たがいに助け合いながら生きている
[2023年01月17日(Tue)]
白石あづささんの『佐々井秀嶺、インドに笑う』、
佐々井師の波乱万丈の人生にインパクトを受けましたが、
「おわりに」に記されたバングラデッシュ人の幸せのシステムにも
考えさせられました。
バングラデッシュ人の「幸せ」のシステムに完敗です。
幸せのシステムといっても「制度」ではなく、
神様との契約といっても
「お天道様は良いことも悪いこともすべてお見通し」で、
他者から義務づけられたものではなく「自分との約束」といった感じか。
「困った時はお互いさま」というか、「持ちつ持たれつ」というか、
互いに顔の見える関係で助け合い、
そして、助けたことに見返りを求めない「陰徳善事」。
助けられた方はその恩に報いるべく「報恩感謝」で頑張り、
今度は自分が助ける側になってしっかり恩返し。
―― 倍返し、3倍返しで「幸せ」のネズミ算
それに引き換え、
「もらえるうちに、つくらなきゃ!」(マイナンバーカードの広告)

国の制度ですらこんな状態
―― 自分にとって得か損か、貰えるものならもらわな損
すべてにおいて「自分さえよければいい」
自己中心で「他人のことなどお構いなし」の「利己」。
バングラデッシュより経済的に豊かなはずなのに、
実のところ、豊かではない。―― これでいいのかと自省。


―― いくら稼いで金を残しても子孫は使ってしまう。
誰にもわかる徳目だが、行う人は少ない。
白隠は徳を「悳」と書く。
善行善心のことである、それが「直き心」である。
◆白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ
/Bunkamura
司馬遼太郎 『21世紀に生きる君たちへ』より――
大きな犠牲と引き換えに「本当に大切なもの」を学んだあの日から
28年目の朝を迎えるにあたって合掌

梅一輪 一輪ほどの暖かさ(2023.1.15)


冬籠りのメダカたちも元気です

「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

愚直に一歩、一歩、もう一歩
佐々井師の波乱万丈の人生にインパクトを受けましたが、
「おわりに」に記されたバングラデッシュ人の幸せのシステムにも
考えさせられました。
この「おわりに」を書く直前に、
イスラム教徒の多いバングラデッシュで旅行取材していたのですが、
日本語通訳さんが
「一日に5回も仕事を中断して世界平和を祈ると、
「貧しい国なのに、市民に悲壮感がないのは、祈っているから?」
と質問すると、
「誰かがたいてい助けてくれるから不安がない」
と意外な答えが返ってきました。
福祉が充実しているわけでもないのに、なぜかと聞くと、
イスラム社会には、稼いだ年収から使った生活費を差し引いたお金の
2.5%を税金とは別に困っている人に寄付する仕組みがあるそうです。
「しなくてもバレないけど、神様との契約だからみんな守っている。
宗教はさておき、そんな幸せのシステムを
遵守しているバングラデッシュ人に負けた気がするのと同時に、
佐々井さんがせっせと各村に簡素な寺を建て、
「神も仏もありません。
泣いてすがるんじゃなくて、寺に集まり相談し合え」
と説法しているのを思い出しました。
イスラム教徒の多いバングラデッシュで旅行取材していたのですが、
日本語通訳さんが
「一日に5回も仕事を中断して世界平和を祈ると、
日本人は『効率悪い』っていうんだけど、あれ逆。
一度、リセットされるから効率が上がるんだ」
と言うのを聞いて、今なら少し分かる気がします。一度、リセットされるから効率が上がるんだ」
「貧しい国なのに、市民に悲壮感がないのは、祈っているから?」
と質問すると、
「誰かがたいてい助けてくれるから不安がない」
と意外な答えが返ってきました。
福祉が充実しているわけでもないのに、なぜかと聞くと、
イスラム社会には、稼いだ年収から使った生活費を差し引いたお金の
2.5%を税金とは別に困っている人に寄付する仕組みがあるそうです。
「しなくてもバレないけど、神様との契約だからみんな守っている。
慈善団体に寄付してもいいけど、朝夕、モスクで顔を合わせていれば、
失業したり困っている人に何となく気が付く。
その人にそっとお金を渡してもいい。そうすると
その人が商売を始められて、また困っている人を助けられる。
ここがポイントなんだけど、
あげたりもらったりしたことは、お互い速攻で忘れるきまり。
アラーもそう言っている。
他宗教でも他国の人でも困っていれば助けるよ」
失業したり困っている人に何となく気が付く。
その人にそっとお金を渡してもいい。そうすると
その人が商売を始められて、また困っている人を助けられる。
ここがポイントなんだけど、
あげたりもらったりしたことは、お互い速攻で忘れるきまり。
アラーもそう言っている。
他宗教でも他国の人でも困っていれば助けるよ」
宗教はさておき、そんな幸せのシステムを
遵守しているバングラデッシュ人に負けた気がするのと同時に、
佐々井さんがせっせと各村に簡素な寺を建て、
「神も仏もありません。
泣いてすがるんじゃなくて、寺に集まり相談し合え」
と説法しているのを思い出しました。
バングラデッシュ人の「幸せ」のシステムに完敗です。
幸せのシステムといっても「制度」ではなく、
神様との契約といっても
「お天道様は良いことも悪いこともすべてお見通し」で、
他者から義務づけられたものではなく「自分との約束」といった感じか。
「困った時はお互いさま」というか、「持ちつ持たれつ」というか、
互いに顔の見える関係で助け合い、
そして、助けたことに見返りを求めない「陰徳善事」。
助けられた方はその恩に報いるべく「報恩感謝」で頑張り、
今度は自分が助ける側になってしっかり恩返し。
―― 倍返し、3倍返しで「幸せ」のネズミ算

それに引き換え、
「もらえるうちに、つくらなきゃ!」(マイナンバーカードの広告)

国の制度ですらこんな状態
―― 自分にとって得か損か、貰えるものならもらわな損
すべてにおいて「自分さえよければいい」
自己中心で「他人のことなどお構いなし」の「利己」。
バングラデッシュより経済的に豊かなはずなのに、
実のところ、豊かではない。―― これでいいのかと自省。

―― いくら稼いで金を残しても子孫は使ってしまう。
いくら本を残しても読まぬ。
それよりは、人知れず善行を行い、陰徳を積むことだ。(陰徳善事)
それが子孫繁栄の方策だぞ、
ということが書いてある。それよりは、人知れず善行を行い、陰徳を積むことだ。(陰徳善事)
それが子孫繁栄の方策だぞ、
誰にもわかる徳目だが、行う人は少ない。
白隠は徳を「悳」と書く。
善行善心のことである、それが「直き心」である。
◆白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ
/Bunkamura
助け合っていくということは、
みなが実力を持つことです。
みなが助け合うということは、
お互いが実力を持つことをお互いに助け合うということです。
実力をなくした者を助け合うというようなことじゃない。
実力を持つようにお互い助け合いをする。
これが、私は共存共栄だと思うのですね。
これでなくては世の中はうまくいかないと思います。
みんながそれぞれの職責を全うして、
自分の仕事をやっていこうという場合にこそ、
その実力の上に共存共栄の花が咲くと私は思いますね。
松下幸之助・1964(昭和39)年
みなが実力を持つことです。
みなが助け合うということは、
お互いが実力を持つことをお互いに助け合うということです。
実力をなくした者を助け合うというようなことじゃない。
実力を持つようにお互い助け合いをする。
これが、私は共存共栄だと思うのですね。
これでなくては世の中はうまくいかないと思います。
みんながそれぞれの職責を全うして、
自分の仕事をやっていこうという場合にこそ、
その実力の上に共存共栄の花が咲くと私は思いますね。
松下幸之助・1964(昭和39)年
司馬遼太郎 『21世紀に生きる君たちへ』より――
(…)
君たちは、いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない。
―― 自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、
君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。
(…)
自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助けあって生きているのである。
(…)
人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、
たがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して
孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、
助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、
いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」
みな似たような言葉である。
(…)
君たちは、いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない。
―― 自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、
君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。
(…)
自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助けあって生きているのである。
(…)
人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、
たがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して
孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、
助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、
いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」
みな似たような言葉である。
(…)
大きな犠牲と引き換えに「本当に大切なもの」を学んだあの日から
28年目の朝を迎えるにあたって合掌
梅一輪 一輪ほどの暖かさ(2023.1.15)
冬籠りのメダカたちも元気です

「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

愚直に一歩、一歩、もう一歩

この続きはまたいつか
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。

会計は算術ではなく、思想である

会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。