままにものを見る。
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い
希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、
それをやり遂げるには勇気がいる
「希望ではなく勇気」/『エリック・ホッファー自伝』

山ほどある情報のなかから、自分に必要な情報を得るためには、
「選ぶ」よりも「いかに捨てるか」のほうが重要
手は浮かぶものではなくて、消去して残ったものになります。
ひとつの手を選ぶということは、
それまで散々考えた手の大部分を捨てること。
羽生善治『捨てる力』
「運命は勇者に微笑む」

リーダーは、問題が起きた時点で素早く状況判断し
決断を下さなければならない
自分で決断を下し、その結果について全面的に責任を持つのが、
ほんとうのリーダーだ。それくらいの決意を持って
チームを率いていかなければ、強力なリーダーシップを発揮できない。
合議制による意思決定では、
決定するまでにみんなの意思統一がはかられているので、
決定しまえば迅速に行動できる長所はあるが、
それでは状況の変化に対応するフットワークが欠けてしまう。
状況の変化に素早く反応しなければいけない現場のリーダーにとって
決断する勇気が何よりも大切なことだと私は考える。
『ジーコのリーダー論』

「道」松下幸之助
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩む
ことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか。

他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。


それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。

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松下さんの創業の地・大開/2011.4.15

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
判断の基準、拠り所 [2020年12月18日(Fri)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである
有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ

物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である
小林秀雄『無私の精神』

自然の摂理とか真理というものに思いをいたしつつ、
何が正しいかという人生観、社会観、世界観に立った経営理念をもち、
それを「基礎」において、時々刻々の経営を行っていくことが
きわめて大切だと考えるのである。
松下幸之助『実践経営哲学』

中竹竜二『判断と決断』より――
判断と決断。
この二つは似たような言葉だが、僕にとっては非なる言葉だ。
両者の違いはそれぞれの基準にある
「判断」の基準は、正しいか正しくないか
「決断」の基準は、強いか弱いか。さらには早いか遅いか

物事の判断にあたっては、
つねにその本質にさかのぼること、そして
人間としての基本的なモラル、良心にもとづいて
何が正しいのかを基準として判断することがもっとも重要である。
(…)
誰から見ても普遍的に正しいことを判断基準にし続けることによって
初めて真の意味で筋の通った経営が可能となる
『稲盛和夫の実学』

中竹竜二『判断と決断』より――
そして、出発点と終えたあとの状態が違う
「判断」をすべきときは、
ことの大小はあれ、人が「混沌」の中にいるとき
そして、判断を終えたあと、ものごとは
ある指標・基準において整理された状態になる

―― 判断の後には「冷静」がそこにあるべきである。
「決断」すべきときは、
人が選択肢を前に迷っているとき
決断を終えたあと、人は新しい一歩を踏み出し
選んだゴールや方針に向けて行動を起こす
―― 過去の成功事例に引っ張られたり、
リスクに憶病になりがちな不完全な僕らに「勇気」を与え、
見えない未来に踏み出す僕らを不安から救ってくれる。

自己欺瞞なくして希望はないが、
勇気は理性的であり、あるがままにものを見る。
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い
希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、
それをやり遂げるには勇気がいる
「希望ではなく勇気」/『エリック・ホッファー自伝』

正しい判断(→)強い覚悟で断を下す(→)不屈邁進(→)成し遂げる
甘い判断、誤った判断(→)無謀な決断、迷って弱い決断(→)出たとこ勝負

成功すると思うからやってみたい
それができないと思うから行かないという「判断基準」では
後悔をうむだろうなと思います。
できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。
その時にどんな結果が出ようとも後悔はない
と思うんですよね。
イチローの引退会見(2019.3.21)

人は必ず障害に出会う。誰もが負けそうになる。
そこで頑張れる人間になりたい。
前向きな姿勢で夢を持って歩いて行きたい。


「道」松下幸之助
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩む
ことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか。

他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。


それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。

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松下さんの創業の地・大開/2011.4.15

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
時々刻々の経営 [2020年12月17日(Thu)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである
有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ

物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である
小林秀雄『無私の精神』

松下幸之助『実践経営哲学』より――
「まず経営理念を確立すること」
(…)
正しい経営理念があってこそ、健全な発展もあるといえる。
刻々に変化する社会情勢の中で、次々に起こってくるいろいろな問題に
誤りなく適正に対処していく
上で「基本のよりどころ」となるのは、
その企業の経営理念である。
また、大勢の従業員を擁して、その心と力を合わせた力強い活動を
生み出していく
「基盤」となるのも、やはり経営理念である。
だから経営にあたっては、単なる利害であるとか、
事業の拡張といったことだけを考えていたのではいけない。
やはり「根底」に正しい経営理念がなくてはならない。
そして、その経営理念というものは、何が正しいかという、
一つの人生観、社会観、世界観に深く根ざしたものでなくてはならないだろう。
そういうところから生まれてくるものであってこそ、
真に正しい経営理念たり得るのである。
(…)
人間の本質なり自然の摂理に照らして
何が正しいかということに立脚した経営理念というものは、
昔も今も将来も、また日本においても外国においても通じるものがある。
私は自分の体験からそのように考えているのである。
そういうことで、自然の摂理とか真理というものに思いをいたしつつ
何が正しいかという人生観、社会観、世界観に立った経営理念をもち
それを「基礎」において、時々刻々の経営を行っていくことが
きわめて大切だと考えるのである。

生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。
考え込んだり言語を弄することによってではなく
ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される
生きるとはつまり、
生きることの問いに正しく答える義務
生きることが各人に課す課題を果たす義務
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
ヴィクトール・フランクル『夜と霧』

とかく、わたくしどもは、
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、そこに失敗の原因があります。
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』

「一日不作、一日不食」百丈禅師
これほど力強いことはあるまい。この大決心を以て事をやれば、
いかなる事業にも成功することができる。
働くために食うのであるか、食うために働くのであるか、などと
よく云う人があるが、生まれた以上は働くのも当然の任務であるし
食うと云うのも事実問題でなければならぬ
この事実問題を解決するには、この
「一日作(な)さざれば一日食らわず」という大丈夫の心さえあれば、
断じて迷うことはないと思う。
菅原時保『禅窓閑話』

「道」松下幸之助
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩む
ことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか。

他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。


それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。

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松下さんの創業の地・大開/2011.4.15

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
諸行無常、万物流転、時々刻々 [2020年12月16日(Wed)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

中竹竜二『判断と決断』の PROLOGUEより――
判断と決断。
両者の違いはそれぞれの基準にある
「判断」の基準は、正しいか正しくないか
「決断」の基準は、強いか弱いか。さらには早いか遅いか
そして、両者は時間軸で分けられる
「判断」とは、過去の事象について評価すること。
「決断」とは、未来の事象について方向性を打ち出すこと。

社会はあらゆる面で絶えず変化し、移り変わっていく。
だから、その中で発展していくには、企業も社会の変化に適応し、
むしろ一歩先んじていかなくてはならない
。それには、
きのうよりきょう、きょうよりあすへと、
常によりよきものを生み出していくことである。
きのうは是とされたことが
きょうそのままで通用するかどうかは分からない
情勢の変化によって、それはもう好ましくないということが
往々にしてあるわけである。もちろん、
旧来のやり方でも好ましいものはそのまま続ければいいわけだが、
やはり時代とともに改めるべきは次々に改めていかなくてはならない
「時代の変化に適応すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである
有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ

物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である
小林秀雄『無私の精神』

松下幸之助『道をひらく』より――
「判断と実行と」
どんな仕事でも、仕事をやるからには判断が先立つ。
判断を誤れば、せっかくの労も実を結ばないことになろう。
しかし、おたがいに神さまではないのだから、
先の先まで見通して 、すみからすみまで見きわめて、
万が一にも誤りのない100パーセント正しい判断なんてまずできるものではない。
できればそれに越したことはないけれど、100パーセントはのぞめない。
それは神さまだけがなし得ること。
おたがい人間としては、せいぜいが60パーセントというところ。
60パーセントの見通しと確信ができたならば
その判断はおおむね妥当とみるべきであろう。
そのあとは、勇気である。実行力である。
いかに的確な判断をしても、それをなしとげる勇気と実行力とがなかったら
その判断は何の意味も持たない
勇気と実行力とが、
60パーセントの判断で、100パーセントの確実な成果を生み出していくのである。
60パーセントでもよいから、おたがいに、謙虚に真剣に判断し
それを100パーセントにする果断な勇気と実行力とを
持ちつづけていきたいものである。

自己欺瞞なくして希望はないが、
勇気は理性的であり、あるがままにものを見る。
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い
希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが
それをやり遂げるには勇気がいる
「希望ではなく勇気」/『エリック・ホッファー自伝』

コップに半分入っているのと半分空であるのとは、
量的には同じである。だが意味は違う
世の中の認識が前者から後者に変わるとき、
大きなイノベーションの機会が生まれる。
ドラッカー『テクノロジストの条件』

危機感なきところ、成長なし
松下幸之助『松翁論語』

安定は情熱を殺し、不安は情熱を高める
マルセル・プルースト

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
判断、決断、断行 [2020年12月15日(Tue)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

松下幸之助『道をひらく』より――
「断を下す」
ひとすじの道をひとすじに、ひたすら歩むということは、
これもまたなかなか容易ではないけれど、
東と西に道がわかれて、それがまた北と南にわかれて、わかれに
わかれた道をさぐりさぐり歩むということは、これも全く容易でない。
どうしようか、どちらに進もうか、あれこれととまどい、思い悩んでも、
とまどい悩むだけではただ立ちすくむだけ
自分ひとりなら、長い道程、時に立ちすくむこともよかろうが、
たくさんの人があとにつづいて、
たくさんの人がその道に行き悩んでいるとしたら、
わかれた道を前にして、容易でないとグチばかりこぼしてもいられまい。
進むもよし、とどまるもよし。
要はまず断を下すことである。みずから断を下すことである。
それが最善の道であるかどうかは、
神ならぬ身、はかり知れないものがあるにしても、
断を下さないことが自他共に好ましくないことだけは明らかである。
人生を歩む上において、企業の経営の上において、
そしてまた大きくは国家運営の上において、
それぞれに今一度、断を下すことの尊さを省みてみたい。

Making the call is making progress(決断することで前に進む)
「これについて考えよう」ではなく
「これについて決断を下そう」と決断する姿勢を持つ
完璧な解決を待たず、決断して前進する
決断に決断を重ねる流れに入ると、勢いが生まれ、
モチベーションも高まる。決断は進歩だ
あなたが決めた一つ一つのものは、あなたの土台の一部になる。
問題が起こるのは、後に完璧な答えが得られると期待して
決断を先延ばしするときだ。完璧な答えはやってこない。
明日決断するのも今日決断するも同じだ
どれほど計画しても、間違ってしまうこともある。
一回決めたことは永遠ではない。間違えたのならやり直せばいい
あまりに分析しすぎて、進みだす前に先送りしてしまい、
事態を悪化させるようなことをしてはならない。
『小さなチーム、大きな仕事』

中竹竜二『判断と決断』の PROLOGUEより――
判断と決断。
この二つは似たような言葉だが、僕にとっては非なる言葉だ。
両者の違いはそれぞれの基準にある
「判断」の基準は、正しいか正しくないか
「決断」の基準は、強いか弱いか。さらには早いか遅いか
そして、両者は時間軸で分けられる
「判断」とは、過去の事象について評価すること。
「決断」とは、未来の事象について方向性を打ち出すこと。
もちろん、これはまったくの持論である。
英訳すれば、よりわかり易いだろう。
「判断」はjudgment、「決断」はdecisionと訳す。
「前者」は、ある規則やルールに基づいて正しいか否かを判定するもの。
「後者」は、未来に向かって踏み出すための第一歩だ。
「判断」は混沌とした日常を整理して現状を把握し、
「決断」は見えないゴールに向かっていく不確かな道筋を明らかにする。
混乱と不安から僕らを救い、逆境を超えてゴールを目指すには
弱くて不完全な僕らを補ってくれるというわけだ。

自己欺瞞なくして希望はないが、
勇気は理性的であり、あるがままにものを見る。
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い
希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが
それをやり遂げるには勇気がいる
「希望ではなく勇気」/『エリック・ホッファー自伝』

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
雲外に蒼天あり [2020年12月14日(Mon)]
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「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている

松下幸之助『道をひらく』より――
「時を待つ心」
何ごとをなすにも時というものがある。
時 ―― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。 
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖(ぎょうこう)を待つに等しい
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである
おたがいに時を待つ心を養いたい。

Never Lose Hope(決して希望を失わない)
We can never be completely free from anguish and worry.
But even in your worst moment, try not to lose your cheerfulness
and hope for tomorrow
.
私たちは決して苦痛や悩みから解放されることはありません。
しかし最悪のときでさえも、明るさを失わず、
明日に希望を持つように努力する
ことはできるのです。
稲盛和夫『成功への情熱―PASSION―』

強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず
未来に目的を持たせなければならなかった。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
ヴィクトール・フランクル『夜と霧』

習慣というものはおそろしい。
楽しい想い出はいつも晴れの日だ、という言葉がある。
よき時代のよき記憶は人間を保守的にする。一つ覚えると、
それに死ぬまで執着しているようなものである。やんぬるかな。
「自由化時代の経営学」/本田宗一郎『俺の考え』

いまだに昨日のスローガン、約束、問題意識が論議を支配し、
視野を狭めている。それらが、
今日の問題解決を阻む最大の障害となっている。
ドラッカー『新しい現実』

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである。
有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。
物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である。
小林秀雄『無私の精神』

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての「価値」をもたなくてはならない

――坂村真民さんが好きなゲーテの言葉――


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
知識は知識なり、何を学び直すか [2020年12月03日(Thu)]
日経電子版で今週月曜日から連載の『コロナと資本主義・再生への道』

第3回の昨日(12/2)は「大きな政府より賢い政府」
――(…)コロナ危機で再び政策をどう使いこなすかが問われている。
分かってきたのは、規模ではなく、
「賢さ」こそが政策の効果を決める
ということだ。
世界を見渡せば、政策のイノベーションを競う動きが始まっている
(…)
非効率な分野に財政資金を投じた国は経済が停滞し、
膨張した公的債務の処理に苦しむだろう。
活力を求め、創意工夫を続けていく。資本主義の原点に向き合えるかどうかが、
国家の浮沈さえも左右する。

薄く広くのバラまき支援から、データ解析に基づいて
ピンポイントで戦略的に支援する海外諸国の動きが紹介されています。
非効率でムダが多い状態で生き残れないのは政府に限った話でなく、
規模の大きさより「賢さ」か問われるのは民間も同じです。

そして、ここに問われる「賢さ」とは、クイズ王のような知識の量でなく、
眼前のデータを基に「自分の頭で考える」知恵ではないかと……

PHP創刊号(1947年4月)より――
巻頭言「知識は知識なり」
近代の物の考え方は、どうも知識や才能に余りにも重点を置き過ぎて、
それらが人間社会を動かしている様に思われる。
昔は人智未だ開けず、無知蒙昧の中にあって人々のめぐまれぬ生活は、
知識才能が発達するに従い著しく豊かになり愉しみの中に営まれるに至った。
その限りに於いて「知識は力なり」として全く尊いものであった。
然しやがてその尊さ有難さを重んじ過ぎるの余り、
知識さえ発達させれば間違いなく良い社会が出現すると考え
知識の為に知識を求める事態にまで立到ってしまったのである。
誠に現今に於ては自分で使うために作り上げた知識の為に
却って人間が使われている様に思える。けれども
知識はあくまで知識であって決してそれ以上のものではない。
それは人間に使われる事によって始めて存在の意義を持ち得る
のである。
故に如何程これを豊富に持ったとしても、
魂が磨かれて居なければ何等の役にも立たない。のみならず
智慧才覚が悪用される場合にはどんなに悲しむ可き結果が招来されるか、
此の度の戦争の起った原因の一半も
此の点にあったのではなかろうかと考えられる。
知識才能を磨く事のみによって人間が立派になれると言う如き従来の考え方を
断乎として打破する
のでなければ、日本の再建は到底望み得るものではない


知識と知恵。いかにも同じもののように考えられるかもしれない。
けれどもよく考えてみると、
この二つは別のものではないかという気がする。つまり、
知識というのはある物事について知っているということであるが、
知恵というのは何が正しいかを知るというか、
いわゆる是非を判断するものではないかと思う。
言いかえれば、かりに知識を道具にたとえるならば
知恵はそれを使う人そのものだと言えよう。
お互い、知識を高めると同時に、それを活用する知恵を
より一層磨き、高めてゆきたい
そうしてはじめて
真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。
「知識は道具、知恵は人」/松下幸之助『一日一話』(4/14)

知識を与えるのは大事だが、
その知識を使いこなす人間を育てることがもっと大事。
『松下幸之助・日々のことば』(7/30)

金がないから合理化をやるので、
金があり余るほどあれば合理化なんかやる必要はない。
合理化には知恵がいるが、
その知恵を補うために資本がいるというのならわかる。
しかし知恵の前に金が要るなんていうのは、合理化ではない
合理化がいちばん遅れているのは人間の思想だと思う
汗と創意」/本田宗一郎『ざっくばらん』

習慣というものはおそろしい。
楽しい想い出はいつも晴れの日だ、という言葉がある。
よき時代のよき記憶は人間を保守的にする。一つ覚えると、
それに死ぬまで執着しているようなものである。やんぬるかな。
「自由化時代の経営学」/本田宗一郎『俺の考え』

好むと好まざるとに拘らず、自由化時代は到来したのである。
自由化になったから泡食っていいものを作れでは、到底無理なのである。
自由化時代を勝ち抜くためには、道はただ一つしかない。
よいアイデアがなければ、いかに金貨の袋を抱いていても、
時代のバスに乗りおくれるのは必定
である。
資本がないから事業が思わしくないとの声をよく聞くが
それは資本がないからでなく、アイデアがないからである
「自由化時代の経営学」/本田宗一郎『俺の考え』

人間の才能には限界があるけど、頭脳に限界はない
俺は選手にとことん頭を使うことを求めた。
野村克也「頭脳に限界はない

どんなに賢く生まれついたと言っても、熱心さがなかったら
その賢さが賢さとして、自他ともの恵みにはならない
賢いと言い、愚かと言っても、人間におけるそのちがいは、
神の眼から見ればタカが知れている。それよりも
熱心であること。何事にも熱心であること。誰よりも熱心であること。
熱心から生まれる賢さが、自他ともに真の幸せを生む
のである。
熱心は、人間に与えられた大事な宝である。そして、
この宝は誰にでも与えられているのである。
「熱心であること」/松下幸之助『続・道をひらく』

そして本日(12/3)は「所得保障は最適解か、支えるのは新たな学び」
――(…)資本主義は変質した。経済の主役は製造業からデジタル産業に移り、
社会が雇用を生み出す力は弱まった。
ITなどの特別なスキルがないと働きたくても働けない時代が訪れつつある。
(…)
高まる「学び直し」のニーズ。それを商機へと変える動きが
市場メカニズムのなかから生まれ始めている。
(…)
コロナが強いた「巣ごもり」は経済のデジタル化を加速させた。
経済の構造は変われど、資本主義のなかで「働くこと」の価値は揺るがない

仕事は自分のものではない。
世の中にやらせてもらっている仕事である。そう考えてこそ、
責任感と使命感と謙虚で力強い活動が生まれてくる。
松下幸之助『松翁論語』

自分の行なう販売(仕事)がなければ社会は運転しない
という自信を持て、そして、それだけに大なる責任を感ぜよ
松下幸之助「商売戦術30カ条」(1936)

プロフェッショナルとは…
今 自分がやっていることに対して逃げずに、
とことんそれに打ち込み、あきらめずに走り続けられる人

自分を拾う、夢を運ぶ〜ゴミ収集員・岳裕介〜

The dogmas of the quiet past are inadequate to the stormy present.
The occasion is piled high with difficulty,
and we must rise with the occasion
.
As our case is new, so we must think anew, and act anew.
We must disenthrall ourselves, and then we shall save our country.

困難が次々に重なって高い山となっても
我々はこの状況とともに立ち上がらなければならない
私たちが直面する状況は新しいものだ。
だから、新たに考えねばならない。新たに行動しよう。

Annual Message to Congress December 1, 1862
by President Abraham Lincoln

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Move forward. With confidence.
With pride
ぴかぴか(新しい)

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである。
有能な実行家は、いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。
物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である
小林秀雄『無私の精神』

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いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての「価値」をもたなくてはならない

――坂村真民さんが好きなゲーテの言葉――

いまだに昨日のスローガン、約束、問題意識が論議を支配し、
視野を狭めている。それらが、
今日の問題解決を阻む最大の障害となっている

ドラッカー『新しい現実』

私の今年の一文字は「革」
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◆私の今年の一文字「革」/2020.1.3

大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない
おたがいに心を新たにして、
真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである。
「真剣勝負」/松下幸之助『道をひらく』

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
体験を積み重ね、限界を拡大し、習慣を養う [2020年12月01日(Tue)]
丹波篠山ABCマラソンにエントリーしました。
ご多分に漏れず、篠山マラソンもオンライン開催ですが、
私にとって関門失格の屈辱を一年後にサブフォーで雪辱した大切な大会、
前回不開催に伴う2千円引きの500円で参加です。

開催期間は2月26日から3月7日の10日間ですが、私は2月28日に決定。
今日(12/1)から3カ月、31+31+28で90日後です。
そして開催場所は、先日のトライアルマラソンの淀川右岸5キロ周回コースで
自分の成長を確認と思っていましたが……
ラン友さんから長居で走りませんかとお誘いメールあり。
キロごとの距離表示も明確だし、ラン後の銭湯もあるし、
何より永遠の目標でありライバル(かたや横綱、こなた幕下ですが)から
ありがたいお誘いだし、思案のしどころです。

何はともあれ、オンライン開催なんてと食わず嫌いでしたが、
90日後の目標に向かってGoですひらめき

2007年9月29日に亡くなられたアシックス創業者の鬼塚喜八郎さん、
以下は同年11月22日付の日経新聞に掲載された全面広告です。
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鬼塚さんが新入社員を前に声高らかに読み上げられたスポーツマン精神5か条、
その「第5条」が今の私のお気に入りで、生涯をかけて目指すところです。

スポーツマンは常に健康に留意し、
絶えず練習の体験を積み重ね、人間能力の限界を拡大し
いついかなる時でもタイミング良く全力を発揮する習慣を養うことが
必要である。
鬼塚喜八郎「スポーツマン精神の5か条」第5条

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いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての「価値」をもたなくてはならない

――坂村真民さんが好きなゲーテの言葉――

いまだに昨日のスローガン、約束、問題意識が論議を支配し、
視野を狭めている。それらが、
今日の問題解決を阻む最大の障害となっている

ドラッカー『新しい現実』

私の今年の一文字は「革」
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◆私の今年の一文字「革」/2020.1.3

大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない
おたがいに心を新たにして、
真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである。
「真剣勝負」/松下幸之助『道をひらく』

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。