衆知による経営で未来を拓く
[2020年12月27日(Sun)]

「雲外蒼天」―― 雲を突き抜けると、蒼く澄み切った天空が拡がっている
みずから開拓していこうという熱意にみちて、
心してものごとを見、そこから学びとろうとするなら、
道は無限にひらかれている。
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。(…)
生涯、みずから新しいものを吸収し、勉強するという態度、
よろこんで人びとの教えを受けていくという態度、
そういうような態度を持ちつづける人には、
進歩はあっても停滞はない。
一歩一歩、年をへるにつれて着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。
さらに十年、二十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。
そういう人がほんとうの大器晩成というのでしょうな。
「“学ぶ”ということ」/松下幸之助『人生談義』
心してものごとを見、そこから学びとろうとするなら、
道は無限にひらかれている。
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。(…)
生涯、みずから新しいものを吸収し、勉強するという態度、
よろこんで人びとの教えを受けていくという態度、
そういうような態度を持ちつづける人には、
進歩はあっても停滞はない。
一歩一歩、年をへるにつれて着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。
さらに十年、二十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。
そういう人がほんとうの大器晩成というのでしょうな。
「“学ぶ”ということ」/松下幸之助『人生談義』
偉大な発展とか、偉大な基礎を築くということは、
尋常一様のときには、いかなる人もできない。
困難な時にもなお向上心を弱めず、さらに志を固め、本来の使命に立脚して、
そのなすべきことを断固としてやっていくという努力を続けて行くならば、
そこに必ず、かつてないほどの知恵才覚というものが湧いてくる。
また、そういうことを信ずるが故に、
困難に直面して、なおますます勇気が出てくる。
かつてない難局であれば、
それは同時にかつてない発展の基礎となるのである。
松下幸之助(1958年1月)63歳
尋常一様のときには、いかなる人もできない。
困難な時にもなお向上心を弱めず、さらに志を固め、本来の使命に立脚して、
そのなすべきことを断固としてやっていくという努力を続けて行くならば、
そこに必ず、かつてないほどの知恵才覚というものが湧いてくる。
また、そういうことを信ずるが故に、
困難に直面して、なおますます勇気が出てくる。
かつてない難局であれば、
それは同時にかつてない発展の基礎となるのである。
松下幸之助(1958年1月)63歳
うまくいっている会社、多少とも発展している会社、
また時代の変遷に対応して発展している会社は、
概して衆知による経営が行われているように思う。
言い換えると、みんなが経営に興味をもって、
お互いに知恵を出し合って、そしてそれをうまく結集して、
経営の芯としているというような会社は、概して発展している、
それが特にうまくいってる会社は急速に発展している。
松下幸之助(1972年1月)77歳
また時代の変遷に対応して発展している会社は、
概して衆知による経営が行われているように思う。
言い換えると、みんなが経営に興味をもって、
お互いに知恵を出し合って、そしてそれをうまく結集して、
経営の芯としているというような会社は、概して発展している、
それが特にうまくいってる会社は急速に発展している。
松下幸之助(1972年1月)77歳
松下幸之助『人間を考える』より――
「人間の天命とそれを生かす道」
人間一人ひとりの知恵というものは人によって異なるとしても、
たとえどんな偉大な人であっても、おのずと限りがあります。
人間がその偉大な本質を正しく発揮し、幸せを逐次高めていくためには、
何よりも多くの人びとの知恵を集めていかなくてはなりません。
そして、そこに個々の知恵を超えた高い衆知、すなわち
すぐれた知恵を生みだし、それによって正しい道を求めていくことが
大切なのです。
衆知というものを考える場合に大事なことは、
ただ人が集まり、その知恵がだされれば
衆知になるというものではないということです。
その人びとが、個々の利害や感情にとらわれることなく、
相互に知恵をだしあって、何が正しいかということを見出そう、
よりよき道を求めていこうということで、
知恵と知恵との真剣な話しあいといった過程があって、
はじめてそれが衆知となるのであって、さもなければ、
単に多くの知恵がそこに示されているだけということになってしまいます。
また、衆知を集めることが大切であるといっても、それは、
個々の人間が自分の知恵を高めていかなくてもよいという意味では
ありません。個々の知恵が非常に低い状態にあったならば、それに応じて
その時の衆知というものも比較的低いものにとどまってしまうでしょう。
一人ひとりの知恵が高まるにつれて、
それだけその集団の衆知も高いものになっていくわけです。
(…)
きょうの最高の衆知は必ずしもあすの最高の知恵ではありません。
これで終わりだというところはないのです。だから、人間は
たえずみずからの知恵を高めつつ、衆知を集めていかなくてはなりません。
人間が個々に知恵を磨き、衆知を集めていくための
手段というか方法については、多種多様のものがあると思います。
しかし、その基本の心構えとして大事なのは、素直な心というものです。
これなくしては真に知恵を高めることも衆知を集めることもできないでしょう。
素直な心とは私心なくくもりのない心といいますか、
一つのことにとらわれずに物事をあるがままにみようとする心なのです。
そういう心からは物事の実相をつかむ力が生まれてきますし、
それにもとづいて、なすべきことをなし、
なすべきでないことを排する勇気というものも湧いてきます。
一言でいえば、素直な心は、人間を正しく強く聡明にするものです。
たとえどんな偉大な人であっても、おのずと限りがあります。
人間がその偉大な本質を正しく発揮し、幸せを逐次高めていくためには、
何よりも多くの人びとの知恵を集めていかなくてはなりません。
そして、そこに個々の知恵を超えた高い衆知、すなわち
すぐれた知恵を生みだし、それによって正しい道を求めていくことが
大切なのです。
衆知というものを考える場合に大事なことは、
ただ人が集まり、その知恵がだされれば
衆知になるというものではないということです。
その人びとが、個々の利害や感情にとらわれることなく、
相互に知恵をだしあって、何が正しいかということを見出そう、
よりよき道を求めていこうということで、
知恵と知恵との真剣な話しあいといった過程があって、
はじめてそれが衆知となるのであって、さもなければ、
単に多くの知恵がそこに示されているだけということになってしまいます。
また、衆知を集めることが大切であるといっても、それは、
個々の人間が自分の知恵を高めていかなくてもよいという意味では
ありません。個々の知恵が非常に低い状態にあったならば、それに応じて
その時の衆知というものも比較的低いものにとどまってしまうでしょう。
一人ひとりの知恵が高まるにつれて、
それだけその集団の衆知も高いものになっていくわけです。
(…)
きょうの最高の衆知は必ずしもあすの最高の知恵ではありません。
これで終わりだというところはないのです。だから、人間は
たえずみずからの知恵を高めつつ、衆知を集めていかなくてはなりません。
人間が個々に知恵を磨き、衆知を集めていくための
手段というか方法については、多種多様のものがあると思います。
しかし、その基本の心構えとして大事なのは、素直な心というものです。
これなくしては真に知恵を高めることも衆知を集めることもできないでしょう。
素直な心とは私心なくくもりのない心といいますか、
一つのことにとらわれずに物事をあるがままにみようとする心なのです。
そういう心からは物事の実相をつかむ力が生まれてきますし、
それにもとづいて、なすべきことをなし、
なすべきでないことを排する勇気というものも湧いてきます。
一言でいえば、素直な心は、人間を正しく強く聡明にするものです。
「人ごとの 良きも悪しきも 心して 聞けばわが身の 為とこそなれ」
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)御歌

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』

旧豊郷小学校
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
旧豊郷小学校


愚直に一歩、一歩、もう一歩

立ち止まってはいられない
この続きはまたいつか
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。

会計は算術ではなく、思想である

会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。